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2018/07/13

Macオーディオを再構築する(1)

ジャンルに関わらず、音楽は何といってもライブ演奏を聴くのがいちばんだ。今はどんなジャンルでも音楽ライブが日常的なものになって、昔のように貴重な機会というほどでもなくなった。しかしエリック・ドルフィーがいみじくも言ったように、残念ながら生の音楽は1回限り、その場限りで空中に消えてしまう(そこがいいわけでもあるが)。一方、古今東西の名演や名曲を、時空を超えていつでも好きな時に、繰り返し再現したいという人間の願望を叶えてくれるのが、それらを「録音」したレコード(SP-LP-CD-data、テープ)であり、それを「再生」するためのオーディオ装置だ。だが「モノ」としてのステレオ再生機器を手に入れたらそれでお終いということではなく(普通の人はそこで終わる)、その装置からどういうサウンド(自分にとっての良い音、理想の音)を、どうやって引き出すか、手間をかけ楽しみながらあれこれ試行錯誤する過程が、プロは別として一般人の趣味の世界としての「オーディオ」で、音楽そのものだけでなく、出て来る「音」そのものに興味を持ち、それにこだわる限られた人間の特殊な世界である。今はスマホなどで誰でも普通にステレオ音楽を楽しんでいるが、ほとんどイヤフォンやヘッドフォン経由のいわば脳内音楽だ。だがスピーカーによって物理的に空気を振動させる音を聴くと、まったく同じ音楽(録音)が再生機器の違いによってここまで別モノに聞こえるのか、というような体験をする。それに感動し、結果として音の虜になるのがオーディオファンやマニアだが、一方で何も差を感じない人もいるわけで、要は人それぞれの感性によって異なる極私的世界なのだ。

芸術や趣味というのはすべからくそうだが、そもそも昔から金も時間もたっぷりある王侯貴族や大金持ちだけが暇つぶしに楽しんでいた特殊な、マニアックな世界であり、それが長い時代を経て、社会や個人の経済力が増して楽しむ余裕ができ、徐々に庶民の領域に降りて来るわけである。日本のオーディオも大衆的な趣味になったのは1970年代以降だ。だから上を見て金をかけたらきりがない世界で、バブル時代のように日本の景気が良かった頃はモノとしての機器も高額になり、勘違いして分不相応なほどの金を投じて身を滅ぼした人もいたくらいだ。今はデジタル化の恩恵で低価格再生機器のレベル全般が向上し、日本の経済力と個人所得も相対的に低下したこともあって、かつてのような熱狂は消え、分相応の楽しみ方をしている人がほとんどだろう。趣味も多様化したし、何より「音楽」が特別なものではなくなり、誰でも、いつでも、どこでも聴ける日常の消耗品になった。それに今は抽象的な音の世界より、わかりやすく、記憶に残りやすい、派手なヴィジュアル情報に大半の人間の興味は移っている。しかしいくら素晴らしい作品でも、同じ映画や映像は何度か見たらすぐに飽きるものだが、同じレコードは何度聴いても飽きないように、刺激の強い視覚情報と違って、すぐに空中に消えてしまう音というのは抽象的で、聴く人が毎回あれこれ感性や想像力を使わざるを得ないからこそ、飽きずにいつまでも楽しめるのである。その音楽がすぐに飽きる単純なものではなく、複雑であればあるほど、それを聴き、楽しむ時間も長くなるということだ。

しかし録音・再生方法がアナログであれデジタルであれ、またどんなジャンルの音楽であれ、「好きな音楽を、良い音で聴きたい」と願う人は音楽がある限りいつの時代でも必ずいる。音の楽しみ方は多様化するにしても、大人の趣味としてのオーディオも地味に、かつディープに存在し続けるだろう。それには、聴きたい音楽が存在することがまず必要だが、最近も1963年(55年前)のジョン・コルトレーンの未発表音源が発見・発表されたように、とりわけ20世紀に生まれて頂点を極めたジャズは、録音技術の進化と共に歩んだ音楽でもあり、死ぬまで聴いても聴き切れないほどの良質のアナログ音源がまだ無尽蔵に残されている。現代の音楽や演奏は、当然ながら一般的にはそれなりのクオリティで録音されているが、人工的に手を加え過ぎたものが多くて、きちんとした装置で再生すると不自然な音の録音が結構ある(特にJ-Pop)。ジャズの場合、黄金期の1960年代半ばまでの古い録音は、時代なりのテクニックはもちろん使っていても、複雑な音源加工をせずにシンプルな手法で録音されたアルバムが多いので、音が自然で、想像以上に生々しい音が聞こえてくる好録音も数多い。こうした古い録音をできるだけリアルな音で再生することが、ジャズ&オーディオファンにとっては大きな楽しみの一つなのだ。ただいずれにしろ、昔も今も、機械で再生されるサウンド(音の聞こえ方)に興味のない大部分の人にとっては訳の分からない世界とも言える。したがって特に女性オーディオファンというものが、昔からほとんどいないのもよくわかる。

MacBook Pro 2015
というわけで、「より良い音」を求めておよそ6年ぶりに多少の投資をして、これまでのMacを使ったPCオーディオ・システムを再構築した。正直、「再構築」と言うほど大層なことではないが、私的には結構な手間と時間がかかったので、あえて大げさな表現にした。また投資とは言っても、今回はデジタル化した音の入り口部分だけで、DAC以降のアンプもスピーカーも変えていないので、それほどの金額ではない。長年(10年近く?)オーディオ用に使ってきたMacBook (Snow Leopard、以下MB)に(自分と同じく)さすがに老化の気配が見えてきたので、壊れた時の予備に昨年買っておいたMacBook Pro (Sierra、以下MBP)に入れ替えることにしたのだ。Mac miniも考えたが、ディスプレイ付きのノート型の方がやはり何かと使いやすいのと、AC雑音の入らないバッテリー駆動が可能なこともあって、こちらにした。(アナログもデジタルも、経験的にやはり高周波ノイズを制御する電源管理は重要で、理想は外部ノイズをシャットアウトできる専用の屋内バッテリーだろうが、まだ低価格のそういう製品は見当たらないようだ。)買ったのは最新のMBPではなく、ネットで見つけた2015年のモデルなのだが、その理由はコンピュータとしての性能ではなくオーディオ上の使い勝手で、Macがノートの新機種のインターフェイスにUSB3端子を搭載しなくなったために、これまでの外付けHDDや、DDC、DACなどの機器と接続するのに何かと不便だからだ。この2015年モデルにはさすがにFireWireはないが、USB3端子が2個、Thunderbolt2端子が2個ついているので、オーディオ的には避けたいアダプターやコネクターをかませた接続を最小限にできそうなのでこちらにした(こういう話をしても、何がなんだかわからない人もいると思うが)。

しかしAppleはそういう事情のある人(特殊な少数派なので)にはお構いなしに、ノート型にはどんどん新しい技術を投入するので、周辺機器と接続して使うオーディオ好きには非常に困るのだ。オーディオ好きだったスティーヴ・ジョブズ亡き後、この傾向は止まらない(かどうかはよくわからないが)。今度のMBPにもThunderbolt22個ついているが、いくら高速でもこの端子のついた据え置きHDDやオーディオ機器は今やほとんど売っていないし、あっても価格がやたらと高い。FireWireUSBなどへの各種変換コネクターもあるが、これも高額だ。そして今やUSB3USB-Cになり、Thunderbolt2から3になっているし、コンピュータ好きには楽しいのかもしれないが、いくらモバイル性と伝送速度が向上しようと、私のように単に家庭で、便利に、かつ良い音で聴きたいと思って使っているだけのオーディオファンには迷惑な話なのだ。機器間の接続について言えば、アナログやCD時代はバランスかRCAだけ、プラスかマイナスだけで、シンプルで混乱することもなく、安定していて本当によかったと思う。Macも昔はオーディオ接続はFireWireだけでシンプルだった。もっとも今や何でもWi-Fiが主流なので、なおさらそんなことには構っていられません、ということなのだろう。

Macはシステムの設計上Windowsより音が良く、オーディオ的には有利だということだったので(なぜなのか、という技術的理由は詳しくは知らない)Macシステムでやってきたのだが、私には特にコンピュータの知識があるわけでもなく、それにそもそも大雑把で細かい作業は苦手なので、雑誌やネットで見聞きしたあれこれの情報の中で、自分で納得できた方法をそのまま拝借して、素人でも可能なシンプルな設定と接続で済む今のシステムを組んだだけだ。世の中にはもっと複雑な機器を使い、高度な方法でMacオーディオを楽しんでいる人もいると思うが、私の場合、簡単なチャートで示すように、要はアナログ・レコードプレイヤーやCDプレイヤーの代わりに、外付けHDDに取り込んだ非圧縮AIFFのCDデータ(by XLD/iTunes) をMBを介して読み込み、再生し (by Audirvana)、DDCを経由してDAC/プリ/パワーアンプ/スピーカーにその信号を送り込むというだけの方法である。つまり古典的オーディオとPCオーディオのハイブリッドだ。アナログ・プレイヤーの場合のアーム、カートリッジ、配線、MCトランス、フォノイコライザーといったパーツで遊ぶのを、上記コンピュータシステムに置き換えたものと言える。この6年間ほとんどオーディオ誌も読まず、ひたすら聴くだけになったのは、何と言ってもiTunesによる大量のアルバム、楽曲データ管理がアナログLPやCD時代に比べて圧倒的に便利で、好きな時に好きな曲を自由に聴けて楽しいことと、Audirvana のようなMac専用の優れた再生ソフトウェアの出現で、時にはアナログにひけをとらないような音が実際に出て来るからだ。高度なアナログLP再生は確かに素晴らしいが、誰にでもできるわけではなく、何より良い機器と技術(経験と腕)、根気と根性が必要だし、それにどうしても高価になる。かなりのLPも所有しているので、ほどほどのアナログ機器でたまには再生しているが、不器用でものぐさなうえ根気も根性もないので、できるだけ簡単に操作でき、メインテナンスも楽で、しかしできるだけ良い音でたくさん音楽を聴きたい、という私のような横着な人間にPCオーディオはぴったりの方法なのだ。

