"フォー・オール・ウィ・ノウ For All We Know" は、1934年に書かれた古い曲で (J. Fred Coots曲/ Sam M. Lewis詞)、短く、どちらかと言えば歌詞もメロディも地味だが、別れゆく男女の、やむにやまれぬ切ない気持ちが込められた非常に美しいラヴソングである(70年代にカーペンターズが唄ったのは同名異曲)。だが単に陳腐でセンチメンタルな恋歌ではなく、曲に品格があり、いかにもアメリカン・バラード的な温かさ、やさしさが歌詞とメロディ全体から伝わってくる名曲だ。だから唄い上げるよりも、哀切さと共に、歌の底に流れる、相手を思いやるやさしさが、さりげなく表現されている穏やかな歌唱や演奏が曲想に合っていると思う。『Lady in Satin』(1958) のビリー・ホリデイBillie Holiday の歌唱はこの点でまさに完璧だ。
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Lady in Satin Billie Holiday (1958) |
ホリデイは ”Sweetheart, the night is growing old/ Sweetheart, my love is still untold……" というヴァースから唄っている。
For all we know / We may never meet again
Before you go / Make this moment sweet again
We won't say "Good night(bye)" until the last minute
I'll hold out my hand and my heart will be in it……
この曲のタイトル "For All We Know"(=as far as we know たぶん、おそらく) の適切な和訳は意外と難しい。歌詞の内容に即して、ふさわしい日本語タイトル名をいろいろ考えてみたが、なかなか良い案が出ない。やはり「分かってはいるけれど……(たぶん二人はもう二度と会えないだろう)」という哀切さと、諦念のニュアンスのこもった短い日本語が適切だろう。どうにもならない運命には逆らえず、二人の未来はもうあきらめるしかない、というニュアンスが欲しい。思い切り意訳すれば、「今宵限りの」という訳も可能かもしれない。つまりは「今日でお別れ」である(古いが…原曲も古いので)。
私有の女性ジャズ・ヴォーカルでは、ニーナ・シモン (1957)、とドーリー・ベイカー(1993)があるし、男声ではナット・キング・コール (1958) も有名だ。しかし上述した理由から、ゴスペル調でドラマチックに唄い上げるニーナ・シモンや、高らかな美声のナット・キング・コールよりも、最晩年(亡くなる前年)、人生を知り尽くし、彼岸に向かって歩き始めたかのように、ストリングスをバックに仄かな暗さを湛えて唄う『Lady in Satin』のビリー・ホリデイの枯れた歌唱が、私的にはやはりいちばん心に響く。声や技術の衰えとか、年齢による歌唱の質の問題はあるだろうが、そんなことなど超越した、歌に込めた情感の素晴らしさがこのアルバムのホリデイにはある(それは、バド・パウエルやモンクといったジャズの巨人たちの、最晩年の演奏にも感じることだ。)"I'm a Fool to Want You" をはじめ、 ホリデイのこのレコードは全曲が素晴らしいが、特にこの曲は短く、シンプルで、美しいがゆえに、なおさらだ。
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The Art of the Trio Vol.3 Brad Mehldau (1998) |
インストではピアノ・ヴァージョンが多く、私が持っているピアノ盤では、デイヴ・マッケンナ Dave McKenna の相変わらず味わいのあるソロピアノ(1955 『Solo Piano』)、ギルド・マホネス Gildo Mahoness の古風だが技巧を凝らした華麗なトリオ演奏(1990 『Gildo Mahoness Trio』)、ブラッド・メルドー Brad Mehldauの端正でモダンなトリオ演奏 (1998 『The Art of the Trio Vol.3』)もあって、それぞれに美しい。ピアノ・トリオとしては、ラリー・グレナディア (b), ホルヘ・ロッシィ(ds)というメルドー・トリオの演奏が、ホリデイ盤と並んで曲想をもっとも美しく表現し、完成度が高いように思う。このアルバムは、冒頭の "Song-Song" をはじめ、他の曲も20代の若きメルドーのロマンチックで繊細な表現が美しく、名演ぞろいの傑作CDである。20世紀末の録音、あれから、もう30年近く経ったのか…という感慨もひとしお感じるレコードだ。
