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2022/08/20

夏のジャズ(2)

夏場にはラテン系など、音数の多い賑やかな音楽を楽しむという人もいるだろうが、私の場合、基本的には音数があまり多くない、空間を生かした、文字通り風通しの良い音楽に「涼しさ」を感じる。夏に聴きたくなるジャズというと、前記事のように、どうしてもギター中心のサウンドになるが、ホーンも、ピアノも、ヴォーカルも、それぞれやはり夏向きの演奏はあるし、またそういう奏者もいる。

In Tune
(1973 MPS)

「山本潤子」の記事で書いたが、80年代はじめに「ハイ・ファイ・セット Hi-Fi Set」が出したジャズ寄りのレコードを集中して聴いていたところ、夏場に聴く「ジャズ・コーラス」も、なかなか気持ちがいいものだと改めて感じた。そこで(ご無沙汰していたが)昔ずいぶん聴いた、オスカー・ピーターソン Oscar Peterson (1925-2007) が自身のトリオ名義でプロデュースした男女4人組(女声1人)コーラス・グループ 、"シンガーズ・アンリミッティド The Singers Unlimited" の『In Tune』(1973) を久々に聴いてみた。"The Singers Unlimited" は、70年代に『A Capella』他の美しいコーラスアルバムを数多くリリースしているが、1971年に録音されたメジャー・デビューとも言える本アルバムでも非常に気持ちの良いコーラスを聞かせている。ピーターソンのピアノは個人的にはあまり趣味ではないが、このアルバムではピアノトリオがコーラスの背後で控え目な演奏に徹していて、かつMPSらしいソリッドな音質もあって、どのトラックも楽しめる。特に好きだったLPのB面1曲目「The Shadow of Your Smile」の冒頭のアカペラのコーラスハーモニーは、夏場に聴くとやはり気持ちが良い(CDでは6曲目)。

 In Harvard Square
 (1955 Storyville)
ホーン楽器だと、夏場はやはり涼しげなアルトサックス系がいい。そこで文字通り「クールな」リー・コニッツ Lee Konitz (1927-2020) を聴くことが多い。どちらかと言えば、あからさまな情感 (emotion) の発露が低めで、抽象度が高いコニッツの音楽は、聴いていて暑苦しさがないので基本的に何を聴いても夏向き(?)だ。だが私の場合、トリスターノ時代初期のハードなインプロ・アルバムはテンションが高すぎて、あまり夏場に聴こうという気にならない。頭がすっきりする秋から冬あたりに、集中して真剣に音のラインを辿るように聴くと、何度聴いてもある種のカタルシスを感じられる類の音楽だからだ。だから夏場に聴くには、1950年代半ばになって、人間的にも丸みが出て(?)からStoryvilleに吹き込んだワン・ホーン・カルテットの3部作(『Jazz at Storyville』『Konitz』『In Harvard Square』)あたり、あるいは50年代末になってVerveに何枚か吹き込んだ、ジム・ホールやビル・エヴァンスも参加した比較的肩の力を抜いたアルバム(『Meets Jimmy Guiffree』『You and Lee』)とかが、リラックスできていい。ここに挙げた『In Harvard Square』は、Ronnie Ball(p), Peter Ind(b), Jeff Morton(ds) というカルテットによる演奏。Storyville盤は3枚ともクールネスとバップ的要素のバランスがいいが、このアルバムを聴く機会が多いのは、全体に漂うゆったりしたレトロな雰囲気と、私の好きなビリー・ホリデイの愛唱曲を3曲も(She's Funny That Way, Foolin' Myself, My Old Flame)、コニッツが取り上げているからだ(コニッツもホリデイの大ファンだった)。

Cross Section Saxes
(1958 Decca)
リー・コニッツのサウンドに近いクールなサックス奏者というと、ほとんど知られていないが、ハル・マキュージック Hal McKusick (1924-2012) という人がいる(人名発音はややこしいが、昔ながらの表記 "マクシック" ではなく、マキュージックが近い)。上記リー・コニッツのVerve盤や、『Jazz Workshop』(1957) をはじめとするジョージ・ラッセルの3作品に参加していることからも分かるように、そのサウンドはモダンでクールである。本作『Cross Section Saxes』(1958 ) の他、何枚かリーダー作を残していて、いずれも決して有名盤ではないが私はどれも好きで愛聴してきた。押しつけがましさがなく、空間を静かに満たす知的なサウンドが夏場にはぴったりだ。1950年代後期、フリージャズ誕生直前のモダン・ジャズの完成度は本当に素晴らしく(だからこそ ”フリー” が生まれたとも言える)、黒人主導のファンキーなジャズと、主に白人ジャズ・ミュージシャンが挑戦していた、こうしたモダンでクールなジャズが同時に存在していた――という、まさにジャズ史の頂点というべき時代だった。本作もアレンジはジョージ・ラッセルや、ジミー・ジュフリーなど4名が担当し、マキュージック(as, bc他) 、アート・ファーマー(tp)、ビル・エヴァンス(p)、バリー・ガルブレイス(g)、ポール・チェンバース(b)、コニー・ケイ(ds)他――といった多彩なメンバーが集まって、6人/7人編成で新たなジャズ創造に挑戦する実験室(workshop)というコンセプトで作られた作品だ。このアルバムの価値を高めているのも、デビュー間もないビル・エヴァンスで、ここで聴けるのはマイルス・デイヴィスの『Kind of Blue』(1959) 参加前夜のエヴァンスのサウンドだ。その斬新なピアノが、どのトラックでもモダンなホーン・サウンドのアクセントになっている。

Pyramid
(1961 Atlantic)
夏場に、ギターと並んでもっとも涼しさを感じさせるのがヴィブラフォン(ヴァイブ)のサウンドだ。モダン・ジャズのヴァイブと言えば、第一人者はもちろんMJQのミルト・ジャクソン Milt Jackson (1923-99) である。MJQと単独リーダー作以外も含めると、ジャクソンが参加した名盤は数えきれない。何せヴァイブという楽器は他に演奏できる人間が限られていたので、必然的にあちこち客演する機会が多くなって、特に大物ミュージシャンのアルバムへ参加すると、それがみな名盤になってしまうからだ。1940年代後半から50年代初めにかけてのパーカー、ガレスピー、モンク等との共演後、1951年にガレスピー・バンドの中から "ミルト・ジャクソン・カルテット(MJQ)" を立ち上げるが、翌52年頃からピアニスト、ジョン・ルイス John Lewis (1920-2001) をリーダーとする "モダン・ジャズ・カルテット(こちらもMJQ)" (パーシー・ヒース-b, ケニー・クラーク後にコニー・ケイ-ds) へと移行した。よく知られているように、MJQはジャズとクラシックを高いレベルで融合させ、4人の奏者が独立して常に対等の立場で演奏しながら、ユニットとして「一つのサウンド」を生み出すことを目指したグループで、ルイスの典雅なピアノと、ジャクソンのブルージーなヴィブラフォンがその室内楽的ジャズ・サウンドの要だった。その後70年代の一時的活動中断を経て、1997年までMJQは存続し、ジャクソンはその間ずっと在籍した。MJQの名盤は数多いが、モダン・ジャズ全盛期1959/60に録音された『Pyramid』は、比較的目立たないが、彼らのサウンドが絶妙にブレンドされた、クールで最高レベルのMJQの演奏が味わえる名盤だ。

Affinity
(1978 Warner Bros)
ピアノはそもそもの音がクールなので、夏向きの音楽と言えるが、やはり「涼し気な」演奏をする奏者と、そうでないホットな人はいる。ビル・エヴァンス Bill Evans (1931- 80) はもちろん前者だが、上で述べたコニッツの場合と同じく、夏場はリラクゼーションが大事なので、エヴァンス特有の緊張感のあるピアノ・トリオよりも、ハーモニカ奏者トゥーツ・シールマンToots Thielemans (1922-2016) 他との共演盤『Affinity』あたりが、いちばん夏向きだろう(マーク・ジョンソン-b、エリオット・ジグモンド-dsというトリオに、ラリー・シュナイダー-ts,ss,flも参加)。これは1980年に亡くなったビル・エヴァンス最晩年の頃の演奏で、若い時代の鋭く内省的な演奏というよりも、どこか吹っ切れたような伸び伸びした演奏に変貌していた時期で、本作からもそれを感じる。ベルギー生まれのシールマンは、1950年代はじめに米国へ移住後、数多くのジャズやポピュラー音楽家と共演してきたハーモニカの第一人者。夏場、特に夕方頃に聴くハーモニカの哀愁を帯びたサウンドは清々しく、とりわけ「Blue in Green」などは心に染み入る。

