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2024/08/30

SNSと悪意の民

SNSでの炎上や、ネット上の相手かまわぬ匿名の誹謗中傷コメントに関する最近の報道を読んだり、実際にヤフコメを覗いたりすると、いったい慎ましい「声なき民」はどこへ行ったのか…と思うほど、悪意に満ちた攻撃的なコメントと嫌味だらけで読むのもイヤになる。立て看板、目安箱、掲示板、便所の落書きに至るまで、政治や社会への批判、不満、要望など、大衆の「声なき声」を代弁し、匿名で権力や世間に訴える方法は大昔からこの国にもあった。しかし、形はどうあれ、自分の意見を書いたものを人前に晒すという行為には、それなりの勇気や決断、なにより共感を呼ぶだけの思想やそれを表現できる文章力が必要だった。さもなければ、無視されるかバカにされるのがオチだった。一歩踏み出すためには、それなりの「覚悟」が必要だったのだ。20世紀に入って、新聞や雑誌への投稿が、一般人が公にそうした意見や不満の表明をする唯一の場である時代が長く続いていた。

インターネットが普及し始めた1990年代から、それまでの新聞や月刊誌、週刊誌のような、内容やレベルの差はあっても、一応は素性や責任のはっきりした紙媒体(「購入」という、金と行為が必要)に代わって、ネット上で「タダで誰でも自由に発信できる」という場と環境が初めて人類に与えられた。しかし、そのときもまだ、PCや文章ソフトの知識と使い方の技術が最低限必要で、そういうスキルのある人間しか文章を発表したり投稿したりできなかった。つまりまだ限られた人たちの世界だった。その時代でも、人物を特定して名指しで批判したり、その行状を非難する「危ない匿名記事」が、ネット上ですでに結構出ていた記憶がある(それまでの三流新聞やゴシップ雑誌の系譜だ)。さらに2chに代表される「ネット掲示板」が登場して、ネット上で双方向の「匿名による意見交換」の場も現れ、これが現在のSNSにつながる「個人の」自由発信の萌芽だったのだろう。面白い記事や議論もあったが、時どき過熱して、相手を攻撃、罵倒する一部の暴力的言説、文章のあまりのひどさに、本当に吐き気をもよおしたことがある。よくそこまで「陰湿で悪辣な言葉」を思いつくものだとその才能(?)に感心するほどで、人間の悪意とはここまで成り下がるものなのかと、衝撃を受けたことを覚えている。

何物でもないただの一般人が書いた文章を、赤の他人が読む機会は昔はそうなかったはずだが、インターネット空間はそれを初めて解放し、個人情報や意見を自由に書き込める革命的な場を提供した。しかし、偉い人や、作家、芸術家のような20世紀的に格調高い文章を誰もが書けるはずもなく、量は増えても、やがて何でもありのゴミタメのようになったネット文章の質は、普及と比例して徐々に低下した。’00年代になって、ツイッター(X)やフェイスブック、LINE他の「SNS」というコミュニケーションツールと、個人所有の通信PCである「スマホ」が登場し、誰でも簡単に発信できるインフラがほぼ完全に整備された。そしてツイッターのような短文連絡ツールの出現は、通信言語の変質と日本語文章の劣化に拍車をかけた(今はもう文章ではなく、イイネ!とか、スタンプで何でも代用可だ)。2010年代に入ってからは日本でもそれが一気に普及し、完全に当たり前の通信用の道具となった。そこにYouTube、Instagramなどヴィジュアル情報通信の簡易化が加わり、情報網の拡大と拡散効果も極大化してゆき、この10年で日本は、いわば一億総発信者、総アーティスト、総評論家の国になった――というのが、ざっと見た歴史だろう。

たとえば、私はジャズ好きで自分でも訳書を出版しているので、時どき目を通しているが、この10年くらいのAmazonの書籍や、映画、レコードといった文化ソフトのレビュー欄を、時系列で追って読めば、この「ネット言説の普及と劣化」が大衆レベルで如何にして起きてきたかがよく分かる。10年ほど前までは、素人ながら、みな、まともに読める質と批評内容を持った真面目な文章が多かった。中には素晴らしい批評文もたまにあった。一応の知識と関心を持つ、それなりの人間だけが投稿していたからだ。ところが、今や「五つ星!」だけとか、言いがかりとしか言えないひどいレビュー、そんなことを人前で言っちゃだめだろう的な文章ばかりである。この傾向は当然ながら日本も米国も同じだが、日本の劣化が特にひどいように思える(元々日本の「批評」はレベルが低い)。誰もが匿名で自由に書け、投稿できるようになって、知識、能力や人格にかかわらず「どんな人間でも」勝手に意見を言えるようになった結果、きちんと考え、それをまとめ、真面目に意見を述べてきた人たちは、とっくにそういう場から去って行った。つまり、いつの時代も、制約のない完全に解放された場では、悪貨が良貨を駆逐するのである。以前は、各レビューに対して第三者がコメントできる場も用意されていたのだが、SNSの影響もあって、レビュー/コメント者の間のやり取りが過熱、炎上するようになり、数年前にAmazonはこの仕組みを止めている。しかし逆に、どんなにいい加減なレビューに対しても、出品者側は何もコメントできないのが現在のシステムで、今はレビュー者側の言いたい放題の場に近い。

いずれにしろ、この「スマホとSNSの登場」は、ある意味で人類が「パンドラの箱」を開けたことになるのだろう。隣のおっさんやおばさんから、米国大統領まで、これまで聞こえなかった「個人の声」が、仲間内ばかりか、いとも簡単にグローバルネット空間に、本名、匿名を問わず、24時間途切れることなく発信されているのである。独り言や、(このブログもそうだが)どうでもいい通信、便所の落書き程度の内容に至るまでの「夥しい言葉」が、電波に乗って、地球上を飛び交っている光景(?)を想像するだけで、何だか頭が痛くなりそうだ。最近では、何も音が聞こえているわけではないのに、時どき「うるさい!」と感じるようになった。人間に聞こえるはずのない、MHz、GHzレベルの電波が、常に頭上を飛び交っているせいではないか?(そう感じるのは私だけか?)。

こうした文明の利器をもっとも素早く、かつ有効に使うのは、昔も今も「悪人」と相場が決まっている(TVの『鬼平犯科帳』を観ていればよくわかるが、これは世界共通だ)。賢い悪人ほどタチの悪い連中はいないが、賢くない悪人(?)も、毎日のように、全国至る所で「盗撮」で捕まっている。昔は男の妄想で済んでいたのに、最新技術のおかげで、我慢できずに犯罪の実行におよんでいるわけである。日々増える、毎日山のように送られてくる詐欺メールも、その処理だけでイヤになるが(ある時点から急激に増えた。メアドがワルのルートで拡散されたからだろう。毎日メールを削除するだけでも本当に面倒くさい)、これがきっと、日本中の情弱高齢者たちを狙った膨大な数の詐欺メールとなって送られているに違いない(「重要。お支払いに問題があります…」と、やれAmazonだ、やれヤマト運輸だ、東京電力だ、三井住友だ、えきねっとだ、イオンカードだ…とキリがない)。最近、ネットの「コタツ記事」という語をよく見かける。ネットとかTVで「適当に」集めた情報を使った、誰でも書ける、内容のない空っぽ記事のことだが、これからは「コタツ詐欺」とか「コタツ犯罪」の時代だろう。手足を一切使わずに、スマホ片手に寝っ転がっていても、指先ひとつで人をだまして金が詐取できる時代である(総称すれば「コタツ・ビジネス」か)。しかもルフィのように、海外からリモコンで指示する国際犯罪組織にまでに拡大している。ネット記事や動画で、見る者に「クリック(閲覧)さえさせれば金が入る」という仕組みが、そもそもの元凶だが、それも元をただせば、どうせどこかの賢いワルが思いついたのだろう。個人レベルだけではなく、その情報を利用、引用して、コタツ記事で増幅し、拡散して、意図的に炎上騒ぎの片棒を担いでいるのは、言うまでもなく大手を含むネットメディアである。つまり今や、個人からメディアまでいわば一蓮托生なのだ。

SNSの誹謗中傷の源流は、上に書いたようなネットの匿名掲示板の罵詈雑言合戦なのだろう。だが時代や、世代、世の東西を問わず、人間社会で決してなくならない陰湿な「イジメ」を見れば分かるように、世の中には、どうしょうもない「ワル」だけでなく、一見普通の顔をして暮らしているが、人を傷つけることを楽しむ、どうしようもなく「底意地の悪い」人間が、いつの時代も一定の比率でかならず存在しているのである。どんなに社会が良くなろうと、それは変わらない。そういう人間も親から子へと常に再生産されているので、世の中から消えることはないし、ネット空間では彼らも平等に権利を行使する。むしろ、顔の見えないネット空間だからこそ、なおさら狡猾に手加減せずに実行する。非ネット時代には表面に出てこなかった(陰に隠れていた)、そういう人間の「悪意」が、デジタルによる新しい環境と道具によって解放され、一斉に顕在化しつつあるのが今のSNSで起きていることなのだと思う。

「声なき民の声」とは、昔は救済すべく善意に解釈するのが当たり前の対象だったが、今はステルス化した「悪意の民の声」として捉えるべき時代になってしまった。顔も名前も出さずに、他人を言葉の暴力で傷つける卑怯な連中のことである。「イジメ」がそうであるように、これは日本社会だけの問題ではなく、程度の差こそあれデジタル通信化が進む世界中の国々で起きていることだろう。弱い者や、劣位の者、あるいは単に自分が気に食わない人間をいじめたい、他人の幸福が許せない、他人と少しでも差をつけないと(自分を向上させるのではなく、他人の足を引っ張って、下にひきずり降ろして相対的に優位に立たないと)安心して生きていけない…――そうした類の人間は、いつの時代も、社会のどこにでも常にいる。その種の人間による誹謗中傷の対象は、あるときは身近な人間、知っている人間で、別の時は自分とは何の関係もない、芸能人や有名人を叩いて憂さ晴らしすることである。これはある意味で、いわば人間の業とも言えるが、そういう人間も以前は、自分自身とも、社会とも、何とか折り合いをつけて、そうした悪意や葛藤を自分の内部に留めてきた(もちろん投書とか、他の嫌がらせ方法もあっただろうが)。それが「SNS・スマホ時代」になって、いつでも自由に、躊躇することなく、それを外部(世界中である)に向けて発散できる環境ができてしまった。またそれを読んで一緒になって騒ぐ人間もいるので、そこで承認欲求も満たされ、ますます発信したくなる。「パンドラの箱」とはそういう意味であり、これを開けてしまった以上、もう元には戻せないのである。

それを教育や善意だけで、なくすことは不可能だと思う。個人的防御策は、見ない、聞かない、無視する、ことくらいしかないが、デジタル・タトゥーと言われるように、デジタル通信時代の誹謗中傷の言説が持つ寿命と、その拡散力の強大さの前には、個人は無力である。しかも、個人が受けた精神的苦痛は簡単には消えずに、いつまでも残る。被害をゼロにできない以上、次善の策を講じるべく、「善意の」最新技術、法規制の再構築で、被害を防いだり、最小化する以外に方法はあるまい。有名人などの場合、これは精神的苦痛や名誉棄損に加えて、れっきとした「営業妨害」でもある。当然、相応の損害賠償を請求できる権利があるべきだ。法律が常に現実の後追いになるのはやむを得ないが、ほとんど無法地帯化し、さらに拡大の一途をたどるたネット空間言説における「倫理」「犯罪の定義」と「社会的制裁」の構築とその明文化、実行は、今や喫緊の課題だ。

この30年間、技術(モノ)開発から情報処理へと舵を切り、ネット空間、情報検索技術、ソフトウェア、新通信技術、クラウド…等々、様々な「新プラットフォーム」を次々に開発し、世界に提供し、人類にかつてない利便性を提供してきた一方で、国境を越えて世界中から独占的に利益を吸い上げて成長を続けてきた米国のGAFAM企業群に、この「無法地帯を制御する」技術開発の責任と、何らかの社会的・法的責任を負わせる方策を早く講じるべきだ。これは知財問題を含む生成AI制御と並ぶ大問題であり、人類の哲学と叡智が試される最重要課題だ。こうした大企業群が自らの責任において何らかの根本的対策を講じない限り、その利便性を享受してきただけで、何らの技術力、影響力を持たない日本のような国一国だけではどうにもならない問題なのである。たとえローカル一国内で問題提起しても、当然だが私企業内では、グローバル優先順位が常に低いので、すぐに対策し、改善するはずもない。現在のEUの姿勢は、この解決策を示唆している。国境を越えて、ネット空間の倫理・哲学ヴィジョンに基づく、グローバル私企業に対する世界的な提案、要求が必要な段階に入っているが、日本は相変わらず蚊帳の外のようだ。それどころか、デジタル音痴の老人たちがいまだに金と力を持って、古臭い政権を昔ながらの手法で運営している。日本人として、このデジタル資本主義時代に感じる無力感は、何とも例えようがない――いまさらながら、この30年間の日本政府とその主導者たちの無為無策に憤りを覚える今日この頃だ。

2024/07/18

古江彩佳 エビアンAvianを制す

古江彩佳の素晴らしいメジャー初優勝だった。4日間WOWOWでライヴ放送(&配信)を見ていたが、ゴルフ中継でこんなに興奮して感動したのは初めてだ。2019年の渋野日向子のAIG全英のときは、あまりの面白さに思い切り興奮したが、「感動」というより「驚き」の方が近かった。渋野と古江は、まさに昔のプロ野球なら長嶋と王だ。渋野は観ている者をハラハラドキドキさせて、巻き込んで一体化してしまうスターであり、スポーツ観戦のエンタメ的醍醐味を味あわせる代表的存在だ。一方の古江はそうではなく、確かな技術を持っているので一挙手一投足が落ち着いていて、本人も言っているように、まったく緊張を感じさせない仕草と冷静なプレイで、安心して見ていられるところが持ち味の人だ。小柄で派手さもないので、あまり引き込まれるタイプの選手ではないが、今回のエビアンでは、それよりもゲーム全体の中で「どう勝負に勝つか」という戦略と意志と技術が合体した、ゴルフというスポーツの持つ真の醍醐味を4日間にわたって堪能させてくれた。

今回の古江は、先月までの米国内ツアー時と違って、最初から「勝とう」という意志が溢れていた。おそらく、東京に続き今回もオリンピック選考から漏れた悔しさが、そのモチベーションの源だったのだろう。圧巻は何と言っても2日目のラウンドで、雷雨のために途中で翌日順延にならなかったら、13アンダーのあの日に、もう2つ3つスコアを伸ばして、たぶんそのままぶっちぎりで勝っていたと思う。それくらい他を寄せ付けない、圧倒的なバーディラッシュだった。順延のためにリズムも狂って、プレイホール数も増え、3日目は勢いが止まって苦しい展開になって追い付かれ、最終日にはインに入ってからついに3差まで追い抜かれてしまうが、そこからが古江の真骨頂だった。残り5Hになってから2つの "超" ロングパットを含む、14番からの3連続バーディ、17番もあわやバーディ、そして18番P5のセカンドショットで2オン、イーグルパット成功という「怒涛の攻め」で、マッチプレーのように二人のライバルにプレッシャーを与え、最後についに突き放した。手に汗握るこの展開は、ほとんどゴルフ漫画のようだった。

正確なティーショット、距離と全体の傾斜を読み切った確実なパーオンショットに加えて、(グリーンの芝目、微妙なアンジュレーションに適応できず、最後までパットに苦しんでスコアを伸ばせなかった渋野とは対照的に)長短にかかわらず、ラインを読み切って冷静に、確実に沈めたパッティングが今回の古江の最大の勝因だろう。4日間を通じて終始驚くべきパッティング技術だった。エビアンのコースが距離やアップダウンなど日本人向きだという要素があるにしても、153cmしかないという身長で、海外の大きな選手たちを相手に勝つにはどうしたらいいか、彼女はその完璧な手本を示した。同時に、全英のときの渋野と同じく、18番Hのように、リスクを負いながらイーグル狙いのショットで果敢に攻めるという、ここ一番の勝負師的チャレンジも併せ持っていた。それがないと、こうした世界レベルのタイトルは取れないということだろう。畑岡選手が経験と高い技術を持ちながら、なかなかメジャーで勝てない理由もそのへんにあると思う(また今回の畑岡は渋野と同じく、ショットの安定感は抜群だったが、パットに苦しんでいた)。しかし、韓国に続き、世界の女子ゴルフを席巻しつつある日本だが、今回見ていて思ったのは、今後はタイや中国の選手が、あっという間に上位へ進出してくる予感がする。

