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2019/12/09

京都晩秋行

赤山禅院
例年通り、11月末に京都へ出かけた。去年は11月中旬に行って、まだ紅葉には早すぎたので、今年は半月ほど遅らせてみた(遅らせすぎた、と言えるだろう)。最近はずっと春と秋の年2回、3泊4日と決めている。ほぼ3日間は目いっぱい使えるからだ。京都のホテルは最近予約しにくく値上がりが激しいが、リーズナブルな料金で、JRや地下鉄の駅に近く、便利で、かつできるだけ新しいホテルを選んでいる。歩き疲れて帰って寝るだけなので、高級ホテルは必要ないが、ホテルはやはり水回り、遮音など、できるだけ新しい方が一般的には快適に過ごせる。ただし時間も節約したいので、朝食付きが望ましいし、静かさという点からは、今だとアジア系観光客のできるだけ少ないホテルというのも要件だ。今回は初めて、京都駅八条口側の開業してまだ半年のホテルに宿泊したが、上記条件をほぼ満たした良いホテルだった。京都駅の南側はだいぶ開発されて昔のうらぶれた感じがなくなり、今はホテルラッシュですっかり様変わりしていた。変化から取り残されていた駅東側の崇仁地区も、京都市芸大が2023年に移転して来るということで、大掛かりな区画整備が進行中で、移行をスムースにするために、”崇仁新町” という期間限定の簡易屋台街が、行列で有名なラーメン店の向かい側に出現している。

石山寺
初日は関西在住の会社時代の先輩たちと会って、大津の石山寺に出かけ紅葉を楽しみ、瀬田川沿いを散策し、夜は近江牛料理で会食した。皆さん10歳も年長だが、まだまだお元気だ。石山寺は初めて行ったが、西国三十三所第13番札所という奈良時代創建の観音霊場で、紅葉のきれいなお寺だ。瀬田川は琵琶湖から流れ出る唯一の自然河川で、この辺りは大学のボート部などの漕艇場になっていて、広くゆったりとした穏やかな流れと周囲の景観が非常に美しい。この瀬田川がやがて宇治まで流れ下って、宇治川になるということを初めて知った(その後鴨川と合流して淀川)。関西人ではないので、地理的に琵琶湖と京都の南にある宇治という2地点が、これまでまったく結びつかなかったのだ。紫式部が『源氏物語』を起筆したのが石山寺だと言われているので、なるほど最後に宇治(十帖)ともつながっているのだ、と感心した。しかし、昨年の鞍馬寺、神護寺でも感じたが、平地は何でもないのだが、階段の多いこうした寺院は特に下りの足下が最近あやういと感じる。高所恐怖症のせいもあるが、高低差の大きな寺院巡りは、これからは遠慮することになりそうだ(先輩方のほうが、ずっとしっかりしているようで、我ながら情けない)。

実相院
2日目は洛北を目指した。まず出町柳から叡山電車で岩倉駅まで行って、そこから実相院(門跡)まで20分ほど歩いた。小さな川沿いのゆるい登りで、のんびりした良い道だ。ここは岩倉具視も一時居住していたことや、庭の紅葉が床に映る「床もみじ」で有名で、確かに美しいが、今は残念ながら内部からの写真撮影は禁止されている。それでも、やや遅い感もある紅葉と庭のたたずまいは美しい。それから修学院駅まで戻って、赤山禅院、修学院離宮(前のみ)、曼殊院という、お気に入りのコースを歩いて巡った。曼殊院(門跡)は昨秋も今春も行ったが、内部ももちろんだが、特にその外壁周りは、もみじが緑でも黄でも赤のときでも、苔の緑と調和していて、いつ訪れてもたたずまいが本当に美しい。ここは比叡山へと続く京都の東北の方角(鬼門)にあたり、高台なので風通しがよく、また京都市街の眺望や周囲の景色も良い。まだ自然も残されていて、何より春も秋も人が少なくひっそりとしているところがいい。観光客で一年中ごったがえしている嵯峨野あたりとは違い、家は増えたのだろうが、まだ昔の京都郊外のひなびた感じが味わえる場所だ。

曼殊院・外壁
周囲は他に圓光寺、詩仙堂など紅葉の見どころも多いが、今回は歩き疲れたのでスキップした。昼食は乗寺にある “ラーメン街道” と呼ばれる通り(なぜそうなったのかは不明)の某有名ラーメン店に行ってみた。生来、行列というものが大嫌いで、昔は並んで順番を待って食べるなどもってのほかだったのだが、最近は年のせいで多少気も長くなったのか、あまり苦にならなくなった(ヒマなこともある)。30分くらい並んでやっと食べたのが、ラーメンとカレー風味の鳥のから揚げという、人気のある微妙なセットメニューだったが、食べてみると、これが意外にうまくてあっさり完食してしまった。しかし、京料理の高級イメージに反して、京都には行列のできるラーメン店が昔からあちこちにあるようだが、いったいどういう歴史や背景があるのか不思議だ。「餃子の王将」も京都が発祥だし、よく言われるように、商人が多くて忙しいのでファストフードのニーズが昔からあったからなのか、貧乏学生が多いせいなのか。加えて最近は、行列に外国人観光客の姿もかなり見かけるので、安くて “ハズレのない” 食事として彼らの間で流行っていることも理由の一部なのかもしれない。

恵文社・一乗寺店
昼食後、一度行ってみたかった書店、恵文社・一乗寺店に寄ってみた。目利きのスタッフが厳選した本を並べ、小物類も販売しているというユニークな哲学で有名な書店だが、確かに外も内も個性的なたたずまいと味わいのある書店で、本好きにはたまらない雰囲気を持っている。ネットや今どきの巨大書店では絶対に味わえない、昔、街の書店に入るときに感じた、あの妙に胸がわくわくするような独特の気分を懐かしく思い出した。おまけに、そう多くはない音楽書コーナーに、私の訳書『セロニアス・モンク』と『パノニカ』の2冊が置いてあった(正直言って、これは単純に嬉しかった)。夜は、祇園の某有名居酒屋に偶然に入店できたのでそこで食事した。確かに料理も酒も旨い店だが、外国人が多いこともあって、常にわさわさして落ち着けないところと、客あしらいに多少の問題ありか(これは、まったくの個人的好みだが)。

京都市立植物園にて
翌日は、地下鉄で北山にある京都市立植物園へと向かった。ここも以前から一度行こうと思っていた場所で、紅葉もイチョウも、やや時期が遅いがきれいだった。ここは珍しい植物もたくさんあるし、何より広々していて開放的で、あまり京都らしくないところが逆にいい。流行っているのか、両手にストックを持った中高年がやたらと園内を歩いていた。健康増進のためらしいが、平地なのに妙な光景だった。

賀茂川の京都育ち(?) のサギ
北山通の進々堂で昼食をとり、植物園裏手の賀茂川沿いを歩いて南に下った。しかし大津の瀬田川もそうだったが、京都の高野川、賀茂川や鴨川は、どこも土手や河床がきれいに整備されて芝や桜や樹木が植えられ、広々とした公園のようでのんびりと散策できる。私の自宅近くを流れている川とは大違いだ。シラサギ、アオサギ、カワウ、セキレイなどは普段自宅くの川でよく見かけるので珍しくはないが、京都の池や川の水辺にいるサギたちは、サギにも京都ブランド(?)があるかのように、どういうわけか、そのたたずまいや動きまで、どこか上品で優雅に見えるから不思議だ(もちろん思い込み、なのだろうが)。それから、楽しみにしていた今宮神社名物の “あぶり餅” を久々に賞味しようと行ってみたのだが、なんと昔から向かい合わせで営業している店が2軒とも休日でがっかりした。他にもがっかりして帰る人たちを何人も見かけた。同じ日に休まず、別々の曜日を休日にしたらお互い商売的にもいいと思うのだが、なぜ同じ曜日なんだろうか? 仕方がないので、久々に隣の大徳寺の中をぶらつくことにしたが、その途中で、石田三成の墓所がある三玄院という塔頭を知った。帰りに千本通りの某有名居酒屋に寄りたかったが、予約なしでは入れそうもないので今回はあきらめた。

三十三間堂 長い…
翌日は東山方面に向かい、ずっと見損なっていた三十三間堂の内部を高校時代以来半世紀ぶりに見学した。昔のことは覚えていないが、あらためて観察すると、確かに一体一体表情の異なる千手観音像がずらりと並んだ内部の様子は壮観かつ荘厳で、本家の風神、雷神の彫像も含めて何かものすごいエネルギーというものを感じる。内部見学してみたかった隣の京都国立博物館はその週から公開は休止中で、入館できず。やむなく秀吉の大仏殿跡、方広寺の鐘、豊国神社(骨董市を開催)を見学し、甘春堂でぜんざいを食べ、六波羅蜜寺を通過、有名な幽霊飴屋で飴を買い(500円。これはナチュラルでうまい)、建仁寺の中を通って、花見小路、四条通を越え、最後に祇園の有名うどん店で柔らかめの ”京うどん” なるものを食べてから帰ろうと思ったら、なんとそこも休日で、仕方なく別の店へ入った(ツイていないが、店の休日が何曜日かは、よく確認しておくべきだったと反省)。

