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2020/08/08

「エスターテ(Estate)」を聴く夏

《「あの頃のジャズ」を読む》 はまだ連載途中なのだが、昔のことをあれこれ思い出しながら書いているうちに、イントロ部分が予想外にどんどん長くなってしまい、まだ本論(?)の入り口に辿り着いたばかりだ。コロナと長雨で史上最悪となった鬱陶しい梅雨がやっと明けたことだし、<interlude>として、一息入れて夏らしい名曲と演奏を取り上げてみたい。         

Amoroso
João Gilberto / 1977 Warner Bros
 
<エスターテ Estate>は、ジョアン・ジルベルトJoão Gilberto (1931-2019) のアルバム『Amoroso(イマージュの部屋)』(1977 Warner Bros.)での歌唱で有名になり、ボサノヴァのみならずジャズ・スタンダードの1曲としても知られるようになった曲だ。クラウス・オガーマンの涼し気なストリングス・オーケストラをバックにして、有名なスタンダードやボサノヴァを唄う『Amoroso』での、けだるく哀愁に満ちたジョアンの歌が好きで、昔から特に夏になるとこのアルバムをよく聴いてきた。しかし、<エスターテ>の原曲はてっきりブラジルの曲で、ポルトガル語だとばかり思い込んでいて、しかも<Estate>というタイトルの意味も、歌詞も、英語からの連想で「地所」とか「財産」とかに関係があるのだろう、くらいにしか思っていなかった。というのは、何せポルトガル語で唄う歌は響きが美しく心地よいので、ボサノヴァを聴くときも歌詞の意味などまったく考えもせず、ひたすらその「サウンド(言葉の響き)」しか聞かないクセがついてしまっているからだ。小野リサの歌などもそうだし、ジャズ・ヴォーカルも一部を除けばそうだ(それにポピュラー曲の歌詞そのものは、大体において、愛だの恋だのといった、ありきたりの内容が実際多い)。おまけにジョアンのボサノヴァのアルバムに入っているわけで(ジョアンが唄うと、何でも「彼の歌」になってしまう)、何の疑問もなく、ブラジルの歌だと頭から思い込んでいたのである。

Live in Montreux
João Gilberto / 
1985 
だから、「この叙情的な美しい曲が、なぜ不動産や財産とかに関係するタイトルなのか不思議だ、誰かブラジルの大富豪にでも関係する歌なんだろうか…」、くらいにずっとぼんやり考えていた(いい加減で、ほとんど何も考えていない…)。まさに翻訳家にあるまじき怠慢だが、ついこの間、思い立って調べてみたら(Wiki)、実は原曲はブルーノ・マルティーノ Bruno Martino (1925 – 2000)というイタリア人のジャズ・ピアニスト兼歌手がイタリア語で書いた曲で、曲名の<Estate>は何とイタリア語で<夏>という実にシンプルな意味だった。知っている人は当然知っていたのだろうが…恥ずかしながらまったく知らなかった(ただし原題は、過去のいろんなことを思い出すので「夏が嫌い」という歌だったらしい)。1960年代にこの曲を聴いたジョアン・ジルベルトが気に入り、その後ずいぶん経った1977年になってから、そのまま「イタリア語で」唄って録音したという驚くべき(?)事実も知った。どおりで夏に聴きたくなるわけで、確かに言われてみれば、『ニューシネマパラダイス』等の音楽に通じるイタリア的メランコリーが強く感じられる曲なのだ。どこか懐かしさを漂わせるメロディは、真夏というよりも、むしろ過ぎゆく夏を惜しむ晩夏を感じさせる曲だ。しかしながら、スペルのまったく同じ《estate》が、イタリア語(エスターテ)だと<夏>という意味で、なぜ英語圏(エステート)では《real estate》を含む<不動産>や<財産>とかいう意味なのか、その語源や関係も調べてみたが、(ラテン語系にはまったく詳しくないので)これもよく分からなかった。しかしまあ、それ以来安心して(?)「夏の曲」として楽しめるようになった。ギター1本でジョアンが唄うヴァージョンはいくつかあるが、1985年のスイス「モントルー・ジャズ祭」で、ヨーロッパの聴衆を前にして、ジョアンのヒット曲ばかりを唄うライヴ録音『Live in Montreux』(1985) がやはり最高だろう。