渋野の復調でLPGAツアーが面白くなって、TVでライヴ放送を見たくなったので、今更だが、6月からWOWOWに加入した。2530円の月間料金が高いか安いかは、その人の価値観次第だろうが、夏のシーズンはほぼ毎週末4日間楽しめるし(月平均10日から15日見るとして、150円ー250円/日になる)、おかげで、今回の古江以前の全米女子OPの笹生の優勝や、全米女子プロの山下の2位、Dowの渋野&勝のマツケンサンバ(?)やホールインワンのシーンとかも楽しめた。最近日本の地上波では、女子ゴルフエンタメ系ばかりで、NHK以外、試合のライヴ中継をほとんど望めない。しかし今や、何であれスポーツ中継はライヴでないと見る気がしない。特にゴルフのような、一打一打に各選手の表情、心理や技術が現れるようなスポーツを楽しむには、やはりライヴの臨場感と緊張感が必須だ。TV放送とは別に、WOWOWにはオンライン配信があって、「日本人専用カメラ」画像で、放送とは別に日本人選手に特化したライヴ映像が(PCでもスマホでもTV画面でも)ほとんど見られるし、もちろん見逃した場合も後で見られる。CMもなく、最初から最後までストレスなく試合を楽しめ、加えてTV放送での岡本綾子さんの解説のクオリティも高い。偉ぶらず、的確で、温かく、世界レベルでの経験に裏打ちされた、人間味のある解説はやはり素晴らしい。古江選手の優勝インタビュー時も、岡本さんのねぎらいの言葉で、一気に彼女の涙腺が崩壊していたが、こちらの涙腺もこれで崩壊した。スポーツ、ゴルフの素晴らしさを象徴するような先人と後輩のやりとりだった。こうした感激もライヴ放送ならではだろう。

しかし、30周年のエビアンで、しかもメジャー昇格後10周年という節目に、エビアンで2回勝った(2009,2011年)宮里藍さんに触発された世代の日本人女子選手が、あれだけ感動的な逆転勝利を飾ったにもかかわらず、翌日のメディア報道の少なさには拍子抜けした。テレビは各局ともほとんどスルー同然で、相変わらず大谷の報道ばかりなのだ。サッカーもそうだが、テレビの放映権が世界的な有料配信会社に支配されて自由な報道ができなくなって、たぶん放映権も高騰し、コストに苦しむ日本のテレビ局は、あえて金を払って報道する姿勢も妙味もなくなったということなのだろう。また日本企業スポンサーも減った。これも日本が貧乏になった証の一つだ。しかし、世界を舞台にしたスポーツは、21世紀の最有望放送コンテンツであり続けるだろうし、中でも女子ゴルフは今や日本では数少ない優良コンテンツの一つだ。国交省が、残り少ない稼ぎ頭の車メーカーを法規違反だといじめて、国内で足を引っ張っている場合ではなく、日本も少しは中国や韓国を見習って、国をあげてスポーツやエンタメをサポートする戦略や仕組みを本気で検討した方がいい。国内だけ見ていては、そういうグローバル・ビジネス競争には決して勝てないし、昔の日本や、今のアメリカのようには、民間企業の懐具合に期待できない以上、これは必須の国家戦略だろう。

昔は猫も杓子も熱中し、サラリーマンの必須技術でもあったゴルフだが、狭い国土のおかげで、もともと費用が高い、ゴルフ場が遠いというハンディに加え、バブル崩壊、交際費の減少などでスポーツや遊びとしての環境が激変し、男子ゴルフの低迷、スター不在、若者の関心減少等々――この30年間マイナス側に振れ続けてきたゴルフ界だが、近年の女子プロゴルフの活況と発展は日本のゴルフ界にとって久々の光明だ。私はゴルフマニアではないし、腰が悪くて実際に今はゴルフができないし、ゴルフ人気が全体として今どうなっているのかよく知らないが、上手、下手にかかわらず、ゴルフは決して技と体力だけのスポーツではなく、頭脳も使う面白いゲームだということは、一度自分でやってみれば分かるし、今回の古江選手の勝利もそれを証明している。だからこの成長著しい女子ゴルフを有望コンテンツとしたビジネス企画が、もっと出て来てもいいように思う。

たとえば「ニンテンドー」さん、ファミコン版「マリオオープンゴルフ」の新装版を30年ぶりに開発してくれないものだろうか? 私はシブコの登場をきっかけに、この復刻版マリオゲームにはまって、以来楽しんできたが、最近のゴルフがらみの新作ゲームはちっとも面白くないし(3Dとかも必要ない)、ゴルフを分かっていない人間が設計しているとしか思えない。バブル時代に設計開発された「マリオオープン」はゴルフゲームの最高傑作、頂点であり、あれでゴルフのTVゲーム設計は極まったとは思うが、最新技術であのゲームをリファインして、「ゴルフを知る人、やる人たち」が真に楽しめる、世界に通用するゴルフゲームを開発・提供して欲しい。今やTV放送でもやっているグリーンの旗の位置や、微妙なアンジュレーション、芝目の精細な可視化とか、パッティングの微妙なタッチ再現とか、フェアウェイの傾斜とか、風とか…微妙な周辺情報の量・精度を上げて、より「リアルな」仮想ゴルフ体験をさせて欲しい。登場キャラもマリオ一人でなくても――たとえばAyakaとか、Shibukoとか、Sasoとか――世界に通用する個性のある実在女子プロキャラを登場させて、得意技(ロングドライブ、小技、パットなど)でキャラ設計するのも面白いし、各キャラは実際に(J)LPGAが協力・監修し、コース設定以外にメジャーを含めたトーナメントも開催する…等々、オンライン化も含めて、いろいろ工夫すれば相当面白いゲームになりそうに思うし、協会プロモーションの一環として長期的に女子ゴルフの底上げにも貢献するだろう。

時代や若者受けを狙った軽い、早いだけの単純なアクション、エンタメゲームに走らず、純粋に「ゴルフを知る人のための本格的ゴルフゲーム」というコンセプトで、長く楽しめる設計にしたら、これから、やりたくてもゴルフ場で本物のゴルフを楽しめない高齢者(私を含む)という新しいマーケットも(それも世界規模で) 開拓できますよ。それに今後減って行くオヤジ層需要だけでなく、女子ゴルフ人気で新たな女性ユーザー層も開拓できて、全体の需要も増えるだろうし、また男女を問わず、若者のゴルフへの興味の入り口、あるいは実戦ルールの知識習得や、実技のシミュレーション、イメージトレーニングとしても使える可能性も十分にあるのではないかと思う。技や筋肉ばかりではなく「ゴルフとは頭脳ゲームである」という、ゴルフの魅力であり、原点の一つに立ち返り再設計すれば(たとえ2D画面でも)まだまだ十分に面白いゲームが開発できるように思う。如何でしょうか?

2024/06/05

笹生/渋野のワンツー・フィニッシュ(全米女子OPゴルフ)

2021年5月『(続々) シブコのおかげでマリオにはまる』以来、3年ぶりのシブコがらみのゴルフ記事である(写真はすべてゴルフ・ダイジェスト・オンラインGDOより)。

女子メジャー・トーナメントでの日本人ワンツー・フィニッシュは、2021年全米女子OPでの笹生/畑岡で達成された――と思っていたが、当時笹生は実はフィリピン国籍だったので…という、ややこしい歴史がある。そういう意味で、今回は記録上初の「日本人」によるワンツーで、1位はまた笹生優花だったが、今回は2着がなんと渋野日向子という大穴だった。3日目を終えた時点で、大舞台に強い渋野の様子が、今年に入ってからの残念な9試合とまったく「違う」ことがわかったので、たぶん二人のどちらかが優勝する、と踏んでいた。というわけで、久々に6/3 早朝までTV中継を見てしまった。笹生は2019年全英の渋野に続き、2021年にあっさり全米女子OPというメジャータイトルを手にしているが、今回はその全米女子OPというメジャータイトルを、二人の仲良し日本人「メジャー覇者」が、1位/2位と連勝で制したことが何より嬉しく画期的だ(円ベースの1位/2位賞金総額もびっくりだが、企業収益と同じで、異常な円安のおかげでもあると思うと、複雑な心境だ)。

一時期の韓国旋風さながら、決勝R、最終日の上位に残った日本人選手の数には驚かされたが、あの難コースで、4日間を (ー4)、(-1)というアンダーパーで終えたのは、この二人の日本人選手だけだ。コースセッティングのみならず、カップに一度入ったかと思えるボールが、縁でクルッと回転して出てしまう――そんなシーンを何度も目にした意地悪コースである。笹生、渋野ともに、他の上位外国人選手が次々に自滅してゆく中、じっと耐えてスコアをキープしていたのが勝因だろう。古江彩佳、竹田麗央、小岩井さくらという日本勢も10位以内に喰い込んだ。韓国勢が席巻していた時代もそうだったと思うが、やはり、海外のトーナメントに同国人がたくさん出場していることは、選手に安心感を与えるだろうし、精神的にも有利に働くだろうと思う。

胸のすくような豪快で歯切れの良いショットで2019年全英を制した後、渋野は不調だった翌2020年秋の全米女子OPの優勝争い(結果は4位)、2022年のシェブロン(4位)、全英(AIG 3位)以降は目立った活躍もなく、特に今年に入ってから予選落ちばかりで、絶不調というべき状態が続いていた。さすがに、これまでずっと応援してきた私も「もう立ち直れないかもしれないな」と思い始めていた。ネット上でも相変わらず、「フラットスウィングをやめろ」「日本に戻って鍛え直せ」「コーチをつけろ」「石川と手を切れ」「引退しろ」…とか、ど素人があれこれ言いたい放題のことを書いてきた。メジャー挑戦を掲げてスウィング改造に取り組んだ2020年も不調で、同じように罵声を浴びていたが、寒風吹きすさぶ年末の全米女子OPでの優勝争いで、有象無象を黙らせた。しかし今回は、昨年から今年5月までのあまりの不調ぶりに、いくら大舞台に強いというキャラがあるにせよ、まさかここまでやるとは誰も予測していなかっただろう。

直前にクラブのシャフトを変更したからという報道もあるが、その影響の度合いはともかく、何かしら大きな変化(きっかけ)が彼女の内部で起きたことだけは確かだろう。いずれにしろ、コース上、グリーン上で、あの「しぶこスマイル」が久々に全開になって、見ている側を癒してくれたのは何よりよかった。特に3R目の14Hのカップ際の「10秒待ち」バーディは、意地悪グリーン上で、まさにゴルフの神様を引き寄せた最高に記憶に残るシーンになった(何度見ても笑える)。最終日12Hグリーン上のアクロバチックなスライスラインのバーディもそうだ。渋野はやはり「持っている人」であり、観客が思わず引き込まれてしまうような笑顔の魅力と共に、自分だけでなく、周囲を巻き込んで「みんなで盛り上がるシーン」が実によく似合う人だ。つまり生まれながらの「スター」なのである。

笹生も、2021年の全米女子OP制覇後は勝利に恵まれず、アメリカで苦労してきたようだが、彼女の女子らしからぬ颯爽とした男前のプレイが私は好きで、渋野同様に応援してきた。子供のときから鍛えて来た、あのブレない強靭な体幹と筋肉、スウィングのスピード、パワーはまさに男勝りで、飛距離、弾道ともに他の日本人女子プレイヤーとは次元の違うゴルフをする。表情豊かで、感情の起伏がよく表れる渋野とは正反対で、調子が良くても悪くても、あまり表情を変えない(ように見える)ところも、クールでいい。最終日16H のP4のワンオンが、笹生の真骨頂というべきものだろうが、彼女は実はパワーだけでなく、パッティングも、グリーン周りの小技も実に上手なことを、今回も何度か見せてくれた。特に3R目の10Hでバンカー越えの高く上げて、グリーンの狭い部分に落とした寄せ、最終日の18H のグリーン下側からの寄せは見事だった。22歳にして持つ、この硬軟、強弱取り混ぜたゴルフ技術の幅広さは、今後さらに磨きをかけたら笹生の絶対的強みになると思う。

優勝インタビューで語ったように、フィリピンと日本の国籍問題では(ゴルフだけでなく、実人生においても)きっと悩んできたのだろうが、今回日本国籍に決めたことで、精神的にもすっきりして臨んだのかもしれない。インタビューで分かるように、笹生の英語のコミュニケーション能力が高いことは、世界で闘う日本人選手として大きな強みであることは言うまでもない(英語、日本語、タガログ語の他、タイ語、韓国語も堪能だという)。しかし、笹生のパット中、観客から応援の大きな歓声と同時に、TV画面から常にブーイングの低い唸り声が聞こえてきた気がする。思わずアメリカ人の本音が出たのだろうが、あれにはがっかりした。頼みのネリー・コルダも早々に崩れて、決勝Rはアジア勢ばかり、最終日後半には、アメリカ人選手が最後はアンドレア・リーしか上位に残っていない(彼女も韓国系だ)ことにいら立っていたのだろうが、最大のメジャー大会でのこの観客マナーは、ゴルフの精神に反した残念な態度だと言わざるを得ない。大谷翔平クラスまで上り詰めない限り、アメリカの中でアジア人が闘うということは、常にこうした社会環境も相手にしてゆくということを意味している。技術だけでなく、タフな精神を必要とするのである。

渋野と笹生は以前から仲良しだが、久々のTV画面で見ていると、渋野は前のホールを行く笹生を大声で応援しながらプレイしたり、相変わらず、選手やスタッフ、観客、誰に対してもおおらかでやさしく接している。最近成績のせいもあって控え目だったコメントも(何を言っても叩く人間がいるので)、今後は明るくなって、また我々を笑わせてくれるだろう。笹生も、一見クールだが、以前から心根のやさしさが言葉や態度に現れているのを知っている。プロとしての技術だけでなく、人間性が素晴らしいところが、この二人の女子ゴルフ選手のいちばんの魅力でもあると私は思っている。サッカーの澤穂希、スケートの小平菜緒など、超一流の女子スポーツ選手にはみなこうした属性が備わっているものだ。今後も、二人がさらに活躍してゴルフ界を盛り上げ、我々を楽しませてくれることを願っている。

(6/11 追記)
先週のサントリーレディースオープンで、「しぶこ」の名付け親で大親友の「大里桃子」が3年ぶりの勝利を収め、全英の切符を手にした。大里も渋野同様に不調が続いていたが、同じタイミングで復活した。これも「みんなで盛り上がる」しぶこパワーのおかげか。今年8月のAIG全英OPがますます楽しみになった。

2023/08/13

「憂歌団」 Forever!

Rolling 70s (1994)
インストのジャズは通年、つまり1年中聴いているが、加えて私には「シーズンもの」というべき音楽ジャンルがある。すべてヴォーカルで、年末になると決まって聴きたくなるのが船村徹、藤圭子、ちあきなおみ…など日本情緒あふれる演歌。春から初夏にかけてはボサノヴァ、真夏はサザン、大瀧詠一、山下達郎などのJ-POP、秋から冬はジャズ・ヴォーカルに加え、井上陽水や長谷川きよしのしみじみ系……と年がら年中ヴォーカルも聴いているわけだが、夏の定番がもう一つあって、それが「ブルース」を唄うバンド「憂歌団」だ。と言っても、女のブルースとか、港町ブルースとかの日本の歌謡曲ではない、本物のブルースをやるバンドだ。こちらは夏向きのクール系音楽ではなく、むしろ逆にアクが強くて暑苦しい系の音楽なのだが、6月から7月くらいになると、私は無性に憂歌団が聴きたくなる。

真冬に聴く演歌もそうだが、ポピュラー音楽にはどれも、その出自から来る「いちばん似合う場 (situation)」というものがある。明るい南国行きの船の上ではなく、雪の舞う北国へ向かう暗い冬の船や列車の中だからこそ、演歌は一層しみじみと心に響く。同様に、ジャズをさわやかな高原で、真っ昼間に聴きたいとはあまり思わない。ジャズは基本的には「都会の」「夜の」音楽だからだ。ブルース(Blues:英語の発音では「ブルーズ」と濁る)も、秋とか冬の澄み切った青空の下で聴きたいとは思わない。アメリカ深南部 (Deep South) の、ミシシッピ・デルタあたりのジトーッと重い湿った空気の中で生まれたブルースも、底に流れる黒人音楽特有の哀しみや嘆きに加え、その出自の一部である「風土」が、サウンドの中に色濃く反映されている。日本の気候とはまったく違うだろうが、強いてあげれば、日本では6月から7月のじめじめした蒸し暑い季節が、いちばんブルースには似合うように思う。

熱心なファンを除けば、今やどれくらいの人が「憂歌団」のことを知っているのか分からないが、ジャズ、ロックに加えフォーク、ニューミュージック、演歌、歌謡曲…と、何でもありで、ほとんど「ビッグバン」状態だった日本の1970年代の音楽界で、ひときわ異彩を放っていたのが「憂歌団」(Blues Band=ブルース・バンド=憂歌・楽団=憂歌団)だ。あの時代ブルースをやっていたバンドは、憂歌団も影響を受け、曲提供も受けた名古屋の「尾関ブラザース」や、京都の「ウエスト・ロード・ブルース・バンド」など、結構あったようだが、もっともインパクトがあり、メジャーな存在になったのは、やはり当時の「アコースティック・ブルース・バンド」憂歌団だっただろう。内田勘太郎のギター、木村充揮(きむら・あつき)のヴォーカルを核にして、花岡献治(b)、島田和夫(ds-故人)を加えた4人の音楽は、「憂歌団」という素晴らしいネーミングと共に、私的にはとにかく衝撃的だった。

