坂道のアポロン |
2023/03/31
映画『BLUE GIANT』を見に行く
2022/01/24
「MONK」映画2作を見に行く
Uplink 吉祥寺にて |
Straight, No Chaser (DVD 1988) |
DVD版と今回のドキュメンタリー映画版は、ほぼ同じ映像が使われている部分もあるが、オリジナル・フィルムの使用部分が微妙に異なっていて、片方にあるシーンが片方にはない、など細部が異なっている。たとえばDVDでのニカ夫人の場面や、録音スタジオで、テオ・マセロになぜ録音してくれなかったとモンクが怒っている場面とか、ヨーロッパのホテルの客室内で一人でモンクが苛立っていて、それを不安そうに見つめているネリー夫人――といった場面などは、今回の『MONK』と『MONK in Europe』では短縮されたり省かれている。つまりシャーロット・ズワーリンも、ブラックウッドも、長いオリジナル・フィルムから別々のシーンを抜き出して、それぞれ編集して製作したということだ。今回のブラックウッド版は演奏部分の方によりウェイトが置かれていて、DVDでは未収録だったモンクのプレイが長めに収録されているので、モンクのことをある程度知っていて、演奏をもっと聴きたい(見たい)という人に向いている。一方、DVDはモンクのことをあまり知らない人が見るのに適している。またDVD版には演奏曲のタイトルが常に表示されるが、今回の映画版にはそれがないので、知らない人には曲名がよく分からない。モンクはジャズ演奏家であるが、それ以前に「作曲家」であり、演奏も一部を除き自作曲がほとんどだ。DVD版では、それがよく分かっている人ならではのリスペクトが感じられる。いずれにしろ、20世紀の天才ジャズ・ミュージシャンの姿とその演奏を、ほとんど何の演出も脚色もなしで、これほど密着して撮影した映像記録はどこにもないだろう。これらの映像は、それだけでも文化遺産級の価値がある貴重な記録である。
ヨーロッパ・ツアー公演(ニューポート・ジャズ祭)は、モンク・カルテットに加え、フィル・ウッズ(as)、ジョニー・グリフィン(ts)、クラーク・テリー(tp)、レイ・コープランド(tp)、ジミー・クリーヴランド(tb)などを加えた8人(オクテット)ないし9人(ノネット)の大編成バンドが中心だった。ロビン・ケリーの本によれば、このときモンクはなぜか行きたがらず、プロモーターのジョージ・ウィーン(昨年9月に95歳で亡くなった)たちが何とかして家から連れ出したものの、飛行機に搭乗する最後の最後まで抵抗するので、無理やり飛行機に乗せたという。しかもモンクは紙に書いた「譜面」を信用せず、「音」で覚えろという主義の持ち主だったので、いつも通り直前まで公演で演奏する曲の楽譜(大編成向けに編曲したもの)をメンバーに見せようとしなかった。そこで同行した姪のジャッキーたちがモンクを説得して譜面をもらい、ロンドンへ向かう飛行機の中でみんなで大急ぎで寝ずに写譜したと言われている。リハーサルで、モンクの複雑なリズムを持つ曲(Evidence)に、ホーン奏者たちが四苦八苦して合わせようとしている様子が写っているが、その一因がこの事件だった。モンクは到着後もずっと不機嫌な様子だし、元々メンバーとして賛成していなかった、(ジョージ・ウィーン推薦の)クラーク・テリーの流れるような滑らかな演奏がどうも気に入らない、といった感じでいるモンクの態度がどことなくおかしい。ジャズバンドのヨーロッパ内の移動時や、夜のパーティの様子なども、たぶん普通は決して見ることのできないシーンであり、今となってはモンクのみならず他のメンバーの姿など、いずれも非常に貴重な映像だ。このときはマイルス・デイヴィス、アーチー・シェップ、サラ・ボーンも一緒のコンサートで、サラ・ボーンは唄う姿がテレビ画面に写り、夜のパーティの途中でも画面を横切っている。Underground (1967 Columbia) |
The Jazz Baroness (DVD 2008) |
2021/12/28
年末美女映画三昧
スチャラカ社員 大坂朝日放送 |
2021/12/06
追悼・中村吉右衛門
中村吉右衛門が11月28日に、77歳でついに亡くなってしまった。春先に倒れて救急搬送されて以来、なんとか回復して欲しいと、毎日テレビで『鬼平犯科帳』を見ながら祈っていた。その後ほとんど報道されて来なかったので心配していたが、先日も、その後容態はどうなのだろうかと案じていたばかりだった。
