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2026/09/20

ジャズ・バラードの森(11)Everything Happens To Me

 "Everything Happens to Me" は今から80年以上前、1940年に作られたポップ曲で、作詞はTom Adair、作曲はMatt Dennis。1941年にフランク・シナトラがトミー・ドーシー楽団で唄ったのが最初。ジャズ・バラード(スタンダード)の名曲のひとつで、そのタイトルと歌詞については、今もネット上でいろいろな解釈や和訳が紹介されている。タイトルを文字通りに訳せば「あらゆる出来事が私に降りかかる」(by Goodle翻訳)だが、歌詞を読めば、(少し古いが)あの九州弁の自虐ネタ『ヒロシです…』(今はBSで「ぼっちキャンプ」をやっている)と同じ、ツイてない男の「ボヤき」の世界だと分かる。つまりは『何でこうなるの?』である(これも古いか…)。私はヒロシ芸のファンで、自分でもネタを考えたくらいだったので、この曲を聞くと必ずあのギャグを思い出す。

It Could Happen to You
1958
黒猫が前を横切って…というverseから始まり、《ゴルフの予定を入れたら必ず雨が降る、パーティをやれば上階の住人が文句を言ってくる……こうしていつも風邪をひいたり、電車に乗り遅れたりしながら人生を送るんだろう……カードゲームをすれば、こっちがエースを出しているのに、いつだって味方が切り札を出して邪魔をするし……自分は飛ぶ前に考えないバカ者なんだろう……最初、君と一緒なら、この悪運から抜け出せると思っていたのに……電報を打っても、電話をかけても、速達エアメールを出しても、君の返事は "サヨナラ" で、おまけに郵便料金不足のおまけ付きだ……たった一度だけの、君しかいない恋だったのに……いったい何でこうなるの?》と、ボヤきが続く。作曲者マット・デニスの、アドリブ歌詞満載の軽妙洒脱なピアノ弾き語りライヴ録音(『Plays & Sings』1954) も楽しいが、ヒロシ的ボヤキの世界に近いのは、やはりチェット・ベイカーChet Baker の歌 (『It Could Happen To You』1958、他)だろう。ケニー・ドリューのピアノ・トリオの伴奏で唄うチェットのヴォーカルとトランペットからは、諦めと自嘲が程よいトーンで聞こえてきて、曲想にぴったりだ。チェットは約30年近く後の1983年に、この曲を再度録音しているが(with Kirk Lightsey Trio)、実際の人生を(クスリで)滅茶苦茶にしてきた後なので、リアルすぎて、若い頃のように笑ってすませる自虐ペーソスは感じられない…。ただしこの曲は、チェット以外では、女性ヴォーカルを含めてピンとくるレコードはない(これはやはり男の歌だ。近年は、なんとあの藤井風もYouTubeでカバーしている…)。

この曲は、その自虐的歌詞と対照的なマット・デニス作の美しいメロディそのものが最大の魅力だが、ジャズのインプロ素材としてはメロディラインが長いために、長すぎたり、こねくりまわしたような演奏は大体失敗しているように思う(散漫でしまりがない、聞いていて飽きる)。やはり、シンプルにメロディを謳わせる演奏がいちばん良い。またチェットの歌唱がそうであるように、美しいメロディの背後に、やるせないような悲哀が漂っている演奏が望ましい。だからインストでは、チャーリー・パーカーのストリングス入りセッション(With Strings, 1949)とバド・パウエルの初録音(Trio, 1947)が白眉だと思うが、それ以降の私好みの手持ちアルバムをいくつか挙げてみたい。

Barney
1959 (RCA)
ホーンではスタン・ゲッツ(ts) の録音が2枚ある(『At Storyville』1951、『In Stockholm』1955)。相変わらず流麗なゲッツの演奏は見事ではあるが、淀みなく上手すぎて(?)、特にこの曲では不器用な主人公の人間味と悲哀が感じられず、どうも心に響かない(これは好みの問題だ)。ウィントン・マルサリス(tp)の父親エリス・マルサリスとのデュオ(『Standard Time Vol.3』1990)は、父親との共演ということもあって、ウィントンにしては控え目で、曲想に合った抑え気味の好感の持てる演奏で、なかなか良い。リー・コニッツも2枚あるのだが(『Inside-HiFi』1956, 『Jazz Nocturn』1992) 、バルネ・ウィランBarney Wilen が1959年に仏映画『危険な関係』撮影のためにパリを訪れていたデューク・ジョーダン(p) 、ケニー・ドーハム(tp) 等のメンバーと、パリのジャズクラブ「サンジェルマン」に出演したときのライヴ録音盤『バルネ Barney』(1959 RCA)の演奏がいちばん好きだ。(この映画のサウンドトラックの背景には、モンクとブレイキー、ジョーダン、ウィラン等がからんだ面白い逸話がある。興味のある人は、本ブログの2017年のいくつかの記事をご参照ください。)映画音楽と同じくマルセル・ロマーノがプロデュースしたこのライヴ盤(モノだが非常にクリアな録音)では、"Besame Mucho" 他の名曲でバルネがテナーとソプラノサックスを吹いている。 "Everything…" は、バルネのソプラノのワン・ホーンのカルテット演奏で、曲のエッセンスが詰まっているような、やるせないデューク・ジョーダンのイントロも、ソロも素晴らしく(この頃のジョーダンは美メロ製造機だ)、バルネの哀愁のあるソプラノ・ソロも非常に美しい。

Alone in San Francisco
1959
 (Riverside)
ピアノではビル・エヴァンスが3枚あり(『Solo』1963、『Time Remembered』1963, 『Trio 64』)、どれもエヴァンス流の美しい演奏で甲乙つけがたいが、自虐を通り越して、自滅しそうなほど内省的な全体のトーンで、聞いていると落ち込みそうになる。ドード・ママローサ Dodo Marmarosa の『Dodo's Back』(1961) は、明るいのに暗いという、どこか寂寥感のある独特のピアノ・サウンドが、この曲によく合っている。キース・ジャレットの「ブルーノート」6枚組ライヴ盤 (1994) でも聞けるが、たぶん上記理由で演奏がやや散漫に感じる。セロニアス・モンクのソロ・ピアノも2枚ある(『Alone In San Francisco』1959 Riverside、『Solo Monk』1965 Columbia)。モンクは、実は常にメロディを大事にするアーティストで、 "Darn That Dream" と同じように、この曲のメロディが大好きだったのだろうと思う。両曲ともにほとんど崩さずに、原曲のメロディ・ラインをそのままなぞってモンク風に謳わせている。そこに素朴な味わいがあっていい。『Alone…』、『 Solo』どちらの演奏もいいが、Riversideのモンクは哲学的、Colombiaのモンクは明るく開放感がある。私的には、1959年の演奏(Riverside) の方が好みか。

Flight to Denmark
1973
上記『バルネ』で好演しているデューク・ジョーダンもこの曲が好きらしく、その後も何度か録音している。『バルネ』でのイントロ、ソロも素晴らしいが、自身のピアノ・トリオでの名演は、何と言ってもその14年後の『Flight To Denmark』(1973)で、やはりミュージシャンは自分の好きな曲を演奏するときは、アイデアが自然に溢れてくるものなのだろう 。このアルバム(Mads Vinding- b,  Ed Thigpen-ds)は、"Here's That Rainy Day" , "How Deep Is the Ocean?" など、どのバラード曲もミディアム・テンポの実にエレガントで美しい演奏が続くが、特に "Everything…" は淡々とした演奏の背後に漂う密やかな哀愁が素晴らしく、フォックス・トロットでゆったりと踊ってみたくなるような(踊れないが…)心地良いリズムとメロディに満ちている。私的には、この曲のピアノは、やはりデューク・ジョーダンのこの演奏がいちばん好きだ。

Long Ago and Far Away
2007/2018
ピアノで最近(?)の録音を1枚挙げると、チャーリー・ヘイデンとブラッド・メルドーのデュオ「『Long Ago and Far Away』 だろうか。2007年のドイツでのライヴ録音で、ヘイデンはその年にキース・ジャレトとのデュオ『Jasmine』も録音している。アルバムは、2014年のヘイデンの没後2018年になってリリースされた。晩年「アメリカーナ」への回帰が濃厚になった 「バラードマン」 ヘイデンを象徴するアルバムの1枚だ。メルドーとヘイデンは、リー・コニッツとの共演ライヴ盤『Alone Together』(1996)でも共演しているが、コニッツとメルドーを仲介したのもヘイデンであり、その後2011年にはポール・モチアン (ds) を加えたカルテットで、当時80歳をすぎたコニッツと『Live at Birdland』を録音している。晩年のヘイデンは、メルドーのある種メンターのような存在だったようで、様々なアドバイスをしていた。メルドーがこの曲 " Everything…" を録音した記録は他に無さそうなので、ある意味貴重なレコードでもある。13分強という長い演奏だが、トリオやコンボと違ってデュオなので、長さがあまり気にならず、浮遊するように独特の音を美しく紡いでゆくメルドーと、その底を支えるヘイデンの深いベースとの対話にじっくりと耳を傾けて楽しめる。

2026/08/24

ジャズ・バラードの森(10)My Ideal

この夏は、前項で紹介したメイ・シモネス Mei Semonesの歌にハマって、YouTubeの他に、3枚のCD、Tsukino/ Kabutomushi/ AnimaruをPCに取り込んだ20曲をヘビロテ状態で毎日聴いている。特にYouTube上の、ギター一本のソロ演奏のライヴ映像には心底驚いた。あんなジャズギターを弾きながら、複雑な歌を唄う女性ミュージシャンは、いくらアメリカ広しと言えども、そうはいないだろう。5人バンドでの演奏は、彼女のソロ・サウンドを拡大したアレンジそのものだということがよく分かる。つまりすべてがメイ・シモネスの音楽なのだ。どの曲も、聴けば聴くほどユニークで面白く、動物と人間、人種と言語、ジャズ/ロック/ポップスという音楽ジャンル、それぞれの垣根を軽やかに跳び超える歌の世界は、まさに「21世紀のJ-POP」とも言える。しかも、その音楽には常にハッピーさと優しさがある。大衆向け、高齢者向き(?)音楽とは言えないかもしれないが、普通のJ-POPには飽き足らない人や、ボサノヴァやジャズ好きな人なら、きっと彼女の音楽を気に入るだろうと思う。

