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Misty 山本剛 (1974) |
The Original Misty Errol Garner (1954) |
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Vaughan and Violins Sarah Vaughan (1959) |
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Smokin' at the Half Note Wes Montgomery (1964) |
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Flamingo S.Grappelli & M.Petrucciani (1995) |
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Misty 山本剛 (1974) |
The Original Misty Errol Garner (1954) |
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Vaughan and Violins Sarah Vaughan (1959) |
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Smokin' at the Half Note Wes Montgomery (1964) |
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Flamingo S.Grappelli & M.Petrucciani (1995) |
"フォー・オール・ウィ・ノウ For All We Know" は、1934年に書かれた古い曲で (J. Fred Coots曲/ Sam M. Lewis詞)、短く、どちらかと言えば歌詞もメロディも地味だが、別れゆく男女の、やむにやまれぬ切ない気持ちが込められた非常に美しいラヴソングである(70年代にカーペンターズが唄ったのは同名異曲)。だが単に陳腐でセンチメンタルな恋歌ではなく、曲に品格があり、いかにもアメリカン・バラード的な温かさ、やさしさが歌詞とメロディ全体から伝わってくる名曲だ。だから唄い上げるよりも、哀切さと共に、歌の底に流れる、相手を思いやるやさしさが、さりげなく表現されている穏やかな歌唱や演奏が曲想に合っていると思う。『Lady in Satin』(1958) のビリー・ホリデイBillie Holiday の歌唱はこの点でまさに完璧だ。
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Lady in Satin Billie Holiday (1958) |
私有の女性ジャズ・ヴォーカルでは、ニーナ・シモン (1957)、とドーリー・ベイカー(1993)があるし、男声ではナット・キング・コール (1958) も有名だ。しかし上述した理由から、ゴスペル調でドラマチックに唄い上げるニーナ・シモンや、高らかな美声のナット・キング・コールよりも、最晩年(亡くなる前年)、人生を知り尽くし、彼岸に向かって歩き始めたかのように、ストリングスをバックに仄かな暗さを湛えて唄う『Lady in Satin』のビリー・ホリデイの枯れた歌唱が、私的にはやはりいちばん心に響く。声や技術の衰えとか、年齢による歌唱の質の問題はあるだろうが、そんなことなど超越した、歌に込めた情感の素晴らしさがこのアルバムのホリデイにはある(それは、バド・パウエルやモンクといったジャズの巨人たちの、最晩年の演奏にも感じることだ。)"I'm a Fool to Want You" をはじめ、 ホリデイのこのレコードは全曲が素晴らしいが、特にこの曲は短く、シンプルで、美しいがゆえに、なおさらだ。
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The Art of the Trio Vol.3 Brad Mehldau (1998) |
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Guitar On the Go Wes Montgomery (1961) |