普段はWindowsのコンピュータを使っているので、MBは音楽再生専用に特化して、これも見よう見まねで、背後で動いているOSやソフトに向けられるCPUやメモリーなど、システム・リソースへの負荷をできるだけ減らして、Macの作業を音楽の再生だけに集中する設定にしてある。おまじないみたいにも思えるが、Macの場合この効果は結構大きいようにも感じる。つまり「音源データ管理ソフト付き音楽再生専用プレイヤー」としてMacを使っているわけである。コンピュータとしての普通の機能が無駄と言えば無駄になるが、それらはWindowsで処理できるし、オーディオ上の機能、性能、利便性を考えたら決して高い買い物ではないと長年使った今では思っている。Mac自体も余計な仕事をしない単純作業で済むので疲労度(?)も少ないはずで、寿命も長いだろう(…かどうかはよくわからないが)。そういうわけで、これまでのMBの音で結構満足してきた。ただし、LANWi-Fiを使うNAS的システムは信号経路とデータの質がどうも信用できないので、あくまで古典的鉄則、アナログとデジタル電源管理を配慮した短距離有線接続によるクローズド・システムである。ハイレゾもこれと言って聴きたい新録音がないので、今のところは手付かずだし、ストリーミングにも興味はない。そもそも聴くのはほとんど手持ちの20世紀アナログ録音のジャズを中心にしたCD音源で(それすら聴き切れないほどの量がある)、それらをいかに気持ちの良い音で鳴らすかが私的オーディオの目的だからだが、リマスターされた(加工された)古いアナログ音源のハイレゾ盤がどんな音になるのかという興味はある。特にHDDにリッピング済みの初期(80年代)のCDの中には音がスカスカのものもあるので、改善効果は期待できるのかもしれない。ただし要はオリジナル・アナログマスタ-のクオリティ次第だろう(当然、演奏内容がまず第一だが)。新たに録音したものではない旧譜のハイレゾ盤とは、単にこのオリジナル・アナログ録音に入っている音をどこまで再生できるか、ということだけの話だからだ。だがそれにしても、その種の旧録音のハイレゾ盤の価格はまだ高すぎると思う。自分でアップサンプリングしたりして遊んだ方が楽しめるかも知れないとも思うが、どうしてもどこか不純(?)な気がするのと、面倒なのもあってこれもやっていない。(続く)

2018/06/29

ジャズ的陰翳の美を楽しむ(2)

Milt Jackson Quartet
1955 Prestige
ヴィブラフォン(ヴァイブ)という楽器は、その深い響きと音色そのものが、そもそも独特の陰翳を持っている。オールド・ジャズファンは、この音を聞くとあっという間にジャズの世界に引き込まれる。ジャズでヴァイブと言えば、まずミルト・ジャクソン(Milt Jackson 1923-99)であり、MJQでの演奏を含めて、どの参加アルバムもまさにブルージーな味わいがある。売れっ子だったのでミルト・ジャクソンの参加アルバムはそれこそ数多く、スローからアップテンポの曲まで、何でもこなしてしまうが、この「Milt Jackson Quartet(1955 Prestige) は中でも地味な方のアルバムだ。ジャケットもそうで、よく言えばシブいということになるのだろうが、リーダーのミルトが淡々とヴィブラフォンを叩いているだけで、ホーンもなければ、盛り上がりも、ひねりもない地味な演奏が続くが、なぜか時々取り出して無性に聴きたくなるアルバムの1枚なのだ。カルテットだがパーシー・ヒース (b)、コニー・ケイ (ds) MJQと同メンバーなので、違う点はジョン・ルイスではなくホレス・シルバーのピアノ、それとリーダーがMJQとは違いミルト本人という点だ。シルヴァ-のピアノはサポートに徹して大人しいが、ジョン・ルイスにはないジャズ的な風味を強く加えている。MJQと違ってミルトがリーダーなので、リラックスして実に気持ち良さそうに自由にヴァイブを叩いているのが伝わってくる。スタンダードのブルースとバラードという選曲もあって、ブルージーかつメロディアスで、音楽に雑味がなく、MJQのような “作った” というニュアンスもなく、ミルトの美しいヴァイブの音色とともに、まさしく "あの時代の モダン・ジャズ" そのものというムードがアルバム全体に漂っている。時々妙に聴きたくなるのは、多分このせいだ。

Pike's Peak
Dave Pike
1961 Epic
もう1枚のヴァイブ・アルバムは、白人ヴァイブ奏者デイヴ・パイク (Dave Pike 1938-2015) がリーダーのカルテット「パイクス・ピーク Pike's Peak」(1961 Epic) だ。パウル・クレーの絵を彷彿とさせるジャケットが象徴するように、これも全体に実にブルージーなアルバムだ。パイクはその後ラテン系音楽のレコードを何枚か残しているように、ラテン的リズムが好きだったようで、このアルバムでも<Why Not>や<Besame Mucho>のような躍動感あるリズムに乗った演奏が収録されているが、一方<In a Sentimental Mood>や<Wild is the Wind>のようなスローなバラードも演奏していて、全曲に参加しているビル・エヴァンスのピアノがそこに深みと上品な味を加えている。当時絶頂期だったエヴァンスは、相棒のスコット・ラファロ(b)を突然の事故で失った後の参加で、いわば傷心からのリハビリの途上にあったが、アップテンポでもスローな曲でもさすがというバッキングとソロを聞かせる。このアルバムでは、特にラストの<Wild is the Wind>が、曲そのものがいいこともあるが、パイクの密やかで情感に満ちた演奏と、それに控えめにからむエヴァンスが素晴らしい(ただしキース・ジャレットと同じで、パイクがユニゾンでスキャットしながら弾いているところが気になる人がいるかもしれないが)。

John Lewis Piano
1957 Atlantic
ピアニスト、ジョン・ルイス (John Lewis 1920-2001) MJQのリーダーとして有名だが、個人リーダー名義のソロやトリオ、コンボでも多くのレコードを残している。"ヨーロッパかぶれ" とか言われることもあるが、クラシックの影響の強いその演奏は、"配合のバランス" がうまくはまると、アメリカの黒人によるジャズとクラシック音楽の見事な融合が聴ける作品もある。「ジョン・ルイス・ピアノ」(1957 Atlantic) もそうしたレコードの1枚で、タイトル通りMJQというグループとは別に自己のピアノの世界を追求したもので、静謐で、知的で、深い陰翳の感じられる、ある意味で稀有なジャズアルバムだ。パーシー・ヒース (b)、 コニー・ケイ(ds) というMJQのメンバーに、ジム・ホール、バリー・ガルブレイスというギター奏者を加えた演奏から構成されている。全曲ゆったりとした演奏が続くが、演奏の白眉は、ギターのジム・ホール (Jim Hall 1930-2013)との10分を超える最後のデュオ曲<Two Lyric Pieces (Pierrot/Colombine)>だ。底知れぬ静寂感、深い響きと余韻は、おそらくこの二人にしか表現できない世界だろう。

Chet
Chet Baker
1959 Riverside
ヴォーカリスト兼トランぺッター、チェット・ベイカー (Chet Baker 1929-88) の「チェット Chet(1959 Riverside)は、基本的にスローなスタンダード、バラード演奏を集めたもので、チェットのヴォーカルは収録されていない。ペッパー・アダムス(bs)、ハービー・マン(fl)、ビル・エヴァンス(p)、ケニー・バレル(g)、ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)、コニー・ケイ(ds)と、当時のオールスターを集めた割に、これも一聴地味なアルバムで、演奏メンバーはチェットとベースのチェンバースを除き曲ごとに入れ替わっている。しかし白人チェット・ベイカーは、ヴォーカルもそうだが、トランペットの音色とフレーズそのものに、黒人的なブルージーさとは別種の深い余韻と陰翳を感じさせる稀有なトランペッターであり、このアルバムでも独特のダークかつアンニュイな雰囲気を漂わせ、すべての曲が深い夜の音楽だ。目立たないが、当時チェンバース、フィリー・ジョー共々マイルスバンドにいたビル・エヴァンスのピアノも当然このムードに一役買っている。どの曲もテンポがほとんど変化しないこともあって、単調と言えば単調なのだが、聴いているとついうとうとしてしまうほど気分が落ち着く。サウンドが夜のしじまにしみじみと響き渡る寝る前あたりに聴くと、心地良い眠りにつける。

Take Ten
Paul Desmond
1963 RCA
同じ陰翳でも深く濃いものではなく、明るく淡い光のグラデーションのような微妙な音の響きが感じ取れる繊細な演奏もある。白人アルトサックス奏者ポール・デスモンド (Paul Desmond 1924-77) が、ジム・ホール (g) という最良のパートナーと組んだ、地味だが粋なアルバムがピアノレス・カルテットによる「Take Ten(1963 RCA)だ。二人が紡ぎ出す美しく繊細な音で全ての曲が満たされ、ジム・ホールのセンス溢れる絶妙なギターと、デスモンドのアルトサックスの美しく長いメロディ・ラインを堪能できる。縦にダイナミックに動くピアノのリズム、コードに合わせているデイブ・ブルーベックのコンボ参加の時とは異なり、ホールのギターの滑らかなホリゾンタルな音の流れに、どこまでも柔らかく透明感溢れるデスモンドのアルトサックスの音が美しく溶け合って、実に洗練された極上のイージー・リスニング・ジャズとなった。<黒いオルフェ> のテーマなどボサノヴァの名曲のカバーも勿論良いが、 <Alone Together>や<Nancy> などのスタンダード・ナンバーの密やかな味わいが素晴らしい。

2018/06/21

ジャズ的陰翳の美を楽しむ(1)

蝋燭の時代からガス燈へ、さらに白熱電球から蛍光灯へ、そして今LEDへと、その昔、谷崎潤一郎が礼賛したような微妙な明と暗、光と影が織り成す「陰翳」は、少なくとも日本の夜からはほぼ消滅したかのように見える。ところが谷崎が日本の美意識と対照的だとした欧米では、古めのホテルなどに泊まると、うす暗い部分間接照明が多くて、本などまともに読めないくらい部屋の中が暗いことがある。そうしたホテルの部屋は、最初は気が滅入るが、慣れるとその仄暗さが逆に落ち着いた気分にしてくれて、徐々に快適に感じられるようになる。反対に、普段は気にもしていない日本の普通の家屋が(自分の家も含めて)、部屋の隅から隅まで不必要に明るく照らし出していることに気づく。大都市の街中に乱立する電柱と、空を遮る見苦しい電線と同じで、日本人には見慣れて当たり前になって気づいていないのだが、この明るさへの感覚も、戦後の高度成長期のあの白々しい蛍光灯の家庭への急速な普及によるところが大きいのだろう。家の中が “こうこうと" 明るいと、当時はなんだか豊かで幸せになったような気がしたからだ。経済的な豊かさを (物理的に) "明るい" 我が家が象徴しているように思えたし、当時は日本中の家庭が同じように感じていたのではないかと思う。そのかわり、何もかもがのっぺりして見え、光と影が作り出す陰翳の生まれる余地もなく、谷崎の好んだような世界とは程遠い、見事に “明るい” 環境が日本の夜に生まれた。こうした光の世界が、日本人の感覚や感性に長期的に、微妙な影響を与えていることは間違いないのだろう。今は対極にあるような派手なイルミネーションやプロジェクション・マッピングなどが全盛の時代だが、とはいえ、陰翳に対するそうした独特の感受性を日本人がまったく失ったというわけでもなく、ジャズのような西洋の音楽の中に陰翳の美を見出す、という聴き方も伝統的に存在してきた。