実質3日間の行程で、朝から晩まで1日平均2万歩近く歩いたのでかなりの距離だろう(歩き過ぎか)。今回は、できるだけこれまで行けなかった場所を訪ねる、というコンセプトだったはずだが、結局行ったのはいつもの場所が多く、まだまだ行っていない場所がかなりある。とはいえ、これまでに大方の場所には行ったはずなので、もうこれでいいかと毎回思うのだが、翌年の春や秋がやってくると、また行きたくなるのが京都の不思議だ(そういえば今回、来年流行りそうな明智光秀がらみの場所にいくのも忘れていたし…)。

2019/11/16

秋の夜長は "男性" ジャズヴォーカルで(2)

シナトラ系と対照的な、“囁き系” 歌唱の白人ジャズヴォーカリストとしては、チェット・ベイカーの他にマット・デニス Matt Dennis(1914 - 2002) という人がいる(かなりシブいが)。デニスは語りかけるような軽妙洒脱なピアノの弾き語りで、独特の味のある歌唱を聞かせたが、実は数々の名曲を書いた作曲家でもあった。<Violet for Your Furs>、<Angel EyesEverything Happens to Me>、<Will You Still Be Mine?>などの有名ジャズ・スタンダード曲がデニスの代表的作品で、数えきれないほどのジャズ・ミュージシャンがこれらの曲を取り上げている。これらの名曲を自身でカバーした『Matt Dennis Plays and Sings』(1954年?)は、ハリウッドのクラブ「Tally-Ho」でのライヴ録音で、ベース、ドラムスも入ったトリオによる演奏だ。ジャズはやはり、レコードもライヴ録音がいちばんいい。一聴、鼻歌みたいで声量には欠けるが、気負いも何もなく、何気なく語りかけるようなデニスの自然体のシャンソン風歌唱は、シナトラ系とは正反対だが、上手下手を超えて、ジャズという音楽の持つ最高の美点の一つであるリラクゼーションを絵に描いたような演奏と歌である。この洒脱さはニューヨークではなく、やはり西海岸ならではのものだろう。2曲だけ女性とのデュオのトラックがあるが、相手は奥さんである。

ところで、マット・デニスのこのリラックスしたピアノの弾き語りを聴いていると、いつも思い出すことがある。それは米国親会社への初出張時に同行したジャズ好きの先輩が連れて行ってくれた、シカゴの某ホテル地下にあったジャズクラブ(名前は忘れた)で聞いたジョージ・シアリング George Shearing (1919-2011) のソロ・ピアノだ。1981年のことで、シアリングのピアノを生で、しかも目の前で聞けるという、まさしく ”アメリカン” なジャズクラブの夜だった(シアリングはイギリス人だが)。初出張、初ライヴで舞い上がっていたこともあって、今と同じで演奏内容はよく覚えていないが、シアリングがピアノを弾く姿だけはよく記憶している。ちなみに、その前日はサンフランシスコで「キーストン・コーナー Keystone Korner」に寄って、当時人気絶頂だったリッチー・コール Richie Cole (1948-) のアルトサックスを聴いていた。ビル・エヴァンスはその前年1980年に亡くなっていたが、最後のアルバムとなった『Consecration』 を録音していたのもその「キーストン・コーナー」だ。質素なライヴハウスという感じで、料金も安く、まったく派手さがないジャズクラブという印象だったが、これがアメリカで初めて聞いたジャズ・ライヴで、忘れられない思い出だ。あの当時は今のようにシカゴやニューヨーク行きの直行便がまだ飛んでおらず(たぶん)、米国東部への出張は必ずハワイや西海岸で乗り継いでいたので、みんなそこでよく休憩して楽しんでいたのである。便利にはなったが、何もかもこ忙しくなって、時間に余裕のない現代の会社員に比べたら、何とものんびりした良い時代だった。(思えば、一時引退していたマイルス・デイヴィスが復帰して、来日したのもその1981年で、モンクが亡くなったのは翌年の1982年だった。)

シカゴで泊まったホテルの玄関前で、その先輩が財布を取り出して何かを調べていると、ホテルのドアボーイが寄って来て、「このホテルを買うつもりか?」とかジョークを言っていたのもよく覚えている。当時の日本はバブル期に入ろうかという直前で景気が良く、逆にアメリカ経済は80年代になると落ち込み、自慢だったクルマでも日本に追い抜かれたように感じて元気がなかった。実際に1989年には、アメリカのシンボルと言われていたニューヨークのロックフェラセンターまで日本企業が買収した。しかしアメリカは90年代からのIT革命で産業構造を変革し、徐々に息を吹き返す。2000年代に入った直後は9.11とイラク戦争、リーマンショックなどがあったものの、30年の間にGAFAに代表されるように完全に世界経済の覇権を取り戻した。一方の日本は80年代バブルで浮かれまくり、90年代のバブル崩壊でIT革命にも完全に乗り遅れ、その後我々が知る現在の日本への道を歩んできた。80年代バブルと、続くアメリカ主導のIT革命は、本当に日本のすべてを変えてしまったと思う。それまでは世の中全体がまだ物質的には今よりずっと貧乏だったと思うが、どこかもっと心に余裕があって、希望もあり、人間も社会もすべてがもっとゆったりとして寛容だった気がする。音楽の世界も一つの産業であるがゆえに、こうした時代ごとの経済活動に大きく影響を受けて変化し続けるもので、当然ながら各年代のジャズも日米それぞれの時代ごとの空気を反映していると思う。楽器ではなく、”人間の声” によるヴォーカル曲というのは、なぜか、こうした過去の記憶を次々に呼び起こすもののようだ。

もう1枚は60年代からで、ジャズファンなら誰でも知っているレコード、ジョニー・ハートマン Johnny Hartman (1923 - 83) がジョン・コルトレーン・カルテット (McCoy Tyner-p, Jimmy Garrison-b, Elvin Jones-ds) と共演した『John Coltrane & Johnny Hartman(1963 Impulse!) だろうか。ハートマンのヴォーカルを聴きながらコルトレーンのサックスも聴く、という贅沢な楽しみ方のできるヴォーカル・アルバムで、コルトレーンの『Ballads』のムードの延長線上で聞ける。ジャズファンがいちばんよく聴いた男性ヴォーカル・アルバムが実はこれではなかろうか。ハートマンの甘い声と歌唱は時に鼻につくこともあるが、聞き心地の良い滑らかなバリトンボイスなので、たまに聴くといい。ハートマンはコルトレーンとの共演前に、ハワード・マギー(tp)、ラルフ・シャロン(p)のクインテットをバックに『Songs From the Heart』(1956)というレコードをBethlehemレーベルに吹き込んでいて、時々それも聴いている。当然ながらこちらもテイスト的には同じだが、さらに甘い。

60年代以降のジャズヴォーカルはほとんど聞いたことがなかったが、ジョン・ピザレリ John Pizzarelli (1960-) は7弦ギター奏者バッキー・ピザレリ(1926-) の息子で、1980年代にギターとヴォーカルで20歳代でデビューした人だ。日本デビューは、まさにバブルの頂点だった1990年の『My Blue Heaven』(Chesky) で、これはなかなか良いアルバムだった。当時はハリー・コニック・ジュニア (1967-) と並んで新世代男性ジャズヴォーカリストとして脚光を浴びていた。そのピザレリが、ナット・キング・コールに文字通りトリビュートしたアルバムが『Dear Mr. Cole』(1993 Novus) だ。当時のレギュラー・トリオではなく、ベニー・グリーン Benny Green (p)、クリスチャン・マクブライド Christian McBride (b)という、当時まだ新進の若手ミュージシャンを迎えたドラムレス・トリオで、ピザレリが見事なギターワークとヴォーカルでコールの有名曲を軽快に演奏し、若きグリーンとマクブライドがイキのいいバッキングでサポートするというアルバムだ。どの曲も演奏が短く、キレがいいのが特徴で、全編楽しめる。ピザレリは現在も活動していて時々来日しているが、年齢を重ねて外見も音楽もシブくなった。


