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2019/05/07

映画『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード』を見に行く

たぶん、昔からの大方のジャズファンはそうではないかと思うが、レコードも散々聴き、関連情報も何度も見聞きし、伝記(『How My Heart Sings』, 1999, Peter Pettinger 著) も読んでいるので、正直、今更ビル・エヴァンスの伝記映画も……と思っていた。モンクと違って、エヴァンスには内外の文献情報だけでなく映像記録も多く、それをネット上でもかなり見ることができるので、DVDがあるのも知っていたが、持っていなかったのだ。しかし「日本だけの劇場公開」というコピーについ釣られて、(ヒマなこともあり)話題の映画『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード(原題 Time Remembered : Life & Music of Bill Evans)』(2015、ブルース・スピーゲル監督)を見に、連休中に吉祥寺まで出かけた。PARCO の地下に映画館(UPLINK)があるのもまったく知らず、一時住んでいて、その後もよく来た久々の吉祥寺では、ほとんど浦島太郎状態だった。人が多く、活気があって、雑然とした街並みは相変わらずだが、やたらと増えた知らない店やカフェやらで、周辺の景色はずいぶん変わっていた。そもそも、昔よく行ったジャズ喫茶 “Funky” は、このPARCOのあたりにあったのだ。今は少し移動した場所で飲食店(名前は “Funky” で同じ)になっているが、うす暗い地下で鳴り響いていたJBLパラゴンの強烈な音は今でも覚えている。1970年代半ばのことだ。

Live in Tokyo
CBS/Sony 1973
ビル・エヴァンス (1929 -1980) はもちろんその当時は現役で、何度か来日もしていた。前にもどこかで書いたが、私は確か二度目の来日時(1976年?)に、新宿厚生年金会館での公演を見たように思う。1973年の初来日時のレコード(郵便貯金ホール)の写真を見ると、もう髪と髭を伸ばしたあの70年代のエヴァンスの風貌なので、二度目もほぼこの姿で登場したはずだが、どういうわけかそれもよく覚えていない。そのときも、この映画のパンフも含めて写真によく使われているように、首を90度前屈してピアノにのめり込むような例の姿勢で弾いていたと思うのだが、実際そうだったと言い切る自信はない。単にそういう刷り込まれたイメージを反芻しているだけかもしれないし、あるいは実際にそうだった可能性もある。だが、いつの時代も、どんなジャンルでも、アーティストにとってそうしたイメージは大事だ。ひと目でその人だと認識できるヴィジュアル・イメージと、加えてジャズの場合は特に音そのもの、その人にしか出せないサウンド・イメージが重要である。何かに憑かれたように首を傾けてピアノを弾くビル・エヴァンスのヴィジュアル・イメージは、彼の人生を描いたこのドキュメンタリー映画の中でも ”正しく” 表現されていた。上映中ずっと流れ続ける、美しいが、常に深い翳のあるピアノ・サウンドも、まさしくエヴァンスの人生そのものを表現していた。