The Cure
(1990 ECM)
キース・ジャレット Keith Jarret (1945-) の健康状態に関するニュースが聞こえてくると、ジャズファンとしては悲しいかぎりだ。ついこの間もバリー・ハリス(p) の訃報を聞いたばかりで、20世紀のジャズレジェンドたちが一人ずつ消えてゆくのは、本当にさびしい。ピアノを弾くのが困難でも、キースには、せめて長生きしてもらいたいと思う。そういうキースのアルバムは、すべてが「クール」と言っていいが、演奏の底に、何というか、ジャズ的というのとはまた別種の「情感」が常に流れているところに独自の魅力があるピアニストだと個人的には思っている。80年代以降の「スタンダード・トリオ」(ゲイリー・ピーコック-b, ジャック・デジョネット-ds) 時代のレコードは、ほぼ全部聴いていると思うが、私の場合ここ10年ほどいちばんよく聴くのは、トリオも熟成した後期になってからのレコード『Tribute』(1989) や、ここに挙げた『The Cure』(1990) だ。モンク作の「Bemsha Swing」(実際はデンジル・ベスト-ds との共作)や、自作曲「The Cure」、エリントンの「Things Ain't…」など、ユニークな選曲のアルバムだが、なかでもバラード曲「Blame It on My Youth」(若気の至り)の、ケレン味のないストレートな唄わせぶりが最高に素晴らしくて何度聴いたか分からない。この後ブラッド・メルドーや、カーステン・ダールといったピアニストたちが、この曲を取り上げるようになったのは(キース自身、その後のソロ・アルバム『The Melody at Night, with You』(1999) でも再演している)、ナット・キング・コール他の歌唱でも知られるこの古く甘いスタンダード曲を、クールで美しい見事なジャズ・バラードに昇華させたキースの名演に触発されたからだろう。ニューヨーク・タウンホールでのライヴで、相変わらず響きの美しい、気持ちの良い録音がトリオの演奏を引き立てている。

Mostly Ballads
(1984 New World)
もう一人は、まだ現役だが、やはり白人ピアニストのスティーヴ・キューン Steve Kuhn (1938-) だろうか。若い頃は耽美的、幻想的と称されていたキューンのピアノだが、私的印象では、どれも凛々しく知的な香りがするのが特徴で、一聴エモーショナルな演奏をしていても、その底に常にクールな視座があり、ホットに燃え上がるということがない。しかしその透徹したサウンドはいつ聴いても美しく、またクールだ。初期のトリオ演奏『Three Waves』(1966) や、ECM時代のアルバムはどれも斬新でかつ美しい。本作『Mostly Ballads』(1984) は私の長年の愛聴盤で(オーディオ・チェックにも使ってきた)、ソロとベース(ハーヴィー・シュワルツ Harvie Swartz)とのデュオによる、静かで繊細なバラード曲中心の美しいアルバムだ。響きと空気感をたっぷりと取り込むDavid Bakerによる録音も素晴らしく、大型スピーカーで聴くと、キューンの美しいピアノの響きに加えて、ハーヴィー・シュワルツのベースが豊かな音で部屋いっぱいに鳴り響くのだが、小型SPに変えてしまった今の我が家では、もうあのたっぷりした響きが味わえないのが残念だ。

Complete
London Collection
(1971 Black Lion)
「クール」とか「涼しい」をテーマにすると、どうしても白人ジャズ・ミュージシャンばかりになってしまうが(自分の趣味の問題もある)、ピアノではもう一人、実はセロニアス・モンク Thelonious Monk (1917- 82) の演奏、それもソロ・ピアノは暑苦しさが皆無なので、夏に聴くと非常に心が落ち着く気持ちの良い音楽だ。モンクのソロ・アルバムの枚数は4枚しかないが、もう1つが、モンク最後のスタジオ録音になった『London Collection』(1971) のソロで、録音もクリアで聴いていて非常に気持ちが良い。3枚組CDでリリースされた本作品のソロは、alt.takeを含めてVol.1とVol.3に収録されていて、晩年になってもソロ演奏だけは衰えなかったモンクが楽しめる。LP時代には発表されず、CD版のVol.3の最後に追加されたソロで、「Chordially」と名付けられた「演奏」は、モンクが録音本番前に様々な「コードchord」を連続して弾きながらウォーミングアップしている模様を約9分間にわたって記録した音源だ(ちなみに、英語の "cordially" は、「心をこめて」という意味の副詞である。タイトル "chordially" は、モンクらしい言葉遊びだろうと推測している)。翌1972年からウィーホーケンのニカ邸に引き籠る前、欧州ツアー中のロンドンで記録された文字通りセロニアス・モンク最後の「ソロ演奏」であり、比類のない響きの美しさがなぜか胸に迫って、涼しさを通り越して、もの悲しくなるほど素晴らしい。

2019/06/15

Bill Evans with Horns(2)

Live at the Half Note
Lee Konitz
1959/1994 Verve
エヴァンスはクールで先進的なトリスターノ派の音楽とも相性が良さそうに思えるのだが、リー・コニッツが自伝でも述べているように、コニッツとエヴァンスの共演はあまりうまくいった例はないようだ。1959年にはVerveのコニッツのレコーディングに何度か参加し、さらにウォーン・マーシュ(ts) も参加したクインテット(ジミー・ギャリソンーb、ポール・モチアン-ds)による『Live at the Half Note(1959録音/1994リリースにも参加している。これはトリスターノとコニッツの久々の再会セッションで、クラブ「Half Note」での長期ライヴ期間中の共演だった。コニッツとマーシュは当時は好調だったし、ユニゾン・プレイを含めたここでの二人の演奏の出来は相変わらず素晴らしいと思うが、その晩トリスターノが出演できないという理由でコニッツに急遽呼ばれたエヴァンスは、代役でいきなり参加したという事情もあったのか、時おりの短いソロを除いて控えめなバッキング(ほとんど無音のときもある)に終始し、ここではまったく存在感がない。この録音のエヴァンスが適切な状況判断で音を選んでいた、という好意的なP・ペッティンガーの見方にはあまり賛同できない出来だと思う。このライヴ・セッションは、同年春の『Kind of Blue』録音と同時期で、エヴァンス的には決して調子の悪い時期だったとも思えず、むしろラファロ、モチアンとの新トリオ結成に向けて昇り調子だったはずだ。当時、トリスターノとコニッツの間の確執が背景にあった中で急遽受けた代役だったこと、あるいはエヴァンスのドラッグの問題なども関係して、当日はメンタル的にも演奏に乗れなかったのかもしれない(このレコードには、トリスターノがらみの面白い裏話がまだまだあるので、理由はいろいろ想像できる)。いずれにしろ当時売り出し中だったエヴァンスの不調を理由に、Verveはこの録音を結局お蔵入りしにし、1994年まで発表しなかった。コニッツはその後1960年代半ばに、ヨーロッパのコンサート・ライヴ(『Together Again』1965)でも共演しているが(エヴァンスは一部のみ参加、このときもエヴァンスの体調が悪く(たぶんドラッグ)パッとしない演奏に終わっている

Crosscurrents
1978 Fantasy
『Half Note』から20年近く経って、コニッツ、マーシュ、エヴァンス最後の共演となった『Crosscurrents』(1978)でも、あまり相性の良さを感じないが、コニッツはレイドバック気味の自分の演奏に対して、オンタイム (just) で弾くエヴァンスのピアノがリズム的にしっくり来なかったという表現をしている。要は、どこか追い立てられるような気配のあるエヴァンス相手だとリラックスできない、ということのようだが、78年という時期を考えると、コニッツが受けた印象は正直なものだったのかもしれない。エヴァンスの伝記を書いたP・ペッティンガーは、コニッツのピッチが徐々にシャープさを増して来たことを理由に挙げており、『Crosscurrents』では共演したウォーン・マーシュもピッチが不安定だったと、このアルバムが低評価だった理由は二人のホーン奏者のピッチだという見方をしている。確かにそう聞こえるし、コニッツも自分のシャープ気味なピッチのことは認めているが、それよりやはり基本的相性の問題、つまりハーモニーへの嗜好や、リズムへの乗り方が違うことの方が影響が大きいようにも思える。コニッツとエヴァンスは、結局のところ音楽的に相性が悪いのだと思う。Half Note』でもそうだが、柔らかなサウンドも、変幻自在の独特リズム感からも、むしろウォーン・マーシュの方が、サウンド、リズム両面でエヴァンスのピアノとはマッチしているように聞こえる。マーシュのバラード・プレイには非常に魅力があると思っているが、『Crosscurrents』でも、特に<Every Time We Say Goodbye>で、マーシュとエヴァンスによる何とも言えず不思議に美しいバラードの世界が聞ける。これも、揺れるピッチのせいだと言えないことはないかもしれないが、ふわふわと浮遊するがごとくの、この不思議なバラード演奏が私は昔から好きだ。

Stan Getz & Bill Evans
1964/1973 Verve
エヴァンスのワン・ホーン・カルテットでは、いろんな意味でいちばん楽しめ、聴きごたえがあるのは、やはりスタン・ゲッツ(ts)との共演盤だろう。ゲッツは他のテナー奏者とは才能の次元が違うミュージシャンなので、相性云々を超えて、ジャズ・レジェンド同士の演奏はやはり風格が違う。ただこの二人は、遊び人と大学教授(昔の)くらい人格の雰囲気の違いがあるので、真面目なエヴァンス的には決して真にリラックスして共演できる相手ではなかっただろうと思う。『Stan Getz & Bill Evans』(1964) は、当時ボサノヴァのヒットで絶好調だったゲッツとエヴァンスという大物同士の組み合わせだったが、両者ともに満足できない演奏があったことが理由でお蔵入りになっていたものを、1973年にVerveが(勝手に)リリースした作品だ。エルヴィン・ジョーンズ(ds)、ロン・カーター(b)、リチャード・デイヴィス(b)  が参加したこのアルバムは、エルヴィンの個性的ドラミングもあって、いかにも60年代半ばというジャズ・サウンドを感じさせ、全体として初共演としては決して悪くない出来だと思う。ただメンバー構成が異質なこともあって、互いの出方を伺うような雰囲気があり、そこがどことなく硬さを感じさせる理由だろう。(ところで、このレコード・ジャケットの日の丸らしきものには、何か意味があるのだろうか?)

