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2022/12/08

訳書『カンバセーション・イン・ジャズ』出版

表題訳書『カンバセーション・イン・ジャズ / ラルフ・J・グリーソン対話集』(トビー・グリーソン編、小田中裕次訳、大谷能生監修・解説)が、リットーミュージックから来年1月に出版されます。

原書『The Ralph J. Gleason Interviews: Conversations in Jazz』(2016 Yale Univ. Press) は、20世紀米国の著名な音楽ジャーナリスト、ラルフ・J・グリーソン(1917 - 75)が、モダン・ジャズ全盛期の1959年から61年にかけて、サンフランシスコの自宅を訪れた当時の一流ジャズ・ミュージシャンたちと行なった私的インタビューの録音テープを元にした書籍です。1975年のグリーソンの死後、90年代になって自宅倉庫で見つかったテープの文字起こし作業を子息のトビー・グリーソン氏が手掛け、そこから選んだ計14名のミュージシャンとのインタビューを編集し、2016年にイェール大学出版局から書籍として初めて発表したもので、大部分が未発表の対談記録です。邦訳版の本書『カンバセーション・イン・ジャズ』は、原書からヴォーカリスト2名を除く12名を選び、編者による導入部分と、インタビューを書き起こしたテキスト全文を収載しています。昔のジャズファンなら誰でも知っている大物ミュージシャンばかりですが、現代の読者は必ずしもそうではないという時代背景を考慮し、各ミュージシャンの略歴およびインタビュー当時の代表的レコード情報を、参考資料として訳者が補足しています。

グリーソンが約2年の間に対談したのは以下のジャズ・ミュージシャンたちです。当時まだ20代半ばの新人だったクインシー・ジョーンズから、絶頂期のコルトレーンやビル・エヴァンス、グリーソンと同年齢で親しかったディジー・ガレスピー(当時41歳)、さらに61歳のレジェンド、デューク・エリントンまで、幅広い年齢層と多彩なミュージシャンで構成されています。

♦ジョン・コルトレーン ♦クインシー・ジョーンズ ♦ディジー・ガレスピー ♦ジョン・ルイス ♦ミルト・ジャクソン ♦パーシー・ヒース ♦コニー・ケイ ♦ソニー・ロリンズ ♦フィリー・ジョー・ジョーンズ ♦ビル・エヴァンス ♦ホレス・シルヴァー ♦デューク・エリントン

Ralph J. Gleason
1960年代にグリーソンが司会をしていたテレビ番組『Jazz Casual』出演時(1960年)のデューク・エリントンを除き、インタビューは全て、西海岸でのライヴやツアーの合間にバークレーのグリーソン邸を訪れたミュージシャンたちが、同家の居間でごくプライベートな環境で行なったものです。ジャズ黄金時代ならではの豪華メンバーに加え、リラックスした環境下で行なわれたフランクな対話であることが、本書のもう一つの価値です。マイルス・デイヴィスをはじめ、多くのアーティストから信頼されていたジャーナリストであり、インタビューの名手でもあったグリーソンの的確で簡潔な質問に対して、本音で語るジャズ・ミュージシャンたちの肉声を捉えている点が、大幅な編集をしがちな雑誌や新聞に掲載されたインタビュー記事との大きな違いです。中でも、インパルス移籍直後のジョン・コルトレーン、ウィリアムズバーグ橋への隠遁事件直前のソニー・ロリンズ、ビジネス的野心に燃える若きクインシー・ジョーンズ、黄金トリオ結成後間もないビル・エヴァンス、新機軸のジャズ・カルテットを成功裡に運営していたジョン・ルイス他MJQ全員のインタビューはきわめて貴重であると共に、当時の彼らの本音や悩みが率直に語られており、ジャズ史的興味が尽きません。

ラルフ・J・グリーソンは、セロニアス・モンク、ディジー・ガレスピーと同年の1917年(大正6年)、ニューヨーク市生まれのジャズ、ロック、ポピュラー音楽批評家です。1930年代、コロンビア大学在学中に米国初となるジャズ批評誌を創刊し、第二次大戦後は「サンフランシスコ・クロニクル」紙の専属コラムニストとして活動。ナット・ヘントフ Nat Hentoff と並ぶ20世紀米国を代表する音楽ジャーナリストとして、サンフランシスコを拠点に西海岸ポピュラー音楽の潮流を主導しただけでなく、ヘントフと同じく、その批評対象は音楽を超えて政治、社会、文化の領域にまで及んでいました。また「ダウンビート」誌の副編集長兼批評家(1948-60)として同誌の他、「ニューヨーク・タイムズ」紙、「ガーディアン」紙等、多数の主要メディアにも寄稿し、フランク・シナトラ、マイルス・デイヴィス、ボブ・ディラン、サイモンとガーファンクルなど、ジャズとポピュラー音楽界の当時の大スターたちへのインタビューや、主要レコードのライナーノーツ執筆も数多く手がけています。さらにジャズだけでなく、西海岸を中心にしたロック分野にも深く関わり、60年代後半からはジェファーソン・エアプレイン、グレイトフル・デッドなどの西海岸ロックバンドを評価、支持し、1967年には音楽雑誌「ローリングストーン」を共同創刊するなど、ロック批評の分野でも活躍していました。

グリーソンはまた、カリフォルニア州モントレーで現在も開催している「モントレー・ジャズ・フェスティバル」の創設 (1958)、テレビ番組『Jazz Casual』(SF/KQED公共放送)の司会(1960-68)、ディジー・ガレスピーの大統領選出馬応援(1964)、デューク・エリントンのドキュメンタリー映画の制作 (1968) など、多面的な活動で20世紀米国文化の根幹としてのジャズ、ポピュラー音楽の価値を語り、ミュージシャンたちを支援し続けました。没後の1990年には、グリーソンの功績を讃えて、ポピュラー音楽に関する優れた「音楽書」に授与される ”The Ralph J. Gleason Music Book Award" が創設されました。21世紀に入ってから途切れていた同賞が、今年(2022年)米国「ロックの殿堂」(Rock & Roll Hall of Fame)、ニューヨーク大学他の共催で、20年ぶりに復活し、2022年度の同賞には『Liner Notes for the Revolution: The Intellectual Life of Black Feminist Sound』(Daphne A. Brooks)が選ばれています。
100年を超える歴史を持つ音楽ジャズを生んだ米国は、ジャーナリズムの国でもあり、ジャズも演奏記録とその批評に加えて、メディアやジャーナリストによるジャズ・ミュージシャンへの「直接インタビュー」を通して、その歴史が記録されてきた音楽です。そこが、輸入音楽としてレコードの鑑賞と録音情報を中心にしてジャズの歴史が築かれてきた日本との違いです。複数のジャズ音楽家と複数のインタビュアーの組み合わせによるアンソロジー形式のインタビュー本は過去に何冊か出版されており、一人の音楽家だけを対象にした本も、マイルス・デイヴィスの自叙伝や私が訳したリー・コニッツ、 スティーヴ・レイシーをはじめ、これまでに何冊か書かれています。しかし「複数の」ジャズ・ミュージシャンを対象に、同時代を生きていた「単独の」人物がインタビューする形式の対談をまとめた本は少なく、ジャズ史的にも貴重です。なぜなら、これによって各音楽家が語る個人的体験や思想だけでなく、その背景となるインタビュー当時のジャズシーン全体が、一人のインタビュアーの固定された視点を通してフォーカスされ、より明瞭に浮かび上がってくるからです。本書は、公民権運動の高まり、ベトナム戦争本格参戦、ロックやポピュラー音楽の爆発的膨張、フリー・ジャズの発展等、激動の1960年代が始まろうとしていた米国で、モダン・ジャズ黄金時代を生きていたミュージシャンたちが見ていた当時のジャズシーンと彼らのジャズ観を、一流の音楽ジャーナリストが鋭く切り取った貴重な歴史ドキュメントとも言えます。

ジャズと米国の歴史は切っても切れない関係にありますが、ジャズレコード、特にすぐれた「ライヴ録音」は、時としてタイムカプセルを開けたときのような驚きと感動を聴き手に与えることがあります。古いインタビュー記録である本書から感じるのも、まさしく同種の新鮮さと驚きであり、60年という歳月を飛び越えて、モダン・ジャズ全盛期のアーティストの肉声と時代の空気が生々しく伝わってきます。そして本書のインタビュー全体を通読することで、1930年代のスウィング時代のビッグバンドから、第2次大戦後のビバップを経て、1950年代のスモール・コンボ中心のモダン・ジャズ時代へと移り変わるジャズ史の流れが、各ミュージシャンの個人史、人間関係、体験談等を通じてリアルに浮かび上がって来ます。

ジャズはまたミュージシャン個人の哲学や思想、感情を「話し言葉」のように楽器の「サウンド」を通じて表現する音楽芸術です。インタビューは逆に、そのサウンド表現に代わって、彼らが文字通り「自分の言葉」で音楽家としての思想を直接的に表現する場です。ミュージシャンの人格や哲学と、彼らの演奏表現のダイレクトな関係にこそジャズの魅力と真実があると考えている私のようなジャズ好きにとっては、この「言語とサウンド」の関係、すなわち各ミュージシャンの音楽的個性と、その背後にある人間性が、彼らの具体的な「言葉」を通して、どのインタビューからもはっきりと伝わってくるところが本書のもう一つの魅力と言えます(どこまでそのニュアンスを翻訳で伝えられたかは分かりませんが)。半世紀以上前の古い記録ですが、本書にはジャズという音楽と、ジャズを演奏するミュージシャンたちをより深く理解し、楽しむためのヒントがたくさん散りばめられていると思います。

その古い記録を、21世紀の今ごろになって翻訳出版するのには理由があります。本書を起点にして、その後20世紀後半に米国で出版されたジャズ・ミュージシャンへの同形式のインタビュー書を何冊か選び、それらをシリーズ化して翻訳出版することを企画しています。ただし私のようなオールドジャズファンの回顧に偏ることなく、ジャズ史的考察と音楽的な背景を、専門家の視点で客観的に分析・検証していただくために、プロの音楽家かつ批評家であり世代的にも若い大谷能生さんに、「Jazz Interviews Vol.1」と題した本書を含めたシリーズ全体の監修と解説をお願いしています。それらのジャズ・インタビュー本を年代順にシリーズ化して翻訳出版することによって、これまである意味で偏っていたり、あるいは曖昧な印象が強かった「20世紀後半のジャズ史」を、ジャズ・ミュージシャンたちの肉声で内部から辿る(日本語の)「オーラル・ヒストリー」として、よりリアルに描いてみたいと考えています。