ジャズはその出自からしても基本的に夜の音楽だ。ジョージ・ウィーンが企画した1954年のニューポート・ジャズ祭以降、昼間の興行としても行なわれるようになり、ノーマン・グランツによって狭く暗いジャズクラブから明るく大きなコンサートホールへと演奏場所が拡大しても、狭く仄暗いジャズクラブで、ステージ上でミュージシャンが仄かな照明で照らされながら演奏されるジャズが、やはりいちばんジャズらしい。スウィング時代のダンスホールでの伴奏音楽から、演奏そのものを聞かせるモダン・ジャズ時代になってその傾向はさらに強まった。ただそうは言っても、ジャズはブルースを基調にしながらも躍動的な “ビート” が基本の音楽なので、ライブでもレコードでも一般的にはダイナミックな演奏が大半であり、スローな演奏は、たいていの場合一息入れる途中の休憩みたいに扱われてきた。そうした中にあって、決して大名盤とかいうレコードではないが、ほぼ全編がゆったりとしたブルージーな演奏で占められながら、ポップな、あるいは甘ったるいバラード演奏ではなく、シブく、クールで、大人の香りのする、文字通り微妙な “陰翳の美” を感じさせるジャズアルバムも残されている。そしてライブ演奏ではなく、レコードを中心に繰り返し聴いて細部にこだわるという日本のジャズ文化が、ソニー・クラークのような微妙な "陰" を持つピアニストのように、欧米ではなかなか理解されなかったジャズ・プレイヤーの魅力を "発見" してきたことも事実だ。ジャズの世界においても発揮されてきた、この独特の日本的感性はやはり世界に誇れるものだ。そうしたジャズ的陰翳の美を感じさせるアルバムをいくつか紹介したい。

Art
Art Farmer
1961 Argo
トランペットという楽器は、一般的にジャズ・コンボにあっては花形で目立つ存在であるべきで、クリフォード・ブラウン、リー・モーガン、フレディ・ハバードなどよく謳う奏者がその典型だ。一方、ケニー・ドーハム、マイルス・デイヴィスや、このアート・ファーマー(Art Farmer 1928-99)のように高らかに謳い上げず、音を選び、どちらかと言えば穏やかでリリカルな演奏を得意とする奏者もいて、トランペットに限らず日本人は特にこの手の奏者を好んできた。陰翳の美を高く評価し、楽器は鳴らせばいいというものではないと言い、最小の音数とデリケートな奏法で、トランペットのもう一つの世界を提示する名人芸を我々は愛でてきたのである。アート・ファーマーは、ソニー・クラークの「Cool Struttin’」やジェリー・マリガンの「Night Lights」など、吹きまくる作品ではなくブルージーで陰のある作品でこそ、その目立たないが、シブく味わいのある個性が最高に発揮される奏者だ。ファーマーの相棒としてぴったりの資質を持つ、トミー・フラナガンという最高のピアニストによるトリオのサポートを得たこのワンホーン・カルテットによる「アート Art」(1961 Argo)は、そのシンプルさと静謐さゆえにベテランのジャズファンも時々帰ってみたくなる世界であり、ジャズの初心者が聴いても、ミディアム・テンポ中心の穏やかで、ソフトな音色とモダン・ジャズのエッセンスを楽しめるアルバムだ。

Modern Art
Art Pepper
1956/57 Intro
アート・ペッパー (Art Pepper 1925-82) も数多くの名盤を残し、特に1950年代の西海岸時代の演奏は多くの人が絶賛するように、どのアルバムを取っても天才的なメロディとアドリブラインに満ち溢れていて素晴らしい。しかしペッパーのもう一つの魅力は、その憂いと湿り気を帯びたような独特のアルトサックスの音色にある。ペッパーのアルトには西海岸の明るい光と影が同居しているのである。ワンホーン・カルテットによる「モダン・アート Modern Art」(1956/57)は、そのジャケットとタイトルが象徴しているように、ペッパーの諸作中でもとりわけブルージーで抑えたエモーションと麗しいアルトの音色など、全ての演奏で陰翳と知的な美しさが際立っている。全体に、そこはかとなく漂うノスタルジーもいい。サポートするメンバーもペッパーの名演を引き立て、特にラス・フリーマンの西海岸的ピアノが素晴らしい。本盤のCDは何種類か出ているが、アルトとベースのデュオによる<Blues In> から始まり、<Blues Out> で終わるという構成が示しているように、オリジナルLP収録順に何も追加編集していない盤を勧める。本作のように古典になっているジャズ名盤は、その時代のジャズ作品としてよく考えられたアルバム・コンセプトを持っていて、1枚のアルバム全体の与える印象も込みで作品として完結しているので、そういう聴き方をした方が楽しめるからだ。ただしアート・ペッパーの演奏そのものをもっと聴きたいという人は、<Summertime>などの追加曲が入ったCDを選んだらいいだろう。

French Story
Barney Wilen
1989 Alfa
バルネ・ウィラン (Barney Wilen 1937-96) は別項でも書いたが、1950年代からフランスで活動した名テナーサックス奏者で、映画「危険な関係」ではセロニアス・モンクやアート・ブレイキーなどとも共演している。70年代に一度引退した後、80年代後期に活動を再開し、1990年代になってからは日本のレーベル向けを含めて何枚かCDを吹き込んでいる。バルネのサックスには、ハードボイルド的な硬質さと共に、アメリカの黒人や白人プレイヤーにはない、フランス人の男性だけが持つ独特の抒情と色気のようなものがある。そしてその演奏からは、アメリカにはないヨーロッパ的陰翳の深さが聞こえてくる。フランス映画とジャズの相性の良さについては別項でも書いたが、バルネ・ウィランの演奏と音は、フランス映画独特の光と影のコントラストが常に感じられる映像にまさにぴったりなのだ。「ふらんす物語 French Story」はバルネ復帰直後の1989年に録音され、日本のアルファ・レコードからリリースされたアルバムで、<男と女>、<死刑台のエレベーター>、<シェルブールの雨傘>、<枯葉>など全曲が傑作フランス映画のサウンドトラックや名曲で構成されている。ピアノのマル・ウォルドロンが加わったワンホーン・カルテットによる演奏で、バルネの音といい、ウォルドロンの空間を生かしたモンク的プレイといい、カラーではなく陰翳の濃いモノクロ画面を見ているようなコントラストの強さが感じられる演奏と、それを捉えたサウンドも素晴らしい。現在は別ジャケットによるCDとアナログ盤 (French Movie Story) が再発されている。

2018/06/02

NHK「ブラタモリ」と「日本縦断こころ旅」

今回もジャズとは直接関係のない話だが、独特の当意即妙の反応と、がちがちの決めごとを嫌い、基本的に ”適当で、ゆるい” 雰囲気醸し出す自然な振る舞いが、いかにもジャズを感じさせる人について。
このキャラも…

テレビ離れが指摘されて久しいが、私も最近テレビは、ニュースとドキュメンタリーとサッカー以外ほとんど見ない。お笑いが仕切る内輪ネタやイジリ中心のバラエティ番組は、どれを見ても新味がないのでもう飽きた(こっちの年のせいもあるが)。ドラマも同じような題材と俳優ばかりで興味が湧かないが、今季のNHK朝ドラ「半分、青い。」はリズムとテンポが良く、今のところは面白いので別だ。「あまちゃん」以来の出来だろう。漫画的だが、脚本も演出も、主人公も俳優陣もとても良い。少し前だが「ちかえもん」や「おそろし」といった時代劇、今も続編をやっている「京都人の密かな愉しみ」のように、これぞNHKという名作もたまにあって、このあたりはさすがだ。やはり基本的に脚本と演出が良ければ、質が高くて楽しめるドラマができる。ところがそのNHKが、業績好調を背景に調子に乗っているのかどうか知らないが、民放の "まがいもの" のようなちゃらちゃらした、しかもいかにも金をかけたような毒にも薬にもならないバラエティ番組を最近やたらと増やしているように見える。若者受けや視聴率アップを狙ったお気楽なエンタメ指向を強めた上に、民放の仕事まで奪ってどうするのか。最近はNHKブランドに引かれて集まるタレントも多くなったようだが、それを利用しているようにも見える。同じ金をかけるなら、ネットでは伝えられない硬派のニュースやドキュメンタリー、あるいは民放にはマネのできない、良質な大人の番組にもっと投入してはどうか。こちらはそのために長年受信料という金を払っているのだ。NHK自身が放映している海外のドキュメンタリーなどは、派手さはなくとも深く鋭い番組がたくさんあるし、制作手法としてもまだまだ学ぶべきところがいくらでもある。そうした中にあって、金も旅費以外たいしてかかっていない低予算番組のように見え、視聴者への媚びもなく、中高年の鑑賞にも耐え、しかもリラックスして楽しめる貴重な番組が、地上波の「ブラタモリ」と、BSの火野正平の「日本縦断こころ旅」だ。

「ブラタモリ」は、タモリとアシスタントの女性アナウンサーが日本各地を訪ねて、その土地ならではの隠れた地理、地質、歴史や面白さを、実際に現地の人や専門家(これがまた個性的な人が多くて面白いが、特に素人然とした人の方が面白い)の案内で歩きながら探り、引き出すという番組だが、タモリのオタク度満点の博識ぶりと反応と解説で、地学や歴史を笑いながら学べる教養番組でもある。この番組は酒を飲みながら見ると、なぜか非常に楽しめる。こうしてNHKに出演するようになったタモリは、昔と違って今や大物感がないわけではないが、それでも知性に裏打ちされ、かつ肩の力を抜いた本来のオタク的タモリは、普通のお笑い芸人と違って受けようとか、媚びようとかする気配がまったくないので、そのカラッとしたクールさが相変わらず素晴らしい。何より、タモリ本人がいちばん面白がっている様子が伝わって来るところがいいのだ。草彅剛のナレーションも、井上陽水のテーマソングも、番組コンセプト通りに力の抜けた感じで統一されている。開始当初はNHK的でやや硬い部分もあったが、徐々に「タモリ倶楽部」の、あの ”ゆるい” 味わいをあちこち散りばめるようになって、今や番組全体のトーンも安定している。最初緊張してぎこちない新アシスタントの女性アナウンサーが、いずれも徐々に番組のペースに慣れて、タモリ氏とぴったり息が合うようになってくるところも見どころだ(今度のリンダ嬢は少しタイプが違うが)。ただ彼女たちがどういう基準で選ばれているのかはわからないがNHK女子アナの出世コースデビューの場のようになって、背後のNHK的売り出し意図がどことなく見えるようになってきたことは、番組の素朴な面白さを損なうようで、私的には何となく抵抗を感じる最初からそういう意図があったのかも知れないし、タモリ氏との相性や好みも当然反映されているのだろうが)

