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2019/04/28

徒然なるピアノ・トリオ(2)

Dodo's Back
Dodo Marmarosa
1962 Argo
ドド・ママローサ Dodo Marmarosa (1925-2002) は、異色の経歴を持った白人(イタリア系)ピアニストで、有名というわけでもなく、私が持っているCDはこの『Dodo’s Back』(1962 Argo) 1枚である。1940年代から活動し、才能を認められながらも、例によってドラッグで人生を棒に振ったジャズマンの一人らしいが、若いときから精神的に不安定な部分があったようだ。これは1960年代初めにドラッグの世界から復帰した直後に録音されたレコードで、タイトルもそれを表しているが、この1枚の記録ゆえに、彼は今でもこうして名前と共に残されたレコードが紹介されている。その後またジャズシーンから消え、ついに復帰しなかったそうだが、こうしたジャズマンの逸話は数多く、音楽家の実人生と生涯の記録というものは、才能の有無にかかわらず、おそらく昔も今も似たようなものなのだろう。演奏は典型的なバップの流れを汲むものだが、このレコードの魅力は、たとえば<Cottage for Sale>に聞けるように、そうした彼の複雑な人格や人生体験が影響しているのか、演奏の中に終始どことなく何とも言えない哀感を滲ませているところだ。聞き流すこともできるが、思わず聞き入ったり、しばらくするとまた聴きたくなったりする、不思議な引力を持っているレコードである。録音もArgoらしい小気味の良い硬質な音で録られている。

South of the Boarder,
West of the Sun
Claude Williamson
1992 Venus

クロード・ウィリアムソン Claude Williamson (1926-2016) は、白いパウエルと呼ばれたほどの、完全なバップ系のピアノ奏者で、1950年代から60年代初めにかけて、西海岸で多くのレコードを録音していた。一時シーンを離れ、その後70年代に復帰してからは日本のInterplayレーベルを中心に数多く録音している。西海岸の白人らしいアクの少なさが、聴きやすく日本で好まれた理由の一つでもあっただろう。『国境の南・太陽の西 South of the Boarder, West of the Sun』(1992)というタイトルのこのレコードは、村上春樹の同名恋愛小説から取ったもので、日本のVenus Recordsによる企画アルバムだった。(もっとも、このタイトルの元ネタは、ジャズ・スタンダード曲でもある "East of the Sun, West of the Moon"なのだろう。私はリー・ワイリーの歌が好きだ。だが、そのまた元ネタは、ノルウェイのおとぎ話らしい)。ここに挙げたジャケット写真は私が持っているオリジナルとは異なり、最近再発されたバージョンである。しかし、こうしたアクの少ない、軽く乾いた印象のピアノ・トリオは、本でも読みながら聞き流すにはちょうど良く、結構飽きずに何度も聞いている。ただ私が所有しているオリジナルCDの録音は、美しくクリアな音だが、少々軽い(細い)印象がある。

Haunted Heart
Eddie Higgins
1997 Venus
エディ・ヒギンズ Eddie Higgins (1932-2009) は地味なピアニストだったが、90年代以降、これも日本のVenus Recordsの企画によって、初めて日本で広く知られるようになった。評判が良かったらしく、その後何枚も続けざまに発売されたので、よく覚えていないくらいだが、私が好んでよく聴くのは初期の『魅せられし心 Haunted Heart』(1997)と、『アゲイン Again』(1998)2枚で、両盤ともよく知られたスタンダード曲中心の演奏だ。『魅せられし心』(Ray Drummond-b, Ben Riley-ds)は、ビル・エヴァンスの『Explorations』での名演で有名なタイトル曲<Haunted Heart>や、<Stolen Moments - Israel>のメドレー、さらに<How My Heart Sings>など、ジャズファンの喜びそうな選曲で、それを小難しくなく、メロディ優先で聞きやすく弾いているがゆえに、時々聴きたくなるアルバムだ。「カクテル・ピアノとは言わせないぞ」的な、Venus特有の太い低域録音も、この当時はまだ適度でバランスもよく、オーディオ的な快感も大きかった。特に<Stolen MomentsIsrael>メドレーは、オリヴァー・ネルソン/ビル・エヴァンス他の『Blues and the Abstract Truth』(Impulse! 1961)と、ビル・エヴァンスの上記アルバムの<Israel>のメロディが頭にこびりついているジャズファンには、懐かしさもあり、何度聞いても気持ちが良い。今はこの初期の2枚をカップリングしたCDも発売されている。