そのメイ・シモネスが、ストリングス入りのレトロなジャズアレンジで、"マイ・アイディアル (My Ideal)" を唄うのを聞いて、この曲に関するモンクの逸話を思い出した。私の訳書『セロニアス・モンク/ 独創のジャズ物語』(ロビン・ケリー著)の最後の部分で書かれている話だ。1976年のNY「ブラッドリーズ」でのギグを最後に表舞台から引退したモンクは、その後マンハッタンの対岸、ハドソン河の崖上にあるウィーホーケンのニカ夫人邸に引きこもったまま、ピアノには一切触れなくなった。しかし1982年に、64歳でそのニカ邸で倒れて、亡くなる少し前に、一度だけ、突然思い出したように、当時ニカ邸に同居していたバリー・ハリスを呼ぶと、二人でピアノに向かって "My Ideal" を互いに百回以上も繰り返し弾き合った――という話である。調べたが、モンクもバリー・ハリスも、この曲は1960年代に1回録音しただけなので、愛奏曲だったとは言いにくい。だから、モンクが人生の最後に、なぜこの曲を弾きたくなったのかは謎だ。

"My Ideal" は今から100年近くも前の1930年(ソニー・ロリンズが生まれた年。昭和の初め)の作品で、米ミュージカル映画『Playboy of Paris』のために書かれ、主演のモーリス・シュヴァリエが唄った曲だ。歌詞の内容は、100年前のアメリカなので当然シンプルである。《自分が思い描いていた理想の女性は、このままずっと夢のような存在にすぎないのか…それとも、いつかは出会えるのだろうか……街角で出会ったら、彼女にしかない瞳の輝きに気づくのか、それとも気づかずにすれ違ったままで終わってしまうのだろうか…》と、あれこれ夢見ている若者の気持ちを、これまたシンプルでロマンチックなメロディに載せた曲だ。今ならスマホのマッチングアプリで簡単に候補を見つけて、待ち合わせ…というところだろうが、何せ100年近くも前である。妄想(想像、夢)の度合い(深さ)が違う。昔の人は、こうしてあれこれ夢を見たり、想像する力を養っていたのだろう。過去録音も多く、私が持っている音源はそのほんの一部だ。筆頭はもちろんメイ・シモネスがリファレンスにした『チェット・ベイカー・シングス (Chet Baker Sings)』(1956) で、チェットは自身のヴォーカルとトランペットの他は、ラス・フリーマンのチェレスタと控えめなベースだけというミニマルな編成でこの曲を唄っている。

Lee Wiley
West of the Moon (1957)
女性ジャズ・ヴォーカルの場合は、原詞の "she" を "he" に変えて唄うことが多い(メイ・シモネスはそのまま "she" で唄っている)。リー・ワイリー Lee Wiley の『West of the Moon』(1957) は古風だが、歌が作られた時代の空気を感じさせる。このレコードでいちばん好きな曲は "East of the Sun (West of the Moon)" だが、"My Ideal" もなかなかいい。ハスキーな声でヴィブラートをきかせて、エレガントに唄うのがワイリーの魅力だが、この頃は40代後半で、歌声もやや貫禄がついてゴージャスな雰囲気だ。どの曲からも1950年代の、ある意味平和で豊かだった「アメリカ」が聞こえてくる。とはいえ、いつもそう思うのだが、昔の白人女性ヴォーカルは、いくら歌はうまくても、みんな「さばさば系」で、何と言うか、しっとりとした情緒があまり感じられない。「男」の歌も、「女」の歌も、微妙なニュアンスを表現し、かつナチュラルに唄うチェット・ベイカーのヴォーカルは本当にすごいのだと思う。いつになってもチェットの歌の人気が衰えないのも、それが理由だろう。

Amos Lee
My Ideal (2022)
ジャズではないが新しいヴォーカル・アルバムとして、本ブログ "I Get Along Without You Very Well" でも紹介したのが、エイモス・リー Amos Lee (1977 -) の文字通りチェット・ベイカーに捧げたアルバム、"My Ideal : A Tribute to Chet Baker Sings " (2022) だ。 エイモス・リーはフォーク、ブルース、カントリーの要素を持つSSWで、高域に特長のある優しい歌声の歌手だ。チェットが自身の歌のルーツの一つだということで、表題のように全曲チェットの愛唱曲をカヴァーしている。バックのパーソネルは私は知らないメンバーだが、ジャズ・コンボ(p, b, ds, tp) が伴奏したフォーク・ジャズ(?)のような趣の、ある種ユニークなレコードだ。まったくクセのない、さらりとしたきれいでスムースな歌唱なので、BGM的に聴くのもいい。あるいは、カラオケでチェット・ベイカーを唄ってみたいという人には(そんな人いるか?)、練習用に聴いたり唄ったりするにはいいかもしれない。

Art Tatum ~ Ben Webster
Quartet (1956)
インストでは、まず大昔からのリファレンスというべき『アート・テイタム~ベン・ウェブスター・カルテット (Art Tatum ~ Ben Webster Quartet)』(1956) だろう。いまどき、こうした古典的ジャズを聴く人がいるかどうか分からないが、ピアノとテナーサックスの達人二人による素晴らしい演奏が続く名盤である。神様アート・テイタムのピアノを聴く機会などほとんどないと思うが、これはテイタムの死の2ヶ月前に録音されたそうで、全盛期に比べたら多少の衰えはあるのだろうが、それでも流麗なスウィング・ピアノの素晴らしさが分かる。ビバップ以降は、主にコードを押さえてきた左手がいったいどうなっているのか、指がいったい何本あるのか?と思わせるような演奏技術は驚異的だ。モンクもきっと、このテイタムの "My Ideal" は聞いていたことだろう。ベン・ウェブスターはコールマン・ホーキンズと並んで、ソニー・ロリンズに大きな影響を与えた人だが、その温かく、深々としたテナーサックスの音色はやはり素晴らしい。全編スタンダード、バラードを悠々と奏でる二人の名人芸を堪能でき、どの曲の演奏にもジャズのエッセンスが詰まっており、また"My Ideal" のインスト演奏の原点でもある。

Kenny Dorham
Quiet Kenny (1958)
定番のもう1枚は、ケニー・ドーハム Kenny Dorham (tp) の『静かなるケニー (Quiet Kenny)』(1958) だ。ドーハム(1924 - 72)はパーカー、ブレイキー、モンク、ロリンズ、マックス・ローチなどと共演してきた実力者で、名曲 "ブルー・ボッサ" の作曲者としても知られている。このアルバムもドーハムの代表作だが、1曲目の "Lotus Blossom" と "My Ideal" をはじめ穏やかな曲が中心で、日本ではこのおとなしめのアルバムが一番人気になったために、本来彼自身が志向していたジャズとイメージがずれていったようだ。とはいえ、この落ち着きがあり抑制のきいたジャズには確かにシブい味わいがある。そのサウンドに格調の高さを与えているのが、サポートするトミー・フラナガン・トリオ(ポール・チェンバース-b、アート・テイラー-ds) であることは言うまでもない。特に、こうしたアルバムでのトミー・フラナガンの控え目だが洗練されたイントロ、ソロのフレーズは比類がない。

Sonny Criss
Out of Nowhere (1976)
他にテナーではソニー・ロリンズ(『Tour de Force』1956) 、ジョン・コルトレーン(『Bahia』1958)があるが、アルトサックスのソニー・クリス Sonny Criss の『Out of Nowhere』(1976 Muse) を挙げたい。一時期ソニー・クリスに凝って、ずいぶんアルバムを集めたが、これもその当時、70年代半ばのバップ復活ブームの時にリリースされたクリスの最晩年の3作品の1枚で(他は『クリスクラフト」と『サタデイ・モーニング』)、ドロ・コーカーDolo Coker のピアノトリオをバックにしたカルテット。クリスは翌1977年、初来日直前にピストル自殺したと言われている(真相は不明)。パーカー系奏者だが、ジャッキ・マクリーン等と異なり、西海岸で活動していたのが他の奏者との違いで、分かりやすいファンキーな(演歌調?)アルトは、好みが分かれるかもしれない。しかし、このアルバムでは、コーカーのドライな響きのピアノをバックに比較的シンプルに吹いており、"My Ideal" もほとんどメロディを崩さずストレートに吹いている。

Jesse Van Ruller
Catch! (2000)
私有のギター・バージョンは1枚しかなく、それがオランダのギタリスト、ジェシ・ヴァン・ルーラーJesse Van Ruller (1972-) の『Catch!』(2000)だ。1995年のセロニアス・モンク・コンペティションのギター部門で優勝し、このアルバムが3枚目の作品。9曲中7曲が自作で、スタンダードは "My Ideal" と "The End of a Love Affair" だけだ。当時人気絶頂だったロイ・ハーグローヴが他の3曲に参加している。ヨーロピアン・ジャズ・トリオのカレル・ボエリー Karel Boehlee (p) 他が共演している。このアルバムでは、Jesseの自作曲 "Silent Blue Hour" が私的愛聴曲の一つで、ジム・ホールの "All Across the City"と並んで、「夜明け前」に聴く最高のギター・サウンドだ。"My Ideal" は当時27歳の新進ギタリストによる2000年の演奏なので、シンプルにメロディ中心にプレイする古いジャズ・アルバムとは異なり、現代のジャズらしいモダンな展開の音楽である。