一方火野正平の「こころ旅」は、自転車に乗った全員貧乏そうな(?)クルーが、これも日本の各県、全国津々浦々を走りながら視聴者の手紙に書かれた思い出の場所「こころの風景」を、夏冬の休憩期間を除き、雨の日も風の日も週4日間毎日訪ねるという趣向で、こちらも番組としてはスタッフの旅費以外たいして金はかかっていないだろう(夜の宴会はどうか知らないが)。名所旧跡に行ったり、上等な料理を食べて蘊蓄を語るわけでもなく、どこにでもあるような日本の町や村を、山坂超えて毎日一箇所訪れて、時にはしみじみとしながら手紙を読むだけの番組で、火野正平の昼食など毎日のようにナポリタンやオムライスだ(本人が好きなこともあるが)。貧富で言えば、タモリの番組より低予算だろうし(たぶん)、正平の体力だけが頼りの番組だが、こちらも正平氏の肩の力の抜き加減が絶妙だ。それに自転車目線の映像を見ていると、どことなく懐かしさを感じるあちこちの町や村の田舎の風景が毎回のように出て来る。正平氏も言うように、この番組がなかったら絶対に行かないような場所が毎日テレビで見られるのだ。自分が自転車に乗ってそこを走っているように思えてくるし、不思議なことに風の匂いまで感じられるような気がするときもある。この空気まで感じられるライブ感は他の番組では絶対に味わえない。生きもの、動物、草木への興味と意外な知識(妙に目が良くて、すぐに何か見つける)、特に昆虫から爬虫類、犬や猫、牛や馬、といった動物まで、生きもの人間の子供含)たちとの垣根をまったく感じさせない火野正平のほとんど小学生並みの野生児ぶりも見もので(相手も確かにそういう無防備な反応をするのだ)、これも子供時代を思い出して懐かしく感じる理由だろう。自虐ネタ、ダジャレ、下ネタやあからさまな女好きの性向、途中で出会う相手によって微妙に距離感を変える態度や反応(やはり構える人は苦手のようで、動物と同じく無防備な人が好みのようだ)、一方で、時折見せる子供のような純真さや温かな人間味など、とにかく正平氏の体力と同時に、その唯一無二とも言うべき自由な自然体キャラの魅力で持っている番組だ。当初は独特の正平ファッション(頭部以外)にも感心せず、たまにしか見なかったのだが、のんびりした展開や彼の人間性の魅力に段々と気づき、何よりリラックスできるので今ではすっかりファンになって毎日見ている(ファッションも以前よりだいぶ垢抜けた)。歌や音楽もなかなかいいので、番組のテーマ音楽CDまで買ってしまった。

「ブラタモリ」は放送開始後10年、「こころ旅」も既に7年になるそうで、両方とも今や立派な長寿番組だ。その間タモリ氏は72歳に、正平氏は69歳になり、普通のサラリーマンならとっくに引退している年齢である。それでも体を張って頑張るその元気さと好奇心に、中高年から絶大な支持と声援を得るのは当然だろう。両方とも旅番組の一種なのだろうが、あまたのその種の番組と違って、企画力と、知恵と、何より主人公のキャラの魅力で勝負していて、無駄に金をかけた感じがせず、作り物感のないライブ・ドキュメンタリーという印象を与えるところが共通している。片や、一見勉強はできるが陰で何やら怪しいことをしていそうな学級委員長、片や勉強は嫌いだが愛すべきクラスの悪ガキという、同じ面白さでも、いわば知と情という両者のキャラの対比も良い。それとおそらく、タモリと火野正平本人が番組の企画内容そのものに深く関与しているのだろう。それがNHKらしからぬ自由と自然さを番組に与えている。タモリ氏はたぶんもう金持ちだからいいだろうが、NHKはくだらないバラエティに金を使う代わりに、時代劇やドラマの仕事が減り1年の大半をこの番組に捧げていて、しかも日本中にファンがいる火野正平のギャラを上げるか、感謝の印としてたまには御馳走を食べさせたり、酒をたっぷり飲ませてやるとか(やっているのかも知れないが)、あるいはいつも前歯で噛んでいて、ついに抜けてしまったかに見える奥歯の治療費の援助でもしてやったらどうか(奥歯は番組のための彼の体力維持に必須だ。つまり治療は必要経費だ。多少痛いがインプラントを勧める。今ならまだ間に合う)。タモリ氏と正平氏には、こうなったら頑張って死ぬまで番組を続けてもらいたいものだと思う。

2018/05/25

初夏の金沢から京都を巡る

金沢「もっきりや」
2年ぶりに金沢へ行った。会社時代のOB会を定期的にやっているのだが、昔は金沢で定例会議をやっていて、そのとき一緒に酒と仕事で楽しんだメンバーが集まってやる宴会だ。金沢には1980年前後からたぶん何十回となく行っていると思うが、兼六園など12度しか行ったことがなく、よく知っているのは片町周辺の飲み屋街だけだ。そこなら目をつぶっても歩けるくらいだ。しかし、何十年も昔から通った飲み屋やバーも今はほとんど店を閉めてしまい、1軒だけ残っていたバーも今回はついに店をたたんでいた。経営者もみんな年をとるので仕方がない。水商売の宿命だ。しかし地元の馴染みの店や人がいなくなるということは、長年楽しい時間を共有していた場と記憶も一緒に消え去るということで、その土地とも縁が切れるということなのだろう。寂しいがこれも仕方がない。かつてにぎわっていた夜の片町も随分と人出が減ったように感じた。どこでもそうだが、昔みたいに毎晩のように飲みに出かけるサラリーマンの数が減ったからだろう。企業の地方支店が減ったこともある。それに銀座を見てもわかるが、かつての日本企業の交際費の威力がどれほどだったのかも思い知らされる。金沢でもその代わり町を歩く外国人の姿がだいぶ増えたようだ(ただし地元の人の話では、余り金は落とさないという)。新幹線も来て、金沢城も美しく修復・整備され、町も相変わらずきれいで清潔なので、やはり益々夜の酒より観光で生きる街になるのだろう。だが便利になった一方で、昔のようにはるばるやって来たという旅情はどうしても薄れる。雪も昔ほどには降らなくなって、酒と魚を楽しむ冬の風情もやや薄れた(地元の人には歓迎すべきことなのだろうが)。昼間、久々に兼六園に行く途中、市役所裏手にある「もっきりや」に初めて行ってみた。金沢最古のジャズ喫茶兼ライブハウスということだが、ピアノが置いてある以外、昼間はごく普通の喫茶店だった。ライブ・スケジュールを見ると、ジャズに限らずなかなかコアな人選で、今も元気に営業しているようだ。当日はノルウェーのヘルゲ・リエン(p)他のトリオが出演予定だったが、宴会と重なってしまったので、残念ながら行けなかった。

嵐山 外人和装コスプレ?
二日酔い気味のまま北陸本線で京都に移動した。せっかくなので回り道したのだ。京都は何度も行っているし、行くたびにもういいかと思うのだが、しばらくするとまた行きたくなるのが不思議である。こちらは今の銀座と同じで、それこそどこへ行っても外国人だらけだ。ごったがえす錦市場など歩いている人の9割が外国人で、残る1割の日本人のそのまた9割が修学旅行生だ。それがあちこち立ち止まって見物しているので、満員電車並みの混雑でほとんどまともに歩けない。ただし銀座と違うのはアジア系が少なく、西欧系の人が多いことだ。昔、アジアの人たちを連れて京都を案内したことがあるが、彼らがいちばん興味を示したのが安売り家電店とかそういう買い物の場所だった。聞くと、特に中国、台湾系の人たちは京都の神社仏閣を見ても別におもしろくも何ともないという。東アジアの古代文化は共通しているものが多いし、たぶん自分たちの方が先祖だと内心思っているからで、そこは韓国系の人も同じだろう。しかし今の台湾の若い人たちなどは、親近感と日本のファッションやカルチャーに関心が高いので、昔とは違うようだ。だが共通しているのは、派手な赤い鳥居の平安神宮や伏見稲荷が好きなことだろう。彼らは西洋人と違って日本的 “わびさび” に興味はなく、とにかく縁起の良さそうな場所や派手な建物が好きなのだ。それと嵐山のような風光明媚な場所が好まれるのは洋の東西を問わない。妙な和服を着たコスプレ観光客もたくさん見かけた。まあ、せっかくはるばるやって来た観光地なので、大いに楽しんでもらったらいいと思う。海外の観光地と違って、“おもてなし” 日本、特に京都では、こうした気軽なエンタテインメント性が過去は確かに不足していた。

京都「YAMATOYA」
前日の大雨があがって天気が良かったので、今回も嵐山、嵯峨野、南禅寺周辺などいつものコースを歩いたが、どこも外国人観光客で一杯だ。ところが普段ろくに歩かないのと、炎天下に水も飲まずに歩いたせいか熱中症気味になって頭が痛くなった。高齢者に熱中症になる人が多いのは、子供時代に「水を飲むとバテる」と昔の運動部などで刷り込まれた原体験が影響しているような気がする。今は知識として水分補給が大事だと頭ではわかっているのだが、水を飲むことにどこか罪悪感のようなものがあって、無意識のうちについ避けているからだ。そこで冷たいコーヒーを求めて、超有名になり、もはやジャズ喫茶とは呼べない気もするが、京都に残された数少ないジャズを流す喫茶店「YAMATOYA」に2年ぶりに行った。平安神宮裏手の路地にあって、いつも穏やかな老夫妻がやっている店だ。店内は昔のジャズ喫茶とは大違いで、木目のアップライトピアノをはじめ、京都らしくゴージャス感さえ漂う洗練された内装と調度類、大量のレコードに加え、ヴァイタボックスのスピーカーやアナログ・プレイヤーなど、これまた美しいオーディオ機器が鎮座している。音も昔のような大音量ではなく、小さな音で静かな店内に流れているだけで、何度行ってもどこかほっとして落ち着ける店だ。ジャズが流れ、ゆっくりできる、こうした雰囲気を持つ喫茶店はもう京都ではここだけだろう。ご夫妻にはいつまでも元気で続けてもらいたいものだと思う。そこに置いてあった「Rag」というライブハウスのスケジュール表で、長谷川きよしの名前を見かけた。まだ京都で暮らしているようだ。613日には誕生日ライブがあるそうだ。金沢「もっきりや」に出ていたヘルゲ・リエンの名前も、その週のライブ予定にあった。

鞍馬といえば
翌日は叡山電鉄のワンマン電車でのんびりと鞍馬寺に向かった。一度も乗ったことがなかったが、確かに京都北方の山々は奥行きが深い。徐々に山奥へと向かって行く途中、大学がいくつもあるのに驚いた。とはいえ、出町柳から鞍馬口駅まではたった30分だ。考えたら新宿駅から高尾山口に行くよりずっと近い。本殿金堂(標高410m)までの急坂を歩いて登る気はしなかったので、当然往復とも途中までだがケーブルカーを使った(寺が運営している)。それでも最後の急階段の上り下りには手こずった。もっと年を取ったら間違いなく来られないだろう。ここも参拝者の半分以上は欧米系外国人で、本殿金堂前の六芒星のところで、彼らも律儀に例のパワースポットのおまじないをやっていた。この辺りはやはり秋に来たらさぞかし景色が素晴らしいだろうと思った(大混雑は必至だろうが)。貴船神社にも行って、貴船川の川床で涼みたかったのだが、とにかくその日は暑くて行く気力が出ずやめた。

暑さで「もういや」と駄々をこねる馬
山から下りて、次に北山通の賀茂川近辺で「葵祭」の午後の部を見学した。葵祭は初めてだったが、混雑するという下鴨神社あたりは避けて、並木道で木陰のある沿道を事前に調べておいたのだ。仮装行列みたいなものだが、古(いにしえ)からの凝った装束や、道具や、飾り立てた牛車など、京都ならではののんびりとした優雅な一団の行進は確かに見ごたえがある。ところが5月なのに当日は30度を超え、余りの暑さに、重たそうな重ね着装束を着た人たちも、人を乗せた馬も、牛車を引く牛も、全員「もう堪忍してや」という顔をして歩いていた。7月の祇園祭は一度行って、文字通り蒸し風呂のような余りの暑さに二度と行かなくなったが、本来爽やかな季節のはずの5月半ばの葵祭がこんな気候では、もうやる方も見る方も、あまり楽しめなくなっているのではないか。今の5月はもう新緑も終わっているし、亜熱帯化している近年の日本の5月は、はっきり言って、もう初夏どころではなく真夏に近い日が多い。最近は春も秋も本当に短くて、あっという間に夏や冬になる。京都のいちばん良い季節も益々短くなってきているということだ。実際もうベストシーズンは4月と11月だけになっていて、そこに世界中から観光客が一気に押し寄せるのでごったがえして、とてもゆっくり観光などできない。冬がすいていていちばん楽しめると思って、一度2週間ほどゆっくり滞在しようと2月初めに企てたことがあるが、確かにすいてはいたが、余りの寒さにあっという間に風邪をひいてしまい、早々に退散した。いったい、いつ行けばいいんだ?