Gildo Mahones Trio
1991 Interplay
ギルド・マホネス(1929-2018) の『Gildo Mahones Trio』(1991)も、日本のInterplayレーベルから発売されたピアノ・トリオ。これは寺島靖国氏が何かで紹介していたアルバムで、氏のおかげで、当時はこうしたマイナーだが味のあるピアノ・トリオをずいぶんと教えてもらった。今はジャケット・デザインを変えて別の会社から発売されているが、中身は同じだろうと思う。本人もそうだが、ボブ・メイツ(b)、ジョニー・カークウッド(ds)という奏者も、寡聞にして私はよく知らない。ギルド・マホネスは、Wikiで調べても、レスター・ヤングやコールマン・ホーキンズと共演していたり、50年代後半にチャーリー・ラウズのLes Jazz Modeに参加していることくらいしかわからない。しかし20世紀半ば以降のアメリカには、こういう有名ではなくとも優れたジャズ・ミュージシャンが、掃いて捨てるほどいたのだろうと思う。他の同種のレコードもそうだが、そうしたプレイヤーを現地で発掘して録音を続けたInterplayレーベルの妙中俊哉氏の慧眼はすごいと思う。このアルバムは、スタンダードを中心にした、スウィンギングかつ滑らかで、気持ちの良い演奏内容もさることながら、寺島氏も感激していたように、録音、特に低域が豊かで厚みのある音で録られていて、オーディオ的快感も同時に楽しめるレコードだ。

The Dancing Monk
Eric Reed
2011 Savant
エリック・リード Eric Reed (1970 -)は、上記の人たちとは違って比較的若いピアニストで、90年代にウィントン・マルサリスのバンドに加わって活動を始め、その後自己のトリオを率いてきた。『ダンシング・モンク The Dancing Monk』(Savant 2011, Ben Wolfe-b, McClenty Hunter-ds) は、ピアノ・トリオでモンク作品だけを取り上げた、意外とありそうでないアルバムだ(トミー・フラナガン『Thelonica』以外。ただし両方とも1曲だけオリジナル曲が入っている)。良く知られたモンクの名曲をほとんどカバーしており(Round Midnight, Ask Me Now, Pannonica, Ruby My Dear, Reflections, Ugly Beauty, Blue Monk 他)、それをモンク的にではなく、スタンダード曲として素直に(自分流に)演奏しているので、モンクの音楽が持つ独特の部分(そこが魅力なのだが、ごつごつして、とっつきにくい印象のある部分)が薄まって、メロディをはじめ、非常に滑らかで聴きやすい現代的演奏であるところが逆に特徴になっているアルバムだ。しかしバラードでは非常に繊細な表現も見られる。このアルバムを何度も聞き流していると、モンク作品のメロディの驚くほどの美しさに改めて気づくことだろう。モンクが苦手な人でも、その魅力が楽しめるモンク作品集と言うこともできる。比較的最近のアルバムなので、録音もまずまずだ。

2019/04/19

徒然なるピアノ・トリオ(1)

今どきは、TV番組のBGMはもちろん、蕎麦屋でもラーメン屋でも居酒屋でも、店の中でジャズが当たり前のように聞こえてくるので、日常のBGMとしてのジャズという存在は、もはや何の違和感もなくなっている。昔のように耳を澄まして真剣にジャズを聴く人はもう一握りだろう。しかし昔から、真剣に聴くべき本格的なジャズがある一方で、イージーリスニング的に聞ける肩の凝らないジャズはあったし、聴く側にもそういうニーズがあった。一言で「ジャズ」と言っても、その裾野は広く、様々な楽しみ方ができる様々な演奏が存在してきたのである。昔からのジャズファンは、本格的な有名ジャズ・レコードとは別に、そうした個人的な愛聴盤を何枚か、かならず持っていることだろう。つまり、ぼんやりとしたまま、あるいは軽い読書をしながら、あるいは軽く一杯飲みながら、聞くともなしにゆったりと流して聴けるジャズである。一般に、ジャズは抽象的で、しかも(ヴォーカルを除き)歌詞がなく、具体的イメージが浮かびにくい音楽なので、そういう聞き方に適している。思考や会話の邪魔にならず、音楽側に思考が引っ張られず、一方で空間を満たす音には、どこかポップス系とは違う、ある種の情感を刺激する要素があるので、むしろ思考や会話を促すからだ。現在、巷にジャズBGMが溢れているのは、俗に言うおシャレ度もあるだろうが、ジャズの持つこの抽象性も大きな理由だ。(しかし、昔からのコアなジャズファンにとっては、抽象的どころか、奏者の名前、顔やアルバム名、曲名までが頭に浮かんで来てしまうほど具体的記憶と結びついていることが多いので、時に逆効果でもある。)