今後の翻訳対象書籍は既に何冊か選定していますが、現在の出版界の状況から、この企画を実現するにはジャズファンからの強いご支持が必要と思います。本書への感想、あるいは今後の企画に対するご要望、ご提案等をお持ちの方は、リットーミュージック宛、もしくは本ブログ「Contact」を通じて、小田中裕次宛に直接ご意見をお聞かせいただくようお願いいたします。

2022/11/07

「PIT INN」で長谷川きよしを聴く

(2015年出版)
本人曰く、まる3年ぶりという「長谷川きよし」のライヴを見に、10月30日に新宿「PIT INN」へ出かけた。昔、紀伊国屋書店の裏にあった時代にはよく行ったものだが、1992年に今の場所(新宿3丁目)に移転してからも何度か行った記憶はある。だが、もう何年ぶりか忘れたくらいご無沙汰していて(ほとんど都心に出なくなったので)、新宿駅近辺もすっかり様変わりし、しかも昼間のライヴだったせいか景色が違って、最初は店の場所すら分からなくて戸惑った(浦島太郎状態である)。しかし、移転した当時は、あんなに飲み屋とかラーメン屋が周囲にある場所ではなかったような気がするが……確かに30年も経てば、こっちもそうだが街も様変わりするのだろう。「ブルーノート」や「コットンクラブ」など、バブル時代以降、東京のジャズクラブがすっかり高級な(軟弱な?)オシャレスポットに変貌してきた中、1965年から60年近くにわたってコアなジャズファンに支持されてきた「PIT INN」は、ライヴ・スケジュールを見ると、相変わらずハードなジャズ・プログラムと、昼間は若手ミュージシャンに演奏の場を提供していて、当初から続く我が道を行く姿勢を崩さない。こういうジャズクラブが1軒くらい、いつまでも都心に残っていて欲しいとつくづく思う。

予約はメールで事前に済んでいるが、当日、店で直接料金を支払い、代わりに受付番号を書いたカードをもらって、時間をつぶし、開演30分前から店の前(地下)に並んだ人を番号順で呼び出して着席させるという、超アナログな昭和的システムに驚いた。今どきのコンサート会場だと、ネット上で支払いも済ませ、座席も確定するのが普通だが、ライヴ開演前に行列して順番を待つ、という大昔の新宿2丁目時代の懐かしい記憶がよみがえった。確かに昔は、その待ち時間ですら、わくわくした気分でいたものだったが、残念ながら、自分も含めてみんな歳をとった今は、「早く座らせてくれ…」という気持ちの方が強いことが並んでいる観客の顔つきでも分かる。店の内部は、全席ステージを向いたきちんとした椅子と、小さいながらテーブルもあって、ワンドリンクをいただきながらライヴを楽しめるという、大昔に比べたらずっと快適な環境ではあった。

長谷川きよしが京都に引っ越してからは、東京近辺のライヴで出かけたのはコンサート・ホールばかりだったので、クラブでのライヴは本当に久々だ(江古田以来か?)。と言っても今回は単独ではなく、ヤヒロトモヒロ (perc) と、南米ウルグアイのピアニスト/ヴォーカリスト/アコーディオン奏者/電子楽器奏者/打楽器奏者…というマルチ・プレイヤーであるウーゴ・ファトルーソ(Hugo Fattoruso)のデュオ・バンド「ドス・オリエンタレス」(Dos Orientales)に、長谷川きよしが客演するという形のライヴである。ウーゴが1997年に来日した時に共演して以来25年ぶりの再演ということだ。当時の長谷川きよしは、ヤヒロトモヒロ (perc)、フェビアン・レザ・パネ(p)、吉野弘志(b)というトリオと4名で編成した素晴らしいグループで活動していて、音楽的にもっとも充実した時代だったのではないかと想像している。同メンバーで名盤『アコンテッシ』を録音したのもこの時期で、ヤヒロトモヒロともそれ以来の仲なのだろう。ライヴの冒頭でヤヒロも、共演したいと思う日本人ヴォーカリストは長谷川きよしだけだと賛辞を送っていた。

日曜日、午後2時開演というライヴは、前半がドス・オリエンタレスの二人と長谷川きよしの共演、後半がドス・オリエンタレスのみという2部構成だった。コロナ禍の3年間は、ライヴ情報どころか、まったく音沙汰がなかったので、「生きているのか?」とさえ(失礼)思っていた長谷川きよしだったが、やっと人前で演奏する気になったようだ(YouTubeでは発信していたらしい)。とにかく「コロナに感染したくない一心で」引きこもり生活を3年間続けていた、と本人が冒頭に語ったので、「声の状態や歌の方は大丈夫なのか?」と、一瞬心配になった。しかし演奏が始まるや否や、そんな杞憂はあっという間に吹き飛んで、むしろ久々のライブ演奏で張り切っているように見えた。ギターはもちろんのこと、声量もピッチもまったく衰えを感じさせない、相変わらず素晴らしい歌を聞かせてくれた。しかもヤヒロのパーカッションに加え、ウーゴ・ファトルーソのピアノやアコーディオンがバックに加わるので、サウンドに厚みも出て、リズムも躍動し、どの曲もラテン風味いっぱいの演奏となった。「別れのサンバ」、「灰色の瞳」というお馴染みの曲に加えて、ピアソラの「Oblivion」(忘却)を久々にナマで聴けたのは嬉しかった。他のラテン曲も、本場のウーゴとヤヒロトモヒロという名人がバックなので、当然ながらリズムの「ノリ」がまったく違って楽しい演奏になった。それにしても、1970年頃の「銀巴里」で、20歳のときにギター一本で堂々と唄う姿を見て以来、50年という歳月を経て、73歳にしていまだ現役、しかもまったく衰えを見せずに力強く唄っている長谷川きよしは本当にすごいアーティストだ。

ドス・オリエンタレス
…と思っていたら、ウーゴ・ファトルーソはなんと御年80歳(!)になるというから、上には上がいる。芸術家は年を取らないというのは本当だ。私は今回初めて聴いたのだが、ウーゴ・ファトルーソは90年代から来日しているが、特に2007年にヤヒロとドス・オリエンタレスを結成後は何度も来日していて、日本でも既にかなりファンがいるようだ。ピアノばかりでなく、80歳とは思えないようなヴォーカルや、アコーディオン、キーボード、さらにはコンガまで叩く全身これミュージシャンというすごい人だ。今回ヤヒロトモヒロとウーゴは、既に10月はじめから全国ツアーをしているが、11月にも京都での長谷川きよしとの再演の他、関西、名古屋、東京と、ライブ出演の予定で埋まっているようで、彼らの人気のほどがうかがえる。

それにしても、南米の「ラテンのリズム」は、どうしてあんなに素晴らしく変幻自在なのだろうか。やはり古来のアジア系インディオの音楽に、スペイン、ポルトガルというヨーロッパのラテン系の血、そこにアフリカのリズムが加わるという、まさに絵にかいたようなワールド・ミュージックというべき複雑な混淆の歴史から来るものなのだろう。私はジャズ好きだが、長谷川きよしの「別れのサンバ」がきっかけになって、ボサノヴァやサンバにも興味を持ち、バーデン・パウエルやジョアン・ジルベルトのギターの耳コピをしたり、アルゼンチンのエドワルド・ファルーやユパンキのギターもよく聴いた。ピアソラのタンゴも好きだ。ファトルーソのピアノはもちろんジャズ色が強いが、サウンドの魅力はやはりそのラテン独特のリズムにあり、ヤヒロトモヒロと二人で打ち出すリズムは一聴シンプルでいながら複雑で、深く、聴いていて非常に楽しめるので、ラテン好きな人にはたまらない魅力だろう。2部ステージの最後では、もう一人の女性パーカッショニストが加わって、3人で素晴らしいコンガ(?)トリオの演奏を披露した。

ただし今回の「PIT INN」は観客(約100人)の平均年齢が高く、また長谷川きよしのファン層は昔からそうだが、歌と演奏をじっくりと聴きたいという人が多いので、逆に言うと聴衆としてはおとなしくて「ノリ」が悪い。長谷川きよし単独のライヴ時はまだいいが、今回のような賑やかなラテン系のミュージシャンとの共演だと、演っている側は聴衆のノリが悪くてやりにくいだろうな、と思いながら聴いていた。たぶん、ドス・オリエンタレス単独のライヴでは、ラテン好きな人たちが集まるので、もっ聴衆のテンションも高く、奏者もラテンのノリで楽しく演奏できるのだろう。

アコンテッシ (1993)
ところで当日、長谷川きよしが最近YouTubeにアップしたという何曲かの「岩松 了・作詞」の曲を唄った(「涙を流そうとしたけれど」他)。岩松 了と言えば、私が知っているのは『時効警察』の熊本課長や『のだめカンタービレ』の、のだめの九州・大川の父親役などの独特のコント風の演技で、それ以外に脚本を書いたり、作家・演出家など、本格的演劇人であることも知っていたが、長谷川きよしのようなミュージシャンの曲の詞まで書いていることは知らなかった。90年代にいくつか書いたらしいその歌詞は、コント風どころかどれもシリアスかつ文学的なもので、名盤『アコンテッシ』に収録されている、私の好きな「別れの言葉ほど悲しくはない」の歌詞もそうだと知ってびっくりした(この曲をナマで聴いたのは、この日が初めてだったと思う)。私の場合、一度CDをPCにリッピングすると、ライナー類の史料はその後あまり読むことがないので、細かなデータを忘れていることが多く、てっきり長谷川きよしの作詞かと思い込んでいたのだ。当時、長谷川きよしと女優・吉行和子が組んで二人でやっていたステージの演出から、作詞・作曲という関係ができたようだ。いずれの詩も、岩松 了のテレビでの演技からは想像もできない(?)文学的内容に誰でも驚くだろう。