But Beautiful
1974/1996  Fantasy
それから10年後に新たに録音されたのがオランダ、ベルギーでのライヴ演奏(カルテット、トリオ)を収めたCD『But Beautiful』(1974, エディ・ゴメス-b, マーティ・モレル-ds) だ。73年にリリースされた上記レコードの反響を受けて企画されたコンサート・ライヴということだが、こちらもリリースされたのは20年以上経った1996年である(もちろん二人とも亡くなった後)。ここでは相変わらず流麗でセンシティヴなゲッツのテナーと、当時はたぶんまだ元気だったエヴァンスのピアノが美しく絡んで、名人同士の絶妙のコラボレーションを聞くことができる。64年当時からは二人とも年齢と経験を重ねており、何よりエヴァンスの当時のレギュラー・トリオにゲッツが客演したライヴという条件もあって、どの曲もリラックスした心地良い演奏だ。<But Beautiful>や、<The Peacocks>などのバラードにおけるゲッツのテナーと、それを支えるエヴァンスのピアノはさすがに美しい。ゲッツとエヴァンスという大物二人の個人的相性が実際はどうだったのかはよく分からないが、ヘレン・キーンのライナーノーツによれば、トリオ演奏のために待ち時間が伸びていたゲッツが、(たぶんイライラして)登場後、予定外だった曲<Stan's Blues>をいきなり吹いて、気分を害したエヴァンスが途中で演奏を止めたという話や、次の会場ではそのお詫びの印なのか、ゲッツがエヴァンスの誕生日であることを紹介して<Happy Birthday>のメロディを吹くなど(実際にCDに入っている)、いったいどっちなのかよく分からないエピソードもある。二人仲良くにこやかに微笑むジャケット写真がその象徴なのだろうか? しかしこれも、どう見ても合成写真なのがどうも気になる……

Quintessence
1976 Fantasy
1970年代のコンボ代表作は、ハロルド・ランド(ts)、ケニー・バレル(g)、レイ・ブラウン(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds) というクインテットによる『Quintessence』(1976) だろう。50年代ハードバップはエヴァンスとは水と油だったと思うが、これは60年代の『Interplay』の再現のようなアルバムで、当時はすっかり枯れて渋さを増したドラムスのフィリー・ジョーのみそのままで、ジム・ホールに代ってバレルのギター、ハバードのトランペットに代ってランドのテナー、パーシー・ヒースに代って相変わらず重量感のあるブラウンのベース、というメンバーだ。どう見ても、エヴァンスではなくてオスカー・ピーターソンの方が似合いそうな組み合わせだが、フュージョン全盛の70年代半ばのこの頃は、こうした大物を集めたバップ・リバイバル的企画のレコードが数多くリリースされていた。ジャズ的緊張感こそないが、さすがに全員ベテランならではの余裕と味わいを深めた、実に安定したバンドによるリラックスできるアルバムだ。ケニー・バレルはエヴァンスとは初共演ということらしいが、やはりバレルのブルージーなギターはいつ聞いても素晴らしい。ここでのエヴァンスからは、あの神経質な昔からは考えられないほど、非常にリラックスしたムードが感じられ、おそらくベテラン・メンバーの醸し出す余裕と安定感にどっぷりと浸って演奏していたのだろう。

Affinity
1978 Warner Bros
70年代からもう1作挙げるとしたら、マーク・ジョンソン(b), エリオット・ジグモント(ds)というレギュラー・トリオに、トース・シールマンズ Toots Thielemans (harm)、ラリー・シュナイダー(as,ts,fl) が加わった異色アルバムAffinity(1978)だろう。シールマンズのハーモニカをフィーチャーした、あの時代を象徴するような肩の凝らないイージーリスニング的な聞き方もできるレコードだが、デュオ、トリオ、カルテットと編成を変えたり、エヴァンスがエレピを弾いたり、あれこれ工夫を凝らして、楽しめるアルバムに仕上がっている。体力、精神ともに安定感を欠いて行った晩年のエヴァンスのトリオ演奏に聞ける、追い立てられるような、何とも言えない切迫感や緊張感はここにはなく、シールマンズの哀愁と懐かしさ溢れる、美しいハーモニカのサウンドと共演するのを楽しむかのように、リラックスしたエヴァンスの最後の姿が浮かんで来るようだ。その意味でも、夕暮れ時に聴くのにぴったりのアルバムである。

2018/11/25

ジャズ・ギターを楽しむ(3)ジム・ホールの "対話"

Berlin Festival
Guitar Workshop
1968 MPS
1967年に、ヨアヒム・E・ベーレントとジョージ・ウィーンの共同企画で、ベルリンで開催された ”Berlin Festival Guitar Workshop” というコンサートをライヴ録音したレコードがある。私は昔、主に全盛期のバーデン・パウエルの超絶ギターを聴くために、このレコード(LP、後にCDも)を購入した。ジャズ・ギターの歴史を振り返るという趣向で企画されたこのコンサートでは、エルマー・スノーデンの素朴だが味わいのあるバンジョーによる2曲、バディ・ガイのアーシーなブルース・ギターとヴォーカル2曲、バーニー・ケッセルの流れるようなモダンなジャズ・ギター2曲、そしてジム・ホールの<Careful>とバーニー・ケッセルとのデュオ<You Stepped out of a Dream>と続き、最後にバーデン・パウエル・トリオが登場して、<イパネマの娘>、<悲しみのサンバ>、<ビリンバウ>の3曲を圧倒的なスピードと迫力で弾き切って、会場の熱狂的な歓声で終えるという構成のレコードだ。CDではベーレントによるMCもカットされていて、パウエルへの会場の熱狂ぶりがLPほどは伝わって来ない。だが、このレコードを何度も聴くうちに、ケッセルとのデュオも含めて、パウエルとはまったく対照的な、ここでのジム・ホールのクールで抑制のきいた独特のギター・サウンドの味わいに、むしろ徐々に魅力を感じるようになった。ジョー・パスのような解放感や華やかさはないが、時間と共に、そのモダンで、かつ渋い演奏の素晴らしさがじわじわと伝わって来る名人芸を聞かせる――ジム・ホールとはそういうギタリストである。そのホール独特の個性と魅力が、もっとも発揮できるフォーマットがデュオではないかと思う。ジャズのデュオというのはコンボと違って、一聴すると単調に感じられることも多く、また息詰まるようなムードが苦手な人もいるだろうが、奏者にとっては曖昧なプレイが許されない、常に緊張を強いられるフォーマットでもあり、それだけにミュージシャンの技量とセンスによっては、素晴らしく高度な音楽が生まれることがある。

Undercurrent
Bill Evans & Jim Hall
1963 United Artist
ジム・ホール(Jim Hall 1930-2013)の演奏で、もっともよく聞かれているレコードは、おそらくビル・エヴァンスとの共作デュオ、『アンダーカレント Undercurrent』(1963 United Artistだろう。これはジャズファンなら知らない人はいないくらい有名なレコードであり、ジャズ史上、全編ピアノとギターのデュオだけで、これ以上美しい演奏を収めたアルバムはない。単に美しいだけではなく、最初から最後まで緊張感が途切れず、互いに反応し合う両者のインタープレイ(対話)がジャズ的に素晴らしいのだ。ホールはこれ以前に、ジョン・ルイスの『John Lewis Piano』(1957 Atlantic) でも、Two Lyric Pieces (Pierrot/Colombine)>という10分を超える曲で、ルイスと静謐で美しく見事なデュオを演奏している(b、dsもバックでサポート)。その後エヴァンスとはもう1作『Intermodulation』(1966 Verve)も録音している。