Estate
Michel Petrucciani / 
1982 IRD 
ジョアンの後、ジャズの世界でも取り上げられるようになったそうだが、ジャズ界でいちばん有名な演奏は、イタリア系フランス人ピアニストであるミシェル・ペトルチアーニ Michel Petrucciani(1962 - 92)が、ジョアンの『Amoroso』から5年後に、ピアノ・トリオでリリースしたアルバム『Estate』(1982 IRD)だろう(Furio Di Castri–b、Aldo Romano–ds)。骨形成不全症という障害を抱えていたが、素晴らしい才能を持っていたペトルチアーニは、80年代初めにチャールズ・ロイドや、当時ヨーロッパで活動していたリー・コニッツとも共演し、この頃米国デビューを果たしている。まさにサウダージを感じさせる、遥か遠くを見ているようなジョアンの歌と比べて、おそらく強いコントラストを感じさせる独特の録音(若干シャープでハイ上がりに聞こえる)のせいもあって、このアルバムでペトルチアーニが弾く<Estate>からは、哀切さを超えて、どこか悲痛な嘆きまでが聞こえてくるような気がする。やはりイタリアの熱い血が、どこかその表現につながっていて、それも、この演奏が聴き手に鮮烈な印象を残す理由ではないかという気がする。だから、ジャズで<Estate>と言えば、やはりこのペトルチアーニの演奏なのである。他の曲も含めて、当時まだ20歳のペトルチアーニの瑞々しい演奏が聴ける素晴らしいアルバムだ。

Take a Chance
Joanne Brackeen /1994 Concord 
他にどういう演奏があるのか、例によってi-Tunesで手持ちのアルバムを調べてみたら、ピアノ・トリオによる演奏がほとんどだ。ネットで調べてみると、ヴォーカルやホーンの入ったアルバムもあるが、ヴォーカルではどうやってもジョアンを超えられないが、ボサノヴァのムードと美しいメロディ、それにペトルチアーニの鮮烈なジャズ演奏があるので、ジャズ界ではやはりピアノ・トリオが標準的なフォーマットになったのだろう。しかし、この曲はメロディが際立ってメランコリックなので、ジャズとしては演奏しにくい部類の曲(単調になる)で、やはりボサノヴァとして軽くムーディに弾き流すような演奏が多い。1990年代になると、ギルド・マホネス Gildo Mahones が『Gildo Mahones Trio』(1991 Intetplay) でボサノヴァ風に弾いており、94年にはアメリカ人のベテラン女性ピアニスト、ジョアン・ブラッキーン Joanne Brackeen (1938-) がボサノヴァ曲を演奏した『Take a Chance』(Concord) というアルバム(Eddie Gómez–b、Duduka da Fonseca–ds)で取り上げている。ブラッキーンという人は、女性らしからぬパワフルでスピード感のある演奏をする人だが、ボサノヴァ曲を集めたこのアルバムでも、どの曲もべたつかずに、比較的あっさりさっぱりと夏向きに弾いている。Concordらしいクリーンな録音も良く、原曲のメロディに寄りかかりすぎず、エディ・ゴメスの短いベース・ソロも入れたジャズ的な演奏も気に入っている。

Never Let Me Go
 Robert Lakatos / 2007澤野工房
その後21世紀になると手持ちアルバムが増えて、カスパー・ヴィヨーム Kasper Villaume の『Estate』(2002)、シェリー・バー グ Shelly Berg の『Blackbird』(2003)、ルイス・ヴァンダイク Louis Van Dijk の『Ballads In Blue』 (2004)、ロバート・ラカトシュ Robert Lakatos の『Never Let Me Go』(2007) と、やはりペトルチアーニの影響か、ヨーロッパ系ピアニストによるトリオ・アルバムが多いようだ。しかしジャズにそれほど熱心でなくなった2000年代になってから、なぜこの種の比較的マイナーなピアノ・トリオのCDを何枚も買ったのか、自分でもその理由をよく覚えていない。ジャズ好きは、ミュージシャンや、バンド編成や、特定の曲など、ある時マイブームになって集中的に聴くことがあるので、仕事のストレスなどから「聞き疲れしないピアノ・トリオ」を、という時期だったのかもしれない。基本的にメロディをあまりいじれない曲で、どのアルバムもしっとりとしたムーディな演奏なので、優劣よりも好みだろう。個人的には、夏に聴くには、やはりあまり粘らないすっきり系が好みなので、ハンガリーのピアニスト、ロバート・ラカトシュ盤のジャズ的で、かつ端正でクリーンな演奏がいちばん気に入っている (Fabian Gisler-b, Dominic Egli-ds)。このアルバム『Never Let Mr Go』は、タイトル曲や<Estate>に加え、<My Favorite Things>など他の曲も含めて選曲がよく、しかも録音が非常に優れていて全体にピアノの響きが美しいので、ピアノ・トリオ好きな人にはお勧めだ。

ネットで曲だけ探せば、まだまだヒットするのだろうが、あくまでアルバム(CD)として保有しているという条件では、この曲が入っている唯一ピアノ以外の手持ちアルバムは、アコースティック・ギターでジャズを弾く加藤崇之の『Guitar Standards』 (2001 TBM) だけである(井野信義、是安則克-b、山崎比呂志、小山彰太-ds) 。このCDはジャズ・スタンダードを取り上げたもので、録音も良く、演奏もユニークでなかなか素晴らしいギター・アルバムだが、今はもう廃盤らしい。<Estate>で加藤は、スチール絃のギターを用い、ユニークなイントロをはじめ、斬新な解釈で仕上げている。そしてもう1枚日本人の演奏として、評判が良いので探しているのが、安次嶺悟(あじみね・さとる)という関西を拠点にする日本人ピアニストの『For Lovers』(2009) という作品だが、このCDももう市場にないようで、残念ながらいまだに入手できていない。

