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2018/01/16

「長谷川きよし」を聴いてみよう

年末の船村徹の追悼番組以来、美空ひばり、藤圭子、ちあきなおみ…と演歌系の歌手の歌ばかり聴いてきた(ちあきなおみが唄う「都の雨に」も、船村徹らしい中高年の心の琴線に触れる良い歌だ)。それに今はテレビでYouTubeを見ているので、放っておくと次から次へと勝手に再生し、忘れかけていた歌や、懐かしい歌などが出てきて、ついつい聴いてしまい、止まらなくなってしまうのだ。しかし、昔の演歌や歌謡曲は素晴らしい歌もあるが、基本的に曲の構造がシンプルなものが多いので、続けて聴いているとさすがに飽きてくる。たまに自分で唄っていると、いつの間にか別の曲になってしまうほど、コード進行やメロディが似通っている曲が多いからだ。そこで、正月明けには真逆のようなインスト・ジャズ聴きにいきなり戻る前に、その前段として少し複雑な曲や歌が聴きたくなる。ただし私が好きなのは、独自の世界を持っている「本物の」歌手なので、そうなると大抵聴きたくなるのが、古いジャズ・ヴォーカルと、日本人なら長谷川きよしだ。

ひとりぼっちの詩
(1969 Philips)
長谷川きよしが<別れのサンバ>でデビューしたのは1969年で、対極にあるような歌の世界の藤圭子が<新宿の女>でデビューしたのと同じ年だ。この時代は日本の転換期のみならず音楽史上も最大の変革期で、とにかく若者の数が多く、ロックも、フォークも、グループサウンズも、演歌も、歌謡曲も、初期のJ-POPも、歌なら何でもありの混沌の時代だった。長谷川きよしもデビュー曲で一躍脚光を浴びたが、最初からいっしょくたにされた他のフォーク系の歌の世界とはまったく異質の歌い手だった。だから、いわば初めからある意味で「浮いて」いた。今でも時々「懐かしのフォーク」とかいう類の番組に他の歌手と出演することがあるが、当然ながらやはり「浮いて」いる。最初から独自の歌の世界を持った人であり、そもそも音楽の質が違うからだ。60年代に人気のあったシャンソン・コンクールの圧倒的な歌唱で入賞したのがデビューのきっかけになったように、当時から、彼を支持していたのはシャンソンやジャズなどを好む「大人の」音楽好き、あるいはそうした世界を好むほんの一部の若者であって、同時代の大多数の若者ではなかった。だから長谷川きよしの歌を好む人の層は今でも基本的に限られていると思う。要するに本質的に「大衆」を聴き手とする歌手ではないのだ。<別れのサンバ>で使っているような当時としては複雑なコードを、これもサンバ的リズムに乗せて、ガットギターで弾いて唄う歌手などあの頃の日本には一人もいなかった。シャンソン<愛の讃歌>や<そして今は>を、ギター一本で、大人びた陰翳のある歌唱で、しかもフランス語で唄う若い歌手などもちろんいなかった。だから新鮮だったかもしれないが、正直よくわからないと思った人が当時は多かったと思う。盲目の青年という売り出しイメージが先行したために、暗い歌ばかりのように思われていたが、長谷川きよしの歌の世界は当時のフォークのような日本的なものではなく、シャンソン、カンツォーネ、フラメンコ、サンバ、ボサノヴァ、ジャズなど世界中の様々な音楽の要素が混在した、もっと乾いた無国籍的な音楽で、いわばワールドミュージックの先駆だったのだ。妙な政治的メッセージもなく、四畳半的な貧乏くささもなく、日本的な暗さもなく、熱い青春応援歌でもなく、純粋に曲と歌の美しさだけが伝わって来るような、都会的でお洒落な「非日常」の音楽だった。ある意味リアリティのない音楽とも言えるが、そこが良いという人もいるわけで、超絶のギターとともに、豊かな声量と正確なピッチ、クセのない美声による本格的歌唱が、無色透明の非日本的世界を唄うのに適していた。そういう歌手は、それまでの日本には存在していなかったのだ。70年代初めの銀座の「銀巴里」で、目の前で、ギター1本で「大人の」歌を堂々と唄う、同年齢の長谷川きよしを初めて聴いたときの衝撃は今でも忘れられない。

