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2024/03/10

『不適切にもほどがある!』考

宮藤官九郎脚本のTBS金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』を毎週楽しく見ている。世代や感性によって感想は様々だろうが、私は「タイムトラベルもの」が昔から好きなので(2020/05/15ブログ記事ご参照)、タイムスリップというクドカンらしいヒネリを入れたこの作品は、懐かしくて、しかも笑えて、たぶん(これから)泣ける傑作ドラマになると予想している。同じTBSの傑作タイムスリップ医療ドラマ『仁』は江戸時代へのタイムスリップで(崖落ち)、百年単位の移動だったが、『不適切…』は、昭和の1986年から令和の2024年へと、40年たらずの近未来(近過去)タイムスリップという設定だ。いわばつい最近のことなのだが、この数十年の世の中の変化の度合いは、20世紀までの百年単位の変化に匹敵する、という見方もできる。しかも、その両時代を複数の登場人物が、タイムマシン(路線バス)で行ったり来たりする、という設定も面白い。毎回ミュージカル仕立ての場面も登場して、昭和と令和の対比で社会の変化と風潮を、辛辣さを加減して上手に皮肉っている。小ネタ、小ギャグが散りばめられているので、年寄りは一回見ただけではよく分からないのが問題だが(私は2回見ている)、とにかく見ていて面白い。笑えるそうした風刺的側面につい目が向きがちだが、よく見ていると、その底に流れている、歴史は変えられない、親子・親族のつながりは絶対に変えようがない(歴史のパラドックス)、現在は歴史の累積の「結果」として存在しているというクールな歴史認識と思想的設定がある。きっとそれが今後、物語に徐々に深い意味を与えてゆくのだろう。

ドラマ中、タバコをどこでも平気で吸いまくる阿部サダヲが典型だが、「ついこの間までは」、ああしてみんな普通に吸っていたのだ(電車でも、バスでも、会社でも、道でも…)。この間の大きな文化的断層は言うまでもなく「バブルの終焉」にある。日本と日本人は、昭和の終わった1990年頃を境に完全に変わった。敗戦の教訓として、国が小さく資源がないのだから、真面目に勉強して知識を高め、勤勉に働くことだけが、日本という国が未来に生き残って行くための唯一の方法なのだ、と戦後生まれの我々は子供時代にイヤというほど刷り込まれた。そのおかげもあって、80年代まではみんな真面目に働いていたので国も順調に行っていたが、バブルに突入したあたりからみんながカネに目がくらみ、日本人が持っていた「真面目で勤勉」という最高の民族的モラルであり資質が失われて行き、90年代以降のデジタル時代に乗り遅れてからは、同時に自信も完全に失ってしまった。「あれから30年…」である。

振り返ると、この30年間、やっと一つ新しいデジタルスキルを覚えると、すぐさま次の情報やスキルが登場して、また次の課題を学習し覚えなければならない。一方で、やれコンプラだ、パワハラだ、モラハラだ、セクハラだ、カスハラだ、LGBTだ……と、何千年、何百年もの間、ほとんど「ローカル・ルール」一本でやってきた狭い島国暮らしの民族には簡単には馴染めない、西洋の新概念と社会的規制が次から次へと登場して世の中を作り変えてゆく。それをまた、たいして咀嚼も吟味もしないで、次から次へと鵜呑みにしていく日本人(外圧に弱いのも日本の伝統だ)。大方の高齢者などデジタル経験も教育も限られているので、すぐに頭を切り換えて理解も吸収もできるものではない。ぐずぐずもたもたしていると、そんなことも知らないのか…とあちこちから怒られる。やっとスマホの使い方を覚えると、一方で、それを悪用する詐欺師が手ぐすね引いて年寄りのカモを狙い撃ちしてくる。結果としてなんだかいつも焦って、徒労感ばかりが募り、いつまで経っても達成感が得られない――という目に見えないストレスが現代の日本全体を覆っているように思う。特に人生の終盤をゆったりと過ごしたいと思っている人たちにとって、この「変化の強要」は暴力的だとすら感じる。最近やたらと「キレる老人」が多いのは、この絶え間ない、目に見えない圧迫感によるストレスが原因の一つだと私は思っている。

なぜそんなに「ことを急ぐ」のか、なぜ我々はそんなに急いで変化して行かなければならないのか――よく考えると、これは実に不思議なことなのだ。もっとゆったりと、のんびりと生きたらいいではないか。「こんなに小忙しい世界に誰がした?」という問への答えは、言うまでもなく「アメリカ」だ。デジタル革命を牽引してきたアメリカは、今から約30年前にコンピュータとインターネットというITを先導して世界にデジタル時代を到来させ、次にはそれをグローバルに展開して同じ土俵に世界中の国々を否応なく巻き込み、のんびりしていた無知で、準備の遅れた、無防備な他国民(我々を含む)をその競争世界に晒し、先行者利潤を得ながら世界を席巻し、自分たちの規範、ルールを徐々に世界に浸透させつつ、そのまま30年後の今も世界中を振り回している(日本はもちろんその競争の敗者側だ)。そして今度は、ChatGPTに代表される生成AIである。便利な面も当然あるだろうし、ビジネスチャンスとばかりに歓迎している人たちももちろんいるだろうが、これで、またぞろ経験したことのない新たな世界が現れ、それに直面して、否応なく学習し、解決しなければばならない事案(犯罪を含む)も増え、社会的ストレスもさらに高まることだろう。

しかし、だからと言って、私はアメリカやアメリカ人に対して何の恨みも偏見も持っていない。「競争と変化(=他者との差別化)」こそが、多民族国家アメリカが国家として成立した時から内包してきた本質であり、それが「欲望」を刺激する現代資本主義発展の原動力でもあるからだ。20世紀後半に相対的に力が落ちたアメリカが、デジタル技術によって21世紀になって世界の経済的主導権を再び握ることで、米国的世界観をグローバル規模で展開している(押し付けている)わけで、我々はもうドラマのように、過去に引き返したり、元の世界には戻れないのだ。それについて行かないと……という強迫観念が世界中を覆っているのが現実である。私の好きなジャズという素晴らしい音楽を20世紀に生んだのもアメリカだし、21世紀の、この追い立てられるような落ち着きのない世界を生んだのもアメリカだ。しかし19世紀の帝国主義、専制政治体制へと逆行し、それをさらに強化しつつあるかのように見える独裁国家群に比べたら、アメリカはまだ相対的にずっとましな政治体制を持った国家なのだ。だからアメリカを思う私の心境はいつでも複雑だ。

それにしても、現代の「ものごと」の移ろいのスピードは、高齢者(年寄り)にはもうついて行けないレベルに入っているように思える。「昔からそういうものだ」と言えばそうなのだが、21世紀になってから加速度的に変化を早め、めまぐるしく、膨大な情報が溢れ返るこのデジタル世界は、もう過去の世界で学び、生きて来た人間の学習能力と情報吸収能力の限界を完全に超えつつある。今や映像も、音楽も、文字も、個人にとって「時間あたりの情報量」が多すぎて、きちんと消化できない――つまり吸収もできない。最近はコスパのみならず、「タイパ(=time performance? もちろん和製英語) がいい」とか言って喜んでいる連中もいるが、なんでも早けりゃいい、効率が良ければいいというものでもないだろう。「質」の問題もそうで、たとえばの話、鳥の目を持たない人間に4Kや8Kの画像が本当に必要なのか? アナログ音声情報で十分以上に事足りてきた人間に、わざわざデジタル化したハイレゾ音源が必要なのか? 聴きたくもない(実際に聴けない)何万曲もの楽曲を「配信でいつでも聴ける」ことが、そんなに有難いか? 誰もが四六時中、誰かとつながっていることにそんなに意味があるのか? 世界中を駆け巡るネットやSNS上の膨大な情報が、普通に生きている市井の人間に必要なのか?――じっくりと時間をかけて、一つのものやことを吟味したり、鑑賞するという行為はもはや無きに等しい。まるでゲームのように、ただひたすら目の前を通り過ぎて行く膨大な量の情報に反射的に反応し、それらを消費し、逐一「イイネ」と言うか、気の利いた短い言葉を刹那的にひねり出して、多数の「イイネ」でいかに「承認」してもらうかにみんながやっきとなり、それだけか自己存在証明であるかのようだ。しかも、そうしてやり取りする情報や言葉の「賞味期限(ライフ)」は限りなく短い――それが現代人の鑑賞とコミュニケーションなのか…と、次から次へと文句が出て来る。『不適切』は、こうして我々が日々漠然と感じている不満や問題を、様々な視点で、面白可笑しく例示しているところが視聴者に受けているいちばんの理由だろう。

ところでドラマ『仁』もそうだったが、『不適切』のようなタイムスリップの物語には、SF的な面白さがあるだけでなく、今は目の前に存在していても、まもなくすると確実に相手は消えて二度と会えなくなる、という「限られた時間」ゆえの切なさが常に背後に流れている。それがなんともいえないやるせなさを生み出す。相手が愛する人間であればあるほど、そうした思いは深まる。それはつまり、相手が目の前にいる「今その時」こそを大事にしろ、という時空を超えた普遍的なメッセージなのだ。タイムスリップ作品とは違うが、山田太一原作、大林宜彦監督の映画『異人たちとの夏』(1988)では、子供時代に交通事故で死んだ両親が、幽霊となって現代の浅草に現れ、両親を亡くしてさびしい幼年時代を過ごした息子と、短くも、懐かしく温かい再会の時を過ごす――という切ないプロットが話の中心だった。『不適切』では、小川市郎(阿部サダヲ)と娘の純子(河合優実)、純子の娘・犬嶋渚(仲里依紗)=市郎の孫、とつながる親族の深い愛情と絆が、一見乱暴な言葉やドライな笑いの陰でずっと見え隠れしている。近未来では阪神淡路大震災で亡くなるとわかった運命の市郎・純子の親子の関係が、今後どう展開してゆくのか……。思い切り泣かされるのか、どんでん返しの笑いで決着させるのか、クドカンの腕の見せ所だろう。このドラマは、阿部サダヲの時空を疾走する演技はもちろんだが、河合優実、仲里依紗、吉田羊という新旧3人の女優陣の、父親、祖父、子供、ボーイフレンドなど、男性陣に対する「永遠の日本的母性」を感じさせる優しい演技が胸に沁みる。それが単なる欧米流の男女平等の視点からの批判に終わらず、ドラマ全体にどこか温かみと、深みを与えている大きな要因だろう。これはクドカンの理想の日本女性像を投影しているのかもしれない。

昭和を代表する「岩手の」政治家、オザワイチロウを思い起させる主人公・小川市郎、スケバン・ミハラジュンコを彷彿とさせる純子や、マッチならぬムッチ先輩、たぶん向坂逸郎(懐かしのマル経学者)がモチーフ(?)の女性社会学者向坂(サキサカ)サカエなど、笑える凝ったキャラ設定が多すぎて、年寄りには覚えきれないくらいだ。「あまちゃん」の岩手の海、阪神淡路で亡くなる設定の小川市郎父娘など、クドカンの震災への思いと追悼の心情は強い。だが、それにしても、このドラマはせっかく日本女性の素晴らしさや、そうした岩手ネタでも温かく盛り上がれるところだったのに、よりによってその岩手選挙区の某女性議員の、歌舞伎町から国会への不倫ベンツ通勤の騒ぎは、あまりと言えばあまりのタイミングの良さ(悪さ?)で、「不適切にもほどがある!」。

2023/05/31

『グレースの履歴』

最近のTVドラマは、マンガやアニメの実写版のように、早いテンポの荒唐無稽なストーリーや、軽い人物描写ばかりで、元来そういうドラマを面白がって、結構好きだった私でもいささか食傷気味だ。21世紀に入ってから、音楽、映像、テキストすべてが「アートからエンタメ」に変容して、今や面白くないと、後の配信市場でも稼げない。その方向に行かざるを得ない作り手側も、それを好む視聴者側も、ほぼ同世代が世の中の中心になっているので、需要・供給両面で軽くて面白いエンタメ作品ばかりが増えることになる。消えつつある団塊世代や年配者も楽しめ、じっくりと味わえる、昔の文芸作品的なドラマはほぼ消えたと言っていい。現在、それに唯一挑戦できるドラマ供給者が、スポンサーフリーのNHKなのである。

この3月から5月にかけて放映されたNHK BSのプレミアムドラマ『グレースの履歴』(全8回)は、そういう風潮の中で、久々に物語そのものと、映像、音楽、登場人物の演技等、全盛期のテレビ作品にしか見られなかった丁寧な作りと高い質を持った大人のドラマだった。ヨーロッパの一人旅の途上、事故で急逝した妻の遺した車(グレース)のカーナビに導かれて、二人の過去を辿ることになる夫の旅路を繊細に描く物語だ。

脚本・演出を手掛けたのは源 孝志で、『京都人の密かな愉しみ』(2014~21)、『平成細雪』(2018)、『スローな武士にしてくれ』(2019)、『怪談牡丹灯籠』(2019) など、多くの大人のドラマをNHKで制作してきた人だ。音楽担当の阿部海太郎と組んだNHKドラマは、おそらく二人の美意識に共通したものがあるからだと思うが、丁寧に作られた映像と音楽が共に繊細で、美しく、格調の高さがあって、どの作品も何度でも見たくなる奥行と魅力がある。配役も、おそらく源 孝志の世界観と美意識に共感する俳優が選ばれているので、どの役者も今風の大袈裟な無理やり感が皆無で、登場人物として物語の中に自然に溶け込んで演じている。

