ページ

2021/08/28

英語とアメリカ(5)リモート

英語の会議では「テーマ」が前述のように、具体的<<<抽象的というレベルの順で難しくなるし、「相手の数」が1人< 少人数<< 大人数、 という順で当然難易度も上がる。1対1なら、質問しながらでも何とかして議論できる可能性は高いだろう。しかし相手の人数が増えるにつれて、通常は会話のスピードが上がり、やり取りが複雑化するので、徐々に質問するのさえ難しくなる。また議論そのものの難度だけでなく、長時間ずっと英語で聞き、考え、喋るという頭脳の疲労がそこに加わるので、「普通の日本人」では疲れ切ってしまって、とても議論などついて行けなくなることが多い(そこに、やたらと長い夜の会食まで加わると、もうへとへとになる。ただし、いずれも「場数と慣れ」の問題でもある)。

Blues People
LeRoi Jones
(Amiri Baraka)
私がいた米国系企業がそうだが、上司や経営者層と重要案件を協議する場合、現地社員は自分の言葉(ネイティヴ言語)ではなく、「支配階層の言語」しか使えない。ということは、いくらこちらの意見が正しいと思っても相手の方が(当然ながら)英語がうまい(?)ので、結局は議論でも負ける可能性が高くなる(もちろん力関係もある)。相手にも優秀な人もいれば、そうでない人もいる。どう考えてもこちらの言い分の方が妥当だと思えるのに、単に相手の方が英語がうまいというだけで、結局は議論に負けて不本意な決定になるのは本当に悔しいものだ(人にもよるのだろうが、私の場合)。戦後日本の進駐軍時代や、世界各地の植民地時代の被統治民もおそらく同じような心境だっただろう――もっと言えば、西アフリカから奴隷としてアメリカ大陸に連れて来られた黒人たちは、こうして自分たちの唯一のアイデンティティだった「言語」を剥奪され、隷属させられたのか……とまあ、大袈裟に言えば、ついジャズのルーツにまで思いを馳せるような苦しい経験を何度もした。バイリンガル環境で育った日本人、あるいは若い時から英会話を徹底して訓練してきた人たちを除けば、100%の英語環境の中に一人で置かれた大方の日本人は、一度はきっと、こうした自己に対する無力感、無能感、ついには諦念(もう、しょうがないか…)に近い心情を抱くのではないだろうか。

私の場合もっとも必要だったのは、社外の人(顧客など)と交流、交渉するための英語ではなく、また(ずっと日本勤務だったので)外人上司や同僚との世間話でもなく、あくまで社内における「業務上のコミュニケーション」(協議、会議等)のための英語だ。したがって「目指した英語」とは、日常会話などは二の次で、とにかく英語ネイティヴと「普通に協議でき」、重要テーマなどにおける「議論で負けない、説得力のある英語」だった。そして、いろいろと試した結果、それを可能にするのは、結局のところロジック(論理)しかない、と思うに至った。ただし日本語で頭の中で考えたことを、そのまま英語に変換して説明しても彼らには理解しにくい。表音文字アルファベットを一つ一つ組み立てる、という英語圏的ロジックに置き換えて説明しなければならない。そのロジックさえしっかり組み立てれば、英語の表現自体が多少下手でも十分に意思は伝わるし、西欧人は、そうしたロジックに沿ってさえいれば、少なくともこちらの言い分を聞こうとするし、理解できるからだ。

そのロジックを鍛えるのにいちばん良い方法は、メール、レポート、論文、何でもいいが、下手でもいいから「英語の文章をたくさん書く」ことだと思う。自分の考えを、「簡潔に、論理的に」英語の文章として書き出す訓練を続け、仮に重要な議論の機会があれば、事前にその「文章」を相手に渡して説明しておく。口頭だけの議論だと、瞬時に良い言葉やフレーズが見つからないケースがよくあるが(語彙が少ないのでアドリブがきかない)、こうしておけば、こちらの基本的な考えは事前に理解されるので、会議では互いの疑問点だけに絞って議論できるし、文章での表現が会話時のフレーズにもロジックにも自然と生きてきて、説得力が増す。この手法は経験上も非常に有効だった。