BSフジで毎週放映している二代目中村吉右衛門による『鬼平犯科帳』は、1989年に放送開始されて以降、2001年の第9シリーズまで放送され(以降はスペシャル版)、現在もたぶん何回目かの再放送中で、11月には第4シリーズ(1992- 93年)を放映中だった。これまで各シリーズ、スペシャル版含めてほとんど見てきたし、録画した放送を毎日見るのを楽しみにしてきた。私はとりたてて、いわゆる時代劇のファンでもないし、真面目に見てきた時代劇の番組は、NHKの大河ドラマや人情時代劇を除けば『鬼平犯科帳』だけだ。懐かしい松竹時代劇の、光と影のコントラスト、色彩の濃い独特の映像は、冒頭から一気に江戸時代の鬼平の世界へと引き込まれ、瞬く間に現世を忘れさせてくれる強烈な引力があり、毎週(毎日)見てもまったく飽きることがなかった。おそらく日本中に、私のように時代劇はあまり見ないが『鬼平』だけは別、というファンが数えきれないほどいることだろう。それほど、長谷川平蔵―鬼平は、中村吉右衛門と一体化していた。脇を固める他のキャストがまた素晴らしく、密偵役の江戸屋猫八、梶芽衣子の他、奥方の多岐川裕美、火付盗賊改方の与力、同心のメンバーなど、安心して見ていられる俳優ばかりで、毎回異なる、個性豊かな男女のゲスト出演者の演技も楽しめた。何より、鬼の平蔵の持つ江戸の粋と洒落っ気を、吉右衛門が見事に表現していた。春夏秋冬の江戸情緒あふれる景色(実際の映像は京都だが)を背景にして流れる、ジプシーキングスのギターによるエンディング曲「インスピレイション」が終わるまで、その回が「終わった」という気がしないので、ついつい最後の、雪の夜の立ち食い蕎麦屋のシーンまで見てしまうのだ。中村吉右衛門演ずる『鬼平犯科帳』は、そのヴィジュアル・インパクトが強烈で、はっきり言って池波正太郎の原作小説をはるかに超える面白さがあった。『徹子の部屋』の追悼特番で、1970年代、30歳代から最近の70歳代までの吉右衛門出演の出演回を放映していた。黒柳徹子との対話を通して見る実際の吉右衛門は、言葉も喋りも滑らかで、とても軽やかに生きて来た人物のように見える。歌舞伎役者でありながら、幸か不幸か4人の娘に囲まれたが、やっと後継になれる男子の孫に恵まれて嬉しそうな表情の吉右衛門は、晩年は穏やかな人生を過ごしていたようだ。しかしそれにしても……本当に残念だ。中村吉右衛門さんのご冥福を心からお祈りしたい。
2021/11/14
「モンク没後40年」を前に
私はケリー書の翻訳だけでは飽き足らず、続いて、実際にモンクの身近にいて、モンクをもっともよく知る二人を描いた書籍も邦訳した。一つは、半生を捧げてモンクを支援し続けたニカ夫人の伝記『パノニカ:ジャズ男爵夫人の謎を追う』、そしてモンクから大きな音楽的影響を受け、モンクに私淑していたソプラノサックス奏者、スティーヴ・レイシーのインタビュー集『スティーヴ・レイシーとの対話』だ。私の中では、これら3冊を本人、パトロン、弟子という3者の視点から描いた「モンク3部作」と称している。そして翻訳書を含めて日本語ではこれまで限られた文献や書籍、第三者によるレビュー等しか読めず、依然として謎と伝説に満ちていたモンクというミュージシャンの真実が、これら3冊の訳書でかなり正確にイメージできるようになったと自負している。しかし、中でも2009年に発表されたロビン・ケリーの著書は、その正確で圧倒的な情報量からしても大きな歴史的価値があり、今話題になっている没後40年の各企画の元ネタになったのも、間違いなくケリーの本だろうと思う。
現在日本で公開されている映画『Jazz Loft』は、『MINAMATA』で有名な写真家W・ユージン・スミス他のアーティストたちが、ニューヨークの廃ビルをロフトとして使い、多くのジャズ・ミュージシャンが毎晩そこに集まってジャムセッションを繰り広げていた模様を、スミスが撮影した写真と、ジャズファンであり、オーディオマニアだったスミス自身が録音したテープで描いたドキュメンタリーで、2015年にイギリスで制作された映画だ。この映画の主役の一人がポスター写真にも使われているモンクであり、そのロフト住人の一人で、モンクの大ファンだったジュリアード音楽院の教授ホール・オヴァートンを、モンクが自作曲の編曲者に指名して、モンク作品初となるビッグバンドによる公演を1959年に「タウンホール」で行なうまでのいきさつを、ロフトでの二人の会話を収めた音声テープと写真で初めて描いたものだ。ケリーの著書に詳しく書かれているこの逸話は、私も同書で初めてその事実を知ったが、このやり取りは、二人の関係と、モンクの音楽思想と音楽作りに関わる巷間伝説のベールをはがす、実に貴重な記録なのだ。映画製作の6年前に発表されたロビン・ケリーの本では、デューク大学Jazz Loft Project 所蔵のオリジナル録音テープをケリーが書き起こし、映画のハイライトというべきモンクとオヴァートンの会話の内容を詳しく収載している。もう一つの企画は、モンクの伝記映画『Thelonious』の制作発表だ。ヤシーン・ベイ Yasiin Bey (Mos Def)というラッパー兼俳優が主演し、2022年夏から撮影を開始するという予定らしい (amass 2021年7月情報)。しかし、息子のT.S.モンクが、モンク財団としてこの映画の制作には一切関与していないし、許可もしていない、脚本も嫌いだ…とか明言しているらしいので、どうなることか分からない? いずれにしても、モンクを巡るこうした動きはモンクファンとしては歓迎すべきことだが、21世紀の今頃になって突然脚光を浴びて、草葉の陰でモンクも苦笑いしているかもしれない。あるいはこれは、天才モンクの音楽が、やはり世の中より40年先を進んでいた――という証拠なのか?