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Jasmine Keith Jarret & Charlie Haden(2010) |
原曲の持つ、哀しいが、素朴で温かな別れ歌のイメージをもっともよく表現しているもう1枚のピアノ演奏は、病から回復途上にあったキース・ジャレット Keith Jarretが、ベースのチャーリー・ヘイデン Charlie Hadenと久々にデュオで共演した『Jasmin』(2010) 中の1曲だ。キースが他のアルバムで演奏したこの曲の音源を私は聞いたことがないので、想像だが、これはアメリカン・バラードを好むチャーリー・ヘイデンの選曲かもしれない。ECMの他のキースのライヴ・アルバムのような、きらびやかで、きれいに余韻が響き渡る録音ではなく、キースの自宅スタジオでいわば私家録音されたかのような音源は、響きが抑え気味で地味だが、ピアノとベースの質感はよく捉えており、病を経たキースの訥々とした丁寧な演奏が、逆にこの曲の持つ素朴な美しさと哀切さをよく表現しているように思う。このCDは、他の演奏も同じムードを感じさせ、キースの他のレコードとはどこか異なる、しみじみと枯れた味わいを持ったレコードだ。
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Guitar On the Go Wes Montgomery (1961) |
私が保有しているこの曲の唯一のギター盤が、Wes Montgomeryの『Guitar On The Go』(1961)で、メル・ラインのハモンド・オルガンとウェスのギターによるデュオによる演奏で、ホリデイ盤から3年後の録音だ。インディアナ・ポリスの盟友であるこの二人の、ブルージーでリラックスしたサウンドは、他のレコードのような哀切さはあまり感じられないが、この曲のメロディの美しさを別の視点で捉えた、さらりとした "For All We Know" を聞かせてくれる。実は、この曲を初めて聴いたのも、良い曲だとメロディを覚えたのも、高校生時代に生まれて初めて買ったジャズ・レコード、ウェスのこのアルバムだった。他の曲もすべてスムーズかつブルージーな気持ちの良い演奏で、私の愛聴盤の1枚だ。
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Live in Tokyo Chet Baker (1987 King) |
そして、この曲のヴォーカルとインスト(トランペット)両方の極めつけが、ホリデイから30年後に録音されたチェット・ベイカーChet Bakerの『Live in Tokyo』(1987)ではないかと思う。オランダで不慮の死を遂げる前年の、最晩年の「東京」でのライヴ公演であり、チェット唯一の日本録音である。独特のアンニュイでブルージーなヴォーカルとトランペットが、「未来のない恋人たち」という曲想にピタリとはまって、私的にはビリー・ホリデイ盤と並ぶこの曲のベスト・トラックだ。私は行けなかったが、1987年、昭和女子大・人見講堂でのチェット最後の来日公演は、バブル真っ盛りで浮き立っていた一方で、どこかに「これでいいのか…?」と漠然とした不安や疲労も感じていた日本のジャズファンを癒し、魅了したことだろう。この2枚組CD(Memorial Box) は録音も非常に良く、音の粒立ちがきれいで、ハロルド・ダンコ Harold Danko (p), Hein van de Geyn (b), John Engels (ds)というトリオをバックにしたカルテットだが、当時ヨーロッパでリー・コニッツと双頭カルテットを率いていたダンコの、チェットに寄り添うような知的で控え目なピアノも美しい。リー・コニッツはチェット・ベイカーのことを、唄うがごとく自然にトランペットでメロディを生み出す真正のインプロヴァイザーだと評していたが、この曲を聴くと、まさにその通りだと思う。ヴォーカルとトランペットが、切れ目なく自然に流れてゆくようなチェットのサウンドは実に見事で美しい。
最晩年のチェット・ベイカーの他のスタジオ録音は、それなりに魅力があるが、時どきあの世に一緒に連れて行かれそうなほど暗いイメージがあるのであまり聴かない。だが、このCDはライヴ録音ということもあってそこまでの暗さはなく、むしろはかなく美しい。若い頃に比べると声に瑞々しさが欠けているのは仕方がないが、それでも持ち前の、囁くように深くどこまでも沈みこむヴォーカルと、底知れない孤独を表現するチェットのトランペット・サウンドには唯一無二の魅力があり、この名曲の最高の解釈と演奏の一つだと思う。東京公演を収めたこの2枚組CD(愛蔵版)には、他のスタンダード曲と共に、"Almost Blue" 、"My Funny Valentine"、 "I'm a Fool to Want You"などチェットの得意なバラードも収録されており、彼が最晩年に、それも東京で残した傑作だ。