透明なひとときを
(1970 Philips)
デビュー・アルバム『ひとりぼっちの詩』(1969)は<別れのサンバ>の他に、<冷たい夜にひとり>、<心のままに>、<恋人のいる風景>などフレッシュでシンプルだが、当時の歌の中では断トツで斬新な自作曲が並ぶ。中ではシングル盤B面だった<歩き続けて>が、やはり永遠のラヴソングというべき名曲であり、当時の年齢でしか唄えない名唱だ。2作目のアルバム『透明なひとときを』(1970)は、70年代の作品中ではもっとも完成度の高い傑作だ。ジャケット写真が表すように、デビュー作の暗い、孤独なイメージから一転して、お洒落なボサノヴァの<透明なひとときを>、ジャジーな<夕陽の中に>、<光る河>などの優れた自作曲、さらにジャズ風アレンジのシャンソン<メランコリー>、イタリアンではミーナの<別離>や<アディオ・アディオ>、さらにサンバ風<フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン>のようなカバー曲など、バラエティーに富んだ選曲も良い。いずれにしろ、当時まだ20歳の若者が普通に唄うような曲ではなかったが、彼の本質と歌の世界がもっとも良く表現されたアルバムだった。この初期2枚のアルバムで聴ける曲は、若く瑞々しい歌声もあって、ほとんどが今聴いてもまったく古臭さを感じさせず、それどころか、いまだに新鮮な曲さえある(これらの歌は、たぶん現在はコンピレーションCDで聴くことができる)。その後<卒業>、<黒の舟歌>などのヒット曲も、『サンデー・サンバ・セッション』のような楽しいアルバムもあったが、レコード会社の販売戦略もあったのか、徐々にポピュラー曲寄りで、長谷川きよし本来の美質が生かされていないような歌曲や演奏が増えてゆく。優れた自作曲も減り、迷走しているな、と当時感じた私は、確か70年代の後半、九段会館で行なわれたエレキバンドが参加したコンサートを最後に、彼を聴くのをやめたように思う。もう自分の好きな長谷川きよしの世界ではなくなっていたからだ。

ACONTECE
(1993 Mercury)
その後80年代には、歌手としてもいろいろと苦労したようだ。そして長谷川きよしと久々に再会したのが、バブルが終わった90年代であり、既に(お互い)40代になっていた。当時フェビアン・レザ・パネ(p)、吉野弘史(b)、ヤヒロトモヒロ(perc)というトリオをバックにしたユニットで活動していたが、NHK BSのテレビ番組にこのユニットで出演したときの演奏は実に素晴らしかった。「あの長谷川きよしの歌」が帰って来たと思った。そしてその最高のユニットでレコーディングしたアルバムが『ACONTECE(アコンテッシ)』(1993)である。共演陣の素晴らしさもあって音楽的完成度が高く、歌に集中した長谷川きよしの歌手としての実力がもっとも発揮された最高傑作であり、日本ヴォーカル史に残るレコードだと思う。藤圭子の「みだれ髪」でも思ったが、歌い続けている優れた歌手というのは、若いときの瑞々しい歌ももちろん良いが、技術も声も衰えていない40代の大人として円熟してきた時代が、やはりいちばん歌の表現も味わいも深まる。<バイレロ>、<別れのサンバ>、<透明なひとときを>といった初期の名作に加え、新作<別れの言葉ほど悲しくはない>、さらにいずれも自作の詞を付けたジルベール・ベコーのシャンソン<ラプサン>、ピアソラの<忘却 (Oblivion)>、そして極め付きはカルトーラの<アコンテッシ(Acontece)>で、まさに長谷川きよしにしか歌えない、彼の歌の世界を代表する名唱ばかりである。このCDはその後ずっと再発されずに来たが、今は長谷川きよしのコンサート会場だけで、限定販売されているようだ。

人生という名の旅
(2012 EMI)
その後はライブハウスを中心にした活動を続けていたようだが、2000年代に入ってから、椎名林檎が、あるライブハウスで唄う長谷川きよしを「発見」したことによって、予想もしなかった二人のコラボが実現するなど、再び陽の当たる場所に顔を出すようになった。私もこの時代からまたコンサートやライブハウスに足を運ぶようになった。仙道さおり(perc.)や林正樹(p)をバックにした当時の演奏は非常に楽しめた記憶がある。一時期さすがに衰えを感じたこともあったが、還暦を過ぎた近年はむしろ声量、ピッチともに安定し、美しい声も未だに維持していて、昨年出かけたコンサートでは素晴らしい歌を聴かせてくれた。当然だろうが、年齢と共にあの無国籍性も多少薄れ、歌もギターもどこか日本的になってきたように感じるときもあるが、そうは言っても、やはり歌手としての出自とも言える仄暗いシャンソン風弾き語りが、長谷川きよしがいちばん輝く歌世界であることに変わりはない。歌のバックに伴奏を付けるなら、ピアノがいちばん彼の音楽と声質に合うと思う。ギターを弾く手を休めて、歌だけに集中したときの長谷川きよしの歌唱は本当にすごい。私が好きな近年のアルバムは『人生という名の旅』(2012)で、<Over the Rainbow>や2010年のヨーロッパでのライヴ演奏も収録されているが、特に40年以上前の<歩き続けて>のカップルが、歳月を重ねた後のような<夜はやさし>が、優しくしみじみとしてとても良い曲だ。この曲はライヴで聴いたときも素晴らしかった。

