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2026/09/20

ジャズ・バラードの森(11)Everything Happens To Me

 "Everything Happens to Me" は今から80年以上前、1940年に作られたポップ曲で、作詞はTom Adair、作曲はMatt Dennis。1941年にフランク・シナトラがトミー・ドーシー楽団で唄ったのが最初。ジャズ・バラード(スタンダード)の名曲のひとつで、そのタイトルと歌詞については、今もネット上でいろいろな解釈や和訳が紹介されている。タイトルを文字通りに訳せば「あらゆる出来事が私に降りかかる」(by Goodle翻訳)だが、歌詞を読めば、(少し古いが)あの九州弁の自虐ネタ『ヒロシです…』(今はBSで「ぼっちキャンプ」をやっている)と同じ、ツイてない男の「ボヤき」の世界だと分かる。つまりは『何でこうなるの?』である(これも古いか…)。私はヒロシ芸のファンで、自分でもネタを考えたくらいだったので、この曲を聞くと必ずあのギャグを思い出す。

It Could Happen to You
1958
黒猫が前を横切って…というverseから始まり、《ゴルフの予定を入れたら必ず雨が降る、パーティをやれば上階の住人が文句を言ってくる……こうしていつも風邪をひいたり、電車に乗り遅れたりしながら人生を送るんだろう……カードゲームをすれば、こっちがエースを出しているのに、いつだって味方が切り札を出して邪魔をするし……自分は飛ぶ前に考えないバカ者なんだろう……最初、君と一緒なら、この悪運から抜け出せると思っていたのに……電報を打っても、電話をかけても、速達エアメールを出しても、君の返事は "サヨナラ" で、おまけに郵便料金不足のおまけ付きだ……たった一度だけの、君しかいない恋だったのに……いったい何でこうなるの?》と、ボヤきが続く。作曲者マット・デニスの、アドリブ歌詞満載の軽妙洒脱なピアノ弾き語りライヴ録音(『Plays & Sings』1954) も楽しいが、ヒロシ的ボヤキの世界に近いのは、やはりチェット・ベイカーChet Baker の歌 (『It Could Happen To You』1958、他)だろう。ケニー・ドリューのピアノ・トリオの伴奏で唄うチェットのヴォーカルとトランペットからは、諦めと自嘲が程よいトーンで聞こえてきて、曲想にぴったりだ。チェットは約30年近く後の1983年に、この曲を再度録音しているが(with Kirk Lightsey Trio)、実際の人生を(クスリで)滅茶苦茶にしてきた後なので、リアルすぎて、若い頃のように笑ってすませる自虐ペーソスは感じられない…。ただしこの曲は、チェット以外では、女性ヴォーカルを含めてピンとくるレコードはない(これはやはり男の歌だ。近年は、なんとあの藤井風もYouTubeでカバーしている…)。

この曲は、その自虐的歌詞と対照的なマット・デニス作の美しいメロディそのものが最大の魅力だが、ジャズのインプロ素材としてはメロディラインが長いために、長すぎたり、こねくりまわしたような演奏は大体失敗しているように思う(散漫でしまりがない、聞いていて飽きる)。やはり、シンプルにメロディを謳わせる演奏がいちばん良い。またチェットの歌唱がそうであるように、美しいメロディの背後に、やるせないような悲哀が漂っている演奏が望ましい。だからインストでは、チャーリー・パーカーのストリングス入りセッション(With Strings, 1949)とバド・パウエルの初録音(Trio, 1947)が白眉だと思うが、それ以降の私好みの手持ちアルバムをいくつか挙げてみたい。

Barney
1959 (RCA)
ホーンではスタン・ゲッツ(ts) の録音が2枚ある(『At Storyville』1951、『In Stockholm』1955)。相変わらず流麗なゲッツの演奏は見事ではあるが、淀みなく上手すぎて(?)、特にこの曲では不器用な主人公の人間味と悲哀が感じられず、どうも心に響かない(これは好みの問題だ)。ウィントン・マルサリス(tp)の父親エリス・マルサリスとのデュオ(『Standard Time Vol.3』1990)は、父親との共演ということもあって、ウィントンにしては控え目で、曲想に合った抑え気味の好感の持てる演奏で、なかなか良い。リー・コニッツも2枚あるのだが(『Inside-HiFi』1956, 『Jazz Nocturn』1992) 、バルネ・ウィランBarney Wilen が1959年に仏映画『危険な関係』撮影のためにパリを訪れていたデューク・ジョーダン(p) 、ケニー・ドーハム(tp) 等のメンバーと、パリのジャズクラブ「サンジェルマン」に出演したときのライヴ録音盤『バルネ Barney』(1959 RCA)の演奏がいちばん好きだ。(この映画のサウンドトラックの背景には、モンクとブレイキー、ジョーダン、ウィラン等がからんだ面白い逸話がある。興味のある人は、本ブログの2017年のいくつかの記事をご参照ください。)映画音楽と同じくマルセル・ロマーノがプロデュースしたこのライヴ盤(モノだが非常にクリアな録音)では、"Besame Mucho" 他の名曲でバルネがテナーとソプラノサックスを吹いている。 "Everything…" は、バルネのソプラノのワン・ホーンのカルテット演奏で、曲のエッセンスが詰まっているような、やるせないデューク・ジョーダンのイントロも、ソロも素晴らしく(この頃のジョーダンは美メロ製造機だ)、バルネの哀愁のあるソプラノ・ソロも非常に美しい。

