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2026/07/21

メイ・シモネス(Mei Semones)を聴く

アニソンの影響だろうが、近頃の日本の歌は喉に力を入れて「絞り出したり」、高らかに「唄い上げるような」歌手や楽曲が多くて、ハイテンションに弱い年寄りは聞いていて疲れる。女性ヴォーカルも例外ではなく、優しい声で唄う癒しを感じられる歌手が減った。「流行りもの」がすぐに全体を席巻しがちな狭い日本は、そうした傾向が特に強い。一方で世界には、力まずに穏やかに唄う、脱力的で、浮遊感のある歌唱の音楽も当然あって、そうした歌や歌手を愛し、支持する層ももちろんいる。最近はジャズばかりでなく、YouTubeでそういう曲や歌に自然に目が向くようになって、気楽に楽しんでいる。たとえば古くはニック・ドレイクや、ジェイムズ・テイラー、最近ならエイモス・リーの歌などもその例だ。今はその気にさえなれば、ジャンルも、時代も、国も関係なく、自分の好みの音楽を自由に楽しめるところがいい。

ボサノヴァやジャズ・ギター好きなので、たまにYouTubeで芋づる式にそういうギター動画検索をやる。最近になってYoTube渉猟中に知ったメイ・シモネス (芽衣 Semones)) は、アメリカ生まれの日米ハーフの女性歌手で、昨年のフジロックに登場して人気に火が付き、今年の始めには初の日本国内ツアーも実現している。NYブルックリン在住だが、出身はミシガン州のアナーバー(Ann Arbor)で、母親が日本人、父親がアメリカ人だそうだ。アナーバーには社会科学系に強いミシガン大学(University of Michigan) があって、私も何度か会社の研修で行ったことがある懐かしい場所だ。ちなみに、私の最初の訳書『リー・コニッツ / ジャズ・インプロヴァイザーの軌跡』(2015) の原書 "Conversations on the Improviser's Art" (Andy Hamilton) も、そのミシガン大学出版局発行の本だ。同学出版局はコニッツの師匠レニー・トリスターノLennie Tristano の貴重な評伝や、ルイス・ポーターLewis Porter による名著『John Coltrane』など、2000年代に入ってから、そのポーター氏が編集の中心になって、"Jazz Perspectives" というアカデミックな一連のジャズ関連書籍をシリーズで出版しており、『リー・コニッツ』もその中の1冊だった。

Animaru  (2025)
『Animaru』はメイ・シモネス(英語発音は "シモーネス" が近い)の初アルバムで、全曲自作自演の実にユニークな楽曲と歌唱に満ちたレコードだ。「ギターを弾きながら歌う若い女性」という最近流行りのスタイルではあるが、バークリー音大でジャズ・ギターを専攻していたというキャリアからも、そのギター演奏(アコースティック、エレクトリック)の技術は伊達ではなく、ハードなロック、ブルージーなジャズ、ソフトなボサノヴァと、多彩なギタープレイを融合したような非常にユニークなサウンドを聞かせ、実にカッコいい。「融合」なのか「コラージュ」なのか、私には定かではないが、自身の音楽を「簡単に言えば "Jazz and Bossa Nova-influenced Indie J-POP"」と定義している。 ヴォーカルも独特で、ソロでギターだけで唄うのも魅力的だが、バンドの時は単なる歌というよりも、英語と日本語をミックスした不思議な歌詞を、語るように、囁くように、シンコペートしながら唄う浮遊感のある歌唱そのものが(歌とギターにベース、ドラムス、さらにヴァイオリン、ヴィオラというストリングスを従えた)アンサンブル・サウンドの一部になっている。バンドメンバーも、ジャズのバックグラウンドを持つ人たちだ。複雑なフレーズを、ギターとユニゾンでリフレインしながらスキャットするヴォーカルもユニークだし、リズムも和音も単純ではないが、英語に時おり日本語の単語を挿入した力みのない優しい歌声には、なんだか懐かしささえ感じて、聞くのが「クセになる」魅力がある。歌詞カードを見ないと、英語、日本語ともに何を言っているのかよく聞き取れないが、ジャズの「スキャット」のように聞いているだけでいいような気もする。それだけで斬新さと、ある種独特のフィーリングを感じる「サウンド」なのである。もちろん歌詞を見ながら聴くと、そのユニークな表現の面白さも分かる。

Kabutomushi  (2024)
アメリカ育ちのハーフなので、英語ネイティヴのバイリンガルだが、インタビュー動画など英語で喋るときは態度も含めてクールな感じで、おとなしめの普通のアメリカの若い女性だ。ところが日本語で喋るときは、当然だが、顔やたたずまいも含めて急に日本的な雰囲気になるし、ライヴ動画などでは、控え目な態度も、語りも、観客の声に恥ずかしそうに反応するところも、とても(昔の)日本女子らしいのだ。ヴィジュアルも、パフォーマンスも、この日米のアンビバレントな感じが彼女の大きな魅力になっている。動物好きなのでつけたらしいアルバム・タイトルも、英語の "Animal" ではなくローマ字『Animaru』だし、曲名も"Kabutomushi", "Dangomushi", "Inaka"…等々、日本色豊かだ。"Kabutomushi” や "Dangomushi"のように、NHKの「みんなのうた」で、アニメ付きで取り上げたらいいのに、と思えるような歌もいくつかある。(ちなみにアルバム・ジャケットのデザインは、どれもグラフィック・デザイナーで、幼少期から彼女に日本語の教育を行なってきたお母さんの作品だそうだ)。影響を受けた音楽面では、まずジャズ(コルトレーン、モンク、チェット・ベイカー、ジム・ホール、ウェス・モンゴメリーなど)、ボサノヴァ(ジョアン・ジルベルト、アントニオ・カルロス・ジョビン)に加え、日本の青葉市子のファンを公言している。チェット/ジョアンのヴォーカルつながりは有名だが、そこに青葉がつながると、メイ・シモネスの歌とサウンドの原型が見えてくる。

囁くように繰り返す歌声とサウンドが、どこか別世界とチャネリングをしているように感じさせるところもある。昔から、女性ヴォーカリストの一部には「巫女(みこ)」的なものを感じさせる歌手がいて、たとえば私的印象だと、藤圭子や中島みゆきはイタコ系(?)だが、青葉市子は精霊や天上へのチャネリング、ヒーリング的なものを感じる。西洋世界で人気があるのはそのせいではないかと思う。しかしクラシック・ギターを弾きながら和装で唄う青葉は、日本古来の巫女的風情を醸し出しているが、スカートをはいてジャズ・ギターを弾きながら、クールに唄うメイ・シモネスの音楽は、いわば洋風巫女(?)のような趣がある。ジャズのリックを引用した単調なのに複雑なメロディとコード、リフレイン、変拍子などをじっと聴いていると、いつのまにか引き込まれて、眠くなって、どこかへ連れて行かれそうな気分になる。

Chet Baker Sings (1956)
その後調べていたら、昨年英国Blue Noteから『Chet Baker Re-imagined』という、チェット・ベイカーへのトリビュート・アルバムが出ていて、その日本盤だけに、メイ・シモネスの演奏がボーナス・トラックとして収録されていることを知った。曲はスタンダード "My Ideal" なので、きっと、もっとジャズっぽい演奏が聞けるだろうと思って、このCDを買ってみた。チェット・ベイカーのトリビュート・アルバムは、別記事でも紹介したイリアーヌ・イーリアスなどのジャズ・アーティスト以外にも、エイモス・リーなど非ジャズ側でも制作されていて、曲の大部分は70年前の1956年の名盤『Chet Baker Sings』をリファレンスにしてい る。これらのトリビュート・アルバムはチェット作品を取り上げてはいるが、いずれもチェットが作曲した楽曲というわけではなく、チェットの「愛唱曲のカバー」である。これはチェットがスタンダード曲を唄いながら、ジャズ・トランペットとヴォーカルで、独自の味わいをその曲に加えて、「チェット・ベイカーの音楽」として楽曲を再構築しているからで(もちろんラス・フリーマンのピアノと編曲も大きい)、普通のジャズ歌手がバンドをバックにして唄うよりも、ずっとジャズ的でモダンなのだ。この「ジャズ/ポップ」の絶妙なブレンドがチェット・ベイカーの音楽の魅力であり、これはポップなモダン・ジャズという、当時チェット・ベイカーだけが構築し得た独自のジャズ・ヴォーカルの世界だった。発表から何十年経っても、またチェット本人の没後何十年経っても人気が衰えず、何度もその魅力が語られ、いまだに世代を超えてトリビュート作が作られるのは、チェットの中性的ヴォーカルそのものの魅力に加えて、通常のジャズとは異なるモダンなポップ性、つまり、いつまでも古びない「普遍性」がその音楽の中にあるからだと思う。