2018/05/18

アメリカン・バラード: チャーリー・ヘイデン

アメリカに行ったことがある人なら、飛行機の窓から初めて眺めるアメリカ大陸の広大さに驚くのが普通だ。何せ昔は4時間飛んでも西海岸から東海岸に辿り着けなかったのである。ニューヨークなどの大都市を別にすれば、アメリカという国の大部分は田舎で、場所によっては地上に降りても山や起伏がどこにも見当たらない場所もある。どこまで行っても地平線しか見えない真っ平な土地なのだ。そういう場所で生まれ育った人がどういう世界観や感性を持つようになるのかは、日本のように四方を山で囲まれた狭い土地で育った人間には想像もできない。

Gitane
1978 All Life
アメリカは同時に雑多な人種が入り混じって出来上がった国でもある。植民地から独立して建国したのは1776年(江戸時代中期)であり、日本の明治維新の頃には内戦・南北戦争があって、1865年にそれまで続けてきた南部の奴隷制がようやく廃止され、表向きは黒人が解放されたものの、彼らに国民として当たり前の公民権を与える法律がようやく制定されたのは、それから100年経った1964年、東京オリンピックの年である。それまで奴隷だった黒人に加え、アメリカ先住民、フランス系、イギリス系、アイルランド系、ドイツ系、オランダ系、イタリア系、ユダヤ系、中南米系、アジア系などあらゆる人種が移民として集まり、混在しながら国を形成してきた。日本人のように、生まれた時から同じような顔をして、同じ言語を話し、同じ文化を持つ人たちに囲まれているのが当たり前で、何千年もそれを不思議とも思わず、海という国境線のおかげで「国家」すら意識せずに生きて来た国民と、アメリカ人の世界観や感性が違うのは当然だろう。彼らは “たった” 240年前から、先祖に関わらず「アメリカ」という自分の属する国をまず意識し、次に「アメリカ人である自分」も常に意識しなければならなくなった。常に「自分は何者か」ということ(Identity)を意識しなければ生きて行けないのがアメリカ人なのだ。そのためにはまず、あるべき理想(Vision)を掲げ、そこに到達するための目標(Goal)と道筋(Strategy)を定め、さらにいくつかのステップ(Milestone)を決め、それを他者に提案し、説明し、合意を得ることを常に強いられることになった。個人レベルでも組織レベルでも、このプロセスは同じだ。自らの主張とそれを他者に分かりやすく伝えるためのプレゼンテーション、というアメリカでは必須とされるコミュニケーション技術はこうして生まれ、育まれてきた。この国では、“黙って” いては誰も自分の存在を認識してくれないのだ。それは絶えざる自己表現と、他者との競争というプレッシャーを受け続けることでもある。だがその重圧を担保してきたのが、広大な土地と豊かな資源、それに支えられた豊かな経済、移民に代表される開かれた社会、誰でも多様な生き方を選べる自由、そして誰にでもある成功のチャンス、アメリカン・ドリームだった。

Beyond the Missouri Sky
1997 Verve
そういう国で生きるアメリカ人が感じる見えないプレッシャーは、いくらアメリカ化してきたとは言え、基本的に何でもお上が決めて、それに従い、同じような人間同士が和を第一として組織や共同体に従順に生きてきた日本人のそれとは違うものだろう。だからその重圧や、そこから逃れてほっとする気分を表現した音楽の印象もどこか違う。差別され続けてきた黒人は歴史的にブルースやジャズという音楽の中で、そのどうにもならない重圧と嘆きを歌うことで、そこから解放されるささやかなカタルシスを得てきたのだろう。一方の白人音楽家も、アメリカのポピュラー音楽の作曲家やジャズ・ミュージシャンに見られるようにユダヤ系の人たちが多く、彼らは黒人ほどの差別は受けなくとも、異教徒としての微妙な疎外感とアメリカで生きる重圧から逃れて、ほっとできる、心を癒す美しい音楽を創り、また演奏してきた。ただし、どんなバックグラウンドを持った人でも、アメリカという新しい国への帰属意識を持ち、そこで生きながら、同時に自分の先祖のルーツを知りたいという潜在的願望は常に持っていることだろう。ジャズは、そうした複雑な人種的、文化的混沌を背景に持つ「アメリカという場所」で生まれた音楽なのだ。果ての見えない大地を感じさせるようなパワーと雄大さ、細かなことにこだわらない自由と寛大さ、現在に捉われずに常に新しい何かを求める革新性を持つ一方で、自分が何者なのかを常に意識せざるを得ない不安と繊細さを併せ持つのがアメリカという国と人とその音楽の特徴だろう。ジャズの中にも、アフリカへの郷愁につながる黒人のブルースの悲哀だけではなく、そうした複雑な背景を持つ「アメリカ人」ならではの哀愁や郷愁を強く感じさせる音楽がある。自らを “アメリカン・アダージョ” と称していたベーシスト、チャーリー・ヘイデン Charlie Haden (1945-2014) のリーダー作や参加作品には、そのような気配が濃厚なアルバムが多い。

Nocturne
2001 Verve
チャーリー・ヘイデンというベーシストは、私にはいわゆるアメリカ人の原型のような人に見える。基本的にアメリカを心から愛し、知性とチャレンジ精神に満ち、人間的包容力と人格に秀で、また善意のコスモポリタンであり、世界の様々な国の人と分け隔てなく協働でき、幅広い人脈を持ち、しかしアメリカ的正義の観点からは他国の政治問題にも口を出し、思想やコンセプトを重視し、またそれを実現するためのプロデュース能力に秀でている……という私の勝手なイメージが正しければ、これは伝統的アメリカ中産階級のリーダー像そのものだ。これに、どんな相手にも合わせられるバーサタイルなジャズ・ベーシストという本来の仕事を加えるとチャーリー・ヘイデンになる。この人間分析が当たっているかどうかはともかく、ヘイデンのキャリアと、そのベースからいつも聞こえてくる悠然とした、豊かで安定した音からすると、あながちはずれていないような気もする。ジャズ史に残る白人ベーシストと言えば、早世したスコット・ラファロや今も活動しているゲイリー・ピーコックなどが挙げられるが、ヘイデンも彼らとほぼ同世代だ。ベースの専門家でもないので、黒人ベーシストと非黒人ベーシストとの演奏上の本質的違いなどはよくわからないが、ニールス・ペデルセンやエディ・ゴメスなども含めて、共通点はどちらかと言えば “ビート” の印象よりも、よく “歌う” ということではないだろうか。ヘイデンはこれらの奏者に比べると高域まで歌いあげることは少ないが、ウッド・ベース本来の低域の太く重量感のある歌を伝える技量にとりわけすぐれていると思う。フリージャズで鍛えられた和声とリズムへの柔軟な対応もそうだ。そして彼のもう一つの特徴が、上記のアメリカ的抒情と郷愁を強く感じさせる演奏と作品群である。

ヘイデンは1950年代末からオーネット・コールマン、キース・ジャレット、ポール・ブレイ、カーラ・ブレイ、パット・メセニーなど数多くの、多彩な、かつ革新的なミュージシャンと共演し、数多くのアルバムを残してきた。ここに挙げた私が好きな4枚のアルバムはそれぞれ異なるコンセプトで作られているのだが、どの作品からも “アメリカン・バラード” とも言うべき、癒しと懐かしさの漂う、ある種のヒーリング・ジャズが聞こえてくるような気がする。ジャズシーンへの本格的参画がアヴァンギャルドだったことを思うと意外だが、アイオワ州出身のヘイデンが子供の頃から聞いてきたヒルビリーやカントリー・アンド・ウェスタン(C&W)という、黒人のブルースとは別種の、これもまた多くのアメリカ人の心に深く染みついた固有のフォーク音楽がその音楽的ルーツとなっているからなのだろう。

Nearness of You
The Ballad Book
2001 Verve
「ジタン Gitane(1978)は、フランスのジプシー系ギタリスト、クリスチャン・エスクーデとのギター・デュオでジャンゴ・ラインハルトへのトリビュートだが、雄大で骨太なヘイデンのベースがエスクーデのエキゾチックで鋭角的なギターを支え、最後まで緊張感が途切れず、聞き飽きない稀有なデュオ作品だ。ヘイデンはこの他にも多くの優れたデュオ・アルバムを残しているが、中でもパット・メセニーとの美しいギター・デュオ「ミズーリの空高く Beyond the Missouri Sky(1997)は、タイトル通りメセニーの故郷ミズーリ州をイメージしたアメリカン・バラードの傑作だ。一方キューバのボレロを題材にし、漆黒の闇に浮かび上がるような甘く濃密なメロディが続くラテン・バラード集「ノクターン Nocturne(2001)もヘイデン的傑作であり、ゴンサロ・ルバルカバ(p)、ジョー・ロヴァーノ(ts)に加え、ここでも一部メセニーが参加して、究極の美旋律を奏でている。そして、マイケル・ブレッカー(ts)をフィーチャーし、パット・メセニー、ハービー・ハンコック(p)、ジャック・デジョネット(ds)、さらに一部ジェームズ・テイラーのヴォーカルまで加えた「ニアネス・オブ・ユー The Ballad Book(2001) も、まさしくヘイデン的アメリカン・バラードの世界である。これらのアルバムとそこでのヘイデンのベースを聴くと、私はまず「アメリカ」をイメージし、そして会社員時代に付き合っていた、素朴で善良なアメリカ人の典型のような人物だった、心優しいある友人をいつも思い出すのである。

2018/04/06

仏映画「危険な関係」4Kデジタル・リマスター版を見に行く

日本映画の新作「坂道のアポロン」に続き、恵比寿ガーデン・シネマで特別上映されている仏映画の旧作「危険な関係(Les Liaisons Dangereuses 1960)」4Kデジタル・リマスター版を見に行った。この映画のサウンドトラックになっているジャズ演奏の謎と背景については、当ブログで何度か詳しく書いてきた。ただこれまでネットやテレビ画面でしか見ていなかったので、リマスターされたモノクロ大画面で、セロニアス・モンクやアート・ブレイキーの演奏を大音量で聞いてみたいと思っていたので出かけてみた。