2026/07/21

メイ・シモネス(Mei Semones)を聴く

アニソンの影響だろうが、近頃の日本の歌は喉に力を入れて「絞り出したり」、高らかに「唄い上げるような」歌手や楽曲が多くて、ハイテンションに弱い年寄りは聞いていて疲れる。女性ヴォーカルも例外ではなく、優しい声で唄う癒しを感じられる歌手が減った。「流行りもの」がすぐに全体を席巻しがちな狭い日本は、そうした傾向が特に強い。一方で世界には、力まずに穏やかに唄う、脱力的で、浮遊感のある歌唱の音楽も当然あって、そうした歌や歌手を愛し、支持する層ももちろんいる。最近はジャズばかりでなく、YouTubeでそういう曲や歌に自然に目が向くようになって、気楽に楽しんでいる。たとえば古くはニック・ドレイクや、ジェイムズ・テイラー、最近ならエイモス・リーの歌などもその例だ。今はその気にさえなれば、ジャンルも、時代も、国も関係なく、自分の好みの音楽を自由に楽しめるところがいい。

ボサノヴァやジャズ・ギター好きなので、たまにYouTubeで芋づる式にそういうギター動画検索をやる。最近になってYoTube渉猟中に知ったメイ・シモネス (芽衣 Semones)) は、アメリカ生まれの日米ハーフの女性シンガーソングライターで、昨年のフジロックに登場して人気に火が付き、今年の始めには初の日本国内ツアーも実現している。NYブルックリン在住だが、出身はミシガン州のアナーバー(Ann Arbor)で、母親が日本人、父親がアメリカ人だそうだ。アナーバーには社会科学系に強いミシガン大学(University of Michigan) があって、私も何度か会社の研修で行ったことがある懐かしい場所だ。ちなみに、私の最初の訳書『リー・コニッツ / ジャズ・インプロヴァイザーの軌跡』(2015) の原書 "Conversations on the Improviser's Art" (Andy Hamilton) も、そのミシガン大学出版局発行の本だ。同学出版局はコニッツの師匠レニー・トリスターノLennie Tristano の貴重な評伝や、ルイス・ポーターLewis Porter による名著『John Coltrane』など、2000年代に入ってから、そのポーター氏が編集の中心になって、"Jazz Perspectives" というアカデミックな一連のジャズ関連書籍をシリーズで出版しており、『リー・コニッツ』もその中の1冊だった。

Animaru  (2025)
『Animaru』はメイ・シモネスの初アルバムで(シングルやEPは別途何枚かリリースしてきた)、全曲自作自演の実にユニークな楽曲と歌唱に満ちたレコードだ。「ギターを弾きながら歌う若い女性」という最近流行りのスタイルではあるが、バークリー音大でジャズ・ギターを専攻していたというキャリアからも、そのギター演奏(アコースティック、エレクトリック)の技術は伊達ではなく、ハードなロック、ブルージーなジャズ、ソフトなボサノヴァと、多彩なギタープレイを融合したような非常にユニークなサウンドを聞かせ、実にカッコいい。「融合」なのか「コラージュ」なのか、私には定かではないが、自身の音楽を「簡単に言えば "Jazz and Bossa Nova-influenced Indie J-POP"」と定義している。 ヴォーカルも独特で、ソロでギターだけで唄うのも魅力的だが、バンドの時は単なる歌というよりも、英語と日本語をミックスした不思議な歌詞を、語るように、囁くように、シンコペートしながら唄う浮遊感のある歌唱そのものが(歌とギターにベース、ドラムス、さらにヴァイオリン、ヴィオラというストリングスを従えた)アンサンブル・サウンドの一部になっている。バンドメンバーも、ジャズのバックグラウンドを持つ人たちだ。複雑なフレーズを、ギターとユニゾンでリフレインしながらスキャットするヴォーカルもユニークだし、リズムも和音も単純ではないが、英語に時おり日本語の単語を挿入した力みのない優しい歌声には、なんだか懐かしささえ感じて、聞くのが「クセになる」魅力がある。歌詞カードを見ないと、英語、日本語ともに何を言っているのかよく聞き取れないが、ジャズの「スキャット」のように聞いているだけでいいような気もする。それだけで斬新さと、ある種独特のフィーリングを感じる「サウンド」なのである。もちろん歌詞を見ながら聴くと、そのユニークな表現の面白さも分かる。

Kabutomushi  (2024)
アメリカ育ちのハーフなので、英語ネイティヴのバイリンガルだが、インタビュー動画など英語で喋るときは態度も含めてクールな感じで、おとなしめの普通のアメリカの若い女性だ。ところが日本語で喋るときは、当然だが、顔やたたずまいも含めて急に日本的な雰囲気になるし、ライヴ動画などでは、控え目な態度も、語りも、観客の声に恥ずかしそうに反応するところも、とても(昔の)日本女子らしいのだ。ヴィジュアルも、パフォーマンスも、この日米のアンビバレントな感じが彼女の大きな魅力になっている。動物好きなのでつけたらしいアルバム・タイトルも、英語の "Animal" ではなくローマ字『Animaru』だし、曲名も"Kabutomushi", "Dangomushi", "Inaka"…等々、日本色豊かだ。"Kabutomushi” や "Dangomushi"のように、NHKの「みんなのうた」で、アニメ付きで取り上げたらいいのに、と思えるような歌もいくつかある。(ちなみにアルバム・ジャケットのデザインは、どれもグラフィック・デザイナーで、幼少期から彼女に日本語の教育を行なってきたお母さんの作品だそうだ)。影響を受けた音楽面では、まずジャズ(コルトレーン、モンク、チェット・ベイカー、ジム・ホール、ウェス・モンゴメリーなど)、ボサノヴァ(ジョアン・ジルベルト、アントニオ・カルロス・ジョビン)に加え、日本の青葉市子のファンを公言している。チェット/ジョアンのヴォーカルつながりは有名だが、そこに青葉がつながると、メイ・シモネスの歌とサウンドの原型が見えてくる。

囁くように繰り返す歌声とサウンドが、どこか別世界とチャネリングをしているように感じさせるところもある。昔から、女性ヴォーカリストの一部には「巫女(みこ)」的なものを感じさせる歌手がいて、たとえば私的印象だと、藤圭子や中島みゆきはイタコ系(?)だが、青葉市子は精霊や天上へのチャネリング、ヒーリング的なものを感じる。西洋世界で人気があるのはそのせいではないかと思う。しかしクラシック・ギターを弾きながら和装で唄う青葉は、日本古来の巫女的風情を醸し出しているが、スカートをはいてジャズ・ギターを弾きながら、クールに唄うメイ・シモネスの音楽は、いわば洋風巫女(?)のような趣がある。ジャズのリックを引用した単調なのに複雑なメロディとコード、リフレイン、変拍子などをじっと聴いていると、いつのまにか引き込まれて、眠くなって、どこかへ連れて行かれそうな気分になる。

Chet Baker Sings (1956)
その後調べていたら、昨年英国Blue Noteから『Chet Baker Re:imagined』という、チェット・ベイカーへのトリビュート・アルバムが出ていて、その日本盤だけに、メイ・シモネスの演奏がボーナス・トラックとして収録されていることを知った。曲はスタンダード "My Ideal" なので、きっと、もっとジャズっぽい演奏が聞けるだろうと思って、このCDを買ってみた。チェット・ベイカーのトリビュート・アルバムは、別記事でも紹介したイリアーヌ・イーリアスなどのジャズ・アーティスト以外にも、エイモス・リーなど非ジャズ側でも制作されていて、曲の大部分は70年前の1956年の名盤『Chet Baker Sings』をリファレンスにしてい る。これらのトリビュート・アルバムはチェット作品を取り上げてはいるが、いずれもチェットが作曲した楽曲というわけではなく、チェットの「愛唱曲のカバー」である。これはチェットがスタンダード曲を唄いながら、ジャズ・トランペットとヴォーカルで、独自の味わいをその曲に加えて、「チェット・ベイカーの音楽」として楽曲を再構築しているからで(もちろんラス・フリーマンのピアノと編曲も大きい)、普通のジャズ歌手がバンドをバックにして唄うよりも、ずっとジャズ的でモダンなのだ。この「ジャズ/ポップ」の絶妙なブレンドがチェット・ベイカーの音楽の魅力であり、これはポップなモダン・ジャズという、当時チェット・ベイカーだけが構築し得た独自のジャズ・ヴォーカルの世界だった。発表から何十年経っても、またチェット本人の没後何十年経っても人気が衰えず、何度もその魅力が語られ、いまだに世代を超えてトリビュート作が作られるのは、チェットの中性的ヴォーカルそのものの魅力に加えて、通常のジャズとは異なるモダンなポップ性、つまり、いつまでも古びない「普遍性」がその音楽の中にあるからだと思う。

Chet Baker Re:imagined
(2025)
CD『Chet Baker Re:imagined』も、もちろんチェットの愛唱曲を中心にした歌曲15曲で構成されているが、演奏、歌唱はUKの非ジャズの若手アーティストを中心に、米国、カナダ、韓国などのグローバルなメンバーが参加している。フォーク、ソウル、ロックなどバラエティ豊かなスタイルの演奏が続き、普段あまり聴いたことがない音楽や歌手ばかりで、演奏もあまりジャジーとは言えないが、逆にそこが新鮮で、これはこれで結構楽しめる。各ジャンルで有名なミュージシャンもいるようで、解釈もそれぞれ独特だし、音楽的クオリティも高く、やはり「スタンダード曲」に取り組む音楽技術に西洋の歴史の厚みを感じる。しかしメイ・シモネスはここでも独特で、日本盤CDで追加された "My Ideal" は、いつものバンドによるバラード演奏だが、やはりアルバム中で最もジャズ色が強く、中間部ではウェス・モンゴメリーばり(?)のギターソロも披露している。英Deccaが、昨年この曲をシングルで配信リリースしたそうなので、きっとヨーロッパでも受けているのだろう。調べたら今月(7月)は、ヨーロッパ各国の主要都市をツアー中らしい。ジャズの本質そのままに、ジャンルも、国も、楽々と越境し、しかもヒーリング的味わいも持つメイ・シモネスの音楽は、その独特の個性ゆえに、今後もグローバルにファン層を拡大してゆくことだろう。