2017/05/15

Bossa Nova(番外編): ボサノヴァ・コニッツ

ボサノヴァ特集(?)の最後を飾るのは、やや好事家向けになるがジャズ・アルトサックス奏者リー・コニッツのボサノヴァだ。コニッツはブラジル音楽、とりわけアントニオ・カルロス・ジョビンのファンだったが、同業者のスタン・ゲッツが1960年代初めにテナーでボサノヴァを取り上げて大ヒットさせたこともあって、以来自分では手をつけてこなかったそうである(自伝での本人談。悔しかったのか?)。しかし1980年代から第2期黄金期を迎えていた(と私は思う)コニッツは、60歳を過ぎた1989年にブラジル人ミュージシャンと作った「リー・コニッツ・イン・リオ」(M.A.Music)を皮切りに、そのスタン・ゲッツの葬儀(1991年)で出会ったラテン音楽好きの女性ピアニスト、ペギー・スターン Peggy Stern (1948-) と活動を開始したこともあって、90年代に入ってからブラジル音楽を取り上げた作品を積極的にリリースした。ただし、それらはいずれもジャズ・ミュージシャン、リー・コニッツ流解釈によるブラジル音楽であり、”普通の” ボサノヴァを期待すると面食らうこともある。

ペギー・スターン(p, synt)とのデュオ「ジョビン・コレクションThe Jobim Collection」(1993 Philology)は、アントニオ・カルロス・ジョビンの作品のみを演奏したアルバムだ。非常に評判が良かったらしいが、Philologyというイタリアのマイナー・レーベルでの録音だったこともあって発売枚数が少なく、今は入手しにくいようだ(私も中古を手に入れた)。ゲッツから遅れること30年、ようやく手掛けたボサノヴァとジョビンの名曲の一つひとつを楽しむかのように、コニッツにしてはアブストラクトさを控え、珍しく感傷と抒情を衒いなく表した演奏が多い (本人もそう認めている)。コニッツならではの語り口による陰翳に富んだボサノヴァは、これはこれで非常に魅力的である。またデュオということもあって、各曲ともほとんど3分から5分程度で、ブラジル音楽を取り上げた他のバンドによるアルバムに比べ、メロディを大事にしながらどの曲もストレートに歌わせているところも良い。ペギー・スターンはピアノとシンセサイザーを弾いているが、どの曲でも非常に美しくモダンで、かつ息の合ったサポートでコニッツと対話している。馴染み深いジョビンの有名曲が並びどれも良い演奏だが、ここではメロディのきれいな<Zingaro>、<Dindi>、コニッツ本人も好きだと言う<Luiza>での両者のデュオが特に美しい。

その後コニッツは、日本のヴィーナス・レーベルからボサノヴァのアルバム「ブラジリアン・ラプソディ」(1995)と「ブラジリアン・セレナーデ」(1996)という2枚のレコードをリリースしている。「ラプソディ」にはペギー・スターンがピアノで参加し、「セレナーデ」はトランペットのトム・ハレル、ブラジル人ギタリストのホメロ・ルバンボ、ピアノのデヴィッド・キコスキー他を加えた2管セクステットによるジャズ・ボッサで、こちらも8曲中5曲がアントニオ・カルロス・ジョビンの有名作品だ。ジョビンの曲は、基本的にジャズ・スタンダードのコード進行を元にしているので、ジャズ・ミュージシャンにとっては非常に馴染みやすいのだという。だが、そのメロディはやはりどの曲もブラジルらしい美しさに満ちている。他の3曲は、<リカード・ボサ・ノヴァ>、トム・ハレルとコニッツのタイトル曲がそれぞれ1曲で、このレコードではいずれもオーソドックスなジャズ・ボッサを演奏している。

もう1枚はマイナー盤だが、コニッツが ”イタリア人” のボサノヴァ歌手兼ギタリストのバーバラ・カシーニ Barbara Casini (1954-)と、ボサノヴァの名曲をカバーしたトリオによるアルバム「Outra Vez」(2001 Philology)だ。ギターに同じくイタリア人のサンドロ・ジベリーニ Sandro Gibelini がガットとエレクトリック・ギター両方で参加している。バーバラ・カシーニは初めて聴いたが、コニッツがそのタイム・フィーリングの素晴らしさを称賛しているだけあって非常に良い歌手だ。声はジョイス Joyce (1948-)に似ているが、かすかにかすれていて、しかし良く通るきれいな歌声だ。小編成のボサノヴァ演奏ではガット・ギターが普通で、エレクトリック・ギターは珍しいと思うが、ジベリーニはまったく違和感なくこなしていて、ジム・ホールを彷彿とさせる柔らかく広がる音色が全体を支え、カシーニの歌声、コニッツのアルトサックスの音色ともよく調和している。このCDではコニッツがアルトに加えて、なんと2曲スキャットで(!)参加している。このコニッツのヴォーカルをクサしているネット記事を見かけたことがあるが(このCDを聴いていた人がいるのにも驚いたが)、私は「悪くない」と思う。うまいかどうかは別にして、録音当時73歳にしてリズム、ラインとも実に味のある ジャズ” ヴォーカルを聞かせていると思う。まず「歌う」ことがコニッツのインプロヴィゼーションの源なので(自伝によれば)、歌のラインは彼のサックスのラインと同じなのだ。半世紀前のカミソリのように鋭いアルトサウンドを思い浮かべて、カシーニをサポートするたゆたうような優しいサックスとヴォーカルを聴いていると、過ぎ去った月日を思い、まさにサウダージを感じる。