エンタメ全盛の今は、テレビ番組にもレギュラー出演していろいろな歌を唄ったり(唄わされたり)しているし、YouTubeでも、画面にアップになったギターテクニックを含めた長谷川きよしが見られるが、やはり彼の真価はライヴ会場で唄う歌とギターにこそあり、歌手としての本当の実力もよくわかる。コンサート(小規模会場が良い)やライブハウスで、生で、身近で、彼の素晴らしい歌とギターを聴くのがいちばん楽しめるので、未体験の人は、近くで機会があれば、ぜひ一度出かけてみることをお勧めしたい。藤圭子やちあきなおみの歌はいくら素晴らしくとも、もはや二度と生では聴けないが、長谷川きよしはまだ現役の、それも「本物の」歌手であり、あの美声とギターで今も元気に唄い続けているのだから。

2018/01/10

藤圭子「みだれ髪」の謎

天才的な音楽アーティストというのは、常人には理解不能な面があるものだが、当然ながら本人に尋ねたところでそのわけが明らかになることはない。特に、普通に会話していると、まったく常人と変わらないごく普通の人なのに、いざ演奏なり、歌うことなり、その人が自分の「演技(performance)」を始めた途端に、神が降臨したとしか思えないような音楽が突然流れ出して唖然とするアーティストがいる。ジャズの世界にもそうした歌手や奏者がいるし、クラシックでも、昔、五嶋みどりのヴァイオリンを初めて生で聴いたときに、その種の驚きを感じたのを思い出す。音楽には人の心に直接的に働きかける不思議な力があるが、そうした特別な感動は、実はいわゆる「芸の力」とか「プロの技」というべき高度な技量によって生まれるものなのか、あるいは、それ以外の特別な「何か」が演奏中のアーティストを動かしているからなのか、素人には判然としない。最近いちばん驚いたのは、今から多分20年ほど前、1990年代半ばと思われる、あるテレビの歌番組に出演した藤圭子の唄う「みだれ髪」をネット動画で聴いたときのことだ。

藤圭子* 追悼:みだれ髪
YouTube 動画より
年末の船村徹の追悼番組で、東京ドームの『不死鳥コンサート』(1988年)で美空ひばりが唄う「みだれ髪」(星野哲郎・作詞、船村徹・作曲)を聴いて改めて感動したのだが、他の歌手も同曲をカバーしているのがわかったので、YouTubeであれこれ比べて聞いていたときに見つけた動画だった。『藤圭子 追悼:みだれ髪』と題されたこの動画がアップされたのは、藤圭子が自殺した1年後の2014年8月で、既に3年以上経ち、視聴回数は150万回を越えているので、私はずいぶん遅ればせながら見たわけだが、それだけ多くの人がこの動画を見ていることになる(おそらく、その素晴らしさから何度も繰り返し見ている人が多いと思う)。藤はこの曲をカバーとして正式に録音していないので、どのCDにも収録されておらず、聴けるのはテレビ番組をおそらくプライベート録画したこのネット動画だけである。調べたが、当時は宇多田ヒカルのプロデュース活動をしていた時期だったと思われ、90年代の後半は結構テレビに出演していたようだが、コンサートなどで藤自身が頻繁に唄っていた形跡もないようだ。同時期ではないかと思われるテレビ録画をアップした別のいくつかの動画では、他の曲を明るく唄ったり、屈託なく喋る普段の藤圭子の姿が映っているが、「みだれ髪」は唄っていない。したがって記録された藤圭子の唄う「みだれ髪」は、どなたかが投稿した、このときの貴重なテレビ録画映像だけなのだろう(確証はないが)。

番組の構成がそういう前提だったのかもしれないが、まず驚いたのは、この番組で藤が美空ひばりの曲を選んでいることだった。昔のカバー・バージョンが入った藤のCDを調べたが、美空ひばりの曲は見つからなかったので、それだけで珍しい。これも番組の設定なのだろうが、司会者など周囲に聴衆が座っている中、普段着のようなカジュアルな服装をして登場した多分40代半ばくらいの藤圭子は、カラオケのように右手でマイクを握り、イントロの最初の部分では特に変わったところはないが、中頃から、昔の藤ではたぶん見られなかっただろう、和装のときのような左手の「振り」を入れ始め、それが意外な印象を与える(この曲の世界に入ってゆくための儀式のようなものなのだろう)。そして「みだれ髪」の歌に入った途端、カジュアルな藤圭子はどこかに消え去り、あの懐かしい、哀愁を帯びた独特の声と節回しで、完全に「藤圭子のみだれ髪」を唄い出したのだ。聴いた瞬間に思わず引き込まれてしまうその歌唱は衝撃的だった。この曲は美空ひばりの歌のイメージしかなかったので、あまりの歌の世界の違いに唖然としたのである。