First Edition
George Shearing /Jim Hall
1981 Concord
ホールはその後、盲目のピアニスト、ジョージ・シアリングとも同様のデュオ・アルバム『First Edition』(1981 Concord) を吹き込んでいて、これは演奏曲目、シアリングとホールの対話共に、抒情的で非常に美しいアルバムだ(手持ちのLPしかなく、今はCDが入手できないのが残念だが)。1986年にはモントルーでミシェル・ペトルチアーニと共演し(『Power of Three』、ウェイン・ショーターも参加)、2004年には、エンリコ・ピエラヌンツィと『Duologues』(Cam Jazz) を録音している。ジム・ホールは、もちろんデュオ以外でも様々なコンボ演奏に参加してきたモダン・ギターの筆頭と言うべきヴァーサタイルなギタリストだが、ピアノ・トリオにおけるインタープレイを確立したのが、ビル・エヴァンスだとすれば、ギターとピアノによる対話という演奏フォーマットを開拓、確立したのはやはりジム・ホールだろう。このコンセプトの現代版が、パット・メセニーとブラッド・メルドーによる『Metheny Mehldau』(2006 Nonesuch)で、このアルバムの中でも、二人の美しいギターとピアノのデュオを何曲か聞くことができる。

Dialogues
1995 Telarc
ジム・ホールのデュオの相手はピアノだけに留まらず、1972年にはベースのロン・カーターと『Alone Together』(Milestone)を録音し、1978年には同じくレッド・ミッチェルとクラブ「Sweet Basil」で共演している(未CD化)。さらに1990年のモントルー・ジャズ祭では、チャーリー・ヘイデンのベースともデュオで共演した(Impulse! によるCDリリースは、二人の没後2014年)。その後、ついにギター(ビル・フリゼール、マイク・スターン)、テナーサックス(ジョー・ロヴァーノ)、フリューゲルホーン(トム・ファレル)、アコーディオン(ギル・ゴールドスタイン)という、5人の異種楽器奏者を共演相手に2曲づつ演奏したアルバム『Dialogues』(1995 Telarc) を発表する。ベース (Scott Colley)、ドラムス (Andy Watson) も参加しているが、サポートに徹していて目立たないので、実質的にはホールのデュオ作品と言っていい。リー・コニッツ (as) が、1960年代に同様のコンセプトで、『Lee Konitz Duets』(1967 Milestone) というかなりアブストラクトな完全デュオ・アルバムを録音している。コニッツとジム・ホールの共通点は、広いスペース(演奏空間)を好み、共演者のプレイにじっと耳を傾け、密接に "対話" し、そのやり取りを通じてインスパイアされることで、自身のインプロヴィゼーションの可能性を拡大したいという願望を常に抱いている、内省的で、同時に野心的なジャズ・ミュージシャンであることだ。デュオはその究極とも言えるフォーマットだが、ジャズにおける "対話" とは、単に互いを尊重し協調するだけではなく、時には音楽上の "対決" すらあり得るスリリングな場でもあり、そこからどのような音楽的成果が生まれるのか、ということに醍醐味がある。異種楽器を共演相手に選んだ『Dialogues』は、そうしたデュオのスリルと新鮮さを追求しようとする実験的精神が強く、そのため曲目も全10曲のうち<Skylark1曲を除いて、ジム・ホールの自作曲だけで構成されている。カンディンスキーの抽象画 (Impression Ⅲ- Konzert) によるジャケットが象徴しているように、コニッツの盤ほどではないが、アブストラクトな要素が増しているので、その世界を楽しめる聴き手と、入り込めないように感じる聴き手がいるのは仕方がないだろう。そこで評価が分かれるが、私はこのアルバムの持つ空気が好きで、各曲も演奏もユニークかつ刺激的で楽しめるし、また空間を生かしたTelarc 録音もあって、どのデュオも非常に美しいと思う。70年代に売れた『Concierto (アランフェス協奏曲)』(1975 CTI) のような分かりやすい路線の例があっても、ジム・ホールは、ジャズ・ギタリストとしては珍しく、本質的にコマーシャルな音楽を指向するミュージシャンではないのである。本盤に参加しているビル・フリゼールとの共通点もそこにあり、師弟とも言える両者のギター・デュオは、その意味でも非常に刺激に満ちている。私的には、マイク・スターンとジョー・ロヴァーノとのデュオも非常に楽しめた。

Jim Hall & Pat Metheny
1999 Telarc
”対話” を探求し続けたジム・ホールが、究極の地点に達したかと思われるデュオ作品が、パット・メセニーとのギター・デュオ『Jim Hall & Pat Metheny』(1999 Telarc) だ。全17曲のうち、6曲がピッツバーグでのライヴ録音、その他がスタジオ録音で、スタンダード曲、メセニー、ホールの自作曲の他、<Improvisation>と題した5曲の純粋な即興デュオが収録されている非常に多彩な内容を持つレコードだ。メセニーはここで、エレクトリック・ギターの他、各種アコースティック・ギターも使い分けてジム・ホールと対峙している(ホールが左、メセニーが右チャンネル)。メセニーにとっては尊敬する大先輩との共演であり、一方ホールにとっては、息子のような年齢の当代一の人気ギタリストとのデュオという、これ以上ない興味深い相手で、張りきって臨んだことは間違いないだろう。メセニーは純ジャズという範疇のギタリストではなく、全方位のミュージシャンではあるが、多彩な演奏技術ばかりでなく、紡ぎ出すメロディ・ラインには普通のジャズ・ギタリストにはない特筆すべき美しさがある。一方のジム・ホールは、まさに純ジャズの世界を突き詰めてきたギタリストであり、音数の少ないシンプルなメロディ、独特のトーン、ハーモニーを駆使して、大きなスペースの中で共演相手と対話する名手である。同じ楽器を使いながら、一見音楽的に混じり合いそうにない両者が、デュオという世界でどういう化学反応を起こすかが聴きどころのアルバムだ。そしてその期待を裏切らない、全体に静謐だが変化に富み、調和しながらもスリリングで、しかも美しい、見事なギターによる対話となった。演奏は多少アブストラクトな曲も含めて、どれも聴きごたえがあって楽しめるが、中でもメセニー作の<Ballad Z>、<Farmer’s Trust>、<Into the Dream>、<Don’t Forget>、ホール作の<All Across the City>などの美しいバラード曲は、広々とした空間で溶け合う二人のギター・サウンドを捉えたTelarcならではの録音もあって、まるで夢幻の境地へ導かれるかのような素晴らしさだ(ジャズ的には珍しい、空間における間接音の響きを重視するTelarc 録音の真価を味わうには、ステレオ装置の音量を、ある程度上げて聴く必要がある)。これらの曲はまさに、ジム・ホールの "対話" の原点とも言うべきビル・エヴァンスとの『Undercurrent』の美しい世界を、2台のギターによって再現したかのようである。

2017/09/07

東京ジャズでリー・コニッツを「見る」

93日(日)の「第16回東京ジャズ」昼の部に出かけた。東京ジャズは2014年以来で、その年はオーネット・コールマンが出演するというので、最後の姿だろうと思って丸の内の東京国際フォーラムまで行ったのだが、何と大ホールに入場してから突然アナウンスがあり、病気のためにコールマンが来日できなくなったという。急遽プログラムを変更して、コールマンの出番は小曽根真がMCで仕切った参加ミュージシャンたちによる即席の大ジャムセッションとなった。これはこれでハプニングが付き物のジャズらしくて非常に楽しく、その時のステージを堪能したことを覚えているが、残念ながらそのコールマンは翌年6月に亡くなってしまった。今はネット映像で何でも見られる時代だが、マイルス・デイヴィス、ビル・エヴァンス、キース・ジャレットのような人たちをライヴで見た経験から言うと、ジャズファンにとって、生きている(本物の)ジャズの巨人を実際に目にする機会はやはり貴重で、一生記憶に残るものだ。ライヴで聞いた音の記憶はすぐに薄れるが、目で見たことはいつまでも覚えているものなのだ。

東京ジャズは今回から場所を渋谷に移し、Hall/ Street/ Clubという3会場がNHKホール代々木公園ケヤキ並木/ WWW(X)の3箇所になった。ところが当日の代々木公園では「渋谷区総合防災訓練」というイベントが同時に行なわれていて、NHKホール横のケヤキ並木と広場周辺では、緊急時の防災グッズを並べた白いテントが林立し、自衛隊による炊き出し(カレー)に長い行列ができ、お祭りの露店なども出ていて、あたりは人で一杯だった。ジャズ祭というのは、いわば「楽しい非日常」の世界だと思うが、防災訓練はあまり楽しくない非日常を想定した催しだ。どちらも非日常だが、これが同時に同じ場所で開催されるとミスマッチの極みで、まさに会場はchaosだった。私の印象ではストリート会場の雰囲気は、いろんな人が入り乱れていて、どう見てもジャズ祭には見えなかった。ステージの奏者もやりにくかったのではないかと思う。避難民の横で呑気にジャズなんか演奏したり聞いている場合か…というような思いがどうしても浮かんで来るのだ。したがって、きれいな丸の内のおしゃれな大人のジャズ祭というイメージだったのが、すっかり庶民的(?)な貧乏くさいムードになってしまい、しかもどう見ても主催者の言う若者の町で…という雰囲気でもない。非常に残念なことで、この日程はどうにかならなかったのだろうか。 