当日のステージで、長谷川きよしの楽曲が遅ればせながらストリーミングで配信されるようになった、という話が本人からあった。長谷川きよしの場合、廃盤になっていたレコードも多いし、『アコンテッシ』でさえ最近やっと普通に入手できるようになったくらいで(以前はコンサート会場で、長谷川きよしの私家増刷版CDの直接販売のみだった)、大衆的「流行り歌」の唄い手ではないこういうアーティストは、そもそも一般人がその歌を耳にする機会がないので、まず曲や歌唱の素晴らしさが知られていない。時おりテレビで唄う機会があっても、「別れのサンバ」や「黒の舟歌」といった有名曲ばかりで、他にも数多いオリジナルの名曲を一般人が耳にする機会はほとんどない。しかも昔のアルバムCDも既に廃盤になったものが多い。だからたとえアルバム単位ではなく、バラバラの曲単位でも、配信されて、これまでその存在と独自の歌の世界を知らなかった人たちが、彼の音楽を偶然、あるいは手軽に耳にする機会が増えるのはやはり良いことだろう。そこから「忘却」「アコンテッシ」のような名曲・名唱が改めて評価されることもきっとあるだろう。楽曲の配信は経済的な問題を考えると、音楽家によっては功罪相半ばするだろうが、長谷川きよしのようなアーティストにとっては、レコードやCDのようなメディアだけでなく、YouTubeも含めたネット配信はやはり追い風になるだろうし、少しでも今後の彼の音楽活動を支える一助になればいいと思う。次回は、京都でやる復活(?)ライヴの機会があれば、ぜひ行ってみたいと思う。

2022/10/22

最近のNHKドラマとオダギリジョー

人気大河の『鎌倉殿』や、残念だった朝ドラは別として、最近のNHKドラマは面白い作品が多い。今年の『カナカナ』(5-6月)、『拾われた男』(BS8月)、『オリヴァーな犬』(9月)等、どれも楽しめた。歳のせいか、あるいはコロナ禍の世の中の雰囲気もあるのか、あまりシリアスなドラマは見ていてしんどいので、今はどうしても気楽に見て楽しめる番組を見たくなる。

西森博之のコミックが原作の毎夜15分の夜ドラ『カナカナ』は、人の心が読めてしまう特殊な能力を持った主人公の少女・佳奈花を演じた7歳の加藤柚凪(ゆずな)の可愛さが圧倒的で、癒されまくるので、毎回彼女の演技を本当に楽しみにして見ていた。昔、宮尾登美子原作のNHKドラマ『蔵』(1995) に出演した子役時代の井上真央(7-8歳?)の演技にびっくりしたものだが、それにしても最近の子役は、どうしてみんなあんなに「自然な」演技ができるのだろうか? 加藤柚凪はまったく普段の彼女そのままのようで、不自然さがまるで感じられない。元ヤンでキレると誰も止められない眞栄田郷敦(サイボーグみたいだ)、同じく元ヤンで彼を慕う白石聖(『しもべえ』でもいい演技をしている)と前田旺志郎、悪役の叔父・武田真治まで、他の出演者もみんな底に温かい人柄を感じさせながらドラマ全体を包んでいて、タレ目の佳奈花のキュートな演技と共に実に面白くて心温まる良いドラマだった。途中の公園のシーンか何かで登場した「ふせえり」が、『温泉へ行こう』の仲居「よしえさん」以来の、意味不明の踊り(タコ踊り?)で久々に笑わせてくれたのも嬉しかった。

俳優・松尾諭の自伝的エッセイを基にしたドラマ『拾われた男』は、地上波ではなくBS放送時(8月)に見ていた。主人公・仲野太賀に、草彅剛(兄)、伊藤沙莉(妻)という主役級が並び、全員で「太巻き」をまるごとかじって食べる変わり者の家族の両親役に風間杜夫(最近ヘンなオヤジ役がよくはまっている)と石野真子、主人公の運命を変えたモデル事務所の社長に薬師丸ひろ子、マネージャーに鈴木杏と、こちらは配役の妙で、全編とぼけた雰囲気の展開が続く。だが伊藤沙莉、薬師丸ひろ子、レンタルビデオ店の女性店員など、肩の力を抜いたユーモアを感じさせる女性陣の演技に感心した。個人的には、完全に光浦靖子になり切ったかのような、メガネをかけた鈴木杏の演技がいちばんおかしかった(そう言えばその鈴木杏も、駅員・豊川悦司のことを「駅長さん」と呼んでいた、25年前のあの名作ドラマ『青い鳥』に達者な子役として出演していた)。井川遥や柄本明他の俳優陣が実名でそのまま登場したり、前半は独特の間(ま)と展開が非常に面白かったのだが、兄の草彅剛が中心になるアメリカに舞台が移ってからは、やや展開に無理があって、演出上ペーソスとユーモアのバランスに空振り感が否めなかったのがちょっと残念だった。やはり舞台(空間)と役者(外人)が変わると、どうしても演技の間とかリズムが変わってしまうので、背景が日本だと感じていた「微妙なおかしさ」を、うまく表現するのが難しくなるのかもしれない。主人公・仲野太賀の自然な演技は全体として非常に良かったと思う。

もう1作『オリバーな犬、(Gosh!) このヤロウ』(長いタイトルだ)は、オダギリジョーの脚本・演出・編集から成るドラマのシーズン2(3回)で、私は昨年秋のシーズン1も見て大笑いしていたので、今回も楽しみにしていた。オダギリジョーという人は、仮面ライダーが初主演作だったらしいが、我が家では何と言っても2001年にテレビ朝日で放映された『嫉妬の香り』で顔を覚えた俳優で、辻仁成の原作は読んでいないので知らないが、テレ朝のこのドラマはヘンな内容だったが妙に面白くて毎週ほぼ欠かさず見ていた。アロマセラピストで麝香の香りを持つ主人公・本上まなみ、その恋人でいつも泣き顔の堺雅人(このドラマで初めて知った)、セリフ棒読みの川原亜矢子に、怪しげな寺脇康文、オダギリジョーなどが主な出演者で、劇画とか舞台劇のような、わざとらしい大袈裟な演技と展開が特徴のドラマだった。特に広告代理店の社長・川原亜矢子の部下役だったオダギリジョーが、ほとんど上司・川原のストーカーで、その薄気味悪い演技が我が家ではいちばん「ウケて」いた。私が次に彼を見たのは映画『パッチギ』(2005)で、そのときは京都の酒屋の跡継ぎだが、70年代によくいた左翼くずれの風来坊といった役どころだったように思う(これはよく似合っていた)。Wikiで調べると、この頃から映画、テレビで幅広く活躍するようになったようだ。

テレビでのブレイクは、もちろん『時効警察』(テレ朝2006) だ。主演の時効課警官・オダギリジョーが、時効が成立した未解決事件の真犯人を「趣味で探す」という脱力系警察コメディ(?)で、最後は確定した犯人に「誰にも言いませんよ」カードに捺印して手渡す、というお決まりの儀式で終わる。あまりに面白かったので、このドラマはシリーズ化されてその後も何篇か放送された。オダギリジョーと同僚・麻生久美子のコンビも絶妙で、岩松了、ふせえり、江口のりこ、といったシュールな笑いが得意な脇役陣によるコント風演技も毎回面白かった。オダギリジョーは、どちらかと言えばそういったアングラ的イメージが強い人だったので、「オダギリジョーとNHK」という組み合わせは、個人的にはまったく思いもよらなかった。ところが、私が知らなかっただけで、調べてみたら大河ドラマ等にも結構出演していた。そして2021年の朝ドラ『カムカムエブリバディ』と『オリバーな犬』の両作品への出演で、それまでの私的イメージはまるで崩れた。それに『オリバー』のような奇天烈ドラマをあのNHKが…とも思うが、よく考えたら近年のNHKは、ゾンビものとか、昔なら考えられないようなドラマを平然と制作するし(岩松了が絡んでいることが多い?)、むしろスポンサーのいる民放では危なくて絶対できないようなドラマを作るようになっている。おそらく、こうした番組や個性的な役者が好きな人が上層部にいるのだろう。

『オリバーな犬』は、主演の鑑識課警察犬係・池松壮亮には、犬の着ぐるみを着たいい加減なオッサンにしか見えない相棒の警察犬オリバーを、完全に「犬化」したオダギリジョーが演じるという奇想天外なドラマだ。池松の上司役が麻生久美子、課長・國村準、同僚・本田翼というレギュラーメンバーによるゆるい会話や警察鑑識課という場面設定は『時効警察』につながるし、また池松とオダギリという、素でもテンションの低そうな二人のとぼけたやり取りが笑える。だがこのドラマはその企画・脚本・演出のユニークさもさることながら、出演メンバーがすごすぎる。永瀬正敏、松重豊、永山瑛太、橋爪功、甲本雅裕、柄本明、佐藤浩市、松田龍平・翔太の兄弟、松たかこ、黒木華、浜辺美波、火野正平、風吹ジュン、(オダギリ奥さんの)香椎由宇……と、書ききれないほどの有名俳優が次から次へと登場し、おまけに細野晴臣やシシドカフカまで登場するのだ。いったいギャラとかどうなっているのかと心配になるが、みんな楽しみながら演じているように見えるし、「オダギリの作品なら」と馳せ参じた友情出演的な人が多いのだろう。

オダギリジョーは元々テレビが好きで、映画ではなく、テレビでしかできないような作品をずっと作りたかったと語っており、この作品でまさにこれまで温めていた企画とアイデアを一気に表現したのだろう。ハードボイルドとコメディが同居したドラマの展開やセリフもユニークで面白いが、シーズン1のエンディングにおける、ミュージカルのようにショーアップした集団ラップダンス・パフォーマンスも意外性十分で最高だった。シーズン2は、多数かつ多彩な出演者が逆に災いしてか、演出面で小ネタギャグとストーリーがかみ合わず、少々散漫になった印象がある。エンディングの舞台なども私は面白がりなので好きだが、この手の手法や展開を好まない人には意味不明と感じたかもしれない。