哀しい女の心情を切々と謳い上げる美空ひばりは、星野・船村コンビの世界をある意味忠実に、古風に、美しく表現しているのだと思う。それに対して、べたつかない乾いた抒情を感じさせながら、しかし心の底の寂寥と哀切を絞り出すように唄う藤圭子は、まったく別の、救いのないほど哀しい世界を瞬時に構築して、聴き手の心の真奥部を揺さぶるのである。同じ歌詞とメロディで、ここまで別の世界が描けるものかと驚くしかなかった。誰しもが言葉を失うほどのこの歌唱は、まさに「降臨」としか言いようのない、突き抜けた別の歌世界である。1番を唄い終えたとき、じっと静まり返っていたスタジオ中に一気に広がった何とも言えないどよめきと拍手が、いかにその歌が素晴らしかったのかを物語っている。そして、3番を唄い終えると(2番は飛ばしている)、藤圭子は何事もなかったかのように、いや、まるでカラオケで自分の唄う順番を終えた素人のように、にっこりして、照れたように飄々と自分の席に戻ってゆくのだ。私は彼女のこの一連の動作と、唄ったばかりの歌の世界とのギャップに呆然として、その謎を少しでも理解しようと、何度も何度も繰り返しこの動画を見ないわけにはいかなかった。「巫女」とか「憑依」とかいう言葉を、どうしても思い起こさざるを得なかった。

いったい藤圭子の「みだれ髪」にはどういう秘密があるのだろうか? なぜあれだけの歌が唄えるのだろうか? 私はジャズ好きで、美空ひばりや藤圭子の特別なファンというわけでもなかったので、えらそうなことは言えないが、ジャンルに関係なく、少なくともこの二人が歌い手として別格の存在であることはわかる。美空ひばりの没後、様々な歌手が同曲に挑戦しているのをネット動画で聴いた限り、当然のことだろうが美空ひばりに比肩するような歌はなかった。しかしこの当時、歌手活動は既にほとんど休業状態だったと思われる藤圭子がいきなりテレビに出演して、自分の持ち歌でもない、あの美空ひばりの名曲にして難曲に挑戦し、本人に勝るとも劣らない歌唱で平然と自分の歌のように唄ってしまうのである。美空ひばりのためにこの曲を書いたと言われている作曲者・船村徹が、もし藤のこの歌を聴いていたら、どんな感想を持ったのか知りたいと思って調べてみたが、この歌唱についての船村のコメントはネット上では見当たらなかった。そしてその船村徹も昨年亡くなってしまった。

流星ひとつ(文庫版)
沢木耕太郎
(2013/2016 新潮社)
あまりに不思議だったこともあって、沢木耕太郎が書いた『流星ひとつ』(新潮文庫)を、こちらも遅まきながら読んでみた。これは1979年、当時まだ31歳の沢木が、引退宣言後の藤圭子(28歳)とのインタビューを元に書き起こしたもので、諸事情から30年以上未発表だったが、彼女が自殺した直後の201310月に出版した本だ。私が翻訳した『リー・コニッツ』も含めて海外の音楽書籍ではよくある形式だが、日本では今でも珍しい、全編アーティストと著者による一対一の対話だけで構成されたこの本は、売ることだけを目的に書かれた芸能人の商業的なインタビュー本ではなく、一人のアーティストの内面と思想に真摯に迫る、当時としてはきわめて斬新なノンフィクションである。この形式の成否は、アーティスト本人の魅力以上に、聞き手側の人格と感性、さらに作家としての力量にかかっているが、若き沢木は見事に成功していると思う。そして、すべてとは言えないが、少なくとも私が抱いた彼女の歌の謎の一部はこの本で氷解した。