17/18 oz (1991)
ブルースの歴史に特に詳しいわけではないが、いくつかの系譜があるブルースの起源の一つは、言うまでもなくジャズのルーツでもあるアメリカ南部の黒人音楽を核にした「カントリー・ブルース」だと言われている。つまり本来が土くさい、汗くさい音楽で、NYやシカゴなど都市部に広まってジャズやR&Bのルーツにもなった、モダンな「シティ・ブルース」とはサウンドの肌合いが違う。だから一部のブラック・ミュージック好きな人たちを除けば、そもそも、あっさり好みが多い日本人の嗜好に合うような音楽ではなかっただろうと思う。憂歌団の音楽は、このアメリカ生まれの黒っぽく土くさいブルースに、きちんと「日本語で日本的オリジナリティ」を加えて、日本にブルースという音楽を「土着化」させた初めての音楽だった。ジャズで言えば、山下洋輔グループが同じく1970年代に生み出した「日本独自のフリージャズ」と、その性格と立ち位置がよく似ている。

ブルースの日本土着化を可能にした「要因」はいくつかあるだろうが、その一つは、間違いなく憂歌団の本拠地である「大阪」という土地柄、風土だ。東京でも京都でもなく、日本で大阪ほどブルースの似合う街はない。昔(50年前)に比べると、今は大阪もすっかりモダンに様変わりしたようにも見えるが、その根底に、気取らず、飾らず、泥臭く、人間味があって、「本音」で生きることにいちばんの価値を置く、という長い「文化」がある大阪こそ、日本にブルースが根付く土壌をもっとも豊かに備えている街だ。憂歌団のオリジナル・メンバーの出身地であり、彼らの音楽が持つサウンドと歌詞のメッセージに共感し、それを支持する「聴衆」が多いこともその条件の一つだろう。そして「日本語のブルース」を可能にしたのが、上記文化を象徴する言語である「大阪弁」の持つ独特の語感とリズムだ。そしてもちろん、その大阪弁をあやつる木村充揮の、「天使のだみ声」と呼ばれる超個性的なヴォイスと歌唱が決定的な要因だ。内田勘太郎のブルージーだが、同時に非常にモダンなブルース・ギターと木村の味のあるヴォーカルは、もうこれ以上の組み合わせはないというほど素晴らしかった。とりわけ木村充揮は、ブルースを唄うために生まれてきたのか…と思えるほどで、ブルースとは何かとか考える必要もなく、木村が唄えばそれがブルースであり、どんな楽曲も「ブルースになる」と言ってもいいほどだ。

私が持っている憂歌団のレコードは『17/18 oz』(1991)と、2枚組『憂歌団 Rolling 70s』(1994)というベスト盤CDだけだったが、彼らの名曲をほとんどカバーしているこの40曲ほどを、何度も繰り返し聴いてきた。今はこれらをまとめた新しいベスト盤も、DVDも何枚か出ているし、木村充揮のソロ・アルバムも何枚かリリースされている。それにYouTubeでも過去のライヴ演奏など、かなり昔の記録までアップされていて、映像では内田勘太郎の見事なギタープレイもたっぷりと楽しめる。憂歌団のレパートリーは、ブルース原曲や、アメリカのスタンダード曲に加え、オリジナル曲の「おそうじオバチャン」、「当たれ!宝くじ」、「パチンコ」、「嫌んなった」など、70年代憂歌団の超パワフルで、いかにも大阪的なパンチのきいた楽曲が最高だ。しかしシャウトする曲だけではなく、木村がブルージーかつ、しみじみと唄う「胸が痛い」「夜明けのララバイ」「けだるい二人」のようなバラード曲や、「夢」「サンセット理髪店」など、ほのぼの系の歌も絶品だ。ただし、バンドとしての憂歌団の素晴らしさをいちばん味わえるのは、何といってもライヴ演奏だろう。それも大阪でやったライヴが特に楽しめる(聴衆のノリが違う)。ライヴで唄う定番曲「恋のバカンス」や「君といつまでも」他の、日本のポップスの木村流カバーも非常に楽しめる(時々、森進一みたいに聞こえるときもあるが)。

「憂歌団」というバンド自体は1998年に活動休止したが、その後も内田勘太郎と木村充揮はソロ活動を続け、2014年には「憂歌兄弟」を結成したり、二人は今もソロや種々のコラボ企画で活動を続けている。現在YouTube上では、多彩なミュージシャンと木村充揮の共演記録が貴重な映像で見られる。もう70歳に近く、さすがに昔のようなワイルドさは減ったが、今や「枯淡の域」に達した感のある木村のソロ・ライヴ記録はどれも本当に面白い。最近ではコロナ前2018年に地元の大阪、昭和町(阿倍野区)のイベントでやった屋外ソロ・ライヴ(「どっぷり昭和町」)が傑作だ。お笑いと同じく、演者と観客が一体化して盛り上がる大阪ならではのライヴは、とにかく見ていて楽しい。木村を「アホー」呼ばわりし「はよ唄え」と、突っ込みながら歌をせがむ観客と、舞台上で悠然と酒を飲み、タバコをふかして、その観客に向かって「じゃかっしー、アホンダラ!」と丁々発止で渡り合い、適当に客をイジり、イジられながら、ギター1本で延々と語り、唄う木村充揮の芸は、まさにブルースなればこそ、大阪なればこそ、という最高のパフォーマンスだ。もうこうなると、もはや完全に名人芸「ブルース漫談」の芸域だ。

The Live (2019)
また憂歌団時代はつい内田勘太郎ばかりに目が行っていたギターだが、映像で見ると、ソロで唄うようになった木村のブルース・ギターが、半端なく上手いことがよくわかる。今はアンプをつないだエレキが多いが、カッティング、ヴォイシングともに、限られた音数のギター1本だけで、その独特のヴォーカルを伴奏しながら、深くブルージーなグルーヴを生み出すテクニックはすごいものだ(しかも酒を飲み、客と冗談を言い合いながら)。世界には「吟遊詩人」の時代から、ギター一本の伴奏と歌だけで「その音楽固有の世界」を瞬時に生み出してしまう名人アーティストがいるもので、「ボサノヴァ」ならジョアン・ジルベルト、「演歌」なら船村徹が思い浮かぶが、木村充揮は間違いなく世界に一人しかいない稀代の「日本語ブルース歌手」である。その木村は、コロナが収束に向かっていることもあり、今年は7月以降のライヴスケジュールもびっしりとつまっているし、9月初めには、何とあの東京のど真ん中「丸の内 Cotton Club」でライヴをやるらしい。いや、楽しみだが、大丈夫か(何が)?

団塊の若者が主導し、1960年代的「混沌」を半分引きずりながら、同時に高度経済成長に支えられた未来への「希望」が入り混じった1970年代のカオス的でパワフルなカルチャーには、商業的成功だけではない、サブカル的音楽の存在と価値を認め、それを楽しむ度量というものがあった。それに当時は老いも若きも、まだ国民の半分くらいは「自分は貧乏だ」という意識があって、それを別に恥じることもなく、かつ「権力には媚びない」という60年代的美意識がまだ残っていた。この70時代から80年代にかけてのポピュラー音楽からは、音楽的な洗練度とは別に、「生身の人間」が作っているというパワーと手作り感が強烈に感じられるのだ。ところが80年代に入って日本がバブルへと向かい、みんながそこそこ裕福になり、世の中も人間もオシャレになってくると、音楽も徐々に洗練されるのと同時に、80年代末頃からは、デジタル技術が音楽の作り方そのものを変え始める(生身の人間による音楽の「総本家」たる即興音楽ジャズさえも、80年代以降は明らかに変質してゆく)。聴き手側でも、「おそうじオバチャン」的世界を共感を持って面白がり、支持する層も徐々に減って行っただろう。憂歌団にはブルースという普遍的な音楽バックボーンがあり、決して流行り歌を唄うだけのバンドではなかったが、こうして社会と人間の音楽への嗜好が変わって行くと、バンドの立ち位置も微妙に変化せざるを得なかっただろう。

20世紀後半は日本に限らず、世界中でありとあらゆる種類のポピュラー音楽が爆発的に発展した時代だ。その時代に生まれた様々な、しかも個性豊かな音楽に囲まれて青春時代を送り、生きた我々の世代は本当に幸運だったと思う。その世代には、この世に音楽がなかったら、人生がどんなにつまらないものになるか、と本気で思っている人が大勢いることだろう。しかし、この20世紀後半のような幸福な時代――次々に新たな大衆音楽が生まれ、それを創造する才能が続々と登場し、それらを聴き楽しむ人が爆発的に増え、音楽と人が真剣に向き合い、感応し合い、楽しく共存した時代――は、もう二度とやって来ないだろう。あの半世紀は「特別な時代」だったのだ。この夏も、こうして70年代「憂歌団」の超個性的な演奏を聴きながら思うのは、そのことだ。

2023/06/30

『渡辺香津美x沖仁 ギターコンサート』(横浜)を見に行く

コロナ禍以降出かけた大ホール会場のイベントといえば、『稲川淳二の怪談ナイト』と『清水ミチコのTalk&Live』の2回だけだ。もちろん楽しんだが、両方とも「語り」を楽しむある意味キワモノ(?)的公演で、音楽だけを楽しむ本物の音楽コンサートとは違う。今年になって、ようやくコロナから解放され、演歌からポップス、ロック、ジャズ、クラシックまで、この3年間身動きが取れなかった演奏者側も聴衆側も、今や日本中で思い切りライヴ音楽を楽しんでいる感がある。楽しさでライヴに勝る音楽体験はないのだから、今のこの盛況は当然だ。そういうわけで、ギター音楽好きな私も、楽しみにしていた渡辺香津美と沖仁(おき・じん)という、ジャズとフラメンコ界のギター巨匠二人によるデュオ・コンサートを見に横浜「関内ホール」へ出かけた (6/24)。実は数年前にも、この二人の横浜でのデュオ・コンサートのチケットを購入していたのだが、コンサート当日に台風が横浜あたりを直撃するという予報で、帰宅時が危なくなったために泣く泣く諦めた経緯があるので、今回はなおさら楽しみだった。

「関内ホール」はおしゃれな馬車道通り沿いにあって、開場前に観客が外でぶらぶら待っていた。主催者の影響かもしれないが(今回は労音主催)、客層は平均60歳代半ば?くらいと思われた。まあ平均的ジャズコンサート観客年齢ではある。ただし女性が半数近くもいた感じで、その多さに驚いたが、これは若い沖仁のファン層なのか? ホールの収容人員は千人ほどで、小さすぎず、大きすぎずという、この種のライヴには最適なサイズだと思う。コンサート後の感想を一言で言えば、音楽的に素晴らしいコンサートだったと思う。比較的おとなしかった観客が、フィナーレで二人へ示した反応がそれをよく表していた。私も、名人同士の2時間の白熱したギターライヴを楽しみ、心ゆくまで演奏を堪能した。ヴァーチャルではなく、広い実空間を生楽器のサウンドが埋め尽くすという快感も久々に味わった。基本的に沖仁のフラメンコ・ギターに、どんな音楽にも融通無碍に対応できる渡辺香津美が合わせることになるので、当然だが、音楽全体はジャズよりもスパニッシュなムードに統合される。しかし渡辺香津美のジャンルを超越した相変わらずのギター・ヴァーチュオーソぶりと、今や成熟した余裕を感じさせる沖仁の、非常に洗練された「コンテンポラリー・スパニッシュギター」とでも呼ぶべきモダンな演奏が見事だった。

渡辺香津美の存在を知ったのは、私がジャズを聴き始めた1970年前後だ。それ以来50年が経ち、今年で70歳になるという今やジャズギター界の大御所だが、その活躍が本格化したのは、70年代後半から80年代にかけてのエレクトリックギターによるフュージョン時代だ。アコースティックギターに本気で取り組み始めたのは、たぶん『おやつ』(1994年)をリリースした頃からだと思う(当日演奏した「クレオパトラの夢」と「ネコビタンX」はこのアルバムに収録されている)。既に世界的に有名になっていたエレクトリックギターによるジャズ、フュージョン、ロック、ポップス界での活動のみならず、この頃からアコースティックギターを使ったクラシカルな音楽にも挑戦し始めた。そのアコースティックギターによる渡辺香津美ライヴを見たのは、90年代に故・佐藤正美とデュオで共演したブラジル音楽のライヴだったので(これも素晴らしかった)、今回はそれ以来のライヴということになる。一方、渡辺香津美がプロデビューした時代に生まれ、今年デビュー15年になる49歳の沖仁は、スペインでの修行時代以前にも世界各地で音楽修行を積んでおり、単なるフラメンコのギタリストとは違う多彩な音楽的バックグラウンドを持った人だ。私が行ったライヴ・コンサートは、たしか10年以上前の「東京オペラシティ」でのソロ・コンサート以来だ(しかし時の経つのは早い…)。

沖仁氏ツイッターより
二人は10年ほど前からデュオ演奏に挑戦してきたらしく、コンサート公演のライヴCD、DVDもリリースしているが、この二人のギタリストは人柄を含めて非常に相性がいいように思う。コンサート中のお喋りからも、ギター音楽の先輩に対するリスペクトが滲み出る沖も、後輩に対してマウントをとらない、渡辺のジャズミュージシャンらしい、フラットでバリアのない公平な態度がとても好感が持てた。だからコンサート全体の雰囲気も、火花散るギターバトルというよりも、二人がデュオ演奏を心から楽しんでいることがサウンドから伝わってくる。当日の、二人のヴィヴィッドな赤と青のパンツという舞台衣装も、息の合ったところが出ていた。渡辺香津美が終始MCを務めていたが、おそらく曲全体のアレンジも渡辺香津美が中心になって進めてきたのだろう。

うろ覚えながら、演奏曲目で覚えているのは、1曲目が沖仁のオリジナル曲、バド・パウエルの「クレオパトラの夢」、ピアソラの「リベルタンゴ」、渡辺のフラメンコ風「ネコビタンX」、パットメセニーの「アントニオ(?)」、ビレリ・ラグレーンの「フレンチxxxx(?)」、渡辺の「ユニコーン」、そして最後にクラシックから「ボレロ」だったように思う。演奏は、名人二人の超絶のギターデュオと言うべきレベルなので、最初から最後までテンポも緩まず、鋭いアタックとリズム、激しく切れのいいラスゲアード、低域から高域まで流れるような、かつ揺るぎないメロディラインの美しさ……と、2部構成のコンサート全体のサウンドを一言で言えば、見事な「スパニッシュ・スウィング」であり、2台のギターだけで、これだけ厚みのある多彩なサウンドと、激しく、しかも柔らかくスウィングする音楽を創造する二人は本当にすごいと思った。特に感じたのは、ガットギターのサウンドというのは、本当にジプシー的悲哀、フラメンコ的哀愁がよく似合うことだ。フラメンコギターの、一聴シンプルに聞こえるが非常に強烈なサウンド、複雑で推進力のあるリズム、うねるようなグルーヴには圧倒された。もちろんPA増幅はしているのだが、いわゆる生のガットギターとは、そもそもこういう音楽のために作られた楽器なのだ、ということがよく分かる。

同上
しかし、最後の演目「ボレロ」まで何本かのアコースティックギターの持ち替えだけで、本領を発揮するエレクトリックギターを封印(?)してきたかに見えた渡辺香津美が、「ボレロ」の中間部から取り出し、弾き始めたエレクトリックギターには心底惚れぼれした。どちらがいいとかいうことではなく、アコースティックギターのフレージングとの違い、そのサウンドの世界の違いと面白さを、ステージ上の同曲演奏でまざまざと見せつけてくれたからだ。100年近く前に、ジャンゴ・ラインハルトやチャーリー・クリスチャンのような名人がエレクトリックギターを引っ提げて登場したときは、きっとこうした驚きと感動を聴き手に与えたのかもしれない、と思ったほどだ。

本公演は、もちろんジャズっぽくもあるフラメンコがメインのギター音楽であり、ボーダーレスに世界の音楽を知る、本物のジャズとフラメンコの日本人ギター巨匠二人が、信じがたい技で自在に弾きまくるという素晴らしくハイレベルなライヴ音楽だ。即興演奏の部分も多いはずなので、たぶん2度と同じサウンドは聞けない音楽でもある。だが不思議なのは、聴いている客が中高年ばかりで、会場に若者の姿がほとんど見当たらないことだった。公演後感じたのは、「いったい、今の若者は何を聴いているのだろうか?」という素朴な疑問だった(大きなお世話かもしれないが)。先の短い年寄りが聞いているだけでは実にもったいない、滅多に聞けない創造的音楽なのに、とつくづく思う。コロナもほぼ収まった今年は、二人ともそれぞれ単独のライブ公演を数多くやる予定らしいので、老若男女問わず、素晴らしいギターの生演奏をぜひ聴きに行ってはどうかと思う。家の中で、YouTubeでチマチマ聴くのとは次元の違う音楽体験ができます。