2017/05/12

Bossa Nova #4:バーデン・パウエル

いわゆる穏やかなボサノヴァとは対極にあるのが、ギタリストのバーデン・パウエル Baden Powell (1937-2000) の音楽だ。ここに挙げた邦題「黒いオルフェーベスト・オブ・ボサノヴァ・ギター」というCDは、1960年代に演奏されたバーデンの代表曲を集めたベスト・アルバムで、昔から何度もタイトル名やジャケット・デザインを変えて再発されている。今や古典だが、彼が最も脂の乗った時期の演奏であり、どの曲も演奏も素晴らしいので、いつになっても再発されるのだろう。ここでは<悲しみのサンバ Samba Triste>などバーデンの代表曲の他に、<イパネマの娘>などボサノヴァの名曲もカバーしているが(タイトルもそうだが)、彼のギターの本質はいわゆるボサノヴァではない。アフロ・サンバと呼ばれる、アフリカ起源のサンバのリズムを基調としたより土着的なブラジル音楽がそのルーツであり、ボサノヴァのリズムと響きを最も感じさせるジョアン・ジルベルトが弾くギターのコードとシンコペーションと比べれば、その違いは明らかだ。だからサンバがジャズと直接結びついて生まれたボサノヴァと違い、バーデンの音楽からはあまりジャズの匂いはしない。このアルバムで聴けるように、彼のギターは力強く情熱的で、圧倒的な歯切れの良さとブラジル独特のサウダージ(哀感)のミックスがその身上だ。特にコードを超高速で刻む強烈なギター奏法は、40年以上前のガット・ギター音楽に前人未踏の独創的世界を切り開いた。もちろんバーデンもボサノヴァから影響を受け、またボサノヴァに影響を与えた。だからその後のブラジル音楽系のギタリストは、ジョアン・ジルベルトと並び、多かれ少なかれバーデン・パウエルの影響を受けている。

60年代全盛期のバーデン・パウエルは世界中で支持されたが、当時のその神がかったすごさは、1967年にドイツで開催された「Berlin Festival Guitar Workshop」(MPS) という、ブルース奏者(バディ・ガイ)やジャズ・ギター奏者(バーニー・ケッセル、ジム・ホール)等と共に参加したコンサート・ライヴ・アルバムで聞くことができる(このコンサートをプロデュースしたのはヨアヒム・ベーレントとジョージ・ウィーン)。ここでは <イパネマの娘> 、<悲しみのサンバ>、 <ビリンバウ> の3曲をリズム・セクションをバックに演奏しているが、いくらかスタティックな他のスタジオ録音盤とは大違いの、迫力とスピード、ドライブ感溢れる超高速の圧倒的演奏で会場を熱狂させている(CDではMCがカットされたりしていて、LPほどはこの熱狂が伝わってこないが)。この時代1960年代後半は、バーデンは特にヨーロッパで圧倒的な支持を得ていたが、ベトナム反戦、学生運動、公民権闘争など当時の激動の世界が、フリー・ジャズやバーデンのギターから聞こえる既成の枠を突き破ろうとする新しさと激しさに共感していたのだろう。バーデンはセロニアス・モンクやジョアン・ジルベルトと同様に、その奇行や変人ぶりでも有名だったが、こうした素晴らしい音楽を創造した天才たちというのは、いわば神からの贈り物であり、常人が作った人間世界の決まり事を尺度にあれこれ言っても仕方がない人たちであって、正直そんなことはどうでもいいのである。

