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2024/06/12

中牟礼貞則を聴く(at "NO TRUNKS" 国立)

国立 NO TRUNKS
愛器 Gibson ES175と後方のALTEC
久保木靖さんが書いた『中牟礼貞則』を読むか、CDを聴くだけだった中牟礼貞則さんご本人のソロギター・ライヴを、6月7日(金)国立(くにたち)の "NO TRUNKS" で初めて見て、聴かせていただいた。国立は何年も行っていなかったので、駅全体と駅舎の配置と姿がすっかり変わっていて驚いた。三角屋根を復元した新駅舎の中では、ピアノと管楽器によるクラシックの三重奏のライヴ演奏中だった。さすが国立である。駅から数分の店 "NO TRUNKS" も今回初めて訪問したが、場所は富士山の眺望問題で新築マンション解体――という、こちらも「さすが国立」的(?)なニュースで急に話題になった冨士見通りにある。国立で20年以上続くジャズ・バーの老舗で、懐かしいALTECの大型SPを配したジャズ喫茶的な雰囲気を残すが、今は肩の凝らない「ジャズ居酒屋」だそうだ。6時過ぎに店に着いたときは、中牟礼さんがギターとアンプのセッティングを終えて、その日初めての(!)食事に取り掛かるところだった。写真家の平口紀生さんのご招待で伺ったライヴだったが、中牟礼さん、平口さん、久保木さんとも初めてお会いして、中牟礼さんの生演奏を聴き、堪能しただけでなく、皆さんと話もできて大変楽しい時間を過ごした。(以下の写真は、すべて平口紀生さん撮影。ただし一番下の写真はトリミングさせていただいた。)

Sadanori Nakamure
中牟礼貞則さんは1933年(昭和8年)鹿児島県出水市生まれ、今年で91歳になる「現役のジャズ・ギタリスト」だ。海外ではセシル・テイラーが1929年、ジム・ホールとソニー・ロリンズが1930年、 ウェイン・ショーターとスティーヴ・レイシーが1934年生まれ……なので、おおよそ、どういう世代のジャズ・ミュージシャンなのかが分かる。マイルス、コルトレーン、リー・コニッツなど、1920年代半ば生まれの世代よりほぼ1世代近く若いミュージシャンたちである。だが今年93歳のソニー・ロリンズ(現在、私が伝記を翻訳中)を除けば、今やもう全員が故人である。日本では渡辺貞夫、高柳昌行氏らと同世代、昭和一桁生まれであり、一般に短命なジャズ・ミュージシャンと比較して長寿の中牟礼さんは、ジャズ・レジェンド、ジャズ人間国宝など、尊敬を込めて、いろんな呼び方をされてきた。

初めてお会いした、現在の中牟礼貞則氏の私的印象をひと言で言えば、「ジャズ・ギター仙人」である。ギター本体さえ入手できずに自作した少年時代から、上京後ジャズの世界一筋に生きてきて、日本のジャズの盛衰と共に齢を重ね、91歳になった今もなお、俗世を超越して「ジャズ・ギター道」を静かに歩み続けている――まさしく「仙人」そのものだ。久保木靖さん編著『中牟礼貞則 / 孤高のジャズ・インプロヴァイザーの長き旅路』(2021年リットーミュージック)を、私が本ブログでレビューした記事「『中牟礼貞則』を読む」(2022年5月)が、平口さんからのライヴへのお誘いのきっかけだった。そもそもは今年3月の、本拠とも言える横浜「エアジン」での中牟礼さんの91歳誕生記念ライヴにご招待いただいたのだが、私は昨年末以来の腰痛に加えて痛風まで患ってしまい、情けないことに当時ほとんど歩けず、行くに行けなかった。そこで多少痛みが和らいだ今回、初めて中牟礼さんのライヴを聴きに出かけたのだ。

久保木さんの本は、中牟礼さんの愛読書でもある私の訳書『リー・コニッツ / ジャズ・インプロヴァイザーの軌跡』(2015年DU BOOKS)を参考に全体を構成されたそうで、確かに実際に読んでいてそう感じた。私の本は、ジャズにも翻訳にもド素人だった人間が、好きなジャズ・アーティストをリアルに描いた原書の魅力と面白さに感動して、誰にも相談せずに一人で書いた初の翻訳書で、それを当時のDU BOOKSの編集者Aさんが、私の問い合わせ電話一本で取り上げてくれて出版が実現したという、ある意味で奇跡のような翻訳書であり、それゆえ個人的にも思い入れが強い。また平口さんは、この10年間、中牟礼さんのポートレイトを撮り続けながら、マネージャー的なサポートもしてきた人で、久保木さんの著書収載写真の撮影もほとんど手掛けている。というわけで、中牟礼さんの初期のアイドル、リー・コニッツが取り持つ不思議な縁が、国立での3人の邂逅を導いたことになる(リー・コニッツもホーン奏者としては長寿で、最晩年まで演奏を続けていたが、コロナのために2020年に93歳で亡くなった)。

私もコニッツ、モンク、レイシ―のような、自分好みの個性的ジャズ・ミュージシャンに関する訳書を出版してきたが、久保木さんが書いた中牟礼さんの本は、レジェンドと言うべき一人の「日本人ジャズ・ミュージシャン」の音楽思想、人生、生きた時代を、コニッツ本と同じく、ご本人への直接インタビュ-を中心にして愛情をこめて描き出した、本邦初とも言うべきすぐれたジャズ書である(貴重なCD音源が付属している点も画期的だ)。ライヴ後、家に帰ってから久保木さんの本を改めて読み直してみると、耳に残っている中牟礼さんの「生の声」が各ページからそのまま聞こえて来るようで、言葉の一つ一つが一層リアルに響く。この本での語り口がそうであるように、「偉ぶらず」「気負わず」「淡々と」「飄々と」、まさに仙人のごとく、ジャズとギターと人生を語るその言葉は、控え目だが、同時に実に深く、哲学的だ。そして、誰もが「ムレさん」と呼びたくなる、中牟礼さんの温かで誠実な人柄が、人生における様々な人との出会いや音楽の仕事を、自然に招いてきたのだということがよく分かる。

ジャズほどその演奏に奏者の人格が現れる音楽はないと私は思っているが、とりわけ混じり気のないソロ演奏は、それを包み隠さず表すフォーマットだと言える。中牟礼さんのギターソロはまさに、その人柄と語り口そのままだ。訥々としていながら、遠くまでよく通る、どこまでも温かな声質(トーン)を持つ氏のギター・サウンドは、その語り口とまったく同じだ。しかし、一方で薩摩隼人のような潔さ、厳しさも感じられ、氏のジャズに対する信念をそのまま表すかのように、演奏には少しの揺らぎもなく、常に確たるリズムとラインがその底部にしっかりと流れている。

有名な曲ばかり演奏したはずだが、曲名を言わずに演奏に入ることもあり、また高柳昌行氏と同様にトリスターノ派が原点にあることから、原曲のメロディ・ラインをほとんど弾かずに、ベース音、コード進行とヴォイシングだけで曲を形成してゆく中牟礼さんのソロギターは、私のようなジャズ演奏経験のない、聞き専のド素人には難しくて原曲がよく分からないときもある。現に何の曲かと思いながらも、よく分からず、じっと聴いていたら、演奏後に「今のは ”パノニカ” でした」と言われてがっくりきたこともあった。私は多少ギターも弾くし、自慢ではないが『パノニカ』も翻訳出版し、モンク作の「パノニカ」も数えきれないほど聴いてきた愛聴曲だったはずなのに、分からなかった。ジャズ・ギターを弾かれる久保木さんは(当然だが)「分かりました」ということだった。最初の方では、緊張してギターの「音色」に聴き耳を立てていたせいで、逆に全体を聞き取れなかったせいもあるのかもしれない。だがやはり、コードが身(耳)に付いていないと、ジャズのソロは一回聴いただけでは分からないものだ……というわけで、自分の「駄耳」を再確認した次第である。

知ってはいたものの、実際に目にしてやはり驚いたのは、中牟礼さんは91歳の今も、2時間近いライヴの間、小柄な体にギターを抱えて、ずっと立ったまま演奏していることだ。演奏後もあまり座ろうとしないで、席をすすめても立っていようとする。最近はさすがに平口さんが車で送迎するようになったそうだが、以前は重いギターとアンプを抱えて、電車でライヴ会場まで通っていたそうだ。今はどうか知らないが、久保木さんの本のインタビューでは、タバコも酒もやらず、毎日ランニングを欠かさないと言っているので、やはりストイックなその生き方のおかげなのだろう(毅然としたその立ち姿を拝見すると、腰痛と痛風で、情けなくも、まともに歩けない最近の自分は、中牟礼さんの爪のあかでも煎じて飲む必要がある)。終了後、中牟礼さんと多少お話しさせていただいた。久保木さんや、平口さんが惚れ込むのも分かる、その飾らない人柄をすぐに実感した。そして(図々しく)以前から興味のあった左手を触らせてもらった。朝から晩までギターをいじっているイメージがあるので、そういうジャズ・ギタリストの左手の指先は、てっきり「かちかちに」なっているだろうと思いきや、手も指先も実に柔らかいのだった。聞くと、最近は以前ほど弾いていないのだと仰る。しかし、あの演奏をしながら、その人柄と同じく、この柔らかな手と指先は……やはり「仙人」とお呼びしたい。

90年代に、リー・コニッツと名古屋でデュオ共演したときの感想や、高柳昌行さんとの関係や、あの時代のことなど、もっとお聞きしたかったのだが、時間も遅くなったので切り上げて、お見送りさせていただいた。平口さんの車の中から、最後に「ありがとう!」と、言われた大きな声は誠実さに満ちていた。次回、また機会があれば、あれこれと昔話もぜひ聞かせていただきたいと思う。

日本を代表するもう一人のジャズギター・レジェンド、愛弟子の渡辺香津美さんが闘病中の今、師匠の中牟礼さんには、ぜひともお元気で、いつまでも演奏を続けていただきたいと願っている。

2023/06/30

『渡辺香津美x沖仁 ギターコンサート』(横浜)を見に行く

コロナ禍以降出かけた大ホール会場のイベントといえば、『稲川淳二の怪談ナイト』と『清水ミチコのTalk&Live』の2回だけだ。もちろん楽しんだが、両方とも「語り」を楽しむある意味キワモノ(?)的公演で、音楽だけを楽しむ本物の音楽コンサートとは違う。今年になって、ようやくコロナから解放され、演歌からポップス、ロック、ジャズ、クラシックまで、この3年間身動きが取れなかった演奏者側も聴衆側も、今や日本中で思い切りライヴ音楽を楽しんでいる感がある。楽しさでライヴに勝る音楽体験はないのだから、今のこの盛況は当然だ。そういうわけで、ギター音楽好きな私も、楽しみにしていた渡辺香津美と沖仁(おき・じん)という、ジャズとフラメンコ界のギター巨匠二人によるデュオ・コンサートを見に横浜「関内ホール」へ出かけた (6/24)。実は数年前にも、この二人の横浜でのデュオ・コンサートのチケットを購入していたのだが、コンサート当日に台風が横浜あたりを直撃するという予報で、帰宅時が危なくなったために泣く泣く諦めた経緯があるので、今回はなおさら楽しみだった。