2023/05/31

『グレースの履歴』

最近のTVドラマは、マンガやアニメの実写版のように、早いテンポの荒唐無稽なストーリーや、軽い人物描写ばかりで、元来そういうドラマを面白がって、結構好きだった私でもいささか食傷気味だ。21世紀に入ってから、音楽、映像、テキストすべてが「アートからエンタメ」に変容して、今や面白くないと、後の配信市場でも稼げない。その方向に行かざるを得ない作り手側も、それを好む視聴者側も、ほぼ同世代が世の中の中心になっているので、需要・供給両面で軽くて面白いエンタメ作品ばかりが増えることになる。消えつつある団塊世代や年配者も楽しめ、じっくりと味わえる、昔の文芸作品的なドラマはほぼ消えたと言っていい。現在、それに唯一挑戦できるドラマ供給者が、スポンサーフリーのNHKなのである。

この3月から5月にかけて放映されたNHK BSのプレミアムドラマ『グレースの履歴』(全8回)は、そういう風潮の中で、久々に物語そのものと、映像、音楽、登場人物の演技等、全盛期のテレビ作品にしか見られなかった丁寧な作りと高い質を持った大人のドラマだった。ヨーロッパの一人旅の途上、事故で急逝した妻の遺した車(グレース)のカーナビに導かれて、二人の過去を辿ることになる夫の旅路を繊細に描く物語だ。

脚本・演出を手掛けたのは源 孝志で、『京都人の密かな愉しみ』(2014~21)、『平成細雪』(2018)、『スローな武士にしてくれ』(2019)、『怪談牡丹灯籠』(2019) など、多くの大人のドラマをNHKで制作してきた人だ。音楽担当の阿部海太郎と組んだNHKドラマは、おそらく二人の美意識に共通したものがあるからだと思うが、丁寧に作られた映像と音楽が共に繊細で、美しく、格調の高さがあって、どの作品も何度でも見たくなる奥行と魅力がある。配役も、おそらく源 孝志の世界観と美意識に共感する俳優が選ばれているので、どの役者も今風の大袈裟な無理やり感が皆無で、登場人物として物語の中に自然に溶け込んで演じている。

最新作『グレースの履歴』でも、尾野真千子、滝藤賢一という夫婦の両主役に加え、源作品では欠かせない柄本 佑の自然な演技が光っていた。尾野真千子は、時おり関西風味が強すぎると感じることもあるが、やはりさすがの演技力で、物語の主人公・美奈子の独特の存在感をここまで表現できる女優はなかなかいないだろう。夫の希久夫役の滝藤賢一はTBSの『半沢直樹』で初めて知った人だが、様々な役柄がこなせる幅のある役者だ。近年では、広瀬アリスとの日テレのコメディ『探偵が早すぎる』で大いに笑わせてもらった。本作『グレースの履歴』では、真面目な、理系の「受け身の男」を演じて、実に良い味を出していた。その他、伊藤英明、宇崎竜童もよかったが、意外にも(?)広末涼子が希久夫の元恋人役を好演していたと思う。

映像美は源 孝志作品の要であり、本作でも3人目(?)の主人公「HONDA S800(エスハチ)」の深紅の車体の美しさを存分に生かして、湘南、信州、琵琶湖、瀬戸内、四国松山を巡る主人公のドライブと共に、各地の海、森、農道、並木、高原、湖などの背景にエスハチを溶け込ませた映像がふんだんに見られる。特に冒頭やエンディングで、尾野真千子の運転するS800がメタセコイアの並木道(滋賀県高島市らしい)を走る画、滝藤が信州の長い一本道の農道を走る画は美しい。クルマ好きにはたまらないドラマでもあるが、NHK制作なので社名「HONDA」への言及は控え目だ。しかし作者の「HONDA」への思い入れは、原作の小説を読むと非常に深いものがあることが分かる。今は消えてしまったが、20世紀の日本の夢を乗せた、この初の日本製ライトウェイト・スポーツカーの持つ、どこへでも身軽に飛んで行ける軽快さ、自由さが、主人公二人を結びつけ、人生を導く鍵なのだ。

ドラマを見てから『グレースの履歴』の原作小説を読んでみた。この本は源 孝志自身が2010年に『グレース』というタイトルで出版し(文芸社)、2018年に文庫本で『グレースの履歴』と改題して改めて発行されている(河出文庫)。著者がまだテレビ界でブレイクする以前に書かれた小説のようだが、やはり「脚本」を読んでいるように映像が目に浮かんで来る、非常にヴィジュアル・イメージを喚起する語り口の作家だということが分かる。ただし、ドラマを先に見ているので、登場人物のイメージがどうしてもテレビの印象に引っ張られ、テレビの俳優がそのまま浮かんでくる。ヴィジュアル情報が与える強烈さを再認識したが、先に小説を読んでいたら、どんな俳優がテレビ版には合っているのか想像できたか――と考えてみたのだが、もうイメージが湧いて来ない。

原作の登場人物は、それぞれ複雑な過去を背負っているが、8回連続とはいえ、TVドラマでは細かな情報をすべてカバーすることはできないし、(歳のせいか)こちらが見落とすこともあるので、見ていてときどき「??」と思う場面があった。また今回は前半録画もし損ねた。そこで、原作を読んでみることにしたのだが(TVドラマを見てから原作を読んだのは私的には初めてだ)、多少ストーリーがドラマ版と違うところもあるが(林遣都のエピソードなど)、なるほどそうだったのか、と納得できた場面も結構あった。この作者の作品は、非常に緻密に組み立てられているので、ドラマでも、何度も見ると毎回新たな発見がある。ただしエンディングは、「グレース」という車名の由来に回帰する小説版の方がしゃれていると思った。

ドラマは、10年以上構想を温めてきた源 孝志自身が、原作から脚本・演出のすべてを手掛けているわけで、その完成度の高さも分かろうというものだ。つい最近、2026年からのF1復帰を発表したホンダだが、2輪から始めて、世界の4輪市場に挑戦し、1964年に初参戦したF1で、80年代にはついに数多くのタイトルを制覇するという偉業を成し遂げた。ホンダは、戦後世界における日本の復興という夢と、日本ブランドの新たな価値を象徴する会社の一つだった。その夢を実現させたホンダと、創業者で生涯一人の技術者でもあった本田宗一郎氏への、著者の尊敬と愛が溢れるオマージュである原作小説には、同じく昔のホンダと創業者が好きだった私も、何度か胸に込み上げて来る部分があった。劇中、元ホンダ・レーシングチームのメカニックで、今は信州・岡谷でバイク修理店を営んでいる宇崎竜童演じる仁科 征二郎が、S800(グレース)を巡る物語の鍵を握っている設定がその象徴だ。薄っぺらなエンタメを遥かに凌ぐ、ノンフィクションの重みと歴史的背景に支えられた『グレースの履歴』は、大人が真に楽しめる良質な小説であり、TVドラマである。おそらく既に要望が急増しているとは思うが、NHKには、ぜひ地上波で本ドラマを再放送することをお願いしたい。

2023/04/21

(続)「長谷川きよし」を聴いてみよう

2018年1月に『「長谷川きよし」を聴いてみよう』という記事を本ブログで書いてからもう5年が過ぎた。その後コロナ禍のために音楽ライヴもすっかりご無沙汰だったが、昨年10月末に「新宿ピット・イン」で長谷川きよしのライヴを久々に見て、ある意味、ミュージシャンとして、その「不変ぶり」に感動した。私は1969年のデビュー作「別れのサンバ」以来のファンなので、50年以上彼の音楽を聴いてきたことになるが、73歳にして、その美声も、声量も、歌唱も、ギターも、サウンドも、半世紀前とほとんど変わっていなかったからである。そして、その「異質ぶり」も、ほとんど変わっていないと言える。長谷川きよしの歌の世界は、1970年代の日本のポピュラー音楽界では異質で、90年代も異質だったし、そして今でも異質だ。そもそも、時流や世の中の嗜好に音楽を合わせるというようなアーティストではなく、基本的に時代はおろか国すら超越して、ひたすら自らが「愛する音楽」を唄い、演奏する、という自分だけの世界を持つ音楽家だからだ。日本のポピュラー音楽界では、実にユニークな存在なのである。

私は歌だけ聴いていたわけではなく、「別れのサンバ」をはじめ、長谷川きよしの初期アルバム2作のほとんどの曲のギターを学生時代に「耳コピ」して、自分でもギターを弾いて唄って楽しんでいた(当時はそういう人が結構いたことだろう)。したがって、彼の音楽の聴き方も、普通の長谷川きよしの歌のファンとは少し異なるかもしれない。当時からジャズを聴いていた私がいちばん興味を持ったのは、歌だけでなく、長谷川きよしが弾くガットギターのサウンドだ。非常に日本的なサウンドの歌がある一方で、ジャズの世界では当たりのmajor7やdimというコードを多用するガットギターの「響きのモダンさ、美しさ」を、初めて知ったのも長谷川きよしの演奏からだ(今もガットギターによるジャズが好きなのもその影響だ)。ただし当時の長谷川きよしは、ジャズっぽい曲もあったがジャズではなく、サウンド的には総じてシャンソン、サンバやボサノヴァ系の曲が多かった。だがギターの「奏法」はフラメンコ的でもあり、ギターの弦へのタッチと破擦音が強烈で、それがガットギターのサウンドとは思えないようなダイナミックさを生んでいるのが特色だった。いずれにしろ、あの当時日本で流行っていたフォークソングや、歌謡曲、ロック、グループサウンズなどからはおよそ聴けなかったモダンなギターコードの新鮮な響きに夢中になった。1970年頃、そんなコードやサウンドが聞ける歌を唄ったり、演奏しているポピュラー歌手は日本には一人もいなかったと思う。

Baden Powell
長谷川きよしのリズミカルで歯切れの良いギター、特にコード奏法の大元は、やはりバーデン・パウエルだろう。私も「別れのサンバ」から始めて、その後バーデン・パウエルやジョアン・ジルベルトなど、ブラジル音楽のサンバやボサノヴァ・ギターの演奏にチャレンジするようになった。当然だが、あの時代は今のようなデジタル録音機器はもちろんなく、アナログ録音機さえカセットはおろか、高価なオープンリールのテープレコーダーしかなかった。ましてギターのコピー譜など何もなく、ただレコードを何度も何度も繰り返し聴いて、音やコードを探し、耳コピで覚えた音を、自分流に勝手に演奏していた。バーデン・パウエルの「悲しみのサンバ (Samba Triste)」など、耳コピの音符を基にして自分で譜面まで書き起こしたほどだ(その後、故・佐藤正美氏の完コピ演奏を聴いて、その正確さに驚いた。この曲は今でもYouTube上で演奏している人が結構いる)。確か『長谷川きよしソングブック』という楽譜集がその後出版されて、「夕陽の中に」のようなジャズっぽい複雑なコードの曲は、その譜面で覚えた気もする。だが、そうやって苦労して覚えた音符や演奏も、半世紀後の今はほとんど忘れてしまい、もう指も動かない…(どころか、情ないことに、近頃はギターを持つだけで重たく感じるくらいだ…)。

1970年頃、銀座ヤマハの裏手にあったシャンソン喫茶「銀巴里」で、ナマの長谷川きよしの歌と演奏を「目の前で」見て、聴いて、その歌唱の本物ぶりと、ギターのフレット上を縦横無尽に動き回る指の長さと、その動きの速さに心底びっくりし、圧倒され、感動した。長谷川きよしのサウンドとリズムは、シャンソン、カンツォーネ、フラメンコ、サンバ、ボサノヴァ、ジャズ……が一体となった、まさに「ワールド・ミュージック」の先駆で、そんなジャンル横断的な音楽を演奏する歌い手も当時の日本には一人もいなかった。それから50年後の昨年末の「ピットイン」ライヴに行ってから、これまで聴いてきた彼の曲や演奏を、あらためて聴き直してみた。当時の他のポピュラー曲の多くが、半世紀を経て古臭い懐メロになってしまった今も、「別れのサンバ」を筆頭に、長谷川きよしの楽曲の多くは色褪せることもなく、一部の曲を除けば、ほとんどが依然として「モダン」なままだ。これもまた驚くべきことである。

一般的には「黒の舟歌」や加藤登紀子との「灰色の瞳」など、長谷川きよしにしては珍しい(?)ヒット曲が有名で、テレビ出演のときにもそういう歌ばかり唄ってきた。長谷川きよしのファンは、ほとんど「コアな」ファンばかりだとは思うが、そうしたヒット曲や分かりやすい曲のファンもいれば、彼の詩や訳詞の世界が好きだという人、シャンソンやラテン系のしぶい弾き語りが好きな人、また私のようにジャズやボサノヴァ系の歌が好きなファンまで様々だろう。しかし、「変わらない長谷川きよし」を何十年にわたって聴いてきた私が、真に「名曲」「名唱」だと思う歌は、やはりほとんどが初期の楽曲で、『ひとりぼっちの詩』、『透明なひとときを』というデビュー後2作のアルバムに収録されている。たいていのシンガーソングライターは、やはりデビューした当時の音楽がもっとも新鮮で、長谷川きよし自身もそうだが、聴き手としての自分もまた、まだ若く感受性が豊かだったことや、自分でギターコピーまでしていたこともあって、なおさらそうした曲の素晴らしさを理解し、また感じるという傾向もあるだろう。しかし、CD再発やダウンロードに加え、最近はストリーミング配信にも対応したということなので、長谷川きよしの「有名曲」や新しめの曲しか聞いたことのない人にも、それ以外の「隠れた名曲、名唱」の数々を、ぜひ一度聴いてもらいたいと思っている。もちろん好みの問題はあるだろうが、とにかくこれまで日本にはおよそいなかった、素晴らしい音楽性を持ったユニークな歌手である、ということが分かると思う。というわけで、以下はあくまで極私的推薦曲である。

ひとりぼっちの詩
(1969)
アルバム『ひとりぼっちの詩』(1969年) は、若き盲目のギタリスト&歌手という売り出しイメージもあって(ジャケットもいかにもそうだ)、どちらかと言えば暗くメランコリックなサウンドとトーンで、十代の少年/青年にしか書けない、孤独、純情、夢想が散りばめられたデビューアルバムだ。「別れのサンバ」(こんな複雑なギターを一人で弾きながら、自作曲を歌える20歳は、50年後の今もいない)、「歩き続けて」(1973年の井上陽水の「帰れない二人」と並ぶ、永遠の青春ラブソング。イントロのmaj7の響きが当時としては出色)という2曲は、いまだに色あせない名曲だ。クールなボッサギターで、深い夜の孤独をしみじみと唄う「冷たい夜に一人」、同じくボサノヴァの青春逃避行ラブソング「心のままに」、さらに、おしゃれな都会風ボサノヴァ「恋人のいる風景」など、どれも未だにモダンな曲ばかりだ。

透明なひとときを
(1970)
2作目のアルバム『Portrait of Kiyoshi Hasegawa(透明なひとときを)』(1970年)は、デビューアルバムとは趣をがらりと変えて、シャンソン、カンツォーネなどのポピュラー曲のカバーに、モダンなボサノヴァのタイトル曲をはじめとする自作曲を加えた、当時の長谷川きよしの歌の世界のレンジの広さと「全貌」を伝える傑作だ。中でも「夕陽の中に」は、このアルバムに収録された「光る河」と同じく津島玲作詞のオリジナル曲で、村井邦彦のジャジーな編曲と、とても20歳とは思えない大人びたアンニュイな歌唱が素晴らしい。「透明なひとときを」も、村井邦彦のアレンジによる、当時としては超モダンなボサノヴァ曲だ。越路吹雪の歌唱で有名だったシャンソンを、ピアノ中心のジャズ風にアレンジした「メランコリー」、60年代カンツォーネの名曲「アディオ・アディオ」「別離」、サンバ調の「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」等々、いずれも当時まだ20歳の若者が作ったり、唄ったりしたとは信じられないほど本格的な歌唱で、何度聴いても素晴らしい。

コンプリート・シングルス
(1999)
長谷川きよしは、まだ十代のときに、1960年代に隆盛だったシャンソン・コンクールで入賞したことがデビューのきっかけだったほどなので、上記アルバム収録曲のほか、エディット・ピアフの「愛の賛歌」、ジルベール・ベコーの「帰っておいで」「そして今は」「光の中に」など、一部フランス語の歌唱も含めてシャンソンは何を唄っても素晴らしい。いわゆるシャンソン風の語り歌と違って、正統的、本格的な歌唱で唄い上げるのが特徴だが、ギターと美声で原曲の良さが見事に描かれる。津島玲時代を除くと共作はそれほど多くないが、1970年代には、荒井由実時代のユーミンの曲「ひこうき雲」「旅立つ秋」のカバーの他に、「ダンサー」「愛は夜空へ」など、ユーミン作詞・長谷川きよし作曲のコラボ曲があって、これらはさすがに長谷川きよしに似合う曲ばかりだ。「卒業」(作詞・能 吉利人)「夜が更けても」(作詞・津島玲)も佳曲だ。私は上記2枚のアルバムLPとCD以外は、『コンプリート・シングルズ』『マイ・フエイバリット・ソングス』などのコンピレーションCDに収録されたこれらの曲を聴いている。'00年代には、長谷川きよしを「発見」した椎名林檎とも共演し、彼女が提供した「化粧直し」もカバーした(これは椎名林檎本人の歌が、実に長谷川きよし的でいい)。