Night and Day
森山浩二 (1976 TBM)
日本にも数は少ないが男性ジャズヴォーカリストはいる。近年では小林圭とかTOKUとかが有名だが、昔は笈田敏夫くらいしか思い浮かばなかった。しかし1970年代にTBM(スリー・ブラインド・マイス)からレコードを出していた森山浩二という人がいて、当時ラジオで聞いたその歌が気に入ってすぐに買ったレコードが、初リーダー作の『Night and Day』(1976)だった。ピアノの山本剛とコンビを組んで活動していたようだが、このレコードも山本剛トリオ(井野信義-b, 小原哲次郎-ds)と録音したもので、独特のハスキーな声と、何より日本人離れしたそのリズム感とスウィンギングな唄いっぷりに驚いた。タイトル曲の他、<マイ・フーリッシュ・ハート>や<バイ・バイ・ブラックバード>など、ジャズ・スタンダードの名曲をカバーしたこのレコードでも、コンガを叩きながら唄い、実にハッピーかつスウィンギングな歌を聞かせている。こういう味のある歌唱は日本人歌手にはあまり聞けない。これはスタジオ録音盤だが、当時六本木に「Misty」という洒落たジャズクラブがあって私もよく行ったが、そこでハウスピニストとして出演していた山本剛トリオと共演したライヴ盤も出しているようなので(知らなかった)、最近それも探したけれど今は入手困難のようだ。日本人らしからぬ、しゃれた大人のジャズヴォーカルを聞かせてくれる、こういう素晴らしいジャズ歌手も当時はいたのである。

2019/11/03

秋の夜長は "男性" ジャズヴォーカルで(1)

《いつの間にか、本ブログ「Contact」のフォームから私宛メールが届かなくなっていました。もしこの間にメッセージを送付した方がいれば、お詫びいたします。修復を試みましたが、原因不明で復帰しないので、別のフォームを使った「新Contact」に変更しました。PCからもスマホからも送信できることを確認しています》
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「秋の夜長をジャズヴォーカルで…」といったフレーズを昔はよく耳にしたものだ。今や完全に死語で、そうした日々が過ぎ去って久しい。(いまどきの秋の夜は、みんな何を聴いているのだろうか?)ただし当時から、その場合の ”ジャズヴォーカル” とは、普通は女性ジャズヴォーカルのことで、”男性” ジャズヴォーカルを指したものではなかった。そもそも聴き手が少ないジャズの中でも、いちばん人気がないのが男性ジャズヴォーカルだ、と昔から日本では言われてきた。基本的にジャズヴォーカルは英語で唄うので、まずジャズ歌手そのものの数が少ないし、意味の分からない英語の歌の仕事も日本ではあまりないので、職業としては苦しい。ジャズ好きは男が多く、女性ジャズファンの絶対数が少ないことも大きな理由の一つだろう。一方、女性ヴォーカルはいつの時代もそれなりの人気と安定した需要がある。ジャズ界でもビリー・ホリデイ以来多くのスター歌手がいるし、今でもダイアナ・クラールやノラ・ジョーンズ、メロディ・ガルド-のように、日本でも人気のある魅力的な女性ヴォーカリストは多い(だが11月のダイアナ・クラールの来日ツアー公演S席15,000円は、いくら何でも高すぎだろう。オペラなみ? 行こうと思ったが、高すぎてやめた)。

当然だが、アメリカには昔から素晴らしい(R&Bやポピュラーソングも唄える)男性ジャズヴォーカリストがたくさんいた。ルイ・アームストロング、ビリー・エクスタイン、フランク・シナトラ、メル・トーメ、トニー・ベネットなどが代表的歌手だが、日本では相当古くからのジャズファンを除けば、こうした男性ヴォーカルを好んで聞く人はあまりいないだろう。私も古今東西、ジャンルも男女も問わないヴォーカル好きだが、さすがに男性ジャズヴォーカルは持っているレコードの数も少ないし、滅多に聴かない。けれど、なぜかたまに無性に古い男性ヴォーカルのレコードを聴きたくなるときがあって、落ち着いた大人の男が唄う、古風だが、しかし今でも時にモダンに響く歌声を聴くと、女性ヴォーカルとはまた違う味わいがあって、しみじみと「いいもんだ」と思う。英語の歌詞の細部の意味は分からなくても一向に構わない。ジャズで唄った昔のスタンダード曲は、ほとんど原曲がポピュラー曲なので、愛だの恋だのといったありふれた言葉しか使っていないし、ジャズヴォーカルでは歌詞の細部よりも、声と歌い方の個性、それに伴奏を含めた全体の ”サウンド” が大事であり、いちばんの魅力だからだ(ただし、これは非英語圏の聴き手にとっての話で、歌手や演奏者にとって原曲の歌詞とその解釈はもちろん非常に大事だ)。歌詞の意味が理解できれば、より楽しめることは間違いないが、日本人リスナーがジャズヴォーカルを聴く場合、歌詞の意味がよく分からないがゆえに逆に癒される(つまり楽器ではなく ”人間の声による抽象的なサウンド” によって)、という不思議なヴォーカル世界を楽しめるのである。これが、分かりやすいメロディと、メッセージ性のある歌詞のコンビネーションが大事な他のポピュラー曲とジャズヴォーカルとの違いだろう。

男性ヴォーカルの私的好みは、どちらかと言えばフランク・シナトラ系の唄い上げるタイプ(キャバレー系)よりも、渋くしっとり唄う歌手だ。いちばんのお気に入りはナット・”キング”・コール Nat King Cole (1919 - 65)で、1951年に自己のピアノ・トリオを解散した後は、歌唱がポピュラー寄りすぎるという当時の批判に奮起したコールが、ゲストにホーン伴奏陣を迎えて全面的にジャズ色を出して唄った『After Midnight』(1957 Capitol) が、個人的には最高のヴォーカル・アルバムだ。ジャケットが象徴するように、軽快で、オシャレで、滑らかで気持ちのよい声と華麗なピアノで、1950年代の古き良きアメリカの姿が、そのまま音楽の中から聞こえてくるようなハッピーなレコードである。私が持っているCD1987年の『Complete After Midnight』で、<ルート66>、<キャラバン>、<キャンディ>他の当時のポピュラー曲も唄ったコールのヒット曲オンパレードだ。

もう1枚、コールのポピュラーシンガーとしての大ヒット曲<モナ・リザ>、<L・O・V・E>, <Paper Moon>、<枯葉> 他を中心に、ジャズ寄りからポピュラー寄りまで、様々なスタイルの歌唱と演奏を収録したゴージャスなUnforgettable』(EMI) も素晴らしい。私が買った左記Deluxeバージョンには、1991年に娘のナタリー・コール Natalie Cole(1950 - 2015) が、時空を超えた仮想デュオで父親と共演し、リバイバル・ヒットした<Unforgettable>のトラックも追加されていて、文字通り忘れ難く素晴らしいレコードだ。今は当時の有名なヒット曲を中心にしたコンピレーションCDも他に何種類かリリースされているが、コールは何を唄っても素晴らしいので、どれを選んでも良いと思う。

モダン・ジャズ期の唄うジャズマンとして、一般的にまず思い浮かべるのはチェット・ベイカーChet Baker1929 - 88)だろう。『Chet Baker Sings』(1954 Pacific) が何と言ってもいちばん有名だが、チェットのトランペットとヴォーカル、ラス・フリーマン(p)、レッド・ミッチェル(b)に、バド・シャンク(fl)とストリングスも加わった『Chet Baker Sings and Plays』(1955  Pacific)も、西海岸のジャズらしく軽快で非常に楽しめるヴォーカル・アルバムだ。どちらかと言えば、全体にリラックスできるこちらのレコードの方をむしろ好んで聴いてきた。アルバム冒頭のチェットのおハコ曲<Let’s Get Lost>もこれがたぶん初演だろう。このレコードはLPも所有しているが、コラージュを使ったジャケット・デザインも、ジャズっぽさと、チェットのムードがどことなく感じられて眺めていて楽しい。若きチェットの1950年代のアルバムは、どれをとってもトランペット、ヴォーカルの両方を楽しめる。

それから30年後の1986年にオランダで録音され、海外ではTimelessレーベルから『As Time Goes By』、『Cool Cat』として別々にリリースされた録音が、日本では独自の選曲による『ラヴ・ソング Love Song』(1986 BMG) というタイトルでリリースされた(当時「スイングジャーナル」誌のゴールド・ディスクに選定)。<I'm a Fool to Want You>、<You and the Night and the Music>、<As Time Goes By>他の、日本人好みのバラード系のしっとりした歌と演奏を集めたアルバムで、Harold Danko(p)、Jon Burr (b), Ben Riley (ds)とのカルテットによる演奏。ダンコは当時ヨーロッパでリー・コニッツ(as)と組んでいたピアニスト、ライリーは60年代にセロニアス・モンク・バンドのレギュラー・ドラマーだった人で、二人とも非常にシュアなプレイヤーだ。この録音は1988年に亡くなる直前の晩年のチェットなので、周知のように既に歯はなく、したがって歌の出来もなんとも言いようがないが、チェット・ベイカーに ”はまる” 人がいるのもわかるような気がする、独特のアンニュイで深い表現(それをある意味で陰鬱とか、鬼気迫るとか言う人もいるだろうが)にはなんとも言えない不思議な魅力がある。こういうジャズヴォーカルは、確かに他の歌手では聞けない世界である。スタン・ゲッツと同じく、ドラッグに依存した人生を歩んだ破滅型の白人ジャズ・ミュージシャンに共通する才気と音楽的魅力なのだろう。このCDは今は廃盤なので、中古しか入手できないようだ。しかし今はネットで根気よく探せば、ほとんどのレコードは入手できる。(配信による曲のバラ聴きでは、ミュージシャンのその時代における「作品」として作られた古いジャズ・アルバムの多くは、その本質と魅力をしめないように思う。)