バーデン・パウエルは、映画「男と女」(1966) にも出演したフランス人俳優、歌手、詩人、またフランス初のインディ・レーベル 「サラヴァ Saravah」主宰者としても知られる文字通りの自由人ピエール・バルー Pierre Barouh (1934-2016)との親交を通じて、フランスにブラジル音楽を広めた一人でもあった。バルーも、バーデンの協力を得ながら曲を作り、自らブラジル音楽をフランス語で歌い、フランスにボサノヴァを広めた。彼はまた日本人ミュージシャンたちとの親交でも有名な人だが、Saravah創設50周年を迎えた昨年12月末に82歳で急死した。そのバルー追悼として最近再発されたDVDサラヴァ- 時空を越えた散歩、または出会い」(ピエール・バルーとブラジル音楽1969~2003)は、1969年のブラジル訪問以降、バーデン・パウエル他のブラジル人ミュージシャンたちとの交流を通じて、バルーがどのようにブラジル音楽を理解していったのか、その旅路を自ら記録した映像作品だ。若きバルーやバーデンと、ピシンギーニャ他のブラジル人ミュージシャンたちが居酒屋に集まって即興で演奏する様子(ギターはもちろんすごいが、歌うバーデンの声の高さが意外だ)などを収めた貴重なドキュメンタリー・フィルムは、バルーのブラジル音楽への愛情と尊敬が込められた素晴らしい作品だ

バーデン・パウエルは1970年に初来日して、その驚異的なギターで日本の人々を感激させている(ジョージ・ウィーンがアレンジしたこの時のツアーには、セロニアス・モンクもカーメン・マクレー等と参加していた)。日本でそのバーデン・パウエルのギター奏法から大きな影響を受けたと思われるのが、歌手の長谷川きよし(1949-)やギタリストの佐藤正美(1952-2015)だ。長谷川きよしのデビューは1969年で、<別れのサンバ>に代表される初期の曲で聴けるサンバやボサノヴァ風ギターには、バーデンのギターの影響が濃厚だ。バーデンを敬愛していた佐藤正美はより明快に影響を受けていて、1990年のCD「テンポ・フェリス Tempo Feliz」(EMI)は、バーデンへのオマージュとして聞くことのできる優れたアルバムだが、ここでの演奏はボサノヴァ色をより強めたものだ。背景に海辺の波の音を入れた録音には賛否があったようだが、これはこれで非常にブラジル的なムードが出ていて、リラックスして聴けるので私は好きだ。昔、渡辺香津美との共演ライヴで聴いた佐藤正美のギターも実に素晴らしかった。その後、独自のコンセプトで様々な演奏と多くのアルバムを残した佐藤正美氏は、残念ながら2015年にバーデン・パウエルと同じ享年63歳で亡くなった。

2017/05/09

Bossa Nova #3:ジャズ・ボッサ

ジャズ・ボッサ系のインストものと言えば、やはりギターを中心にしたアルバムを聴くことが多いが、唯一の例外が、毎年夏になると聴いている、ストリングスの入ったアントニオ・カルロス・ジョビン Antonio Carlos Jobim (1927-94) の「波 Wave」(1967 A&M) だ。ジャズファンでなくとも誰でも知っている超有名なアルバムだがジョビンの書いたボサノヴァの名曲が、ストリングスの美しい響きとジョビンのピアノ、リラックスしたリズムで包まれたイージーリスニング盤である(制作はクリード・テイラー)。全編爽やかな風が吹き抜けるような演奏は、非常に気持ちが良くて何も考えたくなくなる。いつでも聴けるし、おまけに何度聴いても飽きない。(そう言えば夏だけでなく1年中聴いているような気もする。)ジョビンのこのアルバムに限らず、よくできたボサノヴァにはやはり人を穏やかな気分にさせるヒーリング効果があると思う。

ジェリー・マリガン Gerry Mulligan (1927-96) が女性ヴォーカルのジャンニ・デュボッキJane Duboc (1950-)と組んだ「パライソ Paraiso(楽園)」(1993 Telarc) は、スタン・ゲッツとブラジル人ミュージシャンがコラボした1960年代の作品に匹敵する素晴らしいアルバムだと思う。1曲目<Paraiso> のワクワクするようなサンバのリズムで始まる導入部から最後の曲<North Atlantic Run> まで、タイトル通り全編とにかく明るく開放的なリズムと歌声、美しいサウンドで埋め尽くされている。唯一の管楽器であるジェリー・マリガンのバリトンサックスに加え、他のブラジル人ミュージシャンたちによるギター、ピアノ、ドラムス、パーカッション各演奏それぞれが強力にスウィングしていて、音楽的な聴かせどころも満載である。またジャズにしてはいつも「音が遠い」Telarcレーベルの他のアルバムと違い、空間が豊かでいながら、声と楽器のボディと音色をクリアーに捉えた録音も素晴らしく、とにかく聴いていて実に気持ちのいいアルバムだ。ブラジル人作曲家ジョビン、モラエス、トッキーニョの3作品以外の8曲は、マリガンがこのアルバムのために書き下ろした自作曲にデュボッキがポルトガル語の歌詞をつけたものだという。マリガンのバリトンサックスの軽快で乾いた音色と、デュボッキの透き通るような歌声が、聴けばいつでも 「楽園」 に導いてくれる "ハッピージャズ・ボッサの傑作である。