Chet Baker Re-imagined
(2025)
CD『Chet Baker Re-imagined』も、もちろんチェットの愛唱曲を中心にした歌曲15曲で構成されているが、演奏、歌唱はUKの非ジャズの若手アーティストを中心に、米国、カナダ、韓国などのグローバルなメンバーが参加している。フォーク、ソウル、ロックなどバラエティ豊かなスタイルの演奏が続き、普段あまり聴いたことがない音楽や歌手ばかりで、演奏もあまりジャジーとは言えないが、逆にそこが新鮮で、これはこれで結構楽しめる。各ジャンルで有名なミュージシャンもいるようで、解釈もそれぞれ独特だし、音楽的クオリティも高く、やはり「スタンダード曲」に取り組む音楽技術に西洋の歴史の厚みを感じる。しかしメイ・シモネスはここでも独特で、日本盤CDで追加された "My Ideal" は、いつものバンドによるバラード演奏だが、やはりアルバム中で最もジャズ色が強く、中間部ではウェス・モンゴメリーばり(?)のギターソロも披露している。英Deccaが、昨年この曲をシングルで配信リリースしたそうなので、きっとヨーロッパでも受けているのだろう。調べたら今月(7月)は、ヨーロッパ各国の主要都市をツアー中らしい。ジャズの本質そのままに、ジャンルも、国も、楽々と越境し、しかもヒーリング的味わいも持つメイ・シモネスの音楽は、その独特の個性ゆえに、今後もグローバルにファン層を拡大してゆくことだろう。

2026/06/16

《追悼》ソニー・ロリンズ&中牟礼貞則

4月24日の訳書『ソニー・ロリンズ伝』(亜紀書房)の発売からちょうど1ヶ月後、5月25日にソニー・ロリンズ氏(1930年生まれ)が95歳で亡くなった。日本語版伝記の出版後1ヶ月という、あまりのタイミングにびっくりした。まだ生きていたのか…と驚く人もいる一方で、盟友マイルス・デイヴィスの生誕100年の誕生日、5月26日の前日に亡くなるという、まさに最後までスーパースターらしい、人々の記憶に残る逝き方だった。亜紀書房から、その日本語版を原書『Saxophone Colossus』の著者エイダン・レヴィ氏経由でロリンズ氏にも送ってもらったが、亡くなる直前にロリンズ氏本人も、日本で出版されたこの伝記を手にして非常に喜んでいたと著者から連絡があった。高齢のために間に合うか心配していたのだが、なんとか生前に出版できたのだ。同書巻頭に掲載した日本の読者に宛てたメッセージには、日本や友人の思い出と、感謝の言葉と共に、最終の第42章で語られているロリンズ氏が到達した現在の境地と、ジャズ人生最後の思いが込められている。昨秋の、著者によるそのインタビュー実現と併せて、ロリンズ氏本人がこの日本語版伝記を目にしたことで、長かった3年間の翻訳作業の苦労が報われた気がして嬉しかった。だが、ほぼ同時に訃報も届いたわけで、複雑な気持ちでもある。

そして、それからわずか10日後の6月4日に、今度はギタリストの中牟礼貞則さん(1933年生まれ)が93歳で亡くなったという知らせが、中牟礼さんをサポートしてきたフォトグラファーの平口紀生さんからあった。3月に入院されたという話をお聞きしていたが、数ヶ月の入院加療だということだったので、実はあまり深刻に受け止めていなかった。というのは、中牟礼さんはそれまでずっと、一人でギターとアンプを担いで各地でライヴ出演するほど、お元気な様子だったからだ。しかもまだロリンズ氏より2歳も若い(?)のだ。だから、復帰したらまたライヴに行こうと考えていた。腰痛のために、1昨年の国立 "NO TRUNKS" 以来ライヴに出かけられず、多少改善してきた今年こそ、また聴きに出かけたいと思っていたのである。

『中牟礼貞則 / 孤高のジャズ・インプロヴァイザーの長き旅路』(久保木靖、2021、リットーミュージック)で詳細に語られているように、鹿児島での少年時代、手作りギターで演奏を始めた中牟礼さんは、そのギター少年から、近年のまさに「ギター仙人」となるまで、ジャズ・ギターひと筋の人生を送ってきた。同書に同梱されているCDには、1950年代半ばの徳山陽氏のピアノ・コンボに参加しているまだ20代の中牟礼さんのモダンなプレイ、90年代後半に来日したリー・コニッツとのクラブ・デュオ、さらに近年のソロ・ギター…と、中牟礼さんの未発表の貴重な音源が収録されている。この間、中牟礼さんは60年代に盟友高柳昌行氏の前衛グループ、同じく稲葉国光氏との共演、渡辺貞夫グループのボサノヴァ録音などに参加しながら、同時に数多くのスタジオ・セッションもこなし、32枚のリーダー作・共作アルバムを含む参加レコードは約200枚に及ぶ。ジャズ以外の演歌、ポップスなども含めたその多彩なジャンルは、中牟礼さんの音楽的土壌の厚みと豊かさを物語っている。また現在闘病中の渡辺香津美氏をはじめ、師弟関係のあるギタリストも数多く、中牟礼さんは文字通り戦後の日本ジャズ・ギター史を代表するアーティストの一人だった。

私はそもそも、レニー・トリスターノ、リー・コニッツ、ウォーン・マーシュなど、トリスターノ派のジャズに興味があり、長年彼らのレコードを聴いてきた。そこで、初の訳書として『リー・コニッツ/ ジャズ・インプロヴァイザーの軌跡』(Andy Hamilton, 2015、DU BOOKS)を出版したのだが、その流れで、トリスターノを日本で研究していたギタリスト高柳昌行氏のことも知り、レコードを集めたりしていた。ところがこの本『中牟礼貞則』で、その高柳氏と中牟礼さんの若き日のジャズ思想と友人関係も知るところとなり、同世代の渡辺貞夫氏との関係も知り……と、これまで知らなかった日本のジャズ史の細部も徐々に理解するようになった。また同書は、その訳書『リー・コニッツ』をモデルにして、著者と中牟礼さんの「1対1のインタビュー」を中心にした構成で書かれている。それによって、これまでの日本のジャズ本には見られなかった、一人の日本人ジャズ・ミュージシャンの哲学と思想が本人の口から具体的に語られており、同時に中牟礼さんの個人史、その人間性も生き生きと描かれている。本書には、多くのジャズ関係者が「ムレさん」と親しみを込めて呼ぶ中牟礼さんへのリスペクトを語るインタビューも収載されているが、どれも心のこもったコメントであり、中牟礼さんがいかに人格的にも魅力のある人物だったかよく分かる。

同書で、ご本人と多くのミュージシャンによって語られるジャズ思想、個人的エピソードはどれも興味深く、また読んで面白いものだが、私が個人的にいちばん「ウケた」のは、1993年のハワイ公演で皆とはぐれた中牟礼さんが、空港からホテルまで、車しか走っていない荒涼とした火山帯の一本道を、ギターを担いで一人で延々と歩いていた……という歌手・後藤芳子さんの逸話だ。ハワイでもか…と、日本でギターを担いでギグへ向かう飄々とした「ギター仙人」のいつもの姿と、火山島ハワイの背景対比が目に浮かぶようで、つい笑ってしまうのである。そして、私の訳書『リー・コニッツ』が中牟礼さんの愛読書であるということも知って大いに喜んだ。しかし、ジャンルや時代を超えた音楽への関心が弱まることがなく、最近は「ブリジッド・バルドーみたいな名前の、あのピアニストと共演してみたい……」、と語っていた中牟礼さんに、現在私が翻訳中の「ブラッド・メルドー自伝」をお届けできなかったのがとても残念だ。