今もそうだが、そういうジャズはピアノ・トリオが圧倒的に多い。ただしそれは、パウエル、モンク、エヴァンスといった、唯一無二の個性を持ったジャズ史に残るような独創的なピアニストの演奏ではない(エヴァンスは既にそういう聴き方もされているが)。天才や超一流ではないが、優れた演奏技術と独特の味わいを持つ名人級ピアニストの演奏であることが多い。中にはホテルのラウンジで聞くような カクテル・ピアノと侮蔑的に呼ばれたような奏者もいたし、そういう演奏もあったし、その手の線を狙って作られたレコードもあった。ところが、名人級のピアニストの場合、あえて狙ったような企画でも、当たり前だが、腕が良いので結果として素晴らしいジャズ・アルバムになってしまうこともある。もちろん、狙わずとも、演奏した曲の曲調によっては、一聴イージーリスニング的に聞こえるが、しかし優れた内容の作品もある。コンピレーション・アルバムを別にしても、この手のジャズ・レコードは数多くあるし、ピンキリの世界でもあり、また線引きも難しいが、きちんとしたプレイヤーによる良質の「ジャズ・アルバム」であることを第一条件とすれば、基本的には――1曲の演奏時間が短く(5分前後?)、個性があまり強くなく、重くなく、メロディが聴き取りやすく、スローからミディアム・テンポで、聴いていて心が落ち着く、ある種ムーディな雰囲気を持つ演奏である――ことが共通点だろう。ただし聴く側の個人的な好みも、もちろんある。もう一つは、録音が貧弱ではなく、オーディオ的にも聴いていて快感を感じるような、気持ちの良い録音であることも大事な条件だ。

Moodsville
Tommy Flanagan
1960 Prestige
そうして徒然なるままに聴けて、なおかつジャズとして良質、という主旨でピアノ・トリオのアルバムを選んだら、筆頭に来るのはやはりトミー・フラナガンTommy Flanagan (1930-2001) だろう。1960年録音の『Moodsville 9』というアルバム (トミー・ポッター-b, ロイ・ヘインズ-ds) は、タイトルが表すように、Prestigeレーベルの企画作品で、何十枚もあるレコードの9番目という意味で、ソフトでメローな演奏ばかりを奏者ごとに集めた ”Moodsville” というシリーズものの1枚だ(-villeとは、村、街、場所などを意味する接尾語)。しかし単なるイージーリスンングに堕さないところがトミー・フラナガンたる所以である。フラナガンは、本ブログ別項でも何度か紹介しているが、フレーズ(メロディ)の美しさ、都会的洗練、アクのなさ、流麗な演奏という点では断トツのピアニストであり、しかも、どんな企画やセッションでも決して手を抜かず、安直な演奏をしないところが素晴らしい。このアルバムは、スローからミディアムテンポのスタンダード曲の演奏が中心だが、とにかく全編にわたって演奏が穏やかで気品があり、メロディ・ラインが美しく、ヴァン・ゲルダー録音の音も相まって、静かに耳を傾けられ、しかも聞き飽きしない深みのあるピアノ・トリオである。フラナガンには、もちろん本格的なジャズ名盤も数多いが、こうした優れたトリオ作品が他にも何枚もある。現代的なワイドレンジ録音でフラナガンの美音が楽しめる後期のアルバムは、『Jazz Poet』(1989 Timeless)、『 Sea Changes』(1996 Alfa)などだ。