NHKの「土曜スタジオパーク」に番宣で麻生久美子と二人で登場した回は、麻生に要求する奇妙な台本の話や、「え?」の応酬だけで何分も会話を続ける場面とか、岡山では河本準一と同じ小学校だったという驚きの過去談等に加え、河本の家庭の秘密までバラしたりして、あまりのおかしさに笑いが止まらなかった。しかしこの番組で、オダギリジョーの人となり(ファッションも含めて)、コンビを組む麻生久美子との(おかしな)関係もよく分かった。この人は異能の持ち主だと思うが、(若い頃は分からないが)今はさほどとんがっていなくて、人望があり、その独特の才能と不思議な人柄に惹かれて、自然とまわりに人が集まってくるタイプのマルチ・アーティスト(俳優、作家、監督、演出家)なのだろう。その才能からは何となく昔の伊丹十三を彷彿とさせるが、あれほど才に走るタイプではなく、人格と才能のバランスが取れた人物なのだろう。銀座のクラブで暴れた人の後任を受けたドラマも好評のようだし、「鬼才オダギリジョー」は、今後もさらにスケールの大きな仕事をするだろうと思う。

2022/09/24

椎名林檎・考(3)

デジタル時代になり、見えなかったもの、知らなかったものがどんどん可視化されるようになって、何でもかんでも精緻に「分析」するのが昨今の流行りだ。芸術の世界も例外ではなく、今はPCさえあれば誰でもそこそこの絵が描け、作曲さえできる「一億総アーティスト」時代なので、美術や音楽も「鑑賞者」による単なる印象批評ではなく、「作り手」側の視点で、技術的な角度から作品を細かく分析することが多くなっている。クラシックでもポピュラー音楽でも、「音楽を熱く語る」のは、もはやダサいという時代なので、一言「イイネ!」とか「刺さる!」「エモい!」で済ますか、それとも逆に、クールかつ技術的に、きれいに分解してみようという流れなのだろう。ただし楽曲の構造や、コード進行や、似た曲の存在等をいくら分析したところで、その曲の素晴らしさは説明できないし、「普通の聴き手」はコードはもちろん、歌詞の意味もいちいち解釈しながら聴いたり、唄ったりしているわけでもない。作品を全体として「一瞬で」受け止め、感じ、楽しんでいるわけで、音楽家もそうして聴かれることを望んでいるだろう。

ド素人ながら、私もジャズを聴いて分析まがいのことはする。ただしそれは技術的な分析ではなく(やりたくともできないが)、ジャズ・ミュージシャが「何を考えて」、そういう「サウンド」の演奏をするのか――そこに興味があるからだ。つまり音楽を作り出す人間の思想とか人間性に関心がある。ジャズはヴォーカルもあるが、基本はインスト音楽なので、演奏から感じ取るイメージは抽象的で、どう感じるかは聴き手の感性次第だ。楽器の「音」そのものには何の意味もないからである。だが本来ジャズは、演奏者の話し言葉――「語り口」を楽器の音で表現する音楽芸術なので、当然そのサウンド表現には奏者なりの意味やメッセージが込められている。半世紀もジャズを聴いていれば、ド素人でも、サウンドから奏者がどういうタイプの人間なのか、何となく推量できるようになるものだ。ただし、セロニアス・モンクのような「真の天才」が創り出す音楽は、プロの音楽家でも分析できない。彼らは凡人には手が出せない領域にいるからだ。ただ一言「素晴らしい!」としか言えないだろう。日本のポップス界では、椎名林檎がその領域に近いところにいるアーティストだと思う。

私は記事でも映像でも、音楽家の「インタビュー」とか「対談」ものが好きで、よく読んだり見たりするし、自分の翻訳書も4冊のうち2冊はインタビュー本だ。それは、音だけでは見えてこない音楽家の思想を、本人が直接語る言葉からある程度聞き取ることができて、音の世界とは別に、それが楽しいからだ。椎名林檎の場合も、ブログで書き始めた後に、YouTubeでこれまで見ていなかったインタビュー動画をいくつか見た。面白かったのは、向井秀徳との『僕らの音楽』対談(2005 フジ)、もう一つは『トップランナー』(2008 NHK) だった。前者での向井に対する態度(完全にファン目線でデレデレだが、向井とのデュオKIMOCHIの歌唱は最高)、後者でのアーティストとしてのよく整理された明快な発言が印象的だ。その結果、2004年の「東京事変」のスタートに関して、(1)で書いたような私のまったくの想像とは、異なる心境や考えの変化が当時の椎名林檎の内部で起きていたことをよく理解した。

Queen's Fellows (2002)
ところで音楽界ではトリビュートやカバーが相変わらず流行っているが、「トリビュート」アルバムの傑作の一つは、今から20年前の2002年に発表されたユーミンへの初のトリビュート『Queen's Fellows』だ。意表をつくような、鬼束ちひろの「守ってあげたい」で始まり、ユーミンの名曲を集めたこのアルバムは、参加した男女ミュージシャンの人選、選曲、編曲、歌唱のクオリティがすべて素晴らしく、ユーミンのデビュー30周年にふさわしい、これぞ女王へのトリビュートと言うべきアルバだ(tribute: 感謝/尊敬を込めた「捧げもの」であり、単なる歌の「カバー」ではない)。はっきり言って本家より歌がうまいとか、そういうことではなく、高い質を持った「原曲」と各アーティストの「個性」の間で化学反応が起きて、別の作品として見事に仕上がっている曲が多いということである。

1960年代という重く暗い政治の季節の反動もあって、軽やかで明るい70年代という時代を象徴するユーミンの楽曲の底に流れているのは、基本的に健全でhappyな気分であり、同時代を生きた誰もが、今でも「あの日に帰りたい」と理屈抜きに反応してしまう何かがどの楽曲にもある。このトリビュート作全体に漂っているムードもそこは同じで、曲想は違っても、どこか温かなムードが、どの歌の底にも流れている。そこに椎名林檎も参加しているが、唄っているのが「翳りゆく部屋」である。荒井由実時代最後のシングル(1976年)だったこの曲は、歌詞もサウンドも、もっとも「ユーミンらしからぬ」曲だ。1970年代のユーミンの曲に、「死」という語句まで含む、こんな「暗い歌」は他にない。当時20歳の椎名林檎が(録音は1999年)、なぜこの歌を選んだのか理由は分からないが、おそらく当時の彼女には、ユーミンの曲の中でいちばん共感できる歌だったからなのだろう。アルバム中で異彩を放つ(浮いている)その歌は、完全に椎名林檎バージョンの「翳りゆく部屋」であり、オルガンを使った荘厳な本家のサウンドとは別種の、バックにエレキギターの乾いたサウンドがずっと物憂げに響く、どこか90年代的な哀感が滲む名唱だ。

アダムとイヴの林檎 (2018)
その椎名林檎本人への初のトリビュート・アルバムが、デビュー20周年に発表された『アダムとイヴの林檎』(2018) である。「普遍性」と「幸福感」が根底にあるユーミンの音楽は、普通の歌手にとってそれほど唄うのが難しいとは思えないし、素人でもカラオケで楽しく唄えるだろう。一方、一部の曲を除けば、超個性的で、複雑で、常に不穏な気配が漂う、陰翳の濃い椎名林檎の音楽を、現代のミュージシャンがどう料理するかが、このアルバムの見もの(聴きもの)だった。選曲は予想通り『無罪』から6曲、『日出処』から4曲、『勝訴』から2曲他と、いわゆる唄えるヒット曲が中心で、孤高の傑作(?)『カルキ』の曲は一つも入っていない。これは、ビジネス的に考えれば当然の選択だろう。それにユーミンの曲と異なり、椎名林檎の楽曲は、(MVの映像も含めて)彼女固有の歌唱表現と一体化した世界なので、やはり彼女にしか唄えない曲が多く、カラオケならともかく、第三者のプロ歌手が唄うと単なるモノマネになるか、まったく似て非なるものになる可能性があるからだ。

そういう前提で聴いたこのトリビュートだが、個人的にまずまず印象に残ったのは(オッサン的嗜好になるのはやむを得ない)、草野マサムネ他(正しい街)、宇多田ヒカル&小袋成彬(丸の内サディスティック)、レキシ(幸福論)、AI(罪と罰)、エビ中(自由へ道連れ)などだ。知らない人だがMIKA(ミーカ。レヴァノン人?)の、レトロなフレンチ・ラテン風「シドと白日夢」は、どうしても歌詞が注目されがちな椎名林檎の楽曲の「メロディ」が持つ魅力と普遍性を示唆していると思う。ユーミン・トリビュートにも参加している井上陽水(カーネーション)と田島貴男(都合のいい身体)は、本作でも完全に自分の世界に持ち込んで唄っている(陽水はさすがに声が苦しそう。田島貴男は往年の「憂歌団」と並び、日本で最高のブルース表現者の一人だ)。全曲とは言えないまでも、椎名林檎的世界をあまり損なうことなく、各アーティストやバンド独自の個性をきちんと加えたアレンジや演奏が予想以上にあったのには正直言って驚いた。これは、この20年間で、あの強烈な個性とインパクトを持った椎名林檎の音楽が、少なくともJ-POPの世界では、もはや「スタンダード」(classic)というべき領域に入ったことを意味していると考えていいのだろう。

ニュートンの林檎
初めてのベスト盤  (2019)
翌2019年には、『ニュートンの林檎~初めてのベスト盤』が2枚組CDでリリースされた。収録された30曲は代表曲ばかりで、まあ、そうなるだろうなという選曲だ。椎名林檎というと、難解な曲や激しくシャウトする強烈な曲が目立つが、着物姿で唄うシュールな曲(積木遊び、やっつけ仕事、神様、仏様等)もあるし、ピュアなラブソングも、やわらかで、みずみずしい抒情を湛えた佳曲、名曲もたくさんある。私が個人的にいちばん好きな曲は「茜さす 帰路照らされど…」(『無罪』収録)だ。作詞・作曲をするミュージシャンは誰でもそうだと思うが、デビュー当時の若い時代にしか書けない「ラブソング」というものがある。50年前の井上陽水の「帰れない二人」や長谷川きよしの「歩き続けて」などがそうした永遠の名曲だ。「茜さす…」もまさしくその一つで、彼らから30年後で、時代背景も(まだスマホなどない)、恋愛のシチュエーションも違うが、たぶん十代の女性にしか書けない、みずみずしさと切なさが見事に表現されている名曲であり、名唱だ。他にも、「同じ夜」「おだいじに」「映日紅の花」「手紙」「黄昏泣き」「夢のあと」「茎」「意識」「おこのみで」「ポルターガイスト」等が、私の好きな曲だ。 長谷川きよしをイメージして提供した「化粧直し」(『大人』収録)というボサノヴァ曲にも、そうした彼女の感性の一部が表れていると思う。