New Jazz Conceptions
1957 Riverside
この映画は、ロシア系移民の子孫であるエヴァンス の51年という比較的短い生涯を、駆け足で最初から辿るドキュメンタリーで(上映時間は1時間20分だ)、ほとんどがレコードを中心とした音源、残されたエヴァンスのインタビュー音声、演奏を記録した映像(たぶんテレビ)に加え、親族やミュージシャンたちへのインタビューで構成されている。ポール・モチアン(ds)、ジャック・デジョネット(ds)、ゲイリー・ピーコック(b)、チャック・イスラエルズ(b)など、エヴァンス・トリオで共演したミュージシャン、ジョン・ヘンドリックス(vo)、トニー・ベネット(vo)、ジム・ホール(g)、ビリー・テイラー(p)、ドン・フリードマン(p) などのエヴァンスと同時代のミュージシャンや、Riversideのプロデューサーだったオリン・キープニューズ(ずいぶん太って別人のようだ)、唯一の現役(?)ピアニスト、エリック・リードなどが次々に登場して、それぞれエヴァンスの音楽や行動についてコメントしてゆく。ただし、流れる音楽もそうだが、インタビュー画面も急ぎ足、かつ細切れ、つぎはぎのパッチワークのようで、画面展開が目まぐるしい印象があり、もっと各人のコメントをじっくりと聞いてみたい気がした。しかし、そのほとんどが故人となった今では、エヴァンスを語る彼らのコメントは貴重なものだし、動くスコット・ラファロ (b) の映像も良かった。親族や関係者(非ミュージシャン)たちのコメントは、これまで見たことがなかったし、身近な人間として彼らが見ていたいくつかの逸話が初めて聞けて、これらは興味深かった。エヴァンスの出自と家庭、内向的で利己的な性格、クラシックの知見がマイルス他のジャズ界に与えた音楽的影響、ジャズの世界で繊細な白人が美の探求者として生きる過酷さ、生涯抜け出すことができなかったドラッグの泥沼など、ある程度知っていたことではあるが、映像でそれらを年代順に辿ると、あらためてエヴァンスに対する様々な思いが浮かんでくる。映画館のスクリーンが予想外に小ぶりで拍子ぬけしたが、器が小さいこともあって、音量を含めた音響面に関する不満はなく、ピアノ、ベース、ドラムス、各楽器の音が、それぞれ深く、かつクリアにバランスよく聞こえた。唯一の不満は日本語字幕の表示で、背景が明るいとよく読めない画面がかなり多かった(こっちの年のせい?)。たぶんテレビ映像では問題ないのかもしれないが、映画館のスクリーンでは、これは問題だろう。もう少し何とかならなかったものだろうか。

Everybody Digs Bill Evans
1959 Riverside
音楽面では、代表的レコードをかなりの枚数取り上げていたが、これもダイジェスト版CDのようで目まぐるしく、エヴァンスのレコードや演奏をよく知るジャズファンは別にして、馴染みのない人たちのために、もっとじっくりと聞かせる方がいいのではないかと感じた(元のDVDがそういう作りなので仕方がないが、モンクの映画ではもっと個々の演奏をきちんと聞かせている)。今振り返れば、晩年の一部の演奏を除き、基本的にエヴァンスの作品に駄作はなく、すべてが素晴らしいとしか言えないが、スコット・ラファロ と共演したRiversideの諸作は当然として、私的エヴァンス愛聴盤は①『New Jazz Conceptions(1956)、②『Everybody Digs Bill Evans(1958)、そして③『Explorartions(1961)というピアノ・トリオ3枚である(数字は録音年)。溌溂として、新鮮で、切れ味の良い①、ジャズ・ピアノにおけるバラード・プレイの極致と言うべき演奏が収められた②、三者の深く味わいのあるインタープレイが全編で聞ける③の3枚は、何度聴いても飽きるということがない。映画でも、特に②と③が名盤として紹介されていたが、意外だったのは、私がいちばん好きな③が、実は三人(エヴァンス、ラファロ、モチアン)の人間関係がぎくしゃくしていた時に録音されたものだ、という話だった。これは知らなかったので帰ってから確認すると、伝記にもそういう逸話が短く書かれていた。ラファロからも注意されていたように、エヴァンスのドラッグ耽溺が原因だった。このアルバムに聞ける、何とも言えない憂い、沈潜したムードと不思議な緊張感が漂う美は、そのことが背景にあったからのようだ。これが、体調も良く、みんなで仲良くやっていれば良い演奏が生まれるわけではない、というジャズの持つ不思議さなのだろう(演奏者自身のその時の意識と、聴き手側が受け取る印象の違いということでもある。こうした例はジャズではよくある)。また、若きエヴァンスが風にそよぐカーテンの向こうから端正な顔でじっとこちらを見ている、一見、知的で静かで美しいが、どことなくこの世の世界とは思えないような不思議な印象を与えるジャケット写真が、実はゴミため のように乱雑なエヴァンスのアパートメント自室内で、いちばんそれが目立たない窓際で撮られたものだった、というエピソードも実にエヴァンス的だ。つまり、内部(精神)に満ちた混沌、葛藤と、外部に向けて表現された美の世界(演奏)とのギャップである。ただし、エヴァンス的にはそれで ”均衡” していたのだとも言えるが。