「ジャズ・サンバ・アンコール Jazz Samba Encore」(1963 Verve) は、スタン・ゲッツ(ts) がチャーリー・バード(g)と共演してヒットさせた「Jazz Samba」(1962 Verve) の続編という位置づけのアルバムだ。アメリカ人リズム・セクションも参加しているが、ピアノにアントニオ・カルロス・ジョビン、ギターにルイス・ボンファ Luiz Bonfá (1922-2001) 、ヴォーカルにマリア・トレード Maria Toledo (当時のボンファの奥さん)というブラジル人メンバーが中心となって、ジャズ色の強い”アメリカ製”ブラジル音楽といった趣の強かった「Jazz Samba」に比べ、よりブラジル色を打ち出している。当時のスタン・ゲッツはゲイリー・マクファーランド(vib)、チャーリー・バードらと立て続けに共演してブラジル音楽を録音しており、ボンファたちとこのレコードを録音した翌月に吹き込んだのが、ジョアン&アストラッド・ジルベルトと共演した「Getz/Gilberto」だった。ルイス・ボンファは「カーニバルの朝」の作曲者としても知られるブラジルの名ギタリストで、このアルバムでもボンファのギターには味わいがある。ジルベルト夫妻盤にも負けない、この時代のベスト・ジャズ・ボッサの1枚。

イリアーヌ・イーリアス Eliane Elias (1960-)はクラシック・ピアノも演奏するブラジル出身のジャズ・ピアニストだ。80年代にランディ・ブレッカーと結婚して以降、その美貌もあってボサノヴァのピアノやヴォーカル・アルバムをアメリカで何枚も出している。ヴォーカルは私的にはあまりピンと来ないが(このアルバムでも1曲歌っている)、ピアノはクラシック的な明晰なタッチと、ブラジル風ジャズがハイブリッドしたなかなか良い味があると思う。中でもアントニオ・カルロス・ジョビンの曲を取り上げ、エディ・ゴメス(b)とジャック・デジョネット(ds)、ナナ・ヴァスコンセロス(perc)がバックを務めた初期の「Plays Jobim」(1990 Blue Note) は愛聴盤の1枚だ。彼女をサポートする強力な3人の技もあって、ジョビンの静謐なムードを持つ美しい曲も、快適にスウィングする曲も、どちらも非常に楽しめるピアノ・ボッサ・アルバムだ。

もう1枚は超マイナー盤だが、のんびりと涼しい海辺で聴きたくなるような、ギターとピアノのデュオによるイタリア製ボッサ・アルバムSossego」(2001 Philology)だ。ポルトガル語のタイトルの意味を調べたら平和、静か、リラックスなどが出てくる。多分「安息」が最適な訳語か。そのタイトルに似合うスローなボサノヴァと、<Blue in Green>などのジャズ・スタンダードの全13曲をほぼデュオで演奏したもの。ギターはイリオ・ジ・パウラ Irio De Paula(1939-)というブラジル人で、70年代からイタリアで活動しているギタリスト。ピアノのレナート・セラーニ Lenato Sellani (1926-)はイタリアでは大ベテランのジャズ・ピアニストだ。調べたら二人ともイタリアで結構な数のアルバムをリリースしている。録音時は二人とも60歳過ぎのベテラン同士なので、当然肩肘張らないリラックスした演奏が続く。人生を知り尽くした大人が静かに対話しているような音楽である。聴いていると、海辺の木陰で半分居眠りしながら夢でも見ているような気がしてくる。この力の抜け具合と、涼しさを感じさせるサウンドが私的には素晴らしい。

2017/05/06

Bossa Nova #2:ジョアン・ジルベルト

アントニオ・カルロス・ジョビンと並んで、ジョアン・ジルベルト João Gilberto (1931-) はボサノヴァそのものだ。というか歌のボサノヴァとはジョアン・ジルベルトのことだ、と言ってもいいくらいだ。「ジョアン・ジルベルトの伝説」(1990 World Pacific) というレコードは、ジョアンの初期1959年から60年代初めの頃の3枚の作品を編集した全36曲からなるアルバムだったが、ジョアンの承諾なしに発売したため訴訟問題となって現在は再発できない状況らしい。しかしカルロス・ジョビンの代表曲<想いあふれて Chega de Saudade>から始まるこのレコードは、まさにボサノヴァの名曲のオンパレードで、全曲を通して若きジョアン・ジルベルトの瑞々しい歌声と、ボサノヴァ・ギターの原点というべきあの独特のシンコペーションによるギター・プレイが聴ける。「ボサノヴァとは何か」と聞かれたら、このレコードを聴けと言えるほど素晴らしい内容である。今は中古で探すか、バラ売りされている初期レコードのCDを探すしかないようだ。(同じタイトルで現在ユニヴァーサルから出ている別ジャケットCDは、ジョアン公認と書かれているが、収録内容は異なるようだ)