国立 "NO TRUNKS" にて
June 2024  (photo by 平口紀生)

上記インタビュー本『中牟礼貞則』に感激した私が、書評を本ブログで書いた(2022年5月)ことがきっかけで、平口さんから中牟礼さんのライヴに招待されたが、中牟礼さんの拠点だった横浜 "エアジン" には行けず(腰痛で階段が上れなかった)、ようやく2024年6月に、国立の "NO TRUNKS" で初めて中牟礼さんのソロ・ライヴを聴きに行った(その店はエレベーターで上がれた)。そこで演奏する毅然とした91歳の中牟礼さんの姿に私は感動した。背筋をピンと伸ばして立ったままギターを弾く凛としたその立ち姿は、まさに薩摩隼人かくありなん、というもので、そのときの印象も本ブログに書き留めている(2024年6月)。演奏後もクラブに残って平口さんに写真を撮ってもらい、また親しくお話もさせていただき、ギターへの厳しい姿勢と同時に、その穏やかで誠実な人柄にも触れさせていただいた。91歳のジャズ・ギタリストの手指はいったいどうなっているのか知りたいという単純な理由で(普通は弦を抑える左手の指先が固くなっている)、図々しく中牟礼さんの左手に触れさせていただいたが、その予想外の柔らかさと、温かさを今も鮮明に記憶している。クラブを出て、平口さんの車で帰路に就いた中牟礼さんをお見送りしたが、最後に車の中から「ありがとう!」と言われた大きな声も、今でもはっきりと覚えている。

ソニー・ロリンズ氏と中牟礼貞則氏は、パフォーマンスの完成を目指す情熱を晩年になっても失わず、少なくとも後半生は酒もタバコもやらず、片や「ヨガ」、片や「ランニング」というストイックな習慣を続けて身体を鍛え、健康を維持しながら演奏活動を続けてきた。このブログを始めて10年目になるが、本ブログ "Contact" を通じて『Saxophone Colossus』の翻訳を依頼してきた著者エイダン・レヴィ氏とソニー・ロリンズ氏とのつながりも、私の書いた書評が縁になった平口さん、中牟礼さんご本人とのつながりも、このブログが媒介したものだ。何度か、もう書くのはやめようかと思ったこともあったが、今は予想もしなかったそうしたつながりが生まれただけで、10年間、ど素人ジャズファンの駄文を書き続けてきた甲斐があったとつくづく思う。ミュージシャンでもないただのジャズ好きが、この二人のジャズ・レジェンドの最晩年に書物が縁となって触れ合う、という奇跡のような機会が生まれたことに感謝したい。やはり「ジャズの神さま」はいたのである。

お二人のご冥福をお祈りします。

2026/05/30

夏はボサノヴァ・イリアーヌ

(*)最近botと思われる海外からのアクセス数が急増して、記事別PV数のカウントがノイズまみれになってしまった。そこで、もはや意味のなくなった"Popular Post"  の掲載を止めたので、悪しからずご了承ください。
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5月だというのに、もう猛暑日である(おまけに台風まで)。これから10月くらいまで暑い夏が延々と続くと思うと、うんざりだ。海水温の上昇でカキもアサリもホタテもイカも採れなくなって、日本の食卓も(居酒屋メニューも)様変わりしている。もう季節は夏と冬だけになり、日本の穏やかな四季は徐々になくなってゆくのだろう。当然だが、今後は日本人の感性も徐々に変化してゆき、白か黒か、ゼロか百か、という単純で短気な2者択一で、繊細なグラデーションのない気質の人間がますます増え、嗜好も、文化も芸術も、そうした影響を反映したものに変質してゆくのだろう……などと、嘆いていても、もう仕方がない。長く暑い夏を、せめて気分よく過ごすにはボサノヴァ、それもイリアーヌ・イーリアス Eliane Elias (1960-)という美女の、清々しいピアノと、けだるいヴォーカルを聞きながら昼寝でもするしかないか……というわけで、好きなイリアーヌのレコードをいくつか挙げてみた。

これはジャズ・ボッサ系ではなく、イリアーヌがジャズに向かう前、ブラジル時代に本格的に取り組んでいたクラシック・ピアノ(ジャズ転向後も練習していたという)、そのソロ演奏に改めて挑戦したアルバム『On the Classical Side』だ(1993)。ここではヴィラ・ロボス、バッハ、ラベル、ショパンの有名曲を弾いている。クラシック的に見た時のピアノ演奏の技術が、どの程度のものなのかは私にはまったく分からないが、当時はまだ30歳くらいで、ご覧の通りのヴィジュアルなので、80年代にエディ・ゴメス(b)に誘われて移住した米国のジャズ界ではアッという間に人気者になって、トランぺッターのランディ・ブレッカーと結婚した(その後離婚。ベースのマーク・ジョンソンと再婚した)。いずれにしろ、きちんとしたクラシック・ピアノの技量と経験に裏打ちされたジャズ・ピアノ弾きであることは分かる。

長年の私的愛聴盤は『Eliane Elias Plays Jobim 』(1990)で、エディ・ゴメス(b)と、ジャック・デジョネット(ds)、ナナ・ヴァスコンセロス(perc)というサポート陣がバックをつとめ、アントニオ・カルロス・ジョビンの作品を演奏したピアノ・トリオ(+1)のアルバム。ジャズ色が強いのと、録音が良いので、私はこのアルバムをオーディオ・チェック用にも使ってきた。ピアノの音のクリアさと深み、ベースの音のレンジ、沈み込み、ドラムスとパーカッションの空間の響きなど、装置の調子を見るのに丁度いいからだ。カルロス・ジョビンの曲も "Sabia", "Don't Ever Go Away", "Angela" , "Zingari"のような美しいスローバラードから、アップテンポのパルシブなボサノヴァ曲まで多彩で飽きない。

次は『Sings Jobim』 (1998)で、こちらは『Plays』ではおまけのような1曲 (Don't Ever Go Away) だけだったイリアーヌのヴォーカルに焦点を当てたアルバム。娘のアマンダがバックコーラスで、またマイケル・ブレッカー(ts) 、当時の夫君マーク・ジョンソン(b)が参加している。低く、ハスキーで、アンニュイな声は、さすがネイティヴのポルトガル語の魅力を存分に感じさせる。英語の歌唱だと、この空気感はなかなか出せないのである。声量はないが、私の好きなアナ・カランや小野リサよりもずっと低域よりの声で、ジャズ的なレイドバックした歌唱が、ボサノヴァのけだるいムードに合っている。発売当時、”The Continental" が、日本のテレビCMで使われ、話題になった。イリアーヌのヴォーカルをけなしている人も時々いる(実は私も最初そうだった)。しかし今は彼女独特の歌のファンだ。ボサノヴァを唄わせたら、アストラッド・ジルベルトとか、最近では同じジャズ・ピアニストのダイアナ・クラールのヴォーカルよりも、ずっと陰翳とサウダージの風味があり、特にブラジル的シンコペーションをベースにした、たゆたうような歌のリズムが非常に気持ちがいい。

4枚目は『Dreamer』 (2004)で、40歳を過ぎて、貫禄も出始めたイリアーヌが、ストリングスをバックに11曲を余裕綽々で唄い、弾く、ゴージャスなジャズ・ボッサ・アルバム。ここでもマイケル・ブレッカー(ts)が参加している。選曲も含めて、かなりイージーリスニング的なボサノヴァ・アルバムだが、普通の人は、イリアーヌのこのリラックスしたピアノと歌唱によるサウンドをより好むだろう。一部を除き、ブラジル訛りの英語による歌唱なので、好みもあると思うが、肩の力を抜いて、イリアーヌの低く、囁くようなヴォーカルにじっと耳を傾けていると、気持ちが良くて、すぐに眠れる。