18世紀の発禁官能小説を原作にしたロジェ・ヴァディムのこの映画は、その後何度もリメイクされるほど有名な作品だが、その理由は、単に色恋好きのフランス人得意の退廃映画という以上に、男女間の愛の不可思議さと謎を描いた哲学的なテーマが感じら取れるからだろう。もちろん出演するジェラール・フィリップ、ジャンヌ・モロー他の俳優陣が良いこともあるし、ジャズをサウンドトラックにしたモノクロ映像と音楽の斬新なコンビネーションの効果もある。映画の筋はわかっているので、今回は主にジャズがサウンドトラックとしてどう使われているのかということに注意しながら見ていた。この映画の音楽担当の中心だったモンクの<クレパスキュール・ウィズ・ネリー>で始まるチェス盤面のタイトルバックは、再確認したが、アート・ブレイキーのグループ、デューク・ジョーダンたちの名前は出てくるが、画面にアップになってトランペットを演奏するシーンがあるケニー・ドーハムの名前だけ、やはりなぜか見当たらなかった。映画の画面に登場するジャズ・プレイヤーで目立つのは、ドーハムの他、当然ながら当時売り出し中の若いフランス人バルネ・ウィラン(ts)、パリに移住して当時は10年以上経っていたはずのケニー・クラーク(ds)に加え、デューク・ジョーダン(p)の後ろ姿などで、特にもはや地元民のケニー・クラークのドラムス演奏シーンがよく目立つように使われている。

サウンドトラックの楽曲としては、やはりアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズによる<危険な関係のブルース(No Problem)>が、派手な演奏ということもあって、冒頭から最後までいちばん目立った使い方をされていて、特にジャンヌ・モローの顔のアップが印象的なエンディングに強烈に使われているので、彼らのレコードが映画の公開後ヒットしたというのも頷ける。ただし以前書いたように、この曲はデューク・ジョーダン作曲であり、しかもブレイキー、リー・モーガン(tp)、ボビー・ティモンズ(p)、ジミー・メリット(ds)というメッセンジャーズ側は、バルネ・ウィランを除き映画には出ないで音だけで、代わってジョーダンを含む上記のメンバーが出演している(もちろんセリフはないが)という非常にややこしい関係になっている。モンクの演奏は、この映画のサウンドトラックに使われた1959年のバルネ・ウィランを入れたクインテット(チャーリー・ラウズ-ts、サム・ジョーンズ-b、アート・テイラー-ds)によるスタジオ録音テープが、音楽監督マルセル・ロマーノの死後2014年に55年ぶりに発見されて、昨年CDやアナログレコードでも発表されたので、映画中の演奏曲名もよくわかるようになった。しかしじっと見ていると、いかにもモンクの曲らしい<クレパスキュール・ウィズ・ネリー>と<パノニカ>の独特のムードが、男女間の退廃的なテーマを扱ったこの典型的なフランス映画の内容にいちばんふさわしいことが改めてよくわかる。そしてモンクの他の楽曲もそうだが、当時はやった派手な映画のテーマ曲に比べて、モンクの音楽がどれもまったく古臭くなっていないところにも驚く。監督ロジェ・ヴァディムは、やはりジャズがよくわかっている人だったのだろう。

Les Liaisons Dangereuses 1960
(1959 Rec/2017
Sam Records/Saga Jazz)
「危険な関係」は1959年制作(公開は1960年)の映画だが、この時代1960年前後は、1940年代後半からのビバップ、クール、ハードバップ、モードというスタイルの変遷を経て、音楽としてのモダン・ジャズがまさに頂点を迎えていたときである。ブレイキー他によるハードバップの洗練と黒人色を強めたファンキーの流れに加え、マイルス・デイヴィスによるモードの金字塔「カインド・オブ・ブルー」の録音も1959年、飛翔直前のジョン・コルトレーンの「ジャイアント・ステップス」も同じく1959年、我が道を行くモンクもCBSに移籍直前のもっとも充実していた時期、さらにギターではウェス・モンゴメリーが表舞台に登場し、ピアノではビル・エヴァンスの躍進もこの時代であり、音楽としてのパワーも、プレイヤーや演奏の多彩さも含めて、ジャズ史上のまさに絶頂期だった。ジャズはもはや大衆音楽ではなく、ハイアートとしても認知されるようになり、当時の思想を反映する音楽としてヨーロッパの知識人からの支持も得て、中でもヌーベルバーグのフランス映画と特に相性が良かったために、この「危険な関係」、マイルスの「死刑台のエレベーター」、MJQの「大運河」などを含めて多くの映画に使われた。実は私は「危険な関係」(日本公開は1962年)をリアルタイムで映画館で見ていないのだが、こうしてあらためて60年近く前の映画を見ても、映像と音楽のマッチングの良さは、なるほどと納得できるものだった。1960年代の日本では、のっぺりと明るいだけのアメリカ映画と違って、陰翳の濃いイタリア映画やフランス映画が今では考えられないほど人気があって、何度も映画館に通ったことも懐かしく思い出した。アメリカ生まれではあるが、アフリカやフランスの血も混じったいわばコスモポリタンの音楽であるジャズと、常に自由を掲げた開かれた国フランスの映画は実にしっくりと馴染むのだ。

しかしこの時代を境に、べトナム戦争や公民権運動など、60年代の政治の時代に入るとモダン・ジャズからはわかりやすいメロディ“が徐々に失われてゆき、ロックと融合してリズムを強調したり、ハーモニーの抽象化や構造の解体を指向するフリージャズ化へと向かうことになる。だから、いわゆる「古き良き」モダン・ジャズの時代はここでほぼ終わっているのである。スウィング時代の終焉を示唆する1945年終戦前後のビバップの勃興がジャズ史の最初の大転換とすれば、二度目の転換期となった1960年前後は、いわゆるモダン・ジャズの終焉を意味したとも言える。その後1960年代を通じて複雑化、多様化し、拡散してわかりにくくなったジャズの反動として、政治の時代が終わった1970年代に登場した明るくわかりやすいフュージョンが、メロディ回帰とも言える三度目の転換期だったとも言えるだろう。さらに、アメリカの景気が落ち込んだ1980年代の新伝承派と言われた古典回帰のジャズは、そのまた反動だ。1990年代になってIT革命でアメリカ経済が息を吹き返すと、またヒップホップを取り入れた明るく元気なものに変わる。こうしてジャズは、音楽としてわかりやすく安定したものになると、自らそれをぶち壊して、もっと差異化、複雑化することを指向し、それに疲れると、今度はまたわかりやすいものに回帰する、という自律的変化の歴史を繰り返してきた。別の言い方をすれば大衆化と芸術化の反復である。マクロで見れば、その背後に社会や政治状況の変化があることは言うまでもない。なぜなら、総体としての商業音楽ジャズは、時代とそこで生きる個人の音楽であり、その時代の空気を吸っている個々の人間が創り出すリアルタイムの音楽だからである。聴き手もまた同じだ。だから時代が変わればジャズもまた変化する。ジャズはそうした転換を迎えるたびに「死んだ」と言われてきたのだが、実はジャズは決して死なないゾンビのような音楽なのだ。逆にそういう見方をすると、セロニアス・モンクというジャズ音楽家が、いかに時代を超越した独創的な存在だったかということも、なぜ死ぬまで現世の利益と縁遠い人間だったかということもよくわかる。映画の画面から流れる<パノニカ>の、蝶が自由気ままにあてどなく飛んでいるようなメロディを聴いていると、その感をいっそう強くする。

ところでこの映画は、昨年7月に亡くなった名女優ジャンヌ・モローを追悼して新たにリマスターされたものらしく、公開は同館で324日から始まっていて、413日まで上映される予定とのことだ。しかし私が座ったのは真ん中あたりの席だったが、この映画館の構造上どうしても見上げる感じになるので首が疲れるし、下の字幕と大きな画面の上辺を目が行ったり来たりするので目も疲れる。年寄りは高くなった後方席で、画面を俯瞰するような位置で見るのが画も音もやはりいちばん楽しめると思った。この映画館の音量は、「坂道のアポロン」と「ラ・ラ・ランド」の中間くらいの大きさで、まあ私的には許容範囲だった。観客層の平均年齢は平日の昼間だったので、予想通りかなり高年齢のカップルが多かった。昼間働いている普通の人には申し訳ないようだが、まあ今はどこへ行っても平日の昼間はこんな感じである。また面白そうなジャズがらみの映画が上映されたら行ってみようと思う。

2018/03/22

映画「坂道のアポロン」を見に行く (2)

映画中で演奏されていた曲を聴いていたら懐かしくなって、昔聴いていたLPCDを久しぶりにあれこれ引っ張り出して聴いてみた。みな有名曲なので、当時は耳タコになるくらい聴いていたレコードばかりだ。

オールド・ジャズファンなら知らない人はいない「モーニン Moanin’(1959 Blue Note) は、ドラマー、アート・ブレイキー(1919-90)の出世作であり、このアルバムをきっかけにして、ブレイキーはジャズの中心人物としての地位を固めてゆく。続く「危険な関係」、「殺られる」のようなフランス映画のサウンドトラックのヒットで、ヨーロッパでも知られるようになり、その後1961年に初来日して、日本にファンキーブームを巻き起こし、日本におけるジャズの人気と認知度を一気に高めた功労者でもある。当時のモンク、マイルス、コルトレーンたちが向かったジャズの新たな方向とは違い、50年代半ばから主流だったハードバップの延長線上にファンキーかつモダンな編曲を導入したベニー・ゴルソン(ts)が、より大衆的なメッセンジャーズ・サウンドを作り出してジャズ聴衆の層を拡大した。このアルバムのメンバーは、この二人にリー・モーガン(tp)、ボビー・ティモンズ(p)、ジミー・メリット(ds)が加わったクインテット。録音されたのが「アポロン」の時代より78年前ということもあって、昔はそれほど感じなかったのだが、今聴くと、実にテンポがのんびりしていることに気づく。訳書「セロニアス・モンク」の中で、ブレイキーとモンクとの親しい間柄の話も出て来るが、二人の個人的関係や、“メッセンジャーズ”というバンド名と人種差別、イスラム教(アラーの使者)との関係など、この本を読むまで知らなかったことも多い。このメンバーからはリー・モーガンがブレイクして大スターになるが、ブレイキーはその後もウェイン・ショーター(ts)80年代のウィントン・マルサリス(tp)をはじめ、メッセンジャーズというバンドを通じて、長年にわたってジャズ界の大型新人を発掘、育成してきた功労者でもある。アルバム・タイトルでもある冒頭曲<モーニン>は、NHK「美の壺」のテーマ曲でもあり、日本人の記憶にもっとも深く刻印されたジャズ曲の一つで、まさに「アポロン」の中心曲にふさわしい。