Alone in San Francisco
1959
 (Riverside)
ピアノではビル・エヴァンスが3枚あり(『Solo』1963、『Time Remembered』1963, 『Trio 64』)、どれもエヴァンス流の美しい演奏で甲乙つけがたいが、自虐を通り越して、自滅しそうなほど内省的な全体のトーンで、聞いていると落ち込みそうになる。ドード・ママローサ Dodo Marmarosa の『Dodo's Back』(1961) は、明るいのに暗いという、どこか寂寥感のある独特のピアノ・サウンドが、この曲によく合っている。キース・ジャレットの「ブルーノート」6枚組ライヴ盤 (1994) でも聞けるが、たぶん上記理由で演奏がやや散漫に感じる。セロニアス・モンクのソロ・ピアノも2枚ある(『Alone In San Francisco』1959 Riverside、『Solo Monk』1965 Columbia)。モンクは、実は常にメロディを大事にするアーティストで、 "Darn That Dream" と同じように、この曲のメロディが大好きだったのだろうと思う。両曲ともにほとんど崩さずに、原曲のメロディ・ラインをそのままなぞってモンク風に謳わせている。そこに素朴な味わいがあっていい。『Alone…』、『 Solo』どちらの演奏もいいが、Riversideのモンクは哲学的、Colombiaのモンクは明るく開放感がある。私的には、1959年の演奏(Riverside) の方が好みか。

Flight to Denmark
1973
上記『バルネ』で好演しているデューク・ジョーダンもこの曲が好きらしく、その後も何度か録音している。『バルネ』でのイントロ、ソロも素晴らしいが、自身のピアノ・トリオでの名演は、何と言ってもその14年後の『Flight To Denmark』(1973)で、やはりミュージシャンは自分の好きな曲を演奏するときは、アイデアが自然に溢れてくるものなのだろう 。このアルバム(Mads Vinding- b,  Ed Thigpen-ds)は、"Here's That Rainy Day" , "How Deep Is the Ocean?" など、どのバラード曲もミディアム・テンポの実にエレガントで美しい演奏が続くが、特に "Everything…" は淡々とした演奏の背後に漂う密やかな哀愁が素晴らしく、フォックス・トロットでゆったりと踊ってみたくなるような(踊れないが…)心地良いリズムとメロディに満ちている。私的には、この曲のピアノは、やはりデューク・ジョーダンのこの演奏がいちばん好きだ。

Long Ago and Far Away
2007/2018
ピアノで最近(?)の録音を1枚挙げると、チャーリー・ヘイデンとブラッド・メルドーのデュオ「『Long Ago and Far Away』 だろうか。2007年のドイツでのライヴ録音で、ヘイデンはその年にキース・ジャレトとのデュオ『Jasmine』も録音している。アルバムは、2014年のヘイデンの没後2018年になってリリースされた。晩年「アメリカーナ」への回帰が濃厚になった 「バラードマン」 ヘイデンを象徴するアルバムの1枚だ。メルドーとヘイデンは、リー・コニッツとの共演ライヴ盤『Alone Together』(1996)でも共演しているが、コニッツとメルドーを仲介したのもヘイデンであり、その後2011年にはポール・モチアン (ds) を加えたカルテットで、当時80歳をすぎたコニッツと『Live at Birdland』を録音している。晩年のヘイデンは、メルドーのある種メンターのような存在だったようで、様々なアドバイスをしていた。メルドーがこの曲 " Everything…" を録音した記録は他に無さそうなので、ある意味貴重なレコードでもある。13分強という長い演奏だが、トリオやコンボと違ってデュオなので、長さがあまり気にならず、浮遊するように独特の音を美しく紡いでゆくメルドーと、その底を支えるヘイデンの深いベースとの対話にじっくりと耳を傾けて楽しめる。