2019/10/16

”オーケストラ plays JAZZ " in 八王子 (東響&山中千尋)

2008年以来毎年開催されてきたという「八王子音楽祭」が、今年2019年は ”Shall We Jazz?” と題したジャズ特集だった。9月末に9日間にわたって、市内や中心街のあちこちの店やスポットで、コンサートやライヴ演奏他の多彩なジャズ・プログラムが実行されるという、びっくりするような企画である。なぜ最近ジャズ・フェス(祭)が日本中の街で流行っているのか不思議に思って分析中なのだが、「ついに八王子、お前もか !?」という印象だ。JR中央線沿線でジャズと言えば、古くは吉祥寺、高円寺、荻窪あたりのジャズ喫茶だし、ジャズ・フェスでは1990年代に始まった ”阿佐ヶ谷ジャズストリート” が有名だが、三鷹以西の立川、八王子方面はこれまであまりジャズとは縁がない街という印象だった。特に八王子音楽祭は、いつもはイチョウホールを中心にしてクラシック音楽にフォーカスした初夏のイベントだったし、これだけ大々的にジャズを取り上げた企画は記憶する限り初めてのように思う。メインイベントの一つとして9月23日にはイチョウホールで国府弘子と岡本真夜のコンサートが行なわれたが、928日にオリンパスホールで行なわれた ”オーケストラ plays JAZZ” もメイン企画の一つで、新進の原田慶太楼が指揮する東京交響楽団が、定期公演として山中千尋トリオ(山本裕之-b、橋本現輝-ds)を迎えて、ジャズ曲を中心に演奏するというコンサートだ。

毎年秋には大きなホールでのジャズ・コンサートに出かけるのが恒例になっていて、一昨年は東京ジャズ、去年は秋吉敏子&ルー・タバキンだったが、今年は6月の角田健一ビッグバンド(紀尾井ホール)に続き、山中千尋のこのコンサートにした。クラシックとジャズが出会うというこの種の企画は、小曽根真が同じ八王子オリンパスホールで、東京フィルと ”Jazz Meets Classic” というコンサートをこれまでに何度か開いていて、私はそれも数回聴いている。山中千尋をライヴで聴くのは、2017年の紀尾井ホールでの文春コンサート以来で、あのときはモンクを現代的に解釈したエレピ演奏が中心だったが、今回は全曲アコースティック・ピアノによる演奏なので、楽しみにしていた。本当はジャズクラブで聞いてみたいのだが、都内だと結構演奏機会も限られ、チケットの入手も大変なのだ。今回は大ホールだが、かなり前方の席だったので、トリオの演奏ぶりも非常によく見え、迫力があって、楽しめた。また大ホールでストリングスが響き渡るフルオーケストラのサウンドはジャズとはまた別の魅力があって、いつ聞いても気持ちが良いものだ。クラシックのコンサートも以前は時々行っていたのだが、咳払いすら気にしながら緊張して聴くあの雰囲気が、リラックスして聴くのが好きなジャズファンとしてはどうも苦手で、段々足が遠のいた。その点、ジャズも一緒のこうしたコンサートだと、緊張感も薄れて多少気楽に聴けるところがいい。

"オーケストラplays JAZZ"
2019-09-28
八王子オリンパスホール
山中トリオによる<エスターテ~サマータイム>(たぶん)の美しいメドレーで始まり、続いて東響との「ラプソディ・イン・ブルー」(ジョージ・ガーシュイン)、アンコールはトリオによる<八木節>、休憩をはさんで東響の「デューク・エリントン」(C・カスター編)、「シンフォニック・ダンス」(レナード・バーンスタイン)というプログラムだった。ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」(1924) はクラシックに分類されているが、“イン・ブルー” が示すように、ジャズの語法でクラシックの狂詩曲を作ったという、ある種のフュージョンである。日本でも山下洋輔、小曽根真、大西順子など、名だたるジャズ・ピアニストがチャレンジしてきたように、ジャズ側からクラシック音楽の世界に “正式に” 足を踏み入れることのできるたぶん唯一の有名曲だ。好みもあるだろうが、これまで聞いてきた限り、この曲はクラシック的なリズムを基調にした几帳面な演奏はあまり面白みがないように思う。ジャズ的スウィングとグルーヴがどこかしらずっと聞こえて来るような演奏が楽しい。また何箇所かあるピアノによるカデンツァのパートは、奏者によってまったく違う個性のインプロヴィゼーションが聞けるが、ジャズファンからすると、そこがこの曲のいちばんの聴きどころだ(クラシックファン的にはこのあたりはどうなのだろうか? ド素人的には、この曲の譜面はいったいどういう構成と表記になっているのだろうか、といつも気にしながら聞いてきた。)今回オーケストラと共演した山中千尋トリオのスリリングな超高速・超強力演奏は、個人的にはもう文句なく最高だった。リニアに疾走する彼女の高速ピアノからは、いつも何とも言えないカタルシスを感じる。同じ女性ジャズ・ピアニストでも、どちらかと言えばヘビーで男性的な大西順子のピアノとは対照的なサウンドで、ダイナミックでいながら空中を翔んでいるような軽やかさがあるのだ。あの小柄な身体から、どうやってあのパワーが出て来るのかと思うくらい、ぞくぞくするほどパワフルでスウィンギングな演奏だった。アンコールのトリオによるおハコ<八木節>も、当然ながら超絶のドライヴ感で弾きまくり、相変わらず楽しく素晴らしい。オーケストラの団員も、終始驚愕の目で彼女のピアノを凝視していたのが印象的だった。クラシック界の奏者から見たジャズ・ピアニストというのは、やはり驚異の存在なのだろうと思う。

Symphonic Dances
from "West Side Story"
生のクラシックのフルオーケストラをそれほど聞き込んでいるわけではないので、構成面でのピアノとのバランスや、音楽的、技術的表現に関する部分はよく分からないが、売り出し中の原田慶太楼の指揮は山中千尋と同じく若さとリズム感にあふれ、豪快なアクションでこちらもパワフルにオーケストラを率いていたように思う。ほとんどアメリカ育ちの人のようなので、クラシックのみならず、ジャズやアメリカンポップスのリズム感が身についているのだろう、ガーシュインでの山中トリオとの連携もリズム的にまったく違和感がなく、もたつきも古臭さもなく、またエリントンもバーンスタインも、見事にオーケストラ全体を “スウィング” させていた。何よりアメリカ流に、堅苦しくなく、楽しそうに指揮しているところが良い。「デューク・エリントン」はカルヴィン・カスターという人が、<Sophisticated Lady>他のエリントンの名作4曲をオーケストラ用にアレンジした曲らしい。初めて聞いた演奏だったが、エリントンはそもそもこうしたアレンジに向いた楽曲を書いてきたわけで、当然ながらこれはなかなか面白かった。バーンスタインが作曲した、ミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』からの曲「シンフォニック・ダンス」はよく知っているメロディが続き、非常に楽しめた。ただ最後がピアニッシモで消え入るように終わったが、それで終了とは気づかない聴衆から拍手が来ないまま、数秒してから指揮者が督促して拍手が起こる、という滅多にない珍妙な幕切れとなった。それまでの演奏があまりにダイナミックだったので、昔のミュージカル映画や曲の「構成」を知らない聴衆(私も含め)が、最後も派手な終わり方をするのだろう、と何となく予想していたからだと思う。だがこのあたりも、純クラシック曲の演奏会ではなく、いかにもアメリカ的、ジャズ的大らかさがあって良かったのではないだろうか。アンコールを、聴衆もよく知っていて、分かりやすく威勢の良い「マンボ」の楽章できっちりと締めたので安心した。