最新作『グレースの履歴』でも、尾野真千子、滝藤賢一という夫婦の両主役に加え、源作品では欠かせない柄本 佑の自然な演技が光っていた。尾野真千子は、時おり関西風味が強すぎると感じることもあるが、やはりさすがの演技力で、物語の主人公・美奈子の独特の存在感をここまで表現できる女優はなかなかいないだろう。夫の希久夫役の滝藤賢一はTBSの『半沢直樹』で初めて知った人だが、様々な役柄がこなせる幅のある役者だ。近年では、広瀬アリスとの日テレのコメディ『探偵が早すぎる』で大いに笑わせてもらった。本作『グレースの履歴』では、真面目な、理系の「受け身の男」を演じて、実に良い味を出していた。その他、伊藤英明、宇崎竜童もよかったが、意外にも(?)広末涼子が希久夫の元恋人役を好演していたと思う。

映像美は源 孝志作品の要であり、本作でも3人目(?)の主人公「HONDA S800(エスハチ)」の深紅の車体の美しさを存分に生かして、湘南、信州、琵琶湖、瀬戸内、四国松山を巡る主人公のドライブと共に、各地の海、森、農道、並木、高原、湖などの背景にエスハチを溶け込ませた映像がふんだんに見られる。特に冒頭やエンディングで、尾野真千子の運転するS800がメタセコイアの並木道(滋賀県高島市らしい)を走る画、滝藤が信州の長い一本道の農道を走る画は美しい。クルマ好きにはたまらないドラマでもあるが、NHK制作なので社名「HONDA」への言及は控え目だ。しかし作者の「HONDA」への思い入れは、原作の小説を読むと非常に深いものがあることが分かる。今は消えてしまったが、20世紀の日本の夢を乗せた、この初の日本製ライトウェイト・スポーツカーの持つ、どこへでも身軽に飛んで行ける軽快さ、自由さが、主人公二人を結びつけ、人生を導く鍵なのだ。

ドラマを見てから『グレースの履歴』の原作小説を読んでみた。この本は源 孝志自身が2010年に『グレース』というタイトルで出版し(文芸社)、2018年に文庫本で『グレースの履歴』と改題して改めて発行されている(河出文庫)。著者がまだテレビ界でブレイクする以前に書かれた小説のようだが、やはり「脚本」を読んでいるように映像が目に浮かんで来る、非常にヴィジュアル・イメージを喚起する語り口の作家だということが分かる。ただし、ドラマを先に見ているので、登場人物のイメージがどうしてもテレビの印象に引っ張られ、テレビの俳優がそのまま浮かんでくる。ヴィジュアル情報が与える強烈さを再認識したが、先に小説を読んでいたら、どんな俳優がテレビ版には合っているのか想像できたか――と考えてみたのだが、もうイメージが湧いて来ない。

原作の登場人物は、それぞれ複雑な過去を背負っているが、8回連続とはいえ、TVドラマでは細かな情報をすべてカバーすることはできないし、(歳のせいか)こちらが見落とすこともあるので、見ていてときどき「??」と思う場面があった。また今回は前半録画もし損ねた。そこで、原作を読んでみることにしたのだが(TVドラマを見てから原作を読んだのは私的には初めてだ)、多少ストーリーがドラマ版と違うところもあるが(林遣都のエピソードなど)、なるほどそうだったのか、と納得できた場面も結構あった。この作者の作品は、非常に緻密に組み立てられているので、ドラマでも、何度も見ると毎回新たな発見がある。ただしエンディングは、「グレース」という車名の由来に回帰する小説版の方がしゃれていると思った。

ドラマは、10年以上構想を温めてきた源 孝志自身が、原作から脚本・演出のすべてを手掛けているわけで、その完成度の高さも分かろうというものだ。つい最近、2026年からのF1復帰を発表したホンダだが、2輪から始めて、世界の4輪市場に挑戦し、1964年に初参戦したF1で、80年代にはついに数多くのタイトルを制覇するという偉業を成し遂げた。ホンダは、戦後世界における日本の復興という夢と、日本ブランドの新たな価値を象徴する会社の一つだった。その夢を実現させたホンダと、創業者で生涯一人の技術者でもあった本田宗一郎氏への、著者の尊敬と愛が溢れるオマージュである原作小説には、同じく昔のホンダと創業者が好きだった私も、何度か胸に込み上げて来る部分があった。劇中、元ホンダ・レーシングチームのメカニックで、今は信州・岡谷でバイク修理店を営んでいる宇崎竜童演じる仁科 征二郎が、S800(グレース)を巡る物語の鍵を握っている設定がその象徴だ。薄っぺらなエンタメを遥かに凌ぐ、ノンフィクションの重みと歴史的背景に支えられた『グレースの履歴』は、大人が真に楽しめる良質な小説であり、TVドラマである。おそらく既に要望が急増しているとは思うが、NHKには、ぜひ地上波で本ドラマを再放送することをお願いしたい。

2022/10/22

最近のNHKドラマとオダギリジョー

人気大河の『鎌倉殿』や、残念だった朝ドラは別として、最近のNHKドラマは面白い作品が多い。今年の『カナカナ』(5-6月)、『拾われた男』(BS8月)、『オリヴァーな犬』(9月)等、どれも楽しめた。歳のせいか、あるいはコロナ禍の世の中の雰囲気もあるのか、あまりシリアスなドラマは見ていてしんどいので、今はどうしても気楽に見て楽しめる番組を見たくなる。

西森博之のコミックが原作の毎夜15分の夜ドラ『カナカナ』は、人の心が読めてしまう特殊な能力を持った主人公の少女・佳奈花を演じた7歳の加藤柚凪(ゆずな)の可愛さが圧倒的で、癒されまくるので、毎回彼女の演技を本当に楽しみにして見ていた。昔、宮尾登美子原作のNHKドラマ『蔵』(1995) に出演した子役時代の井上真央(7-8歳?)の演技にびっくりしたものだが、それにしても最近の子役は、どうしてみんなあんなに「自然な」演技ができるのだろうか? 加藤柚凪はまったく普段の彼女そのままのようで、不自然さがまるで感じられない。元ヤンでキレると誰も止められない眞栄田郷敦(サイボーグみたいだ)、同じく元ヤンで彼を慕う白石聖(『しもべえ』でもいい演技をしている)と前田旺志郎、悪役の叔父・武田真治まで、他の出演者もみんな底に温かい人柄を感じさせながらドラマ全体を包んでいて、タレ目の佳奈花のキュートな演技と共に実に面白くて心温まる良いドラマだった。途中の公園のシーンか何かで登場した「ふせえり」が、『温泉へ行こう』の仲居「よしえさん」以来の、意味不明の踊り(タコ踊り?)で久々に笑わせてくれたのも嬉しかった。

俳優・松尾諭の自伝的エッセイを基にしたドラマ『拾われた男』は、地上波ではなくBS放送時(8月)に見ていた。主人公・仲野太賀に、草彅剛(兄)、伊藤沙莉(妻)という主役級が並び、全員で「太巻き」をまるごとかじって食べる変わり者の家族の両親役に風間杜夫(最近ヘンなオヤジ役がよくはまっている)と石野真子、主人公の運命を変えたモデル事務所の社長に薬師丸ひろ子、マネージャーに鈴木杏と、こちらは配役の妙で、全編とぼけた雰囲気の展開が続く。だが伊藤沙莉、薬師丸ひろ子、レンタルビデオ店の女性店員など、肩の力を抜いたユーモアを感じさせる女性陣の演技に感心した。個人的には、完全に光浦靖子になり切ったかのような、メガネをかけた鈴木杏の演技がいちばんおかしかった(そう言えばその鈴木杏も、駅員・豊川悦司のことを「駅長さん」と呼んでいた、25年前のあの名作ドラマ『青い鳥』に達者な子役として出演していた)。井川遥や柄本明他の俳優陣が実名でそのまま登場したり、前半は独特の間(ま)と展開が非常に面白かったのだが、兄の草彅剛が中心になるアメリカに舞台が移ってからは、やや展開に無理があって、演出上ペーソスとユーモアのバランスに空振り感が否めなかったのがちょっと残念だった。やはり舞台(空間)と役者(外人)が変わると、どうしても演技の間とかリズムが変わってしまうので、背景が日本だと感じていた「微妙なおかしさ」を、うまく表現するのが難しくなるのかもしれない。主人公・仲野太賀の自然な演技は全体として非常に良かったと思う。

もう1作『オリバーな犬、(Gosh!) このヤロウ』(長いタイトルだ)は、オダギリジョーの脚本・演出・編集から成るドラマのシーズン2(3回)で、私は昨年秋のシーズン1も見て大笑いしていたので、今回も楽しみにしていた。オダギリジョーという人は、仮面ライダーが初主演作だったらしいが、我が家では何と言っても2001年にテレビ朝日で放映された『嫉妬の香り』で顔を覚えた俳優で、辻仁成の原作は読んでいないので知らないが、テレ朝のこのドラマはヘンな内容だったが妙に面白くて毎週ほぼ欠かさず見ていた。アロマセラピストで麝香の香りを持つ主人公・本上まなみ、その恋人でいつも泣き顔の堺雅人(このドラマで初めて知った)、セリフ棒読みの川原亜矢子に、怪しげな寺脇康文、オダギリジョーなどが主な出演者で、劇画とか舞台劇のような、わざとらしい大袈裟な演技と展開が特徴のドラマだった。特に広告代理店の社長・川原亜矢子の部下役だったオダギリジョーが、ほとんど上司・川原のストーカーで、その薄気味悪い演技が我が家ではいちばん「ウケて」いた。私が次に彼を見たのは映画『パッチギ』(2005)で、そのときは京都の酒屋の跡継ぎだが、70年代によくいた左翼くずれの風来坊といった役どころだったように思う(これはよく似合っていた)。Wikiで調べると、この頃から映画、テレビで幅広く活躍するようになったようだ。

テレビでのブレイクは、もちろん『時効警察』(テレ朝2006) だ。主演の時効課警官・オダギリジョーが、時効が成立した未解決事件の真犯人を「趣味で探す」という脱力系警察コメディ(?)で、最後は確定した犯人に「誰にも言いませんよ」カードに捺印して手渡す、というお決まりの儀式で終わる。あまりに面白かったので、このドラマはシリーズ化されてその後も何篇か放送された。オダギリジョーと同僚・麻生久美子のコンビも絶妙で、岩松了、ふせえり、江口のりこ、といったシュールな笑いが得意な脇役陣によるコント風演技も毎回面白かった。オダギリジョーは、どちらかと言えばそういったアングラ的イメージが強い人だったので、「オダギリジョーとNHK」という組み合わせは、個人的にはまったく思いもよらなかった。ところが、私が知らなかっただけで、調べてみたら大河ドラマ等にも結構出演していた。そして2021年の朝ドラ『カムカムエブリバディ』と『オリバーな犬』の両作品への出演で、それまでの私的イメージはまるで崩れた。それに『オリバー』のような奇天烈ドラマをあのNHKが…とも思うが、よく考えたら近年のNHKは、ゾンビものとか、昔なら考えられないようなドラマを平然と制作するし(岩松了が絡んでいることが多い?)、むしろスポンサーのいる民放では危なくて絶対できないようなドラマを作るようになっている。おそらく、こうした番組や個性的な役者が好きな人が上層部にいるのだろう。

『オリバーな犬』は、主演の鑑識課警察犬係・池松壮亮には、犬の着ぐるみを着たいい加減なオッサンにしか見えない相棒の警察犬オリバーを、完全に「犬化」したオダギリジョーが演じるという奇想天外なドラマだ。池松の上司役が麻生久美子、課長・國村準、同僚・本田翼というレギュラーメンバーによるゆるい会話や警察鑑識課という場面設定は『時効警察』につながるし、また池松とオダギリという、素でもテンションの低そうな二人のとぼけたやり取りが笑える。だがこのドラマはその企画・脚本・演出のユニークさもさることながら、出演メンバーがすごすぎる。永瀬正敏、松重豊、永山瑛太、橋爪功、甲本雅裕、柄本明、佐藤浩市、松田龍平・翔太の兄弟、松たかこ、黒木華、浜辺美波、火野正平、風吹ジュン、(オダギリ奥さんの)香椎由宇……と、書ききれないほどの有名俳優が次から次へと登場し、おまけに細野晴臣やシシドカフカまで登場するのだ。いったいギャラとかどうなっているのかと心配になるが、みんな楽しみながら演じているように見えるし、「オダギリの作品なら」と馳せ参じた友情出演的な人が多いのだろう。

オダギリジョーは元々テレビが好きで、映画ではなく、テレビでしかできないような作品をずっと作りたかったと語っており、この作品でまさにこれまで温めていた企画とアイデアを一気に表現したのだろう。ハードボイルドとコメディが同居したドラマの展開やセリフもユニークで面白いが、シーズン1のエンディングにおける、ミュージカルのようにショーアップした集団ラップダンス・パフォーマンスも意外性十分で最高だった。シーズン2は、多数かつ多彩な出演者が逆に災いしてか、演出面で小ネタギャグとストーリーがかみ合わず、少々散漫になった印象がある。エンディングの舞台なども私は面白がりなので好きだが、この手の手法や展開を好まない人には意味不明と感じたかもしれない。

NHKの「土曜スタジオパーク」に番宣で麻生久美子と二人で登場した回は、麻生に要求する奇妙な台本の話や、「え?」の応酬だけで何分も会話を続ける場面とか、岡山では河本準一と同じ小学校だったという驚きの過去談等に加え、河本の家庭の秘密までバラしたりして、あまりのおかしさに笑いが止まらなかった。しかしこの番組で、オダギリジョーの人となり(ファッションも含めて)、コンビを組む麻生久美子との(おかしな)関係もよく分かった。この人は異能の持ち主だと思うが、(若い頃は分からないが)今はさほどとんがっていなくて、人望があり、その独特の才能と不思議な人柄に惹かれて、自然とまわりに人が集まってくるタイプのマルチ・アーティスト(俳優、作家、監督、演出家)なのだろう。その才能からは何となく昔の伊丹十三を彷彿とさせるが、あれほど才に走るタイプではなく、人格と才能のバランスが取れた人物なのだろう。銀座のクラブで暴れた人の後任を受けたドラマも好評のようだし、「鬼才オダギリジョー」は、今後もさらにスケールの大きな仕事をするだろうと思う。