2020/05/15
タイムトラベル
ところで、南方仁は階段や崖から転げ落ちてタイムスリップするが、「階段や高いところから落ちるとタイムスリップする」、というモチーフのルーツはどこ(小説や映画)なのかと、(ヒマなので)いろいろ調べてみたが、はっきりとは分からなかった(『JIN-仁-』が最初なのか?)。「階段落ち」で有名なのは、先月亡くなった大林宣彦監督の『転校生』(1982) だが、これはタイムスリップではなく男女の入れ替わりだ。実をいうと、粗忽ものだった私は小学校低学年の頃に、学校の薄暗く、かなり急で長い階段から、横向きとかではなく、文字通り「前方に転げ落ちた」ことがあるのだ。当時は木造校舎だったのと、子供で身体が柔らかかったせいもあってか、奇跡的に大けがもせずに済んだが(とはいえ、着地場所は給食室前の、木製渡り廊下が敷いてあるコンクリートの廊下だった)、ゴロンゴロンと前方に何回転かしている間の、ぐるぐると世界が回転し、目の回るようなあの感覚は今でもはっきりと覚えている。たぶん時空を超える瞬間とは、ああいう感覚なのかもと、(私と同じように転げ落ちた経験のある) 誰かが最初にこのモチーフを思いついたのかもしれない。
ある日どこかで 1980 |
グランドホテル Mackinac Island, MI |
その方面に詳しくはないが、タイムスリップやタイムトラベルといえば自由な発想ができるSF小説が中心で、内容も未来社会とか、思い切り過去に飛ぶ活劇系作品が多いように思う。映像化もその方が分かりやすいし、古くは『ターミネーター』とか『バック・トゥー・ザ・フューチャー』といった傑作映画がいちばん有名だろうが、公開は1984年、1985年だ。『ある日どこかで』はそれより5年も前の作品で、しかも内容が恋愛ものであるところが違う。だから、今や小説、コミック、ドラマ、映画などで数多く描かれている時空を超えるラヴ・ファンタジー作品の元祖というべき映画であり、大林宣彦監督も『時をかける少女』(1983 /筒井康隆の原作小説は1967年出版)の制作にあたって、この映画を参考にしたそうだ。大林監督は他にも『さびしんぼう』(1985) や『異人たちとの夏』(1988) など、実在しないが、心の中にある、はかなく懐かしい存在をイメージ化する映画を制作しているが、『ある日どこかで』もSFというより、どちらかと言えば昔のアメリカのTV番組『ミステリーゾーン』や『トワイライトゾーン』的な「不思議な物語」という味付けの映画だ。『JIN-仁-』にも、この映画の影響、もしくはオマージュと思われるモチーフが多い。南方仁と咲、野風、未来(みき)を巡る、会いたくても会えない、時空を超えた切ない恋愛感情がそうだし、主人公が手にする「コイン(硬貨)」が、過去と現在が交差する入口を象徴している設定もたぶんそうだろう。
女優エリーズ・マッケナ (ジェーン・シーモア) |
「Five Spot」前の モンクとニカとベントレー |
2020/02/07
近松心中物傑作電視楽
心中天網島 2005 東宝DVD |
篠田監督の映画化コンセプトは、近松の描いた男女の古典的悲劇に忠実に、人形による浄瑠璃劇を実際の人間が演じる映画で表現する、というものだ。制作資金の制約もあって、結果的に舞台演劇のようなミニマルかつ抽象的なセットと演出手法を用い、また役者の運命を操るかのような「黒子(黒衣)」を実際に画面に登場させるなど、当時としてはきわめて前衛的な手法を大胆に用いている。しかし篠田正浩(監督)、富岡多恵子(台詞)、武満徹(音楽)、粟津潔(美術)、篠田桃紅(書画)、成島東一郎(撮影)という錚々たる制作スタッフが目指したのは、あの時代に流行った目新しさを狙っただけの実験的な作品ではなく、また近松の傑作古典の単なる映画版でもなく、日本の伝統美を表現するまったく新しい映像作品を創造することだった。才気溢れる上記スタッフにとっては、制約がむしろ創造への挑戦意欲を一層掻き立てたことだろう。舞台のようにシンプルな画面構成、ハイコントラスト・モノクロによる光と影が圧倒的に美しい映像美に加え、斬新な美術、音楽、演出、さらに各役者の演技と細かい所作、台詞(せりふ) 回し等々、この映画を構成するあらゆる要素が実に綿密に考えられていることが分かる。