5枚目は、チェット・ベイカーの没後25周年にリリースされたトリビュート・アルバム『I Thought About You』(2013) 。チェットの囁くようなヴォーカルがジョアン・ジルベルトに影響を与え、それがボサノヴァ歌唱のデフォルトになったという話は有名だ。やはりジャズはボサノヴァの片親であり、ハーモニーだけでなく、インストもヴォーカルも深いところでつながっている。このアルバムは、無理やりボッサ感のある曲もあるが、チェットの愛奏曲を中心にジャズ・スタンダード色を前面に出している。現夫のマーク・ジョンソン(b)に加えて、特別参加している元夫のランディ・ブレッカー(tp, fgh)が、"That Old Feeling" をはじめとして、思わずニヤリとするようなチェット風のソロを吹いている。別記事でも紹介しているが、このアルバムでは、一人シンプルにピアノの弾き語りで唄う "I Get Along Without You Very Well" が、私的にはイリアーヌの歌の魅力をいちばん感じさせる。

2026/04/16

訳書『ソニー・ロリンズ伝』出版

表題邦訳書が4月24日に亜紀書房から発売されます。

本ブログの「Contact」を通じて、著者エイダン・レヴィ (Aidan Levy)氏から原著『Saxophone Colossus : The Life and Music of Sonny Rollins』の翻訳と、日本での出版可能性打診があったのは2021年8月のことだ。私は過去10年間に5冊のジャズ関連翻訳書を出版してきたが、そのうちミュージシャン伝記(インタビュー形式含)はリー・コニッツ、セロニアス・モンク、スティーヴ・レイシーという3人で、また全5冊のうち スティーヴ・レイシー(月曜社)を除き、他はすべて個人的興味から自分で翻訳し、出版社に紹介し、そこで版権を取得していただいて日本で出版してきた。3人は、いずれも日本では知る人ぞ知るという人たちで、マイルス、コルトレーン、エヴァンス以外にも、素晴らしい、あるいは興味深いジャズ・ミュージシャンは沢山いますよ…というのがこれら翻訳出版のそもそもの動機で、どちらかと言えば日本ではマイナーな印象が強い人たちばかりだ。ソニー・ロリンズというテナーサックス奏者も、日本ではジャズ巨人の一人として広く名前が知られているわりに、上記3人と同じく情報が少なく、その音楽や個人史、人物像を描いた書籍がこれまで日本では見当たらないと思っていたので、レヴィ氏の依頼にほとんど即座に応じて翻訳に挑戦することにした。ただし出版社探しも同時に行なう必要があるので、まず翻訳を進めながら、可能性のある出版社に打診してみるという計画で著者と合意した。

翌2022年夏に原書のPDF最終原稿が送られてきたが、そのPDFを見て仰天した。何と英語の本文テキストだけで800ページ近くもある大著だったからだ。レヴィ氏からは、全42章を要約したレジュメも送られてきたので、その翻訳版を作成、紹介しつつ可能性のありそうな出版社に打診することにしたが、予想通り、なかなか「やりましょう」という出版社が現れなかった。ジャズというジャンルと、翻訳書の特殊な経済的制約から、いかに優れた書籍でも日本でのジャズ翻訳書出版はそもそも難しい。同じような長編だった2017年の『セロニアス・モンク』(ロビン・DG・ケリー)出版の際に、出版界にもジャズ界にも何ら縁故のない私のような人間が、ジャズの翻訳書、それも大著を日本で出版することがいかに難しいかを散々味わっていたので、まあ時間がかかるのは仕方がないと思っていた。だが一本釣りはやはり効率が悪いので、今回は本書を扱う日本の版権エージェントも探し、そこにもコンタクトして、レジュメも送り、可能性のある出版社への紹介も依頼した。結果として、そのルートでようやく辿り着いたのが亜紀書房だった。2023年2月のことだ。原書はその直前2022年12月に米国で出版されるや、メディアでも大評判となり、初版ハードカバー7,000部があっという間に増刷され、「2023年度米国図書賞」(44th American Book Award)の他、いくつも賞を受賞するなど、近年の米国内でも特に大きな反響を呼んだジャズ関連書籍となった。

モダン・ジャズを象徴するほとんどの大物ジャズ・ミュージシャンが歴史上の人物となってしまった今、1930年生まれのソニー・ロリンズは20世紀モダン・ジャズを代表する巨人、それも今年95歳になる最後の存命の巨人であり、まさに生きるモダン・ジャズ史とも言える人物である。しかし上述のように、マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンと異なり、ロリンズの人生は突然の雲隠れなど、これまで謎が多く、またモンクと同じく本人もあまり公に語ることがなかったので、情報そのものが非常に少なかった。本書最大の価値と魅力は、著者が7年間にわたって、そのロリンズ本人へ直接インタビューして初めて聞き取った情報と、その他の数多くのジャズ・ミュージシャンや関係者へのインタビュー、ジャズ関連史料から得られた膨大な情報を積み上げることで、ソニー・ロリンズの人生と音楽の全貌を初めて立体的に描き出そうとした点にある。これによって本書では、ロリンズ本人の人生のみならず、彼とチャーリー・パーカー、セロニアス・モンク、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、クリフォード・ブラウン他の同時代のジャズ巨人や、その他多くのジャズ・ミュージシャンたちとの人間的、音楽的交流を中心にしたビバップ以降の20世紀モダン・ジャズ史が、かつてない緻密さで描かれており、ジャズファンにとって大きな楽しみが加わっている。

本書は1960年頃の「橋」(ウィリアムズバーグ橋)でのロリンズの有名な隠遁事件を境に、前後を「PART1」、「PART2」という2部に分けた構成になっている。私も含めて、おそらく日本でよく知られているのは「PART1」の内容、つまりハードバップ時代までのロリンズの音楽だろう。この時代もパーカー、マイルス、コルトレーンとの接触、シカゴへの隠遁、麻薬農場への入所とドラッグ克服、ブラウン・ローチ・バンドへの参加、ブラウンの事故死詳細など、これまであまり知られていなかった個人史が詳細に書かれている。「橋」以降、1960年代から近年に至るロリンズの音楽活動と、米国ジャズ界の変遷を描いた「PART2」については、これまで日本ではほとんど紹介されていない情報が多いと思う。特に1970 年前後のインドでの隠遁生活から復帰後のロリンズを、マネージャーとして最後(2004年没)まで支え続けたルシール夫人の存在と二人の物語も、これまであまり詳しく知られておらず、ロリンズという人物の音楽と思想の奥行を理解する上で非常に興味深い。またローリングストーンズとの1980年の共演『Tatoo You(刺青の男)』を巡る詳細な話や、2001年のNYC 9.11のロリンズの直接体験談など、初情報も多い。

翻訳に丸々2年を要した本書は、亜紀書房の提案もあって原書テキストの「完訳版」である。そのため、結果として日本語版で900ページ近い大著となった。著者の初稿単語数は59万語だったそうだが、そこから編集で32万語(半分近く)を削って最終稿になったという。さらに原書のNote(原注)は主としてその削除稿だが、それだけで400ページ以上もあって、そこにも貴重な情報が含まれている。このNote部を、米国版では出版社のWeb HP上で公開している。そこで日本語版でも、本体には収載できなかった膨大なNote記事の中で、読者の興味を引くような背景情報だけを抜粋して翻訳し、それを『原注』として亜紀書房のHP上で公開することにした。時間と興味のある読者は、これら原注情報もHP上で参照しながら読んでいただくことも可能だ。いずれにしろ、とにかく長い本なので、1ページ1ページ急がず時間をかけて、数々のセッションの記録や逸話、その背景描写を通して、ジャズ最後の巨人が歩んだ人生と20世紀モダン・ジャズという音楽の変遷と歴史を、じっくり味わいながら読んでいただければと思う。