Explorations
1961 Riverside
ビル・エヴァンスの人生は、大まかなことはほぼ知っているので、映画の中にそれほど目新しいエピソードはなかった。エヴァンスには、セロニアス・モンクのような神話や謎めいた逸話はなく、モンクの傑作ドキュメンタリー映画『ストレート・ノー・チェイサー Straight, No Chaser』(1988、クリント・イーストウッド制作)のように、本人の日常の行動を間近に追った映像記録も映画中にほとんどないので、映像そのものに特に新鮮な驚きはない。ただ、盟友スコット・ラファロの事故死(1961年)によるショックから徐々に立ち直り(ドラッグからは逃れられなかったが)、70年代に入ってから再婚して子供も生まれ、束の間の幸福そうな結婚生活の一部を記録した映像は、初めて見たこともあって、その明るい雰囲気が意外であり非常に印象的だった。それがエヴァンスの人生で最良の瞬間だったのかもしれない。しかしそのときでさえ、長年にわたって彼を支えてきた前妻(内縁)の自殺(1973年)という死の影をエヴァンスは引きずっていたのである。その後、再びドラッグに溺れ、新しい家族とも別れ、さらに幼少期から彼のただ一人の庇護者であり、敬愛してきた兄の自殺(1979年)という一撃で、エヴァンスの人格と人生は完全に崩壊する。

チャーリー・パーカー以降、モダン・ジャズ時代のジャズマンの多くがドラッグで破滅的人生を送ったのは周知のことで、エヴァンスもその一人だった。しかし同じように生涯ドラッグ漬けで、最後には肉体も精神も崩壊したセロニアス・モンクの人生が、全体に奇妙で、おぼろげで、くすんだような色彩なのに、どこかゆったりとして、その音楽同様に明るさとユーモアさえ感じさせるのと対照的に、この映画で描かれている死をモチーフにしたかのような人生、そしてリー・コニッツが指摘したように、何かに追われるがごとくオンタイムで前のめり気味に弾くピアノと同じく、に急いだエヴァンスの人生の印象は、ずっと暗く沈んだ色調のままである。その色調こそが、まさしくエヴァンスが弾くピアノの根底にあるもので、ジャズファンが愛するビル・エヴァンスの、ピュアで、深く、沈み込むような濃い陰翳を持つサウンドの美しさは、そうした彼の人生から生まれたものだったことがよくわかる。

2019/05/03

「サラリーマンNEO」と現代コント考

サラリーマンNEO
NHK (2006-11)
昔からギャグ漫画やコントが好きなので、昨年から今年3月までNHKで放送していた、過去のNHKコント番組を振り返る「コンとコトン」をずっと見ていたが、久々に「サラリーマンNEO」の再放送を見て笑った。堤幸彦監督の「トリック(TRICK)」(テレ朝 2000-) の刑事・矢部謙三以来、私は生瀬勝久のファンで、特に生瀬と池田鉄洋(たいていは部下役)がカラむコントが好きなので、今回の再放送でもずいぶんと笑わせてもらった。雨の降りしきる中、自宅玄関前でずぶ濡れになりながら、「普通の」サラリーマン生瀬の “弟子” にしてくれと哀願(?)して騒ぎまくる池田と、妙に冷静にそれに対応する生瀬のおかしな演技(<雨の降る夜に>)は、最初はピンと来なかったが、回を重ねるごとに、そのシュールで不条理劇的なおかしさにハマったコントだ。「サラリーマンNEO」には多くのシリーズもののコントやコーナーがあったが、人によって好んだシリーズは異なると思う(笑いのツボは個人によって違うので)。私はストーリーやキャラに凝るよりも、まず設定のおかしさとシンプルな笑いが好みなので、他に好きだったコントは報道番組<NEO EXPRESS>で、キャスター生瀬(報道男 ぬくいみちお)と中田有紀(中山ネオミ)とのやり取りとお約束のオチ、それに、これも中田有紀と田口浩正の<よく見る風景>だった。両方とも中田有紀のドS的キャラと雰囲気を見事に生かしたコントで、後者は空港でも旅行会社でもエステサロンでも、客の田口を高慢な態度であしらう受付嬢・中田とのやり取りに毎回大笑いした。もう一つ個人的に好きなコントは、これも田口と入江雅人の<博多よかばい食品物語>か。こちらはどことなくおかしい、という類の笑いで、田口浩正という人は存在そのものが既にしておかしい。どう見ても部長か役員風の平泉成が実は新入社員という「大いなる新人」も、設定そのもののおかしさと、平泉や生瀬の真面目にとぼける演技に毎回笑った。