「関内ホール」はおしゃれな馬車道通り沿いにあって、開場前に観客が外でぶらぶら待っていた。主催者の影響かもしれないが(今回は労音主催)、客層は平均60歳代半ば?くらいと思われた。まあ平均的ジャズコンサート観客年齢ではある。ただし女性が半数近くもいた感じで、その多さに驚いたが、これは若い沖仁のファン層なのか? ホールの収容人員は千人ほどで、小さすぎず、大きすぎずという、この種のライヴには最適なサイズだと思う。コンサート後の感想を一言で言えば、音楽的に素晴らしいコンサートだったと思う。比較的おとなしかった観客が、フィナーレで二人へ示した反応がそれをよく表していた。私も、名人同士の2時間の白熱したギターライヴを楽しみ、心ゆくまで演奏を堪能した。ヴァーチャルではなく、広い実空間を生楽器のサウンドが埋め尽くすという快感も久々に味わった。基本的に沖仁のフラメンコ・ギターに、どんな音楽にも融通無碍に対応できる渡辺香津美が合わせることになるので、当然だが、音楽全体はジャズよりもスパニッシュなムードに統合される。しかし渡辺香津美のジャンルを超越した相変わらずのギター・ヴァーチュオーソぶりと、今や成熟した余裕を感じさせる沖仁の、非常に洗練された「コンテンポラリー・スパニッシュギター」とでも呼ぶべきモダンな演奏が見事だった。

渡辺香津美の存在を知ったのは、私がジャズを聴き始めた1970年前後だ。それ以来50年が経ち、今年で70歳になるという今やジャズギター界の大御所だが、その活躍が本格化したのは、70年代後半から80年代にかけてのエレクトリックギターによるフュージョン時代だ。アコースティックギターに本気で取り組み始めたのは、たぶん『おやつ』(1994年)をリリースした頃からだと思う(当日演奏した「クレオパトラの夢」と「ネコビタンX」はこのアルバムに収録されている)。既に世界的に有名になっていたエレクトリックギターによるジャズ、フュージョン、ロック、ポップス界での活動のみならず、この頃からアコースティックギターを使ったクラシカルな音楽にも挑戦し始めた。そのアコースティックギターによる渡辺香津美ライヴを見たのは、90年代に故・佐藤正美とデュオで共演したブラジル音楽のライヴだったので(これも素晴らしかった)、今回はそれ以来のライヴということになる。一方、渡辺香津美がプロデビューした時代に生まれ、今年デビュー15年になる49歳の沖仁は、スペインでの修行時代以前にも世界各地で音楽修行を積んでおり、単なるフラメンコのギタリストとは違う多彩な音楽的バックグラウンドを持った人だ。私が行ったライヴ・コンサートは、たしか10年以上前の「東京オペラシティ」でのソロ・コンサート以来だ(しかし時の経つのは早い…)。

沖仁氏ツイッターより
二人は10年ほど前からデュオ演奏に挑戦してきたらしく、コンサート公演のライヴCD、DVDもリリースしているが、この二人のギタリストは人柄を含めて非常に相性がいいように思う。コンサート中のお喋りからも、ギター音楽の先輩に対するリスペクトが滲み出る沖も、後輩に対してマウントをとらない、渡辺のジャズミュージシャンらしい、フラットでバリアのない公平な態度がとても好感が持てた。だからコンサート全体の雰囲気も、火花散るギターバトルというよりも、二人がデュオ演奏を心から楽しんでいることがサウンドから伝わってくる。当日の、二人のヴィヴィッドな赤と青のパンツという舞台衣装も、息の合ったところが出ていた。渡辺香津美が終始MCを務めていたが、おそらく曲全体のアレンジも渡辺香津美が中心になって進めてきたのだろう。

うろ覚えながら、演奏曲目で覚えているのは、1曲目が沖仁のオリジナル曲、バド・パウエルの「クレオパトラの夢」、ピアソラの「リベルタンゴ」、渡辺のフラメンコ風「ネコビタンX」、パットメセニーの「アントニオ(?)」、ビレリ・ラグレーンの「フレンチxxxx(?)」、渡辺の「ユニコーン」、そして最後にクラシックから「ボレロ」だったように思う。演奏は、名人二人の超絶のギターデュオと言うべきレベルなので、最初から最後までテンポも緩まず、鋭いアタックとリズム、激しく切れのいいラスゲアード、低域から高域まで流れるような、かつ揺るぎないメロディラインの美しさ……と、2部構成のコンサート全体のサウンドを一言で言えば、見事な「スパニッシュ・スウィング」であり、2台のギターだけで、これだけ厚みのある多彩なサウンドと、激しく、しかも柔らかくスウィングする音楽を創造する二人は本当にすごいと思った。特に感じたのは、ガットギターのサウンドというのは、本当にジプシー的悲哀、フラメンコ的哀愁がよく似合うことだ。フラメンコギターの、一聴シンプルに聞こえるが非常に強烈なサウンド、複雑で推進力のあるリズム、うねるようなグルーヴには圧倒された。もちろんPA増幅はしているのだが、いわゆる生のガットギターとは、そもそもこういう音楽のために作られた楽器なのだ、ということがよく分かる。

同上
しかし、最後の演目「ボレロ」まで何本かのアコースティックギターの持ち替えだけで、本領を発揮するエレクトリックギターを封印(?)してきたかに見えた渡辺香津美が、「ボレロ」の中間部から取り出し、弾き始めたエレクトリックギターには心底惚れぼれした。どちらがいいとかいうことではなく、アコースティックギターのフレージングとの違い、そのサウンドの世界の違いと面白さを、ステージ上の同曲演奏でまざまざと見せつけてくれたからだ。100年近く前に、ジャンゴ・ラインハルトやチャーリー・クリスチャンのような名人がエレクトリックギターを引っ提げて登場したときは、きっとこうした驚きと感動を聴き手に与えたのかもしれない、と思ったほどだ。

本公演は、もちろんジャズっぽくもあるフラメンコがメインのギター音楽であり、ボーダーレスに世界の音楽を知る、本物のジャズとフラメンコの日本人ギター巨匠二人が、信じがたい技で自在に弾きまくるという素晴らしくハイレベルなライヴ音楽だ。即興演奏の部分も多いはずなので、たぶん2度と同じサウンドは聞けない音楽でもある。だが不思議なのは、聴いている客が中高年ばかりで、会場に若者の姿がほとんど見当たらないことだった。公演後感じたのは、「いったい、今の若者は何を聴いているのだろうか?」という素朴な疑問だった(大きなお世話かもしれないが)。先の短い年寄りが聞いているだけでは実にもったいない、滅多に聞けない創造的音楽なのに、とつくづく思う。コロナもほぼ収まった今年は、二人ともそれぞれ単独のライブ公演を数多くやる予定らしいので、老若男女問わず、素晴らしいギターの生演奏をぜひ聴きに行ってはどうかと思う。家の中で、YouTubeでチマチマ聴くのとは次元の違う音楽体験ができます。

2022/11/07

「PIT INN」で長谷川きよしを聴く

(2015年出版)
本人曰く、まる3年ぶりという「長谷川きよし」のライヴを見に、10月30日に新宿「PIT INN」へ出かけた。昔、紀伊国屋書店の裏にあった時代にはよく行ったものだが、1992年に今の場所(新宿3丁目)に移転してからも何度か行った記憶はある。だが、もう何年ぶりか忘れたくらいご無沙汰していて(ほとんど都心に出なくなったので)、新宿駅近辺もすっかり様変わりし、しかも昼間のライヴだったせいか景色が違って、最初は店の場所すら分からなくて戸惑った(浦島太郎状態である)。しかし、移転した当時は、あんなに飲み屋とかラーメン屋が周囲にある場所ではなかったような気がするが……確かに30年も経てば、こっちもそうだが街も様変わりするのだろう。「ブルーノート」や「コットンクラブ」など、バブル時代以降、東京のジャズクラブがすっかり高級な(軟弱な?)オシャレスポットに変貌してきた中、1965年から60年近くにわたってコアなジャズファンに支持されてきた「PIT INN」は、ライヴ・スケジュールを見ると、相変わらずハードなジャズ・プログラムと、昼間は若手ミュージシャンに演奏の場を提供していて、当初から続く我が道を行く姿勢を崩さない。こういうジャズクラブが1軒くらい、いつまでも都心に残っていて欲しいとつくづく思う。

予約はメールで事前に済んでいるが、当日、店で直接料金を支払い、代わりに受付番号を書いたカードをもらって、時間をつぶし、開演30分前から店の前(地下)に並んだ人を番号順で呼び出して着席させるという、超アナログな昭和的システムに驚いた。今どきのコンサート会場だと、ネット上で支払いも済ませ、座席も確定するのが普通だが、ライヴ開演前に行列して順番を待つ、という大昔の新宿2丁目時代の懐かしい記憶がよみがえった。確かに昔は、その待ち時間ですら、わくわくした気分でいたものだったが、残念ながら、自分も含めてみんな歳をとった今は、「早く座らせてくれ…」という気持ちの方が強いことが並んでいる観客の顔つきでも分かる。店の内部は、全席ステージを向いたきちんとした椅子と、小さいながらテーブルもあって、ワンドリンクをいただきながらライヴを楽しめるという、大昔に比べたらずっと快適な環境ではあった。

長谷川きよしが京都に引っ越してからは、東京近辺のライヴで出かけたのはコンサート・ホールばかりだったので、クラブでのライヴは本当に久々だ(江古田以来か?)。と言っても今回は単独ではなく、ヤヒロトモヒロ (perc) と、南米ウルグアイのピアニスト/ヴォーカリスト/アコーディオン奏者/電子楽器奏者/打楽器奏者…というマルチ・プレイヤーであるウーゴ・ファトルーソ(Hugo Fattoruso)のデュオ・バンド「ドス・オリエンタレス」(Dos Orientales)に、長谷川きよしが客演するという形のライヴである。ウーゴが1997年に来日した時に共演して以来25年ぶりの再演ということだ。当時の長谷川きよしは、ヤヒロトモヒロ (perc)、フェビアン・レザ・パネ(p)、吉野弘志(b)というトリオと4名で編成した素晴らしいグループで活動していて、音楽的にもっとも充実した時代だったのではないかと想像している。同メンバーで名盤『アコンテッシ』を録音したのもこの時期で、ヤヒロトモヒロともそれ以来の仲なのだろう。ライヴの冒頭でヤヒロも、共演したいと思う日本人ヴォーカリストは長谷川きよしだけだと賛辞を送っていた。