本書巻頭のソニー・ロリンズ氏からの「日本語版に寄せて」は、著者に依頼して、作2025年の夏から秋にかけて、現在NY州北部のウッドストックで静かに暮らすロリンズ氏本人に直接インタビューしてもらい、それを著者が文字に起こしたものだ。本書中にも書かれているように、これは長いジャズ人生を歩んだロリンズ氏からの、ジャズを愛する日本という国と、友人、ジャズファンへの心のこもったメッセージである。また日本語版には、第5章「アナポリス」の補追として、海軍下士官だったロリンズ氏の父親に対する人種差別に基づく不当な判決と処遇を覆し、その名誉を回復させた著者とロリンズ氏による近年の海軍との交渉結果も加えた。

さらに、日本語版には本体とは別にパンフレット状の『特別付録』(挟み込み)を加えた。一つは訳者から亜紀書房にお願いした、「スイングジャーナル」誌元編集長の故・児山紀芳氏(1936-2019)のエッセイの転載である。レコード『サキソフォン・コロッサス』がジャズ・ジャーナリスト人生を歩むきっかけだったという児山氏は、ロリンズ氏個人と最も深い人間的な接点を持った日本人の一人だ。児山氏唯一の著書で、遺作となった『ジャズのことばかり考えてきた』(2018白水社)から、「ジャズ・ジャイアンツの肖像 / ソニー・ロリンズ」の項を転載させていただいたものだ。児山氏は本書でも触れているように、短命だった「日本版ダウンビート」誌の編集長時代の1960年に、当時NY在住の時事通信社の記者兼カメラマンだった川畑篤彦氏に依頼して、隠遁中だったソニー・ロリンズの姿を、ウィリアムズバーグ橋で世界で初めて捉え(原書カバー写真他に収載)、インタビューまで記録するなど、その後のSJ誌時代も含めて「世界で最も有名な」日本人ジャズ・ジャーナリストだった。ロリンズ氏のメッセージにもあるように、来日時の交際などを通じて、その後二人は親しい間柄にもなった。本書と併せて、児山氏の視点で観察した当時のロリンズ像を読んでいただくと、人間ソニー・ロリンズの実像が、よりリアルに浮かびあがってくるのではないかと思う。訳者が個人的に大いに楽しみ、勉強させてもらった1970年代の「スイングジャーナル」誌を率いた児山氏は、いわば私的ジャズ大学の先生でもあり、今回のロリンズ伝記出版に際し、なんとかして氏の功績に敬意を表したかった。転載を許可いただいた白水社様と、児山氏のご遺族に御礼申し上げます。

20世紀のジャズは、レコードと録音技術の進化に支えられつつ、両輪で発展した音楽であり、ミュージシャン個々人の遺したレコードは、文字通り歴史的にも非常に貴重な記録である。ジャズ伝記を読む際に、読者としてもっとも欲しいのが、そのミュージシャンの具体的録音記録(discography ) に関する情報だ。時系列でそれらの演奏を聴き、確認すると、テキストだけでは見えないジャズ史や個人史が、具体的な形をとって見えてくる。児山紀芳氏はそのコレクター、発掘者としても有名だったが、とりわけ20世紀半ばの黄金期のジャズに残された歴史的音源は人類の宝だと私は思っている。ミュージシャン伝記の翻訳書出版の際に、その情報をできるだけ訳書に取り入れたいと常に思ってきたのだが、主に紙数やスペース、コスト上の制約から十分な資料として提供するのが難しかった。大長編となった今回もその制約があり、本体に収めることができなかったが、上記児山紀芳氏のエッセイ(スペースの制約で、やむなく書体が小さくなったが)と共に、アルバム・ジャケット写真付きでソニー・ロリンズの『Selected Discography』も別刷り『特別付録』として添付した。詳細情報まではカバーできず、完全な記録ではないが、リーダー作およびサイドマン参加作(写真なし)ともに、主要レコードはほぼ網羅している。本書を読みながら、これらのレコードも参照し、実際に聴いていただければ、ロリンズの長いジャズ人生をより深く理解し、楽しんでもらえるものと思う。

最後に、大著の翻訳書であることと、近年の原価上昇事情から、8,580円(税込)という非常に高い価格設定になったことは、多くの読者に読んでいただきたいと願っている訳者としては残念だが、これは出版社のビジス上の判断からの決定であり、やむを得ないことと思っている。いずれにしろ、普通なら腰の引けるジャズに関するこの大著を、「日本語で完訳出版する」という英断を下していただいた亜紀書房様には感謝しており、ここで改めてお礼申し上げたい。

(*追記)本日5/26、ソニー・ロリンズ氏の訃報を知りました。ちょうど1ヶ月前に出版した日本語版の本書は、亜紀書房からロリンズ氏本人にも届けられており、日本が大好きだったロリンズ氏に、何とか生前に目にしていただけたものと思います。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

2026/03/29

ジャズ・バラードの森(9)Darn That Dream

例年春先の2,3月になると、毎晩のように面白い夢を見る。それもカラーで、面白いストーリーで、イヤな夢とかはほとんど見ない。シチュエーションや登場人物は、やはり会社員時代のこと、同僚とか先輩、後輩が多くて、基本的には仕事関係で、何か話し合っていることが多い。それと私の場合、仕事上の経験から海外で一人で外人に囲まれている会議の場なども多くて、そこでは英語で会話したり、議論している(何を喋っているのか、内容はもちろん覚えていないが)。こちらは懐かしく、楽し気なこともあるが、「難しい議論」をしていることもあって、目が覚めると、結構頭が疲れていることも多い。夢の中で、何と言おうか英語の表現を考えているからだろう。普通の日本人はみなそうだと思うが、今思えば、やはり海外でのそういう場は、かなりストレスがあったのだろうと想像する。

さて "ダーン・ザット・ドリーム Darn That Dream" も、「いったい何なんだ、あの夢は…」というニュアンスの曲である。Darnは"Damn"からの派生語と言われていて、「チクショー」とか、「チェッ」とかいう意味なので、昔は『いやな夢』という、ずいぶんあっさりした邦題までつけられていた。だがこの曲のタイトルは、悪夢とかそういう夢を指すのではなく、「別れた恋人が毎晩夢に現れて、私を抱きしめたりするけど、目が覚めると、そこにあなたはいない…。いったい何なのあの夢は…」という、切ない気持ちを唄った曲なのだ。Jimmy Van Heusen作曲、Eddie De Lange作詞で、1939年のブロードウェイ・ミュージカル『Swingin' the Dream』で初めて唄われた(この時代、1930/40年代のアメリカのポップスは本当に名曲が多い)。最初のヴォーカルはミルドレッド・ベイリーだったようだが、私はヴォーカルはビリー・ホリデイBillie Holidayのヴァージョンしか持っていない(マイルスの『クールの誕生』のケニー・ヘイグッドのヴォーカルは別)。収録されたアルバム『Body and Soul』は1957年の録音で、ノーマン・グランツが企画し、衰えつつあったホリデイの歌を、ベン・ウェブスター(ts)、ハリー"スウィーツ"エディソン(tp)、ジミー・ロウルズ(p)、バーニー・ケッセル(g)、レッド・ミッチェル(b)といった豪華布陣でバックアップしている。ホリデイの歌だけでなく、このバックのベテラン・ミュージシャンたちの、懐かしくも、豊潤で、リラックスした演奏を楽しめるのもこのアルバムの魅力だ。

私有の他のCDはインストばかりだが、やはりピアノがいちばん多い。ホーンではアート・ファーマー(tp)の『Art』や、デクスター・ゴードンDexter Gordon (ts)のブルーノート・レーベル収録のバラード・コンピ盤『Ballads』があって、後者は私の愛聴盤だ。この曲のオリジナル録音は『Daddy Plays the Horn』(1955)に収録されていて、ケニー・ドリュー(p)、リロイ・ヴィネガー(b)、ローレンンス・マラブル(ds)というワン・ホーン・カルテット。「朗々とした」という日本語がいちばんふさわしいのが、この時代のデクスター・ゴードンのテナー・サウンドだが、このバラード集では、どの曲からも、朗々としていながら、言葉にできない不器用な男のやるせないような哀愁が聞こえてくるデクスターのバラード・プレイは最高だ。特にこの曲は素晴らしい。