2026/05/30

夏はボサノヴァ・イリアーヌ

(*)最近botと思われる海外からのアクセス数が急増して、記事別PV数のカウントがノイズまみれになってしまった。そこで、もはや意味のなくなった"Popular Post"  の掲載を止めたので、悪しからずご了承ください。
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5月だというのに、もう猛暑日である(おまけに台風まで)。これから10月くらいまで暑い夏が延々と続くと思うと、うんざりだ。海水温の上昇でカキもアサリもホタテもイカも採れなくなって、日本の食卓も(居酒屋メニューも)様変わりしている。もう季節は夏と冬だけになり、日本の穏やかな四季は徐々になくなってゆくのだろう。当然だが、今後は日本人の感性も徐々に変化してゆき、白か黒か、ゼロか百か、という単純で短気な2者択一で、繊細なグラデーションのない気質の人間がますます増え、嗜好も、文化も芸術も、そうした影響を反映したものに変質してゆくのだろう……などと、嘆いていても、もう仕方がない。長く暑い夏を、せめて気分よく過ごすにはボサノヴァ、それもイリアーヌ・イーリアス Eliane Elias (1960-)という美女の、清々しいピアノと、けだるいヴォーカルを聞きながら昼寝でもするしかないか……というわけで、好きなイリアーヌのレコードをいくつか挙げてみた。

これはジャズ・ボッサ系ではなく、イリアーヌがジャズに向かう前、ブラジル時代に本格的に取り組んでいたクラシック・ピアノ(ジャズ転向後も練習していたという)、そのソロ演奏に改めて挑戦したアルバム『On the Classical Side』だ(1993)。ここではヴィラ・ロボス、バッハ、ラベル、ショパンの有名曲を弾いている。クラシック的に見た時のピアノ演奏の技術が、どの程度のものなのかは私にはまったく分からないが、当時はまだ30歳くらいで、ご覧の通りのヴィジュアルなので、80年代にエディ・ゴメス(b)に誘われて移住した米国のジャズ界ではアッという間に人気者になって、トランぺッターのランディ・ブレッカーと結婚した(その後離婚。ベースのマーク・ジョンソンと再婚した)。いずれにしろ、きちんとしたクラシック・ピアノの技量と経験に裏打ちされたジャズ・ピアノ弾きであることは分かる。

長年の私的愛聴盤は『Eliane Elias Plays Jobim 』(1990)で、エディ・ゴメス(b)と、ジャック・デジョネット(ds)、ナナ・ヴァスコンセロス(perc)というサポート陣がバックをつとめ、アントニオ・カルロス・ジョビンの作品を演奏したピアノ・トリオ(+1)のアルバム。ジャズ色が強いのと、録音が良いので、私はこのアルバムをオーディオ・チェック用にも使ってきた。ピアノの音のクリアさと深み、ベースの音のレンジ、沈み込み、ドラムスとパーカッションの空間の響きなど、装置の調子を見るのに丁度いいからだ。カルロス・ジョビンの曲も "Sabia", "Don't Ever Go Away", "Angela" , "Zingari"のような美しいスローバラードから、アップテンポのパルシブなボサノヴァ曲まで多彩で飽きない。

次は『Sings Jobim』 (1998)で、こちらは『Plays』ではおまけのような1曲 (Don't Ever Go Away) だけだったイリアーヌのヴォーカルに焦点を当てたアルバム。娘のアマンダがバックコーラスで、またマイケル・ブレッカー(ts) 、当時の夫君マーク・ジョンソン(b)が参加している。低く、ハスキーで、アンニュイな声は、さすがネイティヴのポルトガル語の魅力を存分に感じさせる。英語の歌唱だと、この空気感はなかなか出せないのである。声量はないが、私の好きなアナ・カランや小野リサよりもずっと低域よりの声で、ジャズ的なレイドバックした歌唱が、ボサノヴァのけだるいムードに合っている。発売当時、”The Continental" が、日本のテレビCMで使われ、話題になった。イリアーヌのヴォーカルをけなしている人も時々いる(実は私も最初そうだった)。しかし今は彼女独特の歌のファンだ。ボサノヴァを唄わせたら、アストラッド・ジルベルトとか、最近では同じジャズ・ピアニストのダイアナ・クラールのヴォーカルよりも、ずっと陰翳とサウダージの風味があり、特にブラジル的シンコペーションをベースにした、たゆたうような歌のリズムが非常に気持ちがいい。

4枚目は『Dreamer』 (2004)で、40歳を過ぎて、貫禄も出始めたイリアーヌが、ストリングスをバックに11曲を余裕綽々で唄い、弾く、ゴージャスなジャズ・ボッサ・アルバム。ここでもマイケル・ブレッカー(ts)が参加している。選曲も含めて、かなりイージーリスニング的なボサノヴァ・アルバムだが、普通の人は、イリアーヌのこのリラックスしたピアノと歌唱によるサウンドをより好むだろう。一部を除き、ブラジル訛りの英語による歌唱なので、好みもあると思うが、肩の力を抜いて、イリアーヌの低く、囁くようなヴォーカルにじっと耳を傾けていると、気持ちが良くて、すぐに眠れる。

5枚目は、チェット・ベイカーの没後25周年にリリースされたトリビュート・アルバム『I Thought About You』(2013) 。チェットの囁くようなヴォーカルがジョアン・ジルベルトに影響を与え、それがボサノヴァ歌唱のデフォルトになったという話は有名だ。やはりジャズはボサノヴァの片親であり、ハーモニーだけでなく、インストもヴォーカルも深いところでつながっている。このアルバムは、無理やりボッサ感のある曲もあるが、チェットの愛奏曲を中心にジャズ・スタンダード色を前面に出している。現夫のマーク・ジョンソン(b)に加えて、特別参加している元夫のランディ・ブレッカー(tp, fgh)が、"That Old Feeling" をはじめとして、思わずニヤリとするようなチェット風のソロを吹いている。別記事でも紹介しているが、このアルバムでは、一人シンプルにピアノの弾き語りで唄う "I Get Along Without You Very Well" が、私的にはイリアーヌの歌の魅力をいちばん感じさせる。

2026/03/29

ジャズ・バラードの森(9)Darn That Dream

例年春先の2,3月になると、毎晩のように面白い夢を見る。それもカラーで、面白いストーリーで、イヤな夢とかはほとんど見ない。シチュエーションや登場人物は、やはり会社員時代のこと、同僚とか先輩、後輩が多くて、基本的には仕事関係で、何か話し合っていることが多い。それと私の場合、仕事上の経験から海外で一人で外人に囲まれている会議の場なども多くて、そこでは英語で会話したり、議論している(何を喋っているのか、内容はもちろん覚えていないが)。こちらは懐かしく、楽し気なこともあるが、「難しい議論」をしていることもあって、目が覚めると、結構頭が疲れていることも多い。夢の中で、何と言おうか英語の表現を考えているからだろう。普通の日本人はみなそうだと思うが、今思えば、やはり海外でのそういう場は、かなりストレスがあったのだろうと想像する。

さて "ダーン・ザット・ドリーム Darn That Dream" も、「いったい何なんだ、あの夢は…」というニュアンスの曲である。Darnは"Damn"からの派生語と言われていて、「チクショー」とか、「チェッ」とかいう意味なので、昔は『いやな夢』という、ずいぶんあっさりした邦題までつけられていた。だがこの曲のタイトルは、悪夢とかそういう夢を指すのではなく、「別れた恋人が毎晩夢に現れて、私を抱きしめたりするけど、目が覚めると、そこにあなたはいない…。いったい何なのあの夢は…」という、切ない気持ちを唄った曲なのだ。Jimmy Van Heusen作曲、Eddie De Lange作詞で、1939年のブロードウェイ・ミュージカル『Swingin' the Dream』で初めて唄われた(この時代、1930/40年代のアメリカのポップスは本当に名曲が多い)。最初のヴォーカルはミルドレッド・ベイリーだったようだが、私はヴォーカルはビリー・ホリデイBillie Holidayのヴァージョンしか持っていない(マイルスの『クールの誕生』のケニー・ヘイグッドのヴォーカルは別)。収録されたアルバム『Body and Soul』は1957年の録音で、ノーマン・グランツが企画し、衰えつつあったホリデイの歌を、ベン・ウェブスター(ts)、ハリー"スウィーツ"エディソン(tp)、ジミー・ロウルズ(p)、バーニー・ケッセル(g)、レッド・ミッチェル(b)といった豪華布陣でバックアップしている。ホリデイの歌だけでなく、このバックのベテラン・ミュージシャンたちの、懐かしくも、豊潤で、リラックスした演奏を楽しめるのもこのアルバムの魅力だ。

私有の他のCDはインストばかりだが、やはりピアノがいちばん多い。ホーンではアート・ファーマー(tp)の『Art』や、デクスター・ゴードンDexter Gordon (ts)のブルーノート・レーベル収録のバラード・コンピ盤『Ballads』があって、後者は私の愛聴盤だ。この曲のオリジナル録音は『Daddy Plays the Horn』(1955)に収録されていて、ケニー・ドリュー(p)、リロイ・ヴィネガー(b)、ローレンンス・マラブル(ds)というワン・ホーン・カルテット。「朗々とした」という日本語がいちばんふさわしいのが、この時代のデクスター・ゴードンのテナー・サウンドだが、このバラード集では、どの曲からも、朗々としていながら、言葉にできない不器用な男のやるせないような哀愁が聞こえてくるデクスターのバラード・プレイは最高だ。特にこの曲は素晴らしい。