ラジオ収録中の山中、原田両氏(右二人)
八王子音楽祭Tweetsより
終演後、八王子ユーロードの特設ブースで行なわれた八王子FMの公開ラジオ番組収録に、原田、山中両氏が参加したトークがあり、そこへも出かけた。原田氏が実は元々サックス奏者を目指していたのでジャズもよく分かっている、という話をしていたが、その指揮ぶりからなるほどと納得した。またピアノ奏者と指揮者が、演奏中どう互いを観察しているのか、という内輪話も二人から聞けて面白かった。番組収録後には、モンク生誕100年にあたる2017年に出版した私の訳書『セロニアス・モンク 独創のジャズ物語』を取り上げ、その書評を日本経済新聞で書いていただいた山中千尋氏に直接お礼を申し上げる機会がようやく得られ、約2年間の胸のつかえが下りた。出版不況下で、モンクというユニークではあるがいわゆる人気者とは言えない音楽家の伝記であり、かつ長すぎるという理由で出版社から軒並み断られていたのを、シンコーミュージックがやっと出版してくれた本だったが、加えてジャズ界や出版界とは縁もゆかりもない人間が翻訳した本でもあり、専門誌は別として普通はなかなか一般メディアでは取り上げてもらえないものだ。しかし同じ年に、『Monk Studies』というモンクにトリビュートした新アルバムをリリースしていたジャズ・ピアニストである山中氏による全国紙での書評のおかげで、ずいぶんと本の知名度も上がったと出版社から聞いている。だが彼女は基本的に米国在住で、私はSNSもツイッターもやっていないので、これまで直接お礼する方法がなかったのである(幸運にも、今年出版した次書『パノニカ』も、仏文学者で、放送大学教授の宮下志朗氏に読売新聞で書評を書いていただいたが、実は宮下先生にもまだお礼を申し上げていない…)。また、これはまったくの偶然なのだが、実は彼女と同郷出身である旨お伝えした。ジャズ版<八木節>に即反応するのもそのためだが、こうして八王子で直接お目にかかれたのも不思議な縁である。握手してもらった手が華奢で小さいことにも驚いた。ジャズ・ピアニストという人種は私にはまさにワンダーランドの住人で、常に驚嘆するしかないのだが、あの手で、よくあのピアノ演奏ができるものだ、とあらためて本当にびっくりした。山中さんには、今後とも「ジャズ」の世界で活躍していただきたい、とつくづく思う。

2019/10/01

シブコのおかげでマリオにハマる

AIG全英女子オープン
写真:テレビ東京
“シブコ” こと渋野日向子は、久々に登場した日本女子プロゴルフ界のスターだ。AIG全英女子オープンでの、12番P4池側のワンオン・イーグル狙いの1Wティーショット、優勝を決めた最終ホールでの長いバーディパットには “しびれた”。正直言って、プロゴルフは男子も女子も最近はテレビでもほとんど見たことはなかった。男子は石川遼以来、スター性のある選手が見当たらず、女子は毎回上位が韓国勢ばかりになって、しかもミニスカなどファッションばかり注目されて、スポーツとしての面白さが感じられなくなっていた。しかしシブコは女を売りものにせず、男子並みの思い切りの良い、リスクを恐れない力強いショットを連発し、それが見ていてスカッとして実に爽快なのだ。しかもあの明るく屈託のない笑顔を終始振りまいてプレーしていて、ラウンド中の所作も愛嬌があるし、ホールアウト後の喋りも、そつがなく、ツボをはずさず、かつ面白い。何より、プレー中にギャラリー全員を自分の味方に引きつけるという、アスリートとして天性の魅力を持っている。ホール間を移動するときの親しみやすさもそうだし、カップインしたときの観衆の大盛り上がりをみれば、どれだけギャラリーが一体となって、彼女の一挙手一投足とそのプレーに見入っているかよくわかる。ギャラリー数も、トーナメントごとに記録を塗り替えているという盛況ぶりで、彼女もそれを楽しんでいる。こういうゴルフの風景を見たのは久し振りだし、単に強くてうまいだけではなく、これほどギャラリーを引き付け、楽しませる魅力のある女子ゴルフ選手はこれまでの日本にはいなかった。日本中のゴルフファンや、最近ゴルフに興味を失っていた人たちまでが拍手喝采して、“シブコ・フィーバー” が起こるのも当然だろう。女子テニスの大坂なおみも、サッカーの久保健英もそうだが、プロスポーツはジャンルに関わらず、彼らのように若くて力もあり、かつ魅力のあるスーパースターが登場しないと面白みがなく、盛り上がらないものだ。彼ら全員が、“スーパースター” ならではの「何か」を持っているのが感じられるし、しかもそのポテンシャルがいずれも世界レベルであるところがすごい。シブコも狭い日本に留まらず、できるだけ早く海外ツアーに参戦して、持てる才能をさらに開花させるべきだ。彼女は人格、性格的にも、世界の舞台に挑戦して、そこへ溶け込み、そこで勝負することに向いていると思う。
任天堂
マリオオープンゴルフ
昔はサラリーマンにゴルフは必須の趣味(技能?)で、社内交流も社外接待もゴルフなしでは済まない世界だった。また、やってみると非常に奥の深い、面白いスポーツであることも確かだ。しかし過去と違い、サラリーマンの交流の方法も、接待の世界も変質し、もはやゴルフにそうした役割はなくなったし、プレー人口そのものも大幅に減っているようだ。実を言えば自分でやるゴルフも、20年以上前にひどいぎっくり腰になって医者から止められて以来、引退してその後はお誘いがあってもプレーしてこなかった。ところがシブコのプレーをテレビで見ているうちに、久々に急にゴルフをやってみたくなった(結構ミーハーなのだ)。とはいえ、ゴルフ道具もとっくの昔に処分して手元になく、当然ながら、なまった身体も今さらついていかないだろう……で、思い出したのが、任天堂のファミコンのゲームで昔やった「マリオゴルフ」だ。3年ほど前に、「クラシックミニファミコン」という小型化した現代版ファミコンを懐かしさのあまり買ったのだが、HDMIケーブルが短い、コントローラーが小さすぎて使いにくいなどの問題があって、何度かやってすぐにやめてしまった。しかし中のソフトに「マリオオープンゴルフ」が入っていたのを思い出し、テレビから離れても操作できる長いHDMIケーブルを購入して、久しぶりにやってみることにした。

パーフェクトゴルフ
写真:メルカリ
私は決してゲーム好きというほど遊んでいるわけではないが、元々RPG系よりテニスやゴルフやカートなどのアクション系ゲーム好きで、特にゴルフ・ゲームに関しては、ファミコンが登場する以前から(1970年代後半)家で遊んでいた筋金入りのゲーマー(?)だった。発泡スチロールでできたごく小さなゴルフボールを、回転するフィギュア(人形)に取り付けたこれまた小さなクラブで打って、コースを回るというゲームにハマって毎晩プレーしていた。距離やライに応じてクラブの種類(ウッド、アイアン)も取り換えられ、フェイスの角度も変えられるので、フックも、スライスも、バックスピンも自由に打てるという、信じられないほど超すぐれもののアナログゲームだった(ネットで調べてみたら「パーフェクトゴルフ」という商品名だった)。クラブのフェイスの角度を変えることでボールに回転を与えて、飛距離と飛び方をコントロールするという技術は、ミニサイズというだけで物理的には本物のゴルフとまったく同じ原理である。当時はゴルフを始めたばかりで、面白くて、勉強していたこともあり、実際のゴルフのラウンド時のイメージトレーニングができるというところが実に素晴らしくて、ハマッていたのだ(ただし、実際のラウンドでスコア上これが実証できたことは余りなかった気がするが…)。確か十年くらい前に登場した、この改良版と思われる似たようなゲームを入手して遊んだこともあるが(ボールがゴムに代っていた)、面白さと斬新さという点では初代に到底及ばなかった。1980年代に登場したファミコンの「マリオゴルフ」はいわばこの電子版であり、その後のゴルフゲームの原点というべきもので、面白くて当時は夢中になって遊んだ記憶がある。もちろん、ゴルフをやったことがない人でもゲームとしては楽しめるだろうが、ゴルフというのは、プレイヤーの下す一つ一つの意思決定のみ重ねで成り立っているスポーツで、そこが醍醐味でもあるので、ゴルフゲームの微妙な味わいも、面白さも、スリルも、やはりゴルフを実際にやったことのある人間でないと分からないところがあると思う。「クラシックミニ」に入っている「マリオオープンゴルフ」はその進化版で、1991年に発表されたもののようだが、今回やってみて、ゴルフゲームにこれ以上は必要ない、と思えるほど完成度の高い名作だとあらためて思った。

