この夏は、前項で紹介したメイ・シモネス Mei Semonesの歌にハマって、YouTubeの他に、3枚のCD、Tsukino/ Kabutomushi/ AnimaruをPCに取り込んだ20曲をヘビロテ状態で毎日聴いている。特にYouTube上の、ギター一本のソロ演奏のライヴ映像には心底驚いた。あんなジャズギターを弾きながら、複雑な歌を唄う女性ミュージシャンは、いくらアメリカ広しと言えども、そうはいないだろう。5人バンドでの演奏は、彼女のソロ・サウンドを拡大したアレンジそのものだということがよく分かる。つまりすべてがメイ・シモネスの音楽なのだ。どの曲も、聴けば聴くほどユニークで面白く、動物と人間、人種と言語、ジャズ/ロック/ポップスという音楽ジャンル、それぞれの垣根を軽やかに跳び超える歌の世界は、まさに「21世紀のJ-POP」とも言える。しかも、その音楽には常にハッピーさと優しさがある。大衆向け、高齢者向き(?)音楽とは言えないかもしれないが、普通のJ-POPには飽き足らない人や、ボサノヴァやジャズ好きな人なら、きっと彼女の音楽を気に入るだろうと思う。
そのメイ・シモネスが、ストリングス入りのレトロなジャズアレンジで、"マイ・アイディアル (My Ideal)" を唄うのを聞いて、この曲に関するモンクの逸話を思い出した。私の訳書『セロニアス・モンク/ 独創のジャズ物語』(ロビン・ケリー著)の最後の部分で書かれている話だ。1976年のNY「ブラッドリーズ」でのギグを最後に表舞台から引退したモンクは、その後マンハッタンの対岸、ハドソン河の崖上にあるウィーホーケンのニカ夫人邸に引きこもったまま、ピアノには一切触れなくなった。しかし1982年に、64歳でそのニカ邸で亡くなる少し前に、一度だけ、突然思い出したように、当時ニカ邸に同居していたバリー・ハリスを呼ぶと、二人でピアノに向かって "My Ideal" を互いに百回以上も繰り返し弾き合った――という話である。調べたが、モンクもバリー・ハリスも、この曲は1960年代に1回録音しただけなので、愛奏曲だったとは言いにくい。だから、モンクが人生の最後に、なぜこの曲を弾きたくなったのかは謎だ。
"My Ideal" は今から100年近くも前の1930年(ソニー・ロリンズが生まれた年。昭和の初め)の作品で、米ミュージカル映画『Playboy of Paris』のために書かれ、主演のモーリス・シュヴァリエが唄った曲だ。歌詞の内容は、100年前のアメリカなので当然シンプルである。「自分が思い描いていた理想の女性は、このままずっと夢のような存在にすぎないのか…それとも、いつかは出会えるのだろうか……街角で出会ったら、彼女にしかない瞳の輝きに気づくのか、それとも気づかずにすれ違ったままで終わってしまうのだろうか…」と、あれこれ夢見ている若者の気持ちを、これまたシンプルでロマンチックなメロディに載せた曲だ。今ならスマホのマッチングアプリで簡単に候補を見つけて、待ち合わせ…というところだろうが、何せ100年近くも前である。妄想(想像、夢)の度合い(深さ)が違う。昔の人は、こうしてあれこれ夢を見たり、想像する力を養っていたのだろう。過去録音も多く、私が持っている音源はそのほんの一部だ。筆頭はもちろんメイ・シモネスがリファレンスにした『チェット・ベイカー・シングス (Chet Baker Sings)』(1956) で、チェットは自身のヴォーカルとトランペットの他は、ラス・フリーマンのチェレスタの伴奏だけ、というミニマルな編成でこの曲を唄っている。
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Lee Wiley West of the Moon (1957) |
女性ジャズ・ヴォーカルの場合は、原詞の "she" を "he" に変えて唄うことが多い(メイ・シモネスはそのまま "she" で唄っている)。リー・ワイリー Lee Wiley の『West of the Moon』(1957) は古風だが、歌が作られた時代の空気を感じさせる。このレコードでいちばん好きな曲は "East of the Sun (West of the Moon)" だが、"My Ideal" もなかなかいい。ハスキーな声でヴィブラートをきかせて、エレガントに唄うのがワイリーの魅力だが、この頃は40代後半で、歌声もやや貫禄がついてゴージャスな雰囲気だ。どの曲からも1950年代の、ある意味平和で豊かだった「アメリカ」が聞こえてくる。とはいえ、いつもそう思うのだが、昔の白人女性ヴォーカルは、いくら歌はうまくても、みんな「さばさば系」で、何と言うか、しっとりとした情緒があまり感じられない。「男」の歌も、「女」の歌も、微妙なニュアンスを表現し、かつナチュラルに唄うチェット・ベイカーのヴォーカルは本当にすごいのだと思う。いつになってもチェットの歌の人気が衰えないのも、それが理由だろう。
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Amos Lee My Ideal (2022) |
ジャズではないが新しいヴォーカル・アルバムとして、本ブログ "I Get Along Without You Very Well" でも紹介したのが、エイモス・リー Amos Lee (1977 -) の文字通りチェット・ベイカーに捧げたアルバム、"My Ideal : A Tribute to Chet Baker Sings " (2022) だ。 エイモス・リーはフォーク、ブルース、カントリーの要素を持つSSWで、高域に特長のある優しい歌声の歌手だ。チェットが自身の歌のルーツの一つだということで、表題のように全曲チェットの愛唱曲をカヴァーしている。バックのパーソネルは私は知らないメンバーだが、ジャズ・コンボ(p, b, ds, tp) が伴奏したフォーク・ジャズ(?)のような趣の、ある種ユニークなレコードだ。まったくクセのない、さらりとしたきれいでスムースな歌唱なので、BGM的に聴くのもいい。あるいは、カラオケでチェット・ベイカーを唄ってみたいという人には(そんな人いるか?)、練習用に聴いたり唄ったりするにはいいかもしれない。