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Live in Tokyo Chet Baker (1987 King) |
この1-2年、腰の調子が悪く、都心へ出かけることもほとんどないので、東京都心の風景の変貌ぶりに驚いたが、もっと驚いたのはコンサートの客層だ。普通のジャズ・ライヴやコンサートではおよそ見かけない、若い観客、特に女性が多いのにびっくりした。私がこれまで出かけたジャズ・コンサートでは、中高年層、それもたぶん60代以上の人たち(ほとんどオッサン)が大半で、平均年齢も60から70歳くらいだった。今回は、満員(2000人?)の客層が老若男女万遍なくいることが何より驚きだった。都心の変貌と言い、まるで浦島太郎になったような気がした。コロナを境に(年寄りが減って) 客層が変わったということなのだろうか? 全体としてジャズ人気が高まったわけでもないだろうし、やはり「現役」メルドーの人気を反映しているのだろう。30年前の90年代キース・ジャレットの来日コンサートを思い出した。ビル・エヴァンス(70年代)→ジャレット→メルドー…と、特に女性は、やはりジャズと言えば白人ピアニストなのだと改めて実感した。
それとメルドーはクラシックの影響も濃く、しかもプログレッシヴ・ロック(プログレ)にも並々ならぬ愛着を抱いているので、普通のジャズ・ファンに加えて、クラシック・ファン、ロック・ファン層も相当来場していたと思われる。今回のトリオは東京で計4回(オペラシティ、紀尾井ホール2回、サントリーホール)、大阪(サンケイホール)で1回と、1週間で都合5回のコンサートをほぼ1000人以上収容の大ホールで開いたわけで、単純計算でもそれだけで五千人以上の観客を動員したことになる。1日で万単位のロックやポップスには到底及ばないが、ジャズでこの観客動員は異例だろう。まさに21世紀の多様性を象徴するジャズ界のスター、メルドーならではということだろう。5回のコンサート演目は後に発表された資料によると、各回9ー10曲だが、重複は数曲しかないので、このトリオは計50曲前後のレパートリーを準備していたことになる。
実は私はメルドーの「大ファン」とは言えない。90年代後半の初期のトリオ以降、出るCDはそこそこ購入してきたが、どうもこれまでロクに(真剣に)聴いて来なかったからだ。理由はおそらく、彼のバンドの特徴である独特のリズム(変拍子、複合拍子)のゆえに、メロディ重視のバラード曲を除くと、少なくともレコードでは20世紀のジャズ的グルーヴ、ジャズ的カタルシスがあまり感じられないからだった。クラシックも人並みには聴いているが、ファンというほどでもないし、ロック・ファンでもないし、当然プログレの特徴もよく知らないので、演奏の中に共感できる部分が少ないからだろう。総体としては、ウェイン・ショーターのモダンなサックスを聴いたときに感じたものと似ている。斬新で、すごいとは思うのだが、どうも没頭して聴く気が起きないのだ。やはり20世紀半ばのビバップ系モダン・ジャズ体験がデフォルトなので、少なくとも前進するリズムのメリハリが欲しいのだろう。とはいえ、今回のコンサートは久しぶりのライヴということもあって、もちろん楽しんだ。
「サントリーホール」のコンサートの演目(左表)で、いちばん気に入った曲は3曲目の "#26" という、メルドーのオリジナル曲だ。#26の意味はよくわからないし、まだ名前がない曲なのか?と思って調べたら、『Ode』(2012)というアルバムに収録されていた。曲の中盤で高速インプロに入ってからのトリオの疾走感は素晴らしかった。これはレコードでは決して味わえない快感で、ハイウェイ上を「地を這うように」疾走するかのような、重心の低い高速サウンドには興奮した。バラード以外のメルドーの演奏で初めてグッときた曲で、なるほどこういう魅力もあるのだと感心した。"East of the Sun" "The Nearness of You" などのジャズ・スタンダードは普通に楽しめた。アンコールでやったモンクの "Think of One" も意外で、よかった。