生瀬勝久と池田鉄洋
(写真:逢坂 聡)
しかし「コンとコトン」で、生瀬勝久のコント作りと芸に対する厳しさを、池田をはじめとする出演者の多くが口を揃えて語っていたのが印象的だった。生瀬は関西出身だが、アドリブよりも徹底して作り込むタイプの演劇人なのだということがよく分かった。他の番組のユルいコントとの違いは、作品としてのコントへの拘りと真剣さが生む演劇的緊張感の故なのだろう。第一、生瀬はどんなにおかしな役柄を演じても、目が決して笑っていないところがすごい(コワい。時には狂気さえ感じる)。この番組は、レギュラー男優陣も女優陣も、皆さん普通の俳優さんばかりなのに、本当によくぞやったという名演技ばかりで(演じていて、どこが面白いのかよくわからない、というコメントにも笑ったが)、コントというものの奥の深さを教えてもらった。いくつかのコントに代表される「サラリーマンNEO」は、手法や出演者の性格は違うが、個人的には、バブル末期(昭和ー平成)の「夢で逢えたら」(フジテレビ)以来の、斬新な傑作コント番組だったと思う

夢で逢えたら
フジテレビ(1988-91)

日本のコントには歴史的にいくつかの流れがあると思うが、吉本新喜劇や浅草演芸系の舞台もの (私はこれも結構好きだ)、クレイジーキャッツからドリフターズという元ミュージシャン系のコント、それにお笑い芸人によるテレビ番組ものが主流で、その大部分は老若男女を問わず、大衆受けを狙った分かりやすいコントだった。それに対して「シャボン玉ホリデイ」-「ゲバゲバ90分」-「夢で逢えたら」-「サラリーマンNEO」、と(勝手な私的印象で)つながる流れは、いわゆる関西系のお笑いではないこと、コントに斬新さとヒネリがあり、どれも作り込みが凝っていたところ、そして基本的に子供や一般大衆受けよりも、一部の大人層にしか受けないシュールな(時にシニカルな毒を含む)笑いを最初から目指していたところが違うように思う。漫才、漫談など、コメディアンの喋りの反射神経、即興性と、ジャズ・ミュージシャンのインプロヴィゼーション(アドリブ)の近似性は洋の東西を問わず昔から指摘されているが、コントの場合は、台本、演出など、より構造的に強固な枠組みと筋書きが前提としてまずあるので、その中で演者個人がどうやっておかしさを表現するかは、プロの役者や芸人といえども相当難易度が高い世界なのだろうと想像する。「サラリーマンNEO」は、そういう見方からすると非常に演劇的で、出演者もお笑い系の人ではなく、ほとんどが普通の俳優さんたちであり、生瀬勝久を中心に、アドリブなしで、台本に忠実なきっちりとした演技で笑わせることをポリシーとして徹底していたのだろう。「サラリーマン」と銘打ってはいるが、どんな日本人の組織にも「あるある」的エピソードをネタにしているところも面白かった理由の一つだ。

しかしながら2011年以降、テレビの笑いは、はっきりと変質したように思う。3.11以降のこの8年間とは、“世相が許さない笑い” というものを、無意識のうちに皆が避けてきた(自粛してきた)時代なのだと思う。「笑ってる場合か?」という意識の蔓延である。その結果、すべてがどことなく無難で窮屈な笑いになって、バカ笑い(=くだらないことで大笑いする)ができなくなった。それまでの社会の安定した枠組みが崩れ、今や現実そのものがブラックで不条理に満ちているので、リアル過ぎて、不条理をギャグや笑いにしにくくなったということもあるだろう。もう一つは、(NHKを除き)インターネットに押されて番組制作費の制約が強まり、金が回らなくなって時間も手間もかけられず、テレビの笑いが刹那的になり、小粒化して、内向きになった(コント制作は、当然ながら非常に時間と費用がかかるそうだ)。一方の視聴者側も、SNSによる仲間内意識が閉塞感とこじんまり感を増幅し、彼らのネット上の監視による炎上恐怖が、ますます表現者側の萎縮に拍車をかけている。そして、特に若者がネットに流れ、テレビを見なくなったことも、もちろん大いに関係しているだろう。

