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2017/08/18

ジャズ漫画を読む (1) 坂道のアポロン

昔はジャズ漫画と言えば、ラズウェル細木の『ときめきJAZZタイム』くらいしか思い浮かばなかった。ラズウェル細木の漫画は、ジャズ史やジャズ・ミュージシャンのエピソード、ジャズマニアのおかしな生態などを、コアなジャズファンが思わず吹き出してしまうような画風とユーモアで描いた、いわばプロフェッショナル・ジャズ漫画だ。したがって読む側にもかなりのジャズ知識がないと、どこが面白いのかさっぱりわからないという特殊な世界である(ただしジャズファンが読むと、自虐的なギャグ漫画のようで大いに笑える)。だが普通の漫画(コミック)の世界だと、クラシック音楽を描いた『のだめカンタービレ』や『ピアノの森』といった有名な傑作漫画が既にあるが、その種の「ジャズ漫画」というのは読んだことがなく、そうしたジャンルがあるのかどうかも知らなかった。クラシック音楽もジャズと同じで最近は聴く人が減っているようだが、クラシックファンだけでなく、日本人は基本的に誰でも学校でクラシックを習うし、自然に耳に入る機会も多く馴染みがあるので、それほど敷居の高さを意識せずに抵抗なく物語に入っていける「潜在読者」の数も多いのではないかと思う。何より、音の出ない絵だけを見ても、記憶されたクラシックの名曲が頭の中で聞こえて来るので、イメージが喚起しやすいのである。しかしジャズはそうはいかず、昔からまず聞く人が限られているし、今は基礎知識もなくジャズを聞いた経験もない人がほとんどなので、まずジャズという音楽そのものを知らないと、漫画といえども、なかなかすんなりと読んで楽しむわけにはいかないだろうと思っていた。そういうわけで、数年前に娘から教えてもらうまで、ジャズをテーマにした普通の漫画作品があるなど夢にも思わなかった。当然その種の(売れそうもない)漫画を書く作家など出て来るはずもないし、たとえいたとしても、どうせたいしたものじゃないだろうと勝手に思い込んでいて、まったく興味もなかった。ところが、遅ればせながらだが、ジャズをテーマにした漫画にも素晴らしい作品があるということがわかったのだ(知っている人はとっくに読んでいたわけではあるが)。

それが『坂道のアポロン』(小玉ユキ/2007-12)で、1960年代後半の長崎県・佐世保を舞台にしてジャズと恋、友情を描いた爽やかな青春物語である。まさに団塊の世代ど真ん中の時代設定もあり、当時夢中になった若者がたくさんいたモダン・ジャズをテーマとBGMにして、昭和的ノスタルジーを強く感じさせる出色のオールタイム・ジャズ漫画だ。そもそもは少女漫画月刊誌に掲載されていたということだが、題材からして作者が若い(かどうかはよく知らないが)女性というのも驚きだ。物語全体に漂う静謐感、詩情が秀逸で、登場人物の造形、物語の展開、ジャズの描き方など、実際に音が聞こえなくとも紙の上でこういう世界が描けるものかとびっくりした。だが文化祭のシーンが象徴するように、当時の日本はジャズの「全盛」時代だったにもかかわらず、若者の間で人気のあったロックやポップスやフォークの陰に隠れたマイナーな存在だったことも、昨日のことのように思い出す。当時はファッションで聞く人もいたので、本当のジャズ好きはさらに一握りの人たちだけだったのだろう。70年代、張り詰めたような政治の時代が終わり、世の中が軽く明るく(?)なって、ジャズもわかりやすいフュージョンに変容し、聴き手も大学を卒業して普通のサラリーマンになると、ポップスばかりか演歌や歌謡曲ファンに「転向」した人も多かった。これには楽器ができなくても誰でも自分で歌えるカラオケ登場の影響も大きかったと思う。そうした大衆とは縁のない音楽、何をやっているのかわからない音楽、金にならない音楽、精神がとんがった連中(変わり者)が好む音楽…という日本におけるジャズのイメージは昔も今も基本的にはそう変わらないのだろう。ただし、気取った大人が聞くお洒落な音楽というスノッブなイメージが付加されたのは、日本が80年代に入って金回りが良くなり、若い時にジャズを聞いた客層を中心にジャズクラブがあちこちにできたりして、ジャズがそこそこ大衆化したバブル期以降である。それまで、つまり「アポロン」前後の時代は、ショービジネスが出自ではあっても、基本的にはシリアスな音楽芸術、難しいが深い大人の音楽、という受け止め方の方が日本では主流だったと思う。つまりジャズが本当にカッコいい時代だったのだ。

この作品はTVアニメ化もされたのでこれも見たが、菅野よう子が手がけた音楽の出来も良く、しかも漫画では想像するしかなかった「ジャズの音」が、ドラマの中では実際に聞こえてくることもあって、放映中は年甲斐もなく嵌った。若手ミュージシャンによるジャズのサウンドトラックも新鮮で、若者だけでなく、おそらく多くの中高年ジャズファン層が支持したこともあって、番組終了後にはアニメ中のジャズをモチーフにしたライヴ公演の企画まであった(残念ながら聞き逃したが)。そして、来年2018年にはついに映画まで公開されるらしい(現在制作中)。予定キャスティングは、私のような年寄には知らない若い人も多いが、脇役のディーン・フジオカ(桂木先輩役)や中村梅雀(律子の父、ベースを弾くレコード店主役。この人は実際にベースを弾くようだ)など、なるほどと思わせる人たちだが、主人公の一人、迎律子役の小松菜奈(この人はなぜか知っている)は漫画とイメージがちょっと違うのかな、という気がする(原作はもっと素朴で地味なイメージ。ただしそれも映画を見てみないと何とも言えないが)。映画の中でジャズをどう描くか、誰がどういう演奏をするのか等楽しみだが、同時に、この映画の観客層がいったいどういう年齢構成や男女比になるのかということにも非常に興味がある。まさか中高年のおっさんばかり、ということはないだろうと思うが…。