ビル・エヴァンスBill Evansとジム・ホール Jim Hall のデユオ『Undercurrent』(UA) における、密やかで、静謐で、それでいて緊張感に満ちた演奏は、この二人にしか作れない世界だ。しかし実はジャズ初心者の頃、この演奏が "Darn That Dream" だとはまったく気づいていなかった。二人のインタープレイによる曲の解体ぶりが見事すぎて、初心者の駄耳ではメロディさえもよく聞き取れていなかったからだ。ジム・ホールはデュオの名手だが、ビル・エヴァンスを相手に実にきめ細やかに、しかも常に空間、余白を感じさせるさすがの演奏を繰り広げている。このアルバム収録曲はどれも美しく、ジャズ・デュオの最高の手本というべき演奏がつまっている。

先日、テレ朝の『徹子の部屋』に渡辺貞夫氏が出演していた。93歳になるが元気に語り、演奏も聞かせていた。徹子氏が、自分のことを棚に上げて「いつまでもお元気で…」と驚いたように言っていたのがおかしかった(二人とも1933年生まれだ)。同年生まれのギタリスト中牟礼貞則氏は昨年まで元気にライヴ出演していたが、サポーターの写真家平口さんによると、最近体調を崩して入院したということだ(お元気になってまた演奏に復帰されることを祈っている)。ソニー・ロリンズ(1930年生まれ)は存命で95歳だが、もう10年以上前に演奏活動は休止している。ホーン奏者としては長生きだったリー・コニッツ(1927年生まれ)は、2020年にコロナのために92歳で亡くなった。パーカーは34歳、コルトレーンは40歳、マイルスは64歳没とホーン奏者はおしなべて短命だが、原因はほぼドラッグだ。長生きするジャズマンはドラッグの影響を回避できた人たちである。モンク(64歳没)もドラッグさえやっていなければ90歳までは生きたはずだ、と奥さんのネリーが言っている。さて、世界中でも最長老と言えるジャズ・ミュージシャンの一人は、渡辺貞夫の先輩だった我らが秋吉敏子氏(1929年生まれ97歳)である。私が最後に見た来日公演は2018年の「東京文化会館」での夫妻共演で、あれから7年以上経つが、昨年も元気に来日して演奏を披露している。1956年、26歳で単身渡米して以来70年以上を、米国のジャズシーンで生き抜いてきたまさにレジェンドである。その秋吉敏子が1994年にリリースしたアルバム『Night and Dream』(日本コロンビア)で "Darn That Dream" を取り上げている。この曲はMickey Roker(b), Peter Washington(ds)というトリオに、3管が加わったセクステットによる演奏。録音も良く、秋吉のピアノも美しく捉えられた好アルバムである。「理」の人、秋吉敏子によるクールなバラード演奏も一聴の価値がある。

手持ちのピアノ・トリオはホレス・パーラン、ジョン・ライト、大西順子、ソロは、レニー・トリスターノ、ピート・ジョーリー盤などがある。私は、ピアノはモンクとバド・パウエルを別格とすれば、凛とした気品のあるトミー・フラナガン、いぶし銀のバリー・ハリス、哀愁のデューク・ジョーダンという3人の名ピアニストが好きだ。この曲もピアノトリオでは、初期のデューク・ジョーダンによる『Duke Jordan Trio』(1954)での演奏が好きだ。ジョーダンはテクニックや華々しさはないピアニストだし、これもなんということもない地味なアルバムだが、"Embraceable You" とともに、ここでの"Darn That Dream" の、シンプルだがしみじみした演奏はとてもいい。この頃から60年代ヨーロッパ時代にかけてのデューク・ジョーダンは、とにかく「美メロ」製造機のようで、イントロから始まり、日本人好みのメロディが次から次へと出て来る。スローバラードを解体して、まったく別の曲のごとく再構成して演奏するのもジャズの魅力ではあるが、バラードは妙な技巧もひねりもいらない、名人が美しいメロディをそのまま弾けばいいのだ、と言っている典型的演奏。

ピアノのもう1枚は、セロニアス・モンクThelonious Monkのソロ。モンクは『The Unique Thelonious Monk』(1956 Riverside) では、トリオでこの曲を演奏しているが、15年後の1971年のヨーロッパ・ツアー時に、ロンドンで録音したBlack Lionレーベルの『London Collection Vol.1』というアルバムでもソロで演奏している。これはモンク最後の公式録音であり、ソロ演奏(録音)もこれが生涯最後だ。モンクはやはりソロが最高だと思う。「余計な音を加えるな。コードなんかどうでもいい。メロディをプレイするんだ」という、「メロディの髄」を弾くモンクの演奏思想をそのまま体現しているからだ。衰えた晩年のこの演奏でも、それは同じだ。モンクはこの曲 "Darn That Dream" のメロディが好きだったのだろう、一つ一つの「音」を慈しむように弾いていることがとてもよくわかる。Vol.1は全編ソロ演奏を集めたもので、静謐なスタジオに鳴り響くモンクのサウンドが美しい。アルバム最後の、曲とも言えない試奏 "Chordially" での、弾いていない、音のない空間という余白にも響き渡る音が聞こえてくる感覚は、まさにモンクのソロならではの世界だ。晩年のバド・パウエルもそうだったが、衰えた手指の多少のもたつきなど関係ない。天才のサウンドは技巧など超えているのである。

2026/02/28

ジャズ・バラードの森(8)Ruby, My Dear

2月17日はセロニアス・モンクThelonious Monkの命日だ(1982年没64歳)。モンクは亡くなるまでの最後の10年近く、ハドソン河をはさんだマンハッタン対岸ウィーホーケンの崖上に建つニカ夫人邸で暮らしていた。演奏活動は1976年を最後に終えている。モンクは生涯に70曲以上作曲している屈指のジャズ作曲家だが、モンクらしい難解で個性的な曲だけでなく、ジャズ・スタンダードになった美しいバラードも何曲か作っている。

いちばん有名なのは、もちろん "Round Midnight" だが、"Reflections", "Ask Me Now"などの優しくきれいな曲もあり、さらにこの "ルビー・マイ・ディア "も、モンクを代表する傑作バラードだ。私の訳書『セロニアス・モンク/独創のジャズ物語』(Robin Kelley著)では、タイトルの「ルビー」とは、モンクの姉の友人で、初恋の相手だった「ルビー・リチャードソン」のことだと言われているが(ルビー本人の写真も収載、長身の美人だ)、同時に、モンクが実際にそのルビーのことを想って書いたかどうかは分からない、とも書かれている。最初は"Manhattan Mood"という曲名だったが、後になってタイトルを変えたという話もある。まあ、モンクのことなので、みんな「謎」のままの方が楽しい。

モンクはこの曲を1945年頃に作曲し、自身の初録音は1947年(30歳)のBlue Note『Genius of Modern Music Vol. 1』で(Gene Ramey -b,  Art Blakey-dsとのトリオ)、その10年後1957年にRiversideの『Monk's Music』で、コールマン・ホーキンズ(ts)他との共演、さらに同年Jazzland盤の『with John Coltrane』でコルトレーンと共演している(リリースは1961年)。さらに『Alone in San Francisco』(1959 Riverside)、『Solo Monk』(1965 Colombia)でソロ録音している。その後1967年の『パロ・アルト』ライヴ、1969年のパリでのカルテットのライヴ録音、そして1971年のロンドン(Black Lion)でのソロ録音が最後だ。好みだが、この中でこの曲の代表作を選ぶなら、やはり1957年録音のコルトレーンとの共演盤だろうか。ドラッグが理由で、マイルスバンドをクビになったコルトレーンをモンクが雇い、「ファイブスポット」出演による特訓中に録音された演奏で、コルトレーンにPrestigeとの契約があったためRiversideから出せずに、サブ・レーベルだったJazzlandから4年後にリリースされたもの。コルトレーンはその期間に、モンクからバラード演奏の何たるかも学んだといい、覚醒しつつあった飛躍前のコルトレーンとモンクの貴重な共演だ。ベースはWilbur Ware、ドラムスはShadow Wilson。

モンク以外のピアノだと、まずはバド・パウエルのヨーロッパ録音『Portrait of Thelonious』(録音1961/リリース1965)だろう。私がこの曲を知ったのも、実はこのアルバムを聴いてからだ。疑似ライヴ録音だが、音質も良く、当時としてはパウエルの調子も悪くないので、昔からの愛聴盤だ。モンクとパウエルは兄弟のような付き合いをしていて、パウエルはモンクから多くを学んでいたが、師匠の曲を弾かせたらモンク以上だったと言われている。ただし、パウエルのモンク作品録音記録はほとんどない。このアルバムは、パウエルがそのモンク作品だけを演奏した貴重な記録なのだ。メンバーはPierre Michelot (b)、Kenny Clarke (ds)というパリ在住のミュージシャンによるトリオ、モダンなアルバムジャケットは、二人を支えていたあのニカ夫人が描いた抽象画である。

パウエル以外の私有のアノ・トリオでは、ケニー・ドリュー、ランディ・ウェストン、ジョン・ヒックス、マッコイ・タイナーの各バージョンがあって、それぞれ個性的で楽しめるが、60年代にヨーロッパに移住する前、ニューヨーク時代のドリューが残したクラシックなピアノ・トリオの秀作『Kenny Drew Trio』(1956 Riverside)が、アルバム全体の出来も含めて個人的にはいちばん好みだ(Paul Chambers-b, Philie Joe Jones-ds)。ロリンズ伝記『Saxophone Colossus』には、若きロリンズとパウエルの他、ハーレム時代のケニー・ドリューたちとのワイルドなエピソードが出て来て興味深い。ドリューはパウエルと同じくクラシック・ピアノの素養があり、NYCの音楽芸術高校を卒業した神童だった。