本の前半、少女時代から歌手になるまでの記憶のかなりの部分が、ある意味「飛んで」いて、その当時についていろいろ質問しても、藤は「覚えていない」を繰り返し、沢木を呆れさせている。歌についても「何も考えずに無心で歌っていた」と何度も言い、あの無表情なデビュー当時の藤圭子のままだ。ところが後半に入り、酒の勢いもあって徐々に打ち解けて来ると、「別に」、「記憶にない」とそっけない回答が多かった前半の藤の体温が上昇して行くかのように本音を語り始め、彼女の人生や人格に加え、歌手としての信条が次第に浮かび上がって来る。特に、歌の「心」について自らの信念を語る部分は圧巻だ。そして「面影平野」を例に、自分の「心」に響く(藤は「引っ掛かる」という言い方をしている)歌詞についてのこだわりもはっきり語っている。演歌に限らず、プロ歌手はみな歌の「心」を唄うとよく口にするが、実際に歌の表現としてそれを聴き手に伝えられるほど高度な技量を持つ人は一握りだろう。藤圭子はまさにその稀有な「表現者」の一人だったのだということを、これらの発言から改めて理解した。その生き方と同じく、曲そのもの(歌詞とメロディ)、歌手として唄うことに対するこだわりと純粋さ、ストイックさには感動を覚えるほどで、単に天才という一語ではくくれないものがあることもわかる(これはセロニアス・モンクをはじめ、どの分野の天才的音楽家にも共通の資質だろう)。

そして、インタビューの前半では言い渋っていた少女時代の家庭生活、特に父親に関する凄絶な体験と記憶、よく見る夢の話などを読んでいるうちに、逃げ出したいと思い続けていた過去、封印したいと思っていた原体験が、無表情で「何も覚えていない(=忘れたい)」藤圭子の表層を形成し、同時にあの底知れないような寂寥感を深層で生み出していたのだと思うに至った。少女時代の彼女は、よく言われる「151617と…」という、デビュー当時の月並みなイメージとは比べ物にならないほどの体験をしていたのだ。70年代前半の何曲かにみる圧倒的で、凄みのある歌唱は、いわば表現者として第一級の「プロの芸」と、人には言えない彼女の深層にある「原体験」が、「自分が共感する曲」の内部で接触し、化学反応を起こした瞬間に形となって現れるものだったのだろう。だから、どんな曲でもそれが起きたわけではないし、積み上げたプロの芸は維持できても、ショービジネスで生きるうちに、深層にあった原体験の記憶が時間と共に相対的に薄れ、与えられた曲の世界が変化してゆくにつれて、そうした反応が起こる確率も減って行ったと思う。79年の引退の引き金になったと藤自身が語る74年の喉の手術による声質の変化は、そのことを加速した要因の一つに過ぎないようにも思える。

それから約15年後にこの「みだれ髪」を唄ったときの藤圭子は、プロの芸にまだ衰えはなく、おそらく唯一崇拝していた歌手、亡き美空ひばりへのオマージュという特別な感情を心中に抱いていたのと同時に、星野・船村コンビによるこの曲そのものに、歌手として心の底から共感を覚えていたのだと思う。だから藤にとっては単なるカバー曲ではなく、純粋に「自分の歌」として唄った入魂の1曲だったのだと思う。ただし、少女時代からスターだった美空ひばりの唄う「哀しさ」と、藤圭子の唄う「哀しさ」は、やはり質が違うのである。若い時代、1970年代前半の藤圭子の歌も素晴らしいが、一時引退後の約15年間、別の人生(体験)を生きてきた40代の藤圭子が唄う、ただ一人、美空ひばりと拮抗するこの「みだれ髪」こそ、おそらく歌手としての彼女の最高傑作であり、たった数分間の画も音も粗いネット動画にしか残されていない、文字通り幻の名唱となるだろう。そして何より、この動画の中の藤圭子は、歌だけでなく仕草、表情ともに実に美しく、可憐ですらあり、その映像と歌が一体となったこの動画は、何度も繰り返し見たくなり、我々の記憶に残らざるを得ない「魔力」のようなものを放っている。150万回を越える視聴回数と数多くの賛辞は、それを物語っているのだと思う。 

この歌からまた15年以上が過ぎた後、藤圭子は自ら命を絶ってしまった。藤圭子とおそらく同等以上の才能を持ち、同じような人生を歩んでいるかに見える宇多田ヒカルの歌と声からは、母親と同種の哀切さがいつも懐かしく聞こえて来るので、今となってはその同時代の歌声だけが慰めだ。今年もまた年末、正月といつも通り時は過ぎて行ったが、そうして暮らしているうちに、天才歌手・藤圭子は遥か彼方へとさらに遠ざかって行くのだろう。