2021/12/06

追悼・中村吉右衛門

中村吉右衛門が11月28日に、77歳でついに亡くなってしまった。春先に倒れて救急搬送されて以来、なんとか回復して欲しいと、毎日テレビで『鬼平犯科帳』を見ながら祈っていた。その後ほとんど報道されて来なかったので心配していたが、先日も、その後容態はどうなのだろうかと案じていたばかりだった。

BSフジで毎週放映している二代目中村吉右衛門による『鬼平犯科帳』は、1989年に放送開始されて以降、2001年の第9シリーズまで放送され(以降はスペシャル版)、現在もたぶん何回目かの再放送中で、11月には第4シリーズ(1992- 93年)を放映中だった。これまで各シリーズ、スペシャル版含めてほとんど見てきたし、録画した放送を毎日見るのを楽しみにしてきた。私はとりたてて、いわゆる時代劇のファンでもないし、真面目に見てきた時代劇の番組は、NHKの大河ドラマや人情時代劇を除けば『鬼平犯科帳』だけだ。懐かしい松竹時代劇の、光と影のコントラスト、色彩の濃い独特の映像は、冒頭から一気に江戸時代の鬼平の世界へと引き込まれ、瞬く間に現世を忘れさせてくれる強烈な引力があり、毎週(毎日)見てもまったく飽きることがなかった。おそらく日本中に、私のように時代劇はあまり見ないが『鬼平』だけは別、というファンが数えきれないほどいることだろう。それほど、長谷川平蔵―鬼平は、中村吉右衛門と一体化していた。脇を固める他のキャストがまた素晴らしく、密偵役の江戸屋猫八、梶芽衣子の他、奥方の多岐川裕美、火付盗賊改方の与力、同心のメンバーなど、安心して見ていられる俳優ばかりで、毎回異なる、個性豊かな男女のゲスト出演者の演技も楽しめた。何より、鬼の平蔵の持つ江戸の粋と洒落っ気を、吉右衛門が見事に表現していた。春夏秋冬の江戸情緒あふれる景色(実際の映像は京都だが)を背景にして流れる、ジプシーキングスのギターによるエンディング曲「インスピレイション」が終わるまで、その回が「終わった」という気がしないので、ついつい最後の、雪の夜の立ち食い蕎麦屋のシーンまで見てしまうのだ。中村吉右衛門演ずる『鬼平犯科帳』は、そのヴィジュアル・インパクトが強烈で、はっきり言って池波正太郎の原作小説をはるかに超える面白さがあった。

「歌舞伎」の中村吉右衛門こそが本来の役者としての姿なのだろうが、残念ながら私はその世界をついに生で見ることはできなかった。だが、昔(1960年代末)から映画で知っていて、その当時は、実兄の6代目市川染五郎(現2代目白鷗)が、テレビのバラエティ番組出演、ブロードウェイ公演、大河ドラマなど、派手な活動で目立っていて、吉右衛門はどちらかと言えば地味で目立たない側だった。しかし映画で見た、長身痩躯で、男らしく、いかついのに優しい風情を全身から醸し出す吉右衛門が当時から私は大好きだった。大学入学後に見たATG映画、篠田正浩監督の『心中天網島』(1969)、新藤兼人監督の『藪の中の黒猫』(1968)という二本の映画で、初めて吉右衛門という役者を知った。岩下志麻と太地喜和子という名女優を相手に、片や大坂天満の情けない若旦那・紙屋治兵衛を、片や東国の夷敵征伐を終えて意気揚々と都へ帰還した源頼光配下の若侍・藪の銀時という対照的な役柄を演じた、まだ本当に若い20歳代前半の中村吉右衛門の姿が今も鮮明に瞼に焼き付いている。両映画ともに、後にDVDを購入して何度も見て来たので、リアルタイムで前後者どちらを先に見たのかはっきりとは覚えていないが、1970年あたりだったことは間違いない。両映画ともにモノクロームの時代劇だが、『心中天網島』は近松門左衛門の有名な人形浄瑠璃が原作の前衛的映画で、あの時代の傑作映画の一つだ(『心中天網島』については、本ブログ2020/2/7付けの記事「近松心中物傑作電視楽」で詳細を回想しているので、興味のある人はそちらをご参照ください)。

もう一作、新藤兼人監督の『藪の中の黒猫』は、1966年に2代目吉右衛門襲名後の初主演映画だった。カンヌ映画祭出品を意識して日本色を強く打ち出した怪異譚で、平安時代の源頼光配下の四天王の一人、渡辺綱(わたなべのつな)の「一条戻り橋」の鬼退治伝説を核に、「雨月物語」、「羅生門」の怪奇と悲哀、さらに野武士に殺され、その復讐ゆえに化け猫になった母娘という、ストーリー的には日本的情緒、妖怪、怪異伝説のてんこ盛りミックスの怪作(?)だ。見どころは、やはりモノクロの凝ったカメラワークと美しい映像、太地喜和子の妖艶な美しさ、まだ初々しささえ残る若き中村吉右衛門の演技だろう。特に化け猫になって、羅生門を通る武士を誘い込んで殺す太地喜和子が、漆黒の闇を背景にして、門の二階部分(実際の撮影地は、京都・東福寺の山門)に白く光る妖怪として右手から滑るように登場するシーンは、初めて見たときには本当にぞくっとするほど怖く美しかった。妖怪になった実母と妻の退治を命ぜられ、その運命を知って苦しむ当時20歳代前半の中村吉右衛門は、50年以上前のこの映画のときから、その後の鬼平役に通じる、男らしく朴訥でいながら色気のある風情をすでに醸し出している。その1年後の『心中天網島』では、正反対ともいえる、遊女(岩下志麻)に溺れる情けない大坂商人という、いわば非常にふり幅の広い両極の役柄だったが、あの若さでいずれの役も見事に演じていた。

『徹子の部屋』の追悼特番で、1970年代、30歳代から最近の70歳代までの吉右衛門出演の出演回を放映していた。黒柳徹子との対話を通して見る実際の吉右衛門は、言葉も喋りも滑らかで、とても軽やかに生きて来た人物のように見える。歌舞伎役者でありながら、幸か不幸か4人の娘に囲まれたが、やっと後継になれる男子の孫に恵まれて嬉しそうな表情の吉右衛門は、晩年は穏やかな人生を過ごしていたようだ。しかしそれにしても……本当に残念だ。中村吉右衛門さんのご冥福を心からお祈りしたい。

2021/02/14

冬ドラ『夢千代日記』

NHK 夢千代日記
吉永小百合

朝の連続テレビ小説は「朝ドラ」、近年、深夜に放送されている斬新なドラマを「よるドラ」とNHKでは呼んでいるが、「冬ドラ」という呼称はまだないようだ(聞いたことがないので)。なぜか年末になると聴きたくなる演歌や歌謡曲に加えて、私には冬がやって来ると見たくなるドラマがあって、それを「冬ドラ」と勝手に呼んでいる。気楽に流して見られるようなエンタメ系作品ではなく、「外は雪とか木枯らしの寒い冬の夜、炬燵に入って熱燗でちびちびやりつつ、しみじみと見るようなテレビドラマ」のことだ(あくまでイメージで、実際に炬燵で一杯やっているわけではない)。見るのはもちろん、CMのない、それも大昔のNHKドラマだ。最近のように、目まぐるしい展開や、ファンタジー色の強いドラマも面白いことは面白いのだが、やはりじっくりと楽しめるオーソドックスなドラマは落ち着くし、NHKは朝ドラや派手な大河ドラマとは別に、日本的情緒と文芸の香り漂う大人向けのドラマを昔は数多く制作していた。その代表的作品で、寒いこの時期になると、飽きずに何度も見てきたのが吉永小百合主演の『夢千代日記』である。今から40年も前に放送された、言わずもがなの名作だが、やはり「冬に見るからこその夢千代」であり、以前NHKが真夏に再放送していたときには、何を考えているのだと怒りさえ覚えたほどだ(大ゲサだが)。

毎冬のように見てきたのはもちろん録画してあるからで(今はNHKオンデマンドでも見られる)、『夢千代日記(5話)』(1981)『続・夢千代日記(5話)』(1982)『新・夢千代日記(10話)』(1984) という3部作で、いずれもオリジナルはもちろん冬に放送された。原作・脚本が早坂暁、演出が深町幸男、音楽が武満徹という制作陣に加えて、主演が(たぶんいちばん奇麗だった頃の)吉永小百合という豪華な布陣のドラマだ。私は(タモさんのように)吉永小百合の熱烈なファンというわけではないが、夢千代役にはやはり吉永小百合以外の女優は思い浮かばない。実際、ドラマの夢千代の年齢設定と、当時の吉永小百合の実年齢はほぼ同じで、早坂は吉永を念頭にこの作品を書いている(しかしこのときの吉永が、今の綾瀬はるかとほぼ同年齢だった、というのは何となく意外な気がする)。

1985年の映画版も見たが、NHKドラマの方がずっと出来が良い。個人的には、林隆三、ケーシー高峰、楠木トシエなどが出演し、ドラマの基本的イメージを作った第1作目がやはりいちばん記憶に残る。山陰の小さな温泉町で夢千代が営む置屋「はる家」の芸者役、樹木希林(菊奴)、秋吉久美子(金魚)、中村久美(小夢)の他、夏川静江、中条静夫、加藤治子、佐々木すみ江、長門勇、緑魔子、あがた森魚などのレギュラー陣、さらに林隆三、石坂浩二、松田優作という1作ごとに変わる客演男優等、それぞれ味わいのある役柄キャラクターと物語をじっくりと楽しめる。しかし、今はもうこの名作ドラマのことさえ知らない人も多いらしい。制作陣もそうだが、画面の中にいるこれら出演者の約半数がもう故人なのだと思うと、なんだか寂しく、また時の流れをつくづく感じる。

NHK 夢千代日記
左から夢千代、小夢、金魚、菊奴
物語の主な舞台は山陰にある架空の温泉町「湯の里温泉」で、全編のドラマロケは鳥取県境に近い兵庫県の日本海側、山陰本線の浜坂駅から少し内陸部に入った「湯村温泉」(新温泉町)で行なわれた。しかし港が近かったり、海鳴りが聞こえるなど、ドラマの「湯の里温泉」はもっと海に近い設定になっていて、全体的にむしろ鳥取県のイメージが強い。実は最近ネットで読んで初めて知った話だが、当初早坂暁は、鳥取県の倉吉に近く、原稿を書くために滞在していた三朝温泉をドラマロケの舞台に考えていたが(実際「夢千代」という名前の芸者も三朝にいたらしい)、広島で胎内被曝した夢千代の原爆症が、イメージ的に三朝温泉の有名なラジウム泉に結びつけられる懸念があるという理由で断られ、それでは、と次に話を持ち掛けたのが民謡「貝殻節」で知られる同じ鳥取の浜村温泉だったが、今度は話が暗すぎると再び断られたのだそうだ。そこでやむなく、県境を東へ少し越えた兵庫県の湯村温泉に声を掛けたら、そこで快諾されたという。よく知られているように、ドラマが大ヒットしたおかげで、無名に近い温泉場だったロケ地湯村温泉は「夢千代の里」としてブレイクし、全国的に知られる観光地となって夢千代の銅像まで建てられた。というわけで、湯村は兵庫県なのになぜドラマの背景に「貝殻節」や鳥取砂丘が?という疑問もめでたく氷解した。ドラマでは、イメージとしての冬の山陰と日本海を全体として統合したということなのだろう。

夢千代日記、波の盆
岩城宏之指揮(JVC)
冬になると『夢千代日記』を見たくなる理由は他にもあって、一つは「夜…外は粉雪…」と、夢千代が静かに語る日記風のナレーション、そしてもう一つは音楽だ。ドラマのオープニングで、列車がトンネルを抜けて(旧)余部鉄橋を渡る映像のバックに、武満徹のテーマ曲が流れてきた途端に、気分はもう一気にどんよりと暗い冬の山陰だ(各作ともに、神戸の病院で半年ごとの定期検診を受けた夢千代が、帰路の山陰本線の列車の中で出会う人物から物語が始まる)。そして煙草屋旅館の宴席では吉永、秋吉、中村という3人の芸者が踊り(踊りの出来は、小夢>夢千代>金魚の順で、日舞>体操>ダンスか)、菊奴の弾く三味線(これは本物)で毎回唄われる鳥取民謡の「貝殻節」、スナック「白兎」(オーナー長門勇、ママ水原英子)の場面や、毎回登場する旅芸人一座の芝居とそのバックで聞こえる演歌など当時のヒット曲、うらぶれたヌード劇場のストリッパー緑魔子の踊りと(照明係)あがた森魚の独特の歌など――これでもかと、ドラマ全体にわたって「昭和」の懐かしさと哀感が漂う音楽が散りばめられている。印象的な武満の冒頭のテーマ曲は、ドラマでは小編成のアンサンブルがやや早めのテンポで演奏しているが、1998年に岩城宏之が金沢のオーケストラを指揮し、映画音楽やテレビドラマ向けに武満 徹が書いた曲を演奏した『夢千代日記、波の盆』(JVC) というCDでは、テレビ版よりもゆったりとしたテンポで、大編成アンサンブルが美しく流れるように、しみじみとこの名曲を演奏している。