……とまあ、エラそうに書いてきたが、実を言えば、私も当初は英語の会議に出席するのが本当にイヤで仕方がなかった。何せ実際に英語中心の仕事になったのは40歳を過ぎてからで、読み書きはともかく、もっと若い時から英会話を学習しておけば、と何度思ったかわからない。たぶん100%外資なら諦めもついて、言語も思想も思い切ってすべて米国流に従えば、それほど躊躇したり悩むこともなかったのだろうが、日米双方に片足を置いて、両親会社や日本人の上司や社員に忖度しながら仕事を進める合弁会社は本当にややこしいのである。

合弁会社勤務で身に付けたもう一つの個人的スキルが「PC」だ。米国親会社は、まだ郵便と電報による海外交信が普通だった1980年代(インターネットが普及する前)から、至急案件の場合に専門オペレーターに原稿を渡し、文章で交信したそれまでの通信方式「テレックス (telegraph-exchange) 」に代わって、IBMの「PROFS」という、コンピュータ画面にキーボードで文字を直接入力して、「瞬時に」海外と英文で交信できるEメールの前身ツールを使い始めていた。電話や自動車、さらにインターネットと、長距離通信や移動のための機器をアメリカが次から次へと発明したのは、日本の狭い国土とは正反対の「広大すぎる国土」という地理的制約のゆえだったのは明らかだろう。「見える顧客」よりも、「見えない市場」というビジネス上の視点や概念も同じだ。つまり建国時代から、先のよく見えない「フロンティア」と「リモート」への挑戦こそが、アメリカ文化や産業のキーワードであり、やがてこれがインターネットとデジタル革命という、国境を超えたグローバル化思想へとつながる。もちろん次は宇宙がその対象である(これらの技術開発の大前提に、軍事があることは自明だ)。

その後'90年代になると、親会社では事業のグローバル展開とインターネットの普及に合わせて、部長や役員といった役職とは関係なく、英語のメールは当然として、PCをツールとして使った仕事を要請されるようになった。米国企業では、日本と反対で一般的に上に行けば行くほど管理職がよく働くというのは本当だ。若い部下や秘書任せではなく、自分でWord、Exel、PowerPointなどの使い方を勉強し、資料を作り、それを使ってプレゼンするのである。もちろん、これは’90年代のデジタル革命後の、すべてが忙しくなってからの話だ。また給与体系も年功序列の日本と違って、リーダー層の地位、労働量と給与がシンクロしている。つまり忙しいが、給料も高い。さらに「SAP」のような、コンピュータによる先進的な全社的業務&リソース・マネージメント・システム(ERP)も'90年代後半から導入していたし、20年以上も前から、PCで作成したプレゼン資料をインターネットを通じてリアルタイムで画面表示する普通のPC端末と、複数参加者が互いの発言をやりとりできる国際電話だけを使った「グローバル電話会議」を、世界各地(米、欧、アジア)を直結して毎日のように実施していた。「リモート」が普通の彼らは、日本人のように「相手の顔が見える、見えない」、ということにはあまりこだわらないので、コスト高だったテレビ会議ではなくとも、業務コミュニケーション上はそれで十分だったのである。

もちろん会議はすべて英語なのでこちらは疲れるし、米国中心なので時差の問題はアジアがいちばん不利だが(夜間、深夜になる)、その点を除けば、まったくシームレス、タイムレスな国際会議が可能だった。もちろん会社だけでなく、インターネット環境と普通のPCと電話さえあれば自宅からも参加できたので、夜中に会社にいる必要もない。つまり、世界(日本)のどこに住んでいようと会議参加はできた。だからグローバル電話会議が終わった時点(日本では真夜中が多かった)で、普通はネットにつながったPC画面上で会議要点をまとめた資料や議事録(WordやExel) はもう完成していた。もちろん、それを稟議書にまとめてハンコをついて回して承認する、というような日本的プロセスも必要ない。

これは最近の話ではなく、今から10年、20年も前のアメリカの会社の「実話」である。デジタル時代になってから随分時間が経っているにもかかわらず、いまだに全員顔を合わせる「対面協議」を重視し、だらだらと続ける日本の会議や打ち合わせ、意志決定プロセスの非効率さとスピードの遅さは、信じ難いほどである(そこがいい、という意見があることは承知の上で)。コロナ禍のおかげで現在、日本でもやっと普及しつつあるテレワークやオンライン会議(飲み会含む)もそうだが、たとえば「電話では失礼だ」というビジネス上の慣例にも見られるように、声や資料だけでなく「相手の顔が見えないと、どこか落ち着かない」という対面重視の日本文化、日本的感覚が、(それが良い悪いという問題とは別に)これまで日本における業務のデジタル化を遅らせてきた大きな要因の一つだろう(今はヴィジュアル情報の通信技術が劇的に進化したので改善されつつあるが、これまではトータルで、どうしてもコスト高になった)。