日曜日、午後2時開演というライヴは、前半がドス・オリエンタレスの二人と長谷川きよしの共演、後半がドス・オリエンタレスのみという2部構成だった。コロナ禍の3年間は、ライヴ情報どころか、まったく音沙汰がなかったので、「生きているのか?」とさえ(失礼)思っていた長谷川きよしだったが、やっと人前で演奏する気になったようだ(YouTubeでは発信していたらしい)。とにかく「コロナに感染したくない一心で」引きこもり生活を3年間続けていた、と本人が冒頭に語ったので、「声の状態や歌の方は大丈夫なのか?」と、一瞬心配になった。しかし演奏が始まるや否や、そんな杞憂はあっという間に吹き飛んで、むしろ久々のライブ演奏で張り切っているように見えた。ギターはもちろんのこと、声量もピッチもまったく衰えを感じさせない、相変わらず素晴らしい歌を聞かせてくれた。しかもヤヒロのパーカッションに加え、ウーゴ・ファトルーソのピアノやアコーディオンがバックに加わるので、サウンドに厚みも出て、リズムも躍動し、どの曲もラテン風味いっぱいの演奏となった。「別れのサンバ」、「灰色の瞳」というお馴染みの曲に加えて、ピアソラの「Oblivion」(忘却)を久々にナマで聴けたのは嬉しかった。他のラテン曲も、本場のウーゴとヤヒロトモヒロという名人がバックなので、当然ながらリズムの「ノリ」がまったく違って楽しい演奏になった。それにしても、1970年頃の「銀巴里」で、20歳のときにギター一本で堂々と唄う姿を見て以来、50年という歳月を経て、73歳にしていまだ現役、しかもまったく衰えを見せずに力強く唄っている長谷川きよしは本当にすごいアーティストだ。

ドス・オリエンタレス
…と思っていたら、ウーゴ・ファトルーソはなんと御年80歳(!)になるというから、上には上がいる。芸術家は年を取らないというのは本当だ。私は今回初めて聴いたのだが、ウーゴ・ファトルーソは90年代から来日しているが、特に2007年にヤヒロとドス・オリエンタレスを結成後は何度も来日していて、日本でも既にかなりファンがいるようだ。ピアノばかりでなく、80歳とは思えないようなヴォーカルや、アコーディオン、キーボード、さらにはコンガまで叩く全身これミュージシャンというすごい人だ。今回ヤヒロトモヒロとウーゴは、既に10月はじめから全国ツアーをしているが、11月にも京都での長谷川きよしとの再演の他、関西、名古屋、東京と、ライブ出演の予定で埋まっているようで、彼らの人気のほどがうかがえる。

それにしても、南米の「ラテンのリズム」は、どうしてあんなに素晴らしく変幻自在なのだろうか。やはり古来のアジア系インディオの音楽に、スペイン、ポルトガルというヨーロッパのラテン系の血、そこにアフリカのリズムが加わるという、まさに絵にかいたようなワールド・ミュージックというべき複雑な混淆の歴史から来るものなのだろう。私はジャズ好きだが、長谷川きよしの「別れのサンバ」がきっかけになって、ボサノヴァやサンバにも興味を持ち、バーデン・パウエルやジョアン・ジルベルトのギターの耳コピをしたり、アルゼンチンのエドワルド・ファルーやユパンキのギターもよく聴いた。ピアソラのタンゴも好きだ。ファトルーソのピアノはもちろんジャズ色が強いが、サウンドの魅力はやはりそのラテン独特のリズムにあり、ヤヒロトモヒロと二人で打ち出すリズムは一聴シンプルでいながら複雑で、深く、聴いていて非常に楽しめるので、ラテン好きな人にはたまらない魅力だろう。2部ステージの最後では、もう一人の女性パーカッショニストが加わって、3人で素晴らしいコンガ(?)トリオの演奏を披露した。

ただし今回の「PIT INN」は観客(約100人)の平均年齢が高く、また長谷川きよしのファン層は昔からそうだが、歌と演奏をじっくりと聴きたいという人が多いので、逆に言うと聴衆としてはおとなしくて「ノリ」が悪い。長谷川きよし単独のライヴ時はまだいいが、今回のような賑やかなラテン系のミュージシャンとの共演だと、演っている側は聴衆のノリが悪くてやりにくいだろうな、と思いながら聴いていた。たぶん、ドス・オリエンタレス単独のライヴでは、ラテン好きな人たちが集まるので、もっ聴衆のテンションも高く、奏者もラテンのノリで楽しく演奏できるのだろう。

アコンテッシ (1993)
ところで当日、長谷川きよしが最近YouTubeにアップしたという何曲かの「岩松 了・作詞」の曲を唄った(「涙を流そうとしたけれど」他)。岩松 了と言えば、私が知っているのは『時効警察』の熊本課長や『のだめカンタービレ』の、のだめの九州・大川の父親役などの独特のコント風の演技で、それ以外に脚本を書いたり、作家・演出家など、本格的演劇人であることも知っていたが、長谷川きよしのようなミュージシャンの曲の詞まで書いていることは知らなかった。90年代にいくつか書いたらしいその歌詞は、コント風どころかどれもシリアスかつ文学的なもので、名盤『アコンテッシ』に収録されている、私の好きな「別れの言葉ほど悲しくはない」の歌詞もそうだと知ってびっくりした(この曲をナマで聴いたのは、この日が初めてだったと思う)。私の場合、一度CDをPCにリッピングすると、ライナー類の史料はその後あまり読むことがないので、細かなデータを忘れていることが多く、てっきり長谷川きよしの作詞かと思い込んでいたのだ。当時、長谷川きよしと女優・吉行和子が組んで二人でやっていたステージの演出から、作詞・作曲という関係ができたようだ。いずれの詩も、岩松 了のテレビでの演技からは想像もできない(?)文学的内容に誰でも驚くだろう。

当日のステージで、長谷川きよしの楽曲が遅ればせながらストリーミングで配信されるようになった、という話が本人からあった。長谷川きよしの場合、廃盤になっていたレコードも多いし、『アコンテッシ』でさえ最近やっと普通に入手できるようになったくらいで(以前はコンサート会場で、長谷川きよしの私家増刷版CDの直接販売のみだった)、大衆的「流行り歌」の唄い手ではないこういうアーティストは、そもそも一般人がその歌を耳にする機会がないので、まず曲や歌唱の素晴らしさが知られていない。時おりテレビで唄う機会があっても、「別れのサンバ」や「黒の舟歌」といった有名曲ばかりで、他にも数多いオリジナルの名曲を一般人が耳にする機会はほとんどない。しかも昔のアルバムCDも既に廃盤になったものが多い。だからたとえアルバム単位ではなく、バラバラの曲単位でも、配信されて、これまでその存在と独自の歌の世界を知らなかった人たちが、彼の音楽を偶然、あるいは手軽に耳にする機会が増えるのはやはり良いことだろう。そこから「忘却」「アコンテッシ」のような名曲・名唱が改めて評価されることもきっとあるだろう。楽曲の配信は経済的な問題を考えると、音楽家によっては功罪相半ばするだろうが、長谷川きよしのようなアーティストにとっては、レコードやCDのようなメディアだけでなく、YouTubeも含めたネット配信はやはり追い風になるだろうし、少しでも今後の彼の音楽活動を支える一助になればいいと思う。次回は、京都でやる復活(?)ライヴの機会があれば、ぜひ行ってみたいと思う。

2022/06/21

(続)天才 !? 清水ミチコの世界

6月11日に東京・調布市グリーンホールで行なわれた「清水ミチコ Talk & Live」に出かけた。今回は、他の芸人との抱き合わせではない「単独」ライヴ公演だ。YouTubeの『シミチコチャンネル』でときどきフォローしているが、生(ナマ)清水ミチコは30年前の「渋谷ジァンジァン」以来である。自分でコンサート会場に出向くのも、コロナ前以来3年ぶりくらいで、最後に行ったコンサートが何だったのかも、もう忘れてしまったくらいだ(最近はもの忘れが激しい。どうでもいいことはほとんど覚えていないが、気にしないことにしている。そういえばコンサート以外のライヴだと、『稲川淳二の怪談ナイト』に去年行ったことを思い出した)。

1,300人収容の会場は満員御礼で、コロナのおかげで、長い間、外出もライヴ公演の機会にも飢えていた中高年でいっぱいだった。観客の中心年齢はたぶん60歳くらいで、そこに50代、70代が加わる、という感じだろうか。これは清水ミチコ本人、モノマネ対象を含めた世代を考えたら当然だろう(若い人にとっては、まず対象になる「本人」が誰なのか知らないことも多いので――政治家とか綾戸千絵とか――清水ミチコの芸のすごさも面白さも分からないだろうし、逆に、今回もOfficial髭男などの新ネタを取り入れていたが、会場の「??」という反応が……このあたりがモノマネ・ビジネスの難しいところだ)。男女比は、ざっとみたところ女性が7、8割くらいだったように思う。清水ミチコが、女性に人気のある人だということも分かる。適度に毒とスパイスが効いた唯一無二のあの芸もそうだが、彼女の姿勢や生き方が好きな女性もきっと多いのだろう。

それぞれ誰か?
1時間半の間、笑いっぱなしだったので、(歳のせいもあるが)内容をほとんど忘れてしまったくらいだ(マスクは全員装着していただろうが、どうしても声をあげて笑ってしまうので、これでいいのか…と思っていたが、お笑いショーなので仕方がない)。お馴染みのネタに加え、スクリーンを使ったオモシロ通販動画や、最新の時事ネタ(4,630万円誤送金、橋田壽賀子財団着服)など、かなりの新ネタも織り込んでいた。亡くなった瀬戸内寂聴さんも登場させるなど、常にネタや芸をアップデートしながら客を飽きさせない工夫をし、マンネリ化を防いでいるところも立派(?)だ。『シミチコチャンネル』では新ネタの創作過程まで、惜しげもなく(?)公開している。いずれにしろ、あの密室芸を、映像ではなく、こうして「生」で見られるライヴは実に貴重で楽しい。

会場で見ながら(聞きながら、笑いながら)つくづく思ったのは、ナマの清水ミチコのピアノと歌は本物(?)で、実に素晴らしいということだ。このすごさ、レベルの高さはテレビやネット動画を見ているだけでは、たぶん分からないだろう。大ホールいっぱいに響く彼女のピアノのサウンドと歌声は本当にすごい。下手をすれば(しなくても)、モノマネ対象の本人よりもずっと歌がうまいことだって多々あるだろう。(絶対音感の持ち主なので)とにかく音(原曲のメロディや、真似する歌手の声や音程)をまったくはずさないし、全体のデフォルメが半端ないほど高度なレベルに達しているので、とにかく、モノマネ以前に単独の音楽芸としての完成度が高いのである。実際これはジャズ・ミュージシャンのインプロヴィゼーションに匹敵するレベルの演奏と言えるだろう。

そして1時間半の間、たった一人で千人以上の観客を爆笑させ、乗せまくって、楽しませるエンタテイナーぶりも最高だ。今年は1月の武道館に始まり、今後もまだあちこちでライヴ開催の予定があるようなので、これまで未見の人は、ぜひ一度ライヴ会場に足を運んで、「生(ナマ)清水ミチコ」のすごさと面白さを実際に目にすることをお勧めします。特に先の短い人は、冥途の土産に、一度は見ておく価値のあるライヴです(料金もお安くなっています)。