ビル・エヴァンスBill Evansとジム・ホール Jim Hall のデユオ『Undercurrent』(UA) における、密やかで、静謐で、それでいて緊張感に満ちた演奏は、この二人にしか作れない世界だ。しかし実はジャズ初心者の頃、この演奏が "Darn That Dream" だとはまったく気づいていなかった。二人のインタープレイによる曲の解体ぶりが見事すぎて、初心者の駄耳ではメロディさえもよく聞き取れていなかったからだ。ジム・ホールはデュオの名手だが、ビル・エヴァンスを相手に実にきめ細やかに、しかも常に空間、余白を感じさせるさすがの演奏を繰り広げている。このアルバム収録曲はどれも美しく、ジャズ・デュオの最高の手本というべき演奏がつまっている。

先日、テレ朝の『徹子の部屋』に渡辺貞夫氏が出演していた。93歳になるが元気に語り、演奏も聞かせていた。徹子氏が、自分のことを棚に上げて「いつまでもお元気で…」と驚いたように言っていたのがおかしかった(二人とも1933年生まれだ)。同年生まれのギタリスト中牟礼貞則氏は昨年まで元気にライヴ出演していたが、サポーターの写真家平口さんによると、最近体調を崩して入院したということだ(お元気になってまた演奏に復帰されることを祈っている)。ソニー・ロリンズ(1930年生まれ)は存命で95歳だが、もう10年以上前に演奏活動は休止している。ホーン奏者としては長生きだったリー・コニッツ(1927年生まれ)は、2020年にコロナのために92歳で亡くなった。パーカーは34歳、コルトレーンは40歳、マイルスは64歳没とホーン奏者はおしなべて短命だが、原因はほぼドラッグだ。長生きするジャズマンはドラッグの影響を回避できた人たちである。モンク(64歳没)もドラッグさえやっていなければ90歳までは生きたはずだ、と奥さんのネリーが言っている。さて、世界中でも最長老と言えるジャズ・ミュージシャンの一人は、渡辺貞夫の先輩だった我らが秋吉敏子氏(1929年生まれ97歳)である。私が最後に見た来日公演は2018年の「東京文化会館」での夫妻共演で、あれから7年以上経つが、昨年も元気に来日して演奏を披露している。1956年、26歳で単身渡米して以来70年以上を、米国のジャズシーンで生き抜いてきたまさにレジェンドである。その秋吉敏子が1994年にリリースしたアルバム『Night and Dream』(日本コロンビア)で "Darn That Dream" を取り上げている。この曲はMickey Roker(b), Peter Washington(ds)というトリオに、3管が加わったセクステットによる演奏。録音も良く、秋吉のピアノも美しく捉えられた好アルバムである。「理」の人、秋吉敏子によるクールなバラード演奏も一聴の価値がある。

手持ちのピアノ・トリオはホレス・パーラン、ジョン・ライト、大西順子、ソロは、レニー・トリスターノ、ピート・ジョーリー盤などがある。私は、ピアノはモンクとバド・パウエルを別格とすれば、凛とした気品のあるトミー・フラナガン、いぶし銀のバリー・ハリス、哀愁のデューク・ジョーダンという3人の名ピアニストが好きだ。この曲もピアノトリオでは、初期のデューク・ジョーダンによる『Duke Jordan Trio』(1954)での演奏が好きだ。ジョーダンはテクニックや華々しさはないピアニストだし、これもなんということもない地味なアルバムだが、"Embraceable You" とともに、ここでの"Darn That Dream" の、シンプルだがしみじみした演奏はとてもいい。この頃から60年代ヨーロッパ時代にかけてのデューク・ジョーダンは、とにかく「美メロ」製造機のようで、イントロから始まり、日本人好みのメロディが次から次へと出て来る。スローバラードを解体して、まったく別の曲のごとく再構成して演奏するのもジャズの魅力ではあるが、バラードは妙な技巧もひねりもいらない、名人が美しいメロディをそのまま弾けばいいのだ、と言っている典型的演奏。

ピアノのもう1枚は、セロニアス・モンクThelonious Monkのソロ。モンクは『The Unique Thelonious Monk』(1956 Riverside) では、トリオでこの曲を演奏しているが、15年後の1971年のヨーロッパ・ツアー時に、ロンドンで録音したBlack Lionレーベルの『London Collection Vol.1』というアルバムでもソロで演奏している。これはモンク最後の公式録音であり、ソロ演奏(録音)もこれが生涯最後だ。モンクはやはりソロが最高だと思う。「余計な音を加えるな。コードなんかどうでもいい。メロディをプレイするんだ」という、「メロディの髄」を弾くモンクの演奏思想をそのまま体現しているからだ。衰えた晩年のこの演奏でも、それは同じだ。モンクはこの曲 "Darn That Dream" のメロディが好きだったのだろう、一つ一つの「音」を慈しむように弾いていることがとてもよくわかる。Vol.1は全編ソロ演奏を集めたもので、静謐なスタジオに鳴り響くモンクのサウンドが美しい。アルバム最後の、曲とも言えない試奏 "Chordially" での、弾いていない、音のない空間という余白にも響き渡る音が聞こえてくる感覚は、まさにモンクのソロならではの世界だ。晩年のバド・パウエルもそうだったが、衰えた手指の多少のもたつきなど関係ない。天才のサウンドは技巧など超えているのである。

2026/02/28

ジャズ・バラードの森(8)Ruby, My Dear

2月17日はセロニアス・モンクThelonious Monkの命日だ(1982年没64歳)。モンクは亡くなるまでの最後の10年近く、ハドソン河をはさんだマンハッタン対岸ウィーホーケンの崖上に建つニカ夫人邸で暮らしていた。演奏活動は1976年を最後に終えている。モンクは生涯に70曲以上作曲している屈指のジャズ作曲家だが、モンクらしい難解で個性的な曲だけでなく、ジャズ・スタンダードになった美しいバラードも何曲か作っている。

いちばん有名なのは、もちろん "Round Midnight" だが、"Reflections", "Ask Me Now"などの優しくきれいな曲もあり、さらにこの "ルビー・マイ・ディア "も、モンクを代表する傑作バラードだ。私の訳書『セロニアス・モンク/独創のジャズ物語』(Robin Kelley著)では、タイトルの「ルビー」とは、モンクの姉の友人で、初恋の相手だった「ルビー・リチャードソン」のことだと言われているが(ルビー本人の写真も収載、長身の美人だ)、同時に、モンクが実際にそのルビーのことを想って書いたかどうかは分からない、とも書かれている。最初は"Manhattan Mood"という曲名だったが、後になってタイトルを変えたという話もある。まあ、モンクのことなので、みんな「謎」のままの方が楽しい。

モンクはこの曲を1945年頃に作曲し、自身の初録音は1947年(30歳)のBlue Note『Genius of Modern Music Vol. 1』で(Gene Ramey -b,  Art Blakey-dsとのトリオ)、その10年後1957年にRiversideの『Monk's Music』で、コールマン・ホーキンズ(ts)他との共演、さらに同年Jazzland盤の『with John Coltrane』でコルトレーンと共演している(リリースは1961年)。さらに『Alone in San Francisco』(1959 Riverside)、『Solo Monk』(1965 Colombia)でソロ録音している。その後1967年の『パロ・アルト』ライヴ、1969年のパリでのカルテットのライヴ録音、そして1971年のロンドン(Black Lion)でのソロ録音が最後だ。好みだが、この中でこの曲の代表作を選ぶなら、やはり1957年録音のコルトレーンとの共演盤だろうか。ドラッグが理由で、マイルスバンドをクビになったコルトレーンをモンクが雇い、「ファイブスポット」出演による特訓中に録音された演奏で、コルトレーンにPrestigeとの契約があったためRiversideから出せずに、サブ・レーベルだったJazzlandから4年後にリリースされたもの。コルトレーンはその期間に、モンクからバラード演奏の何たるかも学んだといい、覚醒しつつあった飛躍前のコルトレーンとモンクの貴重な共演だ。ベースはWilbur Ware、ドラムスはShadow Wilson。