特に大ホールでのジャズのライヴ・コンサートというのは「夢」と似ている。聴いているときは結構盛り上がって、感激することもあるのだが、終わって時間が経つにつれて、いったい具体的に演奏のどこが、何が良かったのかよく覚えていないことが多いからだ。ライヴ録音CDなどを冷静に聴いていると、演奏後の聴衆の熱狂ぶりに「どこがそんなに良かったんだ?」と、思わず突っ込みたくなるようなケースが時どきあるが、あれも同時体験という現場の空気が生むものだろう。サウンドと時間が同時に流れているので、その最中には忘我の状態にすらなれるが、逆に後で思い出そうとしてもその流れそのものが思いだせないこともある。これは私が大雑把な人間なのと、多分歳のせいもあるが、ジャズの場合演奏する曲も、クラシックやポップスのように曲名がすぐに分かるとは限らないし、演奏自体もその場で生まれる即興演奏であり、音楽として複雑なので、素人は細部の記憶が曖昧になることが多い。それにレコードと異なり、ライヴの場合、見た目(ヴィジュアル情報)とサウンド両方を、同時に脳が追いかけて処理するので、メモリー上はインパクトが強いヴィジュアル情報が勝って、サウンド側の記憶が相対的に弱くなる。だから当日のステージ上の映像イメージは鮮明でも、演奏そのものの記憶が相対的に薄まるのではないか、という気がする。
昔のジャズファンは、いまほど潤沢に本物のサウンドに触れる機会もなかったので、それこそ真剣に「音そのもの」と対峙して聴いていた。あの1960/70年代のジャズ喫茶時代を生きた平岡正明氏などは、「ジャズは生がいちばんだが、ライヴは演奏している人間が邪魔、家で聴くと自分が邪魔だ。だからジャズ喫茶で聴け」という、名言(?)を残しているほどだ。だが普通の聴き手にとっては、ジャズのライヴ演奏はやはり、その場でパフォーマンス自体を楽しむもので、音や演奏内容の細部をあれこれ云々する場ではないのだろう。昔の山下洋輔Gのフリー・ジャズなどはその典型で、今でもサウンドを含めた「身体経験」として記憶している。これは観衆も受け身ではなく、奏者と共に場を構成するメンバーの一員だという意味でもあり、元々ロック・コンサートなどはまさにそういう場になっているが、日本の普通のジャズ・ライヴの場合、なかなかそこまで盛り上がるケースは少ないだろう。どうしても分析的に(頭で)聴く傾向が強いのが日本の伝統的ジャズファンで、そこがまたジャズの魅力でもあると思うのだが、今回のメルドーはそういう意味でも「観客」の反応がいつもと違い、スタンディング・オベーションもごく普通に自然に起きていた。
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Mating Call Dameron/Coltrane (1957 Prestige) |
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Plays Tadd Dameron Barry Harris (1975 Xanadu) |
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Gentle November Kazunori Takeda (1979 Frasco) |
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Playin' Plain Koichi Hiroki (1996 Biyuya) |
『鑓の権三』の原作は、近松門左衛門の世話物・人形浄瑠璃『鑓の権三重帷子(やりのごんざ・かさねかたびら)』(1717年初演)で、これは『心中天網島』より3年早い作品だ。篠田監督としては、岩下志麻と中村吉右衛門を起用した『心中天網島』(1969年表現社/ATG)に次ぐ近松もので、スタッフも富岡多恵子(脚本)、武満徹/琵琶・鶴田錦史(音楽)、粟津潔(美術)と『天網島』と同じで、『天網島』が成島東一郎のモノクロ、『権三』が宮川一夫のカラーという撮影(カメラ)だけが違う。主役「鑓の(笹野)権三」は郷ひろみで、火野正平、田中美佐子に加えて岩下志麻、大滝秀治、河原崎長一郎、加藤治子などそうそうたる俳優が出演している。
『天網島』もそうだが、『権三』も享保時代の実話を元にして、近松が書き下ろした作品。実際の事件は、松江・松平家の茶道役・正井宗味が江戸詰中に、小姓役・池田文次(24歳)が妻のとよ(36歳)と密通し、享保2年(1717年)6月に駆け落ちした。正井が二人を追跡し、7月に大坂高麗橋上で「妻敵討」(めがたきうち:姦通相手の男を殺すことは公認されていた)したというもの。翌8月には、近松の作品を竹本座で初演したというから、デジタル時代も顔負けのものすごいスピード制作と上演だ。
