ページ

2018/08/10

秋吉敏子、児山紀芳の本を読む

昨年末に秋吉敏子の『エンドレス・ジャーニー』(祥伝社)、この7月には児山紀芳の『ジャズのことばかり考えてきた』(白水社)という2冊の本が出版された。秋吉氏はジャズ音楽家として、児山氏はジャズ・ジャーナリスト、プロデューサー他として、二人とも60年以上の長きにわたりジャズに関わってきた人物だ。アメリカと日本という生きた場所こそ違うが、人生の大半をジャズに捧げてきた二人の日本人に関する本を興味深く読んだ。

2017 祥伝社
作年ピアノの鍵盤数と同じ数、88歳という米寿を迎えた秋吉敏子(1929年生まれ)は、言うまでもなく日本のみならず世界的に知られたジャズ音楽家であり、すべてに「日本人初」という経歴を積み上げてきたジャズの世界のパイオニアだ。よく知られているように、終戦後、16歳で生まれ故郷の満州から引き揚げ、テディ・ウィルソンのピアノに感動し、大分・別府のクラブを皮切りにジャズの世界に飛び込む。その後上京してジャズ・ピアニストとして活動していた1953年に、来日していたオスカー・ピーターソンに認められたことがきっかけで、ノーマン・グランツの米国のレーベルで自身初、かつ日本人初となるジャズ・アルバムを録音する。それが縁となって1956年、26歳のときにボストンのバークリー音楽院に日本人として初めて奨学生として留学し、以来ジャズ・ピアニスト、作編曲家として72年の楽歴のうち、62年間をアメリカで活動してきた。その間ニューポートやモンタレージャズ祭へ日本人として初めて参加するなど、多くのライブ演奏とレコーディングをニューヨークとロサンゼルスを中心に行い、1999年には「国際ジャズ名声の殿堂」入りを果たし、また14回ノミネートされたグラミー賞の受賞こそ逃したが、数度の「ダウンビート」誌批評家投票のポールウィナー、2007年の「ジャズマスターズ賞」をはじめとして、数々の栄誉あるジャズ賞をアメリカ国内でも受賞してきた。こうした経歴をざっと振り返っただけでも、秋吉敏子が日本人ジャズ音楽家として別格のキャリアの持ち主だということがわかる。

秋吉敏子の人生は、1996年に出版した自伝『ジャズと生きる』(岩波新書)で自ら詳細に語っているが、この本は彼女の個人史と共に、その背景にある戦後の日本ジャズ界、全盛期のアメリカ・ジャズ界の様子も描いた貴重な記録であり、かつ非常に面白い読み物でもある。今度の本『エンドレス・ジャーニー』は、長年秋吉敏子のレコードをプロデュースしてきた岩崎哲也氏が、彼女の人生観、ジャズ観を形成しているいくつかのキーワードを核にして、様々な逸話も挿入しながらインタビュー形式で本人が語った言葉をまとめたものだ。映像で見ても、本で読んでも、とにかくいつも感じるのは、彼女の醸し出す凛としたたたずまいと、常にぶれない(決然としたと言うべきか)強固な意志だ。アメリカで長年暮らしたからそうなったのか、元々そういう女性だったのか、あるいは満州での体験や、アメリカでの若き日の体験がそうさせたのかもしれないが、当然ながらいわゆる普通の日本人女性とはまったく異なる雰囲気がある。ジャズが他のポピュラー音楽と違うところは、基本的に歌詞はなく、器楽演奏のみの抽象的なサウンドで演奏されることだ。もちろん聴き手が自然に身体を揺らすリズム(swing) がその基本だが、言葉の世界に制約されることがないので、聴き手側は演奏された音楽を自由に解釈でき、またクラシック音楽と同じく、音楽上の快感としてエモーション(情)だけではなく、知性を感じさせる要素(理)も同時に聞き取ることができる。ジャズ音楽家側にも、表現者としてそれぞれ固有の「情」と「理」のバランスがあり、どちらかと言えばエモーションに訴える「情」の人と、知性に働きかける「理」の人がいるように思う。もちろんこれは聴き手としての個人的なフィーリングにすぎないのだが、私は女性ジャズ・ピアニストの大半に、「男性以上に豪快な」面と、この「理」の要素を強く感じる。両方ともおそらく、特に男が支配的な世界で伍してゆくためには、女性が自然に身につけざるを得ない資質なのだろうと想像している(あるいは、そういう資質のある女性が生き残るのか)。秋吉敏子の場合も言葉や雰囲気だけでなく、その音楽から感じるのは「男性的な潔さ」と共に、この「理」だ。