映画の終盤、女房・おさんを義父に連れ去られた治兵衛は絶望のうちに心中を決意し、それまでの舞台のような抽象的セットを破壊する。場面が変わり実際の夜の屋外ロケで撮られた、美しくまた凄惨な夜半の道行(名残の橋づくし)はこの映画の白眉であり、吉右衛門、岩下の迫真の演技で描かれる ”彼岸への旅” の、日本的エロスと無常感が漂うリアルな映像美は日本映画史に残るものだ。この時代の日本には活力がみなぎり、内側から何かを変革しようとするエネルギーに満ちた若き才能が溢れていた。制作当時、篠田も武満も粟津もみな30歳台後半である。この映画が放つ時代を超えた芸術的芳香と力は、それらの才能とエネルギーが奇跡的に一つに集結できた時代の産物である。いくら金をつぎ込みCGを駆使しても、もはやこのように濃密な作品が生まれることはないだろう。
ちかえもん 2016 DVD-Box ポニーキャニオン |
「ちかえもん」役の松尾スズキ(リアクション芸、顔芸に注目)、謎の ”不幸糖売り” 「万吉」役の青木崇高 (憑依芸に注目)に加え、早見あかりの「お初」(顔が洋風だがうまい)、小池徹平の「あほぼん徳兵衛」(意外と適役)のカップル、岸部一徳(平野屋主人役はこの人しかいない)と徳井優(引っ越しのxxx風番頭がハマり役)の旦さん/番頭コンビ芸といい、その他の出演者も全員が素晴らしい。ちかえもんの母親役・富司純子のボケの名演技に、大昔(1960年代)の舞台コメディ『スチャラカ社員』(藤田まこと主演) に出演していた美人OL「ふじクーン!」(藤純子時代)を懐かしく思い出すのは私だけではないだろう。劇中に、当時の竹本座による人形浄瑠璃『曾根崎心中』の上演を再現したシーンもあるし (北村有起哉による「大夫の語り」が本職並みだ)、ドラえもんのように、主人公ちかえもんをいつも窮地から救う万吉が、(人形に魂が宿るという)人形浄瑠璃へのオマージュともなる涙々のファンタジックなオチも素晴らしい。「楽しめる」テレビドラマという観点からは、おそらくこの作品はこれまでの人生で私的ベストワンだ。
2019/05/07
映画『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード』を見に行く
Live in Tokyo CBS/Sony 1973 |
New Jazz Conceptions 1957 Riverside |
Everybody Digs Bill Evans 1959 Riverside |
Explorations 1961 Riverside |
チャーリー・パーカー以降、モダン・ジャズ時代のジャズマンの多くがドラッグで破滅的人生を送ったのは周知のことで、エヴァンスもその一人だった。しかし同じように生涯ドラッグ漬けで、最後には肉体も精神も崩壊したセロニアス・モンクの人生が、全体に奇妙で、おぼろげで、くすんだような色彩なのに、どこかゆったりとして、その音楽同様に明るさとユーモアさえ感じさせるのと対照的に、この映画で描かれている死をモチーフにしたかのような人生、そしてリー・コニッツが指摘したように、何かに追われるがごとくオンタイムで前のめり気味に弾くピアノと同じく、死に急いだエヴァンスの人生の印象は、ずっと暗く沈んだ色調のままである。その色調こそが、まさしくエヴァンスが弾くピアノの根底にあるもので、ジャズファンが愛するビル・エヴァンスの、ピュアで、深く、沈み込むような濃い陰翳を持つサウンドの美しさは、そうした彼の人生から生まれたものだったことがよくわかる。
2018/04/06
仏映画『危険な関係』4Kデジタル・リマスター版を見に行く
Les Liaisons Dangereuses 1960 (1959 Rec/2017 Sam Records/Saga Jazz) |
2018/03/22
映画『坂道のアポロン』を見に行く (2)
Moanin' Art Blakey 1959 Blue Note |
Never Let Me Go Robert Lakatos 2007 澤野工房 |
Chet Baker Sings 1954/56 Pacific |
Portrait in Jazz Bill Evans 1959 Riverside |