このベスト盤には収録されていないこれらの曲は、いわゆる椎名林檎的パンチには欠けるが、音楽的装飾をできるだけ控え目にして、いわば彼女の「素」あるいは「静」の部分を、素直な歌詞とメロディで美しく表現した作品のように私には聞こえる。そして、どれも時代や世代を超えて受け入れられる名曲ばかりだと思う。『カルキ』中の曲や、これらの名曲だけを選んで、(もちろん椎名林檎が唄うからいいのだという面はあるだろうが)本家とは異なる個性と魅力を持った歌い手を選び、別の角度から「作曲家・椎名林檎」の音楽世界を描いたトリビュートを作ったら、それはそれで素晴らしいアルバムになるのではないだろうか。

音楽は、人類が発明した「史上最高の薬」である。元気なときには活力が増し、辛いときには癒しを与えてくれる特別な薬だ。ほんの一握りの独創的「先発薬」があり、続く数多いコピー薬「ジェネリック」の集合体という構造も、薬の世界とよく似ている(ジェネリックにもきちんと薬効があるところも同じだ)。デジタル化でコピーが容易になり、サブスクも広まって市場構造も変化し、今は音楽の価値そのものが揺らいでいる。そこにコロナ禍が加わり経済的にも打撃を受け、音楽家にとってはまさに苦難の時代だ。しかし景気が悪かろうと、未来が見えにくかろうと、いつの時代も人間にとって音楽そのものが持つ力は不可欠であり、かつ不変だと思う。だから大変だとは思うが、「志」ある音楽家には何とか頑張って生き抜いてもらいたい。

元気のない今の日本も、音楽の未来にはまだまだ希望はあると思っているが、それは、アジアの辺境で生き、伝統を維持しながら、数千年にわたって海外の文物を輸入し、吸収し、内在化しながら、「日本独自の文化」を生み出してきた日本人ならではの資質――すなわちポジティヴな意味での「ガラパゴス化」という能力がこの島国にはあるからだ。「ガラパゴス化」を卑下し、世界標準に決してなれないローカル世界の限界だとネガティヴに捉えているようでは、日本の未来はない。そうではなく、民族が持つ固有の文化であり能力だと考えたら、別の未来が見えてくる。「似たようなもの」だけを大量に生産し、消費し続けたら、便利だがつまらない世界、しかもいずれ誰も生き残れないような世界になる――と、日本人がデジタル競争の敗因として「ガラパゴス化」を反省しているうちに、外の世界ではとっくに逆の価値観へとパラダイムシフトが起きているのである。

ボカロPとコラボした
Adoの1stアルバム『狂言』
(2022)
音楽の世界でも、民謡、長唄、端唄、浪曲、演歌、歌謡曲といった日本古来の音楽的伝統と感性を基盤にしながら、日本人は明治以降150年にわたって、クラシック、ジャズ、ロック、R&B、フォーク、シャンソン、ボサノヴァ、タンゴ、カンツォーネ、フラメンコ、カントリー&ウェスタン、ハワイアン、ヒップホップなど、「ありとあらゆる洋楽」を貪欲に取り入れ、吸収してきた(こんな国が他にあるだろうか?)。そして最新の「ボカロP」(ボーカロイドxプロデューサー)のように、コンピュータ技術、アニメーション技術を駆使した仮想空間思想さえもそこに加えて、固有の音楽と多様な洋楽を、日本という「るつぼ」で溶融して作り出した現代のJ-POPは、いわば新たに創造された「音楽の合金」である。J-POPは、今や世界レベルの魅力と独自性を獲得した音楽となりつつあり、一部アーティストたちの音楽的洗練度と創造性は、今やワールド・クラスだと思う。そして私の耳には、その中から様々な「椎名林檎的なもの」が聞こえてくる。

20世紀と現代との違いは、今はクラシックやジャズなど高度な専門的音楽知識や技術を習得した多くの若者が、音楽ジャンルを超越して、J-POPシーン内部を横断してソロやグループ活動を行なっていることだ。21世紀になってアートとエンタメが融合したように、もはや音楽にジャンルも境界線もない。とりわけ、昔は言語的に不可能だと思われていた「日本語の歌詞」が、まったく違和感なく、速くて複雑なメロディ、ハーモニー、ビート、リズムに見事に乗せられていることには、本当に驚く(年寄りにはほとんど聞き取れないが)。ヒップホップ、ラップの影響はもちろんだが、高い質を備えた日本産の音楽に、独自の日本語の歌詞を適用する「言語技法」を最初に用いた音楽家の一人が椎名林檎だ(先人には桑田佳祐がいるが)。さらに言えば、1世紀以上にわたる洋楽のコピー、モノマネという歴史を経て、真に日本的オリジナリティを有する音楽合金を、20世紀末の日本のポップス界で初めて具現化したのが椎名林檎であり、彼女こそ比類のない「ガラパゴス・ジャパン」を音楽の世界で初めて実現したアーティストだと思う。

「うっせぇわ」でデビューしたAdoを聴いて、その衝撃(斬新さ、面白さ)に「椎名林檎の再来か」と私は喜んでいた。2002年生まれのそのAdoが、新作映画『カラダ探し』向けに椎名林檎が書いた曲「行方知れず」を唄うという、まさに親子のような二人のコラボが実現することになったそうだ。Adoについて、『無罪』を全曲唄ってもらいたかったほどの「理想的な "どら猫声" だ」と絶賛する椎名林檎のコメントも笑える。こうして独創の林檎DNAが、21世紀生まれの若いアーティストたちに脈々と受け継がれて行くことを願っている。
(完)

2022/09/14

椎名林檎・考(2)

獣ゆく細道(2018)
90年代末から約10年間、ほとんどジャズと主従逆転するほど椎名林檎を聴いていた私だが、『平成風俗』(2007) 以降は彼女の音楽から離れていた(理由はよく覚えていないが、仕事の関係とか、「東京事変」のテイストがオッサン好みではなくなったのか、あるいはたぶん歳のせいで、ついて行けなくなったのかもしれない)。ただしNHK紅白とか、ニュース番組、ドラマ、CMのタイアップ曲などは時々耳にしていたし、本当に大物アーティストになったものだと感心はしていたが、ほぼ10年近く、新作やDVDも買っていなかったので、いわば浦島太郎に近かった。だが最近になって、YouTubeで久々に近年の椎名林檎のMVやライヴ映像を見たり、歌を聴いたりして、相変わらず衰えることのないアーティストとしての挑戦意欲と創造性に改めて感動した。

2012年の「東京事変」解散後も、時代のニーズに応えて、ヴィジュアルを中心にした「エンタメ度」をさらに高めて、聴き手を楽しませる多彩な映像やショーを次から次へとプロデュースしている。当然だが20代に比べたら外見も作品も成熟し、近年はまさに「姐御」(あねご)と言うべき風格まで漂っていて、バンドやダンサーの統率はもちろんだが、コラボ・ゲストで呼んだエレカシの宮本浩次(獣ゆく細道)や、トータス松本(目抜き通り)のような先輩(一回り年長)男性ミュージシャンまで手玉に取る(?)かのような派手な舞台パフォーマンスを演出している。ステージ上の全員が椎名林檎に「奉仕」しているかのような様相は、もはや姐御どころか「女王様」で、それも歌舞伎町どころか日本のJ-POP界の女王である。東京五輪という世界的イベントのセレモニーへの椎名林檎の参画は、彼女の創造性とプロデュース能力の真価をグローバル・レベルで発揮する大きなチャンスだったと思うが、残念ながらああいう結果になった(今の贈収賄騒動を見ていても、やはり参加しなくてよかったとも言える。国や政治がからむイベントにアーティストが関わると、基本ロクなことにならないからだ)。

ところで、「アーティスト」という語を、今は私も普通に使っているが、とても「アート」とは呼べない活動をしている人間まで指す、この気取った日本語に以前は抵抗があった。音楽界では、昔は単に「歌手」とか「ミュージシャン」と呼んでいたと思うが、今はそのへんのタレントもYouTuberも、みんなアーティストだ。この語はいつ頃から日本で使うようになったのだろうか? そう思って、翻訳者でもあることだし、初心に帰って英語の「artist」を英日や英英辞典で調べてみた。「アート(art)」 はラテン語系で「人工のもの=技術」が原義で、日本語では昔から(と言っても明治以降だが)高度な技術という意味で「芸術」と訳されてきたので、どの辞書でも最初の意味は (1)「芸術家」で、ものを創造する人、特に画家、彫刻家、次に音楽家、作家などである。ヨーロッパでは画家のイメージがいちばん強い。次いで (2) 「一芸に秀でた人」という意味が時代と共にそこに加わり、デザイナー、イラストレーター、舞台芸術家、ダンサー、芸能人、ミュージシャンといった人たちが続く。そこからいわゆる (3)「名人、達人」という意味が加わり、ついには (4)「ペテン師、いかさま師」まで意味が広がってゆく(ある意味で「なるほど」とも思うが)。たぶん昔は一部の人の特殊技能だったものが徐々に社会全体に普及し、資本主義の発展と共にそれを商売にする人も増えてきて、経済規模も大きくなり、職種も多彩になり、中にはその特殊技能を使って悪事を働く人間まで出てくる (?) ――など、歴史的にその範囲も意味も拡大してきたのだろう。1960年代以降、アメリカではロックを中心に、大衆音楽に関わる人間の数が爆発的に増え、徐々にその社会的ステータスも、ミュージシャンとしての意識も向上していったこともあって、メディアが、それまでの高度な芸術創作(creation) を行なう人たちだけでなく、芸事全般に携わる人たちを、(面倒なので)まとめて「アーティスト」と総称するようになったのではないかと推察する(おそらく80年代頃から)。例によって、その英語をそのまま輸入した日本の音楽業界やメディアも、(大昔、洋楽を何でもかんでも「ジャズ」と一言で呼んだように)便利に使える「芸能人の総称」として90年代頃から使い出した――ということのようだ。