ポール・モチアンPaul Motian (ds)が、ジョー・ロヴァーノ Joe Lovano (ts)、ビル・フリゼール Bill Friesell (g)とベースレス・トリオで全10曲モンク作品だけに挑戦した『Monk in Motian』(1988)が好きだ。モンク本人が聴いたら一番喜びそうなモンク・トリビュート・アルバムのような気がする。モチアンの叩くドラムス上に漂うような、浮遊感のあるロヴァーノ、フリゼールのプレイが新鮮で、特にフリゼールのアブストラクトなプレイが素晴らしい。そこにジェリ・アレンGeri Allen(p)とデューイ・レッドマンDewy Redman(ts)が各2曲ずつ客演し、"Ruby, My Dear" にはジェリ・アレンが参加してカルテットとなり、モンキッシュなピアノでモンク・ワールドをさらに陰翳濃く表現している。このアルバムは、他のモンク曲も(モンク好きなら)すべて楽しめる。

モンク自身、ビッグ・バンドで自作曲に3度挑戦しているが、モンクの曲は大編成バンドでやると非常に魅力的な音楽になる「可能性」があるのだ。ただし当然だが複雑で難しすぎるので、挑戦するミュージシャンが少ないのが残念だ。スタン・ケントン楽団にいた西海岸の作編曲家ビル・ホルマンBill Holmanの『Brilliant Corners: The Music Of Thelonious Monk』(1997)は、20世紀で唯一ビッグバンドでその世界に挑戦したアルバムで、演奏も非常にクオリティが高く、ゴージャスで楽しめる。2010年代には、ジョン・ビーズリーJohn Beasleyがビッグバンド『Monk'estra』を結成して何枚か同名アルバムをリリースしている。もう1枚は、気鋭の狭間美帆が率いるオランダのメトロポール・オーケストラ・ビッグバンドのライヴ盤『The Monk: Live at Bimhouse』だ。こちらはモンク生誕100年という2017年に録音されたトリビュート・アルバム。"Ruby, My Dear" はビル・ホルマンと狭間の両アルバムで取り上げられている。曲自体はモンクにしては素直で美しいメロディを持つ曲なので、アレンジも演奏難度も、そう高くないかもしれないが、さすがに狭間のオーケストラ・アレンジとサウンドは全体にモダンで聴きやすい。

この曲はもちろん、モンクがインストルメンタルとして作曲したものだが、後年Sally Swisherが歌詞をつけたヴォーカル・ヴァージョンも録音され、"Dear Ruby" というタイトルで何枚かリリースされている。私が持っているのは、『 Carmen Sings Monk』 (1990)のカーメン・マクレーCarmen McRae、T.S.Monkの『 Monk on Monk』 (1997) でのケヴィン・マホガニーKevin Mahogany、さらにJohn Beasleyの『Monk'estra Vol.2』(2017) でのダイアン・リーヴスDianne Reevesの3つのヴァージョンだ。唄うのは結構難しい曲だと思うし、どれがいいかは好みによるだろうが、やはりこの3枚でいちばんジャズ&モンクを感じるのは、大御所カーメン・マクレーのヴァージョンだろう。このレコードは全部がモンクの作曲した作品であり、クリフォード・ジョーダン(ts)、ジョージ・ムラーツ(b)、アル・フォスター(ds)他の参加で、全曲でカーメンの円熟の歌唱も楽しめる。またこのCDは録音も非常に良いので気持ちがいい。カーメンはこのアルバムで1990年グラミー賞「Best Jazz Vocal Performance - Female」にノミネートされている。

2026/01/28

ジャズ・バラードの森(7)ソニー・ロリンズ  

現在95歳のソニー・ロリンズ Sonny Rollins の伝記『Saxophone Colossus』(Aidan Levy著)の邦訳版が今春、亜紀書房からようやく出版される見通しとなった。原書は800ページ近い大作なので、訳書も900ページ近い大著になり、翻訳開始から出版まで、やはり3年かかってしまった。それまでロリンズのレコードをそれほど集中して聴いた記憶はないが、コニッツやモンク、レイシーの時と同じように、翻訳中はロリンズの録音をずっと聞きまくっていた。バラードに関しては、コルトレーンにはそのものズバリの『Ballads』(1963 Impulse!) というアルバムがあるし、マイルス、コルトレーン、デクスター・ゴードンなどには、バラード演奏だけを集めたコンピレーションCDが以前からあるが、ロリンズ版は見たことがなかった。念のために調べたら、2002年に『Ballads』というUK盤が出ているが、それはデクスターと同じくBlue Note の録音だけを集めたものだ。『Saxophone Colossus』(1956 Prestige) の "You Don't Know What Love Is" のように超有名なバラード演奏はあるが、他のロリンズのバラードは、ロリンズのファンを除けば、これまで意外と聞かれて(知られて)いなかったような気がする。というわけで、この数年集中して聴いてきて、私が改めて気に入ったロリンズのバラード演奏を以下に紹介したい。

ロリンズと言えば、豪快で男性的なサウンドのテナーサックスで有名だ。スタン・ゲッツのソフトで流麗なサウンドや、コルトレーンの端正で透き通ったテナー・サウンドに比べると、バラード・プレイでもロリンズのサウンドは分厚く、個性的タンギング奏法ゆえに、引っかかりが多いゴツゴツした感触のプレイが多い印象がある。だが一方で、そのサウンドからは他の奏者にはない、深いエモーションと、「物語性」を強く感じさせる濃厚な人間的味わい、歌心がある。そしてポピュラーソングの知識が半端ないので、選曲がユニークで、誰でも知っているような単なるスタンダード曲ではなく、「アメリカン・ソングブック」の隅から引っ張り出してきたような珍しい曲を演奏することが多いのも特長だ。

ロリンズの初リーダー作が、26歳のときの『Sonny Rollins with The Modern Jazz Quartet』(1956 Prestige)で、MJQとの共演4曲(録音1953年)と 、ケニー・ドリュー(p)、パーシー・ヒース(b)、アート・ブレイキー(ds)というトリオ他(1曲マイルスがピアノを弾くという珍品も入っている)との9曲(録音1951年)のセッションを1枚にまとめたコンピアルバムだ。とても20代前半とは思えない、ロリンズの滑らかかつ骨太のワンホーン・テナーが、ミディアム・テンポとスロー・バラードの全編にわたって心地よく響く名盤である。LPが主流になる以前で、全曲3分前後という短さも気持ちよく聞ける理由の一つだ。バラードではMJQとの "In a  Sentimental Mood" が実に良い味を出しているが、ケニー・ドリュー・トリオをバックにした"Time on My Hands", "This Love of Mine"という2曲もリラックスして余裕綽々の若きロリンズの歌声が聞こえてくる。「"モダン・ジャズ"というものを聞いてみたい」という人には、真っ先にこのアルバムを勧める。

Prestige2枚目となるリーダー作が『Moving Out』(1956 )。これも1954年の2回のセッションのコンピで、"More Than You Know" 1曲だけセロニアス・モンクがピアノで参加している。他の4曲は、ケニー・ドーハム(tp)、エルモ・ホープ(p)、パーシー・ヒース(b)、アート・ブレイキー(ds)による2管クインテット。モンクの入った"More Than You Know" は、いかにもモンク的なバラード演奏で味わいがあるが、このアルバムで最も印象に残るバラード曲はやはり"Silk 'N' Satin"だ。メランコリックな曲調のこの曲はロリンズ作とされているが、何かインスパイアされた原曲があるのだろう(フランスのHenri Herpin作 "(All of a Sudden)My Heart Sings" を改作したと言われている)。ホレス・シルヴァーかと思ったら、エルモ・ホープだったラテン風味の哀感のあるピアノ、ロリンズのテナーとも素晴らしい。ハードボイルドな印象があるロリンズだが、実はメランコリックな曲が好きなんだと自分でも言っている。

『Tenor Madness』(1956 Prestige) は『Saxophone Colossus』(1956年6月録音/57年リリース)の1ヶ月前(同年5月)に同じヴァン・ゲルダー・スタジオで録音されているが、メンバーが異なり、レッド・ガーランド(p)、ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)という当時のマイルス・クインテットのリズム・セクションとの4曲に、12分に及ぶタイトル曲のみコルトレーンがゲスト参加した2管クインテットというアルバムだ。ケンタッキーの麻薬農場での4ヶ月強の治療を経て、ヘロインを克服して1955年に復帰したロリンズは、精神・体力ともに当時はまさに絶好調で、まずはクリフォード・ブラウンとマックス・ローチの双頭バンドに参加する。4歳年長のコルトレーンの遥か前を文字通り突っ走っていた時期であり、ライヴァルだったロリンズvsトレーンが唯一競演した曲 "Tenor Madness" を収録したアルバムである。バラード "My Reverie" はドビュッシーのピアノ曲『夢想』(1890) のメロディを基にして、1938年にラリー・クリントンが作詞して米国でヒットしたジャズ&ポピュラー曲だ。ドビュッシーのメロディ、和声はジャズに通じるところが多く、多くのミュージシャンをインスパイアしてきた。これはそのロリンズ流解釈。

『Sonny Rollins Vol.1』(1957 Blue Note)は、ロリンズのブルーノート第1作で、リリースは1957年だが、録音は1956年12月16日である。ということは、同年6月26日のクリフォード・ブラウンの自動車事故死の約半年後になる。5,6月の上記Prestigeの2作録音の直後、ブラウンとリッチー・パウエル(p)を同時に失って呆然自失状態だったブラウン・ローチ・クインテットにまだ在籍中の録音である。ブラウンに代わったドナルド・バード(tp)、パウエルに代わりウィントン・ケリー(p)、ベースにはジーン・ラメイをロリンズは雇った。ロリンズはその後徐々に、ピアニストとドラマーの選択に厳しくなってゆくが、カリブ出身のウィントン・ケリーとは、モンクと同じくリズム面での相性が良く、気分よく吹いているのが分かる。このアルバムは5曲のうち4曲がオリジナルで、唯一のスタンダードがバラード "How Are Things in Glocca Morra" 。ブロードウェイ・ミュージカル『フィニアンの虹』(1947) の主題歌で、ロリンズ好みのゆったりとした美しいメロディを持つ曲だ。

