ページ

2020/01/25

水木しげる先生のこと

昨年秋口から年初にかけての夕方、NHKの地デジで、水木しげる夫妻を描いた2010年放送の朝ドラ『ゲゲゲの女房』(原作は、奥さん武良布枝さんの同名の本)を再放送していたのでずっと見ていた。放送は10年前だが今見てもよくできたドラマで、原作の持つ温かみを生かした脚本もいいし、まだ若かった主演の松下奈緒も向井理も、夫妻の両親役の風間杜夫、竹下景子、大杉漣、古手川祐子といったベテランの役者さんたちも、みなさんとてもいい味を出している。特に、主人公の娘を思いやる、素朴で昔気質の父親役を演じた今は亡き大杉漣の演技が印象に残った。このドラマはずっと穏やかな気持ちで見ていられるが、いちばんの理由は、主人公の水木しげる夫妻とその家族が醸し出す自然な人間味が伝わって来るからだろう。いきものがかりの主題歌「ありがとう」も、ドラマのテーマ、雰囲気とよく合っている。加えて、放送が2011年の東日本大震災の前年だったということも、このどことなく “のどかで懐かしい” ドラマの雰囲気を楽しめる理由の一つかもしれない。震災後はずっと、こうしたなごやかなドラマを作ったり、のんびりそれを見たりできないような、重い空気が世の中全体にあったからだ。それから、今や中堅俳優になっている若き柄本佑や斎藤工、窪田正孝、星野源などが出演しているのにも驚いた。NHKの朝ドラには、こうして今は有名になったいろんな役者が若い頃から出演していたんだ、ということも分かってびっくりする。

私は昔から漫画好きで、好きな作家や作品も多いが、その中でも「先生」と呼ばなくては……と個人的に尊敬してきた漫画家が3人いる。命を削るようにして紙の上で独創的なキャラクターを生み出し、愉快な世界を描き出すという才能への畏敬と、それを読者に提供して楽しませてくれることへの感謝のゆえである。もう一つは、一歩間違えば貧乏神に取り憑かれるというハイリスクな世界へ、人生を賭けて挑戦する勇気に対するものだ。その3人とは「水木しげる」先生、「赤塚不二夫」先生、そして「中川いさみ」先生である。もちろん作風、画風はそれぞれまったく違うが、共通点は登場するキャラクターの造形とユーモアの圧倒的な独創性、加えて笑いが下品ではないことだ。そもそもストーリー漫画よりもギャグ漫画系が好きなので、主としてその視点から3人を「先生」と呼ばせていただいている。ギャグ漫画は、展開のスピードと即興性(アイデアの閃き)、ユーモアの質という点で、何となくジャズの世界と相通じるものがあるように思う。何より「閃き」が大事なので、作者の年齢と共に作品の質を維持してゆくのが難しくなるリスクが高いところもそうだ。ギャグ漫画の開祖である天才・赤塚先生は、『天才バカボン』や『おそ松くん』を筆頭に数々の独創的キャラ創出はもちろんのこと、突き抜けたユーモアの次元が違うし、それに作品の根底にいつも温かな人間観が流れているところがいい。『クマのプー太郎』に代表される中川先生の作品もほとんど読んでいるが、主人公であるクマ、サル、ウサギといった動物キャラ造形のユニークさと共に、独特のシニカルでシュールな現代的ギャグセンスが最高だ。

一方の水木先生はもちろん、いわゆるギャグ漫画とはまったく違うジャンルに属する作家だ。まず、3人の中ではいちばん年長だったので1922年生まれ)、生きた時代が違う。しかしストーリーや登場キャラクター(異界の住人)の独創性に加えて、達観したような何とも言えない巧まざるユーモアとペーソスが、どの作品にも共通して感じられるところが素晴らしい。飄々としているが、意外にクールで毒もあり(ニヒルとも言える)、哲学的でもあり、懐かしい昭和のレトロさと、その独特のユーモアが絶妙にブレンドされた作品世界が個人的に好きなのだ。先生本人が言うところの座右の銘「楽をして、ぐうたらに生きる」も、赤塚先生の「これでいいのだ!」、タモさんの「やる気のアルものは去れ!」と並んで、個人的に非常に気に入っているフレーズだ。数々の登場キャラの中では、ご本人が好きだとコメントしていたように、たぶん「ねずみ男」が水木先生の思想を代弁している存在なのだろう(私も「ねずみ男」のファンだ。実写映画の大泉洋は、はまり役だった)。このあたりの世界は、ドラマ『ゲゲゲの女房』の中でもよく表現されていると思う。