椎名林檎は言うまでもなく、上記「アーティスト」の定義をほとんどすべて満足する「代表的」アーティストの一人だ (ただし(4)の意味は除く)。20年以上にわたり、時代の変化に合わせて(その先を行きながら)様々なパフォーマンスを創作し、提供してきたが、思うに、彼女のように独自の「コンセプト」を突き詰めていくタイプのアーティストにとっては、絶えざる「自分への挑戦」こそが音楽的モチベーションを維持し、高めるための最善の方法なのだろう。私はロック方面には詳しくないので、比較するとしたらジャズのミュージシャンしか思いつかないのだが、サウンド云々ではなく音楽家としての資質的に、ジャズで言うならマイルス・デイヴィスと似たタイプではないかと思う。椎名林檎の「音楽」にはセロニアス・モンク的独創(「定型」を打ち破ろうとする意志と、それを可能にするオリジナリティ)を感じるが、彼女の音楽家としての「姿勢と思想」から感じるのは、むしろクールなマイルス的合理性だ。椎名林檎の中には、この両者が共存しているように思う。

Misterioso
(1958 Riverside)
椎名林檎の言語センスには唯一無二の独創性があるが、ユニークなのは歌詞だけでなく、アルバム名や曲名という「タイトル」もそうだ。ジャズの世界ではモンクが数々の「名言」を残しているが、モンクは言葉遊びも好きで、「MONK」と名前を彫った指輪を逆から「KNOW」と相手に読ませて、「MONK always KNOW」(いつだって分かってる)と言ったり、音楽の中にも常にユーモアとウィットを感じさせるのがモンクの魅力の一つだ。そして歌詞こそ書いていないが、モンクが自作曲に与えたタイトルにも天才的言語センスを感じる。ほとんどのジャズ・スタンダード曲は(愛だの恋だのといった)月並みなティンパンアレーの曲名がついているし、ジャズ・オリジナル曲のタイトルも、デューク・エリントンの曲など一部を除けば変哲もないものがほとんどだ。しかし70曲ものオリジナル作品を書いたモンクは、曲名のセンスも素晴らしく、<Round Midnight><Ruby, My Dear><Straight, No Chaser>などの名曲を筆頭に、<Ask Me Now><Well, You Needn't><Bright Mississippi><Brilliant Corners><Ugly Beauty><Criss Cross><Epistrophy><Reflections><Evidence><Functional><Misterioso>…等々、短い普通の単語を用いながら、曲のイメージとジャズ的フレーバーを瞬時に感じさせ、しかも哲学的な余韻まで残す独創的なタイトルが並ぶ。椎名林檎のアルバム名『無罪モラトリアム』『勝訴ストリップ』『教育』『大人』『平成風俗』『日出処』…など、また特に初期の曲名「正しい街」「丸の内サディスティック」「本能」「ギブス」「罪と罰」「浴室」「迷彩」「茎(STEM)」「ドッペルゲンガー」「意識」…などから感じるのも、モンクと同種の言語センスである(ちなみに、モンクの曲もほとんどが20歳代に作られている)。

Kind of Blue
(1959 Columbia)
モンクは自由人で天才だが、マイルスは育ちの良い秀才である。モンクはピアニストであり「作曲家」だが、マイルスはトランペッターであり「バンドリーダー」である。演奏者(パフォーマー)である点は同じだが、「楽曲のワンマン創作者」と「演奏集団の統率者」とでは見ている世界が違う。音楽家としてのモンクは、常に制約を打ち破る「自由な音楽」を創造していたが、マイルスはジャズ演奏上の一定の制約を認めた上で、その中でバンドとして到達可能な「最高度の音楽美」を追求した。そうした個性の違いはあったが、1950年代に二人が見ていたジャズは、まだビバップを起源とする「アート」だった。それが変質し始めた1960年代になっても、モンクはまだ従来のまま「独自の曲」を書き続けようとしていた(ドラッグの影響と体力の低下で徐々にそれができなくなる)。一方、マイルスは最初から常に「次に何をやるか」を冷静に考えていた音楽家だった。1940年代後半からビバップ、クール、ハードバップ、モード、ファンク……と、ほぼ5年おきに自身の音楽をあえて変化させて「新たなスタイルのジャズ」を創ることへの挑戦を続け、そのつどそれを成功させて「本流」としてジャズ界をリードし続けた。

ジャズの「芸術的」頂点と言われるモードの傑作『Kind of Blue』(1959) を発表した後、60年代のマイルスはモードを洗練させることに注力し、オーネット・コールマンの登場後、主潮流になったフリー・ジャズへは向かわず、むしろ大衆音楽として新たに台頭してきたロックやR&Bの特徴や動向を冷静に観察し、分析していた。音楽的な理由もあっただろうが、何よりフリー・ジャズでは「金(ビジネス)にならない」ことが聡明なマイルスには分かっていた。音楽家として、アメリカという国で「生き残る」には、一部の聴衆にしか理解できない難しいことだけやっていてはだめで、一定数の「大衆」の支持が不可欠だと考えていたからだろう。大衆に受け入れられ、彼らに飽きられず、なおかつジャズ・アーティストとして自らの「芸術上の基準」も満たす音楽を創造すべく、常に「次の目標」へ向けて挑戦を続けていたのである。

ジャズの宿命だったコインの表裏であり、資本主義の発展と共に1960年代に顕著になったこの「芸術(アート)と芸能(エンタメ entertainment)の相克」は、やがて資本主義下のアーティストの誰もが向き合わざるを得なくなる問題だが、マイルス・デイヴィスという人は、60年代当時最先端の「アート」だったジャズ界のリーダーとして、その問題を「止揚」(aufheben) すべく苦闘していた音楽家だったと私は考えている。そして60年代後期に行き着いたマイルスの答えが、電子楽器とポリリズムを導入した『Bitches Brew』(1969)に代表されるエレクトリック・ジャズである。マイルスは、それまでのホーン奏者を中心とする「個人の即興演奏」から、ギターやキーボードという電子楽器を使った「集団即興」へとジャズのスタイルをシフトさせた。同時にステージ上ではヒップさを強調し、ロックを意識した派手な衣装ばかりか、演奏時の見栄え、振舞いなど、音楽以外のパフォーマンスも含めてエンタメ志向を強めていった。それが70年代以降、ファンク、フュージョンという、より大衆寄りの新しいジャズのスタイルと流れを生み出し、その歴史的転換によって、ジャズと、ロック、R&B、ポップスという他のポピュラー音楽との「境界線」も、その後さらに薄れてゆくのである(これをジャズの「拡張」と言うか、「衰退」と見るかは意見が分かれる)。ジャズ出身のアレンジャー、クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンの80年代におけるコラボは、いわばその総仕上げと言えるだろう。

三毒史 (2019)
こうして20世紀の代表的アートの一つだった、アコースティック楽器による「モダン・ジャズ」が終わりを迎える頃(1978年)に生まれ、バブル後の90年代日本のポピュラー音楽界に現れたのが椎名林檎である。音楽ビジネスも当時は不況の影響を大きく受けていたことだろう。その経済環境下で登場した椎名林檎は、生来「アート志向」が非常に強いミュージシャンだったがゆえに、マイルスと同じく、この「アートとエンタメ」という問題を最初から強く意識し、音楽家としてのアーティスティックな目標とビジネスの成功を「両立」させるための手法を、冷静に考え抜いてきたのではないかと思う。

この「アートかエンタメか」という二元論は、「ジャズか否か?」あるいは「ロックか否か?」、という大昔の音楽ジャンル議論と同じく1990年代まではかろうじて存在していた。しかし90年代以降、情報と経済のグローバル化の進展が社会の価値観を変えた。「アート」を真剣に追及することよりも「カネになるか、ならないか」という2択のエンタメ(=商業主義)全盛となった21世紀の今は、この二元論は完全に消え失せたと言っていい(「アーティスト」という言葉だけは残ったが)。現在クラシック、ジャズを含めてあらゆる音楽ジャンルで進行しつつあり、この20年間の椎名林檎の音楽・映像作品、ステージ演出の推移が如実に示しているように、21世紀の今は、アートとエンタメは、完全に一体化された「パフォーマンス」として「止揚」されつつあると言っていいのだろう。そうした見方からすると、2003年の椎名林檎のアルバム『カルキ』は、マイルスの『Kind of Blue』と同じく、「アート」の価値がまだかろうじて残されていた時代に、アート志向が強かった若き椎名林檎が挑戦し、到達した「頂点」と言うべきアルバムだったと言えるだろう。(続く)

2022/09/04

椎名林檎・考(1)

山本潤子の正統的かつ清々しい歌も好きだが、正反対のような椎名林檎の予定調和を覆す、超個性的な歌も私は好きだ。ジャズで言うと、トリスターノやリー・コニッツの破綻のないストイックなサウンドもいいが、モンクの自由で独創的な音楽にも惹かれるというようなものだろう。この両極とも言うべき音楽嗜好は、ある意味節操がないが、自分が椎名林檎の音楽に惹かれる理由は、たぶんモンクと同じく、既成の枠組みを乗り越えようとする強靭な「意志」と、それを支える唯一無二の「オリジナリティ」を感じるからだろうと思う。

    歌舞伎町の女王
1990年代末に椎名林檎がデビューしてから10年間ほど、彼女のCDとDVDのほとんどを購入して聴いたり見たりしていた。当時は、なんだかもうジャズにあまり魅力を感じなくなっていて、何か他に面白い音楽はないものかと、J-POP含めてあれこれ聴いていた。しかし打ち込みとサンプリングで、似たような曲だらけになっていた90年代J-POPの中で、偶然耳(目)にした強烈な「歌舞伎町の女王」(1998) にあっという間にやられた。日本的で、猥雑で、まるで昭和ど真ん中のような歌と映像の世界があまりに面白くて、すぐにカラオケでも唄っていたくらいだ。こうして椎名林檎はデビュー2曲目(シングル)にして、ロック好きの同世代の若者だけでなく、ママやチーママがひしめく夜の歓楽街で、いかにも実際にありそうな話をファンタジーとして描いたこの曲によって、中高年オヤジ層もファンの一部として「取り込む」ことに見事に成功した。続くナース姿の『本能』での、ワイルドかつ官能的世界もそれを加速したことだろう。若い人たちは気づかないかもしれないが、椎名林檎の音楽にはそもそも、基本的要素としてのロックやジャズの他に、日本人中高年層の体内に刷り込まれた昭和的体質が「つい反応」してしまうような、演歌や歌謡曲、シャンソンその他諸々の大衆音楽の要素が散りばめられているのだ。大衆的どころか、とんがったアブないイメージが強い楽曲にもかかわらず、性別や世代を超えた、椎名林檎の全方位的人気の理由の一つはそこにあるのだと思う。