<マイ・フェイバリット・シングスMy Favorite Things>は、もちろんミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の劇中曲で、日本では今はJRCMでも知られているが、ジャズでこの曲が有名になったのは、ジョン・コルトレーン(1926-67) がソプラノサックスで演奏した同名タイトルのアルバムを発表してからだ(1961 Atlantic)。コルトレーンはその後この曲を愛奏曲にしたが、さすがにこれは聞き飽きた。それ以降ジャズではあらゆる楽器でカバーされてきたし、近年のピアノではブラッド・メルドー(p)のライヴ・ソロのバージョン(2011)が素晴らしい演奏だ。しかしコルトレーンの演奏と、何せ元メロディの美しさと3拍子のリズムがあまりに際立って印象的なので、どういじってもある枠から逸脱しにくいところが難しいと言えば難しい曲だ。そういう点から、むしろオーソドックスに徹したロバート・ラカトシュRobert Lakatos1965-)のモダンなピアノ・トリオ「ネバー・レット・ミー・ゴーNever Let Me Go」(2007 澤野工房)の中の演奏が、手持ちのレコードの中ではいちばん気に入っている。ラカトシュはハンガリー出身の、クラシックのバックグラウンドを持つピアニストで、澤野には何枚も録音している。演奏はクールでタッチが美しいが、同時にハンガリー的抒情と温か味、ジャズ的ダイナミズムも感じさせる非常に完成度の高いピアニストだ。このアルバムは録音が素晴らしいこともあって、タイトル曲をはじめ、他のジャズ・スタンダードの選曲もみな美しく透明感のある演奏で、誰もが楽しめる現代的ピアノ・トリオの1枚だ。

チェット・ベイカーChet Baker(1929-88)は、若き日のその美貌と、アンニュイで中性的な甘いヴォーカルで、1950年代前半の西海岸のクール・ジャズの世界では、ジェリー・マリガン(bs)と共に圧倒的人気を誇ったトランぺッター兼歌手だ。しかし外面だけでなく、メロディを基にしたヴァリエーションを、ヴォーカルとトランペットで自在に展開する真正のジャズ・インプロヴァイザーとして、リー・コニッツも高く評価する実力を持ったジャズ・ミュージシャンでもあった。またベイカー独特の浮遊するような、囁くようなヴォーカルは、ボサノヴァのジョアン・ジルベルトの歌唱法にも影響を与えたと言われている。「チェット・ベイカー・シングスChet Baker Sings」(1954/56 Pacific)は、そのベイカー全盛期の歌と演奏を収めた代表アルバムであると共に、「アポロン」で(たぶん)唄われた<バット・ノット・フォー・ミー>に加え、<マイ・ファニー・ヴァレンタイン>などの有名曲も入った、あの時代のノスタルジーを感じさせながら、いつまでも古さを感じさせない文字通りオールタイム・ジャズ・レコードの定盤でもある。ただし問題はベイカーの人格だったようで、アート・ペッパーやスタン・ゲッツなど当時の他の白人ジャズメンの例に漏れず、その後ドラッグで人生を転落して行き、前歯が抜け、容貌の衰えた晩年も演奏を続けたものの、結局悲惨な最後を遂げることになるという、絵に描いたような昔のジャズマン人生を全うした。

<いつか王子様が (Someday My Prince Will Come)>もディズニーの有名曲のジャズ・カヴァーだが、デイヴ・ブルーベック(p)の「Dave Digs Disney」(1957 Columbia)、マイルス・デイヴィスの同タイトルのアルバム(1961 Columbia)と並んで、やはりいちばん有名なピアノ・バージョンはビル・エヴァンス(1929-80) の演奏だ。エヴァンスはライヴ演奏も含めて何度もこの曲を録音しているが、やはり「ポートレート・イン・ジャズPortrait in Jazz」(1959 Riverside)が、エヴァンスの名声と共に、ジャズにおけるこの曲の存在を高めた代表的演奏だろう。スコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds)とのピアノ・トリオによるこのアルバムは、この時代の他の3枚のリバーサイド録音盤と合わせて、言うまでもなくエヴァンス絶頂期の演奏が収められたジャズ・ピアノ・トリオの名盤の1枚だ。収録された他の曲どれをとっても、現代のジャズ・ピアノへと続く道筋を創造したエヴァンスのイマジネーションの素晴らしさ、原曲が見事に解体されてゆくスリルとその美しさ、三者の緊密なインタープレイ、というピアノ・トリオの醍醐味が堪能できる傑作だ。

2018/03/21

映画「坂道のアポロン」を見に行く(1)

昨年8月のブログで、漫画「坂道のアポロン」について書いたが、その映画版が今月ようやく公開されたので、出不精の重い腰を上げて見に行った。少し前にNHK BSで「長崎の教会」というドキュメンタリー番組を見たが、隠れキリシタンの伝統や、離島の教会で実際に牧師を目指す青年たちの話が取り上げられていた。キリスト教とのこうした独自の長い歴史が長崎にはある。原作で描かれている主人公の一人、千太郎と教会の関係も、もちろんこうした歴史的背景がモチーフになっている。そこに60年代後期という時代背景(1966年-)、米空母が入港していた軍港佐世保とジャズの関係、海を臨む坂と佐世保の風景など、原作者小玉ユキはこれらの要素を基に、佐世保の高校生を主役にして詩情豊かな昭和の青春ファンタジーとして作品を描いている。原作が名作で、ジャズ音を入れアニメ化されたこれも名作が既に発表されているので、さすがに実写の映画版は苦しいかと思っていた。短い時間内に登場人物の造形や物語の細部までは描き切れないので、どうしてもはしょった展開にはなるものの、それでもこの映画は、原作の持つ世界と透明感をきちんと描いていると思った。昭和40年代という物語の時代設定は古いが、大林宣彦監督の作品世界に通じるものがあって、あの時代を思って涙腺がゆるみがちな「老」も、その時代やジャズを知らない「若」も、青春時代を過ごした「男女」なら誰でも楽しめる永遠の青春映画である。とはいえ、まずは原作コミックを読み、アニメを見て、物語の流れと登場人物の魅力を知った上で、この実写映画を見た方が、佐世保の風景や若い俳優陣の演技、原作との違いなどを含めて、より一層楽しめることは間違いないだろう。

この映画の “星” は何と言っても川渕千太郎役の中川大志だ。千太郎が降臨したかのように、まさに原作通りのイメージで、混血のイケメンで不良だが、内面に人一倍の孤独と優しさを秘めた千太郎のキャラクターを見事に演じた演技は素晴らしい。彼はきっと原作を深く読み込んだに違いない。知念侑李演じる西見薫は最初、原作のイメージからすると都会的繊細さと身長が足らない気がするのと、高い声がどうしても萩原聖人を思い出させて、どうかなと思って見ているうちに、段々それが気にならなくなっていったので、やはり内面的演技力のある人なのだろう。小松菜奈は予想通り、原作の素朴で控えめな迎律子のイメージとは違って美しすぎて、どうしてもマドンナ的になってしまうが、共に両親のいない孤独な薫と千太郎の二人を、まさに聖母のように優しく見つめる律子の温かな視線と、微妙に揺れる乙女心をきちんと表現していて、こちらも見ているうちにまったく気にならなくなった。この主役3人は頑張ったことがこちらにも伝わってきた。ムカエレコード店主で律子の父、中村梅雀は得意のベースの演奏シーンが短くて残念。千太郎が兄のように慕う、ディーン・フジオカの桂木淳一(淳兄―ジュンニイ)は、さすがに大学生役はちと苦しいが、ムード、英語、トランペット、歌唱、どれをとってもまさにはまり役。この二人がからむジャズのセッションをもっと見たかった。

覚えている劇中曲は、この映画のテーマ曲でもあり、薫と千太郎のピアノとドラムスによるデュオ<モーニン(Moanin’)>(原曲アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ)、<マイ・フェイバリット・シングス(My Favorite Things)>(ジャズではジョン・コルトレ-ンが有名)の2曲が中心で、他に淳兄がクラブで唄う<バット・ノット・フォー・ミー(But Not For Me)>(チェット・ベイカーが有名でもちろん歌のモデルのはずだが、この曲だったかどうか記憶が曖昧)、薫のピアノ・ソロ<いつか王子様が(Someday My Prince Will Come)>(ピアノはビル・エヴァンスが有名)が少々流れた。他にも何曲かあったのだが、画面に集中していたのでよく覚えていない。中川はドラムスの心得が多少あるという話だが、知念はピアノの経験はまったくなく、譜面も読めないので、見よう見まねの特訓で習ったというから、まるで大昔のジャズマンの卵なみだ。しかし二人とも違和感なく、地下室でも、クラブでも、文化祭のシーンでも、ドラムスとピアノのデュオで目を合わせながら楽しそうに演奏していて(どこまで本人の音なのかは不明だが)、即興で互いの音とフィーリングを徐々に合わせて行くという、ジャズの醍醐味であり、大きな魅力の一つをよく表現できていると思った。ラストシーンとエンドロールは、あれはあれでありだろうが、せっかくジャズをモチーフにしてイントロからずっと流してきたのだから、小松菜奈の唄う<マイ・フェイバリット・シングス>で(下手でもいいから)、そのままエンドロールに入って、ジャズのセッションを続けて(吹き替えでOK)締めてもらいたかった。

ところで、時代設定とジャズという背景、主演陣がアイドルを含むメンバーということもあって、この映画の観客年齢層がいったいどういう構成になるのか、という個人的興味が実はあったのだが、映画を見に行ったのがたまたま月曜日の午後ということもあって、貸し切りか(!)と思えるほどの入りで、「層」を構成するほどの観客がいなかったのが残念だった。土日はもっといるのだろうと思うが、そもそも映画の宣伝が少ないような気もする。若い人がどう感じるかはよくわからないが、ジャズ好きだった中高年層に、原作と映画の存在自体をよく知られていないのではないだろうか。ジャズの演奏シーンを含めて、映画館で見る価値のある良い映画なので(見終わった後、誰でも温かい気持ちになります)、ぜひもっと多くの人に見てもらいたいと思う。ちなみに、今回初めて行った映画館では、セリフも音響も、画面と音量のバランスが良く取れていて、「ラ・ラ・ランド」の時のような異常な爆音ではなかったので、ジャズのセッションを含めて安心して最後まで楽しめた。これからはこちらの映画館にすることにした。

2018/02/22

The Jazz Guitar : ウェス・モンゴメリー

ギターは楽器として手軽なこともあって、今では世界中どこでも誰でも弾くようになった大衆的楽器だ。日本でも演歌から始まり、フォーク、ロック、ジャズどんな音楽でも演奏でき、伴奏もできる。しかし、その手軽で、柔軟で、融通性の良いところが、逆に「奏者としての個性」を出すのが意外に難しい楽器にしている。アコースティック・ギターはまだその個性が出しやすいのだが、モダン・ジャズの場合は何せ音量を上げるために電気を通して音を増幅するという、他のジャズ楽器にはなかったひと手間がかかり、しかも当時は、出て来るサウンドを現代のように様々に加工できなかった。だから少なくとも1950年代後半までのモダン・ジャズ黄金期には、ホーン奏者のように、一音聴いただけで奏者の個性を感じ取れるようなギタリストは、そうはいなかったのである。