モンク以外のピアノだと、まずはバド・パウエルのヨーロッパ録音『Portrait of Thelonious』(録音1961/リリース1965)だろう。私がこの曲を知ったのも、実はこのアルバムを聴いてからだ。疑似ライヴ録音だが、音質も良く、当時としてはパウエルの調子も悪くないので、昔からの愛聴盤だ。モンクとパウエルは兄弟のような付き合いをしていて、パウエルはモンクから多くを学んでいたが、師匠の曲を弾かせたらモンク以上だったと言われている。ただし、パウエルのモンク作品録音記録はほとんどない。このアルバムは、パウエルがそのモンク作品だけを演奏した貴重な記録なのだ。メンバーはPierre Michelot (b)、Kenny Clarke (ds)というパリ在住のミュージシャンによるトリオ、モダンなアルバムジャケットは、二人を支えていたあのニカ夫人が描いた抽象画である。

パウエル以外の私有のアノ・トリオでは、ケニー・ドリュー、ランディ・ウェストン、ジョン・ヒックス、マッコイ・タイナーの各バージョンがあって、それぞれ個性的で楽しめるが、60年代にヨーロッパに移住する前、ニューヨーク時代のドリューが残したクラシックなピアノ・トリオの秀作『Kenny Drew Trio』(1956 Riverside)が、アルバム全体の出来も含めて個人的にはいちばん好みだ(Paul Chambers-b, Philie Joe Jones-ds)。ロリンズ伝記『Saxophone Colossus』には、若きロリンズとパウエルの他、ハーレム時代のケニー・ドリューたちとのワイルドなエピソードが出て来て興味深い。ドリューはパウエルと同じくクラシック・ピアノの素養があり、NYCの音楽芸術高校を卒業した神童だった。

ポール・モチアンPaul Motian (ds)が、ジョー・ロヴァーノ Joe Lovano (ts)、ビル・フリゼール Bill Friesell (g)とベースレス・トリオで全10曲モンク作品だけに挑戦した『Monk in Motian』(1988)が好きだ。モンク本人が聴いたら一番喜びそうなモンク・トリビュート・アルバムのような気がする。モチアンの叩くドラムス上に漂うような、浮遊感のあるロヴァーノ、フリゼールのプレイが新鮮で、特にフリゼールのアブストラクトなプレイが素晴らしい。そこにジェリ・アレンGeri Allen(p)とデューイ・レッドマンDewy Redman(ts)が各2曲ずつ客演し、"Ruby, My Dear" にはジェリ・アレンが参加してカルテットとなり、モンキッシュなピアノでモンク・ワールドをさらに陰翳濃く表現している。このアルバムは、他のモンク曲も(モンク好きなら)すべて楽しめる。

モンク自身、ビッグ・バンドで自作曲に3度挑戦しているが、モンクの曲は大編成バンドでやると非常に魅力的な音楽になる「可能性」があるのだ。ただし当然だが複雑で難しすぎるので、挑戦するミュージシャンが少ないのが残念だ。スタン・ケントン楽団にいた西海岸の作編曲家ビル・ホルマンBill Holmanの『Brilliant Corners: The Music Of Thelonious Monk』(1997)は、20世紀で唯一ビッグバンドでその世界に挑戦したアルバムで、演奏も非常にクオリティが高く、ゴージャスで楽しめる。2010年代には、ジョン・ビーズリーJohn Beasleyがビッグバンド『Monk'estra』を結成して何枚か同名アルバムをリリースしている。もう1枚は、気鋭の狭間美帆が率いるオランダのメトロポール・オーケストラ・ビッグバンドのライヴ盤『The Monk: Live at Bimhouse』だ。こちらはモンク生誕100年という2017年に録音されたトリビュート・アルバム。"Ruby, My Dear" はビル・ホルマンと狭間の両アルバムで取り上げられている。曲自体はモンクにしては素直で美しいメロディを持つ曲なので、アレンジも演奏難度も、そう高くないかもしれないが、さすがに狭間のオーケストラ・アレンジとサウンドは全体にモダンで聴きやすい。

この曲はもちろん、モンクがインストルメンタルとして作曲したものだが、後年Sally Swisherが歌詞をつけたヴォーカル・ヴァージョンも録音され、"Dear Ruby" というタイトルで何枚かリリースされている。私が持っているのは、『 Carmen Sings Monk』 (1990)のカーメン・マクレーCarmen McRae、T.S.Monkの『 Monk on Monk』 (1997) でのケヴィン・マホガニーKevin Mahogany、さらにJohn Beasleyの『Monk'estra Vol.2』(2017) でのダイアン・リーヴスDianne Reevesの3つのヴァージョンだ。唄うのは結構難しい曲だと思うし、どれがいいかは好みによるだろうが、やはりこの3枚でいちばんジャズ&モンクを感じるのは、大御所カーメン・マクレーのヴァージョンだろう。このレコードは全部がモンクの作曲した作品であり、クリフォード・ジョーダン(ts)、ジョージ・ムラーツ(b)、アル・フォスター(ds)他の参加で、全曲でカーメンの円熟の歌唱も楽しめる。またこのCDは録音も非常に良いので気持ちがいい。カーメンはこのアルバムで1990年グラミー賞「Best Jazz Vocal Performance - Female」にノミネートされている。

2026/01/28

ジャズ・バラードの森(7)ソニー・ロリンズ  

現在95歳のソニー・ロリンズ Sonny Rollins の伝記『Saxophone Colossus』(Aidan Levy著)の邦訳版が今春、亜紀書房からようやく出版される見通しとなった。原書は800ページ近い大作なので、訳書も900ページ近い大著になり、翻訳開始から出版まで、やはり3年かかってしまった。それまでロリンズのレコードをそれほど集中して聴いた記憶はないが、コニッツやモンク、レイシーの時と同じように、翻訳中はロリンズの録音をずっと聞きまくっていた。バラードに関しては、コルトレーンにはそのものズバリの『Ballads』(1963 Impulse!) というアルバムがあるし、マイルス、コルトレーン、デクスター・ゴードンなどには、バラード演奏だけを集めたコンピレーションCDが以前からあるが、ロリンズ版は見たことがなかった。念のために調べたら、2002年に『Ballads』というUK盤が出ているが、それはデクスターと同じくBlue Note の録音だけを集めたものだ。『Saxophone Colossus』(1956 Prestige) の "You Don't Know What Love Is" のように超有名なバラード演奏はあるが、他のロリンズのバラードは、ロリンズのファンを除けば、これまで意外と聞かれて(知られて)いなかったような気がする。というわけで、この数年集中して聴いてきて、私が改めて気に入ったロリンズのバラード演奏を以下に紹介したい。

ロリンズと言えば、豪快で男性的なサウンドのテナーサックスで有名だ。スタン・ゲッツのソフトで流麗なサウンドや、コルトレーンの端正で透き通ったテナー・サウンドに比べると、バラード・プレイでもロリンズのサウンドは分厚く、個性的タンギング奏法ゆえに、引っかかりが多いゴツゴツした感触のプレイが多い印象がある。だが一方で、そのサウンドからは他の奏者にはない、深いエモーションと、「物語性」を強く感じさせる濃厚な人間的味わい、歌心がある。そしてポピュラーソングの知識が半端ないので、選曲がユニークで、誰でも知っているような単なるスタンダード曲ではなく、「アメリカン・ソングブック」の隅から引っ張り出してきたような珍しい曲を演奏することが多いのも特長だ。