原作は実話に沿い、映画も『天網島』と同様、ほぼ近松の原作に沿って作られている。戦のない開幕後100余年間に、武士の出世競争もすっかり様変わりして、武芸のうち茶道もその有力な要素となっていた。出雲の国・松江藩を舞台に、鑓の名手で、茶道にも通じ、しかも城下の俗謡で唄われるほど美男子で有名だった「笹野権三」を郷ひろみが演じ、出世争いのライバルだった「川側伴之丞」(かわづらばんのじょう)を火野正平が、その妹で、兄に内緒で権三と言い交わしていた「お雪」役を田中美佐子が演じている。権三と伴之丞の茶道の師で、松江藩の茶道の筆頭師範・浅香市之進(津村隆)が藩主と共に江戸詰の留守中であり、藩主の世継ぎ誕生を祝う殿中饗応の席で披露する「真の台子(だいす)」という最高峰の茶の作法を弟子の誰かに努めさせよと指示し、市之進の妻おさゐ(おさい、岩下志麻)を仲立ちに、その役目と秘伝の伝授を巡って郷と火野が争う。一方、女として権三に惹かれていたおさゐは、伴之丞(火野)から何度も色仕掛けで迫られていたが断り続けていた。だが自分の娘を権三がめとれば秘伝も家中のものとして自然に授与できると考えていた。印象に残ったのは、モノクロの『心中天網島』では、ほとんどがスタジオ内での制作で、屋外ロケは最後の道行場面だけだったのに対し、『権三』では、各地のロケ(出雲、松江、萩、彦根、奈良、京都、岩国…)を含めて、絵葉書のような美しいカラー映像と豪華な衣装美がこれでもか、と続くことで、鑑賞上これは文句ない。ロケだけでも大変なコストがかかっただろうが、これはバブル期ならではだろう。また乗馬シーンでの郷ひろみの馬さばきも見事だ。ダンスもそうだが、この人は本当に運動神経がいいのだと思う。ただし美男を強調するために、眉を含めて「化粧」が濃すぎではないか?(火野正平がよけいにウスく見えてしまう)。海岸を馬で走るシーンはおそらく萩の菊ヶ浜で、田中美佐子が先週くらいの「こころ旅山口編」で訪れていたはずだが、番組中では特にコメントはなかった。
当時40代の岩下志麻は容姿、所作、台詞ともに相変わらずの美しさで(監督もそこだけは手抜きがない…どころか一番力が入っている)、夫の留守を守るその岩下志麻に言い寄る火野正平の女好きぶりは、まあお約束かもしれないが、ライバルの権三には嫁がせまいと反対しつつ、自分の妹にまであわや手を出そうとするあぶないシーンがある。あれは台本なのか、アドリブなのか、演技の勢いなのか? あげく、二人の密通(濡れ衣)を城下に言いふらしたために、最後はおさゐの兄(河原崎長一郎)に討たれて、生首(これがよくできている?)になって戻ってくる。火野正平は侍よりも、やはりひとクセある町人とかワル役が似合いそうだが、正平氏自身は『権三』の役どころをどう思っていたのだろうか? 田中美佐子はたまたまこの映画の舞台だった(隠岐の島生まれ)松江が出身だそうで、40年前(20代半ば)は当然若くてきれいだが、郷ひろみとの濡れ場での大胆な演技には驚いた。それと竹中直人がちょい役で出ていたが、いつものギャグがなくて残念だった。
『心中天網島』は、いわば市井の商人と遊女の不義の物語で、ある意味普遍的なテーマなので、義理人情の部分を含めて、まだ現代人にも分からないことはない。だが『鑓の権三』は戦のない日本の武家社会が舞台で、しかも茶道の伝統とその価値がわからないと皆目話の道筋が見えない……2回見てやっとある程度理解したくらいだ。相当の予備知識がないと、話の筋も面白さも分からないだろう。この映画はベルリン国際映画祭で「銀熊賞」を受賞したそうだが、日本人ですらよく分からない、この大昔、封建時代の日本的価値観と倫理(論理)を、本当に西洋人が映画を観て分かるものなのだろうか? おそらく映像から見えて来る侍と日本的情緒、その美が、選考の一番の理由ではないかという気がする。1969年の『心中天網島』は、リアルタイムで観たせいもあって、私は心底感動して何度も観た。ほぼ同じスタッフで制作した17年後の本作と何が違うのか、考えてみたが、やはり時代だろう。1969年の日本は高度成長下とはいえまだ貧しく、全共闘運動をはじめ社会は騒然として緊張感が高かったが、一方で、不確かとはいえ、まだ「未来」に対する希望もあった。戦後生まれの世代が20歳を過ぎ、そのエネルギーが音楽や映画など芸術の世界でも爆発的な勢いで創造的な作品を生んでいた。そうした社会状況の下で、ほぼ全員30代の若いスタッフが、制作資金の制約のために、あえてミニマルな表現を目指した実験的な構成、展開と、モノクロによる映像を駆使した『天網島』からは、若さと熱意と創意、芸術性があふれている。一方、高度成長後の熟れ切った日本のバブル最盛期に、功成り名を遂げたスタッフが、たっぷり金と時間をかけて制作したエンタメ的なこの映画の質と出来は、やはり前作とは比較にならない。『天網島』から17年後の日本は豊かになったが、映画を取り巻く状況も変化していたし、69年の制作者たちが持っていたエネルギー、渇望、表現意欲…そういうものも間違いなく変貌していただろう。