とはいえ、一歩NHKホールの中に入れば、もちろんそうしたchaosとは無縁のジャズの世界ではある。昼の部の最初のセットは ”Celebration” と題して、ジャズ100年(これはジャズが初めて「録音」されてから、という意味らしい)を振り返る企画で、狭間美帆指揮のデンマークラジオ・ビッグバンドと、フィーチャーされたアーティストが時代を代表するジャズを演奏するという趣向だ。ニューオリンズから始まり、スウィング、ビバップ、クール、(ハードバップやモードは多分時間の都合で飛ばして、いきなり)フリー、フュージョン、そして現代という区分けで、ビバップは日野皓正(tp)、クールはリー・コニッツ(as)、フリーは山下洋輔(p)、フュージョンはリー・リトナー(g)、現代はコーリー・ヘンリー(key)という人たちがフィーチャーされた。ニューオリンズのトレメ・ブラスバンドの賑やかなオープニングでコンサートが始まり、アモーレ&ルルが華麗なスウィング・ダンスを披露し、話題の(?)日野皓正は、うっぷんを吹き飛ばすかのように<チュニジアの夜>を圧倒的なエネルギーで豪快に吹き切り、リー・コニッツが登場し(後述)、ピアノに火を付けて燃やしながら演奏した、あの70年安保の時代の映像を写したスクリーンをバックに、山下洋輔が相変わらずパワフルなピアノを聞かせ、リトナーも懐かしいあのギター・テクニックを見せてくれ、ヘンリーは実に今風のサウンドをキーボードで美しく響かせた。これらのセッションはいずれも聞きごたえのある演奏で楽しめたが、特にビッグバンドを自在に操りながら、フィーチャーされた各ミュージシャンを引き立てる狭間美帆の「堂々たる」指揮(バンマス)ぶりには感心した。山下洋輔の教え子で作曲家兼アレンジャーらしいが、まだ若いのにアメリカでも高い評価を受けているようだし、優れた才能を感じさせる人だ。山中千尋もそうだが、今の日本の女性は音楽でも世界に飛び出して活躍していて本当に頼もしい。狭間美帆の音楽は、7月に大西順子とコラボしたモンクの音楽を取り上げたライヴを聞き逃したが、次に機会があればぜひまた聴いてみたい。斬新なアレンジによる現代のビッグバンド・ジャズは、サウンドがパワフルかつ新鮮で、聞いていて非常に楽しくて気持ちがいい。優れた作曲家やアレンジャーが手掛ければ、まだまだジャズを魅力的に掘り下げ、発展させる可能性を大いに秘めているフォーマットだと思った。
2番目のセットはシャイ・マエストロ・トリオ Shai Maestro Trioというイスラエルのピアノ・トリオで、私はこれまで聞いたことがなかった。全体に静謐、クールかつメロディアスなサウンドは、キース・ジャレットのようでもあり、昔聞いたノルウェーのヘルゲ・リエン・トリオを何となく思い出しながら聞いていたが、トリオが生み出す独特のメロディ、リズム、音階にはやはりユダヤ的サウンド特有の世界を感じた。カミラ・メザ Camila Mezaというチリ出身の女性ヴォーカリスト兼ギタリストが途中で加わったが、この人の歌とギターは素朴で、エキゾチックでいながら現代的でもあり、非常に素晴らしかった。このトリオとヴォーカルの生み出すサウンドとグルーヴには独特の響きと美しさがあり、初めて聴いたにもかかわらず、思わず引き込まれてしまうような魅力があった。イスラエル、南米という地理的な広がりだけでなく、ジャズという音楽が持つ懐の深さと裾野の広さ、同時にモダンなビッグバンドと同じく、ジャズの未来の可能性を感じさせる音楽だと思った。続く最後のセットは、チック・コリアとゴンサロ・ルバルカバのピアノ・デュオで、名人2人のインプロヴィゼーションは美しく見事だったが、私はそもそもピアノ・デュオというフォーマットそのものが昔から苦手なので、この演奏は普通に楽しんだだけだ。ピアノは他の楽器に比べるとそれ自体でほぼ完成されていて、1台だけであらゆるサウンドが出せる万能感のある楽器だ。だからソロなら奏者独自の聞かせどころと全体的な完結感があって聞いていてまだ面白いのだが、2台でやると音数が多過ぎて、2者の対話というより饒舌なお喋りを延々と聞かされているような気がして、ひと言で言うと「うるさい」のである。それが好きな人も勿論いると思うので、まあ、これは個人的な音楽の好みの問題です。ちなみに今回のコンサートの模様は、10月下旬にNHK BSでTV放送されるということだ。 

実は私が今回の東京ジャズに出かけた一番の目的は、最後の来日になるかもしれないリー・コニッツを「見る」ことだった。2013年の東京ジャズ出演を見逃したので、コールマンの例もあることだし、今回はぜひ見たかったからだ。来月90歳(!)になるコニッツが、上記 ”Celebration” の「クール・ジャズ」のパートになって、おぼつかない足取りで、エスコートの係員に手を引かれて舞台の袖から出て来た瞬間の姿を見ただけで、私の胸は一杯になった。昨年訳書「リー・コニッツ」の原著者アンディ・ハミルトンから、最近は物忘れが激しくなったようだ、という話をメールで聞いていたので、まさか90歳を迎える今年来日するとは夢にも思っていなかったのだ。そこで知人を通じて、東京ジャズの合間にどこかで個人的に会えないかアレンジを依頼していたのだが(自分の訳書にサインでもしてもらって宝物にしたかった)、ご本人が高齢であり、音楽に集中したいので、という理由で残念ながら直接会うことは叶わなかった。だが、とにかく最後になると思われる舞台上のコニッツの姿を見ることができただけで満足だ。コニッツはピアノとのデュオで<Darn That Dream>を吹き、しかも途中で突然スキャット(だったように思う)で歌い出したのだ! コニッツは歌うのが好きで、そのインプロヴィゼーションが歌うことから生まれるという話は訳書にも書いてある。聴衆は突然のことにきょとんとしたような反応だったが、彼をよく知るヨーロッパの聴衆ならおそらく拍手喝采の場面なのだろう。前日に、ある人から教えてもらった2011年のダン・テプファー(p)とのデュオによるヨーロッパ・ツアーの模様を捉えたドキュメンタリー動画(All The Things You Are, MEZZO)をインターネットで見たばかりだったので(コニッツの素顔を捉えたこの映像は貴重で素晴らしい)、今回のコニッツの外見や所作に6年の歳月をつくづく感じた。しかし、揺らめくように「歌う」独特のフレーズと、何とも言えない微妙なテクスチュアを持ったあの音色は健在だった。90年間ジャズに生きた巨匠が紡ぎ出すアルトサックスの響きには、いかなる批評も感想も超越した美しさと深味があった。続いて狭間美帆指揮のビッグバンドともう1曲演奏したコニッツは、最後もよろよろしながら舞台の袖に消えて行った。オペラグラスのレンズを通して見たその姿を、私は決して忘れることはないだろう。

2017/06/21

ウォーン・マーシュ #2

Warne Marsh
1957/58 Atlantic
ウォーン・マーシュ的には生涯で最もハイブロウな作品が、Atlanticレーベルに吹き込まれたワン・ホーンの「Warne Marsh」(1957/58)だろう。LA滞在からニューヨークに戻ったマーシュが、レニー・トリスターノの監修の元に制作したアルバムである(LPのアルバム・クレジットにもSupervision監修としてトリスターノの名前が入っている)。Atlanticには既にリー・コニッツと共演した「Lee Konitz with Warne Marsh(1955)を吹き込んでいたが、メジャー・レーベル初のワン・ホーンのリーダー作ということもあって、師匠ともども力の入ったレコーディングだったのだろう。LAでの諸作は、どれもいかにも西海岸という空気に溢れていて、非常に軽やかで清々しい雰囲気があるが、一方このアルバムは、ピアノはロニー・ボールで同じだが、LAとはまったく雰囲気の違う作品に仕上がっている。特にポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds) という、当時のマイルス・バンドのパワフルなリズム・セクションとマーシュの共演はどう見ても異色だ。アルバム内容を見ると、ロニー・ボール、チェンバース、フィリー・ジョー とのカルテット演奏が2曲、同じくチェンバース、ポール・モチアン(ds) によるピアノレス・トリオ演奏が4曲、計6曲という変則的組み合わせになっている。なぜだろうと、ディスコグラフィーで確認すると、実は前者のカルテットは19571212日に5曲収録され、後者のトリオは翌1958116日に5曲収録されていることがわかった。したがって、アルバム制作時に前者5曲の内3曲が、後者の1曲が "ボツ" になったということになる。しかも採用された、たった2曲しかないカルテット演奏の内、アルバム冒頭の1曲、<Too Close for Comfort>はなぜか演奏途中で(4分弱で)フェイド・アウトしているのである