ある意味寄せ集めのブローイング・セッションだが、集まったのがスーパースターたちなので、文句なくモダン・ジャズの超名盤になったのが『Sonny Rollins Vol.2』(1957 Blue Note)。J.J.ジョンソン(tb)、セロニアス・モンク/ホレス・シルヴァー(p)、ポール・チェンバース(b)、アート・ブレイキー(ds)という超豪華布陣で、時代がハードバップ全盛期となると悪かろうはずがない。"Misterioso", "Reflections"という、モンクのブルースとバラードの名曲が入り、しかもモンクは若きロリンズ(高校時代)の師匠だったわけで、この二人の息の合い方、間(ま)の取り方は絶妙だ。マイルスの『Kind of Blue』(1959)がモードというコンセプチュャル・ジャズ・アルバムの最高峰なら、この『Rollins Vol.2』は、ジャケット写真のカッコよさと共に、フリー・ブローイング・ハードバップ・アルバムの最高峰だろう。バラード "Poor Butterfly" はプッチーニのオペラ『蝶々夫人』に触発されて、Raymond Hubbellが1916年に作曲し、ブロードウェイのショーで唄われた。タイトル通り、哀切さを感じさせる1曲だ。この曲ではシルヴァーがピアノを弾いているが、ロリンズ以前だと、アート・テイタム(1945)、エロル・ガーナー(1951)というピアニストが録音している。サックス奏者ではキャノンボール・アダレイ(1959)、ポール・デスモンド(1963)が取り上げているが、いずれもこのロリンズ版の後だ。この曲を選んだのがロリンズ本人なのかどうかは不明(おそらくそうだろうと思う)。

50年代からのもう1枚は、ピアニスト、ソニー・クラーク Sonny Clarkと共演した『The Sound of Sonny』(1957 Riverside)だ。パーシー・ヒースとポール・チェンバース がベース、ロイ・ヘインズがドラムスというと、わくわくするようなアルバムを期待するが、全体に軽快な演奏が多い普通のハードバップ・アルバムだ。クラークは名盤『Cool Struttin'』(1958 Blue Note) 参加の前年であり、ロリンズもクラークも調子が良い時期で、気負うことなくリラックスした演奏に終始している。唯一のバラードが "What Is There to Say?" (by Vernon Duke, E.Y. "Yip" Harburg)で、中盤でコロコロとしたクラークの気持ちの良いピアノソロも聴けるが、気のせいか、何となく全体にロリンズのプレイと溶け合っていないような感じがする。ロリンズは1957年6月のこのアルバムの直前3月に、西海岸でピアノレスの『Way Out West』、直後の11月に同じくピアノレスのライヴ盤『Village Vangurd』を録音している。このアルバムでも2曲はピアノレスだ。したがって本アルバムあたりを境にして、ピアノレスの演奏とアルバムが増えてくる。演奏中に、自分の頭の中で鳴っている和声(コード)と、ピアニストの弾くコードが衝突することに段々我慢できなくなっていったようだ。

ここに挙げた7枚のレコードはいずれも1950年代、すなわちロリンズが20歳代の録音の一部であり、しかもこれらのバラード曲に限らず、数多くの圧倒的名演があることを考えると、あらためてジャズ史におけるソニー・ロリンズの偉大さが見えてくる。しかし「橋」への隠遁以降、1960年代になるとモードやフリーへとジャズ自体も多様化し、ロリンズの演奏スタイルも変化してゆく。その時代以降のバラード演奏については、別途まとめて紹介したい。

2025/12/24

ジャズ・バラードの森(6)I Get Along Without You Very Well

「自動からくり人形」が主演するボックス・シアター という、唯一無二のコンパクト夢幻劇場を製作し続ける「ムットーニ」こと武藤政彦氏は知る人ぞ知るアーティストだ。オルゴールを拡大、複雑化、豪華絢爛にした創作アートというコンセプトが近いのだろうが、ノスタルジーとロマンに満ちた作品群は、世界のどこにもない独創的アートとしての魅力に溢れていて、一度でも見たことのある人は、その美しさと面白さに夢中になる。特に日本人は、人形浄瑠璃以来の人形好きで、抵抗なく人形物語に感情移入しやすいので、世代を問わず人形アートが好きだ(たとえばNHKの昔の人形劇「平家物語」などは、その素晴らしさに感動したものだ)。現代版人形劇とも言えるムットーニ作品の素晴らしさは、自動(機械式)人形の造形の美しさとその精密な動き、シアター全体の色彩と光、物語性などいろいろあるのだが、欠かせない重要な要素の一つは、オルゴールがそうであるように、その「サウンド」である。ジャズ、クラシック、ラテン系音楽、シャンソンなど多彩だが、いずれも作者の趣味とこだわりが強く感じられ、作品の物語性と音楽が見事に調和し、しかもあの小さなステージ(箱)から、びっくりするような実に素晴らしいサウンドが流れてくるのである。女性ファンが多いようなので、このサウンドの魅力が十分に伝わっているかどうか分からないが、オーディオ好きなら、すぐにその魅力が分かるだろう。ムットーニ氏は、オーディオにも相当なこだわりと技術をお持ちのようだ(どんなスピーカーやアンプを使っているのか興味がある)。

ヘル・パラダイス(2018年部分)
作品は関東では世田谷、前橋等の美術館で常設されているようだが、八王子市夢美術館は2009年以来、数年おきにムットーニの特集展「ムットーニワールドからくりシアター」を開催しており、昨年に続き、規模は小さいながら2025年も11月末から「セレクション」として開催されたので、今回も行ってきた(これで4回目だ)。夢美術館に寄託された六作の小品展示に加えて、密林の秘密の劇場で、歌姫とバンドがサルサのリズムで踊り唄う「ジャングル・パラダイス」、真夜中に地底から現れる妖怪骸骨バンドのマンボをバックに美女が唄う「ヘル・パラダイス」、未来の宇宙船内で地球の20世紀のビッグバンド・ジャズとヴォーカルが上演される「サテライト・キャバレー」、さらにパイプオルガンと合唱の荘厳なサウンドと、天使の昇天が美しい「カンターテ・ドミノ」など、お馴染みの幻想的で、楽しくも美しい大型作品が今回も展示されていた。加えて、2025年の最新作として展示されていたのが「スケッチング・スカイスクレーパーズ(Sketching Skyscrapers)」という、スカイスクレイパー(摩天楼)・シリーズの新作だ。

スケッチング・スカイスクレーパーズ
2025年部分 作家蔵
摩天楼をバックに、別れた恋人への追憶と、その思いを断ち切ろうとしている主人公(女性)、公園のベンチに座る彼女の背後に現れる昔の恋人(男性)、背景として昼から夜、現在から過去へと変化してゆく高層ビル群の形、窓、色彩、光、そして青く広い夜空が実に美しく描かれるロマンチックな作品だ。この作品で使われている音楽が、チェット・ベイカー Chet Bakerの歌だった。それは分かったが、人形の動きとか造形、色彩に気を取られて、会場で1回聴いただけなので歌詞もよく聞いていなかった。そこで家に帰ってから確認すると、あの名盤『Chet Baker Sings』(1954/56 Pacific)に入っている有名曲 "I Get Along Without You Very Well" だった。昔さんざん聴いたアルバムだが、しばらくまともに聞いていなかったので、この曲のことはすっかり忘れていた。実は、知ったかぶりして書いた上記の追憶ストーリーは、この曲の歌詞を読んで、なるほどと合点が行ったものだ。つまり「あなたがいなくても、ちゃんとやっている…でも…」と、別れた恋人のことを何とか忘れようとしているが、静かな雨が降る日や、名前を聞いたりするとつい心が揺れる…という女性の追憶と葛藤が描かれた曲なのだ。ムットーニさんの作品は、この曲をモチーフにして作ったものだと分かった。「スケッチング・スカイスクレーパーズ」は、物語と曲とチェットのヴォーカルの美しさがマッチして、とにかく抒情的で素晴らしい作品だ。最初に見終わった後、思わず拍手してしまったくらいだ。

しかし、自宅に戻って聴いた私有ヴァージョンと、ムットーニ展で聞こえた音楽がどこか違うなと感じた。思い出してみると、ムットーニ版ではチェットのヴォーカルの後に、確かトランペットのソロが1コーラス入り、またヴォーカルに戻って終わったはずなのだが、私の所有音源ではトランペットの部分がなく、ヴォーカルだけなのだ。これは約3分の演奏で、ネットでもいろいろ調べてみたが、ヴォーカルとトランペットを両方演奏しているチェットのヴァージョン(つまり3分よりずっと長い)はどうしても見つからなかった。みんな同じ約3分ヴァージョンである。AIにも質問してみたが、やはり「ありません」というそっけない回答(?)だった。そもそもオリジナルは1954年のモノ録音なので、LPレコード(33回転)初期で、ジャズもまだ大半がSP盤(78回転)で3分内に収まるように演奏していたようだ。ということは、ひょっとしてあの音楽も、ムットーニさんが作品のために制作、編集した特別ヴァージョンなのだろうか? ヴォカールに続くトランペット演奏も、まさかトランペットも吹くというムットーニさんなのか!? 謎だが、ムットーニ作品では、この例に限らず、どうも背景音楽もまた相当作者の手が加えられているのではないかと思った。実は、今回はその確認のためもあって、もう一度見に行き(入場料は安価なので)、そのときに初めてムットーニさんの、活動弁士さながらのプレゼン付き上演会を拝見・拝聴した(前方の観客はみんな床に座って見るので、昔懐かしい子供の頃の紙芝居を思い出した)。そこでトランペットのコーラス部分を確認し、上演後、その疑問をご本人に直説確認したところ、やはり私の推量がほぼ当たっていることが分かった。(詳細は企業秘密なので、書けないが…)