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Art Tatum ~ Ben Webster Quartet (1956) |
インストでは、まず大昔からのリファレンスというべき『アート・テイタム~ベン・ウェブスター・カルテット (Art Tatum ~ Ben Webster Quartet)』(1956) だろう。いまどき、こうした古典的ジャズを聴く人がいるかどうか分からないが、ピアノとテナーサックスの達人二人による素晴らしい演奏が続く名盤である。神様アート・テイタムのピアノを聴く機会などほとんどないと思うが、これはテイタムの死の2ヶ月前に録音されたそうで、全盛期に比べたら多少の衰えはあるのだろうが、それでも流麗なスウィング・ピアノの素晴らしさが分かる。ビバップ以降は、主にコードを押さえてきた左手がいったいどうなっているのか、指がいったい何本あるのか?と思わせるような演奏技術は驚異的だ。モンクもきっと、このテイタムの "My Ideal" は聞いていたことだろう。ベン・ウェブスターはコールマン・ホーキンズと並んで、ソニー・ロリンズに大きな影響を与えた人だが、その温かく、深々としたテナーサックスの音色はやはり素晴らしい。全編スタンダード、バラードを悠々と奏でる二人の名人芸を堪能でき、どの曲の演奏にもジャズのエッセンスが詰まっており、また"My Ideal" のインスト演奏の原点でもある。
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Kenny Dorham Quiet Kenny (1958) |
定番のもう1枚は、ケニー・ドーハム Kenny Dorham (tp) の『静かなるケニー (Quiet Kenny)』(1958) だ。ドーハム(1924 - 72)はパーカー、ブレイキー、モンク、ロリンズ、マックス・ローチなどと共演してきた実力者で、名曲 "ブルー・ボッサ" の作曲者としても知られている。このアルバムもドーハムの代表作だが、1曲目の "Lotus Blossom" と "My Ideal" をはじめ穏やかな曲が中心で、日本ではこのおとなしめのアルバムが一番人気になったために、本来彼自身が志向していたジャズとイメージがずれていったようだ。とはいえ、この落ち着きがあり抑制のきいたジャズには確かにシブい味わいがある。そのサウンドに格調の高さを与えているのが、サポートするトミー・フラナガン・トリオ(ポール・チェンバース-b、アート・テイラー-ds) であることは言うまでもない。特に、こうしたアルバムでのトミー・フラナガンの控え目だが洗練されたイントロ、ソロのフレーズは比類がない。
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Sonny Criss Out of Nowhere (1976) |
他にテナーではソニー・ロリンズ(『Tour de Force』1956) 、ジョン・コルトレーン(『Bahia』1958)があるが、アルトサックスのソニー・クリス Sonny Criss の『Out of Nowhere』(1976 Muse) を挙げたい。一時期ソニー・クリスに凝って、ずいぶんアルバムを集めたが、これもその当時、70年代半ばのバップ復活ブームの時にリリースされたクリスの最晩年の3作品の1枚で(他は『クリスクラフト」と『サタデイ・モーニング』)、ドロ・コーカーDolo Coker のピアノトリオをバックにしたカルテット。クリスは翌1977年、初来日直前にピストル自殺したと言われている(真相は不明)。パーカー系奏者だが、ジャッキ・マクリーン等と異なり、西海岸で活動していたのが他の奏者との違いで、分かりやすいファンキーな(演歌調?)アルトは、好みが分かれるかもしれない。しかし、このアルバムでは、コーカーのドライな響きのピアノをバックに比較的シンプルに吹いており、"My Ideal" もほとんどメロディを崩さずストレートに吹いている。
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Jesse Van Ruller Catch! (2000) |
私有のギター・バージョンは1枚しかなく、それがオランダのギタリスト、ジェシ・ヴァン・ルーラーJesse Van Ruller (1972-) の『Catch!』(2000)だ。1995年のセロニアス・モンク・コンペティションのギター部門で優勝し、このアルバムが3枚目の作品。9曲中7曲が自作で、スタンダードは "My Ideal" と "The End of a Love Affair" だけだ。当時人気絶頂だったロイ・ハーグローヴが他の3曲に参加している。ヨーロピアン・ジャズ・トリオのカレル・ボエリー Karel Boehlee (p) 他が共演している。このアルバムでは、Jesseの自作曲 "Silent Blue Hour" が私的愛聴曲の一つで、ジム・ホールの "All Across the City"と並んで、「夜明け前」に聴く最高のギター・サウンドだ。"My Ideal" は当時27歳の新進ギタリストによる2000年の演奏なので、シンプルにメロディ中心にプレイする古いジャズ・アルバムとは異なり、現代のジャズらしいモダンな展開の音楽である。