クラシック・ピアノからスタートしたこと、ジャズ(ビバップの和声)の大元はバッハだという認識、ジャズ・ピアニストであると同時に作曲家・編曲家でもあるということなどが、おそらく秋吉敏子の音楽に、ある種の構造的なもの(理)を常に感じる理由の一部なのだろう。自らの人生の来し方と行く末を見つめる<ロング・イエロー・ロード>、フィリピン・ルバング島で戦後を一人で生き延びた小野田少尉と、アメリカで孤独な闘いを続ける自分を重ねた<孤軍>、水俣や広島の悲惨さに触発された<ミナマタ>、<ヒロシマ>と続くオリジナル作品込められているのは、政治や権力に翻弄される個人の悲劇であり、作品のテーマへのこだわりは、音楽家として社会的メッセージを「ジャズ語」で発信したいという意志と、それを表現するためのコンセプト(理)がまずあるからだ。「Authenticity(ジャズの正統性)がない」という日本人であることへの初期の差別的批判に対し、日本人がジャズをやることで、ジャズの世界を少しだけ豊かにすることに貢献したい、と決心した彼女の心意気と共にあったのも、「花伝書」、「五輪書」などの日本の伝統的思想や、邦楽を自身の音楽の基盤として取り入れることによって、人種の壁を越えたジャズを創造したいという理想である。ピアノとジャズを心から愛しながらも、異邦人として、女性として、差別の根強いアメリカで苦闘し、ジャズが常に変化して行く中、ジャズ・ミュージシャンとしての自らのアイデンティティを求め続けた。そして60年代末にルー・タバキンという良き伴侶を得て、ビッグバンドという形式を通して、ようやく自らの表現手法と進むべき道を見つけ今日に至った彼女のジャズ人生は、強靭な精神と共に、この理知なしには形成し得なかっただろう。88歳の今でも、理想に一歩でも近づくべく挑戦し続けている秋吉敏子は、バド・パウエルのピアノを手本にスタートしつつ、日本人である自分を見つめなおすことによって独自の音楽を再構築してきた、揺るぎない「理」のジャズ・ミュージシャンである。本書にはその彼女の人生観と音楽思想のエッセンスを平易に語る言葉が散りばめられている。