その後、この曲について調べたら、作曲は "Stardust" や "Georgia on My Mind" 、"Nearness of You"など、名曲をたくさん書いているホーギー・カーマイケル Hoagy Carmichael (1899-1981)だが、作詞はジェーン・ブラウン・トンプソンJane Brown Thompsonというほぼ無名の女性詩人だということが分かった。ショパンの "ノクターン" から着想したらしいというロマンチックなメロディだが、当初は作詞者が不明で、カーマイケルは発表(1939年)するにあたって、作詞者不詳のままではいけないということで、友人のラジオ・コメンテーター、ウォルター・ウィンチェルにも依頼してラジオ放送を通じて何度も呼びかけ、ようやく約1ヶ月後に、老人ホームに入居していた71歳の未亡人トンプソンを見つけるのだが、契約した1ヶ月後に彼女は亡くなってしまったのだそうだ(この伝説には諸説あり)。

I Thought About You
A Tribute to Chet Baker
Eliane Elias (2013)
私有CDデータをチェックしたら、ビリー・ホリデイ(『Lady in Satin』 1958)、ニーナ・シモン (『NIna Simone and Piano』 1969)、レナータ・マウロ(『Ballads』 1972年?)、ダイアナ・クラール(『The Look of Love』2001)という4枚が見つかったが、チェット盤以外は全員女性歌手だ。ところが女性の歌なのに、ホリデイもシモンもクラールも、女性が唄うと、なんだか妙にサッパリしてしまって、チェットの歌から感じられるあの濃密で、細やかな感情の起伏があまり感じられないのである。その後調べてみると、カーマイケル自身やフランク・シナトラ、マット・モンローなどの男性ヴォーカル・ヴァージョンもあるが、そもそも女性詩人が書いた上記の詩が原詞でもあり、歌詞全体を読んでも、やはりムットーニさんが描いたように女性主人公の方がしっくりとくる曲だ。ついでに、YouTubeにアップされている同曲の歌唱(素人含めて何十もある)を聞きまくってみたが、男性はもちろん、女性歌手もみな同じようなもので、どれもピンと来ない。特にアメリカ人女性ヴォーカルは全滅だ。そもそもこの曲は、その曲想からして、シナトラみたいに高らかに唄い挙げたり、楽しそうに唄うような曲ではなく、ひそやかに、あるいはつぶやくようにその「心情」を唄うのが正解だろう(1930年代のアメリカ人女性には、そうした心情がまだ多少残っていたものと推察される)。

My Ideal
A Tribute to Chet Baker Sings
Amos Lee (2022)

私見だが、カーマイケルの曲はどれもメロディそのものが美しいので、ヴォーカルもインストも、変にジャズ的にいじったり、妙なアレンジをせずに、原曲を生かしてできるだけシンプルに演奏する方がいいのだ。そこに「適度に」ジャズの香りを取り入れると、さらに洗練され、原曲の美しさと心地よさが倍増するのである。『チェット・ベイカー・シングス』では、チェットの中性的美声のバックで流れる、ラス・フリーマン Russ Freeman の西海岸風のさらりとしたピアノ・トリオのおかげで、ただのきれいなポピュラー曲ではなく、ジャズ・ミュージシャンならではのジャズのスパイス配分が絶妙で、そこが非常に効いている。現代の歌唱をいろいろ聞いた限り、強いてあげれば、イリアーヌ・イリアス Eliane Elias と、エイモス・リー Amos Lee というアメリカのポップスの男性歌手の二人がまあまあかと思った。イリアーヌはブラジル人だが、弾き語りピアノを含めて、独特の抑えた歌唱にいちばん雰囲気があるし、エイモス・リーは "Nearness of You" を唄ったジェイムズ・テイラー James Taylorと同じで、ジャズ風のアレンジをバックに、透き通ったさらりとした高音の美声で素直に唄うところが、カーマイケル作品に合っていると思う。ちなみに、このCDは2作とも、チェット・ベイカーへの"トリビュート"であるところが、その表現と関係しているのだろう。

しかし、はっきり言って、1954年のチェット・ベイカーをしのぐヴォーカルは一つもなかった。何と言っても、久々に聴いた若きチェット・ベイカーの、本当に繊細で密やかなヴォーカルとアレンジは絶品だと改めて思った。いつの時代も、チェットの歌の魅力にハマるジャズファンが絶えないのがよくわかる。ただしオリジナルは3分と、あまりに短いので、あれ以来ムットーニ版で聞ける、ヴォーカルに続くチェットのトランペットのコーラスがどうしても続けて聴きたくなるので困る。

2025/09/18

ジャズ・バラードの森(5)Blame It on My Youth

 "ブレイム・イット・オン・マイ・ユース Blame It on My Youth"は、1934年に作曲された古いバラード(曲 Oscar Levant、詞 Edward Heyman)。「あれも、これも、若さゆえの……」という歌詞で、タイトル通り、どう訳しても日本語なら『若気の至り』しかないだろう。誰しもそうかもしれないが、思い起こせば私も「若気の至り」が山ほどあって、入りたい穴がいくつあっても足りないくらいだ。しかし、人間若いころは本当にバカなことを言ったり、したりするものだと思う。反省するしかない(もう遅いが)。

After Midnight (1957)
Nat King Cole
私有ヴォーカルではナット・キング・コール Nat King Coleの『After Midnight』 (1957)、クリス・コナーChris Connorの『This is Chris』(1956)、チェット・ベイカーChet Bakerの『Let's Get Lost』(1989)の3枚がある。女性ヴォーカルではクリスのハスキーな歌声もいいが、恋愛に関わる若気の至りという内容からして、やはり男性歌手の方が似合うと思う。したがって個人的には、ナット・キング・コールの永遠の名盤『After Midnight』のヴァージョンが好きだ。コールはピアノの名手であり(元々ピアニストだった)、このレコードでも、”Route 66" や "Candy" など、懐かしく豊かな1950年代アメリカを象徴するような明るく、スウィンギングなピアノとヴォーカルが最高だ。この曲 ”Blame It....”を、コールは甘くハスキーな声で、ゆったりと唄いあげている。

The Cure (1990)
Keith Jarret
”Blame It on My Youth”という曲自体は、歌詞もメロディも、あの時代らしいシンプルな美曲で、特にどうということはない楽曲だと思うが、ライヴ・アルバム『The Cure』(1990 ECM)で、
その単純な曲を素晴らしいジャズ・バラード演奏に昇華させたのがキース・ジャレット Keith Jarrett だ。それ以前にはこの曲のピアノトリオでの演奏は見当たらないので、『The Cure』でのキースのスタンダード・トリオ(Gary Peacock-b, Jack DeJohnette-ds)によるライヴ演奏(NYタウンホール)によって、それ以降この曲はジャズ・ピアノのスタンダードになり、様々なピアニストが取り上げるようになったのだと思う。キースは90年代になって一度病に倒れた後、1997年のソロアルバム『The Melody at Night, with You』で、再度この曲を取り上げていて、そちらも心に沁みる良い演奏だ。『The Cure』で、中盤のゲイリー・ピーコックのベースソロの後、徐々に美しく高揚してゆくキースの耽美的演奏は、本当にため息が出るほど素晴らしい。キースには美しいバラード演奏がたくさんあるが、これは同じくライヴ・アルバム『Tribute』(1990)での"Ballad of the Sad Young Men"と並び、キースの私的ベスト・バラードである。

The Art of the Trio Vol 1 (1997)
Brad Mehldau
おそらくキースの演奏に最初に触発されたピアニストがブラッド・メルドーBrad Mehldau で、『
The Art of the Trio Vol.1』(1997)でこの曲に初挑戦している。流れるような美しいメロディの奔流で、まるで別の曲のように格調高く仕上げてゆくキースの演奏に対して、メルドーは独特のリズムをベースにした寡黙な演奏で、余白と間合いをたっぷりと取り入れながら、訥々と、繊細にこの曲を仕上げている。他の曲を含めて、このCDを聞いただけで、メルドーがキースを含めた20世紀の他のジャズ・ピアノ奏者たちとは違う独特のフィーリングとコンセプトを持ったピアニストであることがよくわかる。

Minor Meeting (2001)
Carsten Dahl

もう1枚のピアノ・トリオは、日本のマシュマロ・レーベル(Marshmallow Records )からリリースされたデンマークのピアニスト、
カーステン・ダールCarsten Dahl トリオの『マイナー・ミーティングMinor Meeting』(2001)だ(Jesper Lundgaard-b、Alex Riel-ds)。ダールは元ドラマーで、デンマークを代表するピアニストであり、今は絵画も手掛ける芸術家。ジャケット写真がジャズっぽくないのが残念だが、内容はバラード系のスタンダード曲を集めたもの。このCDは録音が独特で、ピアノもベースもエコーがかなり強めだが、逆にそれがこの曲の耽美的性格を強調しているので、そういうサウンドが好みの人にとってはいいかもしれない。この人の演奏はどの曲にも不思議な感覚がある。ダールの作品は、同じくマシュマロからリリースした『ブルー・トレインBlue Train』(2005)も持っているが、こちらはメンバー、録音ともに違うので本作とはイメージが異なる。

Pao (2001)
Eugene Pao
私有のCD中、この曲の唯一のギター・ヴァージョンが収録されているのがユージン・パオ
Eugene Paoの『Pao』(2001 Stunt) だ。このCDは私の愛聴盤で、本ブログ記事の「ジャズ・ギターを楽しむ(1)」(2018/10)でも紹介している。ユージン・パオは、香港生まれ北米(アメリカ、カナダ)育ちのジャズ・ギタリストで、このCDもマッズ・ヴィンディングMads Vinding(b)のトリオ(Alex Riel-ds、Olivier Antunes-p)というデンマークのミュージシャンとの共演盤である。全9曲のうち6曲がナイロン弦のガットギターによる演奏で、"Blame It on My Youth"の他、ウェイン・ショーター作の"Infant Eyes" や"My Foolish Heart" などの古いバラード曲の演奏は、ナイロン弦の響きがとても曲調と合っている。録音も非常にクリアで、共演のマッズ・ヴィンディングのベース、オリビエ・アントゥヌスのピアノの音色、パオのガットギターの響きも余韻も非常に美しい。