学生だった1970年頃に、何度か山陰地方を旅行したことがあるが、「表日本」「裏日本」と呼んでいたあの時代の両地域の「差」に何度も驚いた経験がある(当時はとっくに硬貨に切り換わっていた「百円札」が、山陰ではまだ流通していた、など)。そうした旅行経験からすると、80年代バブルが到来する以前の山陰地方には、ドラマで描かれているような風情や情緒や人間関係が、実際にまだ色濃く残っていても不思議はないと思った。原爆症や中国残留孤児など、あの時代(1970年代)の日本には、戦争の影を引きずりながら生きている人たちが、まだたくさんいただろう。東京ですら、バブル前には文字通り昭和の風景や風情がまだたくさん残っていたし、人間関係ももっと密で濃いものだった。一方で、都会と地方との間には、地理的にも、心理的にも、また情報面でも容易には近づけないような距離があって、良きにつけ悪しきにつけ、両者を隔てる見えないバリアがまだ残されていた。だから夢千代ドラマの定番、訳あって雲隠れしたり警察から追われる逃避行なども、監視カメラやスマホ映像、ツイートですぐに見つかってしまう現代とは違って、まだまだ可能だった。逆に言うと、常にどこかで誰かから監視されている現代人は、現実からの逃げ場が物理的になくなりつつあるとも言える。ジャンルに関わらず、最近「ファンタジーもの」に人気が集まるのは、こうした現代日本人の心理を反映しているのかもしれない。

人生に疲れ、あるいは心や身体に傷を抱えたまま、人知れず「表日本」から日本海に面した小さな温泉町に流れ着き、そこで互いを気遣いながらひっそりと寄り添うように暮らしている人々を描くこのドラマは、余命短い原爆症の主人公も含めて、死をモチーフにしたやりきれないような物語が続く。しかし、ゆっくりと流れるドラマの時間と登場人物の造形には、昔の日本人が持っていたつつましさ、やさしさ、我慢強さ、運命に逆らわずに生きてゆくけなげさ――などへの、原作者・早坂 暁の郷愁と深い思いが込められている。そしてドラマの中で、夢千代他の登場人物たちが体現しているのが、そうした時代の懐かしい日本人像だ。『夢千代日記』は、今となっては、ロマンとメルヘンの香りさえ漂う懐かしき昭和の日本昔話なのである(ただし、男性向けではあるが)。

大人が楽しめる、こうした純文学的なドラマは、エンタメ全盛の現代ではもう望むべくもないが、『夢千代日記』を含むNHKのシリーズ「ドラマ人間模様」(1976 - 88)には、向田邦子の名作『あ・うん』や、大岡昇平原作で『夢千代日記』と同じく早坂暁、深町幸男コンビによる『事件』シリーズなど優れた作品がいくつもあった。これらはいずれも人生の深さと哀感をしみじみと感じさせる大人の「冬ドラ」だ。振り返ると、こうした名作ドラマはどれも、1970年代の日本列島改造論に始まり、日本がバブルに向かう途上にあった1980年前後に制作されたものが多い。現代の感覚からすれば、もちろん筋立ても構成もシンプルだが、昭和も終わりに近づく頃に作られた、どこか心の琴線に響くそれらの「冬ドラ」をじっと見ていると、その後80年代後半のバブルを通過し、グローバル化と情報革命に戸惑いながら必死に生きてきた日本人が、この30年間に失ったものが見えてくるような気がする。それに、最近の冬は昔ほど寒くない。真冬の日本海側に雪が降っても、さらさらと乾いた粉雪はめったになく、湿った重い雪ばかりになってしまった。こうして、昔の日本人を包んでいた冬の風情も徐々に失われてゆくのだろう。

2020/05/15

タイムトラベル


TBS『JIN-仁-』の再放送特番をやっていたので久々に全編通して観たが、やはり名作だ。現代から幕末の江戸時代にタイムスリップした主人公の脳外科医、南方仁(みなかた・じん)が、手術や医薬の開発によって、コレラや他の感染症、災害、事故から当時の人々を救うという、荒唐無稽だが、救命医療とヒューマニズムを軸にした壮大な歴史ファンタジーだ。原作漫画(村上もとか)とは設定や結末が多少違うようだが、テレビドラマとして脚本(森下佳子)、演出、俳優陣、映像、音楽どれをとってもやはり非常によくできている。内野聖陽が演じる坂本龍馬を筆頭に、登場する歴史上の人物の造形も新鮮で、大沢たかお、綾瀬はるか、中谷美紀他の主役のみなさん全員が、真情あふれる魅力的な演技をしている。ノスタルジーをそそる音楽と共に、タイトルバックで交錯する懐かしい東京と江戸の写真もいい(ただし、外科ものだから仕方ないが、毎回あるリアルな手術シーンだけは苦手だ)。

ところで、南方仁は階段や崖から転げ落ちてタイムスリップするが、「階段や高いところから落ちるとタイムスリップする」、というモチーフのルーツはどこ(小説や映画)なのかと、(ヒマなので)いろいろ調べてみたが、はっきりとは分からなかった(『JIN-仁-』が最初なのか?)。「階段落ち」で有名なのは、先月亡くなった大林宣彦監督の『転校生』(1982) だが、これはタイムスリップではなく男女の入れ替わりだ。実をいうと、粗忽ものだった私は小学校低学年の頃に、学校の薄暗く、かなり急で長い階段から、横向きとかではなく、文字通り「前方に転げ落ちた」ことがあるのだ。当時は木造校舎だったのと、子供で身体が柔らかかったせいもあってか、奇跡的に大けがもせずに済んだが(とはいえ、着地場所は給食室前の、木製渡り廊下が敷いてあるコンクリートの廊下だった)、ゴロンゴロンと前方に何回転かしている間の、ぐるぐると世界が回転し、目の回るようなあの感覚は今でもはっきりと覚えている。たぶん時空を超える瞬間とは、ああいう感覚なのかもと、(私と同じように転げ落ちた経験のある) 誰かが最初にこのモチーフを思いついたのかもしれない。

ある日どこかで
1980
まったくの偶然だが、『JIN-仁-』再放送の1週間ほど前に、いくつか録画しておいた映画でも見ようと、その中から『ある日どこかで (Somewhere in Time)』という1980年に公開されたアメリカ映画を選んだ(ちなみに、タイトルの邦訳は「ある日」ではなく、「いつかどこかで」の方が語句と内容に近いだろう)。リゾートホテルで時空を超えて恋人と再会する、という古典的タイムトラベル・ファンタジーで、たまたま久々に観ようかと思い立って選んだ映画だ。懐かしさもあって、この映画は時々観たくなるのである。なぜかというと、今から約40年前、合弁企業勤務時代の1981年に、私はこの映画の舞台である「グランドホテル (Grand Hotel)」へ行ったことがあるからだ。つまりアメリカでこの映画が公開された翌年ということになる。初の米国出張時で、ミシガン州にあったアメリカの親会社の人たちが、休日ドライブに連れて行ってくれたのが五大湖の一つヒューロン湖のマキノー島 (Mackinac Island)で、 その島にこのホテルがあったのだ(泊まったわけではない)。テレビで初めてこの映画を観たのは、たぶん1990年代になってからだったと思う。グランドホテルのことはまったく知らずにたまたまこの映画を見ていたら、(文字通り)ある日どこかで見たことのあるような建物と風景が出て来たので、そのまましばらく画面を見ていたら、それがマキノー島のグランドホテルだと分かってびっくりしたのである。

カナダとの国境に近いミシガン州の北端(正確にはLower半島の北端)、ミシガン湖(西)とヒューロン湖(東)の海峡にある港町マキノーシティ (Mackinaw City;デトロイトからの距離は約420km) から、ヒューロン湖側をフェリーで30分くらい(?)行ったマキノー島の丘の上に、1887年に開業したグランドホテルは今もある。緯度が高く冬場は湖が全面凍結するため、ホテルなどの施設はすべて閉鎖されるので、夏場中心のリゾート地だ。あの当時この島を訪れた日本人は、きっとまだ珍しかったのではないかと思うが、何せ湖の巨大さと、ヴィクトリア調の白く大きなホテルの豪華さと美しさに、心底びっくりしたのをよく覚えている。島内では、クルマもバイクも、エンジンを搭載した車輛は一切禁止されていて、移動手段は馬車か自転車か徒歩だけという、本当に19世紀にタイムスリップしたかと思うような場所だった(これは現在もそうだ。映画では、シカゴに住む主人公が仕事のストレスからドライブ旅行に出かけ、ふらりと立ち寄る設定になっているので、ホテル前に普通にクルマで到着するシーンが出てくるが、これは撮影用として特別に許可された車だそうだ)。

グランドホテル
Mackinac Island, MI
この映画の原作は、1975年の幻想小説『Bid Time Return』(時よ戻れ;シェイクスピア 『Richard II』からの引用) であり、書いたのはリチャード・マシスン Richard  Matheson (1926-2013) というモダンホラーの作家・脚本家だ。あのスピルバーグのデビュー作かつ傑作であるTV映画『激突 (Duel)』の原作、脚本もマシスンで、映画『ヘルハウス』や、『トワイライトゾーン』のようなTVドラマも書いている人らしい。小説の映画版である『ある日どこかで』も、マシスン本人による脚本である。原作のホテルはカリフォルニア州の設定だが、映画ではそれを(ミシガン州の)グランドホテルに変えたわけだ。映画『ある日どこかで』は予算も絞られ、1980年の公開時は日米ともにパッとしない興行成績だったらしいが、その後ケーブルTVやビデオを通じてじわじわとファンが増え、今やカルト的人気のあるタイムトラベル映画になっていて、毎年10月には、今もグランドホテルでファンの集いが開催されているほどだそうだ。

その方面に詳しくはないが、タイムスリップやタイムトラベルといえば自由な発想ができるSF小説が中心で、内容も未来社会とか、思い切り過去に飛ぶ活劇系作品が多いように思う。映像化もその方が分かりやすいし、古くは『ターミネーター』とか『バック・トゥー・ザ・フューチャー』といった傑作映画がいちばん有名だろうが、公開は1984年、1985年だ。『ある日どこかで』はそれより5年も前の作品で、しかも内容が恋愛ものであるところが違う。だから、今や小説、コミック、ドラマ、映画などで数多く描かれている時空を超えるラヴ・ファンタジー作品の元祖というべき映画であり、大林宣彦監督も『時をかける少女』(1983 /筒井康隆の原作小説は1967年出版)の制作にあたって、この映画を参考にしたそうだ。大林監督は他にも『さびしんぼう』(1985) や『異人たちとの夏』(1988) など、実在しないが、心の中にある、はかなく懐かしい存在をイメージ化する映画を制作しているが、『ある日どこかで』もSFというより、どちらかと言えば昔のアメリカのTV番組『ミステリーゾーン』や『トワイライトゾーン』的な「不思議な物語」という味付けの映画だ。『JIN-仁-』にも、この映画の影響、もしくはオマージュと思われるモチーフが多い。南方仁と咲、野風、未来(みき)を巡る、会いたくても会えない、時空を超えた切ない恋愛感情がそうだし、主人公が手にする「コイン(硬貨)」が、過去と現在が交差する入口を象徴している設定もたぶんそうだろう。

女優エリーズ・マッケナ
(ジェーン・シーモア)
『ある日どこかで』で主人公の若い脚本家を演じるのは、あの「スーパーマン」役のクリストファー・リーヴ Christopher Reeve (1952-2004) である。ジュリアード音楽院出身で、いかにもアメリカンなこの人は、落馬事故が原因で早逝してしまったらしい。主人公が一目で魅了される、ホテルの資料室の肖像写真に写っているのが、タイムトラベルで邂逅する女優エリーズ・マッケナで、007のボンドガールの一人だったジェーン・シーモア Jane Seymour (1951-) が演じている(彼女のモナ・リザ的で、どこかノスタルジーを刺激する謎めいた写真は実に美しく、確かに一度見たら忘れられない)。大昔ではなく、1980年から1912年という近過去(68年前)に主人公がタイムスリップするのがこの映画の特徴で、またタイムスリップはタイムマシンのような機械や、階段落ちとかの事故や偶然ではなく、戻りたい過去の事物だけに囲まれた場所を選び、その時代の衣服等を身に付け、その上で自己催眠をかけて実行するという、主人公の学生時代の恩師から伝授された方法だ。『JIN-仁-』がそうであるように、この種のファンタジー映画は音楽も大事で、007で有名なジョン・バリーが自作曲とラフマニノフのピアノ曲を組み合わせて、映画のストーリーによくマッチした音楽を制作している。『ある日どこかで』は、近年のタイムトラベル作品に比べてストーリーがシンプルで、時代を反映して、エンディングもどこかやさしい余韻を残して終わるところがいい。私にとって懐かしい風景が出てくる画面をじっと見ていると、何だか自分も40年前にタイムスリップしたような気がしてくる不思議な映画である。