コロナ禍で、通信とPCのインフラ、その活用方法が日本でもようやく一般化し、今後リモートワークの環境はさらに改善されてゆくだろう。住環境の面から見ても、狭い国であるにもかかわらず、毎日、満員電車で何時間もかけて一斉に定時に出勤して一箇所に集まり、顔を合わせて仕事をした後(しかも残業までして)、また何時間もかけて帰宅する、という慣習を変え(られ)ない大都市圏のサラリーマンの膨大な、無駄と思えるエネルギーも大きな問題だ。米国親会社のほとんどの社員は、(田舎ということもあって)遠くても車でせいぜい30分以内の通勤時間であり、残業もほとんどしない。一方の日本人は、通勤も含めて毎日の生活に時間的ゆとりがないので、疲れ切ってしまい、どうしても目の前のことにしか関心が向かわず、長期的なこと、根本的なこと(観念的、抽象的なこと)をじっくりと考える余裕も、習慣もなくなるのではないだろうか(その分、憂さ晴らし的な業務後の飲食が増える)。おまけに昔と違って今や国も貧乏になり、給料もまったく上がる気配のない日本の勤労者の生活(QL)は、つくづく貧しいと思う。

だが民間企業レベルはまだマシで、コロナ、ワクチン、オリンピック等の国家的課題への取り組みのトップで旗を振るべき日本政府、政治家、官公庁のデジタル化への意識と体制は、もはや手遅れと言ってもいいくらい世界的に見て遅れている。ワクチン接種のドタバタが示すように、コロナ禍が、昔ながらのモノ作り優先思想で、デジタル技術とソフトを「社会的ツール」として真に活用してこなかった日本の立ち遅れを一層目立たせているが(米国どころか中韓台にも遅れを取っている)、これを多少改善する効果があるなら、災い転じて……になるのかもしれない。しかしデジタル技術そのものではなく、ソフトや活用面、制度設計における日本の(意識を含めた)立ち遅れは明らかで、その改善策を本気で講じない限り、この国の将来は本当に危ういだろう。(続く)

2021/08/12

英語とアメリカ(4)英語を使う

ところで、日米の合弁企業にもいろいろとタイプがあるだろうが、その一つだった会社で働いた経験からすると、普通はダブルスタンダード、アイデンティティ不鮮明、二重人格的……すなわち「どっちつかず」という中途半端な企業に陥る可能性が高いように思う。私がいた会社は’90年代になって米国型に変身後、常にそうした問題を抱えながらも、幸いなことに事業としてはまずまずの結果を残し続けたが、この「日本法人の日米合弁企業だが、実質的にアメリカ側株主が事業を主導する」という特殊な(?)会社の業務で「学習」したことは多い。ネガティヴな面は(複雑すぎて)書きにくいので、ポジティヴな面だけを挙げれば、大きな個人的財産になったスキルはやはり「英語(読み書き、英会話)」で、もう一つは、日本の普通の会社より今でも10年は進んでいると思われる経営、業務上ツールとしてのコンピュータの利用と、それに支えられた「個人用パソコン(PC)」の使用だ。特に英語は社員共通の体験だったが、私のように当初「外資」を意識していたわけではない世代にとっては、いわば後付けの強制課題であり、誰しもが非常に苦労したが、そのおかげで身に付いたスキルと言える。

ただし英語もPCも、仕事上の必要性からあくまで実用本位で習得しただけなので、正直言って大したレベルではない。だが少なくとも、同世代の普通の日本人に比べたら多少はマシだろうと思う。それと、何十年もの間、米国企業とその組織内部で「生きた英語」に接してきた体験は、机に向かって本やテキストだけで学習する英語とは少し違うものだろうという気がする。おかげで世界中に知人、友人もでき、この歳で、今もこうしてPCに向かってブログや翻訳原稿を書いている。定年後はジャズ本の翻訳を趣味を兼ねて始めたが、原書の著者をインターネットでアドレスを調べて探し、英語メールで直接やり取りして翻訳を許可してもらい、また原文の意味を確認したりもしている。Macを使ったPCオーディオを20年来楽しんできたのも、PCの基礎知識を一応は身に付けているからだ。米国親会社は、携帯電話からスマホ系へつながるモバイル機器のグローバル業務への導入も圧倒的に早かった(もっとも私は、SNSは必要ないのでやらないし、今のスマホは小さすぎて、見にくいし使いにくいので、少ない外出時とオーディオ用リモコン以外はあまり使わないが)。