(*)具体的に何が、どうすごいかは、2021年10月29日の本ブログ記事「天才 !? 清水ミチコの世界」で、長年の清水ファンとして勝手な私的分析を試みているので、興味のある人はそちらをご参照ください。

2019/10/16

”オーケストラ plays JAZZ " in 八王子 (東響&山中千尋)

2008年以来毎年開催されてきたという「八王子音楽祭」が、今年2019年は ”Shall We Jazz?” と題したジャズ特集だった。9月末に9日間にわたって、市内や中心街のあちこちの店やスポットで、コンサートやライヴ演奏他の多彩なジャズ・プログラムが実行されるという、びっくりするような企画である。なぜ最近ジャズ・フェス(祭)が日本中の街で流行っているのか不思議に思って分析中なのだが、「ついに八王子、お前もか !?」という印象だ。JR中央線沿線でジャズと言えば、古くは吉祥寺、高円寺、荻窪あたりのジャズ喫茶だし、ジャズ・フェスでは1990年代に始まった ”阿佐ヶ谷ジャズストリート” が有名だが、三鷹以西の立川、八王子方面はこれまであまりジャズとは縁がない街という印象だった。特に八王子音楽祭は、いつもはイチョウホールを中心にしてクラシック音楽にフォーカスした初夏のイベントだったし、これだけ大々的にジャズを取り上げた企画は記憶する限り初めてのように思う。メインイベントの一つとして9月23日にはイチョウホールで国府弘子と岡本真夜のコンサートが行なわれたが、928日にオリンパスホールで行なわれた ”オーケストラ plays JAZZ” もメイン企画の一つで、新進の原田慶太楼が指揮する東京交響楽団が、定期公演として山中千尋トリオ(山本裕之-b、橋本現輝-ds)を迎えて、ジャズ曲を中心に演奏するというコンサートだ。

毎年秋には大きなホールでのジャズ・コンサートに出かけるのが恒例になっていて、一昨年は東京ジャズ、去年は秋吉敏子&ルー・タバキンだったが、今年は6月の角田健一ビッグバンド(紀尾井ホール)に続き、山中千尋のこのコンサートにした。クラシックとジャズが出会うというこの種の企画は、小曽根真が同じ八王子オリンパスホールで、東京フィルと ”Jazz Meets Classic” というコンサートをこれまでに何度か開いていて、私はそれも数回聴いている。山中千尋をライヴで聴くのは、2017年の紀尾井ホールでの文春コンサート以来で、あのときはモンクを現代的に解釈したエレピ演奏が中心だったが、今回は全曲アコースティック・ピアノによる演奏なので、楽しみにしていた。本当はジャズクラブで聞いてみたいのだが、都内だと結構演奏機会も限られ、チケットの入手も大変なのだ。今回は大ホールだが、かなり前方の席だったので、トリオの演奏ぶりも非常によく見え、迫力があって、楽しめた。また大ホールでストリングスが響き渡るフルオーケストラのサウンドはジャズとはまた別の魅力があって、いつ聞いても気持ちが良いものだ。クラシックのコンサートも以前は時々行っていたのだが、咳払いすら気にしながら緊張して聴くあの雰囲気が、リラックスして聴くのが好きなジャズファンとしてはどうも苦手で、段々足が遠のいた。その点、ジャズも一緒のこうしたコンサートだと、緊張感も薄れて多少気楽に聴けるところがいい。

"オーケストラplays JAZZ"
2019-09-28
八王子オリンパスホール
山中トリオによる<エスターテ~サマータイム>(たぶん)の美しいメドレーで始まり、続いて東響との「ラプソディ・イン・ブルー」(ジョージ・ガーシュイン)、アンコールはトリオによる<八木節>、休憩をはさんで東響の「デューク・エリントン」(C・カスター編)、「シンフォニック・ダンス」(レナード・バーンスタイン)というプログラムだった。ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」(1924) はクラシックに分類されているが、“イン・ブルー” が示すように、ジャズの語法でクラシックの狂詩曲を作ったという、ある種のフュージョンである。日本でも山下洋輔、小曽根真、大西順子など、名だたるジャズ・ピアニストがチャレンジしてきたように、ジャズ側からクラシック音楽の世界に “正式に” 足を踏み入れることのできるたぶん唯一の有名曲だ。好みもあるだろうが、これまで聞いてきた限り、この曲はクラシック的なリズムを基調にした几帳面な演奏はあまり面白みがないように思う。ジャズ的スウィングとグルーヴがどこかしらずっと聞こえて来るような演奏が楽しい。また何箇所かあるピアノによるカデンツァのパートは、奏者によってまったく違う個性のインプロヴィゼーションが聞けるが、ジャズファンからすると、そこがこの曲のいちばんの聴きどころだ(クラシックファン的にはこのあたりはどうなのだろうか? ド素人的には、この曲の譜面はいったいどういう構成と表記になっているのだろうか、といつも気にしながら聞いてきた。)今回オーケストラと共演した山中千尋トリオのスリリングな超高速・超強力演奏は、個人的にはもう文句なく最高だった。リニアに疾走する彼女の高速ピアノからは、いつも何とも言えないカタルシスを感じる。同じ女性ジャズ・ピアニストでも、どちらかと言えばヘビーで男性的な大西順子のピアノとは対照的なサウンドで、ダイナミックでいながら空中を翔んでいるような軽やかさがあるのだ。あの小柄な身体から、どうやってあのパワーが出て来るのかと思うくらい、ぞくぞくするほどパワフルでスウィンギングな演奏だった。アンコールのトリオによるおハコ<八木節>も、当然ながら超絶のドライヴ感で弾きまくり、相変わらず楽しく素晴らしい。オーケストラの団員も、終始驚愕の目で彼女のピアノを凝視していたのが印象的だった。クラシック界の奏者から見たジャズ・ピアニストというのは、やはり驚異の存在なのだろうと思う。

Symphonic Dances
from "West Side Story"
生のクラシックのフルオーケストラをそれほど聞き込んでいるわけではないので、構成面でのピアノとのバランスや、音楽的、技術的表現に関する部分はよく分からないが、売り出し中の原田慶太楼の指揮は山中千尋と同じく若さとリズム感にあふれ、豪快なアクションでこちらもパワフルにオーケストラを率いていたように思う。ほとんどアメリカ育ちの人のようなので、クラシックのみならず、ジャズやアメリカンポップスのリズム感が身についているのだろう、ガーシュインでの山中トリオとの連携もリズム的にまったく違和感がなく、もたつきも古臭さもなく、またエリントンもバーンスタインも、見事にオーケストラ全体を “スウィング” させていた。何よりアメリカ流に、堅苦しくなく、楽しそうに指揮しているところが良い。「デューク・エリントン」はカルヴィン・カスターという人が、<Sophisticated Lady>他のエリントンの名作4曲をオーケストラ用にアレンジした曲らしい。初めて聞いた演奏だったが、エリントンはそもそもこうしたアレンジに向いた楽曲を書いてきたわけで、当然ながらこれはなかなか面白かった。バーンスタインが作曲した、ミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』からの曲「シンフォニック・ダンス」はよく知っているメロディが続き、非常に楽しめた。ただ最後がピアニッシモで消え入るように終わったが、それで終了とは気づかない聴衆から拍手が来ないまま、数秒してから指揮者が督促して拍手が起こる、という滅多にない珍妙な幕切れとなった。それまでの演奏があまりにダイナミックだったので、昔のミュージカル映画や曲の「構成」を知らない聴衆(私も含め)が、最後も派手な終わり方をするのだろう、と何となく予想していたからだと思う。だがこのあたりも、純クラシック曲の演奏会ではなく、いかにもアメリカ的、ジャズ的大らかさがあって良かったのではないだろうか。アンコールを、聴衆もよく知っていて、分かりやすく威勢の良い「マンボ」の楽章できっちりと締めたので安心した。

ラジオ収録中の山中、原田両氏(右二人)
八王子音楽祭Tweetsより
終演後、八王子ユーロードの特設ブースで行なわれた八王子FMの公開ラジオ番組収録に、原田、山中両氏が参加したトークがあり、そこへも出かけた。原田氏が実は元々サックス奏者を目指していたのでジャズもよく分かっている、という話をしていたが、その指揮ぶりからなるほどと納得した。またピアノ奏者と指揮者が、演奏中どう互いを観察しているのか、という内輪話も二人から聞けて面白かった。番組収録後には、モンク生誕100年にあたる2017年に出版した私の訳書『セロニアス・モンク 独創のジャズ物語』を取り上げ、その書評を日本経済新聞で書いていただいた山中千尋氏に直接お礼を申し上げる機会がようやく得られ、約2年間の胸のつかえが下りた。出版不況下で、モンクというユニークではあるがいわゆる人気者とは言えない音楽家の伝記であり、かつ長すぎるという理由で出版社から軒並み断られていたのを、シンコーミュージックがやっと出版してくれた本だったが、加えてジャズ界や出版界とは縁もゆかりもない人間が翻訳した本でもあり、専門誌は別として普通はなかなか一般メディアでは取り上げてもらえないものだ。しかし同じ年に、『Monk Studies』というモンクにトリビュートした新アルバムをリリースしていたジャズ・ピアニストである山中氏による全国紙での書評のおかげで、ずいぶんと本の知名度も上がったと出版社から聞いている。だが彼女は基本的に米国在住で、私はSNSもツイッターもやっていないので、これまで直接お礼する方法がなかったのである(幸運にも、今年出版した次書『パノニカ』も、仏文学者で、放送大学教授の宮下志朗氏に読売新聞で書評を書いていただいたが、実は宮下先生にもまだお礼を申し上げていない…)。また、これはまったくの偶然なのだが、実は彼女と同郷出身である旨お伝えした。ジャズ版<八木節>に即反応するのもそのためだが、こうして八王子で直接お目にかかれたのも不思議な縁である。握手してもらった手が華奢で小さいことにも驚いた。ジャズ・ピアニストという人種は私にはまさにワンダーランドの住人で、常に驚嘆するしかないのだが、あの手で、よくあのピアノ演奏ができるものだ、とあらためて本当にびっくりした。山中さんには、今後とも「ジャズ」の世界で活躍していただきたい、とつくづく思う。