アコンテッシ
 (1993)

私が最後に買った「LP」は1976年の『After Glow』で、その頃からどこか歌の世界が、変質してきたような気がしていた。だから、それ以降80年代の長谷川きよしの歌はほとんど聴いていない(本人も一時スランプになったらしく、隠遁生活をしていた)。そして、バブル崩壊後の1993年に突然復活し、ほぼ15年ぶりに聴いて驚愕したのが、NHK BSでテレビ放映されたフェビアン・レザ・パネ(p)、吉野弘史(b)、ヤヒロトモヒロ (perc)とのユニットであり、そのメンバーで録音したのが名作『アコンテッシ』である。自作定番曲の再カバーと、ピアソラ、カルトゥーラの名曲に自作の訳詩をつけ、それらを素晴らしいユニットの伴奏でカバーしたこのアルバムこそ、初期2作と並んで、歌手・長谷川きよしの歌手としての個性と実力をもっともよく捉えた傑作だ。初期からの「バイレロ」「ラプサン」「別れのサンバ」「透明なひとときを」という名曲に加えて、岩松了作詞の新作「別れの言葉ほど悲しくはない」、さらにピアソラの「忘却 (Oblivion)」、カルトゥーラの「アコンテッシ」という3曲がとにかく素晴らしい。長谷川きよしは、この90年代半ばの再ブレイクで、再びTVやライヴで脚光を浴びるようになり、何枚か新作CDもリリースしてきた。

ギター1本で唄う長谷川きよしもいいのだが、私はどちらかと言えば、ライヴでやっていたピアノ(林正樹)やパーカッション(仙道さおり)のような伴奏陣のリズムとメロディをバックに、リラックスして、歌に集中して唄うときの長谷川きよしの歌唱がいちばん素晴らしいと思う。だから昨年も、久々に「新宿ピットイン」のドス・オリエンタレスとの共演ライヴにも出かけたのだが、期待通りで、やはり行ってよかったとつくづく思う。今年はコロナからの復活ライヴが各地で行なわれるようになって、音楽シーンもミュージシャン自身もやっと活気が戻って来たが、長谷川きよしをはじめ、70歳を過ぎたベテラン・ミュージシャンたちにとっては、限りある人生に残されていた時間のうち、貴重な3年間をコロナで失ってしまい、引退時期を早めた人も多いようだ。残念ながら4/2の京都「RAG」でのソロライヴには行けなかったが、長谷川きよしは今は地元になった京都でもライヴ活動を続けるようだし、来月以降東京、大阪でのライヴ公演も決まっているらしいので、これまで彼を未聴だった人は、ぜひ一度ナマで聴いてもらいたいと思う。

2023/03/31

映画『BLUE GIANT』を見に行く

2月に封切りになったアニメ映画『BLUE GIANT』(石塚真一作、立川譲監督)を見て来た。原作漫画については、以前このブログで極私的感想文を書いている(2017年8月「ジャズ漫画を読む(2)ブルージャイアント考」)。主人公であるジャズに挑戦する若きサックス奏者の人物造形やストーリーはさすがによく描けているが、「ドドド…」とか「ブオー!」とか「ダダダ…」とか、ひたすら楽器の擬音と、動きを表す背景の線(「集中線」というらしい)が続く演奏場面ばかりで、登場人物がときどき口にする内面の独り言を除けば、セリフのまったくないコマだけが延々と何ページも続き、にもかかわらず、そこから「ジャズの音が聞こえてくる」(これは人によってまったく音のイメージが違うはずだが)という空前の「脳内ジャズ漫画」だ。アニメではその漫画の人物たちが動き出し、脳内ではなく、画面から実際にジャズのサウンドが聞こえて来る。

2013年に「ビッグコミック」で連載開始したこの漫画は、単行本シリーズ第1部全10巻(無印)、続編であるヨーロッパ編「Supreme」全11巻に続き、現在は第3部のアメリカ編「Explorer」連載中という、10年間も続いて累計1,000万部近くを売った大ベストセラー漫画である。漫画に加えてCDやLP他の関連グッズを含めれば、いかなる分野であれ昔から「カネにならない」と言われてきたジャズがらみで、こんなに売れた「コンテンツ」はないのではなかろうか。それほど面白く魅力ある作品だということだろうし、昔ながらのジャズという音楽の「イメージ」を変え、それを受け入れ、楽しむ「新しい層」を開拓した、まさに画期的な漫画である。いわば「古くて、新しい音楽」というイメージを、あらためてジャズに与えた作品と言えるだろう。

坂道のアポロン
とはいえ、「ジャズ漫画」と、そのアニメ化を含むマルチメディア化は『ブルージャイアント』が初めてではない。同作の連載が始まる前年の2012年に、『坂道のアポロン』(児玉ユキ原作)が既にTV版アニメ(フジテレビ /ノイタミナ)で、ジャズを取り入れた優れた映像作品として制作されている。クラシック音楽の世界では『のだめカンタービレ』や『ピアノの森』など、メジャーな漫画もアニメもドラマもいくつか制作されているし、クラシックは年齢、性別を問わず、音楽としての認知度が高く、市場に受け入れられやすいので、今後ともその手の作品は現れることだろう。しかしジャズはそうではない。近年大衆化が進んだとは言え、ロックやポップスのように分かりやすくはなく、日本に限らず、いまだに基本的には知る人ぞ知る(コア層しか聴かない)音楽なので、若者を含めた一般人にとっては敷居が高く、コマーシャル的な観点からの市場規模も小さい。「物語」としてのジャズ漫画(2008年)も、そのTVアニメ化(2012年)も、実写映画化(2018年)も、日本生まれの『坂道のアポロン』が世界初だろう。この作品は、’70年安保闘争に揺れる長崎県の軍港・佐世保を舞台にした1970年前後の高校生の青春を、ジャズを主題にして詩情とノスタルジーに満ちた表現で描いた少女漫画が原作だ。時代背景への共感もあって、少女漫画的なストーリーではあっても、ジャズが青春の音楽だった団塊世代や、ジャズ好き中高年層にも違和感なく受け入れられ、好評を博した。とりわけアニメ版で、原作では聞こえなかったジャズの「サウンド」が、テレビの映像と共に聞こえてきたときには、大袈裟だが本当に感動したものだ。しかも映像と音楽が物語の流れに沿って自然に気持ちよく組み合わされ、たとえば文化祭の体育館での「My Favorite Things」演奏シーンのように、有名なジャズ曲や演奏が作品中でBGMも含めて使われているので、ジャズファン的にも大いに楽しめる作品だった。

一方の本作『BLUE GIANT』は、私のような年寄りのジャズ観からすると、想像すらしたことのない「熱血ジャズ漫画」という、ある意味で形容矛盾とさえ思える、あり得ないような設定の作品だ(ロックバンドの話じゃあるまいし…という)。ジャズへの情熱に駆られたド素人の高校生が、逆境をものともせず、しかも狭い日本の中に留まらず、「世界一のジャズ・プレイヤーになる」という夢に向かって世界を股にかけてチャレンジし、人生を切り開いてゆく――という、『坂道のアポロン』の穏やかで詩的、文学的世界とは正反対の、ダイナミックで、まさにスポ根的な成長物語だ。だが、たとえばセリフもそうだし、英語の各章タイトルも、『坂道のアポロン』では有名ジャズ・スタンダードの英語曲名だけだったが、本作では、その章の内容に沿った英語もタイトル名に選ばれている――など、作者の石塚真一氏の米国本土や海外での実体験と、そこで培った言語力を基にして描いているので、第2部以降のヨーロッパ編でもアメリカ編でも、相変わらず大胆で強引な主人公の行動とストーリー展開にもかかわらず、背景や人物描写にリアリティがあって、漫画的な荒唐無稽さがあまり感じられない。ヨーロッパ各国の人や価値観の多様性、ロックとジャズの対比、アメリカの文化的個性と各都市の人々の気風なども、「ユニバーサルな音楽」というジャズ最大の特性を通してよく表現されている。「前へ前へ」と常にドライヴをかけるようなストーリー展開が特徴で、また作者の人間観だと思われるが、主人公の人柄と熱意ゆえに、国や地域を問わず、かならず彼を理解し支える協力者が現れるなど、人物と人間関係の描写に常に温かみが感じられるので、どの章でもそれが心に響き、読んでいて気持ちが良い。

今回のアニメ映画版は、主人公・宮本大のジャズへの情熱、日本での成長と友情を中心に描く第1部を土台にしている。ジャズ・ピアニスト上原ひろみが演奏と作曲の他、音楽表現全体を監修していて、プロのジャズ・ミュージシャンたちが登場人物になりきって実際に演奏した「ナマ音」を録音し、そのサウンドに合わせて物語を展開させた、という本格的ジャズ・アニメ映画である。こちらも、当然ながら漫画では、いわば「空耳」でしか聞こえなかった「サウンド」が実際に映像に加わり、それが映画館のドルビー音響で、しかも大音量で聞けるのだから、ジャズファンなら楽しめないはずがない。それどころか、これまでジャズを聴いたことがない(or 原作すら読んでいない)、という若い観客層までが映画館に足を運び、ネット上で「ジャズ、カッケー!」とか言って感激している。私が行った映画館の客層も、若者もいれば、高齢者もいて、男女比も含めて幅広い層で構成されていたし、観客動員数も予想以上の大ヒット映画になっているらしい。原作もそうだが、音楽も入って、よりドラマチックな展開のアニメ版では、「泣ける」という声もさらに強まっているようだ。

これは原作者、制作者の期待(狙い)通りの反応と言えるだろう。原作者がインタビューで、この漫画を書き始めた動機について語っているように(私も上記ブログ記事で作品の背景を分析している)、ジャズ自体は今や普通にどこでも聞こえてくる音楽になっているが、その一方で、ジャズと真剣に向き合う演奏家は、この半世紀の間ジャズの「勉強と分析」に注力しすぎて、ある意味で複雑で頭でっかちな音楽にしてしまい、普通の聴き手の「エモーション(情感)」に理屈抜きで直接訴えかける、ジャズが本来持っていたはずの原初的「パワー」を失ってしまったかのように思える――という傾向に対するアンチテーゼとして、「ジャズを知らない若者にも、ジャズが持っている音楽としてのパワーと素晴らしさを、シンプルかつストレートに伝えたい」というのが、そもそもの作者の意図だった。その作者がイメージしているジャズの原点は、1950年から60年代にかけてのブルーノート・レーベルのサウンドのようだ。RVG録音に代表される当時のブルーノートのレコードと演奏は、(好きか嫌いかという次元を超えて)永遠に語り継がれる20世紀ジャズ・クラシックであり、まさにオールタイム・ジャズサウンドだからだ。作者がイメージしていたこうしたサウンドを、アニメでは上原ひろみの現代的アレンジで再現し、それを映像に加えることで若者の心を掴むことにも成功したようだ。

私はアニメーションの技術についてはまったくの門外漢なので、映像面に関して云々する立場にはないが、なめらかな線と動き、落ち着いた色彩で描かれた本作の映像は非常にきれいで楽しめた。しかしサウンド面に関しては、ジャズファン的見方からすると、映画で流れるジャズのサウンドを、漫画のイメージから予想していた通りだったという人もいれば、意外なサウンドに聞こえたという人もいるだろうと思う(私は後者だった)。アニメ『坂道のアポロン』では、いわゆる「スタンダード曲」という、ジャズファンなら誰でも知っている音楽と演奏が聞こえて来るし、時代的、ストーリー的にも当然そういう選曲になる。ビル・エヴァンスの弾く「いつか王子様が」とかジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」とかがそうで、それらがアニメ中でも違和感なく自然に耳に入って来る。しかし『BLUE GIANT』では、まず時代設定が「現代」であり、20歳前後の、ロクにジャズ理論や演奏のキャリアも積んでいない現代の若者が作曲したオリジナル曲や、彼らが演奏するジャズが、いったいどんな「サウンド」なのかは誰にも想像がつかないはずなのだ。実は、そこをアニメではどう表現するのか――制作者が、そこをどう解釈して実際のサウンドを作ったのかが、個人的にいちばん興味があったのだが、聞こえてきたのは、比較的「普通のサウンド」だったので私的には幾分拍子ヌケした(もっとフリーっぽい、ハチャメチャなサウンドを予想していたからだ)。しかし、原作者が好む上述のジャズ・サウンドの傾向と、このアニメ作品の企画意図からすると、おそらくいろいろ意見があったにしても、まずまず妥当なサウンドに直地したということなのだろう。ロックやポップスしか知らない日本の若者にアピールするためには、ある程度分かりやすい音楽でなければならないだろうし、いきなりハードでアヴァンギャルドなジャズというわけにもいかないからだ。上原ひろみが、そのバランスを考慮しながらサウンドをまとめていったのだろうと推察する。だが登場人物たちの「熱く燃え上がるような意欲」は、アニメによる動く映像の効果も併せて、サウンド的にもリアルに表現されていたと思う。

漫画『BLUE GIANT』はまだ連載中の作品でもあり、アニメ化をどこまでやるのかは分からないが、仮に今後も計画しているようなら、「旅立ち編」とも言える、日本を舞台にした今回の第1部から、いかにもヨーロッパ的な多国籍メンバーによる第2部「Supreme」、ジャズの「本場」アメリカ大陸を、冒険するかのように横断してゆく現在連載中の第3部「Explorer」――と、聞こえてくる宮本大のサックスとバンドのサウンドが、彼の人間的、音楽的成長と共に、どのように変化してゆくのかも「聞きどころ」になるだろう。ストーリー展開もさることながら、ジャズファンにとってはそれもまた、アニメ化した『BLUE GIANT』の大きな楽しみになった。

2023/02/11

ルフィと鬼平

フィリピンを拠点にしたデジタル時代強盗団の指揮系統、組織、コミュニケーション・ネットワークの詳細を知るにつけ、『鬼平犯科帳』の世界とまったく同じではないか、と唖然とする。私は原作というよりも、ヴィジュアル化した中村吉右衛門の鬼平のファンなので、BSフジのドラマ再放送を何度も見ているが、「いつの世にも悪は絶えない」というオープニング・フレーズ通りに、現代のルフィ強盗団と江戸時代の強盗の手口が酷似していて、新たな情報が出て来るたびにその共通点にびっくりする。違うのは犯罪ツールと犯罪対象地域で、人間が頼りだった指示系統にデジタル機器と情報を駆使するところと、国内ではなく安全な海外に拠点を置いて、そこからスマホゲームのように日本全土をカバーする国内犯罪を指揮、操作していることだ。足跡を残さないような手段、技術も当然織り込んでいて、現代のスマホの情報技術と効用を最大限に「悪用」した犯罪だ。

時代は移っても、人間のやることに、たいして変りはないということでもある。江戸時代の強盗団組織も、盗人(ぬすっと)大親分の下に主要な手下、手配師、つなぎ、実行犯他の階層を持ち、その組織を通じて「おつとめ」(犯行)ごとに「実行犯」を全国からかき集め、足がつかないように犯行後は一旦解散して、犯行のたびに離合を繰り返した。大金を保有している狙いを定めた大店(おおだな。主として商店)など、犯行先の保有金品の総額、保管場所、家屋内の間取り、家族人員構成、生活パターンなどの詳細情報を事前収集するための「情報屋」や「仕込み」(「引き込み女」―女中、嫁などを1年以上前から店に潜入させる)や、さらに蔵の錠前の合鍵作りを頼む鍵師、屋敷の設計や工事を担当し、間取りを知る大工など特殊技能を持った人間――等々による巧妙な犯罪者ネットワークを組織していた。

大きな「おつとめ」の場合は、数年かけて周到に下見を行ない、戦略と計画を練った上で、犯行の直前に「盗人(ぬすっと)宿」と言われる旅館(もちろん仲間)に一同が集まり、当日(夜)一気に大店を襲う。鬼平側は対抗策として、この盗賊団の動きを事前に察知すべく、鬼平配下に元盗賊で裏世界に通じた「密偵」を置き、彼らを使って強盗団の情報収集をする。盗賊にもそれぞれポリシーがあり、「犯さず殺さず」をモットーに、人的被害を最小限にして金品だけをいただくのが最高の仕事とする職人肌の大親分もいれば、流れ者の実行犯を集めて、ろくに事前準備もしない荒っぽい「急ぎ働き(いそぎばたらき)」(押し込み強盗)で、平気で人を何人も殺して金品を奪う悪質な強盗もいた。