ところで私は、日本中が浮かれていたバブル時代に、会社のパーティ向けに組んだ即席バンド(サイドギター担当)で、サディスティック・ミカ・バンドの<タイムマシンにおねがい>(1974) を演奏したことがある。ミカ・バンドはその後、89年に桐島かれん、2006年に木村カエラを擁して同曲を再・再々カバーしていたが(名曲なので)、実は私も2010年代の同パーティで、いい歳をして再結成バンドでもう一度この曲を演奏している。「階段落ち」実体験といい、『ある日どこかで』の偶然といい、<タイムマシンにおねがい>との縁といい、こうして並べてみると、どうも自分にはタイムトラベルをする素質(?)があるような気がしてくる(朝が弱い私は、むしろ「タイムトラブル」の方が多かったが……)。しかしよく考えてみると、昔ながらのジャズファンというのは、ある意味でタイムトラベルを日常的に楽しんでいるようなものかもしれない。私の場合、ふだん聴いているジャズ音源の7割くらいは1950年代から60年代前半のものだし、しかもライヴ録音のアルバムを聴くことも多い。優れたライヴ録音のアルバムを、良いオーディオ装置で再生すると、時として実際にジャズクラブの中にいるのでは、と錯覚するほどの臨場感が得られることがある。だから、60-70年くらい前の全盛期のジャズの演奏現場にタイムスリップしたような感覚が味わえるジャズレコードは、いわば「即席タイムマシン」のような機能を果たしているのかもしれない。ジャズレコードには、どこか他の音楽ジャンルの音源とは違う不思議な魅力があると思っていたが、どうやらこれも理由の一つのようだ。

「Five Spot」前の
モンクとニカとベントレー
とはいえ、本物のタイムトラベルもできれば死ぬ前に一度経験してみたいものだが、もしそれが可能なら……行きたいところは決まっている。時は1957年、場所はニューヨーク、ヴィレッジの「Five Spot Cafe」だ。もちろん、ヤク中のためにマイルス・バンドをクビになったジョン・コルトレーンを雇ったセロニアス・モンクが、自身初のレギュラー・カルテットを率いて登場し、コルトレーンが次なる飛躍に向かって徐々に成長してゆく過程を捉えた演奏を聴くためだ(4ヶ月にわたるこの伝説のライヴ演奏は、録音記録が残されていない)。タバコとアルコールの匂いが立ち込める1950年代ニューヨークのジャズクラブで、客席の著名な芸術家やミュージシャンたちに混じって、できればニカ夫人のテーブル近くに座って、モンクたちの演奏を朝まで聴いていたい……

2020/02/07

近松心中物傑作電視楽

年末年始は、どうしても「何か日本的なもの」をゆっくりと見たり聞いたりしたくなるのだが、今年は近松門左衛門 (1653 - 1725) に関する作品(DVD、録画)をテレビで見ていた。近松といえばやはり「心中物」が有名だが、近頃は「心中」というと、高齢者夫婦とか、老々親子の無理心中とかいった救いのない悲惨な事件ばかりで、近松が描いたような「現世で無理なら来世で添い遂げよう」という相思相愛の男女の心中事件(情死。本来の心中)などほとんど聞いたことがない。300年前とは時代が違いすぎることもあるが、心中はもはや男女の愛のテーマにはなり得ないのかとも思う。しかし近松は、町民を主人公として書いた「世話物」人形浄瑠璃24編の中で、当時の実話に基づく「心中物」と呼ばれる作品を11作も書いている。いかに当時心中事件が多かったかということだろうが(遊女がらみの話が多い)、近松作品に刺激されて心中事件が増えたために、江戸幕府は「心中」という言葉を禁止し、実行者を罪人扱いし、『心中天網島』(しんじゅうてんのあみじま)発表の2年後には、ついに「心中物」浄瑠璃の上演も禁止したという。

心中天網島
2005 東宝DVD
『心中天網島』は、今からちょうど300年前 (1720) に実際に起きた、大坂・天満の紙屋治兵衛と曽根崎新地の遊女・小春の心中事件を元に、晩年の近松が書き下ろした「心中物」の最高傑作と言われている作品だ。事件からわずか2ヶ月後には上演されたというから、ものすごいスピードである。今から半世紀前の1969年に、その『心中天網島』を人形浄瑠璃以外の手法で描くことに挑戦したのが、篠田正浩監督の同名の傑作映画(表現社/ATG)である。この映画は学生時代にATG系封切り館で何度か見て、その後もテレビ放送やDVDで繰り返し見てきた。最近の映画は1回見れば十分なものばかりだが、何度見ても飽きず、毎回何かを感じる作品こそを名画と呼ぶのだろう。金と時間をたっぷりかけたというような即物的な理由ではなく、原作の質に加えて、才能ある制作者のアイデアと、作品を作り込むために注いだ情熱、エネルギーが、画面を通して観客に自然と伝わってくる作品のことだ。今回この映画を久々に見直してみたが、当然ながら往時の前衛的衝撃度は薄れてはいても、映画全体から伝わってくるエネルギーは今も変わらないことを再確認した。

篠田監督の映画化コンセプトは、近松の描いた男女の古典的悲劇に忠実に、人形による浄瑠璃劇を実際の人間が演じる映画で表現する、というものだ。制作資金の制約もあって、結果的に舞台演劇のようなミニマルかつ抽象的なセットと演出手法を用い、また役者の運命を操るかのような「黒子(黒衣)」を実際に画面に登場させるなど、当時としてはきわめて前衛的な手法を大胆に用いている。しかし篠田正浩(監督)、富岡多恵子(台詞)、武満徹(音楽)、粟津潔(美術)、篠田桃紅(書画)、成島東一郎(撮影)という錚々たる制作スタッフが目指したのは、あの時代に流行った目新しさを狙っただけの実験的な作品ではなく、また近松の傑作古典の単なる映画版でもなく、日本の伝統美を表現するまったく新しい映像作品を創造することだった。才気溢れる上記スタッフにとっては、制約がむしろ創造への挑戦意欲を一層掻き立てたことだろう。舞台のようにシンプルな画面構成、ハイコントラスト・モノクロによる光と影が圧倒的に美しい映像美に加え、斬新な美術、音楽、演出、さらに各役者の演技と細かい所作、台詞(せりふ) 回し等々、この映画を構成するあらゆる要素が実に綿密に考えられていることが分かる

映画のストーリーとシナリオは、「河庄」、「時雨の炬燵」、「大和屋」、「道行」の各段に沿って、近松の原作をほぼ忠実になぞっている。近松の浄瑠璃原本による 「太夫の語り」の美しい語感とリズムを、作家・富岡多恵子が “口語変換” した台詞も違和感がなく、それを喋る役者陣の登場人物 (人形?) へのなりきり振りも驚くほどだ。特に紙屋治兵衛役・中村吉右衛門が演じる情けない男ぶりも、女の持つ二面性と女同士の義理の真情を、遊女・小春と女房・おさんという二役で演じ分ける若き岩下志麻の美しさと演技も素晴らしい。三味線の使用をあえて控えめにし、代って琵琶、ガムラン、トルコ笛を用いて汎アジア的音空間を生み出した武満の音楽、浮世絵や書をデフォルメした背景やセットを用いた粟津の美術、モノトーンの究極美を追求した成島のカメラワーク、そして終始物語を先導する「黒子」の存在など、すべてに人形浄瑠璃とは異なる映像表現としての独創性と前衛性が顕著に見られる。人形浄瑠璃(文楽)は、じっと見ていると操る黒子が徐々に気にならなくなり、人形がまるで人間のように見えてくる。この映画では逆で、最初控え目だった黒子が物語の進行につれて徐々にその出番と存在感を増していき、それにつれて役者が段々と操られる人形のように見えてくる。あたかも情感と意志を持つかのように、二人を死へと導くこの黒子は、篠田によれば、原作者である近松自身だという。確かに近松の原作通り、世間の義理に背く者たちへの当然の報いだとする冷めた視点と、恋に溺れる心中者への憐憫が交錯する作者の心情が、各場面における黒子の「所作」から同時に表現されている。

映画の終盤、女房・おさんを義父に連れ去られた治兵衛は絶望のうちに心中を決意し、それまでの舞台のような抽象的セットを破壊する。場面が変わり実際の夜の屋外ロケで撮られた、美しくまた凄惨な夜半の道行(名残の橋づくし)はこの映画の白眉であり、吉右衛門、岩下の迫真の演技で描かれる ”彼岸への旅” の、日本的エロスと無常感が漂うリアルな映像美は日本映画史に残るものだ。この時代の日本には活力がみなぎり、内側から何かを変革しようとするエネルギーに満ちた若き才能が溢れていた。制作当時、篠田も武満も粟津もみな30歳台後半である。この映画が放つ時代を超えた芸術的芳香と力は、それらの才能とエネルギーが奇跡的に一つに集結できた時代の産物である。いくら金をつぎ込みCGを駆使しても、もはやこのように濃密な作品が生まれることはないだろう。

ちかえもん
2016 DVD-Box
ポニーキャニオン
もう一つの「近松心中物」の現代版傑作は、半世紀前に作られた芸術指向のシリアスな上記映画とは対照的なコンセプトで、NHK2016年上半期に放送した木曜時代劇『ちかえもん』(全8回) である。こちらは大坂の遊女・お初と商家平野屋の手代・徳兵衛の心中実話を描き、「世話物」初の作品となった『曽根崎心中』(1703) の誕生秘話をデフォルメした現代流パロディである。作者の近松門左衛門を主役(妻に逃げられ、スランプ中のさえない作家)として描いた「創作時代劇」なので、筋立てや登場人物の役柄は一部変えているが、ギャグ満載のコメディでもあり、ファンタジーでもあり、ミュージカル的でもあり、落語的でもある、という「笑いと涙と芸」が混然一体となった上方芸能の真髄が、見事に伝わってくる大傑作ドラマだ。近松の「虚実皮膜論」をドラマという場で試みたとも言える。タイトルの『ちかえもん』からして『ドラえもん』的だし、各回には「近松優柔不断極(ちかまつゆうじゅうふだんのきわみ)」(第1回) といった浄瑠璃風タイトルが付けられているななど、遊びごころで一杯だ(このブログ記事のタイトルも、それに倣って「ちかまつしんじゅうものけっさくをテレビで楽しむ」と読む。ただし、いいかげんだが)。本格的セットと衣装で演技する時代劇でありながら、毎回近松 (松尾スズキ) による現代関西弁の独り言と、有名フォークソングなどの替え歌が挿入されたり、アニメーションが入ったりと、とにかく意表を突く演出の連続で、毎回大笑いさせられる。悪役も登場するにはするが (黒田屋九平治を演じる山崎銀之丞がうまい)、悲劇ではなくハートウォームな結末にしたことを含めて、物語全体が終始コミカルかつ温かいトーンで満たされているところが素晴らしい。

「ちかえもん」役の松尾スズキ(リアクション芸、顔芸に注目)、謎の ”不幸糖売り”  万吉」役の青木崇高 (憑依芸に注目)に加え、早見あかりの「お初」(顔が洋風だがうまい)小池徹平の「あほぼん徳兵衛」(意外と適役)のカップル、岸部一徳(平野屋主人役はこの人しかいない)と徳井優(引っ越しのxxx風番頭がハマり役)の旦さん/番頭コンビ芸といい、その他の出演者も全員が素晴らしい。ちかえもんの母親役・富司純子のボケの名演技に、大昔(1960年代)の舞台コメディ『スチャラカ社員』(藤田まこと主演) に出演していた美人OL「ふじクーン!」(藤純子時代)を懐かしく思い出すのは私だけではないだろう。劇中に、当時の竹本座による人形浄瑠璃『曾根崎心中』の上演を再現したシーンもあるし (北村有起哉による「大夫の語り」が本職並みだ)、ドラえもんのように、主人公ちかえもんをいつも窮地から救う万吉が、(人形に魂が宿るという)人形浄瑠璃へのオマージュともなる涙々のファンタジックなオチも素晴らしい。「楽しめる」テレビドラマという観点からは、おそらくこの作品はこれまでの人生で私的ベストワンだ。

今や、新たにテレビ時代劇を手掛けるのはNHKのみといった状態だが、現代劇に新味が欠ける現状からすると、CGが使えるようになって、想像力次第でどんな物語も映像化が可能な時代劇は新鮮でもあり、テレビにとって益々有望なジャンルになるだろう (NHKもAIひばりとかに余計な金を使っていないで、もっと予算対象を絞るべきだろう)。この作品も今回録画を見返したが、演技や言葉遊びの洒落と面白さは何度見てもまったく変わらず、むしろ台詞や所作の細部の面白さにあらためて気づいて、毎回さらに楽しめるという驚くべき完成度を持ったドラマだ。これも傑作の朝ドラ『ちりとてちん』を書いた脚本の藤本有紀は、この作品で同年の「向田邦子賞」を受賞している。ストーリーの面白さもそうだが、“江戸の粋” と “上方の情” という違いはあっても、二人はユーモアのセンスでも肩を並べると思うし、藤本有紀が翌2017年にNHKで書いた、上方と江戸を結ぶ人情時代劇『みをつくし料理帖』も、とてもよくできたドラマだった。彼女はまさに向田邦子の世界を引き継ぐドラマ界の才人だ。

映画化、テレビドラマ化の他にも、これも名作『冥途の飛脚』他を題材にした秋元松代・作、蜷川幸雄・演出の『近松心中物語』という演劇が1979年の初演以来ロングランを続け、スタッフ、キャストを変えながら今も上演されているという(私はまだ見たことがないが)。男女の実際の心中事件はもはや絶滅しかかっていても、300年も前に書かれた古典的心中物語が、こうして未だに取り上げられ、現代の作家や表現者を触発して新しい作品を生み出し続けているのは、近松門左衛門の作品に、やはり時代を超えて日本人の心に訴える何かがあるからなのだろう。