2019/07/14

ビッグバンド・ジャズを聴く

6月末に紀尾井ホールで行なわれた「角田健一ビッグバンド定期公演」に出かけた(年2回やっているらしい)。紀尾井ホールは、2017年夏の山中千尋のコンサート以来だ。出かけた理由は、どういうわけか、春先に何となく、生のビッグバンドのサウンドを急に聴いてみたくなって、チケットを予約しておいたからだ。角田健一ビッグバンド(通称 “ツノケンバンド”)の予備知識はほとんどなかったが、角田さんはトロンボーン奏者として宮間利之や高橋達也等の複数の著名ビッグバンド在籍を経て、1990年に自分のバンドを立ち上げたらしい。ジャズだけでなく、武満徹の音楽に挑戦するなど、野心的な試みも行なっているリーダーだ。私も1枚だけ録音の良いCDを持っていて(『Big Band Stage』)、これは以前オーディオ的興味で購入したもので、優れた録音のCDだが、ビッグバンドは音域とダイナミックレンジが広く、しかも音にスピードと厚み、迫力があるので、音響的にもやはりライヴで聴くのが最高だ。例によって会場の観客層(満員だった)を目視分析すると、予想通り、自分より一世代上の世代とおぼしき高齢男女がほとんどだった(つまり平均70歳代半ばくらいか)。穏やかな口調でMCも兼ねて進行するリーダーの角田さんは、いろいろ企画を立てて、子供からお年寄りまでを対象に、ビッグバンドの普及に努めておられるようで、会場には子供たちの姿も見られた。当然だが年齢層からして、半分居眠りをしているような人も中には見受けられたが、<イン・ザ・ムード>、<ムーンライト・セレナーデ>をはじめ、誰でも知っている往年のビッグバンドの名曲をずらりと並べ、アンサンブルとソロをバランスよく組み合わせた演奏とサウンドは、滑らかでよく練り上げられ、予想以上に素晴らしいものだった。編成はピアノ、ベース、ギター、ドラムスに、各種サックスとブラス(金管)セクションが加わった標準的なもので、昔はやかましいと感じていたブラスのサウンドも、紀尾井ホールの音響がまろやかなことも影響しているのか、非常に快適で楽しめた。

長年ジャズを聴いてきたが、正直言うと、ビッグバンドは苦手だった(聴いていたのは秋吉敏子くらいだ)。昔から好んで聴いてきたのは、少人数コンボによるジャズばかりである。理由は、基本的に大勢で一緒に何かをする団体行動というものが生来嫌いなこと、一糸乱れぬ統率された演奏とサウンド(合奏)というイメージがどうも苦手、音的に複数のブラス楽器の高音がうるさい、という3点だ。前2者はまったく個人的な嗜好、性格(非体育会系)によるものだが、そもそも規則に縛られない、自由な個人の音楽であることがいちばんの魅力であるジャズに、組織や規律を思い切り導入して個人を制御する、というコンセプトがよくわからない。クラシックと違って、本来そういう規則、約束ごと、支配を好まない人間が、ジャズを演奏したり、聴いたりするものではないか――というような疑問である。ブラス・セクションの音数の多さと高音がやかましい、というのはサウンド上の好み、あるいは聴感そのものの問題なのだろう(やたらと耳につく昔のブラスバンドのイメージ)。もともとシンプルでモノトーン的な音楽世界が好みなので、音数の多い、きらびやかな音楽は苦手なのだ。ピアノのデュオ(連弾)が嫌いなのも同じ理由である。たぶん若いときは、高音に対する聴覚が敏感なことも影響しているのか、とも思う。

The Popular Duke Ellington
1966
しかしよく考えてみれば、ジャズは1930年代のスウィング・ジャズ全盛時代まではビッグバンドが主体で、そもそもは唄ったり、踊ったりするための伴奏音楽として発展してきた音楽なのだ。それがデューク・エリントン、カウント・ベイシー、グレン・ミラー、ベニー・グッドマンのような有名な大編成バンドの最盛期である。バンドが少人数になり、音楽だけを独立して演奏し、クラシックのように「聴衆」としてそれを聴くのが当たり前のようになり始めたのは、1940年代後半のビバップ登場以降だ(1950年代半ばのニューヨークのクラブでさえ、まだスモールコンボの伴奏で客が踊るのが普通だったらしい)。上記バンドや、クロード・ソーンヒル、スタン・ケントンなどの白人ビッグバンドから、ビバップ以降も数多くのスター・ソロ奏者や、クールジャズでマイルスにも多大な影響を与えたギル・エヴァンスのような名アレンジャーが生まれて来た。日本でも戦後の進駐軍以降はアメリカ流になり、昔(1960-70年代)はスマイリー小原、原信夫、高橋達也、宮間利之などのリーダーに率いられていた生ビッグバンドが、テレビ番組や舞台のショーの歌や踊りの伴奏音楽としてかならず出演していたように思う。したがって今回の観客層のような私より一世代上の人たちが若いときには、「ジャズ」と言えばそうした音楽を意味していたのだろう。石原裕次郎や日活映画全盛期の、あのナイトクラブやキャバレーで演奏される、きらびやかなジャズというイメージである。ロックやポップスが登場するまで、日本でもそうした「ジャズ」が唄って踊れる音楽だったのだ。しかしアート・ブレイキー他が来日してファンキー・ブームが起こった60年代からはその日本でも、「聞かせる」スモールコンボのモダン・ジャズが徐々に主流になり、エレキギターを使うロック系も台頭し、何より70年代の「カラオケ」の登場が、こうした生ビッグバンド(生オケ)の仕事場と、そこで働くバンドマンの生活の糧を徐々に奪って行ったことは間違いないだろう。大昔のニューヨークで、無声映画からトーキー(今の音声付映画)の時代になって、映画館で生演奏をしていた多くのミュージシャンが失業したときと同じだ(例えが古すぎるか?)。そういうわけで、ビッグバンド・ジャズは確かに伝統的ジャズではあるが、大学のバンドやブラスバンドなど音楽教育の場だけで生き残った、古臭くてやかましい昔の音楽、というのが私的イメージだったのだ。

Big Band Stage
角田健一ビッグバンド
2011 Warner Music
ところが、ツノケンバンドのよく制御され統率のとれたオーソドックスな演奏とそのサウンドは、予想に反して聴いていて非常に心地良かった。爽快でさえあった。ビバップが作った「自由な個人による自由な即興演奏」というモダン・ジャズのイメージはもはや大昔のもので(幻想か?)、ハードバップ(定型化)、フリー(解体)を経て、1970年代のマイルスの電化サウンド導入以降は、フュージョンも含めて、全体が組織的に統御された演奏とサウンドがジャズでも主流になった。もう突出した個人の創造性だけに頼る音楽ではなくなり、基本的にみんなで調和しながらアレンジされた演奏をするエンタメ音楽になった。これはつまり、ある意味でスウィング時代のジャズへの先祖返りと言えないこともない。1960年代の混沌とした政治状況とその反映でもある行先の見えないフリー・ジャズ時代の後、反動として1970年代にわかりやすいフュージョンが支持されたのも偶然ではなく、精神的バランスを取ろうとする人間心理が働いて、社会全体として、そうした安定した世界を音楽にも求めたということなのだろう。その後20世紀末からインターネット時代になって数十年経ち、今や世界中で溢れる洪水のような(しかも似たような)情報に誰もが振り回されるようになって、頭の中が日常的にどこか混沌とした状態になり、しかも将来が不安だらけということになると、時代の気分として、みんなそれを逃れて、分かりやすく、きちんと統制の取れた落ち着いた音楽を求めたくなるのではないかという気がする(これはジャズに限らない。分かりやすいメロディを持つ ”あいみょん” の音楽が支持されるのも同じ現象だ)。世代的にも、私には昔のビッグバンド・ジャズへのノスタルジーはまったくないので、おそらくツノケンバンドに対する自分でも予想外の反応と共感も、よく知っているメロディばかりという分かりやすさ、きちんと統率された組織が生む整然としたサウンドの美しさと安心感、各奏者の職人技のように磨き抜かれた破綻のないソロ演奏、聴いていて単純に楽しいと感じるスウィング感とサウンド……といったような要素が、複雑で分かりにくい現実から開放してくれる、一種のカタルシス効果を与えてくれたからではないかと思う(もちろん、こちらが年をとったせいもあるだろうが……)。いわば、ごちゃごちゃになったコンピュータのファイルを、リセットしてきれいに整理整頓し直したときのような爽快感が後に残って、この世界も悪くないなと思ったのだ。確かに、ジャズの原点とはこういうものだったのだなあ、と思わず再認識させられた気もした。

The Monk : Live at Bimhuis
狭間美帆
2018 Universal
実を言えば、それまで秋吉敏子のバンド以外まともに聞いたことのなかったビッグバンドへの私の興味に火をつけたのは、2017年の「東京ジャズ」で聴いた、狭間美帆が指揮したデンマーク・ラジオ・ビッグバンド(DRBB)だった。リー・コニッツ目当てで出かけたものの、このビッグバンドと各ソロ奏者の共演が新鮮で、特にビッグバンドの多彩なリズムとサウンドが斬新で、今まで聴いてきたどんなジャズバンドにもない魅力と可能性を感じたのである。『セロニアス・モンク』翻訳作業を通じて聴いた、モンクがホール・オヴァートンと共作した、自作曲自演による2回のビッグバンド公演ライヴ録音の独創性と面白さをあらためて知ったことも、興味を持ったもう一つの要因だった。そのモンク作品を、2017年「東京ジャズ」の直後に、狭間美帆がオランダのメトロポール・オーケストラを指揮してライヴ録音したアルバムが『The Monk: Live at Bimhuis』(2018)である。これはもう、モンクの音楽を現代のジャズ・アレンジと大編成バンドで聞かせてくれるという、個人的に望んでいた最高の組み合わせであり、どの曲も大いに楽しんでいる。オヴァートンと同じように、クラシックの作曲科出身で、ジャズ畑奏者の出身でないところが狭間美帆の作る音楽のユニークさの主因なのだろう。今年10月には名門DRBB初の女性主席指揮者に正式就任するという話なので、今後彼女の発信する音楽も非常に楽しみである。伝統的で超オーソドックスな角田健一ビッグバンドも、狭間美帆の現代的アレンジによる斬新なジャズ・オーケストラも、今後ジャズを聴く楽しみの幅を大いに広げてくれそうだ。

2018/09/18

秋吉敏子、ルー・タバキンのコンサートを見に行く

9月初めの東京ジャズ2018はスキップした。今年も昨年同様、同日に渋谷区の防災訓練が行なわれたらしいが、場所は昨年と違ってNHKそばの代々木公園ではなく別の場所だったようだ(よかった)。最近本を読んだこともあって、代わりに出かけたのが915日に東京文化会館小ホールで行われた、秋吉敏子とルー・タバキンのデュオ・コンサート、"The Eternal Duo" だ。(ただしいつも通り、私の場合コンサートは聴くというより見に行くという要素が強いが)。せっかく上野公園まで行ったので、ついでに動物園で実物を見たことのないパンダでも見て来ようと思ったが、敬老の日の週で、高齢者がタダで入場できるらしくて年寄りでごったがえしそうなので、行列嫌いもあってやめておいた。これまで見なかったのは、パンダには何の罪もないが、レンタル・パンダだと思うと、つい某国の政治的意図が頭に浮かんで素直に楽しめないこともある。ちなみにディズニーランドも行ったことがないが、こちらはもう一つの某国の、わざとらしいカルチャー満載のところにどうも抵抗があるためだ。