報道されている限り、このルフィ一味の手口を見ると、明らかに「オレオレ詐欺」「振込詐欺」など特殊詐欺犯罪の延長にある。特定のターゲット(主に老人)と、金品の保有額、家族構成やその周辺情報を精密に入手、分析し、「かけこ」や「うけこ」といった実行犯の役割を分担し、それらを巧妙に使って、いかにしてうまく「だまして」金をせしめるか――という、ある意味穏やかな(?)知能組織犯罪だったのが、詐欺情報が世の中に広まるにつれて、徐々に防御策を講じられて成功率が下がり、幹部も逮捕されたりする。しかし、この過程で集積してきた「犯行ターゲット情報」は組織主導者の手元に残されており、情報収集のノウハウも進化していただろうし、その後も金を使って情報屋の数と手段を増やして、ターゲット情報そのものは質量ともにさらに深化していることだろう。おまけに実行犯を集めるのは、ますます簡単になっている。そうして集積した情報と組織を使って、今度は詐欺ではなく、相手を殺しても確実に金を奪う、より荒っぽい「急ぎ働き」の手口(それもリモートコントロール)に変質してきたということだろう。

まさに「いつの世にも悪は絶えない」で、一定の割合で、どうしようもないワル(悪党)はいつの時代も存在する。特に「悪事」を想定した「新テクノロジー」への悪人の興味と反応は昔から素早く、現代では犯罪ツールとしての応用のみならず、SNSを使った実行犯の若者を対象にした闇バイト募集など、自然に、簡単にその種の人間が集まるようになった。テレビドラマの「鬼平」の江戸時代の盗賊団の手口(その計画性、組織的行動)には驚いたものだが、頭の良い悪党ほどタチの悪いものはないのだ。今度もそうだが、末端の実行役が捕まろうが痛くもかゆくもないと豪語している元手配師もいるし、フィリピンのように海外逃亡どころか、拘束されても平気で現地に根付いて、のうのうと生きている連中なのだ。こうして国境を楽々と越えて網の目のようにつながる犯罪ネットワークへの対抗策と、首謀者、責任者の摘発と妥当な量刑の適用など、デジタル犯罪時代に対応した情報力、機動力を持つ強力な現代版「火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)」の機能と、その業務を支援し、犯罪者を罰する法規制の改革が、急務だろう。

平和な世の中で生きてきて防犯意識が薄く(人を信じやすく)、デジタル社会に乗り遅れ、今後も増え続ける情報弱者の「団塊の金持ち老人」たちは、彼らにとって格好の犯行ターゲットであり、今後も同種の輩と犯罪は後を絶たないだろう。その背後には当然暴力団組織の存在もあるのだろう。金が有り余っていたひと昔前のようには、またコンプライアンスのゆるかった時代のようには社会の富の分け前に預かれなくなって、食い詰めたヤクザや半ぐれの予備軍が増加しているのは間違いない。この30年間、世界的に見てもデジタル化が遅れた日本で、いちばんそのデジタル技術を活用しているのが悪質な強盗団ではシャレにもならない。本当に日本は、かつてなくイヤな世の中になりつつある。

2022/11/07

「PIT INN」で長谷川きよしを聴く

(2015年出版)
本人曰く、まる3年ぶりという「長谷川きよし」のライヴを見に、10月30日に新宿「PIT INN」へ出かけた。昔、紀伊国屋書店の裏にあった時代にはよく行ったものだが、1992年に今の場所(新宿3丁目)に移転してからも何度か行った記憶はある。だが、もう何年ぶりか忘れたくらいご無沙汰していて(ほとんど都心に出なくなったので)、新宿駅近辺もすっかり様変わりし、しかも昼間のライヴだったせいか景色が違って、最初は店の場所すら分からなくて戸惑った(浦島太郎状態である)。しかし、移転した当時は、あんなに飲み屋とかラーメン屋が周囲にある場所ではなかったような気がするが……確かに30年も経てば、こっちもそうだが街も様変わりするのだろう。「ブルーノート」や「コットンクラブ」など、バブル時代以降、東京のジャズクラブがすっかり高級な(軟弱な?)オシャレスポットに変貌してきた中、1965年から60年近くにわたってコアなジャズファンに支持されてきた「PIT INN」は、ライヴ・スケジュールを見ると、相変わらずハードなジャズ・プログラムと、昼間は若手ミュージシャンに演奏の場を提供していて、当初から続く我が道を行く姿勢を崩さない。こういうジャズクラブが1軒くらい、いつまでも都心に残っていて欲しいとつくづく思う。

予約はメールで事前に済んでいるが、当日、店で直接料金を支払い、代わりに受付番号を書いたカードをもらって、時間をつぶし、開演30分前から店の前(地下)に並んだ人を番号順で呼び出して着席させるという、超アナログな昭和的システムに驚いた。今どきのコンサート会場だと、ネット上で支払いも済ませ、座席も確定するのが普通だが、ライヴ開演前に行列して順番を待つ、という大昔の新宿2丁目時代の懐かしい記憶がよみがえった。確かに昔は、その待ち時間ですら、わくわくした気分でいたものだったが、残念ながら、自分も含めてみんな歳をとった今は、「早く座らせてくれ…」という気持ちの方が強いことが並んでいる観客の顔つきでも分かる。店の内部は、全席ステージを向いたきちんとした椅子と、小さいながらテーブルもあって、ワンドリンクをいただきながらライヴを楽しめるという、大昔に比べたらずっと快適な環境ではあった。

長谷川きよしが京都に引っ越してからは、東京近辺のライヴで出かけたのはコンサート・ホールばかりだったので、クラブでのライヴは本当に久々だ(江古田以来か?)。と言っても今回は単独ではなく、ヤヒロトモヒロ (perc) と、南米ウルグアイのピアニスト/ヴォーカリスト/アコーディオン奏者/電子楽器奏者/打楽器奏者…というマルチ・プレイヤーであるウーゴ・ファトルーソ(Hugo Fattoruso)のデュオ・バンド「ドス・オリエンタレス」(Dos Orientales)に、長谷川きよしが客演するという形のライヴである。ウーゴが1997年に来日した時に共演して以来25年ぶりの再演ということだ。当時の長谷川きよしは、ヤヒロトモヒロ (perc)、フェビアン・レザ・パネ(p)、吉野弘志(b)というトリオと4名で編成した素晴らしいグループで活動していて、音楽的にもっとも充実した時代だったのではないかと想像している。同メンバーで名盤『アコンテッシ』を録音したのもこの時期で、ヤヒロトモヒロともそれ以来の仲なのだろう。ライヴの冒頭でヤヒロも、共演したいと思う日本人ヴォーカリストは長谷川きよしだけだと賛辞を送っていた。

日曜日、午後2時開演というライヴは、前半がドス・オリエンタレスの二人と長谷川きよしの共演、後半がドス・オリエンタレスのみという2部構成だった。コロナ禍の3年間は、ライヴ情報どころか、まったく音沙汰がなかったので、「生きているのか?」とさえ(失礼)思っていた長谷川きよしだったが、やっと人前で演奏する気になったようだ(YouTubeでは発信していたらしい)。とにかく「コロナに感染したくない一心で」引きこもり生活を3年間続けていた、と本人が冒頭に語ったので、「声の状態や歌の方は大丈夫なのか?」と、一瞬心配になった。しかし演奏が始まるや否や、そんな杞憂はあっという間に吹き飛んで、むしろ久々のライブ演奏で張り切っているように見えた。ギターはもちろんのこと、声量もピッチもまったく衰えを感じさせない、相変わらず素晴らしい歌を聞かせてくれた。しかもヤヒロのパーカッションに加え、ウーゴ・ファトルーソのピアノやアコーディオンがバックに加わるので、サウンドに厚みも出て、リズムも躍動し、どの曲もラテン風味いっぱいの演奏となった。「別れのサンバ」、「灰色の瞳」というお馴染みの曲に加えて、ピアソラの「Oblivion」(忘却)を久々にナマで聴けたのは嬉しかった。他のラテン曲も、本場のウーゴとヤヒロトモヒロという名人がバックなので、当然ながらリズムの「ノリ」がまったく違って楽しい演奏になった。それにしても、1970年頃の「銀巴里」で、20歳のときにギター一本で堂々と唄う姿を見て以来、50年という歳月を経て、73歳にしていまだ現役、しかもまったく衰えを見せずに力強く唄っている長谷川きよしは本当にすごいアーティストだ。

ドス・オリエンタレス
…と思っていたら、ウーゴ・ファトルーソはなんと御年80歳(!)になるというから、上には上がいる。芸術家は年を取らないというのは本当だ。私は今回初めて聴いたのだが、ウーゴ・ファトルーソは90年代から来日しているが、特に2007年にヤヒロとドス・オリエンタレスを結成後は何度も来日していて、日本でも既にかなりファンがいるようだ。ピアノばかりでなく、80歳とは思えないようなヴォーカルや、アコーディオン、キーボード、さらにはコンガまで叩く全身これミュージシャンというすごい人だ。今回ヤヒロトモヒロとウーゴは、既に10月はじめから全国ツアーをしているが、11月にも京都での長谷川きよしとの再演の他、関西、名古屋、東京と、ライブ出演の予定で埋まっているようで、彼らの人気のほどがうかがえる。

それにしても、南米の「ラテンのリズム」は、どうしてあんなに素晴らしく変幻自在なのだろうか。やはり古来のアジア系インディオの音楽に、スペイン、ポルトガルというヨーロッパのラテン系の血、そこにアフリカのリズムが加わるという、まさに絵にかいたようなワールド・ミュージックというべき複雑な混淆の歴史から来るものなのだろう。私はジャズ好きだが、長谷川きよしの「別れのサンバ」がきっかけになって、ボサノヴァやサンバにも興味を持ち、バーデン・パウエルやジョアン・ジルベルトのギターの耳コピをしたり、アルゼンチンのエドワルド・ファルーやユパンキのギターもよく聴いた。ピアソラのタンゴも好きだ。ファトルーソのピアノはもちろんジャズ色が強いが、サウンドの魅力はやはりそのラテン独特のリズムにあり、ヤヒロトモヒロと二人で打ち出すリズムは一聴シンプルでいながら複雑で、深く、聴いていて非常に楽しめるので、ラテン好きな人にはたまらない魅力だろう。2部ステージの最後では、もう一人の女性パーカッショニストが加わって、3人で素晴らしいコンガ(?)トリオの演奏を披露した。

ただし今回の「PIT INN」は観客(約100人)の平均年齢が高く、また長谷川きよしのファン層は昔からそうだが、歌と演奏をじっくりと聴きたいという人が多いので、逆に言うと聴衆としてはおとなしくて「ノリ」が悪い。長谷川きよし単独のライヴ時はまだいいが、今回のような賑やかなラテン系のミュージシャンとの共演だと、演っている側は聴衆のノリが悪くてやりにくいだろうな、と思いながら聴いていた。たぶん、ドス・オリエンタレス単独のライヴでは、ラテン好きな人たちが集まるので、もっ聴衆のテンションも高く、奏者もラテンのノリで楽しく演奏できるのだろう。

アコンテッシ (1993)
ところで当日、長谷川きよしが最近YouTubeにアップしたという何曲かの「岩松 了・作詞」の曲を唄った(「涙を流そうとしたけれど」他)。岩松 了と言えば、私が知っているのは『時効警察』の熊本課長や『のだめカンタービレ』の、のだめの九州・大川の父親役などの独特のコント風の演技で、それ以外に脚本を書いたり、作家・演出家など、本格的演劇人であることも知っていたが、長谷川きよしのようなミュージシャンの曲の詞まで書いていることは知らなかった。90年代にいくつか書いたらしいその歌詞は、コント風どころかどれもシリアスかつ文学的なもので、名盤『アコンテッシ』に収録されている、私の好きな「別れの言葉ほど悲しくはない」の歌詞もそうだと知ってびっくりした(この曲をナマで聴いたのは、この日が初めてだったと思う)。私の場合、一度CDをPCにリッピングすると、ライナー類の史料はその後あまり読むことがないので、細かなデータを忘れていることが多く、てっきり長谷川きよしの作詞かと思い込んでいたのだ。当時、長谷川きよしと女優・吉行和子が組んで二人でやっていたステージの演出から、作詞・作曲という関係ができたようだ。いずれの詩も、岩松 了のテレビでの演技からは想像もできない(?)文学的内容に誰でも驚くだろう。

当日のステージで、長谷川きよしの楽曲が遅ればせながらストリーミングで配信されるようになった、という話が本人からあった。長谷川きよしの場合、廃盤になっていたレコードも多いし、『アコンテッシ』でさえ最近やっと普通に入手できるようになったくらいで(以前はコンサート会場で、長谷川きよしの私家増刷版CDの直接販売のみだった)、大衆的「流行り歌」の唄い手ではないこういうアーティストは、そもそも一般人がその歌を耳にする機会がないので、まず曲や歌唱の素晴らしさが知られていない。時おりテレビで唄う機会があっても、「別れのサンバ」や「黒の舟歌」といった有名曲ばかりで、他にも数多いオリジナルの名曲を一般人が耳にする機会はほとんどない。しかも昔のアルバムCDも既に廃盤になったものが多い。だからたとえアルバム単位ではなく、バラバラの曲単位でも、配信されて、これまでその存在と独自の歌の世界を知らなかった人たちが、彼の音楽を偶然、あるいは手軽に耳にする機会が増えるのはやはり良いことだろう。そこから「忘却」「アコンテッシ」のような名曲・名唱が改めて評価されることもきっとあるだろう。楽曲の配信は経済的な問題を考えると、音楽家によっては功罪相半ばするだろうが、長谷川きよしのようなアーティストにとっては、レコードやCDのようなメディアだけでなく、YouTubeも含めたネット配信はやはり追い風になるだろうし、少しでも今後の彼の音楽活動を支える一助になればいいと思う。次回は、京都でやる復活(?)ライヴの機会があれば、ぜひ行ってみたいと思う。

2022/10/22

最近のNHKドラマとオダギリジョー

人気大河の『鎌倉殿』や、残念だった朝ドラは別として、最近のNHKドラマは面白い作品が多い。今年の『カナカナ』(5-6月)、『拾われた男』(BS8月)、『オリヴァーな犬』(9月)等、どれも楽しめた。歳のせいか、あるいはコロナ禍の世の中の雰囲気もあるのか、あまりシリアスなドラマは見ていてしんどいので、今はどうしても気楽に見て楽しめる番組を見たくなる。

西森博之のコミックが原作の毎夜15分の夜ドラ『カナカナ』は、人の心が読めてしまう特殊な能力を持った主人公の少女・佳奈花を演じた7歳の加藤柚凪(ゆずな)の可愛さが圧倒的で、癒されまくるので、毎回彼女の演技を本当に楽しみにして見ていた。昔、宮尾登美子原作のNHKドラマ『蔵』(1995) に出演した子役時代の井上真央(7-8歳?)の演技にびっくりしたものだが、それにしても最近の子役は、どうしてみんなあんなに「自然な」演技ができるのだろうか? 加藤柚凪はまったく普段の彼女そのままのようで、不自然さがまるで感じられない。元ヤンでキレると誰も止められない眞栄田郷敦(サイボーグみたいだ)、同じく元ヤンで彼を慕う白石聖(『しもべえ』でもいい演技をしている)と前田旺志郎、悪役の叔父・武田真治まで、他の出演者もみんな底に温かい人柄を感じさせながらドラマ全体を包んでいて、タレ目の佳奈花のキュートな演技と共に実に面白くて心温まる良いドラマだった。途中の公園のシーンか何かで登場した「ふせえり」が、『温泉へ行こう』の仲居「よしえさん」以来の、意味不明の踊り(タコ踊り?)で久々に笑わせてくれたのも嬉しかった。

俳優・松尾諭の自伝的エッセイを基にしたドラマ『拾われた男』は、地上波ではなくBS放送時(8月)に見ていた。主人公・仲野太賀に、草彅剛(兄)、伊藤沙莉(妻)という主役級が並び、全員で「太巻き」をまるごとかじって食べる変わり者の家族の両親役に風間杜夫(最近ヘンなオヤジ役がよくはまっている)と石野真子、主人公の運命を変えたモデル事務所の社長に薬師丸ひろ子、マネージャーに鈴木杏と、こちらは配役の妙で、全編とぼけた雰囲気の展開が続く。だが伊藤沙莉、薬師丸ひろ子、レンタルビデオ店の女性店員など、肩の力を抜いたユーモアを感じさせる女性陣の演技に感心した。個人的には、完全に光浦靖子になり切ったかのような、メガネをかけた鈴木杏の演技がいちばんおかしかった(そう言えばその鈴木杏も、駅員・豊川悦司のことを「駅長さん」と呼んでいた、25年前のあの名作ドラマ『青い鳥』に達者な子役として出演していた)。井川遥や柄本明他の俳優陣が実名でそのまま登場したり、前半は独特の間(ま)と展開が非常に面白かったのだが、兄の草彅剛が中心になるアメリカに舞台が移ってからは、やや展開に無理があって、演出上ペーソスとユーモアのバランスに空振り感が否めなかったのがちょっと残念だった。やはり舞台(空間)と役者(外人)が変わると、どうしても演技の間とかリズムが変わってしまうので、背景が日本だと感じていた「微妙なおかしさ」を、うまく表現するのが難しくなるのかもしれない。主人公・仲野太賀の自然な演技は全体として非常に良かったと思う。