マリオオープンゴルフ
ショット画面
ホールごとに設計(フェアウェイ、ラフ、立ち木、池、川など)、距離、風速、風向き、グリーンの条件(芝目)が明示され、それに応じてクラブを選択し、ショットの強さも、インパクトの位置も、ドローも、フックも、フェイドも、スライスも、バックスピンも、トップスピンも、ショットの高低もみんな打ち分け自在である(サラリーマンゴルファーには、逆立ちしてもできないような技ばかりだ)。こうしたコース条件と、自分が選んだショットの組み合わせによる結果(飛距離、方向、到達位置など)は、確かに納得の本当にリアルで素晴らしいプログラムになっている。挑戦コースはいちばんやさしい「Japan」から始まり、一定のスコア(+以下)をクリアする度に「Australia」、「France」、「Hawaii」、「UK」と徐々に難度が上がってゆく仕組みだが、決まったスコアをオーバーするとコース途中でもプレーが不可になり、それをクリアしない限り次のコースには進めず(コースが出て来ない)、その間はずっとチャレンジ感が続く(*10月末時点で、どうしてもHawaiiはまだクリアできない。これは不可能ではないか?)。ショットの精度は徐々に慣れて上達するが、グリーン上のパットだけは、初期の設計なので若干ラフなところがあり、コツが必要で、そこを掴まないと簡単にはスコアが減らない(バーディとか)。しかし、それもやっているうちに段々と慣れてくる。それに、発表当時はまだ小さくてしょぼい映りのアナログテレビの画面で見ていたコース画像やマリオのプレーが、今は大きくて明るいK対応液晶画面で見られるので、鮮やかだし目も楽である。今や主流の3Dではないが、むしろ2Dで十分で、その方が視覚的にもすっきりしていて疲れない。スコアのセーブ、コース別ベストスコア記録、メモリアルショットとしてホールインワンなどの記念画像も保存できる。

任天堂
スーパーマリオブラザース
ついでに「スーパーマリオブラザース」も久々にやってみたが、こちらもとても30年以上も前のものとは思えないくらいよくできたゲームで、今やっても非常に面白く、これもやはり傑作だ。ゴルフはショット時を除き、考えながら遊ぶ知的攻略ゲームだが、こちらは瞬間の反射神経をずっと必要とする体力ゲームで、はらはらどきどきしながら、冷汗をかきつつたっぷり遊べる(ウデが悪いので、なおさらだ)。これまでスーパーファミコン、マリオ64、Wii、3DSPS4など様々な進化系ゲームも登場してきたし、今やゲーセンにはそうしたゲーム経験を持つ年寄りばかり集まっているらしいが、普通の年寄りは、目が回るような最新の複雑な3Dゲームをやらなくても、また目の疲れる小さなスマホ画面でもなく、家の大きなテレビの前に座って、こうして今でもゆっくり楽しんで遊べるレトロゲームがある。今回それを再発見できて、個人的には非常に嬉しい。体力を使うことはないが、頭の運動にはなるし、普段使わない頭(脳)の部分を使っている気がするので、脳が活性化し、認知症やボケ防止の脳トレには良いのではないかと思う。適度な刺激でアドレナリンもドーパミンも出て、爽快感も達成感も十分に味わえる。妙にリアルな画像の3Dゲームではなく、シンプルで愛嬌のあるこうした2Dゲームでも十分に楽しめることも分かった。家人が言うには、日本人には2D的世界がむしろ向いているそうだ。確かにコミックもアニメの世界もそうだし、ローマ人が言うところの(?)我々「平たい顔をした民族」は、「鳥獣戯画」以来、2Dで描かれたヴィジュアル世界に親しみと、美と、楽しさを見出し、それを愛で、洗練させてきた文化的DNAがあるのかもしれない。いずれにしろ、シブコさんのおかげで、老後のヒマつぶしの方法と楽しみが増えた。感謝したい。

2019/09/07

京都を「読む」(2)

8月の『京都人の密かな愉しみーBlue修業中』の新作(#3.祇園さんの来はる夏)は、「1,200年早いわ!」と有名陶芸家の父にいつも怒鳴られ、その父親をオッサン呼ばわりする結構強烈なキャラだった見習い中の娘役が交代していた(結婚・出産のためらしい)。それに、大原で京野菜を作っていた江波杏子が昨年秋に急逝したために、劇中の設定でも亡くなっていた。たぶん微妙な物語がこれから展開するはずだった、同居する死んだ孫の友人との関係も、説明的になってしまった。両方とも突然のことなので、脚本を元から練り直したり大変だったと思うが、個性的な役者が急にいなくなると、ドラマ全体として、バランスや展開上どうしても違和感があるのは仕方がないだろう。新しい陣容と設定で2作目となる回に期待したい。

ところで第1シリーズは常盤貴子と団時朗主演の主軸ドラマと併行して、毎回短いオムニバス・ドラマが挿入されていた。8月の再放送では、その中から「私の大黒さん」、「桐たんすの恋文」、「逢瀬の桜」など京都らしいしっとりした作品が放映されていた。これらの中で、個人的に特によくできていると思ったドラマは、夏向きの異色編「眞名井の女」だ。豊かで良質な京都の「水」と、「井戸」にまつわる伝説(能、謡曲になっている)をモチーフにしたファンタジック・ホラーで、貴船神社への7日間の丑の刻参りで浮気夫を呪い殺そうとして果たせず、満願前日に井戸(鉄輪-かなわーの井)の前で死んだ女の幽霊が憑りついた井戸掘り業の青年を、名水・天之眞名井(あめのまない、市比賣神社)の女神が救う、という筋立ても各出演者の演技もとても良かった。この伝説の両井戸は、五条通りをはさんで南北に今も実在している。

1,200年の歴史を持つ古都に、因縁やいわれのある場所が多いのは当然だ。そもそも京都は ”怨霊” の都市なのである。なにしろ平安京そのものが、弟・早良親王の怨霊の祟りを恐れた桓武天皇が長岡京から再遷都した都市であり、よく知られているように、厄災から都を守るべく風水思想を導入して秦氏に設計させたものだ。菅原道真を祀った北野天満宮、崇徳天皇の白峯神社、あちこちにある御霊(ごりょう)神社も、元はと言えば、ほとんどが非業の死を遂げた人物を祀ったものであり、その祟りを鎮めるために、怨霊を御霊と読み替えて創建されたようなものだ。厄災をもたらす祟りという<負>のパワーを封じ込め、手厚い信仰によって祀り上げ、ご利益をもたらす<正>のパワーに転化させてきたわけである(祇園祭など、多くのの由緒もそうだ)。そうした歴史から生まれ、支配者から重用されてきたのが陰陽師であり、24節気のような京都独自の年中行事と約束事の起源もそういうことだろう。したがって、1,000年以上にわたって時代ごとに堆積してきた伝説や因縁話が街じゅう散在する京都は、魔界、心霊、パワースポットと呼ばれる不思議な場所には事欠かないし、それぞれの伝承が持つ歴史的背景のリアリティと重さという点で、他所の怪しげな因縁話とはわけが違うのだ。だから、そういう世界が好きな人にとっては、まさしくワンダーランドである。それらを解説した本は、それこそピンからキリまであるが、中では今やこのジャンルの古典とも言うべき『京都魔界案内』(2002 小松和彦 知恵の森文庫)が、写真や詳細な解説もあって、怖いこわい京都』(2007 入江敦彦 新潮文庫)と並んで、読んで面白くまた信頼感がある本だ。その後もたくさん出ているこの種の本は、だいたいは似たような内容なので、この2冊を読めば、有名どころと有名話のあらすじはほぼわかる。

こうしたスポットを訪ねることも含めて、昼の京都の街歩きには、やはり喫茶店(カフェ)での休憩が欠かせない楽しみだ。安価だが、狭くて、こ忙しくて、落ち着かないコーヒーチェーン店ばかりになった東京ではほとんど絶滅したかに思える 「昔ながらの喫茶店」 も、京都をはじめとする関西圏ではまだまだ生き残っているように思う。関西人はまず人と喋ることが好きだし、多少価格が高くても時間を気にせずに会話を楽しめ、飲み、食す場所として、「喫茶店」 という空間への社会的・文化的ニーズが今も高いのだと思う。'70年代に私が学生時代を過ごした神戸にも、”にしむら” や ”茜屋” といった珈琲名店が当時からあったが、クラシック音楽をカーテン越しのステレオで聞かせる “ランブル” というゆったりとした、こぎれいな音楽喫茶がトア・ロードにあって、そこへよく行った。三宮の ”そごう” で買った ”ドンク” のフランスパンを、昼食がわりに友人とその店に持ち込んで、コーヒーだけ注文してテーブルをパンかすだらけにして、長時間名曲を聴きながら食べていたが、店の経営者だったお姉さんは、常連だった我々には文句も言わず、いつもにこにこと笑って迎えてくれた(あの時代の日本は、街も人も、何だかもっとずっとやさしかったような気がする)。今の京都でも、”イノダ” の本店や三条店、”前田珈琲” など有名な喫茶店には何度も行ったし、京大前の ”進々堂” や、京大構内のレストランにも、山中伸弥教授に会えるかと思って(?)行ってみたが、どこも良い雰囲気だ。『京都カフェ散歩―喫茶都市をめぐる』(2009 川口葉子 祥伝社黄金文庫)で紹介されているように、レトロな雰囲気を持った名店、ユニークな哲学のある喫茶店、斬新な発想のカフェが京都にはまだまだたくさんある。この本は著者による写真に加え、地図もあるので、これからも探して訪ねてみたいと思う。ただし、喫茶店や飲み屋の寿命は一般的には短いので、中にはもう閉店してしまった店もあるかもしれない。京都にも昔('70年代まで)は本格的ジャズ喫茶がたくさんあって、マイルス・デイヴィスやセロニアス・モンクまで顔を出したらしい、名物マダムのいた ”しあんくれーる”(荒神口)のような有名店もあったが、今はほぼ普通のカフェになった “YAMATOYA” など数軒だけになってしまったようだ。神戸元町の “jamjam” のような、伝統的かつ本格的ジャズ喫茶はもうなさそうなのが残念だ。この街は、学生が多いこともあって新しいもの好きなので、”流行りもの” の盛衰には敏感なのである。