2018/01/08

女性ジャズ・ヴォーカル (2)ライヴ録音

楽曲の構成、ミスのない演奏、音質など、全体的な完成度から言えば、まだ音源をいじりまわさなかったモダン・ジャズ全盛期でも、一般にスタジオ録音のアルバムの方が優れているものだ。しかし、あまり「作られ感」が強いレコードは、ジャズのいちばんの魅力である即興性をそいで、演奏から音楽全体が持つダイナミズムを奪ってしまうことがままある。その点、ライヴ音源は演奏そのものだけでなく、「場と時間の音楽」というジャズの本質を自然に捉えた録音が多く、一度限りのその場の空気と、場を共有したプレイヤーと観客両者の息づかいまでも一緒にレコードの中に封じ込めたアルバムもたくさんある。もちろんジャズは実際ライヴで聴くのが最高なのだが、特にヴォーカル・アルバムにはそうしたライヴの魅力を、いながらにして楽しめる名盤が数多い。録音が臨場感に溢れ、リラックスしてまるで客の一人になった気分になれるかどうかが、私にとってはクラブ・ライヴ盤の良否であり醍醐味だ。歌詞を忘れたり、楽器をぶつけたり、マイクコードに足を引っ掛けたりというライヴならではのハプニングが時々起こり、アドリブでそれを笑って切り抜けたりする楽しさを、こちらもその場にいるかのように味わえるのもライブ録音ならではだ。

At Mister Kelley's
Sarah Vaughan
(1957 Mercury)
サラ・ヴォーンSarah Vaughan (1924-90) の『At Mister Kelley’s』(1957 Mercury)は、デビュー8年後、33歳という文字通り彼女の絶頂期に、シカゴのナイトクラブ「Mister Kelley’s」で録音されたライヴ・アルバムだ。彼女はクリフォード・ブラウン(tp)との共演盤(1954)をはじめ、既に何枚かの名盤を録音していたが、このライヴ盤では、ジミー・ジョーンズ(p)、リチャード・デイヴィス(b)、ロイ・ヘインズ(ds)という名人によるピアノ・トリオをバックにして、こじんまりした伴奏で親密に歌っているところが特徴で、サラの歌が本来持つ明るく伸び伸びした躍動感に加え、お得意のスキャットも聴けるし、高い技巧を駆使して非常に微妙なニュアンスまで表現しているところがいい。サラ・ヴォーンの魅力は、巧いのだが、そのテクニックをあまり前面に出さないで、やわらかな情感と適度なジャズっぽさを絶妙にブレンドした歌唱にある。また、<Willow Weep for Me>の途中で何かに躓いたか、何かが倒れたような大きな音をマイクが拾って、サラがすぐに歌に取り入れたりとか、ライヴ・レコーディングらしい楽しいお約束も楽しめるし、観客の笑いや拍手の反応など、あの時代のナイトクラブの雰囲気がよく伝わってくる。オリジナルLP9曲だったが、現CDは追加ボーナストラックで全20曲に「増量」されている。(CD追加トラックでは、ギターや一部ホーンも加わっているので、たぶん同じクラブの別セッションの演奏を録音したものを加えているのだろう。)いずれにしろ、サラ・ヴォーンとジャズ・ヴォーカルの魅力がたっぷりと詰まった名ライヴ・アルバムだ。

At the Village Gate
Chris Connor
(1963 FM)
白人女性ヴォーカルでは、クリス・コナーChris Connor (1927-2009)が、ニューヨークのイースト・ヴィレッジにあったジャズクラブ「Village Gate」で録音した『At the Village Gate(1963 FM) が素晴らしい。こちらはロニー・ボール(p)、マンデル・ロー(g)、リチャード・デイヴィス(b)、エド・ショーネッシー(ds)というカルテットが伴奏している。ロニー・ボールは元々トリスターノ派のピアニストだが、しばらくクリス・コナーの歌伴をしていた人だ。トリスターノ直系のクールで硬質なボールのピアノが、クリスのハスキーな声と、どちらかと言えばドライで滑らかな唱法に非常に合っていて、マンデル・ローのスウィンギングなギターも同じくクリスと相性がいい。クリス・コナーはクロード・ソーンヒル、スタン・ケントンなどモダンな白人ビッグバンドを経てデビューした後、スタジオ録音でも数多くの名盤を残している人だが、当時は30代半ばの女ざかりでもあり、その容姿と共に、このライヴ・アルバムは彼女の語りも多く入っていて、何より全体としてジャズクラブらしいリラックスしたムードが最高だ。付き物のハプニングとして、このアルバムでもクリスが歌詞を忘れる場面が<Black Coffee> で出てくる。前後半でEarly ShowLate Show2部構成になっており、ミディアムからアップテンポの前半、スロー・バラード中心の後半に分かれているが、前半は軽快に、後半はしっとりと、クリスはいずれも余裕たっぷりにこなしている。リラックスしてこの時代のジャズクラブの雰囲気を楽しめるいいアルバムです。