2020/01/25

水木しげる先生のこと

昨年秋口から年初にかけての夕方、NHKの地デジで、水木しげる夫妻を描いた2010年放送の朝ドラ『ゲゲゲの女房』(原作は、奥さん武良布枝さんの同名の本)を再放送していたのでずっと見ていた。放送は10年前だが今見てもよくできたドラマで、原作の持つ温かみを生かした脚本もいいし、まだ若かった主演の松下奈緒も向井理も、夫妻の両親役の風間杜夫、竹下景子、大杉漣、古手川祐子といったベテランの役者さんたちも、みなさんとてもいい味を出している。特に、主人公の娘を思いやる、素朴で昔気質の父親役を演じた今は亡き大杉漣の演技が印象に残った。このドラマはずっと穏やかな気持ちで見ていられるが、いちばんの理由は、主人公の水木しげる夫妻とその家族が醸し出す自然な人間味が伝わって来るからだろう。いきものがかりの主題歌「ありがとう」も、ドラマのテーマ、雰囲気とよく合っている。加えて、放送が2011年の東日本大震災の前年だったということも、このどことなく “のどかで懐かしい” ドラマの雰囲気を楽しめる理由の一つかもしれない。震災後はずっと、こうしたなごやかなドラマを作ったり、のんびりそれを見たりできないような、重い空気が世の中全体にあったからだ。それから、今や中堅俳優になっている若き柄本佑や斎藤工、窪田正孝、星野源などが出演しているのにも驚いた。NHKの朝ドラには、こうして今は有名になったいろんな役者が若い頃から出演していたんだ、ということも分かってびっくりする。

私は昔から漫画好きで、好きな作家や作品も多いが、その中でも「先生」と呼ばなくては……と個人的に尊敬してきた漫画家が3人いる。命を削るようにして紙の上で独創的なキャラクターを生み出し、愉快な世界を描き出すという才能への畏敬と、それを読者に提供して楽しませてくれることへの感謝のゆえである。もう一つは、一歩間違えば貧乏神に取り憑かれるというハイリスクな世界へ、人生を賭けて挑戦する勇気に対するものだ。その3人とは「水木しげる」先生、「赤塚不二夫」先生、そして「中川いさみ」先生である。もちろん作風、画風はそれぞれまったく違うが、共通点は登場するキャラクターの造形とユーモアの圧倒的な独創性、加えて笑いが下品ではないことだ。そもそもストーリー漫画よりもギャグ漫画系が好きなので、主としてその視点から3人を「先生」と呼ばせていただいている。ギャグ漫画は、展開のスピードと即興性(アイデアの閃き)、ユーモアの質という点で、何となくジャズの世界と相通じるものがあるように思う。何より「閃き」が大事なので、作者の年齢と共に作品の質を維持してゆくのが難しくなるリスクが高いところもそうだ。ギャグ漫画の開祖である天才・赤塚先生は、『天才バカボン』や『おそ松くん』を筆頭に数々の独創的キャラ創出はもちろんのこと、突き抜けたユーモアの次元が違うし、それに作品の根底にいつも温かな人間観が流れているところがいい。『クマのプー太郎』に代表される中川先生の作品もほとんど読んでいるが、主人公であるクマ、サル、ウサギといった動物キャラ造形のユニークさと共に、独特のシニカルでシュールな現代的ギャグセンスが最高だ。

一方の水木先生はもちろん、いわゆるギャグ漫画とはまったく違うジャンルに属する作家だ。まず、3人の中ではいちばん年長だったので1922年生まれ)、生きた時代が違う。しかしストーリーや登場キャラクター(異界の住人)の独創性に加えて、達観したような何とも言えない巧まざるユーモアとペーソスが、どの作品にも共通して感じられるところが素晴らしい。飄々としているが、意外にクールで毒もあり(ニヒルとも言える)、哲学的でもあり、懐かしい昭和のレトロさと、その独特のユーモアが絶妙にブレンドされた作品世界が個人的に好きなのだ。先生本人が言うところの座右の銘「楽をして、ぐうたらに生きる」も、赤塚先生の「これでいいのだ!」、タモさんの「やる気のアルものは去れ!」と並んで、個人的に非常に気に入っているフレーズだ。数々の登場キャラの中では、ご本人が好きだとコメントしていたように、たぶん「ねずみ男」が水木先生の思想を代弁している存在なのだろう(私も「ねずみ男」のファンだ。実写映画の大泉洋は、はまり役だった)。このあたりの世界は、ドラマ『ゲゲゲの女房』の中でもよく表現されていると思う。

水木サンの「幸福論」
(角川文庫)
日経新聞でかつて連載していた「私の履歴書(水木しげる)」を、毎朝笑いながら読んでいた。今は『水木サンの幸福論』と題した文庫本で読めるが、これを読むと水木先生の大物ぶり、まさに “悠揚迫らざる” 人間性というものが実によくわかって面白い。戦争で所属部隊が全滅し、ニューギニアのジャングルをたった一人で彷徨い、マラリアにかかって治療中に爆撃で左腕を失いながら、かろうじて戦争を生き延び、その間に現地の人々と友だちになり、戦後は残された右腕一本で紙芝居、貸本漫画の業界でゼロから始め、その後ようやく人気漫画家への道を切り開く……という波乱の人生を生き抜くことができたのも、破格ともいえるその人格上のスケールの大きさがあったからだろう。小学校に入る前から、朝は目が覚めるまで好きなだけ寝ていて(起きない)、学校は毎日2時間目から行ったとか(もちろん遅刻)、その他にも世の中の常識や約束事に縛られない自由な発想を持って生きてきたというところが、(若いときに自堕落な生活を送っていた私には)個人的に大いに共感できた。こういう人は、たぶん今だと発達障害だとかいろんな病名を付けられてしまうのだろうが、昔は世の中も鷹揚だったので単なる変わり者ですんだし、その代わり好きなことには徹底して打ち込むなど、普通の人間にはないユニークな才能を持っている人が多かったのだろうと思う。しかしドラマを見たり、こうした本を読んで思うのは、間違いなく、布枝さんという、あの大らかな奥さんの存在なくして「漫画家・水木しげる」はなかっただろうということだ。もう一つ強く印象に残ったのは、両親や兄弟を含めた親族、家族に対する水木先生の深い愛情だ。

のんのんばあとオレ
(講談社)
数年前に、11月解禁の松葉ガニも目当てに松江や出雲地方の旅行に出かけた。そのとき安来の足立美術館に寄り、それから当然のように、米子から「鬼太郎列車」に乗って、境港の「水木しげるロード」に行ってきた。どこを見ても鬼太郎キャラでいっぱいの列車も、境港の街も、本当に楽しかった。その旅で、水木先生が育った土地、その雰囲気、周囲の環境がどういうものかがよく分かった。出雲大社周辺はもちろんだが、境港(鳥取県)の前に広がる境水道の向こう側、島根県の島根半島東端近くにある美保神社のあたりへ行くと、あの『のんのんばあ』のいた世界がどういうものだったのか何となく想像できる。鳥取や島根の日本海沿岸は半世紀前の学生時代に旅行に行ったことがあり、隠岐島へ行く途中に境港や美保関にも立ち寄った記憶があるが、当時はまだ水木マンガと境港はイメージ的に結びついていなかった。あの大きくて高い境大橋ももちろんまだなくて、境港から美保関港までは船で行ったように思うが、本当に神話や伝説や妖怪がよく似合う風景と雰囲気が濃厚だったことを鮮明に覚えている。もちろん、今はずいぶん変わったが、それでも当時の雰囲気はまだどことなく残されていて、水木先生や「鬼太郎」を生んだのもそうした風土だったということが、現地へ行ってみるとよく分かる。

ところで、私は個人的にも何となく水木先生と不思議な縁があるのだ。学生時代を過ごした神戸という接点がまずあって、「水木」というペンネームが、実は貸本漫画家時代に住んでいた神戸市兵庫区の ”水木通り” から取られたという意外な話がそうだ(まったく知らなかった)。時代は違うが、私は家庭教師のアルバイトで地下鉄の新開地駅に近い水木通りあたりまで毎週通っていたことがあり、「水木」という地名を何となく覚えていたのだ。その話は単なる偶然だが、その後1970年代半ばに東京で結婚して、最初に入居した杉並の賃貸マンションのオーナーが武良(むら)さんという人だった。最初変わった名字だなと思ったが、なんとそれが水木先生の実の弟さん(水木プロのマネージャーだった)だと知って驚き、しかも入居したエレベーターなしの5階の部屋が、それまで水木プロが使っていた部屋だと聞いてさらに驚いた(オーナー家族は5階が入り口で、6階に住居があった)。

水木先生の本、奥さんの『ゲゲゲの女房』や、NHKドラマなどから推察すると、貧乏神に取り憑かれていた赤貧時代の後、60年代後半の「鬼太郎」のテレビアニメ化などで、当時ようやく金銭面で余裕ができてマンションを建てたということなのだろうか(神戸の水木通り時代にもアパートを経営していたようなので、弟さんも含めて安定した収入確保の手段だったのだろう)。入居後しばらくの間、元の部屋に設置されていた電話をそのまま借りていたら、「水木プロですか…」という電話が何本もかかってきたのを覚えている。7年間ほどそのマンションでお世話になり、子供たちもそこで生まれた。その間、マンションの管理をしていた弟さんの奥さんとは何度も会話していたが(玄関が隣だったので)、今はどうしておられるだろうか。そういうわけで、調布に住んでいた水木先生ご本人や、奥さんの布枝さんと実際にお会いすることはなかったが、本やテレビドラマに登場する弟さんやその奥さんは、なんだかまったくの他人のようには思えないのである。

2015年に亡くなった水木先生の第2の故郷で、鬼太郎にちなんだモニュメントやスポットがある調布市内は、なぜかこれまで歩いたことがない。今は、先生の命日11月30日に「ゲゲゲ忌」というイベントも開催しているらしいので、今年は先生が好きだった「ねずみ男」の年でもあるし、是非調布へ出かけて、生前に建てたという鬼太郎キャラたちに囲まれているお墓にお参りしたいと思っている。

2019/05/03

「サラリーマンNEO」と現代コント考

サラリーマンNEO
NHK (2006-11)
昔からギャグ漫画やコントが好きなので、昨年から今年3月までNHKで放送していた、過去のNHKコント番組を振り返る「コンとコトン」をずっと見ていたが、久々に「サラリーマンNEO」の再放送を見て笑った。堤幸彦監督の「トリック(TRICK)」(テレ朝 2000-) の刑事・矢部謙三以来、私は生瀬勝久のファンで、特に生瀬と池田鉄洋(たいていは部下役)がカラむコントが好きなので、今回の再放送でもずいぶんと笑わせてもらった。雨の降りしきる中、自宅玄関前でずぶ濡れになりながら、「普通の」サラリーマン生瀬の “弟子” にしてくれと哀願(?)して騒ぎまくる池田と、妙に冷静にそれに対応する生瀬のおかしな演技(<雨の降る夜に>)は、最初はピンと来なかったが、回を重ねるごとに、そのシュールで不条理劇的なおかしさにハマったコントだ。「サラリーマンNEO」には多くのシリーズもののコントやコーナーがあったが、人によって好んだシリーズは異なると思う(笑いのツボは個人によって違うので)。私はストーリーやキャラに凝るよりも、まず設定のおかしさとシンプルな笑いが好みなので、他に好きだったコントは報道番組<NEO EXPRESS>で、キャスター生瀬(報道男 ぬくいみちお)と中田有紀(中山ネオミ)とのやり取りとお約束のオチ、それに、これも中田有紀と田口浩正の<よく見る風景>だった。両方とも中田有紀のドS的キャラと雰囲気を見事に生かしたコントで、後者は空港でも旅行会社でもエステサロンでも、客の田口を高慢な態度であしらう受付嬢・中田とのやり取りに毎回大笑いした。もう一つ個人的に好きなコントは、これも田口と入江雅人の<博多よかばい食品物語>か。こちらはどことなくおかしい、という類の笑いで、田口浩正という人は存在そのものが既にしておかしい。どう見ても部長か役員風の平泉成が実は新入社員という「大いなる新人」も、設定そのもののおかしさと、平泉や生瀬の真面目にとぼける演技に毎回笑った。

生瀬勝久と池田鉄洋
(写真:逢坂 聡)
しかし「コンとコトン」で、生瀬勝久のコント作りと芸に対する厳しさを、池田をはじめとする出演者の多くが口を揃えて語っていたのが印象的だった。生瀬は関西出身だが、アドリブよりも徹底して作り込むタイプの演劇人なのだということがよく分かった。他の番組のユルいコントとの違いは、作品としてのコントへの拘りと真剣さが生む演劇的緊張感の故なのだろう。第一、生瀬はどんなにおかしな役柄を演じても、目が決して笑っていないところがすごい(コワい。時には狂気さえ感じる)。この番組は、レギュラー男優陣も女優陣も、皆さん普通の俳優さんばかりなのに、本当によくぞやったという名演技ばかりで(演じていて、どこが面白いのかよくわからない、というコメントにも笑ったが)、コントというものの奥の深さを教えてもらった。いくつかのコントに代表される「サラリーマンNEO」は、手法や出演者の性格は違うが、個人的には、バブル末期(昭和ー平成)の「夢で逢えたら」(フジテレビ)以来の、斬新な傑作コント番組だったと思う

夢で逢えたら
フジテレビ(1988-91)