ただし、火野正平と田中美佐子が、この映画の兄妹役を通じて親しくなったことはよく分かった。再スタート後1ヶ月を過ぎた今は、もう完全に田中美佐子の「こころ旅」になっているが、自転車で毎朝出発する時に、空に向かって「行ってきまーす!」と、手を挙げて明るく大声で叫ぶ田中美佐子の「兄」火野正平への挨拶がとてもいい。従来からの撮影スタッフも、やさしく彼女を支えているのがよく分かる。春に続いて「秋の旅」も田中美佐子がやることが決まったようでよかった。火野ー田中と「兄妹バトン」でつないだこの番組が、今後も長く続くことを願っている。(ただし、いくら電動アシストでも、65歳の女性に長い山登りルートはきつすぎる。難しいだろうが、ほどほどにしておかないと、正平氏のように腰を痛めますよ。)
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Clap Hands, Here Comes Charlie! Ella Fitzgerald (1961 Verve) |
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Where is Love? Irene Kral (1975 Choice) |
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Pop Pop Rickie Lee Jones(1991 Geffen) |
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Zoot Sims in Paris (1961 UA) |
去年の11月14日に「こころ旅」の火野正平氏がぽっくりと逝ってしまい、12月7日の追悼記事の後3ヶ月以上このブログの更新もしていなかった。ひょっとして私もぽっくり逝ったか…?と思った人もいるかもしれないが、安心してください。生きてますから。ただし腰痛が続いていて、そこは正平氏と同じだし、もういつ逝っても不思議ではない歳になった。
ここ数ヶ月間ソニー・ロリンズの伝記『Saxophone Colossus』翻訳の仕上げ作業に集中していたのでブログ更新の時間がなかった。前回の正平氏の記事がちょうど200番目になり、キリもいいし、ジャズネタもそろそろ尽きてきたので、もうこのへんでブログも店終いしようかとも思っていた。だが、翻訳がやっと2月でほぼ完了し、多少余裕ができたこともあって、やはりブログも再開してみることにした。NHK-BSの「こころ旅」も、今年の春の旅が、私的ないちオシだった田中美佐子氏に決まり、4月から放映開始するそうだ。きっと面白いと思う。正平氏もたぶんこの人選に異存はないだろう。
大著の翻訳(2年かかった)から解放されて、今は久々にゆったり、のんびりと静かにジャズを聴きたい気分なのだが、最近つくづくと感じるのは、配信、スマホ、SNS時代の今の世の中は何もかも慌ただしくて、余裕というものがない。映像は倍速視聴で楽しみ、Popsもコンピュータを使うせいだろうが、やたらとテンポの速い曲、コードチェンジ、リズムの複雑な曲、歌詞を目いっぱい詰め込んだような曲、ずっと声を張り上げて熱唱するような曲…と、とにかく「行間や余白、余韻の少ない」音楽が溢れている。作る側も聞く側も若い年齢層が中心なので、感覚的にそうなるのは当然でもある。だから趣味の音楽は、供給側任せにしないで、自分の好みや人生のテンポに合った音楽を、自分でセレクトして聞くようにしないと、年寄りには疲れて仕方がない。しかし今は、80年代シティポップや、カラオケで唄う若者にも昭和歌謡が人気のようで、それもよく分かる。現代の速い、複雑な音楽は疲れるし、微妙な感情の揺れや陰翳の表現とか、じわりと心に響くものが欠けているからだ。聴く人にとって分かりやすい、覚えやすい、唄いやすい、というのも音楽の魅力の重要な要素なのだ。ジャズも同じだ。たとえば漫画『Blue Giant』で描かれているような、血沸き肉躍るがごとき熱いジャズを聴き、かつそれを楽しむためには、聴き手側にも同じくらいの「エネルギー」を必要とするのである。主人公の宮本大だって、あんな熱量の高い演奏ばかりの音楽を続けていたら(…聞こえないが、想像で)、やがて身体がいくつあっても足らなくなるだろう。昔のジャズメンのドラッグ依存も、「同じことは二度とやらない=常に"創造"を求める」「演奏に全開の”パワー”を求める」という、ジャズ特有の要件(=脅迫観念)と大いに関係があるのだ。