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| The Thelonious Monk Orchestra at Town Hall (1959 Riverside) 第20章 p393 |
カルテットとテンテットによる当日のメンバーとCD収録曲は以下の通り。
<メンバー> Donald Byrd (tp) Eddie Bert (tb) Bob Northern (fh) Jay McAllister (tuba) Phil Woods (as) Charlie Rouse (ts) Pepper Adams (bs) Thelonious Monk (p) Sam Jones (b) Art Taylor (ds)
<CD収録曲> Thelonious/ Friday The 13th/ Monk's Mood/ Little Rootie Tootie/ Off Minor/ Crepuscule With Nellie/ In Walked Bud/ Blue Monk/ Rhythm-A-Ning
演奏内容と評価は本書に詳しいが、当日の会場の反応はすこぶる良かったものの、1952年のモンク初のピアノ・トリオの演奏をビッグバンドで再現し、高い評価を得た<リトル・ルーティ・トゥーティ>を除き、結果的に批判的なコンサート評が多かったために、リバーサイドはその後スポンサーも兼ねて予定していた8都市を巡るコンサート・ツアーを中止した。この予想外の判断によって、このコンサートに大きなエネルギーを注ぎ込んだばかりか、当時キャバレーカードがなく、ツアー公演に唯一の収入を見込んでいたモンクは落胆し、リバーサイドとの関係も決定的に悪化した。さらにモンクの精神状態もその後しばらくは不調となり、4月にはボストンの「ストーリーヴィル」出演後に行方不明になるという事件を起こす。ところが、このライヴ・アルバムは1959年のリリース後、非常に高い評価を得るようになるのである。ジャズ・コンサート批評の難しいところだが、これがジャズ、特にモンクのようなエモーション一発ではない複雑で高度な音楽を、ライヴで1回聞いただけの批評の危うさだと言える。一般的にジャズとはそういうもので、だからこそ録音とレコードの価値があるわけだが、中でもモンクのように、何度も繰り返して聴かないと、その本当の素晴らしさがわからないジャズというものはあるのだ、という実例の一つだろう。
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| Big Band and Quartet in Concert (1963 Columbia) 第25章 p515 |
カルテットとテンテットによる当日のメンバーとCD収録曲は以下の通り。
<メンバー> Thad Jones (cort) Nick Travis (tp) Eddie Bert (tb) Steve Lacy (ss) Phil Woods (as,cl) Charlie Rouse (ts) Gene Allen (bs, cl, bcl) Thelonious Monk (p) Butch Warren (b) Frankie Dunlop (ds)
<CD収録曲> Bye-Ya/ I Mean You/ Evidence/ Epistrophy/ (When It's) Darkness On The Delta/ Oska T./ Misterioso/ Played Twice/ Four In One/ Light Blue
「タウンホール」直後の不評とは違い、「フィルハーモニック・ホール」での公演は論評を含めて大成功となった。モンクは自分の功績の一つとして「インプロヴァイズするジャズを、ビッグバンドという形態で実現したことだ」と後年述べているが、確かにこれも、モンクとオヴァートンが共同で作り上げた独創的音楽の一つだったと言えるだろう。その後モンクは1967年10月の6度目のヨーロッパ・ツアー時にも、ジョージ・ウィーンの提案でオクテット、ノネットによるバンドを率いてイギリス、ドイツ、フランス他で演奏し好評を博しているが(ジョニー・グリフィンやフィル・ウッズを擁したこのバンドの映像の一部が、映画『ストレート・ノー・チェイサー』に残されている)、ドイツのベルリン・ジャズ祭では、ヨアヒム・ベーレントとテオ・マセロのレコーディング企画提案にもかかわらず、コロムビア上層部の支持が得られなかったためにこの企画はお流れとなった。ただし、ヨーロッパの現地放送局が録音したこの時の公演は、いくつかアルバムとなって後にリリースされている。
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| Monk's Blues (1968 Columbia) 第27章 p585 |
収録曲は以下の通り(テオ・マセロ作の2曲がこっそり入っている)。
Let's Cool One/ Reflections/ Little Rootie Tootie/ Just a Glance at Love (Macero)/ Brilliant Corners/ Consecutive Seconds (Macero)/ Monk's Point/ Trinkle, Tinkle/ Straight, No Chaser/ Blue Monk/ Round Midnight
ところで、1960年代という時代背景もあるのだろうが、このアルバムも含めてコロムビア時代のモンク作品のジャケット・デザインはどれも薄味で、モンクの音楽世界を表現していないように個人的には思える(凝った「アンダーグラウンド」も)。テオ・マセロはプロデューサーとして、コロムビア時代のマイルス・デイヴィスを録音編集の技術を駆使して「創作」した功労者だったが、初期の頃からモンクのファンでもあった。だからモンクへの尊敬と愛情は持ち続けていたし、モンクの売り出しに大きな力を注いだのも事実だと思うが、レコード作りのコンセプトがモンクの音楽の本質と徐々にずれて行ったことと、それを加速した売り上げを至上命題としたコロムビアの商業主義によって、結局コロムビアという会社とアーティスト・モンクの板挟みのような状況に追い込まれて行ったのではないかと想像する。「聴き手が理解するまで、妥協せずに自分の信じる音楽をやり続けろ」と語っていたように、モンクは基本的に作曲家であり、マイルスのように時代や聴衆のニーズを見抜いて自分の音楽を変えることのできる器用な音楽家ではなかったからだ。モンクとコロムビアとの契約は1970年まで継続するが、結局この1968年の『Monk's Blues』が、モンクにとってコロムビアへの、またメジャー・レーベルへの最後の録音となった。