根本的な見方をすれば、大衆が求める「時代の笑い」とは、そのときの国の経済状況(景況感)によって深層でもっとも大きな影響を受けるものだと思う。世の中の空気によって、個々人の基本的な「日常の気分」がほぼ決まるからだ。高度成長期の「シャボン玉ホリデイ」や「ゲバゲバ」、バブル時代の「天才たけし」や「ひょうきん族」や「夢で逢えたら」、ITミニバブル時代の「サラリーマンNEO」など、いずれも景気の良いイケイケの時代には、その時代なりの斬新さがあり、多少の毒もあり、しかし視聴者が安心して心底笑える、お笑いやコント番組が登場している。そして、景気が良いときは人間の喜怒哀楽のレンジ、もっと言えば文化のダイナミックレンジが拡大し、バカ笑いもあるが同時に深い洞察も存在する、というように社会の感性も多様化し、寛容度も増し、大衆のニーズも多彩になる。しかし景気が悪いときの笑いは、当然だが、どこか湿っていて、はじけないし、文化的ダイナミックレンジ全体が狭まり、何もかもがこじんまりしてしまうものだ。事実2008年のリーマンショック後になると、「サラリーマンNEO」も初期(2006年 Season 1)のコントにあった大胆さ、チャレンジ精神が徐々に薄れたし、お笑い番組全体の勢い、面白さにも翳りが出始め、それが3.11後の自粛ムードで決定的になった。現在の、低コスト井戸端会議的な芸人内輪ネタや、素人イジリのお笑いやバラエティ番組全盛時代はこうして生まれた。

誰も傷つけない健全な笑いが、世の中的には一番無難なのだろうが、人間の笑いの世界とは、そもそも多少のトゲや毒を孕んだものだと思う。関西系の笑いの文化とは、歴史的にこれを洗練させてきたものだろう。東側も、ビートたけしや爆笑問題はもちろんのこと、あの欽ちゃんですら、デビュー当時は大いに過激な毒を吐いていたのだ。しかし、今のまま出口の見えない格差社会が定着し、国全体の景気の良し悪しにかかわらず、大衆(特に若い世代) の基本的気分が低調な状態が続けば、笑いの世界も窮屈なままでいることだろう。だが人間の生活に笑いはいつでも必要だ。今後、新たなコント番組や笑いの探求者が登場して、今の笑いの閉塞感を打破する時代はやって来るだろうか? 日本も、没落後の大英帝国的喜劇 (「空飛ぶモンティ・パイソン」や「Mr.Bean」)のように、過激でブラックで、突き抜けた自虐的笑いの方向に向かう可能性があるのだろうか? 同じフィクションでも、小説やコミックやアニメではなく、生身の人間が演じる、不特定マスを対象とした無防備なテレビ・コントの時代はもう平成で終わり、こうした笑いは、映画や、小劇場などの閉じられた空間でしか見られなくなる運命にあるのだろうか? 

とはいえ多少の希望がないこともない。最近のNHKは、ドラマでも昔では考えられないような意欲的かつ斬新な作品を送り出しているし(「トクサツガガガ」、「ゾンビが来た…」、「スローな武士に…」など、どれも面白かった)、コムアイとスーパー・ササダンゴ・マシンというよく分からないコンビのユルいナビで進行してい「コンとコトン」をはじめ、お笑いやコントの振り返り番組もいくつか制作しているので、ひょっとしたら何か新しい企画を練っているのかもしれない。来年はオリンピック・イヤーで、世相も多少はポジティブになっているので、期待できるのかもしれない……というか、21世紀資本主義下の日本における革新的、挑戦的なテレビ番組は、BBCと同じく、もうスポンサー・フリーのNHKにしか期待できないのではなかろうか(今はネットを見ても、企業でも個人のページでも、宣伝だらけーしかも最近は動画だーで、うるさくて仕方ないので、自局の番組PR以外に宣伝のないNHKを見ていると、ほっとして気分が落ち着く)。「サラリーマンNEO」を生み出したYプロデューサーに続く、新しい感性を持った若い作家や演出家、あるいは堤幸彦やバカリズムのような才人が手がける、映画でもネット上でも見られない、シュールで笑える、大人向け深夜枠のドラマやコントをぜひ見てみたいものだ。

(追)…と書いていたら、連休中にそのバカリズムが、平成をネタにしたショート・コント的ドラマを本当にNHKでやっていた。喋りはともかく(?)、ドラマはやはり面白かった。