この件について書かれたものを読んだことがないので、まったくの想像(妄想?)に過ぎないが、これらの選曲とテープ編集にはレニー・トリスターノの意向(と嗜好)が大きく反映されているような気がする。口を出し過ぎたので結果として「監修」とクレジットすることになったのか、最初から「監修」者なので責任上あれこれ口出ししたのか? とにかく、トリスターノがからむ話はおもしろい。しかし、そういうトリスターノの「メガネにかなった」演奏のみが選択され収録されていると考えれば、このアルバムにおける演奏のレベルと音楽的価値についての説明は不要だろう。さらにLAでの作品と印象が違う理由もわかる。リー・コニッツは、マーシュの特にチェンバース、モチアンとの4曲のピアノレス・トリオ演奏について何度も最高度の賛辞を送っている。これらの演奏からのインスピレーションが、その後コニッツのピアノレス・トリオの名作「Motion」(1961 Verve)の録音に結びついた可能性は十分にあるだろう(これも想像ですが)。蛇足ながら、特にこうしたピアノレス・トリオものを楽しむには、ある程度ステレオの音量を上げて、ベースとドラムスの動きも良く聞こえるようにしないと、レコードとプレイヤーの真価を見誤ります。

Live at the Half Note
1959 Verve
この後1959年には、コニッツ、マーシュに当時新進のピアニストだったビル・エヴァンスが加わったクラブ「ハーフノート」でのライヴ録音が残されている(ジミー・ギャリソン-b、ポール・モチアン-ds)。ビル・エヴァンスは、当日教師の仕事のために出演できなかったトリスターノに代わって急遽参加したものだという。だがコニッツ名義のこのレコード「ライヴ・アット・ザ・ハーフノート」がVerveレーベルからリリースされたのは1994年で、何とピーター・インドによる録音から35年後だが、この背景には録音テープを巡るトリスターノとコニッツの師弟間の様々な確執があったと言われている。(コニッツの演奏部分だけトリスターノがテープ編集で削除し、マーシュの部分のみ残して別のレコードとして一度リリースされたという逸話も残っている)。そうしたややこしい背景も理由の一つだったのか、「リー・コニッツ」の中でコニッツが語っているように、ビル・エヴァンスがコニッツの背後ではほとんど弾かず、まるでピアノレス・トリオのように聞こえる場面が多い。またコニッツ本人も認めているように、リズムの点を含めてこの二人は音楽的に相性があまり良くなかったようだ。だが一方のマーシュは、そうした状況だったにもかかわらず、このレコードでも相変わらず素晴らしい演奏をしていると思う。

Release Record:
Send Tape
1959/60 Wave
 
ウォーン・マーシュのこの時期の他のワン・ホーン・カルテットとしては、これもピーター・インド(b) の私家録音だが、トリスターノ派のメンバーと共演した「Release RecordSend Tape」(1959/60 Wave)がある。緊張感に満ちた高度なインプロヴィゼーションの続くAtlantic盤と違い、こちらは仲間内で非常にリラックスした当時のマーシュの演奏が楽しめる。本アルバムはマーシュ、インドの他、ロニー・ボール(p)、ディック・スコット(ds)というトリスターノ派によるカルテットの演奏が収められていて、時期からすると「ハーフ・ノート」でのライヴのすぐ後に当たる。録音された11曲はスタンダードとマーシュのオリジナルが約半々だ。「ハーフノート」でのマーシュの演奏も冴えわたっていたが、ここでは気心の知れたメンバーということもあってか、伸び伸びと独特のインプロヴィゼーションを楽しむマーシュの様子が伝わって来る好演の連続で、同じくロニー・ボールのリラックスした小気味の良いピアノも楽しめる好アルバムだ。

Crosscurrents
1978 Fantasy
マーシュはコニッツ同様に、60年代、70年代とそれほど注目を浴びたわけではないが、72年から、チャーリー・パーカーのアドリブラインを5人のサックス奏者がプレイする "スーパーサックス" の一員として参加している。その後リリースされた「クロスカレンツ Crosscurrents」(1978 Fantasy) は、リー・コニッツ、ウォーン・マーシュとビル・エヴァンス、という3人の共演(エディ・ゴメス-b、エリオット・ジグモンド-ds)で、一体どういう音楽になるのか期待一杯だったこともあって(まだVerveの「ハーフノート」ライヴ盤はリリースされておらず、初のエヴァンス・トリオとの共演に興味があった)、最初にアルバムを聴いた時は正直言って少々がっかりした記憶がある。当時はもうみんな年だったせいか、緊張感、躍動感というものがあまり感じられなかったからだが、こちらも年のせいか近年はそれなりの味わいがあるなと感じるようになった。「ハーフノート」盤同様に、ここでもエヴァンスはコニッツのバックではあまり弾いていない。しかしこのアルバム中で唯一、マーシュの短いバラード<Everytime We Say Goodbye> だけは、なぜか最初に聴いて以来ずっと耳から離れず、私にとって永遠のバラードとなった。コニッツのクールで理知的な表現とは異なり、マーシュのバラ―ドには不思議な味わいと温かみがあり、そのふわふわとした、つかみどころのない独特のテナーサックスの音色、メロディライン、演奏リズムには、マーシュにしかない音世界がある。ピッチが揺れるような、ゆらめくようなここでのマーシュのバラードは、聴いていると全身から力が脱けていくような気がするのだが、単なる抒情というものを超えて、遠くから、まるでこの世とあの世の境目から流れて来るかのような、実に摩訶不思議な音の詩になっている。ビル・エヴァンスのピアノも、コニッツのシャープな世界よりも、やはりリズムを含めてマーシュのソフトで柔軟な音世界の方がずっと相性が良いように思う。マーシュは、後年の「ア・バラード・ブック A Ballad Book」(1983 Criss Cross)でも、カルテットでこうしたバラード・プレイを中心に聞かせているので(ピアノはルー・レビー)、この独特の世界に興味がある人はぜひそちらも聞いてみていただきたい。

2017/06/17

リー・コニッツを聴く #8:ウィズ・ストリングス

An Image
1958 Verve
リー・コニッツは自伝でも述べているように、特にバルトークなどの20世紀クラシック音楽を好み、また造詣も深い。そういう嗜好もあって、若い時からストリングスと共演するアルバムを何作かリリースしてきた。幼なじみで、シカゴ時代に一緒にトリスターノに師事していたヴァルブ・トロンボーン奏者兼アレンジャーのビル・ラッソ Bill Russo (1928-2003) と親しく、1952年にスタン・ケントン楽団にコニッツを招いたのもラッソだった。Verve時代に、そのラッソ(作・編曲・指揮)と組んで作った初めてのウィズ・ストリングス作品が「アン・イメージ An Image」(1958)である。当時はガンサー・シュラー等が中心となり、現代音楽とジャズを融合した“サード・ストリーム・ミュージック”が流行していた時代でもあり、このアルバムもチャーリー・パーカーの「ウィズ・ストリングス」的な、添え物的ストリングスとは異なるアレンジメントで、ジャズとクラシックとの融合を試みた作品だ。モンクの<ラウンド・ミッドナイト>他スタンダード3曲と、ラッソの自作4曲を演奏していて、ビリー・バウアーもギターで参加している。コニッツの繊細極まりないアルトサウンドは、当時から確かにクラシックの弦楽器との馴染みも良く、ラッソのモダンなアレンジメントとも非常によく調和した作品に仕上がっている。

Strings for Holliday
1996 Enja
ドイツのEnjaレーベル創始者で、コニッツのファンだったプロデューサーのマティアス・ウィンケルマンと組んで1996年に制作したアルバムが「ストリングス・フォー・ホリデイ Strings for Holiday」だ。ビリー・ホリデイが好きだったコニッツが、ストリングス・セクステット(2vln, 2viola, 2cello)をバックにした漂うようなワン・ホーンで彼女に捧げた美しい作品である。アレンジはダニエル・シュナイダーで、マイケル・フォーマネクがベース、コニッツとも親しいマット・ウィルソンがドラムスで参加している。曲目はいずれもホリデイの愛唱曲で、ジャズファンならどれも聞き馴染んだ名曲ばかりである。当然ながらどの演奏も、コニッツのアイドルであり、ホリデイとも親しかったレスター・ヤングを彷彿とさせるもので、柔らかで流れるようなメロディに、背後で現代的にアレンジされたストリングスが美しくからんでいる。難解ではないので、ゆったりとイージーリスニング的に聴いても十分楽しめるが、そこはコニッツなので、じっくり耳を澄ませば、インプロヴァイズされたそのメロディも、音色も、リズムも深みが違うことがわかる。90年代のコニッツは二度目の全盛期とも言えるような充実した作品が多く、このアルバムからも好調だったその時期のコニッツのスピリットが感じられる。