夜の京都もゆっくり楽しみたい。京都通いの最初のころは、名店と言われる何軒かの料亭にうれしそうに行ってみたが、すぐに、その世界はもう十分だという気がした(何せ高いし)。もっとリーズナブルな値段で、うまい料理や酒を味わいたいと思うのが人情だろう。今は情報としてのグルメ本は山ほどあるが、『ひとり飲む、京都』(2011 太田和彦 新潮文庫)は、そうした世界を文章でじっくり語っているので、読んで楽しい本だ。それも年に2回、各1週間だけ、京都に一人で住み、暮らすように毎晩気に入った店を何軒かはしごして酒を飲む、というコンセプトである。実は私も数年前に、真面目に移住を検討していて、下調べもかねて1ヶ月ほど京都に滞在する計画を立てたことがある(この本を読む前だ)。京都で暮らすようにして、観光客の少ない真冬の京都をじっくり歩いて楽しもうという魂胆だった。ウィークリーマンションとかも検討したが、根が面倒くさがりなので、結局は駅近くの手ごろなビジネスホテルに、一人でとりあえず2週間滞在することにした。だが真冬の京都の寒さは想像以上で、あっという間に風邪をひいて高熱を出してしまい、情けないことに1週間ももたずにあえなく撤退した。そのとき思ったのは、昼はともかく夜の食事の大変さ(と寂しさ)だ。ろくに下調べもしなかったこと、また真冬ということもあって、わざわざ外に出かけて一人で飲んだり食べたりする気にならないのだ。一人暮らしをしていたり、一人飲みに慣れていたり、あるいはそれが好きな人はいいが、自分には不向きだということがよくわかった。考えてみたら、相手もなく外で一人酒を飲む、という習慣がそもそもない。というわけで移住計画も頓挫し、その代わりJRの宣伝通り、「そうだ…」と、思ったときに行くことにした(やっぱり、それが正解だった)。

太田和彦の盟友・角野卓造(近藤春奈ではない)も、『予約一名、角野卓造でございます。【京都編】』(2017 京阪神エルマガジン社)という本を出していて、そこでも同様の店を紹介している。この人も相当な京都好きらしく、しかも夜だけでなく、洋食、中華も含めた朝、昼食も楽しむグルメでもある。二人の対談も収録されていて、これも楽しい。ただ、この人たちは名前も顔も知られている有名人であることに加え、いわば一人飲みの達人でもあり、それに京都でこうした楽しみ方をするには、事前に相当の下ごしらえ(時間をかけ、金をかけ、人間関係を作る)をしておかなければ無理である。したがってこの種の本の一般人(たぶん男だけだろうが)の楽しみ方は、「読んで、ただ妄想する」ことである。写真も使わずに文字だけで、目に浮かぶように(すぐにでも行きたくなるように)酒や料理のうまさ、店のムードを描写する太田和彦の文才はさすがだ。角野卓造の大きめの本には地図に加えカラー写真が載っているので、こうした世界の雰囲気を実際に垣間見ることができる。また人物としての味わいもある人のようなので、こちらもやはり楽しそうだし、かつ食事はどれもうまそうだ

ここに挙げてきたような京都本をより楽しむためにも、都市としての京都の歴史を解説した信頼できる本を読んで、正確な基礎知識を身に付けておいた方がいいと思って何冊か読んでみた。京都〈千年の都〉の歴史』(2014 高橋昌明 岩波新書) はその中の1冊だ。この本は京都研究の学術書ではないが、遜色のない厳選情報を格調のある文体で綴った都市の歴史書であり、新書という限られたヴォリュームの中でコンパクトに京都の歴史をまとめている。ただし平安京から幕末まで約1,000年にわたる都市設計、支配者、社会制度、文化、宗教、民衆などの歴史的変遷を網羅しているので、どうしても浅く広く、かつ急ぎ足になるのと、次々に登場する固有名詞の数が多いので、歴史の苦手な人には読むのが大変かもしれない。私は元々歴史好きなので、高校時代以来忘れていた日本史を復習するいい機会になった(ただし読むそばからまた忘れているが)。特に平安京以来の洛中都市域が、支配者(藤原氏、平家、源氏、足利氏、秀吉など)によって本拠地、町割り、町名などが変遷する様が面白かった。また現在我々が目にしている京都の街並みや寺社の姿が、ほとんど豊臣秀吉、江戸幕府以降の改造、投資、整備、保護によって形成されたものであることもあらためて理解した。それ以外にも、たとえば京野菜の名高さと、その味の秘密が、大都市としての京都の糞尿処理の歴史と深く関わりがあること、パリやロンドン市中の道路が、18世紀ですらまだ糞尿にまみれていたのに対し、京都ではその何百年も前から肥料を通した循環処理プロセスがほぼ機能していたことなど、日本社会や文化の源泉を見るような目からうろこのトリビアもある。著者も硬い話におり混ぜて、時々息抜きのような個人的コメントを入れたりして、読みやすく工夫しているところも良い。大都市として1,000年以上の歴史を持ち、かつ首都として幕末まで天皇が居住し、20世紀には、米軍の原爆投下の第一候補地だったにもかかわらず、それを免れた強運を持つ京都は、やはり奇跡の都市と言うしかない。

2019/08/01

京都を「読む」(1)

京都では祇園祭も終わり、次の夏の大イベントは、お盆の ”五山の送り火” だ( ”大文字焼き” ではない)。元々京都好きだったこともあり、時間のある最近は毎年京都に行くようになって、もうかなりの回数になる。名所旧跡を含めた京都市街地の地図はおおむね頭に入ったし、JR、地下鉄、京阪、阪急、嵐電、叡電などを乗りこなせば、もう大体どこへでも行ける(バスはまだよくわからない)。「よく飽きないね」とか言われることもあるが、これはディズニーランドや USJ 好きの人が何度も通うのと同じことだ。京都は、「日本」を主題にしたテーマパークだと指摘した人がいるが、その通りである。何度行っても、見ても、1,200年の重層的な日本の歴史を背景にした尽きない面白さと魅力が京都にはあるからだ。こんな都市は、日本には(世界にも)他にない。京都は日本の宝である。名所旧跡や寺社巡り、食事処で、たとえボッタくられようと、時にはダマされようと、観光目的でたまにやって来る非京都人(よそさん)にとっては、”時空を超えた京都” というイメージ の中で、いっとき楽しい時間を過ごせたらそれでいいのである(地元で普通に暮らす京都人にとっては迷惑だろうが)

最近では、高台寺に登場した般若心経を読経するアンドロイド観音(写真:京都新聞)もその象徴だが、結構高い料金を払いながら、あちこちのアトラクションを巡って楽しむというシステムも、テーマパークと一緒なのだ。TV番組に登場する血色の良い胡散臭そうな坊さんの説教や解説もそうしたイメージを助長しているが、寺社に限らず、各スポットのもっともらしい「物語」が、そもそも歴史的にどこまでが事実で、どこから先が後付けの作り話の類(伝説、神話、宣伝等)なのか、実のところはっきりしないケースが非常に多い。だから眉に唾をつけながらウソとホントの境目を見極めるのも、”よそさん” 流京都の楽しみ方の一つである。とは言うものの、よく観察すれば、人工のテーマパークには望むべくもない本物の歴史と、そこで生きてきた人間の存在もリアルに感じられることも確かだ。このフィクション(ウソ、ホラ)とノンフィクション(ホント)が、至るところで違和感なく不思議に溶け合っているのが京都という街であり、その魅力なのだと思う。(だが、そのキモである日本の歴史や文化という共同幻想と、それに対するある種のリスペクトを持たない外国人観光客の急増で、この絶妙なバランスを保ってきた都市イメージは急激に崩れつつあり、今や単なる観光テーマパーク都市への道を邁進しているようにも見える。)