As Time Goes By
Carmen McRae
(1973 JVC)
3枚目は、1973年に来日中だったカーメン・マクレー Carmen McRae (1922-94)が、当時の「新宿DUG」で行なったピアノの弾き語りライヴ録音『As Time Goes By』JVC)だ。ジャズ・ヴォーカルの名盤として有名なレコードだが、今でも日本以外では簡単に入手できないようだ。元々ピアニストでもあったカーメンのピアノ技術の素晴らしさは知られていたが、当時常に同伴していた伴奏ピアニスト(トム・ガービン)の演奏に満足していなかったJVC側が、しぶるカーメンを口説き落として何とか弾き語りの録音にこぎ着けたという逸話がライナーノーツに書かれている。アメリカですら一度もやったことのない弾き語りを、しかもいきなりでアルバム1枚分も弾ける曲がないと最初固辞していたカーメンだったが、1曲だけでも…という熱意にほだされて思い出しているうちについに10曲以上のレパートリーが出てきた、ということだ。バラード中心の選曲で、カーメンの歌もピアノも実に素晴らしい。若い頃からエラ、サラのような派手さではなく、ビリー・ホリデイを手本に歌の表現力で生きてきたように、一行一行の歌詞を大事にして語るように唄うが、そのきれいな発音の英語は当時の他の黒人女性歌手にはなかなか聞けないものだ。したがって名盤『Great American Song Book』(1971 Atlantic)を典型的な例に、クラブ・ライヴで小編成のバックで唄うのが彼女には一番合っている。またニーナ・シモンと同じくピアノの実力もあったことから、一度弾き語りを聴いてみたい、という当時の日本側の興味と企画は実に的を得たものだ。独特の高音による金属的な声は好みが分かれるようだが、当時53歳で円熟期でもあり、その歌のうまさで声質はまったく気にならない。タイトル曲<As Time Goes By>もいいが、マーサ三宅さんも感動した<The Last Time for Love>の味わいがやはり素晴らしい。またオーディオファンの間では、ピアノの鍵盤に当たる彼女の爪の音まで収録されていると、評判になったほど優れた録音のアルバムでもある(多分それには良いオーディオ・システムが必要だろうが)。1970年代は、それまでレコードでしか聴けなかったアメリカのジャズのビッグネームが続々日本にやって来た時代で(本国で食えなくなってきたこともあって)、今思うと日本のジャズファンにとってある意味夢のような時代だった。それにしても、カーメンの録音に限らず、アメリカでは低評価だったプレイヤーや未発表音源の発掘など、バブル前70年代の日本のジャズ関係者は本当にいい仕事をしていたと思う。

2018/01/05

女性ジャズ・ヴォーカル (1)

ビリー・ホリデイやニーナ・シモンのような天才歌手以外にも、サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルド、カーメン・マクレーといった有名な黒人女性歌手がいて、名盤も数多く、昔はジャズ・ヴォーカルと言えばまずは彼女たちのレコードを聴いたものだ。ただこういう歌手は、日本人的には濃い、重い、と感じる人も多く、代わってもっと軽くて聴きやすい白人女性歌手も非常に好まれた。アニタ・オデイ、クリス・コナー、ヘレン・メリル、ペギー・リーといった人たちが代表的で、やはり本格的なジャズ・ヴォーカルが楽しめたが、それ以外にも、もっと軽くて、アクの弱い、しかしジャジーな味わいのある白人女性歌手も昔はたくさんいて、そういう歌手の世界もなかなか捨てがたいものだ(その分野のマニアも昔からいる)。私的には、日本の年末はやはり昔の演歌が似合うように思うが、正月に女性ジャズ・ヴォーカルを聴いて1年をスタートするのも悪くない。ただし時節柄、胃にもたれそうな重い歌より、やはり軽く爽やかな、古き良き時代の白人女性歌手の歌でものんびり聴いて過ごす方がいい。ジャズ臭は薄く、中にはポピュラー音楽に近いものもあるが、その代わり現代の歌からは絶対に聞こえてこない、何とも言えない味やノスタルジーが感じられ、たまに聴くと非常に癒されるのである。