もう1作『オリバーな犬、(Gosh!) このヤロウ』(長いタイトルだ)は、オダギリジョーの脚本・演出・編集から成るドラマのシーズン2(3回)で、私は昨年秋のシーズン1も見て大笑いしていたので、今回も楽しみにしていた。オダギリジョーという人は、仮面ライダーが初主演作だったらしいが、我が家では何と言っても2001年にテレビ朝日で放映された『嫉妬の香り』で顔を覚えた俳優で、辻仁成の原作は読んでいないので知らないが、テレ朝のこのドラマはヘンな内容だったが妙に面白くて毎週ほぼ欠かさず見ていた。アロマセラピストで麝香の香りを持つ主人公・本上まなみ、その恋人でいつも泣き顔の堺雅人(このドラマで初めて知った)、セリフ棒読みの川原亜矢子に、怪しげな寺脇康文、オダギリジョーなどが主な出演者で、劇画とか舞台劇のような、わざとらしい大袈裟な演技と展開が特徴のドラマだった。特に広告代理店の社長・川原亜矢子の部下役だったオダギリジョーが、ほとんど上司・川原のストーカーで、その薄気味悪い演技が我が家ではいちばん「ウケて」いた。私が次に彼を見たのは映画『パッチギ』(2005)で、そのときは京都の酒屋の跡継ぎだが、70年代によくいた左翼くずれの風来坊といった役どころだったように思う(これはよく似合っていた)。Wikiで調べると、この頃から映画、テレビで幅広く活躍するようになったようだ。

テレビでのブレイクは、もちろん『時効警察』(テレ朝2006) だ。主演の時効課警官・オダギリジョーが、時効が成立した未解決事件の真犯人を「趣味で探す」という脱力系警察コメディ(?)で、最後は確定した犯人に「誰にも言いませんよ」カードに捺印して手渡す、というお決まりの儀式で終わる。あまりに面白かったので、このドラマはシリーズ化されてその後も何篇か放送された。オダギリジョーと同僚・麻生久美子のコンビも絶妙で、岩松了、ふせえり、江口のりこ、といったシュールな笑いが得意な脇役陣によるコント風演技も毎回面白かった。オダギリジョーは、どちらかと言えばそういったアングラ的イメージが強い人だったので、「オダギリジョーとNHK」という組み合わせは、個人的にはまったく思いもよらなかった。ところが、私が知らなかっただけで、調べてみたら大河ドラマ等にも結構出演していた。そして2021年の朝ドラ『カムカムエブリバディ』と『オリバーな犬』の両作品への出演で、それまでの私的イメージはまるで崩れた。それに『オリバー』のような奇天烈ドラマをあのNHKが…とも思うが、よく考えたら近年のNHKは、ゾンビものとか、昔なら考えられないようなドラマを平然と制作するし(岩松了が絡んでいることが多い?)、むしろスポンサーのいる民放では危なくて絶対できないようなドラマを作るようになっている。おそらく、こうした番組や個性的な役者が好きな人が上層部にいるのだろう。

『オリバーな犬』は、主演の鑑識課警察犬係・池松壮亮には、犬の着ぐるみを着たいい加減なオッサンにしか見えない相棒の警察犬オリバーを、完全に「犬化」したオダギリジョーが演じるという奇想天外なドラマだ。池松の上司役が麻生久美子、課長・國村準、同僚・本田翼というレギュラーメンバーによるゆるい会話や警察鑑識課という場面設定は『時効警察』につながるし、また池松とオダギリという、素でもテンションの低そうな二人のとぼけたやり取りが笑える。だがこのドラマはその企画・脚本・演出のユニークさもさることながら、出演メンバーがすごすぎる。永瀬正敏、松重豊、永山瑛太、橋爪功、甲本雅裕、柄本明、佐藤浩市、松田龍平・翔太の兄弟、松たかこ、黒木華、浜辺美波、火野正平、風吹ジュン、(オダギリ奥さんの)香椎由宇……と、書ききれないほどの有名俳優が次から次へと登場し、おまけに細野晴臣やシシドカフカまで登場するのだ。いったいギャラとかどうなっているのかと心配になるが、みんな楽しみながら演じているように見えるし、「オダギリの作品なら」と馳せ参じた友情出演的な人が多いのだろう。

オダギリジョーは元々テレビが好きで、映画ではなく、テレビでしかできないような作品をずっと作りたかったと語っており、この作品でまさにこれまで温めていた企画とアイデアを一気に表現したのだろう。ハードボイルドとコメディが同居したドラマの展開やセリフもユニークで面白いが、シーズン1のエンディングにおける、ミュージカルのようにショーアップした集団ラップダンス・パフォーマンスも意外性十分で最高だった。シーズン2は、多数かつ多彩な出演者が逆に災いしてか、演出面で小ネタギャグとストーリーがかみ合わず、少々散漫になった印象がある。エンディングの舞台なども私は面白がりなので好きだが、この手の手法や展開を好まない人には意味不明と感じたかもしれない。

NHKの「土曜スタジオパーク」に番宣で麻生久美子と二人で登場した回は、麻生に要求する奇妙な台本の話や、「え?」の応酬だけで何分も会話を続ける場面とか、岡山では河本準一と同じ小学校だったという驚きの過去談等に加え、河本の家庭の秘密までバラしたりして、あまりのおかしさに笑いが止まらなかった。しかしこの番組で、オダギリジョーの人となり(ファッションも含めて)、コンビを組む麻生久美子との(おかしな)関係もよく分かった。この人は異能の持ち主だと思うが、(若い頃は分からないが)今はさほどとんがっていなくて、人望があり、その独特の才能と不思議な人柄に惹かれて、自然とまわりに人が集まってくるタイプのマルチ・アーティスト(俳優、作家、監督、演出家)なのだろう。その才能からは何となく昔の伊丹十三を彷彿とさせるが、あれほど才に走るタイプではなく、人格と才能のバランスが取れた人物なのだろう。銀座のクラブで暴れた人の後任を受けたドラマも好評のようだし、「鬼才オダギリジョー」は、今後もさらにスケールの大きな仕事をするだろうと思う。

2022/09/24

椎名林檎・考(3)

デジタル時代になり、見えなかったもの、知らなかったものがどんどん可視化されるようになって、何でもかんでも精緻に「分析」するのが昨今の流行りだ。芸術の世界も例外ではなく、今はPCさえあれば誰でもそこそこの絵が描け、作曲さえできる「一億総アーティスト」時代なので、美術や音楽も「鑑賞者」による単なる印象批評ではなく、「作り手」側の視点で、技術的な角度から作品を細かく分析することが多くなっている。クラシックでもポピュラー音楽でも、「音楽を熱く語る」のは、もはやダサいという時代なので、一言「イイネ!」とか「刺さる!」「エモい!」で済ますか、それとも逆に、クールかつ技術的に、きれいに分解してみようという流れなのだろう。ただし楽曲の構造や、コード進行や、似た曲の存在等をいくら分析したところで、その曲の素晴らしさは説明できないし、「普通の聴き手」はコードはもちろん、歌詞の意味もいちいち解釈しながら聴いたり、唄ったりしているわけでもない。作品を全体として「一瞬で」受け止め、感じ、楽しんでいるわけで、音楽家もそうして聴かれることを望んでいるだろう。

ド素人ながら、私もジャズを聴いて分析まがいのことはする。ただしそれは技術的な分析ではなく(やりたくともできないが)、ジャズ・ミュージシャが「何を考えて」、そういう「サウンド」の演奏をするのか――そこに興味があるからだ。つまり音楽を作り出す人間の思想とか人間性に関心がある。ジャズはヴォーカルもあるが、基本はインスト音楽なので、演奏から感じ取るイメージは抽象的で、どう感じるかは聴き手の感性次第だ。楽器の「音」そのものには何の意味もないからである。だが本来ジャズは、演奏者の話し言葉――「語り口」を楽器の音で表現する音楽芸術なので、当然そのサウンド表現には奏者なりの意味やメッセージが込められている。半世紀もジャズを聴いていれば、ド素人でも、サウンドから奏者がどういうタイプの人間なのか、何となく推量できるようになるものだ。ただし、セロニアス・モンクのような「真の天才」が創り出す音楽は、プロの音楽家でも分析できない。彼らは凡人には手が出せない領域にいるからだ。ただ一言「素晴らしい!」としか言えないだろう。日本のポップス界では、椎名林檎がその領域に近いところにいるアーティストだと思う。

私は記事でも映像でも、音楽家の「インタビュー」とか「対談」ものが好きで、よく読んだり見たりするし、自分の翻訳書も4冊のうち2冊はインタビュー本だ。それは、音だけでは見えてこない音楽家の思想を、本人が直接語る言葉からある程度聞き取ることができて、音の世界とは別に、それが楽しいからだ。椎名林檎の場合も、ブログで書き始めた後に、YouTubeでこれまで見ていなかったインタビュー動画をいくつか見た。面白かったのは、向井秀徳との『僕らの音楽』対談(2005 フジ)、もう一つは『トップランナー』(2008 NHK) だった。前者での向井に対する態度(完全にファン目線でデレデレだが、向井とのデュオKIMOCHIの歌唱は最高)、後者でのアーティストとしてのよく整理された明快な発言が印象的だ。その結果、2004年の「東京事変」のスタートに関して、(1)で書いたような私のまったくの想像とは、異なる心境や考えの変化が当時の椎名林檎の内部で起きていたことをよく理解した。

Queen's Fellows (2002)
ところで音楽界ではトリビュートやカバーが相変わらず流行っているが、「トリビュート」アルバムの傑作の一つは、今から20年前の2002年に発表されたユーミンへの初のトリビュート『Queen's Fellows』だ。意表をつくような、鬼束ちひろの「守ってあげたい」で始まり、ユーミンの名曲を集めたこのアルバムは、参加した男女ミュージシャンの人選、選曲、編曲、歌唱のクオリティがすべて素晴らしく、ユーミンのデビュー30周年にふさわしい、これぞ女王へのトリビュートと言うべきアルバだ(tribute: 感謝/尊敬を込めた「捧げもの」であり、単なる歌の「カバー」ではない)。はっきり言って本家より歌がうまいとか、そういうことではなく、高い質を持った「原曲」と各アーティストの「個性」の間で化学反応が起きて、別の作品として見事に仕上がっている曲が多いということである。

1960年代という重く暗い政治の季節の反動もあって、軽やかで明るい70年代という時代を象徴するユーミンの楽曲の底に流れているのは、基本的に健全でhappyな気分であり、同時代を生きた誰もが、今でも「あの日に帰りたい」と理屈抜きに反応してしまう何かがどの楽曲にもある。このトリビュート作全体に漂っているムードもそこは同じで、曲想は違っても、どこか温かなムードが、どの歌の底にも流れている。そこに椎名林檎も参加しているが、唄っているのが「翳りゆく部屋」である。荒井由実時代最後のシングル(1976年)だったこの曲は、歌詞もサウンドも、もっとも「ユーミンらしからぬ」曲だ。1970年代のユーミンの曲に、「死」という語句まで含む、こんな「暗い歌」は他にない。当時20歳の椎名林檎が(録音は1999年)、なぜこの歌を選んだのか理由は分からないが、おそらく当時の彼女には、ユーミンの曲の中でいちばん共感できる歌だったからなのだろう。アルバム中で異彩を放つ(浮いている)その歌は、完全に椎名林檎バージョンの「翳りゆく部屋」であり、オルガンを使った荘厳な本家のサウンドとは別種の、バックにエレキギターの乾いたサウンドがずっと物憂げに響く、どこか90年代的な哀感が滲む名唱だ。

アダムとイヴの林檎 (2018)
その椎名林檎本人への初のトリビュート・アルバムが、デビュー20周年に発表された『アダムとイヴの林檎』(2018) である。「普遍性」と「幸福感」が根底にあるユーミンの音楽は、普通の歌手にとってそれほど唄うのが難しいとは思えないし、素人でもカラオケで楽しく唄えるだろう。一方、一部の曲を除けば、超個性的で、複雑で、常に不穏な気配が漂う、陰翳の濃い椎名林檎の音楽を、現代のミュージシャンがどう料理するかが、このアルバムの見もの(聴きもの)だった。選曲は予想通り『無罪』から6曲、『日出処』から4曲、『勝訴』から2曲他と、いわゆる唄えるヒット曲が中心で、孤高の傑作(?)『カルキ』の曲は一つも入っていない。これは、ビジネス的に考えれば当然の選択だろう。それにユーミンの曲と異なり、椎名林檎の楽曲は、(MVの映像も含めて)彼女固有の歌唱表現と一体化した世界なので、やはり彼女にしか唄えない曲が多く、カラオケならともかく、第三者のプロ歌手が唄うと単なるモノマネになるか、まったく似て非なるものになる可能性があるからだ。

そういう前提で聴いたこのトリビュートだが、個人的にまずまず印象に残ったのは(オッサン的嗜好になるのはやむを得ない)、草野マサムネ他(正しい街)、宇多田ヒカル&小袋成彬(丸の内サディスティック)、レキシ(幸福論)、AI(罪と罰)、エビ中(自由へ道連れ)などだ。知らない人だがMIKA(ミーカ。レヴァノン人?)の、レトロなフレンチ・ラテン風「シドと白日夢」は、どうしても歌詞が注目されがちな椎名林檎の楽曲の「メロディ」が持つ魅力と普遍性を示唆していると思う。ユーミン・トリビュートにも参加している井上陽水(カーネーション)と田島貴男(都合のいい身体)は、本作でも完全に自分の世界に持ち込んで唄っている(陽水はさすがに声が苦しそう。田島貴男は往年の「憂歌団」と並び、日本で最高のブルース表現者の一人だ)。全曲とは言えないまでも、椎名林檎的世界をあまり損なうことなく、各アーティストやバンド独自の個性をきちんと加えたアレンジや演奏が予想以上にあったのには正直言って驚いた。これは、この20年間で、あの強烈な個性とインパクトを持った椎名林檎の音楽が、少なくともJ-POPの世界では、もはや「スタンダード」(classic)というべき領域に入ったことを意味していると考えていいのだろう。

ニュートンの林檎
初めてのベスト盤  (2019)
翌2019年には、『ニュートンの林檎~初めてのベスト盤』が2枚組CDでリリースされた。収録された30曲は代表曲ばかりで、まあ、そうなるだろうなという選曲だ。椎名林檎というと、難解な曲や激しくシャウトする強烈な曲が目立つが、着物姿で唄うシュールな曲(積木遊び、やっつけ仕事、神様、仏様等)もあるし、ピュアなラブソングも、やわらかで、みずみずしい抒情を湛えた佳曲、名曲もたくさんある。私が個人的にいちばん好きな曲は「茜さす 帰路照らされど…」(『無罪』収録)だ。作詞・作曲をするミュージシャンは誰でもそうだと思うが、デビュー当時の若い時代にしか書けない「ラブソング」というものがある。50年前の井上陽水の「帰れない二人」や長谷川きよしの「歩き続けて」などがそうした永遠の名曲だ。「茜さす…」もまさしくその一つで、彼らから30年後で、時代背景も(まだスマホなどない)、恋愛のシチュエーションも違うが、たぶん十代の女性にしか書けない、みずみずしさと切なさが見事に表現されている名曲であり、名唱だ。他にも、「同じ夜」「おだいじに」「映日紅の花」「手紙」「黄昏泣き」「夢のあと」「茎」「意識」「おこのみで」「ポルターガイスト」等が、私の好きな曲だ。 長谷川きよしをイメージして提供した「化粧直し」(『大人』収録)というボサノヴァ曲にも、そうした彼女の感性の一部が表れていると思う。

このベスト盤には収録されていないこれらの曲は、いわゆる椎名林檎的パンチには欠けるが、音楽的装飾をできるだけ控え目にして、いわば彼女の「素」あるいは「静」の部分を、素直な歌詞とメロディで美しく表現した作品のように私には聞こえる。そして、どれも時代や世代を超えて受け入れられる名曲ばかりだと思う。『カルキ』中の曲や、これらの名曲だけを選んで、(もちろん椎名林檎が唄うからいいのだという面はあるだろうが)本家とは異なる個性と魅力を持った歌い手を選び、別の角度から「作曲家・椎名林檎」の音楽世界を描いたトリビュートを作ったら、それはそれで素晴らしいアルバムになるのではないだろうか。

音楽は、人類が発明した「史上最高の薬」である。元気なときには活力が増し、辛いときには癒しを与えてくれる特別な薬だ。ほんの一握りの独創的「先発薬」があり、続く数多いコピー薬「ジェネリック」の集合体という構造も、薬の世界とよく似ている(ジェネリックにもきちんと薬効があるところも同じだ)。デジタル化でコピーが容易になり、サブスクも広まって市場構造も変化し、今は音楽の価値そのものが揺らいでいる。そこにコロナ禍が加わり経済的にも打撃を受け、音楽家にとってはまさに苦難の時代だ。しかし景気が悪かろうと、未来が見えにくかろうと、いつの時代も人間にとって音楽そのものが持つ力は不可欠であり、かつ不変だと思う。だから大変だとは思うが、「志」ある音楽家には何とか頑張って生き抜いてもらいたい。