   無罪モラトリアム
手持ちのiTunesのデータを調べてみたら、1999年の『無罪モラトリアム』から『勝訴ストリップ』(2000)『唄ひ手冥利〜其ノ壱〜』(2002)『加爾基 精液 栗ノ花』(2003) 、さらに「東京事変」の『教育』(2004)『大人』(2006) 、斎藤ネコとの『平成風俗』(2007) までのCDが入っている。他にDVDとして『性的ヒーリング壱、弐、参』『短編キネマ 百色眼鏡』『賣笑エクスタシー』などを所有している(当時よほど嵌っていたのだろう)。'00年代に入るとテレビ出演などメディアへの露出も増え、特に3作目の『加爾基 精液 栗ノ花』のリリース前後には、筑紫哲也や久米宏とのニュース番組での対談等を通じて、中高年インテリ層の認知度もさらに高まった。こうして椎名林檎は、デビュー当時のアングラ的イメージが強いキワモノ・ロック歌手扱いから、完全に「メジャー・アーティスト」の一人へと「昇格」したのである。

日本のポップス史上、松任谷由実 (1954-) と並ぶ最高の「女性アーティスト」はやはり椎名林檎 (1978-) だろう。以前にも本ブログで書いたことがあるが、その音楽的スケールと影響力、独創性、作詩・作曲能力、プロデュース能力、性別・世代を超えたパフォーマーとしてのポピュラリティ等――全ての点においてこの二人の才能は傑出している。さらに、ユーミンの歌や曲はいまだに古びず、単なるナツメロではなく時代を超えて愛され続けている。そのユーミンから四半世紀後に登場した椎名林檎は、デビューした年齢も、十代から曲を作ってきた点でもユーミンとほぼ同じだが、若者のほとんどが音楽そのものに熱狂した「70年代」ではなく、音楽がモノと同じように日常の中で消費され捨てられるようになった「90年代」という時代に現れたために、この点では不利だ。しかし'00年代に入ってからもコンスタントに新曲やアルバムをリリースし続け、十代に作った自作曲を20年後のライヴの場で唄い、まったく古くささを感じさせないどころか、そこにさらに新鮮な魅力を加えている椎名林檎も、この「時間」という試練を完全に乗り超えた本物のアーティストになったと言えるだろう。

1970年代という、高度成長期の活力に満ちた日本、希望に満ちた未来へと成長を続けた明るい日本を象徴していたユーミンの楽曲の背景には、バブルに向かって日々変貌していた「モダンな都会」というイメージが常にあった。それに対し、そのバブルがはじけて「昭和」的世界が文字通り終焉を迎え、不況とリストラで先の見えない世紀末の日本であがく団塊ジュニア、氷河期世代の一人として登場したのが、1978年生まれの椎名林檎である。さらに90年代半ばには阪神大震災やオウムのテロが続き、堅牢で安定していたはずの世界が脆くも崩れてゆく様を目撃し、喪失感、孤独感を募らせていたこの世代の音楽家に、自分の思いや感情をてらいなく表現したり、皆で一緒に唄える希望に満ちた歌など、もはや作れるはずがなかった。それまでの日本のポップスにはおよそ見られなかった、椎名林檎の楽曲が持つ深い陰翳と屈折には、個人的資質だけでなく、疑いなくこうした時代背景が投影されていると思う(「スピッツ」の楽曲にも同種のものを感じる)。そして2001年、追い打ちをかけるように、テレビの画面を通してリアルタイムで目撃した米国9.11テロが、アーティスト椎名林檎にさらなる衝撃を与える。

   賣笑エクスタシー
椎名林檎のコスプレ的表現、芝居(演劇)や芝居小屋(劇場)好きは、初期の頃からのMV (Music Video) や映像作品が示す通りだ。残念ながら、私は彼女の本物のライヴの舞台を見たことがないが、DVDなどの映像で見るかぎり、MVやライヴステージは音だけのCDよりも圧倒的に魅力的だし、面白い。テレビ番組では制約があって、その魅力が出せないだろうが、本物のライヴは、きっと芝居小屋のような幻想的かつ猥雑な面白さで一杯だっただろう。MVは80年代からあったが、歌だけでなく、最初からその強烈な「ヴィジュアル・イメージ」を意図的に前面に打ち出して登場した新人アーティストは、日本のポップス史上、おそらく椎名林檎が初めてだろう。90年代からのデジタル技術の進化によって、映像作品の制作が容易になったこともあって、今では当たり前になった映像込みの歌のプロモーション(PV) を、既に90年代の後半に彼女は始めていた。当然ながら、背景にはレコード会社を含めた周到な戦略的マーケティングがあっただろうし、女子高生や新宿系やナース姿などの映像は確かにインパクトがあったが、ある意味で「あざとい」印象を一部の人たちに与えたことも事実だろう。

初期からのMVや映像作品をずっと見ていると分かるが、彼女は最初から「素顔」をほとんど見せない。新作のたびに、まず楽曲の背景になる独自の「物語(シナリオ)」を創作し、その設定に基づいて変幻自在の「椎名林檎」というコスプレ(主演女優)を演じる「出し物」を上演している。歌手にとって自らの存在を象徴する「声と歌唱」も、ドスのきいた巻き舌によるワイルドな歌唱から、幼女のようなあどけない声に至るまで、その「出し物」に応じて千変万化する。まるでカメレオンのように、衣装はもちろんこと、自分の「顔」ですら、新曲を発表するたびに、同じ人物かどうか分からないほど毎回「変えて」いたのが椎名林檎なのだ。女性に人気がある理由の一つは、このパフォーマンスが彼女たちの変身願望を刺激するからだろう。

そこにあるのは、舞台上で観客の視線を一身に浴びる「椎名林檎」をどう演出するか――すなわち、冷静かつ複眼的な視点で「アーティスト椎名林檎をプロデュースする」というコンセプトである。椎名林檎は最初から、単なる作詞・作曲家でも、歌手でも、女優でもなく、それらを統合した「アーティスト」だった。おそらく彼女が最もやりたかったのは、単純な歌手・椎名林檎のショーではなく、「椎名林檎一座」による現代の見世物としての「芝居」(パフォーマンス)であり、彼女は最初から一座の座長(総合プロデューサー)だったのだろう。椎名林檎の、あるときは和風であり、あるときは洋風でもあるという和洋ごちゃまぜ、またあるときはレトロであり、あるときはモダンでもあるという時代交錯感を醸し出す唯一無二の音楽表現に散りばめられたロック、ジャズ、歌謡曲、シャンソンなどの諸要素は、彼女の体内に蓄積され、形成されてきた並はずれた量のデータベースから生まれてくるものだが、アルバムであれ、コンサートであれ、映像作品であれ、それらはすべてこの「芝居」を構成し、娯楽として提供するためのパーツにすぎない。だから2004年に立ち上げたバンド「東京事変」は、この「芝居」の幕間の「音楽ショー」という位置付けなのだろう、と当時の私は勝手に推測していた。

     加爾基 精液 栗ノ花
ド素人の私見だが、このように基本的に「アート志向」の音楽家だった椎名林檎のデビュー後10年間のアルバムを振り返ると、その「芸術的頂点」は、やはり2003年に発表した3作目の『加爾基 精液 栗ノ花』(=カルキ)だろう。十代に作ったという名曲が並ぶ『無罪』『勝訴』は文句なしに素晴らしいアルバムだったが、正直に言って、『カルキ』はまず不思議なタイトルも含めて、最初にそのダークなサウンドを聴いたとき、椎名林檎は頭がおかしくなったのかと思ったほどだ。多重録音を多用していて、一度聴いただけでは掴み切れないほど複雑なサウンドの曲が多いので、何度聴き返したか分からないほど聴いた。しかし繰り返し聴いているうちに、これは本当にすごい作品だと徐々に思うようになった。今も時どき聴くが、まったく飽きないし、古さを感じない(つまり、そこはジャズの名盤と同じである)。冒頭の「宗教」から終曲「葬列」まで、隙のない、緻密に作り上げた曲だけで構成され、詩集、あるいは短編小説集のような文芸色を感じるこの作品も、全てが名曲だ(ただし、ほとんど素人には唄えないような曲ばかりだ。これは「聴く」ための作品なのだ)。しかし今でも、このアルバムを全曲通して聴くと「頭が疲れる」ので、直後に分かりやすいJ-POPでも聴いて頭を休めたくなる。

この「凝りに凝った」アルバムで、椎名林檎はその才覚を駆使して、やりたいことを全てやりつくしている感がある。作詩、作曲、歌唱、編曲、録音、さらに写真、ジャケットデザイン、詩のフォント、シンメトリーにこだわった曲名や言葉の配置、アルバム全体の構成に至るまで、アルバム・コンセプトへの徹底したこだわりぶりは怖いほどだが、それを20代前半という年齢で実現してしまった早熟ぶりと、作品プロデュース能力、それを可能にするアーティスティックな才能は恐るべきものだ。デビュー後、結婚、出産、離婚を経て「大人」になった椎名林檎が、時代性や商業性よりも、「アーティスト椎名林檎」として本当にやりたいことを、とことん突き詰めて作ったアルバムが『カルキ』だったのだろう。そして、個人的体験である出産の「生」、さらに9.11テロが与えた社会的な「死」のイメージも、この作品全体のトーンに影響を与えているように感じる。