グローバルな事業展開をしていた米国親会社は、アメリカや日本以外に、ヨーロッパにも研究開発や生産の拠点があったので、ヨーロッパ各国の社員も相当数いたし、アジアの各国にもかなりの数の社員がいた。製造業という米国では古い業態の会社であったにも関わらず、こうして米・欧・アジアという世界中の人たちと共同で、グローバルな視点で、アメリカ流の自由な流儀で仕事をする解放感と面白さは、狭い日本で、日本型組織と人脈のしがらみの中で、あれこれ気を使いながら、ちまちま進める仕事とは雲泥の差があった。’90年代後半の5年間ほどは、アジア各国にいた部下たちと一緒にアジア市場を対象にした仕事をしていたが、個人的にはこの時代が会社員生活でいちばん楽しかった。海外で仕事をした経験のある人なら誰もが感じると思うが、互いに英語さえ使いこなせたら、相手がどの国の誰であろうとコミュニケーションができるという「実感」は、絶大な意識改革を人間にもたらす。非ネイティヴのアジア人同士だと、英語はコミュニケーションのための単なる実用的「変換記号」と同じで、お互い怪しげな発音でも文章でも、下手なりに十分に意思疎通ができるのである。当時のアジアの仲間とは今も交流が続いているし、一言でいうと、英語を通じて文字通り「世界」が広がる。

しかし上司や同僚など、英語ネイティヴの欧米人相手の場では、単純な意思疎通レベルではなく、時には意見(価値観)の異なる相手を説得して、自分の「主張」を通すことができるレベルの英語スキルが必要になる。たとえば、日本市場の実情に合わない米国流事業戦略を、強引に押し進めようとするときなどがそうだが、当然そこには緊張も摩擦も生まれ、互いに納得するのは簡単ではない。普通の日本人からすると、何よりも、複雑で微妙なテーマであるがゆえに、「自分の言語」で自由に相手に考えを伝えられない歯がゆさ、もどかしさ、苦しさをつくづく味わうことになる。私の場合こうした議論では、口頭の日本語を100とすれば、英語だと、せいぜい頑張っても70-80くらいしか、自分が真に言いたいことを伝えられなかった気がする。自分なりの考えや意見を持ち、日本語の弁舌にも優れている人ほど、それを伝える「英語能力」が足らないと、言語表現上のギャップを強く感じ、フラストレーションを感じるだろう。

当たり前だが、「外国語の習得」とは、言語を自分の頭で考えて「創作」できるようになることではない。結局のところ、言語上の約束事(文法)を「学習し」、目(reading)と耳(hearing)を「訓練」しつつ、「意味を理解し」それを「記憶し」、いかにしてネイティヴの正しい書き方 (writing) と話し方 (speaking) の「マネをするか」ということだ。だから「習うより慣れろ」、つまり言語スキルとは頭ではなく体験して身に付けることで、当然ながらそれには時間がかかる。「あっと言う間に聞き取れる、喋れる…」とかいう英会話学校の宣伝などウソもいいところで(もちろん、どんなレベルの会話かによる)、文字通り「語学に王道はない」のである。だから地道な努力が苦手な人は、なかなか外国語を習得できないだろうと思う。「読み書き」は一人でもなんとか学習できるが、物理的な対人接触時間に比例する聞き(hearing)、話す (speaking) 能力は、今ならいくらでも教材があるが、当時は海外駐在でもしない限り本当には身に付かない時代だったので、ずっと東京勤務だった私の場合、会議や出張を通じて「場数」を積み、学習するしかなかった。

しかしコミュニケーション技術という観点からすれば、何と言ってもいちばん重要なのは、「読む」能力と、「聞く」能力だろう。当たり前だが、まず相手が何を言わんとしているのか分からなかったら、どうにもならないからだ(最初の頃の会話では頓珍漢な返事をして、ずいぶんと恥をかいたりしていた)。「相手の話の主旨」さえきちんと把握できれば、非ネイティヴとして「書く、話す」は、仮に表現力が多少拙くても、相手のネイティヴ側はなんとか理解できるものだ。昔から言われているように、「読む」こと、特に「多読」「速読」こそが外国語習得にはもっとも効果的方法だと経験上も思う。それが「聞く」能力も同時に高める、という相乗効果が期待できるからだ(文芸作品などの「精読」は、さらにその先にある)。