Play French Impressionist Music
2000 palmetto
Play French Impressionist Music(2000) というアルバムは、リー・コニッツによるライナーノーツの説明だと、そもそもは彼のアルトサックスと弦楽四重奏を組み合わせるという企画を、日本のヴィーナス・レコードの原哲夫氏が発案したらしい。そこでアレンジャーとして、若いオハッド・タルマー Ohad Talmor (1970-) をコニッツが指名したものの、ヴィーナス側の事情で実現しなかった。だが、その構想に基づいて作業を続けていたタルマーが、ライヴ演奏での試みを経て最終的にPalmettoレーベルから2000年にリリースしたのがこのアルバムだということだ。コンセプトは、タルマーがフランス印象主義派の音楽(フォーレ、サティ、ラヴェル、ドビュッシーなどのピアノ・ソロやデュオ曲)を弦楽四重奏向けにクラシック的にアレンジし、その上にコニッツのアルトサックスをかぶせるという、ある意味50年代サード・ストリームの現代版の趣の音楽である。演奏は譜面通りではなく、ストリングス側(アクシス・ストリングス・カルテット)もコニッツ側も部分的にインプロヴァイズしており、それをいかに破綻なく譜面通り演奏しているように感じさせるか、といういささか屈折した、しかしある種挑戦的な楽想に基づいている。若いアレンジャーによるジャズとクラシックの不思議な融合の美を聴くこと、さらに弦楽四重奏の上で浮遊するコニッツのメロディ・ラインと音色を楽しみ、クラシック音楽の土台の上でインプロヴァイズして(いないように聞かせながら)どこまでジャズ的な表現が可能かというコンセプトを感じ取れるか、そこを聴くのがこのアルバムの楽しみ方だろう。

2017/06/15

リー・コニッツを聴く #7:ピアノ・デュオ

1967年の全編デュオのアルバム「デュエッツDuetts」(Milestone)以来、コニッツはピアノレス・トリオと並んで、デュオのフォーマットを好んできた。インプロヴィゼーションのためのスペースがより広いことがその理由で、自分のコンセプトをより自由に実行でき、かつ相手の音をより緊密に聴くことができるからだ。一方、50年代半ば以降、自身がリーダーのバンドを持たなかったコニッツは、60年代後半からはヨーロッパでの活動が増え、北欧、ドイツ、イタリア、フランスなど各国の現地ミュージシャンとの他流試合を重ねていて、さながら「アルト一本渡り鳥」のような人だった。オーストリアが自身のルーツの一つであり、またその後近年までドイツのケルンに住んでいたように、クラシックの伝統とフリー・インプロヴィゼーションの発展など、ジャズだけでなく様々な音楽を受け入れてきたヨーロッパの懐の深さが、コニッツにとっては居心地が良かったのだろう。そうした経験がその後のコニッツの音楽に影響を与えたとも言えるが、その過程でヨーロッパ各国のミュージシャンとの人脈も形成し、その中から有望な人たちを発掘することにも貢献してきた。

Toot Sweet
with Michael Petrucciani
1982 Owl
ピアニスト、ミシェル・ペトルチアーニ Michael Petrucciani (1962-99) との邂逅もそのひとつであり、1982年にフランスOwlレーベルに録音されたデュオ・アルバム「トゥート・スウィート Toot Sweet」でのコニッツとの共演をきっかけに、ペトルチアーニがアメリカや世界のジャズ・マーケットに初めて紹介されることになった。録音時コニッツは55歳、ペトルチアーニはデビュー間もない19歳でコニッツとは初顔合わせのセッションだった。まだ19歳のペトルチアーニは巨匠との一対一の共演という場に、おそらくさすがに緊張と尊敬の入り混じった複雑な心理だったろうが、コニッツの繰り出すアブストラクトな独特のフレーズに対し、見事に音楽的応答をこなしている。また、このアルバムでのコニッツのサウンドは、厚くハスキーに録れていて、ペトルチアーニの華麗なピアノ・サウンドと好対照だ。それぞれのソロ各1曲を含む6曲はいずれも聴きごたえがあるが、中でも約16分に及ぶ<ラウンド・アバウト・ミッドナイト>と<ラヴァー・マン>という2曲に聞ける両者の長く美しい、かつ刺激的な対話は、「汲めども尽きぬ」という表現がまさにふさわしい即興デュオのひとつの極致だろう。ソロやデュオ作品というのは、ずっと聴き続けるのが結構大変なものが多いが、このアルバムはそうではなく、インプロヴィゼーションを通じた二人の対話には最後まで興味がつきることがない。

Solitudes
with Enrico Pieranunzi
1988 Philology
マーシャル・ソラール他とのイタリア録音がきっかけで、コニッツにとってヨーロッパの中でもイタリアとの交流が特に深いものになった。その後イタリアのレーベルPhilologyに数多くの録音を残しており、エンリコ・ピエラヌンツィ Enrico Pieranunzi とのピアノ・デュオ「ソリチュード Solitudes」(1988) もその1枚である。ピエラヌンツィは自己のソロやトリオでの活動の他、ジョニー・グリフィンやチェット・ベイカーと、また80年代はコニッツとも頻繁に共演していたが、二人が共演したアルバムとして残されているのは本作のみのようである(調べた範囲で)。ピエラヌンツィはクラシック的な構築感のある美しい演奏が多いが、かなりフリー的表現も試みる人で、それは80年代に共演したコニッツの影響が大きいと語っている。このアルバムでは、二人がよく知られているスタンダード全11曲(+別テイク3曲)にチャレンジしている。コニッツはこの後1990年代にもペギー・スターンなどピアニストとのデュオ作品をPhilologyに残しているが、当然のごとく各アルバムには二人の奏者間の対話独特の味があって、それぞれが違い、それぞれが楽しめる。デュオというのは、普通は聴き手にもある種の緊張を強いるものだが、イタリア録音のこれらのアルバムは、お国柄もあってどことなくリラックスしているところが良い。しかし、さすがにピエラヌンツィとのこのCDは、82年のミシェル・ペトルチアーニとのデュオに近いハードなジャズ的緊張感もそこはかとなく漂わせていて、じっくり聴くことを要求する。

Italian Ballads Vol.1
with Stefano Battaglia
1993 Philology
コニッツとステファノ・バターリア Stefano Battaglia (1965-) のデュオ「イタリアン・バラッズ Italian Ballads Vol.1」(1993 Philology)は、タイトルが示すように、よく知られたイタリアのポピュラー曲を素材にしている。この当時66歳のコニッツは2度目の絶頂期であり、安定した、成熟したプレイを聞かせていた時期で、一方バターリアはまだ20代後半の若さで、ライナーの写真ではスキンヘッドの今と違って長い髪をしている。コニッツは80年代以降のデュオ録音では、非常にアブストラクトな表現をするときと、繊細に美しくメロディを歌わせるときがある。他の作品と違ってこのアルバムでは全体としてアブストラクトな表現を避け、丁寧にメロディを歌わせることに徹しており、安定したピッチで、微妙な音色とニュアンスによって「歌う」表現を試みている。素材そのものが通俗的で、感傷的な歌ものだということもあるが、バターリアのクラシカルでクールな美しいピアノ伴奏を得て、それをどこまで洗練されたジャズ・デュオにできるかがテーマだったろう。そして見事にそれに成功していると思う。何も考えずに、深夜いつまでもじっと聴いていたくなるような、クールで美しいデュオである。

Live-Lee
with Alan Broadbent
2000 Milestone
「ライヴ・リー Live-Lee(2000 Milestone) は、ロサンジェルスのクラブ「ジャズ・ベイカリー」でアラン・ブロードベントAlan Broadbent (1947-) とのデュオをライヴ録音したアルバム。全11曲で、スタンダード中心の選曲だが、お馴染みトリスターノの<317 East32nd>と<Subconscious-Lee>も取り上げている。ブロードベントはニュージーランド出身という珍しいピアニストで、コニッツが完全に師の元を去った後のトリスターノ・スクールで、1966年から約2年間トリスターノに直々に師事した人だ。その間コニッツたちと同じく、レスター・ヤングのソロを研究するという指導を受けている。その後ウッディ・ハーマンをはじめ、ネルソン・リドル、ヘンリー・マンシーニ等の楽団編曲の経験を経て、歌手ナタリー・コールの伴奏者、編曲者、さらにチャーリー・ヘイデンのカルテット・ウエストに参加、また歌手ダイアナ・クラールの編曲者としても活動し、グラミー賞も2度受賞している。しかしこのアルバム以前にコニッツとの共演記録はない。そういうわけで、このアルバムはトリスターノ・スクールの先輩と後輩による同窓デュオのようだとも言える。ブロードベントは、歌手アイリーン・クラール Irene Kral (1932-78) との素晴らしいデュオ・アルバム、「ホェア・イズ・ラヴ? Where Is Love?(1974 Choice) での寄り添うような見事な歌伴が記憶に残っているが、その後も女性ヴォーカリストの伴奏を手がけているように、非常に繊細な表現をする人だ。ここでのコニッツのプレイはいつも通り、時々出て来るアブストラクトな感じと、メロディアスな部分が微妙に入り混じっていて、2人の対話が不思議な心地良さを感じさせるデュオ・アルバムとなった。