ロリンズの初リーダー作が、26歳のときの『Sonny Rollins with The Modern Jazz Quartet』(1956 Prestige)で、MJQとの共演4曲(録音1953年)と 、ケニー・ドリュー(p)、パーシー・ヒース(b)、アート・ブレイキー(ds)というトリオ他(1曲マイルスがピアノを弾くという珍品も入っている)との9曲(録音1951年)のセッションを1枚にまとめたコンピアルバムだ。とても20代前半とは思えない、ロリンズの滑らかかつ骨太のワンホーン・テナーが、ミディアム・テンポとスロー・バラードの全編にわたって心地よく響く名盤である。LPが主流になる以前で、全曲3分前後という短さも気持ちよく聞ける理由の一つだ。バラードではMJQとの "In a  Sentimental Mood" が実に良い味を出しているが、ケニー・ドリュー・トリオをバックにした"Time on My Hands", "This Love of Mine"という2曲もリラックスして余裕綽々の若きロリンズの歌声が聞こえてくる。「"モダン・ジャズ"というものを聞いてみたい」という人には、真っ先にこのアルバムを勧める。

Prestige2枚目となるリーダー作が『Moving Out』(1956 )。これも1954年の2回のセッションのコンピで、"More Than You Know" 1曲だけセロニアス・モンクがピアノで参加している。他の4曲は、ケニー・ドーハム(tp)、エルモ・ホープ(p)、パーシー・ヒース(b)、アート・ブレイキー(ds)による2管クインテット。モンクの入った"More Than You Know" は、いかにもモンク的なバラード演奏で味わいがあるが、このアルバムで最も印象に残るバラード曲はやはり"Silk 'N' Satin"だ。メランコリックな曲調のこの曲はロリンズ作とされているが、何かインスパイアされた原曲があるのだろう(フランスのHenri Herpin作 "(All of a Sudden)My Heart Sings" を改作したと言われている)。ホレス・シルヴァーかと思ったら、エルモ・ホープだったラテン風味の哀感のあるピアノ、ロリンズのテナーとも素晴らしい。ハードボイルドな印象があるロリンズだが、実はメランコリックな曲が好きなんだと自分でも言っている。

『Tenor Madness』(1956 Prestige) は『Saxophone Colossus』(1956年6月録音/57年リリース)の1ヶ月前(同年5月)に同じヴァン・ゲルダー・スタジオで録音されているが、メンバーが異なり、レッド・ガーランド(p)、ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)という当時のマイルス・クインテットのリズム・セクションとの4曲に、12分に及ぶタイトル曲のみコルトレーンがゲスト参加した2管クインテットというアルバムだ。ケンタッキーの麻薬農場での4ヶ月強の治療を経て、ヘロインを克服して1955年に復帰したロリンズは、精神・体力ともに当時はまさに絶好調で、まずはクリフォード・ブラウンとマックス・ローチの双頭バンドに参加する。4歳年長のコルトレーンの遥か前を文字通り突っ走っていた時期であり、ライヴァルだったロリンズvsトレーンが唯一競演した曲 "Tenor Madness" を収録したアルバムである。バラード "My Reverie" はドビュッシーのピアノ曲『夢想』(1890) のメロディを基にして、1938年にラリー・クリントンが作詞して米国でヒットしたジャズ&ポピュラー曲だ。ドビュッシーのメロディ、和声はジャズに通じるところが多く、多くのミュージシャンをインスパイアしてきた。これはそのロリンズ流解釈。

『Sonny Rollins Vol.1』(1957 Blue Note)は、ロリンズのブルーノート第1作で、リリースは1957年だが、録音は1956年12月16日である。ということは、同年6月26日のクリフォード・ブラウンの自動車事故死の約半年後になる。5,6月の上記Prestigeの2作録音の直後、ブラウンとリッチー・パウエル(p)を同時に失って呆然自失状態だったブラウン・ローチ・クインテットにまだ在籍中の録音である。ブラウンに代わったドナルド・バード(tp)、パウエルに代わりウィントン・ケリー(p)、ベースにはジーン・ラメイをロリンズは雇った。ロリンズはその後徐々に、ピアニストとドラマーの選択に厳しくなってゆくが、カリブ出身のウィントン・ケリーとは、モンクと同じくリズム面での相性が良く、気分よく吹いているのが分かる。このアルバムは5曲のうち4曲がオリジナルで、唯一のスタンダードがバラード "How Are Things in Glocca Morra" 。ブロードウェイ・ミュージカル『フィニアンの虹』(1947) の主題歌で、ロリンズ好みのゆったりとした美しいメロディを持つ曲だ。

ある意味寄せ集めのブローイング・セッションだが、集まったのがスーパースターたちなので、文句なくモダン・ジャズの超名盤になったのが『Sonny Rollins Vol.2』(1957 Blue Note)。J.J.ジョンソン(tb)、セロニアス・モンク/ホレス・シルヴァー(p)、ポール・チェンバース(b)、アート・ブレイキー(ds)という超豪華布陣で、時代がハードバップ全盛期となると悪かろうはずがない。"Misterioso", "Reflections"という、モンクのブルースとバラードの名曲が入り、しかもモンクは若きロリンズ(高校時代)の師匠だったわけで、この二人の息の合い方、間(ま)の取り方は絶妙だ。マイルスの『Kind of Blue』(1959)がモードというコンセプチュャル・ジャズ・アルバムの最高峰なら、この『Rollins Vol.2』は、ジャケット写真のカッコよさと共に、フリー・ブローイング・ハードバップ・アルバムの最高峰だろう。バラード "Poor Butterfly" はプッチーニのオペラ『蝶々夫人』に触発されて、Raymond Hubbellが1916年に作曲し、ブロードウェイのショーで唄われた。タイトル通り、哀切さを感じさせる1曲だ。この曲ではシルヴァーがピアノを弾いているが、ロリンズ以前だと、アート・テイタム(1945)、エロル・ガーナー(1951)というピアニストが録音している。サックス奏者ではキャノンボール・アダレイ(1959)、ポール・デスモンド(1963)が取り上げているが、いずれもこのロリンズ版の後だ。この曲を選んだのがロリンズ本人なのかどうかは不明(おそらくそうだろうと思う)。

50年代からのもう1枚は、ピアニスト、ソニー・クラーク Sonny Clarkと共演した『The Sound of Sonny』(1957 Riverside)だ。パーシー・ヒースとポール・チェンバース がベース、ロイ・ヘインズがドラムスというと、わくわくするようなアルバムを期待するが、全体に軽快な演奏が多い普通のハードバップ・アルバムだ。クラークは名盤『Cool Struttin'』(1958 Blue Note) 参加の前年であり、ロリンズもクラークも調子が良い時期で、気負うことなくリラックスした演奏に終始している。唯一のバラードが "What Is There to Say?" (by Vernon Duke, E.Y. "Yip" Harburg)で、中盤でコロコロとしたクラークの気持ちの良いピアノソロも聴けるが、気のせいか、何となく全体にロリンズのプレイと溶け合っていないような感じがする。ロリンズは1957年6月のこのアルバムの直前3月に、西海岸でピアノレスの『Way Out West』、直後の11月に同じくピアノレスのライヴ盤『Village Vangurd』を録音している。このアルバムでも2曲はピアノレスだ。したがって本アルバムあたりを境にして、ピアノレスの演奏とアルバムが増えてくる。演奏中に、自分の頭の中で鳴っている和声(コード)と、ピアニストの弾くコードが衝突することに段々我慢できなくなっていったようだ。

ここに挙げた7枚のレコードはいずれも1950年代、すなわちロリンズが20歳代の録音の一部であり、しかもこれらのバラード曲に限らず、数多くの圧倒的名演があることを考えると、あらためてジャズ史におけるソニー・ロリンズの偉大さが見えてくる。しかし「橋」への隠遁以降、1960年代になるとモードやフリーへとジャズ自体も多様化し、ロリンズの演奏スタイルも変化してゆく。その時代以降のバラード演奏については、別途まとめて紹介したい。