水木サンの「幸福論」
(角川文庫)
日経新聞でかつて連載していた「私の履歴書(水木しげる)」を、毎朝笑いながら読んでいた。今は『水木サンの幸福論』と題した文庫本で読めるが、これを読むと水木先生の大物ぶり、まさに “悠揚迫らざる” 人間性というものが実によくわかって面白い。戦争で所属部隊が全滅し、ニューギニアのジャングルをたった一人で彷徨い、マラリアにかかって治療中に爆撃で左腕を失いながら、かろうじて戦争を生き延び、その間に現地の人々と友だちになり、戦後は残された右腕一本で紙芝居、貸本漫画の業界でゼロから始め、その後ようやく人気漫画家への道を切り開く……という波乱の人生を生き抜くことができたのも、破格ともいえるその人格上のスケールの大きさがあったからだろう。小学校に入る前から、朝は目が覚めるまで好きなだけ寝ていて(起きない)、学校は毎日2時間目から行ったとか(もちろん遅刻)、その他にも世の中の常識や約束事に縛られない自由な発想を持って生きてきたというところが、(若いときに自堕落な生活を送っていた私には)個人的に大いに共感できた。こういう人は、たぶん今だと発達障害だとかいろんな病名を付けられてしまうのだろうが、昔は世の中も鷹揚だったので単なる変わり者ですんだし、その代わり好きなことには徹底して打ち込むなど、普通の人間にはないユニークな才能を持っている人が多かったのだろうと思う。しかしドラマを見たり、こうした本を読んで思うのは、間違いなく、布枝さんという、あの大らかな奥さんの存在なくして「漫画家・水木しげる」はなかっただろうということだ。もう一つ強く印象に残ったのは、両親や兄弟を含めた親族、家族に対する水木先生の深い愛情だ。

のんのんばあとオレ
(講談社)
数年前に、11月解禁の松葉ガニも目当てに松江や出雲地方の旅行に出かけた。そのとき安来の足立美術館に寄り、それから当然のように、米子から「鬼太郎列車」に乗って、境港の「水木しげるロード」に行ってきた。どこを見ても鬼太郎キャラでいっぱいの列車も、境港の街も、本当に楽しかった。その旅で、水木先生が育った土地、その雰囲気、周囲の環境がどういうものかがよく分かった。出雲大社周辺はもちろんだが、境港(鳥取県)の前に広がる境水道の向こう側、島根県の島根半島東端近くにある美保神社のあたりへ行くと、あの『のんのんばあ』のいた世界がどういうものだったのか何となく想像できる。鳥取や島根の日本海沿岸は半世紀前の学生時代に旅行に行ったことがあり、隠岐島へ行く途中に境港や美保関にも立ち寄った記憶があるが、当時はまだ水木マンガと境港はイメージ的に結びついていなかった。あの大きくて高い境大橋ももちろんまだなくて、境港から美保関港までは船で行ったように思うが、本当に神話や伝説や妖怪がよく似合う風景と雰囲気が濃厚だったことを鮮明に覚えている。もちろん、今はずいぶん変わったが、それでも当時の雰囲気はまだどことなく残されていて、水木先生や「鬼太郎」を生んだのもそうした風土だったということが、現地へ行ってみるとよく分かる。

ところで、私は個人的にも何となく水木先生と不思議な縁があるのだ。学生時代を過ごした神戸という接点がまずあって、「水木」というペンネームが、実は貸本漫画家時代に住んでいた神戸市兵庫区の ”水木通り” から取られたという意外な話がそうだ(まったく知らなかった)。時代は違うが、私は家庭教師のアルバイトで地下鉄の新開地駅に近い水木通りあたりまで毎週通っていたことがあり、「水木」という地名を何となく覚えていたのだ。その話は単なる偶然だが、その後1970年代半ばに東京で結婚して、最初に入居した杉並の賃貸マンションのオーナーが武良(むら)さんという人だった。最初変わった名字だなと思ったが、なんとそれが水木先生の実の弟さん(水木プロのマネージャーだった)だと知って驚き、しかも入居したエレベーターなしの5階の部屋が、それまで水木プロが使っていた部屋だと聞いてさらに驚いた(オーナー家族は5階が入り口で、6階に住居があった)。

水木先生の本、奥さんの『ゲゲゲの女房』や、NHKドラマなどから推察すると、貧乏神に取り憑かれていた赤貧時代の後、60年代後半の「鬼太郎」のテレビアニメ化などで、当時ようやく金銭面で余裕ができてマンションを建てたということなのだろうか(神戸の水木通り時代にもアパートを経営していたようなので、弟さんも含めて安定した収入確保の手段だったのだろう)。入居後しばらくの間、元の部屋に設置されていた電話をそのまま借りていたら、「水木プロですか…」という電話が何本もかかってきたのを覚えている。7年間ほどそのマンションでお世話になり、子供たちもそこで生まれた。その間、マンションの管理をしていた弟さんの奥さんとは何度も会話していたが(玄関が隣だったので)、今はどうしておられるだろうか。そういうわけで、調布に住んでいた水木先生ご本人や、奥さんの布枝さんと実際にお会いすることはなかったが、本やテレビドラマに登場する弟さんやその奥さんは、なんだかまったくの他人のようには思えないのである。

2015年に亡くなった水木先生の第2の故郷で、鬼太郎にちなんだモニュメントやスポットがある調布市内は、なぜかこれまで歩いたことがない。今は、先生の命日11月30日に「ゲゲゲ忌」というイベントも開催しているらしいので、今年は先生が好きだった「ねずみ男」の年でもあるし、是非調布へ出かけて、生前に建てたという鬼太郎キャラたちに囲まれているお墓にお参りしたいと思っている。