英語を「話す」能力も、ただペラペラと英語だけ流暢ならいいわけではなく、ビジネスでも、個人的なことでも、内容の伴った会話(自分の頭で考えたこと)でなければコミュニケーションとしての意味がない(すぐに人格上のメッキがはがれる)。また欧米人は、言語上の有利さだけでなく、会議(conference/meeting;日本流の "儀式" ではなく、文字通りの "議論 discussion" や "討論 debate" )を延々と、何時間でも、さらに泊まり込みで何日間でも続けられる体力(?)と技術を身に付けている。日本人にはそもそもそういう習慣も文化もないし(せいぜい「朝までナマ…」程度だ)、何でも口に出すお喋りは「はしたない」という美意識と思想がある。むしろ互いの腹をさぐりながら着地点を目指す「阿吽の呼吸」的対話を好むので、「多弁」を要する長時間協議は精神的にも肉体的にも苦痛で、苦手なのだ。

おまけに企業でも上層部になればなるほど、当然ながら会議の議題は日本人好みの分かりやすく具体的なテーマよりも、企業理念、ビジネスコンセプト、戦略、リーダーの R&R といった、日本人がもっとも苦手とする(時に中身がない、空論だと軽蔑さえする)「観念的で抽象的な」テーマ中心になる。特に米国のビジネス・リーダー層は、細部のあれこれに詳しい人よりも、まず「大きな絵」 (grand design, big picture) を描ける人、つまり全体を俯瞰し、長期的視点で基本的コンセプトを考え出し、それを人に分かりやすく説明し、説得できる能力を持つ人でなければならないので、大手企業のマネージャークラスなら、誰でも滔々と(内容は別として)自分のアイデアを語れる。またそうしたコンセプトを実際に効果的にプレゼンする技術も、若い時から訓練し、身に付けている。

いかにも役人が書いたような、中身のない気の抜けた原稿を棒読みするだけの日本の首相挨拶や答弁と、アメリカ大統領のスピーチを比較するまでもなく、これは政治の世界でも同じだ。あるいは今回のオリンピック開会式と閉会式の、(物悲しくなるほど)残念な演出に見られるように、全体的コンセプトと伝えるべきキー・メッセージをいかに表現するかということよりも、超ローカル視点の「細部へのこだわり」ばかり優先し、演目相互の関係性がまるで感じられない細切れシーンの寄せ集め、といった表現方法における文化的差異も同じだ。

近所のスーパーのチラシのような、テレビワイドショーのごちゃごちゃとした、あれもこれも詰め込んだ、やたらと細かなボード資料を見るたびにそう思う。「盆栽」や「弁当」に代表されるように、小さなスペースにぎゅっと詰め込んだ小宇宙――これこそが、やはり日本的文化や美意識の根底にあるものなのだろう。だから、唯一言語を超えたユニバーサルな会話が可能な「科学技術」の世界を除くと、他のカルチャーのほとんどが、珍しがられることはあっても、他民族にはほぼ理解不能であり、世界の主流になることは難しい。個々のコンテンツとして見れば、世界に誇れるユニークな文化や、斬新なアイデアを持つ有能なクリエイターが数多く存在するにも関わらず、一つのコンセプトの下でこれらを束ねて、それを効果的にプレゼンするという思想と技量が日本には欠けているのである。

日本人は、「知識」(分かっていることをまとめる力)はあっても、「観念的、抽象的議論」(よく分かっていない、目には見えないものを想像する力が必要)に慣れていないし訓練もされていない。要はプラグマティック(実用本位)で、「哲学や思想を語る」ことに価値を置かない(たいてい「時間の無駄」「変人」だとして一蹴される)。学校や会社でも、ほとんどそうした議論をする機会がないし、日本語そのもの、その日本語に適応した我々の「脳」も、どうもそういう構造になっていないような気がする。きちんと論理で組み立てて行く手間をすっ飛ばし、刹那的「単語」を記号のように並べて交信する現代の短文SNS文化がその傾向をさらに助長している。日本人が国際的な場でほとんどリーダーになれない最大の要因は、言語能力だけではなく、こうした思考と表現方法にあるように思う(本ブログ2017年4月「英語を読む」ご参照)。(続く)