2017/06/12

リー・コニッツを聴く #6:1970年代以降

Lee Konitz」を翻訳する前に私が聴いていたコニッツのレコードは1960年代までで、70年代以降のレコードははっきり言って聞いたことがなかった。70年代以降コニッツは大量にレコーディングしていたが、日本ではこれまであまり紹介されていなかったこともある。だが、本文のインタビュー中で触れている録音記録をフォローするために、かなりの数のレコードを初めて聴いてみた。その中で印象に残ったレコードを何枚か挙げてみたい。

Jazz á Juan
1974 SteepleChase
Jazz á Juan」は、1974年フランスのアンティーブ・ジャズ祭におけるリー・コニッツ・カルテットのライヴ録音(Steeple Chase)である(メンバーは、マーシャル・ソラール-p、ニールス・ペデルセン-b、ダニエル・ユメール-ds)。アルジェリア系フランス人のソラールはフランスを代表する高い技術を持ったピアニストだが、コニッツとは同年齢(1927年生まれ)で、ソラールによれば1950年代初めのスタン・ケントン楽団訪欧の際に、パリのクラブ・サンジェルマンで行われたジャム・セッションに当時ハウス・ピアニストだったソラールが参加したのがコニッツとの最初の共演だったという。その後1968年に前記「European Episode」と「Impressive Roma」(Campi)で二人は初めて共演レコーディングを行なった。「Motion」(1961)や「Duets」(1967)での空間をたっぷりと使った演奏を聞くと、ソラールというフランス流の華麗で饒舌なピアニストと一体うまく行くのかと思えそうだが、これが意外にも相性が良かったようで、上記アルバムやこのライヴ演奏を含めて、その後二人は何度か共演し、またミュージシャンとして長い付き合いを続けることになった。ソラールのみならずベースのペデルセンも饒舌な人だと思うが、ソロ空間以上に、ここはコニッツ流の相手からの反応と対話を楽しむ、という点で彼の好みに合ったのだろう。当時のジャズ復活という気運もあって、またライヴということもあり、ここでのコニッツはフリーの度合も難解さ加減も適度で、しばらくなかったような自由と躍動感あふれる(コニッツ的に)演奏が続く。これをサポートするダニエル・ユメールの反応の速いめりはりのあるドラムスも非常にいい。コニッツのオリジナル1曲の他はスタンダードの有名曲が5曲だが、いつもほどは解体していないので少なくともテーマ部分はわかる(ピアノのせいもあるが)。この時代の他の録音を全部聴いたわけではないが、コニッツが10重奏団に挑戦した「リー・コニッツ・ノネット」と並んで、このレコードは70年代コニッツを代表する1作と言えるだろう。

The New York Album
1987 Soul Note
80年代に入るとコニッツはピアニスト、ハロルド・ダンコと組んで正式なグループではないが双頭カルテットで演奏しつつ、実質的なリーダーとしてヨーロッパや日本へのツアーを含めて活動を続けていた。比較的短期間の活動ではあったが、「The New York Album (1987 Soul Note)は、「Ideal Scene」(1986同)と並んで、そのカルテット時代に録音した80年代を代表する1作だろう。リズム・セクションは何人か入れ換わっていたが、このCDではマーク・ジョンソン(b)、アダム・ナスバウム(ds) が共演している。このアルバムは、演奏からみなぎるカルテットの一体感と解放感、ジャズ的グルヴ、選曲、メロディアスな表現など、すべてにおいて優れていて、私的にはコニッツの80年代のベスト・アルバムだと思う。こういう高い完成度を持った自身のカルテットとしての演奏は、傾向は違うが50年代半ばのStoryville時代以来と言える。スタンダード2曲、コニッツのオリジナル2曲の他、<Candlelight Shadows>(ダンコ作)、<Everybody’s Song but My Own>(ケニー・ウィーラー作)、<September Waltz>(フランク・ウンシュ作)、という3曲のコニッツの盟友ミュージシャンのオリジナル曲との選曲バランスが良く、またどの曲もメロディが非常に美しいのが特徴だ。何よりコニッツも、ダンコを始めとするリズム・セクションも、時にハードに、時にソフトに全体として実に伸び伸びと演奏しているところがいい。したがってコニッツのアブストラクト度もいつもより低く、リズムもシンプルで、メロディを素直にリリカルに歌わせているので非常にわかりやすい。おそらくメロディアスで伸びやかな演奏というこのアルバムの延長ラインで、90年代のペギー・スターン(p)と組んだハッピーなブラジリアン・バンドへと向かったのだろう。

Thingin'
1995 Hatology
1990年代のコニッツは、50年代に続く生涯2度目のピークとも言える充実した時期を迎えており、ハードで抽象的な表現から益々リリカルでメロディックな演奏に変貌しつつあった。「シンギンThingin’」は、リー・コニッツ(as)、ドン・フリードマン(p)、アッティラ・ゾラー(g) のトリオによるスイス・タルウィルでのクラブ・ライヴ録音だ(1995 Hatology)。ハンガリー生まれのギタリスト、アッティラ・ゾラーに50年代末にアメリカ移住を勧めたのがコニッツであり、その後ゾラーはフリードマンと共にフリー・ジャズを指向し、60年代後半にはコニッツも加わり三者で共演している。したがって、このアルバムは言わば旧知のベテラン同士の邂逅である。場所がスイスで、かつクラブ・ライヴということもあるのか、リラックスした3者の静かで緻密なインタープレイが実に楽しくまた美しい。録音も素晴らしく、アルトサックス、ピアノ、ギターそれぞれの音色、さらにそれらが混じり合い空間に響き渡る様子が見事に捉えられている。コニッツ作 <Thingin’>(<All The Things You Are>が原曲のライン)で軽やかに始まり、ゾラー、フリードマンの各ソロ曲を含め全7曲で、いずれもスローないしミディアム・テンポのオリジナル中心の構成だ。わかりやすくメロディックなコニッツのアルト、相変わらず透明感あふれる響きが美しいフリードマンのピアノ、無駄がそぎ落とされたタイトでクリーンなゾラーのギター、という3つの楽器が微妙に溶け合い、互いに反応し合う会話の流れが素晴らしい。3人ともにフリーの経験を経ていて、またレニー・トリスターノからの影響もあり、陳腐なジャズとは無縁のサウンドを求めている点で互いの音楽的資質と感性が近いのだろう。特に、フリードマンとコニッツは、この時期日本で共演したカルテットのライヴ録音(1992 カメラータ)もそうだが、おそらくリズムと空間の使い方、求めるサウンドの美に共通するものがあって、互いにストレスなく自由に会話できる非常に相性の良い相手だと思う。録音時点で60歳を超えるベテラン3者の美しいインタープレイが紡ぎ出す音空間に、ひたすら耳を傾け心地良さに浸れる秀作である。

Parallels
with Mark Turner
2000 Chesky Records
もう1枚は、200012月リー・コニッツ73歳の時に、Chesky Recordsによってニューヨーク市チェルシーにあるSt. Peter’s教会でSACD/CD Hybrid録音されたアルバム「パラレルズ Parallels」だ。全8曲の内、コニッツが当時から高く評価していたギタリスト、ピーター・バーンスタインとのカルテット演奏に加え、マーク・ターナー(ts)4曲でゲスト参加したクインテットによる演奏が収められている。リズム・セクションはスティーヴ・ギルモア(b)とビル・グッドウィン(ds)。スタンダード2曲の他は、コニッツのオリジナル曲4曲(Subconscious-Lee、Palo Alto他)、トリスターノ作が1曲(317 East 32nd)、コニッツ・ターナー共作(Eyes)が1曲という構成。Cheskyの音はナチュラル過ぎてジャズの録音には向かない気がする時もあるが、コニッツのアルトサックスの微妙な音色を味わうには非常に適している。コニッツの録音としては、1992年の日本でのカメラータによるライヴ録音以来のナチュラルさだ。コニッツのアルトサウンドはアコースティックな良い録音でないと、特に晩年になって本人が常に意図している微妙なサウンド・テクスチュアの変化が捉えきれない。サウンドにしまりがなくなったとか色々言われていたが、今さら半世紀以上前のトリスターノ時代と比べられても迷惑だろうし、年齢を考えたらそれは当たり前のことで、むしろ本人はまったく違う美意識でその時期の自分のリアルなサウンドを常に再構築しようとしているのだ。本アルバムの聴きどころは、やはりマーク・ターナーとの共演だ。ターナーはトリスターノ派、とりわけウォーン・マーシュから受けた影響を広言してきた人だが、特にトリスターノの<317 East 32nd>やコニッツの<Subconscious-Lee>に聞けるコニッツとのユニゾン・プレイなどを聞くと、息もぴったりでまさにコニッツ&マーシュの往年の演奏を、時代を超えて見事に再現しているかのようで楽しい。ピーター・バーンスタインのギターは、あのビリー・バウアーに比べるとずっとオーソドックスで、バランスのとれた現代的なサウンドだ(当たり前だが)。録音のナチュラルさもあって、色々な意味で、特に往年の演奏を聞いてきた人たちにとっては、近年のコニッツの作品の中では最も楽しめるアルバムだろう。