日本のコントには歴史的にいくつかの流れがあると思うが、吉本新喜劇や浅草演芸系の舞台もの (私はこれも結構好きだ)、クレイジーキャッツからドリフターズという元ミュージシャン系のコント、それにお笑い芸人によるテレビ番組ものが主流で、その大部分は老若男女を問わず、大衆受けを狙った分かりやすいコントだった。それに対して「シャボン玉ホリデイ」-「ゲバゲバ90分」-「夢で逢えたら」-「サラリーマンNEO」、と(勝手な私的印象で)つながる流れは、いわゆる関西系のお笑いではないこと、コントに斬新さとヒネリがあり、どれも作り込みが凝っていたところ、そして基本的に子供や一般大衆受けよりも、一部の大人層にしか受けないシュールな(時にシニカルな毒を含む)笑いを最初から目指していたところが違うように思う。漫才、漫談など、コメディアンの喋りの反射神経、即興性と、ジャズ・ミュージシャンのインプロヴィゼーション(アドリブ)の近似性は洋の東西を問わず昔から指摘されているが、コントの場合は、台本、演出など、より構造的に強固な枠組みと筋書きが前提としてまずあるので、その中で演者個人がどうやっておかしさを表現するかは、プロの役者や芸人といえども相当難易度が高い世界なのだろうと想像する。「サラリーマンNEO」は、そういう見方からすると非常に演劇的で、出演者もお笑い系の人ではなく、ほとんどが普通の俳優さんたちであり、生瀬勝久を中心に、アドリブなしで、台本に忠実なきっちりとした演技で笑わせることをポリシーとして徹底していたのだろう。「サラリーマン」と銘打ってはいるが、どんな日本人の組織にも「あるある」的エピソードをネタにしているところも面白かった理由の一つだ。

しかしながら2011年以降、テレビの笑いは、はっきりと変質したように思う。3.11以降のこの8年間とは、“世相が許さない笑い” というものを、無意識のうちに皆が避けてきた(自粛してきた)時代なのだと思う。「笑ってる場合か?」という意識の蔓延である。その結果、すべてがどことなく無難で窮屈な笑いになって、バカ笑い(=くだらないことで大笑いする)ができなくなった。それまでの社会の安定した枠組みが崩れ、今や現実そのものがブラックで不条理に満ちているので、リアル過ぎて、不条理をギャグや笑いにしにくくなったということもあるだろう。もう一つは、(NHKを除き)インターネットに押されて番組制作費の制約が強まり、金が回らなくなって時間も手間もかけられず、テレビの笑いが刹那的になり、小粒化して、内向きになった(コント制作は、当然ながら非常に時間と費用がかかるそうだ)。一方の視聴者側も、SNSによる仲間内意識が閉塞感とこじんまり感を増幅し、彼らのネット上の監視による炎上恐怖が、ますます表現者側の萎縮に拍車をかけている。そして、特に若者がネットに流れ、テレビを見なくなったことも、もちろん大いに関係しているだろう。

根本的な見方をすれば、大衆が求める「時代の笑い」とは、そのときの国の経済状況(景況感)によって深層でもっとも大きな影響を受けるものだと思う。世の中の空気によって、個々人の基本的な「日常の気分」がほぼ決まるからだ。高度成長期の「シャボン玉ホリデイ」や「ゲバゲバ」、バブル時代の「天才たけし」や「ひょうきん族」や「夢で逢えたら」、ITミニバブル時代の「サラリーマンNEO」など、いずれも景気の良いイケイケの時代には、その時代なりの斬新さがあり、多少の毒もあり、しかし視聴者が安心して心底笑える、お笑いやコント番組が登場している。そして、景気が良いときは人間の喜怒哀楽のレンジ、もっと言えば文化のダイナミックレンジが拡大し、バカ笑いもあるが同時に深い洞察も存在する、というように社会の感性も多様化し、寛容度も増し、大衆のニーズも多彩になる。しかし景気が悪いときの笑いは、当然だが、どこか湿っていて、はじけないし、文化的ダイナミックレンジ全体が狭まり、何もかもがこじんまりしてしまうものだ。事実2008年のリーマンショック後になると、「サラリーマンNEO」も初期(2006年 Season 1)のコントにあった大胆さ、チャレンジ精神が徐々に薄れたし、お笑い番組全体の勢い、面白さにも翳りが出始め、それが3.11後の自粛ムードで決定的になった。現在の、低コスト井戸端会議的な芸人内輪ネタや、素人イジリのお笑いやバラエティ番組全盛時代はこうして生まれた。

誰も傷つけない健全な笑いが、世の中的には一番無難なのだろうが、人間の笑いの世界とは、そもそも多少のトゲや毒を孕んだものだと思う。関西系の笑いの文化とは、歴史的にこれを洗練させてきたものだろう。東側も、ビートたけしや爆笑問題はもちろんのこと、あの欽ちゃんですら、デビュー当時は大いに過激な毒を吐いていたのだ。しかし、今のまま出口の見えない格差社会が定着し、国全体の景気の良し悪しにかかわらず、大衆(特に若い世代) の基本的気分が低調な状態が続けば、笑いの世界も窮屈なままでいることだろう。だが人間の生活に笑いはいつでも必要だ。今後、新たなコント番組や笑いの探求者が登場して、今の笑いの閉塞感を打破する時代はやって来るだろうか? 日本も、没落後の大英帝国的喜劇 (「空飛ぶモンティ・パイソン」や「Mr.Bean」)のように、過激でブラックで、突き抜けた自虐的笑いの方向に向かう可能性があるのだろうか? 同じフィクションでも、小説やコミックやアニメではなく、生身の人間が演じる、不特定マスを対象とした無防備なテレビ・コントの時代はもう平成で終わり、こうした笑いは、映画や、小劇場などの閉じられた空間でしか見られなくなる運命にあるのだろうか? 

とはいえ多少の希望がないこともない。最近のNHKは、ドラマでも昔では考えられないような意欲的かつ斬新な作品を送り出しているし(「トクサツガガガ」、「ゾンビが来た…」、「スローな武士に…」など、どれも面白かった)、コムアイとスーパー・ササダンゴ・マシンというよく分からないコンビのユルいナビで進行してい「コンとコトン」をはじめ、お笑いやコントの振り返り番組もいくつか制作しているので、ひょっとしたら何か新しい企画を練っているのかもしれない。来年はオリンピック・イヤーで、世相も多少はポジティブになっているので、期待できるのかもしれない……というか、21世紀資本主義下の日本における革新的、挑戦的なテレビ番組は、BBCと同じく、もうスポンサー・フリーのNHKにしか期待できないのではなかろうか(今はネットを見ても、企業でも個人のページでも、宣伝だらけーしかも最近は動画だーで、うるさくて仕方ないので、自局の番組PR以外に宣伝のないNHKを見ていると、ほっとして気分が落ち着く)。「サラリーマンNEO」を生み出したYプロデューサーに続く、新しい感性を持った若い作家や演出家、あるいは堤幸彦やバカリズムのような才人が手がける、映画でもネット上でも見られない、シュールで笑える、大人向け深夜枠のドラマやコントをぜひ見てみたいものだ。

(追)…と書いていたら、連休中にそのバカリズムが、平成をネタにしたショート・コント的ドラマを本当にNHKでやっていた。喋りはともかく(?)、ドラマはやはり面白かった。

2018/06/02

NHK「ブラタモリ」と「日本縦断こころ旅」

今回もジャズとは直接関係のない話だが、独特の当意即妙の反応と、がちがちの決めごとを嫌い、基本的に ”適当で、ゆるい” 雰囲気醸し出す自然な振る舞いが、いかにもジャズを感じさせる人について。
このキャラも…

テレビ離れが指摘されて久しいが、私も最近テレビは、ニュースとドキュメンタリーとサッカー以外ほとんど見ない。お笑いが仕切る内輪ネタやイジリ中心のバラエティ番組は、どれを見ても新味がないのでもう飽きた(こっちの年のせいもあるが)。ドラマも同じような題材と俳優ばかりで興味が湧かないが、今季のNHK朝ドラ「半分、青い。」はリズムとテンポが良く、今のところは面白いので別だ。「あまちゃん」以来の出来だろう。漫画的だが、脚本も演出も、主人公も俳優陣もとても良い。少し前だが「ちかえもん」や「おそろし」といった時代劇、今も続編をやっている「京都人の密かな愉しみ」のように、これぞNHKという名作もたまにあって、このあたりはさすがだ。やはり基本的に脚本と演出が良ければ、質が高くて楽しめるドラマができる。ところがそのNHKが、業績好調を背景に調子に乗っているのかどうか知らないが、民放の "まがいもの" のようなちゃらちゃらした、しかもいかにも金をかけたような毒にも薬にもならないバラエティ番組を最近やたらと増やしているように見える。若者受けや視聴率アップを狙ったお気楽なエンタメ指向を強めた上に、民放の仕事まで奪ってどうするのか。最近はNHKブランドに引かれて集まるタレントも多くなったようだが、それを利用しているようにも見える。同じ金をかけるなら、ネットでは伝えられない硬派のニュースやドキュメンタリー、あるいは民放にはマネのできない、良質な大人の番組にもっと投入してはどうか。こちらはそのために長年受信料という金を払っているのだ。NHK自身が放映している海外のドキュメンタリーなどは、派手さはなくとも深く鋭い番組がたくさんあるし、制作手法としてもまだまだ学ぶべきところがいくらでもある。そうした中にあって、金も旅費以外たいしてかかっていない低予算番組のように見え、視聴者への媚びもなく、中高年の鑑賞にも耐え、しかもリラックスして楽しめる貴重な番組が、地上波の「ブラタモリ」と、BSの火野正平の「日本縦断こころ旅」だ。

「ブラタモリ」は、タモリとアシスタントの女性アナウンサーが日本各地を訪ねて、その土地ならではの隠れた地理、地質、歴史や面白さを、実際に現地の人や専門家(これがまた個性的な人が多くて面白いが、特に素人然とした人の方が面白い)の案内で歩きながら探り、引き出すという番組だが、タモリのオタク度満点の博識ぶりと反応と解説で、地学や歴史を笑いながら学べる教養番組でもある。この番組は酒を飲みながら見ると、なぜか非常に楽しめる。こうしてNHKに出演するようになったタモリは、昔と違って今や大物感がないわけではないが、それでも知性に裏打ちされ、かつ肩の力を抜いた本来のオタク的タモリは、普通のお笑い芸人と違って受けようとか、媚びようとかする気配がまったくないので、そのカラッとしたクールさが相変わらず素晴らしい。何より、タモリ本人がいちばん面白がっている様子が伝わって来るところがいいのだ。草彅剛のナレーションも、井上陽水のテーマソングも、番組コンセプト通りに力の抜けた感じで統一されている。開始当初はNHK的でやや硬い部分もあったが、徐々に「タモリ倶楽部」の、あの ”ゆるい” 味わいをあちこち散りばめるようになって、今や番組全体のトーンも安定している。最初緊張してぎこちない新アシスタントの女性アナウンサーが、いずれも徐々に番組のペースに慣れて、タモリ氏とぴったり息が合うようになってくるところも見どころだ(今度のリンダ嬢は少しタイプが違うが)。ただ彼女たちがどういう基準で選ばれているのかはわからないがNHK女子アナの出世コースデビューの場のようになって、背後のNHK的売り出し意図がどことなく見えるようになってきたことは、番組の素朴な面白さを損なうようで、私的には何となく抵抗を感じる最初からそういう意図があったのかも知れないし、タモリ氏との相性や好みも当然反映されているのだろうが)

一方火野正平の「こころ旅」は、自転車に乗った全員貧乏そうな(?)クルーが、これも日本の各県、全国津々浦々を走りながら視聴者の手紙に書かれた思い出の場所「こころの風景」を、夏冬の休憩期間を除き、雨の日も風の日も週4日間毎日訪ねるという趣向で、こちらも番組としてはスタッフの旅費以外たいして金はかかっていないだろう(夜の宴会はどうか知らないが)。名所旧跡に行ったり、上等な料理を食べて蘊蓄を語るわけでもなく、どこにでもあるような日本の町や村を、山坂超えて毎日一箇所訪れて、時にはしみじみとしながら手紙を読むだけの番組で、火野正平の昼食など毎日のようにナポリタンやオムライスだ(本人が好きなこともあるが)。貧富で言えば、タモリの番組より低予算だろうし(たぶん)、正平の体力だけが頼りの番組だが、こちらも正平氏の肩の力の抜き加減が絶妙だ。それに自転車目線の映像を見ていると、どことなく懐かしさを感じるあちこちの町や村の田舎の風景が毎回のように出て来る。正平氏も言うように、この番組がなかったら絶対に行かないような場所が毎日テレビで見られるのだ。自分が自転車に乗ってそこを走っているように思えてくるし、不思議なことに風の匂いまで感じられるような気がするときもある。この空気まで感じられるライブ感は他の番組では絶対に味わえない。生きもの、動物、草木への興味と意外な知識(妙に目が良くて、すぐに何か見つける)、特に昆虫から爬虫類、犬や猫、牛や馬、といった動物まで、生きもの人間の子供含)たちとの垣根をまったく感じさせない火野正平のほとんど小学生並みの野生児ぶりも見もので(相手も確かにそういう無防備な反応をするのだ)、これも子供時代を思い出して懐かしく感じる理由だろう。自虐ネタ、ダジャレ、下ネタやあからさまな女好きの性向、途中で出会う相手によって微妙に距離感を変える態度や反応(やはり構える人は苦手のようで、動物と同じく無防備な人が好みのようだ)、一方で、時折見せる子供のような純真さや温かな人間味など、とにかく正平氏の体力と同時に、その唯一無二とも言うべき自由な自然体キャラの魅力で持っている番組だ。当初は独特の正平ファッション(頭部以外)にも感心せず、たまにしか見なかったのだが、のんびりした展開や彼の人間性の魅力に段々と気づき、何よりリラックスできるので今ではすっかりファンになって毎日見ている(ファッションも以前よりだいぶ垢抜けた)。歌や音楽もなかなかいいので、番組のテーマ音楽CDまで買ってしまった。