「ゲッツ/ジルベルト Getz/Gilberto」(1963 Verve)は、当時ヨーロッパから帰国し、ギターのチャーリー・バード Charlie Byrd (1922-99)と共演した「ジャズ・サンバ Jazz Samba(Verve 1962) 他でブラジル音楽に挑戦していたテナーサックス奏者、スタン・ゲッツとジョアン・ジルベルトがアメリカで共作した歴史的名盤だ。録音時ジョアンはこのコラボには満足していなかったようだが(ジャズとボサノヴァの感覚の違いだろう)、結果としてこのレコードはアメリカで大ヒットしてグラミー賞を受賞する。アントニオ・カルロス・ジョビンもピアノで参加し、クールなゲッツのサックスも気持ちの良い響きだし、ジョアンも、当時の妻アストラッド・ジルベルトともに若く瑞々しい歌声がやはりいい。特にアストラッドが英語で歌った<イパネマの娘>が大ヒットし、この後Verveに何枚かゲッツとの共作が吹き込まれている。演奏されたどの曲も超有名で、今やジャズ・ボッサの古典だが、ジャズという音楽とプレイヤーを媒介にしたこのアルバムの大ヒットが起点となって、その後ボサノヴァがワールド・ミュージックの一つとしてブレイクしたのは紛れもない事実である。半世紀経った今聴いても新鮮な響きを失わないという一点で、このアルバムが時代を超えた真にすぐれた音楽作品であることが証明されている

ジョアン・ジルベルトはその後も多くの素晴らしいレコードを残しているが、私はどちらかと言えばスタジオ録音よりライヴ・アルバムが好みだ。ジャズもそうだが、ライヴにはスタジオでの緊張感や「作られ感」がなく、中にはミスしたり完成されていない演奏もあるのだが、一般に伸び伸びとした解放感が感じられ、聴衆の反応と呼吸を合わせてインスパイアされるプレイヤーの「喜び」のようなものが聞こえてくるからだ。演奏や録音の出来不出来より、そうした現場感がなによりリアルで楽しいのである(もちろん実際のライヴ会場にいるのが最高なのだが)。特にジョアンのような音楽は、聴き手あっての場がやはりふさわしいと思う。ジョアンのライヴ録音と言えば、1985年のモントルー・ジャズ祭での「ジョアン・ジルベルト・ライヴ・イン・モントルー João Gilberto Live in Montreux」が素晴らしいライヴ・アルバムだ。若い時代のような瑞々しさはないが、ここでは実に円熟した歌唱が聞ける。会場の盛り上がる反応もよく捉えられていて、それでジョアンが乗ってくる様子もよくわかる。何よりギター1本と歌だけで、これだけのステージをやれるというのがとにかくすごい。


もう1枚のライヴ・アルバム「Eu Sei Que Vou Te Amarはそれから9年後の1994、ジョアン64歳の時のブラジル・サンパウロでのライヴ録音である。TV放送とか、たぶん収録曲数を増やすために編集されているので、終わり方や曲間が不自然な部分もあるが、そこはブラジル製(?)と思えば気にはならない。また声もギターの音もクリアで、ナチュラルに録れており、響きも良い。客人の立場だったモントルーと違い、地元の聴衆を前にしているせいか、どことなく気楽さが感じられるし、歳は取ったが声もギターの調子もこの日は良いようだ(たぶん?)。あまり気にしたことはないが、やはりポルトガル語の歌詞による微妙な表現のおもしろさとか歌唱技術は、現地の人にしかわからないニュアンスというものがあるのだろう。とにかく非常にリラックスしたジョアンの歌とギターによる名曲の数々が、ライヴ会場にいるかのように楽しめる1枚だ。

2017/05/03

Bossa Nova #1:女性ヴォーカル

春が終わり、初夏になるとボサノヴァを聴きたくなる。そこで小野リサのコンサートに出かけた。これまでライヴを聞き逃してきたのでCDでしか聞いたことがなく、「生」の小野リサは初めてだ。聞けば来年はデビュー30周年になるのだそうだ。自分の中ではずっとデビュー当時の彼女しかイメージがなかったが、もうそれなりの年齢になっているということであり、なるほどこちらも歳を取るわけである。長年の私の小野リサ愛聴盤は25年前の「ナモラーダ Namorada」(1992 BMG)だ。トゥーツ・シールマンズのハーモニカや、当時の彼女のシンプルな歌とギターが気に入っているからだ。今回のコンサートはピアノの林正樹他3管のセクステットをバックにして、ボサノヴァだけでなく、ジャズあり、サルサあり、ロックあり、ポップスあり、近年フィーチャーしている日本の歌ありという多彩な構成だった。さながら小野リサのカラオケみたいな趣がないではないが、彼女を小野リサたらしめるあのハスキーでソフトな歌声も、超複雑なメロディの音程を決してはずさないブラジル仕込みの安定したピッチも、もちろんそのリズム感もそうだが、ポルトガル語、英語、日本語を駆使して歌う彼女の歌はやはり素晴らしい。未だにたどたどしい、のんびりした日本語の語りもかえって好感が持てる。しかしポルトガル語の歌が、何と言ってもやはり最高だ。生の小野リサのステージは非常に楽しめた。