2018 白水社
同じく80歳を超えた児山紀芳(1936年生まれ)は、今は休刊中の「スイングジャーナル」というジャズ雑誌(SJ誌)の編集長時代(第1期1967-79年)を通じて、我々の世代をジャズの世界へと導いてくれた水先案内人であり、かつ師匠のような人だ。本書『ジャズのことばかり考えてきた』(白水社)は、1950年代の大阪におけるジャズ喫茶体験から始まる回顧録だが、児山氏が初めて書いた本だという。後継のSJ誌元編集長が数えきれないほどのジャズ本を次から次へと出版してきた一方で、これまで児山氏が一冊の本も出して来なかったのを私はずっと不思議に思っていたので、この本がやっと出版されて何だかほっとしたような気がしている。本書を読むと、懐かしい臨時増刊号「モダンジャズ読本」の発刊、「SJ誌選定ゴールドディスク」、「ジャズディスク大賞」、「南里文雄賞」のような古くからのジャズファンには馴染み深いSJ誌の各賞の創設、そして輸入情報の聞き書きではなく、当時はまだ珍しかったアメリカ出張によって、直接ジャズ・ミュージシャンやジャズ関係者と現地で接触し、最新の生きた情報を伝えるなど、ジャズ・ジャーナリストとしての当時の氏の企画力、行動力が驚くべきものだったことがわかる。70年代末に同誌を離れた後の80年代には、プロデューサーとして個人的にも親しかったヘレン・メリルやジョン・ルイスなど海外のプレイヤーのレコーディングに取り組み、また日本独自企画のアルバムによって日本人ジャズ・ミュージシャンにも光を当てる。さらにレコード・コレクターの真骨頂と言うべきか、クリフォード・ブラウンやキーノート・レーベルをはじめ、埋もれていた歴史的価値のある未発表音源を、自らアメリカに乗り込んでレコード会社の倉庫で独自に発掘し、しかも完全版BOXとして世に紹介するという超マニアックな仕事にのめり込む。その後も、コンサートのプロデュースやNHK-FMのラジオ・パーソナリティ、地方支援の企画などで常にジャズの仕事に関わってきた。ミュージシャン交流譚として、マル・ウォルドロン、ソニー・ロリンズ、アート・ペッパー、ジョン・ルイス、レイ・ブライアント等との私的交流の回想に加え、半世紀に及ぶ付き合いで、日本からエールを送り続けてきた秋吉敏子もその一人として取り上げており、本の帯にはその秋吉氏の推薦文も書かれている。本書で書かれている数多くの海外活動やエピソードからして、アメリカや世界のジャズ界でもっとも有名な日本人ジャズ・ミュージシャンが秋吉敏子だとすれば、もっとも有名な "非" ジャズ・ミュージシャンは間違いなく児山紀芳だろう。

本書に書かれた多くの事実をあらためて知ると、1960年代後半からの日本におけるジャズの普及と発展が、いかに児山氏の情熱と啓蒙によって支えられていたのかもよくわかる。以前から思っていたことだが、ジャズ・ジャーナリストしての児山氏の素晴らしさは表層的な時代の流行を追うだけではなく、ジャズの歴史と伝統、そしてジャズ音楽家たちを常にリスペクトし、何を書いても語っても、そのニュートラルで控えめな語り口から温かな人間味が伝わってくること、そして何より、すべての言動の背後に、氏のジャズに対する深い「愛」を感じさせることだ。70年代までのSJ誌からは、児山氏の熱意とジャズへの愛が実際に我々に伝わってきたし、それに触発されてジャズに熱中した読者も数多かったと思う。『ジャズのことばかり考えてきた』=「ジャズばか考」というシャレのきいたタイトルも、まさに氏の人生と人柄を象徴している。数多かったジャズ評論家も、ジャズ喫茶もほとんど消えた現在、こうした姿勢でジャズに関わり続けるジャーナリストはもう児山氏ただ一人になったような気がする。この本はおそらく、児山氏の頭の中の膨大なジャズ・アーカイブからその一部を取り出したものにすぎないのだろうが、非ミュージシャンという立場で、日本におけるジャズの普及に貢献し続け、人生を文字通りジャズという音楽に捧げてきた人物が、初めて「自分」のことを語った素晴らしい「ジャズ本」である。