Night in Manhattan
Lee Wiley
(1951 Columbia)
黒人以外の女性ジャズ・ヴォーカルとしてはミルドレッド・ベイリー Mildred Bailey (1907-51) がまず挙げられるが、やはり同じスウィング時代に登場した歌手としてはリー・ワイリー Lee Wiley (1908-75) がいちばん有名で、同じような生年だがベイリーより長生きしたこともあって、彼女はモダン・ジャズ時代になってから数多くのレコードを残している。したがって伴奏陣の演奏も古色蒼然としたものではなく、また容姿の印象もあって、ワイリーの歌唱はよりモダンで、あでやかで、かつエレガントだ。代表的なアルバムは、何をさておいても『Night in Manhattan』(1951 Columbia)だろう。素晴らしいジャケット・デザインと、1曲目<Manhattan>のワイリーのハスキーで、しっとりした歌声を聴いただけで、1950年前後のニューヨークにタイムスリップできる。ビバップ以降の、過激で高速のモダン・ジャズが全盛だった時代に、ニューヨークではこうしたゆったりしたヴォーカル・アルバムも作られ、楽しまれていたのである(まあ白人だけだろうが)。ワイリーのアルバムをもう1枚挙げるなら、『West of the Moon』(1956 RCA)だろう。こちらはストリングスをバックに、ワイリーもさらに脂が乗って素晴らしい歌唱を繰り広げており、ややこしい政治問題も顕在化していなかった、シンプルで、明るく、ゴージャスなハリウッド的アメリカ全盛期の空気がそのまま伝わって来る傑作アルバムだ。ノスタルジーあふれるアルバム・タイトル曲がことさら素晴らしい。

Sings Ballads
Rosemarry Cloony
(1985 Concord)
ローズマリー・クルーニー Rosemarry Cloony (1928-2002) は、歌手以外にも女優、タレントとしても活躍した人で、ジャズ、ポピュラー音楽の分野で数多くレコーディングしている。クルーニーの歌唱はとにかく何を歌っても「屈託がない」。声も発音も発声も情感も、くぐもることなく、妙な癖もひねりもなく、きれいに軽やかに出て来るので、こちらも何も考えずに聴け、素直に耳に届くが、やはりそこにはジャジーな味わいもある。これは歌手としての彼女の個性であり、それはそれですごいことだと思う。声質も歌唱もリー・ワイリーの延長線上にあるように感じるが、ワイリーよりは男性的かつクールで、アメリカ白人女性のジャズ・ヴォーカルを代表する人だと思う。西海岸のジャズ・ミュージシャンたち(Scott Hamilton-ts, Warren Vache-cor, Ed Bickert-g 他)によるセクステットが伴奏し、既にベテランになっていたクルーニーが有名バラードのみをゆったりと歌った『Sings Ballads』(1985 Concord)は、数多い彼女のアルバム中でも、そうした個性がいちばん良く出ているレコードだ。録音も非常にクリアで、ストレスがないので、ヴォーカル、ホーンの音色、ギターの響きを含めて、うるさいこと、細かいことを言わずに、ひたすらリラックスして楽しめる最良の女性ジャズ・ヴォーカル・アルバムの1枚である。

Where is Love?
Irene Kral
(1976 Choice)
もう一人素晴らしいと思う歌手はアイリーン・クラール Irene Kral (1932-78) だ。乳がんで亡くなる少し前、1974年に録音された『Where is Love?(Choice) は、彼女が残した最高傑作である。男性的で屈託のないローズマリー・クルーニーとは対照的で、アメリカ人女性とは思えないような屈託のある(?)実にきめ細かな情感を、歌詞一つ一つの言葉に乗せて歌う人だ。こういう白人女性歌手もいるのだ、と初めて聴いたときはびっくりした記憶がある。このアルバムでは、アラン・ブロードベント Alan Broadbent のピアノ伴奏だけで、どの曲もしっとりと語るように歌い上げている。いわばアメリカ風シャンソンの趣があって、小さなサロンで、彼女が目の前で歌っているような、非常に親密で不思議な感覚を覚えるアルバムである。トリスターノの弟子だったとは思えないような、歌に寄り添うブロードベントの非常に繊細なピアノも美しい。後年ダイアナ・クラールもカバーした<When I Look in Your Eyes>をはじめ、どの曲も素晴らしいが、個人的好みを言えば、やはり冒頭のごく短い<I like You, You’re Nice>の、語るがごとき歌唱が絶品だと思う。

ただ、これらの古いヴォーカル・アルバムは、どれもLPで聴くのとCD(データも)で聴くのとでは、やはり受ける印象がまったく違う(私は両方持っている)。LPで聴ける濃密な声や楽器の質感、場の空気が、どういうわけか電子化されると嘘のようになくなって、どこかさっぱりしてしまうのである。今のように、最初から音源を加工したりせず、アナログ盤を前提にしたほとんど手を加えていない録音なので、やはり音の鮮度が違う。LPレコードの人気が復活するのも当然だろう。特に昔のジャズ・ヴォーカルは、やはりアナログ盤で聴くと圧倒的に声がリアルになり、歌を聴く楽しみが倍化する。