当然ながら、京都に関する本もいろいろ読んできた。京都はとにかくネタが豊富なので、ネット時代の今でも、学術書以外に数え切れないほどのいわゆる「京都本」が出版されている。大きく分けると、普通の観光ガイド的な総花本、特定の地域や裏ネタに関する中級者向けガイド本、食を中心にしたグルメ本、歴史や文化遺産を中心にした正統的な都市ガイド本、日々の伝統行事や祭事を網羅した本(『京都手帖』など)、京都人気質や文化を語った ”京都論” 的な本、独特の差別の歴史を描いたタブー本、地理・地学本、怪しげな魔界・心霊本……といった具合でキリもなくある。しかし読む人のニーズによってもちろん違うだろうが、「京都本」はやはり京都ネイティヴの人が書いた本がいちばん参考になるし、読んで面白いと思う。単なる知識、情報の伝達だけでなく、ホメてもケナしても、たぶん行間に地元京都への愛情が感じられるからだろう。穴場や、地元の人が楽しむグルメ・スポットの案内など、かつて中心だった ”事実” に関する情報は、ネットとスマホ時代になって、しかも変化が激しいので、あまり有難味はなくなった。むしろネット情報だけでは見えて来ない、歴史、人間や文化面での面白み、深み、謎、といった知的情報を如何にして読者に提供するかが、紙媒体としての「京都本」の今後の存在価値だろう。当然だが、この種の本は出版時期や情報自体が新しければ良いというものでもない。京都伝統(?)の ”イケズ” の様相と分析などは、日本文化論として永遠に続くだろうし、江戸・東京という中央政権に対する怨嗟や対抗意識と歴史認識、大阪・神戸という関西近隣都市への競争意識や優越感もそうだろう。今はそれがさらに細分化されて、京都市と京都府、さらには京都の洛中と洛外の格差、ヒガみとか、目くそ鼻くそ的自虐ネタまで出て来て、まさしくケンミンショー並みの面白さだ。ただし、総じてこの種の「京都本」の語り口は、特に男性著者だと、いわゆる ”京男” らしさ(細かい、まわりくどい、しつこい、喋りすぎ……)が目立つ場合が多いような気がする。京都人が書いた本の中で、実際に京都巡りや、京都のことを知り、考える上で、個人的に参考になったり、読んで面白いと思った本をこのページで挙げてみた。いずれも今から10年以上前、2000年代に入って間もなくの本で、「京都検定」の開始など当時は京都ブームだったようだ。だが、今読んでも内容の価値と面白さは変わらない、つまり私的名著である。

街歩きガイドの類もずいぶん買ったが、結局これまでいちばん役に立っているのは、『京都でのんびり―私の好きな散歩みち』(2007)、『京都をてくてく』(2011  祥伝社黄金文庫, 小林由枝という同じ著者の文庫本2冊だ。ひと通り名所には行った人が、街歩きのときに持ち歩くのにとても適していて、コンパクトだが2冊でほぼ京都市内をカバーし、普通は観光客が歩かないルートや場所、地元の店なども紹介されている。何よりイラストレーターでもある著者(下鴨出身の優しく、きめ細かな心づかいが伝わって来るような地図イラストと、京都愛を感じるほんわかした手書きの文章がとても良い。両方とも出版されて大分経つが、情報的には今でもまったく問題ない(何せ相手は1,200年の歴史がある街なので)。

これも同じく女性の著者だが、こちらは壬生出身(亀岡在)の漫画家で、旅歩きコミックの元祖グレゴリ青山が、地元民ならではの視点と経験から、京都人や京都のおかしさを描いた何冊かのコミックだ。というか、そもそも私が京都本をあれこれ読むようになったキッカケが、確か “グさん” のコミック『ナマの京都』(2004 メディアファクトリー)の笑いがツボにはまったせいだったのだ。その後『しぶちん京都』、『ねうちもん京都』、『もっさい中学生』、最近の『深ぼり京都散歩』など、京都がらみの本は全部読んだが、どれも笑える。面白さの理由は、京都や京都人を観察する距離感、視点が、他の京都本と比べて段違いに普通で、対象に接近しているからだろう(近すぎて、デフォルメされているとも言える)。ただ漫画は人それぞれ好みがあるので、かならずしも笑いの保証はできないが、著者独特の画風とギャグ、ユーモアの世界に波長が合う人なら、間違いなく大笑いしながら、地元民の語る京都の裏話のあれこれを楽しめるだろう。特に初期の何作かは、”京都本・史” に残る傑作ではないかと思う(もう絶版かもしれないが…)。京都は、かしこまっったり、辛気臭い顔で語ったり、持ち上げるだけでなく、「笑い飛ばすもの」でもある、という見方が当時は非常に新鮮だった。

普通の読み物として、これまで個人的に面白いと思った本は、今や定番に近い本なのだろうが、やはり『秘密の京都』(2004)、『イケズの構造』(2005)、『怖いこわい京都』(2007 新潮文庫)など、多くの京都本を書いている入江敦彦の本だ。著者は西陣出身で、ファッション関係の仕事をしつつロンドン在住というエッセイスト・小説家だが、この代表作とも言える3冊は、それぞれ京都の散策ガイド、言語文化考察、京都にまつわる恐怖譚集で、いずれも楽しく読めた。特に『イケズの構造』では、京都ならではの言語文化、京都人ならではの視点を、京男ならではの語り口で開陳している。これを京男っぽい面倒くさくてイヤみな本と取るか、ユニークで興味深い本と取るかは読者次第だろう。”京都語” をそもそも外国語として捉えることや、『源氏物語』やシェイクスピアまで ”京都語” で翻訳してその真意を知ることなどで、単なる意地悪ではない、言語文化としての「イケズ の神髄」を伝えようとする視点や解説は、私的にはとても新鮮で面白かった。ロンドンで暮らし、イギリス人の文化や言語との共通点に気づいたり、京都を地球の向こう側から俯瞰するという経験は大きいと思う。その後現在まで、くだらない本も含めて似たような京都本が数多く出ているが、15年も前に、京都人独特のものの見方や考え方の世界を、学術的な読み物でも売れ線狙いの内容でもなく京都人自身が初めて真面目に語ったという意味で、その後の京都本の原点のような本である。併載されている、同じく京都人のイラストレーター・ひさうちみちおのイラストも、おかしい。

もう1冊は、同時期に出版され、今は文庫化されている『京都の平熱―哲学者の都市案内』(2007 鷲田清一 講談社)だ。こちらは下京区で生まれ育った、現象論・身体論というファッション世界を研究する哲学者である著者の視点から、市中を一巡する市バス206系統の周辺地区を巡りつつ、京都という都市と文化を読み解く試みである。らーめん、うどん、居酒屋など、普通の街の食事処から、通り、建物、寺社、学校、人物に至るまで、観光地とは別の素の京都を、普段の京都市民の目線で考え、語るエッセイだ。併せて写真家・鈴木理策(この人は京都人ではない)によるモノクロ写真が、普段の京都視覚イメージとして提供している。山ほどある京都本の中でも、京都という懐の深い都市を内側から捉えた知的な一冊である。たまたまだが、私的好みでここに挙げた4人の京都出身の著者のうち、女性2人がイラストレーターと漫画家であり、男性2人が共にファッションの世界に関連した仕事をしている――というように、伝統美術工芸に限らず、ヴィジュアル表現の世界と京都文化には常にどこか深いつながりを感じる。「京の着倒れ」とは、舞妓さん(装飾の極限)と修行僧(質素の極限)を両極とする、他所にはない振れ幅の大きいファッションの自由を許容する伝統が生んだものだ、という著者の説を読んで、その理由が分かった気がした

古典を含めて、京都を舞台にした「小説」は読まないが、そもそも今や存在の半分はフィクションである京都に、さらにフィクションを上塗りするような物語にはあまり興味を引かれないからだ。しかしNHKの『京都人の密かな愉しみ』は、フィクション(常盤貴子主演のドラマが軸)とノンフィクション(京都で今も続く伝統行事や文化の紹介)が同時に進行してゆくというユニークな構成で「京都人」という不思議な存在を描くテレビ番組で、こちらは2015年の初回放送以来、毎回楽しみに見てきた。ドラマと一体化した、阿部海太郎の美しいサウンドトラックのCD『音楽手帖』も買って楽しんでいるし、番組を書籍化し、背景や裏情報などをまとめた同名の本 (2018 宝島社)も読んだ。ドラマ編の主人公、「老舗和菓子屋の一人娘、跡継ぎで、いつも美しい着物姿の常盤貴子」という ”イメージ” が象徴するように、またドラマと併行して、今も生きている京都の様々な伝統行事等が紹介されるように、このフィクションとノンフィクションの絶妙な融合こそが「京都の実体」だと思ってきたので、この番組は実によく考えて作られているなと、放映中ずっと感心しながら見ていた。監督・源孝志のアイデア、脚本、演出は素晴らしいし、他の出演者たちも全員がとても良い味を出している。今はシリーズ2「Blue修業中」という別のドラマの途中で(常盤さんはもう出演していない)、今月はNHK BSで久々に新作の放送があり、また過去の放送分も集中的に再放送する予定らしいので、京都好きだが、これまで見逃していた人は、そのユニークな物語、美しい映像と音楽をぜひ楽しんでみては如何だろうか。