元気のない今の日本も、音楽の未来にはまだまだ希望はあると思っているが、それは、アジアの辺境で生き、伝統を維持しながら、数千年にわたって海外の文物を輸入し、吸収し、内在化しながら、「日本独自の文化」を生み出してきた日本人ならではの資質――すなわちポジティヴな意味での「ガラパゴス化」という能力がこの島国にはあるからだ。「ガラパゴス化」を卑下し、世界標準に決してなれないローカル世界の限界だとネガティヴに捉えているようでは、日本の未来はない。そうではなく、民族が持つ固有の文化であり能力だと考えたら、別の未来が見えてくる。「似たようなもの」だけを大量に生産し、消費し続けたら、便利だがつまらない世界、しかもいずれ誰も生き残れないような世界になる――と、日本人がデジタル競争の敗因として「ガラパゴス化」を反省しているうちに、外の世界ではとっくに逆の価値観へとパラダイムシフトが起きているのである。

ボカロPとコラボした
Adoの1stアルバム『狂言』
(2022)
音楽の世界でも、民謡、長唄、端唄、浪曲、演歌、歌謡曲といった日本古来の音楽的伝統と感性を基盤にしながら、日本人は明治以降150年にわたって、クラシック、ジャズ、ロック、R&B、フォーク、シャンソン、ボサノヴァ、タンゴ、カンツォーネ、フラメンコ、カントリー&ウェスタン、ハワイアン、ヒップホップなど、「ありとあらゆる洋楽」を貪欲に取り入れ、吸収してきた(こんな国が他にあるだろうか?)。そして最新の「ボカロP」(ボーカロイドxプロデューサー)のように、コンピュータ技術、アニメーション技術を駆使した仮想空間思想さえもそこに加えて、固有の音楽と多様な洋楽を、日本という「るつぼ」で溶融して作り出した現代のJ-POPは、いわば新たに創造された「音楽の合金」である。J-POPは、今や世界レベルの魅力と独自性を獲得した音楽となりつつあり、一部アーティストたちの音楽的洗練度と創造性は、今やワールド・クラスだと思う。そして私の耳には、その中から様々な「椎名林檎的なもの」が聞こえてくる。

20世紀と現代との違いは、今はクラシックやジャズなど高度な専門的音楽知識や技術を習得した多くの若者が、音楽ジャンルを超越して、J-POPシーン内部を横断してソロやグループ活動を行なっていることだ。21世紀になってアートとエンタメが融合したように、もはや音楽にジャンルも境界線もない。とりわけ、昔は言語的に不可能だと思われていた「日本語の歌詞」が、まったく違和感なく、速くて複雑なメロディ、ハーモニー、ビート、リズムに見事に乗せられていることには、本当に驚く(年寄りにはほとんど聞き取れないが)。ヒップホップ、ラップの影響はもちろんだが、高い質を備えた日本産の音楽に、独自の日本語の歌詞を適用する「言語技法」を最初に用いた音楽家の一人が椎名林檎だ(先人には桑田佳祐がいるが)。さらに言えば、1世紀以上にわたる洋楽のコピー、モノマネという歴史を経て、真に日本的オリジナリティを有する音楽合金を、20世紀末の日本のポップス界で初めて具現化したのが椎名林檎であり、彼女こそ比類のない「ガラパゴス・ジャパン」を音楽の世界で初めて実現したアーティストだと思う。

「うっせぇわ」でデビューしたAdoを聴いて、その衝撃(斬新さ、面白さ)に「椎名林檎の再来か」と私は喜んでいた。2002年生まれのそのAdoが、新作映画『カラダ探し』向けに椎名林檎が書いた曲「行方知れず」を唄うという、まさに親子のような二人のコラボが実現することになったそうだ。Adoについて、『無罪』を全曲唄ってもらいたかったほどの「理想的な "どら猫声" だ」と絶賛する椎名林檎のコメントも笑える。こうして独創の林檎DNAが、21世紀生まれの若いアーティストたちに脈々と受け継がれて行くことを願っている。
(完)

2022/09/14

椎名林檎・考(2)

獣ゆく細道(2018)
90年代末から約10年間、ほとんどジャズと主従逆転するほど椎名林檎を聴いていた私だが、『平成風俗』(2007) 以降は彼女の音楽から離れていた(理由はよく覚えていないが、仕事の関係とか、「東京事変」のテイストがオッサン好みではなくなったのか、あるいはたぶん歳のせいで、ついて行けなくなったのかもしれない)。ただしNHK紅白とか、ニュース番組、ドラマ、CMのタイアップ曲などは時々耳にしていたし、本当に大物アーティストになったものだと感心はしていたが、ほぼ10年近く、新作やDVDも買っていなかったので、いわば浦島太郎に近かった。だが最近になって、YouTubeで久々に近年の椎名林檎のMVやライヴ映像を見たり、歌を聴いたりして、相変わらず衰えることのないアーティストとしての挑戦意欲と創造性に改めて感動した。

2012年の「東京事変」解散後も、時代のニーズに応えて、ヴィジュアルを中心にした「エンタメ度」をさらに高めて、聴き手を楽しませる多彩な映像やショーを次から次へとプロデュースしている。当然だが20代に比べたら外見も作品も成熟し、近年はまさに「姐御」(あねご)と言うべき風格まで漂っていて、バンドやダンサーの統率はもちろんだが、コラボ・ゲストで呼んだエレカシの宮本浩次(獣ゆく細道)や、トータス松本(目抜き通り)のような先輩(一回り年長)男性ミュージシャンまで手玉に取る(?)かのような派手な舞台パフォーマンスを演出している。ステージ上の全員が椎名林檎に「奉仕」しているかのような様相は、もはや姐御どころか「女王様」で、それも歌舞伎町どころか日本のJ-POP界の女王である。東京五輪という世界的イベントのセレモニーへの椎名林檎の参画は、彼女の創造性とプロデュース能力の真価をグローバル・レベルで発揮する大きなチャンスだったと思うが、残念ながらああいう結果になった(今の贈収賄騒動を見ていても、やはり参加しなくてよかったとも言える。国や政治がからむイベントにアーティストが関わると、基本ロクなことにならないからだ)。

ところで、「アーティスト」という語を、今は私も普通に使っているが、とても「アート」とは呼べない活動をしている人間まで指す、この気取った日本語に以前は抵抗があった。音楽界では、昔は単に「歌手」とか「ミュージシャン」と呼んでいたと思うが、今はそのへんのタレントもYouTuberも、みんなアーティストだ。この語はいつ頃から日本で使うようになったのだろうか? そう思って、翻訳者でもあることだし、初心に帰って英語の「artist」を英日や英英辞典で調べてみた。「アート(art)」 はラテン語系で「人工のもの=技術」が原義で、日本語では昔から(と言っても明治以降だが)高度な技術という意味で「芸術」と訳されてきたので、どの辞書でも最初の意味は (1)「芸術家」で、ものを創造する人、特に画家、彫刻家、次に音楽家、作家などである。ヨーロッパでは画家のイメージがいちばん強い。次いで (2) 「一芸に秀でた人」という意味が時代と共にそこに加わり、デザイナー、イラストレーター、舞台芸術家、ダンサー、芸能人、ミュージシャンといった人たちが続く。そこからいわゆる (3)「名人、達人」という意味が加わり、ついには (4)「ペテン師、いかさま師」まで意味が広がってゆく(ある意味で「なるほど」とも思うが)。たぶん昔は一部の人の特殊技能だったものが徐々に社会全体に普及し、資本主義の発展と共にそれを商売にする人も増えてきて、経済規模も大きくなり、職種も多彩になり、中にはその特殊技能を使って悪事を働く人間まで出てくる (?) ――など、歴史的にその範囲も意味も拡大してきたのだろう。1960年代以降、アメリカではロックを中心に、大衆音楽に関わる人間の数が爆発的に増え、徐々にその社会的ステータスも、ミュージシャンとしての意識も向上していったこともあって、メディアが、それまでの高度な芸術創作(creation) を行なう人たちだけでなく、芸事全般に携わる人たちを、(面倒なので)まとめて「アーティスト」と総称するようになったのではないかと推察する(おそらく80年代頃から)。例によって、その英語をそのまま輸入した日本の音楽業界やメディアも、(大昔、洋楽を何でもかんでも「ジャズ」と一言で呼んだように)便利に使える「芸能人の総称」として90年代頃から使い出した――ということのようだ。

椎名林檎は言うまでもなく、上記「アーティスト」の定義をほとんどすべて満足する「代表的」アーティストの一人だ (ただし(4)の意味は除く)。20年以上にわたり、時代の変化に合わせて(その先を行きながら)様々なパフォーマンスを創作し、提供してきたが、思うに、彼女のように独自の「コンセプト」を突き詰めていくタイプのアーティストにとっては、絶えざる「自分への挑戦」こそが音楽的モチベーションを維持し、高めるための最善の方法なのだろう。私はロック方面には詳しくないので、比較するとしたらジャズのミュージシャンしか思いつかないのだが、サウンド云々ではなく音楽家としての資質的に、ジャズで言うならマイルス・デイヴィスと似たタイプではないかと思う。椎名林檎の「音楽」にはセロニアス・モンク的独創(「定型」を打ち破ろうとする意志と、それを可能にするオリジナリティ)を感じるが、彼女の音楽家としての「姿勢と思想」から感じるのは、むしろクールなマイルス的合理性だ。椎名林檎の中には、この両者が共存しているように思う。

Misterioso
(1958 Riverside)
椎名林檎の言語センスには唯一無二の独創性があるが、ユニークなのは歌詞だけでなく、アルバム名や曲名という「タイトル」もそうだ。ジャズの世界ではモンクが数々の「名言」を残しているが、モンクは言葉遊びも好きで、「MONK」と名前を彫った指輪を逆から「KNOW」と相手に読ませて、「MONK always KNOW」(いつだって分かってる)と言ったり、音楽の中にも常にユーモアとウィットを感じさせるのがモンクの魅力の一つだ。そして歌詞こそ書いていないが、モンクが自作曲に与えたタイトルにも天才的言語センスを感じる。ほとんどのジャズ・スタンダード曲は(愛だの恋だのといった)月並みなティンパンアレーの曲名がついているし、ジャズ・オリジナル曲のタイトルも、デューク・エリントンの曲など一部を除けば変哲もないものがほとんどだ。しかし70曲ものオリジナル作品を書いたモンクは、曲名のセンスも素晴らしく、<Round Midnight><Ruby, My Dear><Straight, No Chaser>などの名曲を筆頭に、<Ask Me Now><Well, You Needn't><Bright Mississippi><Brilliant Corners><Ugly Beauty><Criss Cross><Epistrophy><Reflections><Evidence><Functional><Misterioso>…等々、短い普通の単語を用いながら、曲のイメージとジャズ的フレーバーを瞬時に感じさせ、しかも哲学的な余韻まで残す独創的なタイトルが並ぶ。椎名林檎のアルバム名『無罪モラトリアム』『勝訴ストリップ』『教育』『大人』『平成風俗』『日出処』…など、また特に初期の曲名「正しい街」「丸の内サディスティック」「本能」「ギブス」「罪と罰」「浴室」「迷彩」「茎(STEM)」「ドッペルゲンガー」「意識」…などから感じるのも、モンクと同種の言語センスである(ちなみに、モンクの曲もほとんどが20歳代に作られている)。

Kind of Blue
(1959 Columbia)
モンクは自由人で天才だが、マイルスは育ちの良い秀才である。モンクはピアニストであり「作曲家」だが、マイルスはトランペッターであり「バンドリーダー」である。演奏者(パフォーマー)である点は同じだが、「楽曲のワンマン創作者」と「演奏集団の統率者」とでは見ている世界が違う。音楽家としてのモンクは、常に制約を打ち破る「自由な音楽」を創造していたが、マイルスはジャズ演奏上の一定の制約を認めた上で、その中でバンドとして到達可能な「最高度の音楽美」を追求した。そうした個性の違いはあったが、1950年代に二人が見ていたジャズは、まだビバップを起源とする「アート」だった。それが変質し始めた1960年代になっても、モンクはまだ従来のまま「独自の曲」を書き続けようとしていた(ドラッグの影響と体力の低下で徐々にそれができなくなる)。一方、マイルスは最初から常に「次に何をやるか」を冷静に考えていた音楽家だった。1940年代後半からビバップ、クール、ハードバップ、モード、ファンク……と、ほぼ5年おきに自身の音楽をあえて変化させて「新たなスタイルのジャズ」を創ることへの挑戦を続け、そのつどそれを成功させて「本流」としてジャズ界をリードし続けた。

ジャズの「芸術的」頂点と言われるモードの傑作『Kind of Blue』(1959) を発表した後、60年代のマイルスはモードを洗練させることに注力し、オーネット・コールマンの登場後、主潮流になったフリー・ジャズへは向かわず、むしろ大衆音楽として新たに台頭してきたロックやR&Bの特徴や動向を冷静に観察し、分析していた。音楽的な理由もあっただろうが、何よりフリー・ジャズでは「金(ビジネス)にならない」ことが聡明なマイルスには分かっていた。音楽家として、アメリカという国で「生き残る」には、一部の聴衆にしか理解できない難しいことだけやっていてはだめで、一定数の「大衆」の支持が不可欠だと考えていたからだろう。大衆に受け入れられ、彼らに飽きられず、なおかつジャズ・アーティストとして自らの「芸術上の基準」も満たす音楽を創造すべく、常に「次の目標」へ向けて挑戦を続けていたのである。

ジャズの宿命だったコインの表裏であり、資本主義の発展と共に1960年代に顕著になったこの「芸術(アート)と芸能(エンタメ entertainment)の相克」は、やがて資本主義下のアーティストの誰もが向き合わざるを得なくなる問題だが、マイルス・デイヴィスという人は、60年代当時最先端の「アート」だったジャズ界のリーダーとして、その問題を「止揚」(aufheben) すべく苦闘していた音楽家だったと私は考えている。そして60年代後期に行き着いたマイルスの答えが、電子楽器とポリリズムを導入した『Bitches Brew』(1969)に代表されるエレクトリック・ジャズである。マイルスは、それまでのホーン奏者を中心とする「個人の即興演奏」から、ギターやキーボードという電子楽器を使った「集団即興」へとジャズのスタイルをシフトさせた。同時にステージ上ではヒップさを強調し、ロックを意識した派手な衣装ばかりか、演奏時の見栄え、振舞いなど、音楽以外のパフォーマンスも含めてエンタメ志向を強めていった。それが70年代以降、ファンク、フュージョンという、より大衆寄りの新しいジャズのスタイルと流れを生み出し、その歴史的転換によって、ジャズと、ロック、R&B、ポップスという他のポピュラー音楽との「境界線」も、その後さらに薄れてゆくのである(これをジャズの「拡張」と言うか、「衰退」と見るかは意見が分かれる)。ジャズ出身のアレンジャー、クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンの80年代におけるコラボは、いわばその総仕上げと言えるだろう。

三毒史 (2019)
こうして20世紀の代表的アートの一つだった、アコースティック楽器による「モダン・ジャズ」が終わりを迎える頃(1978年)に生まれ、バブル後の90年代日本のポピュラー音楽界に現れたのが椎名林檎である。音楽ビジネスも当時は不況の影響を大きく受けていたことだろう。その経済環境下で登場した椎名林檎は、生来「アート志向」が非常に強いミュージシャンだったがゆえに、マイルスと同じく、この「アートとエンタメ」という問題を最初から強く意識し、音楽家としてのアーティスティックな目標とビジネスの成功を「両立」させるための手法を、冷静に考え抜いてきたのではないかと思う。

この「アートかエンタメか」という二元論は、「ジャズか否か?」あるいは「ロックか否か?」、という大昔の音楽ジャンル議論と同じく1990年代まではかろうじて存在していた。しかし90年代以降、情報と経済のグローバル化の進展が社会の価値観を変えた。「アート」を真剣に追及することよりも「カネになるか、ならないか」という2択のエンタメ(=商業主義)全盛となった21世紀の今は、この二元論は完全に消え失せたと言っていい(「アーティスト」という言葉だけは残ったが)。現在クラシック、ジャズを含めてあらゆる音楽ジャンルで進行しつつあり、この20年間の椎名林檎の音楽・映像作品、ステージ演出の推移が如実に示しているように、21世紀の今は、アートとエンタメは、完全に一体化された「パフォーマンス」として「止揚」されつつあると言っていいのだろう。そうした見方からすると、2003年の椎名林檎のアルバム『カルキ』は、マイルスの『Kind of Blue』と同じく、「アート」の価値がまだかろうじて残されていた時代に、アート志向が強かった若き椎名林檎が挑戦し、到達した「頂点」と言うべきアルバムだったと言えるだろう。(続く)