The Incredible Jazz Guitar
1960 Riverside
その中で、まさに “The Jazz Guitar"と言えるほどの個性を感じさせるのは、私にはウェス・モンゴメリー Wes Montgomery (1923-68) をおいて他にない。もちろん他のギタリストのレコードも散々聴いてきたが、未だにウェスほど「これぞジャズ」という魅力と香りを感じさせてくれるプレイヤーはいないのである。ただし私的には、ポップ路線に向かう前(つまり大衆的人気の出る前)、1965年頃までのウェスだ。1960年に、トミー・フラナガン(p)、パーシー・ヒース(b)、アルバート・ヒース(ds)というカルテットで吹き込んだリバーサイド2枚目のアルバム『The Incredible Jazz Guitar』(Riverside)のヒット以降、1968年に45歳で急死するまでの、わずか10年足らずの、日の当たった短い活動期間の前半部ということになる。ジャズ・ギターには、ヨーロッパではジャンゴ・ラインハルト、アメリカではチャーリー・クリスチャンというパイオニアがいたし、ビバップ以降のモダン・ジャズ時代になって白人ではタル・ファーロウ、バーニー・ケッセル、ジム・ホールら、黒人は少ないながらケニー・バレルのような優れたギタリストも現れたが、ウェス自身のアイドルだったクリスチャン以降、ソロ楽器の一つとしてのギターの存在を有無を言わせず確立したのは何と言ってもやはりウェス・モンゴメリーである。演奏イディオムそのものに革新的なものはなく伝統的ジャズの延長線にあったが、何よりその創造的演奏技法とジャズ界に与えた影響の大きさにおいて、サックスにおけるチャーリー・パーカー、ピアノのバド・パウエルに比肩する存在であり、ウェス以降のジャズ・ギター奏者はすべて彼の影響下にいると言っても過言ではない。ウェスのギターこそ、ジャズ・ギターの本流であり、それと同時に、60年代後期のA&Mでの諸作を通じて、70年代のフュージョン・ギターへと続く流れを作った源流でもあった。

Echoes of Indiana Avenue
1957-58
2012 Resonance Records
親指によるフィンガー・ピッキングと、オクターヴ奏法、ブロック・コード奏法を組み合わせた圧倒的なドライヴ感を持った独創的プレイによって、ウェス以降ジャズにおけるギターは、アンサンブルの中でフロント・ラインとしてソロも弾ける独立した楽器として初めて認知されたと言える。その影響はジャズ・ギターに留まらず、今日に至るまでのギター音楽に途方もなく深い影響を与え続けている。ウェスは独学で、譜面を読めず耳で覚えたという話は有名だが、もしこれが事実だとすれば、これこそウェスの演奏が持つ独創性とジャズの精神を象徴するものであり、その演奏がいつまでも新鮮さを失わない理由でもあるだろう。つまり、本来ギター同様にコード楽器でもあり、個性を出すのが難しい楽器だったピアノで独創的サウンドを開発したセロニアス・モンクと同じく、ギターというコード楽器を用いながらコードによる呪縛から逃れ、テクニックとイマジネーションを駆使して常に ”メロディ” を軸にした即興演奏に挑戦したところにウェスの音楽の本質と魅力があるからだ。ピアノやオルガンと共演してもサウンド同士が喧嘩することなく常に調和し、ソロも単音のホーン・ソロのようにまったく違和感なく共存できるのも、ウェスの演奏がフィンガーだけでなく、コード奏法を使っていても常にメロディを指向しているからだ。一言で言えば、ギターが単音とコードの双方で常に "唄っている" のである。ウェスのバラード・プレイの素晴らしさも、後のフュージョン・ギターへの流れを作ったのもそれが理由だ。そして何物にも縛られないかのように強力にドライブし、飛翔するウェスの太く温かい音とメロディからは、出て来るサウンドは異なるが、モンクの音楽に通じるジャズ的「自由」を強く感じる。また若い時期1940年代終わりのライオネル・ハンプトン楽団時代を除き、ニューヨークではなくインディアナポリスという閉じられた環境を中心に活動していたことが、この独自のサウンド開発に貢献していたことは間違いないだろう。キャノンボール・アダレイによって発掘され、リバーサイドでデビューする前のこの時代(1957-58年)のウェスを記録したレコード『Echoes of Indiana Avenue(Resonance Records) 2012年にリリースされたが、モンゴメリー兄弟やメル・ラインなど、地元プレイヤーたちと地元クラブで共演する当時のウェスの素顔が捉えられた、貴重な素晴らしい記録である。だがこの制約のために、50年代半ばのハードバップ全盛期にはニューヨークのスター・プレイヤーたちと共演する機会がなく、60年代になってから初めて脚光を浴びた ”遅れてやって来たスター”という経歴もモンクと共通している点だ。したがってこの天才ジャズ・ギタリストの演奏を記録したメジャー・レーベル録音は、1968年に亡くなるまで、上記スタジオ録音によるリバーサイドの諸作以降、ヴァーヴ、A&Mのリーダー・アルバムだけだ。 

Full House
1962 Riverside
今聴いても、とても半世紀以上前の演奏とは思えないような60年代前半のウェスのレコードはどれも名盤と言っても過言ではないが、誰もが名盤と認め、また個人的にも好きなレコードは、上記『The Incredible Jazz Guitar』以外だと、やはりライヴ演奏のダイナミックさを捉えた『Full House』(1962 Riverside)、『Smokin' At the Half Note Vol.1&2』(1965 Verve)いう2作だが、私の場合はもう1作1965年のパリ「シャンゼリゼ劇場」の白熱のコンサート・ライヴがそれに加わる。『Full House』は、ウィントン・ケリー(p)、ポール・チェンバース(b)、ジミー・コブ(ds)という、当時のマイルス・バンドのリズムセクションに加え、ジョニー・グリフィン(ts)が入ったクインテットによる演奏で、サンフランシスコのクラブ(Tsubo club)におけるライヴ録音だ。これはもう、最高のクラブ録音の1枚としか言えないだろう。リズムセクションの素晴らしさ、ジョニー・グリフィンのテナーを従えたウェスの躍動感も文句のつけようがない。

In Paris
1965
2017 Resonance Records
かなりの録音を残したリバーサイドが倒産した後、1964にウェスはヴァーヴに移籍するが、その後19653月のイタリアに始まる生涯でただ一度のヨーロッパ・ツアー時に、パリ「シャンゼリゼ劇場」でのカルテット/クインテットの演奏をフランス放送協会(ORTF)がライヴ録音した。この音源は1970年代になって日本でも『Solitude』(BYG)という2枚組LPでリリースされ、CD時代にいくつかのバージョンもリリースされてきた。ただし、これらはすべて著作権料の支払いのない海賊盤だった
のだという。昨年発売されたResonance RecordsによるIn Paris』(CD/LP) はそこをクリアし、オリジナルテープをリミックスしたもので、モノラル録音だが、それまでのレコードにあったハロルド・メイバーン(p)とリズムセクション(アーサー・ハーパー-b、ジミー・ラブレース-ds)が引っ込んでいた全体のバランスが改善し、メイバーンのあのダイナミックな高速ピアノも大分よく聞こえるようになった。音も全体にクリアで厚みが出て、聴感上のダイナミックレンジが改善されているので、ライヴ当日の、このグループのダイナミックで圧倒的な演奏の素晴らしさがさらに増している。自作の<Four on Six>、コルトレーンの<Impressions>などの得意曲では、まさにめくるめくようなドライブ感で飛翔するウェス最高の演奏が、さらに良い音で楽しめるのは実に嬉しい。昔から思っていることだが、パリに来たアメリカのジャズメンはみな本当に良い演奏を残すのだ。1950年代から、人種差別なくジャズを芸術として受け入れてくれたこの街と聴衆に、彼らはミュージシャンとしておそらく深い部分でインスパイアされるものがきっとあったのだと思う。アメリカではこの頃はフリーやロック指向が強まっていて、ウェス自身も当時はVerveA&Mと続く大衆路線に向かっていた時期だったが、パリの聴衆を前にして、ここでは圧倒的な "ジャズ" を本気で、また実にリラックスして披露している。当時パリ在住だった旧友ジョニー・グリフィン(ts) の<'Round Midnight>などの一部(3曲/10曲)参加も、ジャズ指向とリラックス・ムードの増加に一役買っていただろう。この躍動感溢れるコンサートを捉えた録音は、ジャズ史上屈指のライヴ録音の一つであり、私的にはウェス・モンゴメリーのベスト・アルバムだ。

Smokin' At The Half Note
1965 Verve
続く『Smokin’ At The Half Note』(LP Vol.1&2)は、上記パリ公演から3ヶ月後の1965年の6月から11月にかけての録音で、ウィントン・ケリー(p)、ポール・チェンバース(b)、ジミー・コブ(ds)というピアノ・トリオにウェスが加わった演奏を集めたものだ。当時彼らはレギュラー・カルテットとして演奏を重ねていたようだが、これはその当時にニューヨークのクラブ「Half Note」で録音されたライヴ演奏を中心にしたものだ。現CDはLPのVol 1&2から11曲が1枚に収録されたステレオで、音も非常にクリアな良い録音だ。ウェスと相性の良いウィントン・ケリー・トリオの弾むようなリズムをバックにしたウェスの演奏の素晴らしさはもちろんだが、ラジオ放送用のMCも入って実にリラックスして楽しめるクラブ・ライヴで、上記パリ公演と共にウェスのライヴ録音の傑作だ。

Guitar On The Go
1963 Riverside
もう1枚、個人的に好きなレコードは『Guitar On The Go』(1963 Riverside)である。ジャズファンには誰しも思い入れのあるレコードがあるものだが、これは私にとってはそういうレコードだ。なぜなら、1960年代後半の高校時代に生まれて初めて買ったジャズ・レコードだからだ。田舎のレコード店で、ジャズはたいした枚数も置いていなかったが、当時LPは高価で高校生には大金だったので、最終的にコルトレーンの『Ballads』と、どちらにするか迷った末に買ったのがウェスのこのレコードだった。今思えば、そのときは録音後既に5年ほど経っているわけで、前年1967年はコルトレーン、この年はウェスが亡くなっていたのだ。だからリアルタイムとは言えないが、この演奏を初めて聴いたときの衝撃は今でも忘れられない。1曲目の<The Way You Look Tonight>で、ウェスのギターがスピーカーから流れ出した途端、世の中にこんなにモダンでカッコいい音楽が存在しているのか、というくらい感激し、これで私はジャズ(とギター)に嵌ったわけである。このレコードはウェスにメル・ライン(org)、ジミー・コブ(ds)という旧知の相手と組んだシンプルなギター・トリオだが、今聴いても、軽く流れるようなウェスのモダンなギターと、メル・ラインのハモンド・オルガンが実にリラックスした気持ちの良いジャズを聞かせてくれる。それにこのアルバム・ジャケットもジャズっぽくて良かった。コルトレーンではなくウェスにしたのも実はこのジャケットのせいだ。

この時代のリバーサイドのLPレコードは録音にはバラつきがあるが、ジャケットはモンクに加え、ビル・エヴァンス、キャノンボール・アダレイ、このウェス・モンゴメリーなど、どのレコードをとってもデザインが素晴らしく、ブルーノートと並んでジャズ・レコード史を代表するジャケットだが、リバーサイドは特に知的センスに溢れたデザインに特徴がある。モンク伝記の中では、プロデューサーのオリン・キープニューズはあまり良い人に書かれていなくて、イメージが変わってしまったが、デザイナーとしてポール・ベーコン他を起用するなど、やはり当時のジャズ・プロデューサーとしては優れたアート感覚を持った人だったのだろう。モンクの場合、二人の相性の問題もあったし、キープニューズが上記のような同時代の新進スター・プレイヤーたちのプロデュースに忙しかったために、割りを食ったと言えるのかもしれない。