First Time Ever
Barry Harris
1998 Alfa
バリー・ハリス Barry Harris (1929 -)も、トミー・フラナガンと並んで、どのアルバムを聴いても決してハズレのない、バップ時代を知る数少ない存命のピアニストだ。手抜きをせず、駄作というものが一切なく、同時にハリスならではの、聴けば聴くほど味の出る、いぶし銀のようなしぶい味わいが最大の魅力だ。一聴地味に聞こえるその演奏には、押しつけがましさがないので、聞き流すこともできるが、じっと耳を傾けて深く味わうことできるという点で、稀有なピアニストだ。ジャズとは一つの「言語」なので、技術の巧拙以上に、演奏に奏者の人柄、人格というものが語り口としてはっきりと表れる音楽だ。お喋りで、目立ちたがる人はそういう演奏になるし、無口で控えめな人は、演奏もやはりそうなる。フラナガンやハリスは、きっと控えめで誠実な人物なのだと思う。私的愛聴盤は何と言ってもブログ別項で紹介した3枚だが、中でも『In Spain』(1991 Nuba) は、深々とした現代的録音でハリスの演奏の味わいが最高に楽しめる1枚だ。90年代後半に日本でリリースされたLive at Dug』(1997 Enja)と『First Time Ever』(1998 Alfa) も、ハリスの魅力が、いずれも現代的なレンジの広い、クリアな録音で楽しめるアルバムだ。前者は稲葉国光(b)、渡辺文雄(ds)との新宿のクラブ「Dug」でのライヴ録音、後者はジョージ・ムラーツ(b)、リロイ・ウィリアムズ(ds)という旧知のベテランとのスタジオ録音であり、ハリス66歳時のトリオ演奏だ。控えめながら、噛めば噛むほど味わいの深まるハリスの演奏は、何もかもが派手で慌ただしい現代では、たぶん聴く(弾く)ことのできない滋味あふれる貴重なジャズ・ピアノである。

When There Are Grey Skies
Red Garland
1963 Prestige
レッド・ガーランド Red Garland (1923-84) の『When There Are Grey Skies』(1963 Prestige、ウェンデル・マーシャル-b, チャーリー・パーシップ-ds)は、タイトルが象徴するように、スローでブルーな曲を中心に、ガーランドが醸し出す密やかな哀愁が非常に素晴らしいアルバムだ。ガーランドと言えば、代表的ピアノ・トリオ『Groovy』や、有名なマイルスとのセッションをはじめ、ブルースやミディアム・テンポの曲に聴ける、ころころと転がるような気持ちの良いピアノが持ち味で、本作でも何曲かはそれが聞ける。しかし<Sonny Boy>、<St.James Infirmary>、<Nobody Knows the Trouble I See> という3曲のような、哀感のある、微妙で繊細な演奏も実は非常にうまい。50年代録音には、『All Kinds of Weather』(1958 Prestige) という季節や天候を音で描いたレコードもあり、こちらも地味だがとても味わいのあるアルバムだ。もう1枚、ガーランドには『Nearness of You(1962 Jazzland)というアルバムがあって、こちらはスロー・バラードだけを集めた一種の企画ものなのだろうが、全編ガーランドの粘るような、独特の味わいのあるバラード・プレイが楽しめる。

Kiss of Spain
Duke Jordan
1989 3361*Black
デューク・ジョーダン Duke Jordan (1922-2006) も、トミー・フラナガンと同じく、メロディではなく、あえて “美旋律”と呼びたくなるような、日本人好みの美しいフレーズを紡ぎ出す名人である。チャーリー・パーカーとの共演時代から始まり、ヨーロッパ移住後のSteepleChase時代までに、数多くの優れたアルバムをリリースしているが、80年代以降は日本でも何枚か録音を残した。中でも、山中湖のペンション3361*Blackがプロデュースし、そこで録音したレコードは私の愛聴盤だ。『Kiss of Spain』(1989) はその1枚で、富樫雅彦のドラムス、井野信義のベースという異例の組み合わせによるピアノ・トリオである。あの富樫が入っているので、聞き流すという類の演奏ではないが、しかしスタンダード曲中心のジョーダンのピアノ自体は、相変わらずの優しさと叙情に満ちた聴きやすいものなので、富樫雅彦の繰り出す繊細なリズムも同時に楽しみながら、ゆったりと浸ることのできる素晴らしいピアノ・トリオであることに違いはない。馴染みのある<As Time Goes By>、<All the Things You are>、<When You Wish Upon a Star>などのバラード曲もカバーしており、アコースティック感あふれる気持ちの良い録音も、3361シリーズの魅力の一つである。ただし、低音域をきちんと再生できる良いオーディオ装置の方が、より深くこの演奏の味わいを楽しめると思う。