この2冊の本から伝わって来るのは、とにかく二人ともジャズに魅せられ、心からジャズを愛し、ジャズに生きて来た人たちだということだ。二人にとって同時代の音楽だったモダン・ジャズに、音楽家として、ジャーナリストとして深く関わってきた秋吉敏子と児山紀芳こそ、現代日本における最高のジャズの生き証人と言えるだろう。私が邦訳したアンディ・ハミルトンの『リー・コニッツ ジャズ・インプロヴァイザーの軌跡』は、秋吉敏子とほぼ同世代の1927年生まれで、彼女と同じく人生をジャズに捧げ、今でも現役で演奏を続けるリー・コニッツと、イギリス人の美学者ハミルトンの5年にわたるインタビューを中心に構成した本である。二人の対話を通して、この名アルトサックス奏者の人生と音楽を振り返りつつ、同時に芸術としてのジャズ即興演奏の本質に迫るというアプローチで、ジャズという音楽の本質、ジャズ音楽家コニッツの人物像と思想を浮かび上がらせた斬新な本だ(インタビュー当時のコニッツの年齢は80歳の少し前である)。その本を翻訳し終えて思ったのは、一対一で、ジャズ・アーティストの内面に深く切り込むインタビューを行なって、このような音楽書としてまとめることがはたして日本人に可能だろうか、という疑問だった。そのときまず頭に浮かんだのは、仮にその対象となり得る日本人ジャズ音楽家がいるとしたら、第一番目に挙げられるのは間違いなく秋吉敏子だろう、ということだった。

1956年という、モダン・ジャズが全盛期を迎えつつあったアメリカに、20代半ばの若さで単身で渡り、以来日本ではなく現地でジャズと共に生きて来た秋吉敏子のジャズ音楽家としての人生は、彼女以外の日本人が誰も体験したことのない、誰も語ることのできない唯一無二の記録としての価値がある。秋吉氏自身、自伝も書き、今回の本も出版し、テレビ番組にも出演し、今やネット動画でも演奏やインタビューが見られるし、確かにそこでかなりのことをこれまでに語ってきた。ただしそれらは、彼女がジャズファン以外の人たちも意識して、主として自分の人生や作品について、意図的にわかりやすく書いたり、語ったりしてきたことのように思う。仮にコニッツの本のように、ジャズという音楽とジャズの世界を深く理解した「聞き手」が、時間をかけて二人だけでじっくりとインタビューし、音楽家・秋吉敏子の「ジャズ体験」、「ジャズ観」というものをより深く掘り下げるような対話をすれば、彼女がこれまで語ったことのない話、語ろうとしなかった話、あるいは自分でも気づかないような、心の奥底にある声が聞こえて来る可能性があるのではないかという気がする。

リー・コニッツの本は、予想を超えた対話の成果を生み出したが、ジャズという音楽とホーン奏者にとっての即興演奏について、コニッツが自分の言葉であれだけ明晰に語るとは誰も想像していなかったのだ。もちろんコニッツの知性と長い時間をかけた対話だったことが理由の一部だが、それを可能にしたのは、聞き手である芸術哲学の徒アンディ・ハミルトンの構想、周到な準備、構成力、そして何よりインタビュー技術があったからこそだと思う。そして、そのコニッツも、バド・パウエルも、モンクも、ニカ夫人も、ミンガスも、マイルスも、コルトレーンも生きていたモダン・ジャズ全盛期のアメリカの現場を、ただ一人日本人ジャズ音楽家として目撃し、その世界でジャズ・ピアニスト、作編曲家として生き抜いて来た秋吉氏の貴重な体験を、第三者が聞き手としてもっと掘り下げることができたら、ジャズとアメリカ、ジャズと日本人、ジャズとピアニスト、ジャズと女性音楽家、そしてジャズとは何か、アメリカとは何か――という、音楽としてのジャズをより普遍的な視点で、また日本人ならではの視点で俯瞰する、より広く、より奥の深い音楽的対話が生まれて来るのではないかと想像する。そしてその「聞き手」として、もっともふさわしい人物こそ児山紀芳氏ではないだろうか。個人的願望ではあるが、二人がお元気なうちに、こうしたコンセプトで、もし<秋吉敏子 x 児山紀芳>という対話が実現し、記録され、音楽書籍として出版されたら、それはきっと後世に残る素晴らしい日本のジャズ遺産の一つになるだろうと思う。