私はジャズとボサノヴァをほぼ同時併行で聴き始めたので、ボサノヴァのレコードもこれまでずいぶん聴いてきた。ボサノヴァ・ヴォーカルはジョアン・ジルベルトを別にすれば、やはり女性の歌声が合っている。日本で有名な女性ボサノヴァ歌手というと、古くはアストラッド・ジルベルトであり、今はやはり小野リサだろうが、ブラジルには素晴らしい女性歌手がまだまだいる。私が聴いてきたそういう歌手の一人がナラ・レオンNara Leão (1942-1989)で、彼女の「美しきボサノヴァのミューズ Dez Anos Depois」(1971 Polydor)では、まさにボサノヴァの本道とも言うべき歌唱が聞ける。このアルバムは、ナラ・レオンが1960年代後期にブラジル独裁政権の抑圧から逃れてフランスに一時的に亡命していた時代、歌からしばらく遠ざかっていた1971年のパリで、しかも世界的ボサノヴァ・ブームが去った後に、彼女にとって初めてボサノヴァだけを録音したものだ。大部分がギターとパーカッションによる非常にシンプルな伴奏で24の有名曲を選んでいるが、決してフランス的なアンニュイなボサノヴァではない。

パリで外交官をしていたヴィニシウス・ヂ・モラエスの戯曲を基にした、フランス・ブラジルの合作映画「黒いオルフェ」(1959年)の音楽(ルイス・ボンファ)や、ボサノヴァをフランスに広めたピエール・バルーが出演し、バーデン・パウエルもギターで参加した映画「男と女」(1966)のテーマなど、古くからフランスとブラジルの音楽的結びつきは強い。言語は違うが、シャンソンの語り口とボサノヴァの囁くような歌唱にも共通点があり、クレモンティーヌに代表されるフランスの女性歌手によるフレンチ・ボッサも昔から人気だ。またボサノヴァを生んだ要素の一つ、ジャズ受容の歴史もそうであり、この二つの国には目に見えない音楽的つながりがあるようだ。ナラ・レオンにもフランス人の血が流れていたということなので、この人は言わば生まれながらのボサノヴァ歌いだったのだろう。この時代のブラジルの政治状況を知る人はあまりいないだろうし、当時の音楽家と政治の関わりを今想像するのは難しいが、ここでの歌唱は、パリという街が持つ独特の空気と、故国を離れざるを得なかった当時の彼女の心象を色濃く反映したもののように思える。ジョアン・ジルベルトと同様に、シンプルで美しい最高のボサノヴァが聞けるが、1960年代のジョアンや他の歌手から感じる、哀しみと明るさが入り混じったいわゆるサウダージとは異なる、もっと陰翳の濃い、シャンソン的な深い表現がどのトラックからも聞えてくる。透き通るような、遠くに向かって歌い掛けるような、達観したような彼女の声と歌唱は独特だ。そこに、バルバラのようなシャンソン歌手の歌唱の中にもある何か、ジャンルを超えた普遍的な音楽だけが持っている、人の心に訴えかける力のようなものを感じる。それはまたビリー・ホリデイやニーナ・シモンの、いくつかのジャズ・ヴォーカル名盤から聞こえてくるのと同じ種類のものだ。

もう一人の女性歌手はアナ・カランAna Caram (1958-)だ。アナ・カランはブラジル・サンパウロ出身だが、歌とギターによる弾き語りで1989年にアメリカCheskyレーベルから「Rio After Dark」でメジャー・デビューした。その後何枚か同レーベルでアルバムを吹き込んでいて、この「Blue Bossa」は2001年にリリースしたもの。私が所有しているアントニオ・カルロス・ジョビンが参加したデビュー作と、次作「Bossa Nova(1995)、そしてこの「Blue Bossa」の3枚はいずれも良いが、アメリカ制作ということもあり、上記ナラ・レオン盤とは違っていずれもジャズ色が強く、サウンドもモダンで洗練されている。そしてデビュー時からその素直でクセのない歌とギター、Cheskyレーベル特有のナチュラルな録音によるアコースティック・サウンドが彼女のアルバムの魅力だ。地味だし、ヴォーカルにこれと言った特色は無いのだが、なぜか時折聴きたくなるような温かく、聴いていて心が落ち着くとても自然な歌の世界を持っている。このアルバムにはジャズ・スタンダードとブラジル作品を併せて12曲が収録されているが、本人がギターも弾いているのは1曲だけで、後はバック・バンドに任せて歌に徹している。サックスを含むクインテットによるジャズ的アレンジで聞かせていて、それがまた洗練されたボサノヴァの味わいを一層感じさせる。また声と楽器の音が自然に聞こえるレーベル特有の録音も非常に良い。タイトル曲のジャズ・スタンダード<Blue Bossa>を始めとして、どの曲も柔らかい歌声、包み込むようなサックスの音色が美しく、特にボサノヴァ好きなジャズファンがリラックスして楽しめるアルバムだ。