今年2018年は、二人がトシコ・アキヨシ=ルー・タバキンというコンビを結成して50周年ということもあり、秋吉敏子単独ではなく、夫君も一緒にということになったそうだ。二人はコンビ結成の翌年1969年に結婚しているので、来年は結婚50周年(金婚式)ということになる。88歳(秋吉)と78歳(タバキン)というから、おそらくジャズ史上最高齢夫妻による有料ジャズ・コンサートになるのではないだろうか(ギネス入り?)。普通なら、老人ホームで逆に誰かが演奏してくれる音楽をゆっくり聞く側にいてもおかしくない年齢である。昨年のリー・コニッツの東京ジャズ出演時が89歳なので、秋吉氏は一歩及ばない(?)が、それにしても二人ともまだまだ元気だ。特に、さすがに若い(?)タバキン氏は、テナーサックス、フルート共に、大きな体全体を武道家のように使った豊かな音で、エネルギッシュに吹き切って、まったく年齢を感じさせないのがすごい。秋吉氏は相変わらず、黒柳徹子氏以外に今はめったに聞けない正しい日本語で、クールな喋りを聞かせたが(私は彼女の話し方が好きだ)、さすがに全身を駆使しなければならないピアノという楽器相手では、時々体力的にきつそうに見えたが(時々鼻をかんでいたので風邪でもひいていたのかもしれない)、それでも全体としてとても88歳とは思えない演奏だった。独特の形状をした小ホールはサイズ、全体に響き渡るアコースティック楽器の音響は良いと思ったが、東京文化会館自体が古い建物(1961年建造)で、座席も昔の日本人体型基準なので、最近のホールに比べるといかんせん座席の前後左右が狭くて、どうもゆったりした気分で聞けない。1990年代に改装しているそうだが、もっと工夫して欲しかった。聴衆層は当然中高年が9割だったが、それでもほとんどがたぶん出演者よりは若い(?)、という何だか不思議なジャズ空間だった。

NHKで放映予定
ジャズ・コンサートでは珍しく、パンフレットにはクラシックのように当日の演奏曲名(全6曲の自作曲名とソロ2曲)と曲の概要が書いてあった(普通のジャズ公演パンフではほとんど曲の紹介はない)。パンフレットの最後に児山紀芳氏の名前と紹介記事が書いてあったが、舞台に登場はしなかったので、児山氏がプロデュースをしたという意味なのだろうか(あるいはパンフ解説?)。デュオ、ソロ、デュオの順で、<Long Yellow Road>から始まり、<花魁譚>、<秋の海>という日本的旋律が聞こえる曲と、ソロ2曲をはさんで<Eulogy>、<Lady Liberty>といういわゆるジャズ曲をミックスした構成で、『ヒロシマ』からの<Hope(希望)>を最後に、コンサートはノンストップ1時間ほどでプログラムが終了した。もう終わりかと唖然としていたら、その後アンコールで3曲追加されたが、それでも終わったのは開始1時間半後の7時半近くだった。短いが、お二人の年齢を考えれば仕方がないだろう。最後は、タバキン氏に支えられるように秋吉氏が舞台後方の独特の音響版の後ろに消えて行った。昨年の東京ジャズでのリー・コニッツもそうだったが、本物のジャズ・ミュージシャンの晩年の後ろ姿には、何ともいえない、どこか胸にじわりと来るものをいつも感じる。

秋吉敏子には1950年代から通算80枚ほどのレコードがあるようで、初期のピアノトリオ、チャーリー・マリアーノとのカルテット時代、1970年代以降のタバキンとのビッグバンド時代などでそれぞれ名盤があるが、私が最近よく聴いているトシコ=タバキンのレコード(CD)は、2006年にカルテットで来日したときの録音『渡米50周年日本公演』(20063月、朝日ホールでの非公開ライブ、TTOCレコード)だ。二人にGeorge Mraz (b)、 Lewis Nash (ds) が加わったカルテットで、今から12年前、秋吉敏子76歳時の録音である。曲目は<Long Yellow Road>、<孤軍>、<Farewell To Mingus>、<The Village Lady Liberty>、<Trinkle Tinkle>、<すみ絵、<Chasing After Love>という7曲で、モンクの<Trinkle Tinkle>以外は自作曲である。秋吉氏がモンクの曲を取り上げるのは珍しいと思うが、これはタバキン氏の希望だったのだろうか? 夫妻共々、本作ではコンサートでもやった<Lady…>のような急速テンポでもまったく年齢を感じさせないほど躍動的で、また<…ミンガス>のようなスローな曲では美しく成熟したバラードを聞かせている。このレコードは盛岡の有名なジャズ喫茶店主、照井顕氏のプロデュースで、当時の新進レーベルTTOCの金野氏が録音したものだそうだが、秋吉氏の名曲をカバーしており、またカルテットでもあることから、秋吉のピアノ、タバキンのサックス、フルート共にクリアに聞こえ、かつムラーツのベース、ナッシュのドラムスのリズムセクションの音も良く捉えられている。加工感のない、ストレートな非常に気持ちの良いジャズ音なので、つい何度も聴きたくなる。できればこういう録音は大口径スピーカーで思い切りボリュームを上げて聴いてみたい。トシコ=タバキンの、スモールコンボでの円熟した、しかし力強い演奏を楽しめる良いCDである。

26歳で単身アメリカに渡り、ルー・タバキンという自分を理解してくれるアメリカ人ジャズマンと出会い結婚し、アメリカでジャズを演奏し続け、ついに彼女にしかない独自の語法とサウンドを獲得した秋吉敏子は、まさにジャズそのものという人生を生き抜いて来た本物のジャズ・レジェンドである。これからもご夫妻で仲良く、まだまだ頑張ってジャズを続けていただきたいと思う。

2017/09/07

東京ジャズでリー・コニッツを「見る」

93日(日)の「第16回東京ジャズ」昼の部に出かけた。東京ジャズは2014年以来で、その年はオーネット・コールマンが出演するというので、最後の姿だろうと思って丸の内の東京国際フォーラムまで行ったのだが、何と大ホールに入場してから突然アナウンスがあり、病気のためにコールマンが来日できなくなったという。急遽プログラムを変更して、コールマンの出番は小曽根真がMCで仕切った参加ミュージシャンたちによる即席の大ジャムセッションとなった。これはこれでハプニングが付き物のジャズらしくて非常に楽しく、その時のステージを堪能したことを覚えているが、残念ながらそのコールマンは翌年6月に亡くなってしまった。今はネット映像で何でも見られる時代だが、マイルス・デイヴィス、ビル・エヴァンス、キース・ジャレットのような人たちをライヴで見た経験から言うと、ジャズファンにとって、生きている(本物の)ジャズの巨人を実際に目にする機会はやはり貴重で、一生記憶に残るものだ。ライヴで聞いた音の記憶はすぐに薄れるが、目で見たことはいつまでも覚えているものなのだ。

東京ジャズは今回から場所を渋谷に移し、Hall/ Street/ Clubという3会場がNHKホール代々木公園ケヤキ並木/ WWW(X)の3箇所になった。ところが当日の代々木公園では「渋谷区総合防災訓練」というイベントが同時に行なわれていて、NHKホール横のケヤキ並木と広場周辺では、緊急時の防災グッズを並べた白いテントが林立し、自衛隊による炊き出し(カレー)に長い行列ができ、お祭りの露店なども出ていて、あたりは人で一杯だった。ジャズ祭というのは、いわば「楽しい非日常」の世界だと思うが、防災訓練はあまり楽しくない非日常を想定した催しだ。どちらも非日常だが、これが同時に同じ場所で開催されるとミスマッチの極みで、まさに会場はchaosだった。私の印象ではストリート会場の雰囲気は、いろんな人が入り乱れていて、どう見てもジャズ祭には見えなかった。ステージの奏者もやりにくかったのではないかと思う。避難民の横で呑気にジャズなんか演奏したり聞いている場合か…というような思いがどうしても浮かんで来るのだ。したがって、きれいな丸の内のおしゃれな大人のジャズ祭というイメージだったのが、すっかり庶民的(?)な貧乏くさいムードになってしまい、しかもどう見ても主催者の言う若者の町で…という雰囲気でもない。非常に残念なことで、この日程はどうにかならなかったのだろうか。 

とはいえ、一歩NHKホールの中に入れば、もちろんそうしたchaosとは無縁のジャズの世界ではある。昼の部の最初のセットは ”Celebration” と題して、ジャズ100年(これはジャズが初めて「録音」されてから、という意味らしい)を振り返る企画で、狭間美帆指揮のデンマークラジオ・ビッグバンドと、フィーチャーされたアーティストが時代を代表するジャズを演奏するという趣向だ。ニューオリンズから始まり、スウィング、ビバップ、クール、(ハードバップやモードは多分時間の都合で飛ばして、いきなり)フリー、フュージョン、そして現代という区分けで、ビバップは日野皓正(tp)、クールはリー・コニッツ(as)、フリーは山下洋輔(p)、フュージョンはリー・リトナー(g)、現代はコーリー・ヘンリー(key)という人たちがフィーチャーされた。ニューオリンズのトレメ・ブラスバンドの賑やかなオープニングでコンサートが始まり、アモーレ&ルルが華麗なスウィング・ダンスを披露し、話題の(?)日野皓正は、うっぷんを吹き飛ばすかのように<チュニジアの夜>を圧倒的なエネルギーで豪快に吹き切り、リー・コニッツが登場し(後述)、ピアノに火を付けて燃やしながら演奏した、あの70年安保の時代の映像を写したスクリーンをバックに、山下洋輔が相変わらずパワフルなピアノを聞かせ、リトナーも懐かしいあのギター・テクニックを見せてくれ、ヘンリーは実に今風のサウンドをキーボードで美しく響かせた。これらのセッションはいずれも聞きごたえのある演奏で楽しめたが、特にビッグバンドを自在に操りながら、フィーチャーされた各ミュージシャンを引き立てる狭間美帆の「堂々たる」指揮(バンマス)ぶりには感心した。山下洋輔の教え子で作曲家兼アレンジャーらしいが、まだ若いのにアメリカでも高い評価を受けているようだし、優れた才能を感じさせる人だ。山中千尋もそうだが、今の日本の女性は音楽でも世界に飛び出して活躍していて本当に頼もしい。狭間美帆の音楽は、7月に大西順子とコラボしたモンクの音楽を取り上げたライヴを聞き逃したが、次に機会があればぜひまた聴いてみたい。斬新なアレンジによる現代のビッグバンド・ジャズは、サウンドがパワフルかつ新鮮で、聞いていて非常に楽しくて気持ちがいい。優れた作曲家やアレンジャーが手掛ければ、まだまだジャズを魅力的に掘り下げ、発展させる可能性を大いに秘めているフォーマットだと思った。
2番目のセットはシャイ・マエストロ・トリオ Shai Maestro Trioというイスラエルのピアノ・トリオで、私はこれまで聞いたことがなかった。全体に静謐、クールかつメロディアスなサウンドは、キース・ジャレットのようでもあり、昔聞いたノルウェーのヘルゲ・リエン・トリオを何となく思い出しながら聞いていたが、トリオが生み出す独特のメロディ、リズム、音階にはやはりユダヤ的サウンド特有の世界を感じた。カミラ・メザ Camila Mezaというチリ出身の女性ヴォーカリスト兼ギタリストが途中で加わったが、この人の歌とギターは素朴で、エキゾチックでいながら現代的でもあり、非常に素晴らしかった。このトリオとヴォーカルの生み出すサウンドとグルーヴには独特の響きと美しさがあり、初めて聴いたにもかかわらず、思わず引き込まれてしまうような魅力があった。イスラエル、南米という地理的な広がりだけでなく、ジャズという音楽が持つ懐の深さと裾野の広さ、同時にモダンなビッグバンドと同じく、ジャズの未来の可能性を感じさせる音楽だと思った。続く最後のセットは、チック・コリアとゴンサロ・ルバルカバのピアノ・デュオで、名人2人のインプロヴィゼーションは美しく見事だったが、私はそもそもピアノ・デュオというフォーマットそのものが昔から苦手なので、この演奏は普通に楽しんだだけだ。ピアノは他の楽器に比べるとそれ自体でほぼ完成されていて、1台だけであらゆるサウンドが出せる万能感のある楽器だ。だからソロなら奏者独自の聞かせどころと全体的な完結感があって聞いていてまだ面白いのだが、2台でやると音数が多過ぎて、2者の対話というより饒舌なお喋りを延々と聞かされているような気がして、ひと言で言うと「うるさい」のである。それが好きな人も勿論いると思うので、まあ、これは個人的な音楽の好みの問題です。ちなみに今回のコンサートの模様は、10月下旬にNHK BSでTV放送されるということだ。 