「ブラタモリ」は放送開始後10年、「こころ旅」も既に7年になるそうで、両方とも今や立派な長寿番組だ。その間タモリ氏は72歳に、正平氏は69歳になり、普通のサラリーマンならとっくに引退している年齢である。それでも体を張って頑張るその元気さと好奇心に、中高年から絶大な支持と声援を得るのは当然だろう。両方とも旅番組の一種なのだろうが、あまたのその種の番組と違って、企画力と、知恵と、何より主人公のキャラの魅力で勝負していて、無駄に金をかけた感じがせず、作り物感のないライブ・ドキュメンタリーという印象を与えるところが共通している。片や、一見勉強はできるが陰で何やら怪しいことをしていそうな学級委員長、片や勉強は嫌いだが愛すべきクラスの悪ガキという、同じ面白さでも、いわば知と情という両者のキャラの対比も良い。それとおそらく、タモリと火野正平本人が番組の企画内容そのものに深く関与しているのだろう。それがNHKらしからぬ自由と自然さを番組に与えている。タモリ氏はたぶんもう金持ちだからいいだろうが、NHKはくだらないバラエティに金を使う代わりに、時代劇やドラマの仕事が減り1年の大半をこの番組に捧げていて、しかも日本中にファンがいる火野正平のギャラを上げるか、感謝の印としてたまには御馳走を食べさせたり、酒をたっぷり飲ませてやるとか(やっているのかも知れないが)、あるいはいつも前歯で噛んでいて、ついに抜けてしまったかに見える奥歯の治療費の援助でもしてやったらどうか(奥歯は番組のための彼の体力維持に必須だ。つまり治療は必要経費だ。多少痛いがインプラントを勧める。今ならまだ間に合う)。タモリ氏と正平氏には、こうなったら頑張って死ぬまで番組を続けてもらいたいものだと思う。

2018/01/10

藤圭子「みだれ髪」の謎

天才的な音楽アーティストというのは、常人には理解不能な面があるものだが、当然ながら本人に尋ねたところでそのわけが明らかになることはない。特に、普通に会話していると、まったく常人と変わらないごく普通の人なのに、いざ演奏なり、歌うことなり、その人が自分の「演技(performance)」を始めた途端に、神が降臨したとしか思えないような音楽が突然流れ出して唖然とするアーティストがいる。ジャズの世界にもそうした歌手や奏者がいるし、クラシックでも、昔、五嶋みどりのヴァイオリンを初めて生で聴いたときに、その種の驚きを感じたのを思い出す。音楽には人の心に直接的に働きかける不思議な力があるが、そうした特別な感動は、実はいわゆる「芸の力」とか「プロの技」というべき高度な技量によって生まれるものなのか、あるいは、それ以外の特別な「何か」が演奏中のアーティストを動かしているからなのか、素人には判然としない。最近いちばん驚いたのは、今から多分20年ほど前、1990年代半ばと思われる、あるテレビの歌番組に出演した藤圭子の唄う「みだれ髪」をネット動画で聴いたときのことだ。

藤圭子* 追悼:みだれ髪
YouTube 動画より
年末の船村徹の追悼番組で、東京ドームの『不死鳥コンサート』(1988年)で美空ひばりが唄う「みだれ髪」(星野哲郎・作詞、船村徹・作曲)を聴いて改めて感動したのだが、他の歌手も同曲をカバーしているのがわかったので、YouTubeであれこれ比べて聞いていたときに見つけた動画だった。『藤圭子 追悼:みだれ髪』と題されたこの動画がアップされたのは、藤圭子が自殺した1年後の2014年8月で、既に3年以上経ち、視聴回数は150万回を越えているので、私はずいぶん遅ればせながら見たわけだが、それだけ多くの人がこの動画を見ていることになる(おそらく、その素晴らしさから何度も繰り返し見ている人が多いと思う)。藤はこの曲をカバーとして正式に録音していないので、どのCDにも収録されておらず、聴けるのはテレビ番組をおそらくプライベート録画したこのネット動画だけである。調べたが、当時は宇多田ヒカルのプロデュース活動をしていた時期だったと思われ、90年代の後半は結構テレビに出演していたようだが、コンサートなどで藤自身が頻繁に唄っていた形跡もないようだ。同時期ではないかと思われるテレビ録画をアップした別のいくつかの動画では、他の曲を明るく唄ったり、屈託なく喋る普段の藤圭子の姿が映っているが、「みだれ髪」は唄っていない。したがって記録された藤圭子の唄う「みだれ髪」は、どなたかが投稿した、このときの貴重なテレビ録画映像だけなのだろう(確証はないが)。

番組の構成がそういう前提だったのかもしれないが、まず驚いたのは、この番組で藤が美空ひばりの曲を選んでいることだった。昔のカバー・バージョンが入った藤のCDを調べたが、美空ひばりの曲は見つからなかったので、それだけで珍しい。これも番組の設定なのだろうが、司会者など周囲に聴衆が座っている中、普段着のようなカジュアルな服装をして登場した多分40代半ばくらいの藤圭子は、カラオケのように右手でマイクを握り、イントロの最初の部分では特に変わったところはないが、中頃から、昔の藤ではたぶん見られなかっただろう、和装のときのような左手の「振り」を入れ始め、それが意外な印象を与える(この曲の世界に入ってゆくための儀式のようなものなのだろう)。そして「みだれ髪」の歌に入った途端、カジュアルな藤圭子はどこかに消え去り、あの懐かしい、哀愁を帯びた独特の声と節回しで、完全に「藤圭子のみだれ髪」を唄い出したのだ。聴いた瞬間に思わず引き込まれてしまうその歌唱は衝撃的だった。この曲は美空ひばりの歌のイメージしかなかったので、あまりの歌の世界の違いに唖然としたのである。

哀しい女の心情を切々と謳い上げる美空ひばりは、星野・船村コンビの世界をある意味忠実に、古風に、美しく表現しているのだと思う。それに対して、べたつかない乾いた抒情を感じさせながら、しかし心の底の寂寥と哀切を絞り出すように唄う藤圭子は、まったく別の、救いのないほど哀しい世界を瞬時に構築して、聴き手の心の真奥部を揺さぶるのである。同じ歌詞とメロディで、ここまで別の世界が描けるものかと驚くしかなかった。誰しもが言葉を失うほどのこの歌唱は、まさに「降臨」としか言いようのない、突き抜けた別の歌世界である。1番を唄い終えたとき、じっと静まり返っていたスタジオ中に一気に広がった何とも言えないどよめきと拍手が、いかにその歌が素晴らしかったのかを物語っている。そして、3番を唄い終えると(2番は飛ばしている)、藤圭子は何事もなかったかのように、いや、まるでカラオケで自分の唄う順番を終えた素人のように、にっこりして、照れたように飄々と自分の席に戻ってゆくのだ。私は彼女のこの一連の動作と、唄ったばかりの歌の世界とのギャップに呆然として、その謎を少しでも理解しようと、何度も何度も繰り返しこの動画を見ないわけにはいかなかった。「巫女」とか「憑依」とかいう言葉を、どうしても思い起こさざるを得なかった。

いったい藤圭子の「みだれ髪」にはどういう秘密があるのだろうか? なぜあれだけの歌が唄えるのだろうか? 私はジャズ好きで、美空ひばりや藤圭子の特別なファンというわけでもなかったので、えらそうなことは言えないが、ジャンルに関係なく、少なくともこの二人が歌い手として別格の存在であることはわかる。美空ひばりの没後、様々な歌手が同曲に挑戦しているのをネット動画で聴いた限り、当然のことだろうが美空ひばりに比肩するような歌はなかった。しかしこの当時、歌手活動は既にほとんど休業状態だったと思われる藤圭子がいきなりテレビに出演して、自分の持ち歌でもない、あの美空ひばりの名曲にして難曲に挑戦し、本人に勝るとも劣らない歌唱で平然と自分の歌のように唄ってしまうのである。美空ひばりのためにこの曲を書いたと言われている作曲者・船村徹が、もし藤のこの歌を聴いていたら、どんな感想を持ったのか知りたいと思って調べてみたが、この歌唱についての船村のコメントはネット上では見当たらなかった。そしてその船村徹も昨年亡くなってしまった。

流星ひとつ(文庫版)
沢木耕太郎
(2013/2016 新潮社)
あまりに不思議だったこともあって、沢木耕太郎が書いた『流星ひとつ』(新潮文庫)を、こちらも遅まきながら読んでみた。これは1979年、当時まだ31歳の沢木が、引退宣言後の藤圭子(28歳)とのインタビューを元に書き起こしたもので、諸事情から30年以上未発表だったが、彼女が自殺した直後の201310月に出版した本だ。私が翻訳した『リー・コニッツ』も含めて海外の音楽書籍ではよくある形式だが、日本では今でも珍しい、全編アーティストと著者による一対一の対話だけで構成されたこの本は、売ることだけを目的に書かれた芸能人の商業的なインタビュー本ではなく、一人のアーティストの内面と思想に真摯に迫る、当時としてはきわめて斬新なノンフィクションである。この形式の成否は、アーティスト本人の魅力以上に、聞き手側の人格と感性、さらに作家としての力量にかかっているが、若き沢木は見事に成功していると思う。そして、すべてとは言えないが、少なくとも私が抱いた彼女の歌の謎の一部はこの本で氷解した。

本の前半、少女時代から歌手になるまでの記憶のかなりの部分が、ある意味「飛んで」いて、その当時についていろいろ質問しても、藤は「覚えていない」を繰り返し、沢木を呆れさせている。歌についても「何も考えずに無心で歌っていた」と何度も言い、あの無表情なデビュー当時の藤圭子のままだ。ところが後半に入り、酒の勢いもあって徐々に打ち解けて来ると、「別に」、「記憶にない」とそっけない回答が多かった前半の藤の体温が上昇して行くかのように本音を語り始め、彼女の人生や人格に加え、歌手としての信条が次第に浮かび上がって来る。特に、歌の「心」について自らの信念を語る部分は圧巻だ。そして「面影平野」を例に、自分の「心」に響く(藤は「引っ掛かる」という言い方をしている)歌詞についてのこだわりもはっきり語っている。演歌に限らず、プロ歌手はみな歌の「心」を唄うとよく口にするが、実際に歌の表現としてそれを聴き手に伝えられるほど高度な技量を持つ人は一握りだろう。藤圭子はまさにその稀有な「表現者」の一人だったのだということを、これらの発言から改めて理解した。その生き方と同じく、曲そのもの(歌詞とメロディ)、歌手として唄うことに対するこだわりと純粋さ、ストイックさには感動を覚えるほどで、単に天才という一語ではくくれないものがあることもわかる(これはセロニアス・モンクをはじめ、どの分野の天才的音楽家にも共通の資質だろう)。

そして、インタビューの前半では言い渋っていた少女時代の家庭生活、特に父親に関する凄絶な体験と記憶、よく見る夢の話などを読んでいるうちに、逃げ出したいと思い続けていた過去、封印したいと思っていた原体験が、無表情で「何も覚えていない(=忘れたい)」藤圭子の表層を形成し、同時にあの底知れないような寂寥感を深層で生み出していたのだと思うに至った。少女時代の彼女は、よく言われる「151617と…」という、デビュー当時の月並みなイメージとは比べ物にならないほどの体験をしていたのだ。70年代前半の何曲かにみる圧倒的で、凄みのある歌唱は、いわば表現者として第一級の「プロの芸」と、人には言えない彼女の深層にある「原体験」が、「自分が共感する曲」の内部で接触し、化学反応を起こした瞬間に形となって現れるものだったのだろう。だから、どんな曲でもそれが起きたわけではないし、積み上げたプロの芸は維持できても、ショービジネスで生きるうちに、深層にあった原体験の記憶が時間と共に相対的に薄れ、与えられた曲の世界が変化してゆくにつれて、そうした反応が起こる確率も減って行ったと思う。79年の引退の引き金になったと藤自身が語る74年の喉の手術による声質の変化は、そのことを加速した要因の一つに過ぎないようにも思える。

それから約15年後にこの「みだれ髪」を唄ったときの藤圭子は、プロの芸にまだ衰えはなく、おそらく唯一崇拝していた歌手、亡き美空ひばりへのオマージュという特別な感情を心中に抱いていたのと同時に、星野・船村コンビによるこの曲そのものに、歌手として心の底から共感を覚えていたのだと思う。だから藤にとっては単なるカバー曲ではなく、純粋に「自分の歌」として唄った入魂の1曲だったのだと思う。ただし、少女時代からスターだった美空ひばりの唄う「哀しさ」と、藤圭子の唄う「哀しさ」は、やはり質が違うのである。若い時代、1970年代前半の藤圭子の歌も素晴らしいが、一時引退後の約15年間、別の人生(体験)を生きてきた40代の藤圭子が唄う、ただ一人、美空ひばりと拮抗するこの「みだれ髪」こそ、おそらく歌手としての彼女の最高傑作であり、たった数分間の画も音も粗いネット動画にしか残されていない、文字通り幻の名唱となるだろう。そして何より、この動画の中の藤圭子は、歌だけでなく仕草、表情ともに実に美しく、可憐ですらあり、その映像と歌が一体となったこの動画は、何度も繰り返し見たくなり、我々の記憶に残らざるを得ない「魔力」のようなものを放っている。150万回を越える視聴回数と数多くの賛辞は、それを物語っているのだと思う。 

この歌からまた15年以上が過ぎた後、藤圭子は自ら命を絶ってしまった。藤圭子とおそらく同等以上の才能を持ち、同じような人生を歩んでいるかに見える宇多田ヒカルの歌と声からは、母親と同種の哀切さがいつも懐かしく聞こえて来るので、今となってはその同時代の歌声だけが慰めだ。今年もまた年末、正月といつも通り時は過ぎて行ったが、そうして暮らしているうちに、天才歌手・藤圭子は遥か彼方へとさらに遠ざかって行くのだろう。