実は私が今回の東京ジャズに出かけた一番の目的は、最後の来日になるかもしれないリー・コニッツを「見る」ことだった。2013年の東京ジャズ出演を見逃したので、コールマンの例もあることだし、今回はぜひ見たかったからだ。来月90歳(!)になるコニッツが、上記 ”Celebration” の「クール・ジャズ」のパートになって、おぼつかない足取りで、エスコートの係員に手を引かれて舞台の袖から出て来た瞬間の姿を見ただけで、私の胸は一杯になった。昨年訳書「リー・コニッツ」の原著者アンディ・ハミルトンから、最近は物忘れが激しくなったようだ、という話をメールで聞いていたので、まさか90歳を迎える今年来日するとは夢にも思っていなかったのだ。そこで知人を通じて、東京ジャズの合間にどこかで個人的に会えないかアレンジを依頼していたのだが(自分の訳書にサインでもしてもらって宝物にしたかった)、ご本人が高齢であり、音楽に集中したいので、という理由で残念ながら直接会うことは叶わなかった。だが、とにかく最後になると思われる舞台上のコニッツの姿を見ることができただけで満足だ。コニッツはピアノとのデュオで<Darn That Dream>を吹き、しかも途中で突然スキャット(だったように思う)で歌い出したのだ! コニッツは歌うのが好きで、そのインプロヴィゼーションが歌うことから生まれるという話は訳書にも書いてある。聴衆は突然のことにきょとんとしたような反応だったが、彼をよく知るヨーロッパの聴衆ならおそらく拍手喝采の場面なのだろう。前日に、ある人から教えてもらった2011年のダン・テプファー(p)とのデュオによるヨーロッパ・ツアーの模様を捉えたドキュメンタリー動画(All The Things You Are, MEZZO)をインターネットで見たばかりだったので(コニッツの素顔を捉えたこの映像は貴重で素晴らしい)、今回のコニッツの外見や所作に6年の歳月をつくづく感じた。しかし、揺らめくように「歌う」独特のフレーズと、何とも言えない微妙なテクスチュアを持ったあの音色は健在だった。90年間ジャズに生きた巨匠が紡ぎ出すアルトサックスの響きには、いかなる批評も感想も超越した美しさと深味があった。続いて狭間美帆指揮のビッグバンドともう1曲演奏したコニッツは、最後もよろよろしながら舞台の袖に消えて行った。オペラグラスのレンズを通して見たその姿を、私は決して忘れることはないだろう。

2017/06/25

紀尾井ホールで山中千尋を聴く

紀尾井ホールで行なわれた山中千尋の「文春トークライブ」に出かけた。当日6月21日はセロニアス・モンクへトリビュートした新アルバム「Monk Studies」(ユニバーサル)発売日であり、しかもたまたま彼女の21枚目のレコードなのだそうだ。前半はトーク中心、後半はモンクの曲を中心にしたライブという構成。モンクの曲は<ルビー・マイ・ディア>、<リズマニング>、<ハッケンサック>、<パノニカ>という代表曲をエレクトリック・キーボード、エレクトリック・ベース(中林董平)、ドラムス(大村亘)というトリオで演奏。アコースティック・ピアノをトリオで弾いたのは前半冒頭の曲(タイトルは知らない)と、アンコールの<八木節>2曲だけだ。ソロ演奏はなし。文春主催と会場が影響しているのか、この日の聴衆は見たところ普通のジャズ・コンサートとどことなく違う雰囲気で、ジャズでもなければクラシックでもない混成隊のような不思議な構成に見えた。

「極私的5つのピアノ名演と名曲」と題した前半のトークでは、神舘和典氏(音楽ライター)を相手にグレン・グールド、ミシェル・ペトルチアーニ、ジョー・ザビヌル、ポール・マッカートニー、ブラッド・メルドーという5人について、それぞれの奏者の好きな点や裏話を語った。ザビヌルやウェイン・ショーターの天才性や変人ぶり、メルドーのお茶目な性格などの話は面白かった。音楽家、ピアニストとしての影響は、中でもペトルチアーニがもっとも大きいようだ。幼稚園児のときに既に父親が好きだったグレン・グールドのレコードを聴いていて、アンプのイコライザーをいじって演奏中のグールドの唸り声が変化するのを面白がったり、トーレンスのアナログ・レコードプレーヤーをいじりまわしてレコードと針を傷だらけにした話などを聞くと、既にして筋金入りの音楽好きだったと想像される。好きなマッカートニーの曲(ついでながら彼の曲と声には、常に哀愁があると私は思う)にインスパイアされて小学生のときに作曲した2曲を、今の教え子の小学生の女の子が登場してヴァイオリンで弾き、山中千尋がピアノで伴奏した。紀尾井ホールの美しい響きも相まって、両方ともとても良い曲だった。こうした話からも、やはり自由な発想、好奇心が旺盛なこと、もともと作曲の才があること、そして自分ならではの世界を創りたいという願望が小さい頃からあったことがわかる。クラシック・ピアノで入学した桐朋学園を卒業後、アメリカに渡ってバークリーでジャズの道に進んだのも(1997年)、そうした彼女の生まれ持った資質が選ばせたのだろう。まさにジャズ向きな人だったのだ。

そう考えると、今回のセロニアス・モンクへのオマージュと言うべきアルバム「Monk Studies」の意味もわかる。モンクは基本的には作曲家であり、そして束縛を嫌い、誰よりも自由を愛し、誰のものでもない独創的世界を創り出した芸術家だったからだ。さらにその死後になっても、早逝した娘のバーバラ、その遺志を継いだ息子T.S.モンクの尽力でセロニアス・モンク・インスティチュート・オブ・ジャズが設立され、モンク・コンペティションが開催されるなど、アメリカのジャズの発展と未来に向けて非常に大きな貢献もしてきた。そうした日本ではあまり知られていない、あるいは誤解されているモンクの偉大さを、今回のような場でジャズ・ピアニスト本人の口から(初めて)語ってくれたことは、モンクファンとしては単純に嬉しい。当夜のモンク代表曲の演奏も、魅力的だが難しいモンク作品をモチーフにしながら、リスペクトを忘れずに、しかし同時にモンク・ワールドから飛び出して、どこまで自分ならではの音楽世界が提示できるかという挑戦だろう。アコースティック・ピアノではなくエレクトリック・キーボードを使ってオルガンや管楽器のアンサンブル的サウンドを出したり、モンクの音楽の大きな特長である独特の "リズム" を彼女なりに解釈、消化して、現代のリズムセクションとのコラボでどこまで新たな表現として拡張できるか、というのがおそらくテーマだったろう。その意味では非常に斬新な試みだったと思う。またこの日のライブは日本人のプレイヤーが相手だったが、発売したレコードでは米国のプレイヤー、8月末から国内で行なう予定のツアーでは別の女性リズムセクションを選んでいるようだ。それぞれのリズムセクションを相手に、どのような変化を見せながら、独自の表現世界をどう発展させてゆくのか非常に興味深く、また楽しみだ。 

ただし、新アルバムの予備知識はモンクということ以外まったく無しで行ったこと、また会場が紀尾井ホールということもあって、アコースティック・ピアノの演奏を期待していたので、ほとんどがエレクトリック・トリオの演奏だったのには少々面食らった。ライブの場合アコースティックでもエレクトリックでも私はあまり気にしないのだが、おそらくこのホールは音の響きが良すぎて(上品すぎて?)、ジャズ的ダイナミズムが薄まることと、また私にはエレクトリック楽器の音にどうしても残響がまとわりつく感じがした(2曲だけのアコースティック・トリオは音も演奏も素晴らしく、もっと聴いてみたかった)。エレクトリック・トリオの音はジャズクラブで聴けば、もっとジャズ的グルーヴがダイレクトに伝わってくるのだろう(予定しているツアーではクラブ中心のようだ)。しかしモンクファンとして言わせてもらえば、せっかく「Monk Studies」に取り組んだ以上、願わくはその第2弾として、アコースティック・バンドで、ホーンセクションを入れて(ビッグバンド的に)、モンクの世界を現代的解釈とアレンジで再構築する、という試みにもぜひ挑戦してもらいたい。そのフォーマットなら彼女のアレンジ能力もさらに生きるだろうし、モンクの音楽には、そうした挑戦を受け入れるだけの懐の深さと、発展可能性がまだまだあると思う。

それにしても小柄なのに超パワフルな演奏を聴くと、山中千尋はまさに秋吉敏子、大西順子に続く、スケールの大きな日本人女性ジャズ・ピアニストの星だ。アンコールで弾いた彼女の地元・桐生の<八木節>は初めて生で聴いたが、そのスピード感といい、スウィング感、力強さといい、最高だった。さすが上州女子だ。会場では新アルバムCDを販売していて、買えばコンサート後に山中千尋本人からサイン入りクリアファイルを手渡される(ただし握手は不可)という特典付きだったので、近くで顔を見てみたかったが、休憩時間のCD販売時も、コンサート後も、すごい行列(自分と同じような中高年おっさん群?)だったので、行列の嫌いな私はあきらめて帰った。

2017/03/13

ジャズを見る

コンサートやクラブでのジャズ・ライヴ演奏の機会は、昔に比べると今はずっと増えて身近になった。各地で行われているストリート・ジャズ祭なども盛んだ。私が昔行ったジャズの大物コンサート公演は、1970年代半ばのビル・エヴァンス(よく覚えていないが、新宿厚生年金でやった76年の来日だった気がする)、それに一時引退から復帰直後のマイルス・デイヴィスが、寒風吹きすさぶ新宿西口の空地(都庁予定地)でやった81年の野外ライヴだけだ(他にも行った気がするが、もう忘れてしまった)。60年代や、70年代前半の来日ラッシュ時代を過ごした一世代上の人たちは、もっと多くの大物ジャズ・ミュージシャンの来日公演を見たことだろうと思う。私がジャズに夢中になった70年代中頃には、ジャズの現場ではもうフュージョン時代へ入っていたのだ。

Bill Evans
The Tokyo Concert
1973 Fantasy
初来日時の録音
こうしたコンサート公演は、今もそうだが「聴く」より「見る」場と言った方が適切だろう。ロックやポップスの人気アーティストのコンサートに出かける若い人たちと、気分もテンションも基本的には変わらない。特に当時はめったにない機会だったこともあり、実物を「とにかく、ひと目見たい」というミーハー気分で出かけたので、演奏そのものはあまりよく覚えていない。記憶に残っているのは、ビル・エヴァンスが首を真下に向けたままピアノを弾く姿だったり(そもそもこれもイメージで、本当にそうだったかどうか自信はない)、寒い中ずいぶん待たされたあげく、病み上がりで想像以上に小さくか細いマイルス・デイヴィスがようやくステージに現れて、こちらも同じく下に向けて「ほんの短い時間」だけトランペットを吹いていた姿(これは確か)などだ。バブル時代や90年代に入ると、ライヴの機会も増えたので感激は昔より減ったものの、よく出かけていたが、それでもキース・ジャレットが呻き声を出しながら弾く体の動きや、「ブルーノート」でのロイ・ハーグローヴのしなやかな体や、やんちゃな目つきなど、記憶に残っているのはやはり視覚情報だ。

夏の野外ライヴ・コンサートは、PA音が拡散して集中できないのと、遠くてミュージシャンがよく見えないこと、何より暑いのが苦手で行かなかった。バブル当時盛り上がった「マウント・フジ・ジャズ・フェスティバル」は毎年夜のTV番組で見ていた。TVで見ると音がよく聞こえるし、奏者の顔やちょっとした表情などもよくわかる。ジョシュア・レッドマンが初登場したときの演奏は心底すごいと思った。隣にいた日野皓正が、驚いたような表情でじっと彼を見つめていた画面をよく覚えている。ブルーノートのアルフレッド・ライオンがステージに登場して、満員の聴衆に拍手で迎えられたときの感激した表情も印象に残っている。東京に住んでいちばん良かったと思うのは、新宿や六本木などにジャズクラブが数多くあり、外人、日本人を問わず、一流ミュージシャンの演奏が間近で楽しめることだった。だがミュージシャンの「格」とは関係なしに、どんなプレイヤーであれ、そこではよく聞こえるPAなしの生音だけでなく、各奏者の表情も、体の動きも、反応も、息遣いもよくわかって、やっぱりジャズを「聴く」のにいちばんいいのは、大会場でやるコンサートよりは小さなクラブ・ライヴだと毎回思っていた。

昨年の末、その大会場(新宿文化センター)で2日間にわたり「新宿ピットイン」の50周年記念コンサートがあり、私は初日に出かけた。相倉久人氏が同年夏に亡くなったため、菊地成孔氏が代役としてMCを務めるということだった。当日はドリーム・セッションということで混成グループによるフュージョン系から、メインストリーム系、さらに大友良英、近藤等則、鈴木勲や山下洋輔リユニオン・グループのフリー・ジャズまで、延々6時間以上に及ぶ多彩なプログラムを堪能した(が疲れた)。しかし現場で覚えているのは会場を埋めた大半の中高年の客とその熱気、ステージ上の特に年配(?)ミュージシャンたちの、ぶっ飛んだ衣装とかこちらを圧倒するようなエネルギーだ。相対的に若い菊地氏のグループがいちばんクールに普通の(?)ジャズをやっていたので、佐藤允彦のピアノソロと共に音もよく記憶しているが、他の年寄りたち(中でも鈴木勲は当時82歳だ)は見た目と全体のインパクトが強烈で、余りの迫力に音楽そのものをよく覚えていない。

先日TV録画を整理していたら、東京MXが放映したそのコンサート録画が出てきたので改めて見てみた。2日間にわたる12時間のコンサートを約2時間に編集しているので、各演奏もダイジェストに近いが、2日目は渡辺貞夫や日野皓正などが出演し、オーソドックスなジャズが中心だったようだ。じっくり見直すと、確かに音はよく聞こえるが、一方初日のあのすごい熱気はさすがに伝わって来ない。まあ、これはお祭りということなので、レギュラー・メンバーではないグループが多く、現場でひたすら見て聞いて盛り上がればいいのだろう。というか、フリー系のジャズは聞くと面白いとは思うが、演奏を聴いてその「音」を記憶している人はいるのだろうか? 「聴く」というより、「体験する」もので、全身で受け止めた音の塊のエネルギーの記憶というのが正しい表現のような気がする。しかしジャズの聴衆というのは、コンサートでもクラブでも、掛け声はあってもロックやポップスのように観客総立ちで一緒に踊るようなことは普通はない。基本ジャズのスウィングは横揺れで、縦ノリではないからだという理由もあるが、歳のせいもあるだろう。それ以上に、ジャズはやはり一人で聴く音楽であり、大勢でわいわいと聞くものではないからだろう。行儀よく「見るともなしに聴く」、というのが正しい大人のジャズの聴き方か。

2017/03/10

神戸でジャズを聴く

関西に出かける機会があると必ず立ち寄るのが、神戸のJR元町駅から大丸方向に数分歩いたところにあるジャズ喫茶 「jamjam」 だ。今回は約1年ぶりの訪問である。

いかにもジャズ酒場の入り口といった感じの、地下に向かう薄暗い階段を降りてゆくと、比較的広いスペースの右手に店の白いドアが見える。ドアを開けて中に入ると、左手側には長いカウンターとその前にいくつかテーブル席があり(ここは会話可)、右手側は正面に置かれた大型スピーカー(確かUREI)と正対するように、真ん中に椅子とテーブルが並んでいて、そこは往年のジャズ喫茶伝統の会話禁止の「聴く」専門のスペースである。左手には壁に沿って、こちらは横向きにクラシックな椅子とテーブルが置かれている。ほとんどが一人客で、じっと音に聴き入るか、本を読んでいる(昔のジャズ喫茶の風景そのままだ)。

初めて jamjam の音を聞いたときに本当に驚いたのはその "爆音" だ。オーディオに興味のない人が聞いたら腰を抜かすほどの音量でジャズが鳴っている。田舎の一軒家ならともかく、住宅事情で大きな音で聴けない欲求不満のジャズファンの多くが、ある種のカタルシスを得るために昔ジャズ喫茶に通ったのもこうした音量の魅力があったからだ。だが昔のこの手のジャズ喫茶といちばん違うのは、店の空間のボリュ-ムである。昔の店は、たいていは音量だけ大きくても店の空間が小さいので、音がこもったり、再生帯域のピークが出たりして伸び伸びとした音で鳴らすのは至難の業だったのだ。だがjamjamではちょっとしたスタジオ並みの広い床面積と、何より高い天井高もあって(5mはある?)、空間いっぱいに "爆音" が響きわたって、ひとことで言えば豪快かつ爽快なのである。そしてスピーカーに対峙して置かれた椅子もゆったりとして大きく、昔のようなちまちました椅子ではないところも素晴らしい。ここで一人ゆったりと座って、コーヒーを飲みながら、全身に浴びるようにひたすらジャズを聴く時間は、往年のジャズファンにとってはまさに天国だ。

アナログLPを音源にしてスピーカーから再生される音なので、ヴァーチャル・リアリティの音空間には違いないのだが、各楽器の質感、演奏の場の空気感、奏者の息使いのようなものが実にリアルに再生されている。特にベースやドラムスの音は、これ以上望めないほどの音量と歯切れ良さで腹に響き、しかもヘッドフォン並みの音の輪郭で、シンバルの微妙な打音や音色まで再現している。この全身で感じるオーディオ的快感は、ヘッドフォンや小型スピーカーでは絶対に味わえないだろう。

学生時代を神戸で過ごしたが、1970年前後には、(京都にはあったが)神戸には学生が行けるような、こうした本格的ジャズ喫茶は私が知る限りなかったように思う。よく行ったのは「さりげなく」という小さな店だったが、そこは場所を変えて今でも営業しているらしい。しかし地方ではなく、神戸のような都会の真ん中に、これだけのスペースと音響を提供するジャズ喫茶が今でも存在するというのはほとんど奇跡に近い。有名人の常連も多いと聞くが、それも当然だろう。ただしリクエストは受け付けない。様々なジャズを選り好みしないで聞いて欲しいというマスターの哲学があるからだ。5月以降は禁煙になる予定とのこと。オーディオ、コーヒー、紫煙はジャズ喫茶の3点セットだったが、時代の流れには逆らえないということだろう。jamjamは、いつまでも存続してもらいたいと心から願う店だ。

夜はJR三ノ宮駅から山側へ歩いて10分ほどの中山手通りを越えたところ、北野にある老舗ジャズクラブ「ソネ」に行った。震災から20年以上が経って、三ノ宮駅から山側にかけてのこのあたりもすっかり様変わりして、昔はほの暗い通りだったところが今は明るいネオンの店がひしめいている。「ソネ」は1969年に開店したらしいので(私が入学した年だが、当時の学生には高級過ぎただろう)、もう半世紀近い歴史がある。近くにあったもう一軒の老舗ジャズクラブ「サテンドール」(1974年開店)は残念ながら昨年閉店したらしい。jamjamのハードなジャズとは打って変わって、ピアノ・トリオと女性ヴォーカルという小粋なライヴ演奏をアルコールと料理付きで楽しんだ。客層はだいぶ違うが、この店も広々として、せせこましくなく、味、雰囲気、サービスともに良く、しかもリーズナブルな料金という素晴らしい大人のジャズクラブだ。この店もいつまでも残って欲しいものだと思う。

神戸では町をあげてのジャズ・イベントも毎年開催されているようで、今やジャズの町だ。震災で深い傷を負ってしまったが、今は、半世紀前のどこまでもカラッと明るかった神戸の街が戻って来たようで嬉しい。おしゃれで都会的なのに、北側にすぐそびえる六甲山が四季を感じさせ、高台からはいつも海が見え、街はコンパクトで、中心地から歩いて行けるところにこうしたジャズを楽しめる店をはじめ、何でもある。よそ者を受け入れる開放的な文化がある一方で、関西らしい人情もまだ残されている。神戸は本当に良い街だと思う。神戸に住む人たちは幸せだ。