      平成風俗
『カルキ』は、タイトル(人前で口に出しにくい)、録音・制作手法(手作り感、多重録音の多用、曲間のつなぎ、音が聴き取りにくい、CCCD等々) に関する物議をかもし、前2作との印象の違いに、ファンの意見を二分したアルバムだったようだが、この『カルキ』のすごさが理解できないと、椎名林檎の半分しか楽しめないことになるだろう。『カルキ』はCDだけでなく、同時期に発表した『短編キネマ 百色眼鏡』『賣笑エクスタシー』他の一連のDVD群と共に、「音と映像」によるマルチメディア作品の一部として鑑賞することで、その世界観のスケールと奥行がさらに理解でき、楽しめる。そしてもう一つ、ライヴ映像を見れば明らかだが、これらの作品は「斎藤ネコ」の超アバンギャルドでグルーヴィーなヴァイオリンとアレンジ、アコースティック楽器によるジャズ演奏という音楽コンセプトなしには表現できない世界だ。「迷彩」のライヴ演奏の後半などは、ほとんどフリー・ジャズだ。

その後、映画『さくらん』の音楽を手掛けるにあたって斎藤ネコと再度共作する。そして今度はホーンとストリングスのフル・オーケストラを編成して、「大人」の鑑賞にも耐えるジャジーなアレンジと聴きやすい録音で、セルフカバー曲を含めて仕上げた『平成風俗』(2007) は、傑作『カルキ』のいわば続編であり、変奏曲であり、別テイクでもある(『カルキ』の原曲を中心に、「商業的に」磨き上げた作品と言ってもいい)。サウンドが激しくないので、高齢者でも(?)何度も聴いて楽しめる奥深さを持ったこの2作は、今も椎名林檎の私的ベストアルバムである。陰翳の濃い曲ばかりで、個人的には優劣がつけ難いが、強いて言えば、編曲を含めた好みは「迷彩」「やっつけ仕事」「意識」「ポルターガイスト」「ギャンブル」「浴室」などだ。名作「夢のあと」も、東京事変『教育』の初出バージョンよりも、『平成風俗』版の方が好みだ。(続く)

2022/08/20

夏のジャズ(2)

夏場にはラテン系など、音数の多い賑やかな音楽を楽しむという人もいるだろうが、私の場合、基本的には音数があまり多くない、空間を生かした、文字通り風通しの良い音楽に「涼しさ」を感じる。夏に聴きたくなるジャズというと、前記事のように、どうしてもギター中心のサウンドになるが、ホーンも、ピアノも、ヴォーカルも、それぞれやはり夏向きの演奏はあるし、またそういう奏者もいる。

In Tune
(1973 MPS)

「山本潤子」の記事で書いたが、80年代はじめに「ハイ・ファイ・セット Hi-Fi Set」が出したジャズ寄りのレコードを集中して聴いていたところ、夏場に聴く「ジャズ・コーラス」も、なかなか気持ちがいいものだと改めて感じた。そこで(ご無沙汰していたが)昔ずいぶん聴いた、オスカー・ピーターソン Oscar Peterson (1925-2007) が自身のトリオ名義でプロデュースした男女4人組(女声1人)コーラス・グループ 、"シンガーズ・アンリミッティド The Singers Unlimited" の『In Tune』(1973) を久々に聴いてみた。"The Singers Unlimited" は、70年代に『A Capella』他の美しいコーラスアルバムを数多くリリースしているが、1971年に録音されたメジャー・デビューとも言える本アルバムでも非常に気持ちの良いコーラスを聞かせている。ピーターソンのピアノは個人的にはあまり趣味ではないが、このアルバムではピアノトリオがコーラスの背後で控え目な演奏に徹していて、かつMPSらしいソリッドな音質もあって、どのトラックも楽しめる。特に好きだったLPのB面1曲目「The Shadow of Your Smile」の冒頭のアカペラのコーラスハーモニーは、夏場に聴くとやはり気持ちが良い(CDでは6曲目)。

 In Harvard Square
 (1955 Storyville)
ホーン楽器だと、夏場はやはり涼しげなアルトサックス系がいい。そこで文字通り「クールな」リー・コニッツ Lee Konitz (1927-2020) を聴くことが多い。どちらかと言えば、あからさまな情感 (emotion) の発露が低めで、抽象度が高いコニッツの音楽は、聴いていて暑苦しさがないので基本的に何を聴いても夏向き(?)だ。だが私の場合、トリスターノ時代初期のハードなインプロ・アルバムはテンションが高すぎて、あまり夏場に聴こうという気にならない。頭がすっきりする秋から冬あたりに、集中して真剣に音のラインを辿るように聴くと、何度聴いてもある種のカタルシスを感じられる類の音楽だからだ。だから夏場に聴くには、1950年代半ばになって、人間的にも丸みが出て(?)からStoryvilleに吹き込んだワン・ホーン・カルテットの3部作(『Jazz at Storyville』『Konitz』『In Harvard Square』)あたり、あるいは50年代末になってVerveに何枚か吹き込んだ、ジム・ホールやビル・エヴァンスも参加した比較的肩の力を抜いたアルバム(『Meets Jimmy Guiffree』『You and Lee』)とかが、リラックスできていい。ここに挙げた『In Harvard Square』は、Ronnie Ball(p), Peter Ind(b), Jeff Morton(ds) というカルテットによる演奏。Storyville盤は3枚ともクールネスとバップ的要素のバランスがいいが、このアルバムを聴く機会が多いのは、全体に漂うゆったりしたレトロな雰囲気と、私の好きなビリー・ホリデイの愛唱曲を3曲も(She's Funny That Way, Foolin' Myself, My Old Flame)、コニッツが取り上げているからだ(コニッツもホリデイの大ファンだった)。

Cross Section Saxes
(1958 Decca)
リー・コニッツのサウンドに近いクールなサックス奏者というと、ほとんど知られていないが、ハル・マキュージック Hal McKusick (1924-2012) という人がいる(人名発音はややこしいが、昔ながらの表記 "マクシック" ではなく、マキュージックが近い)。上記リー・コニッツのVerve盤や、『Jazz Workshop』(1957) をはじめとするジョージ・ラッセルの3作品に参加していることからも分かるように、そのサウンドはモダンでクールである。本作『Cross Section Saxes』(1958 ) の他、何枚かリーダー作を残していて、いずれも決して有名盤ではないが私はどれも好きで愛聴してきた。押しつけがましさがなく、空間を静かに満たす知的なサウンドが夏場にはぴったりだ。1950年代後期、フリージャズ誕生直前のモダン・ジャズの完成度は本当に素晴らしく(だからこそ ”フリー” が生まれたとも言える)、黒人主導のファンキーなジャズと、主に白人ジャズ・ミュージシャンが挑戦していた、こうしたモダンでクールなジャズが同時に存在していた――という、まさにジャズ史の頂点というべき時代だった。本作もアレンジはジョージ・ラッセルや、ジミー・ジュフリーなど4名が担当し、マキュージック(as, bc他) 、アート・ファーマー(tp)、ビル・エヴァンス(p)、バリー・ガルブレイス(g)、ポール・チェンバース(b)、コニー・ケイ(ds)他――といった多彩なメンバーが集まって、6人/7人編成で新たなジャズ創造に挑戦する実験室(workshop)というコンセプトで作られた作品だ。このアルバムの価値を高めているのも、デビュー間もないビル・エヴァンスで、ここで聴けるのはマイルス・デイヴィスの『Kind of Blue』(1959) 参加前夜のエヴァンスのサウンドだ。その斬新なピアノが、どのトラックでもモダンなホーン・サウンドのアクセントになっている。

Pyramid
(1961 Atlantic)
夏場に、ギターと並んでもっとも涼しさを感じさせるのがヴィブラフォン(ヴァイブ)のサウンドだ。モダン・ジャズのヴァイブと言えば、第一人者はもちろんMJQのミルト・ジャクソン Milt Jackson (1923-99) である。MJQと単独リーダー作以外も含めると、ジャクソンが参加した名盤は数えきれない。何せヴァイブという楽器は他に演奏できる人間が限られていたので、必然的にあちこち客演する機会が多くなって、特に大物ミュージシャンのアルバムへ参加すると、それがみな名盤になってしまうからだ。1940年代後半から50年代初めにかけてのパーカー、ガレスピー、モンク等との共演後、1951年にガレスピー・バンドの中から "ミルト・ジャクソン・カルテット(MJQ)" を立ち上げるが、翌52年頃からピアニスト、ジョン・ルイス John Lewis (1920-2001) をリーダーとする "モダン・ジャズ・カルテット(こちらもMJQ)" (パーシー・ヒース-b, ケニー・クラーク後にコニー・ケイ-ds) へと移行した。よく知られているように、MJQはジャズとクラシックを高いレベルで融合させ、4人の奏者が独立して常に対等の立場で演奏しながら、ユニットとして「一つのサウンド」を生み出すことを目指したグループで、ルイスの典雅なピアノと、ジャクソンのブルージーなヴィブラフォンがその室内楽的ジャズ・サウンドの要だった。その後70年代の一時的活動中断を経て、1997年までMJQは存続し、ジャクソンはその間ずっと在籍した。MJQの名盤は数多いが、モダン・ジャズ全盛期1959/60に録音された『Pyramid』は、比較的目立たないが、彼らのサウンドが絶妙にブレンドされた、クールで最高レベルのMJQの演奏が味わえる名盤だ。

Affinity
(1978 Warner Bros)
ピアノはそもそもの音がクールなので、夏向きの音楽と言えるが、やはり「涼し気な」演奏をする奏者と、そうでないホットな人はいる。ビル・エヴァンス Bill Evans (1931- 80) はもちろん前者だが、上で述べたコニッツの場合と同じく、夏場はリラクゼーションが大事なので、エヴァンス特有の緊張感のあるピアノ・トリオよりも、ハーモニカ奏者トゥーツ・シールマンToots Thielemans (1922-2016) 他との共演盤『Affinity』あたりが、いちばん夏向きだろう(マーク・ジョンソン-b、エリオット・ジグモンド-dsというトリオに、ラリー・シュナイダー-ts,ss,flも参加)。これは1980年に亡くなったビル・エヴァンス最晩年の頃の演奏で、若い時代の鋭く内省的な演奏というよりも、どこか吹っ切れたような伸び伸びした演奏に変貌していた時期で、本作からもそれを感じる。ベルギー生まれのシールマンは、1950年代はじめに米国へ移住後、数多くのジャズやポピュラー音楽家と共演してきたハーモニカの第一人者。夏場、特に夕方頃に聴くハーモニカの哀愁を帯びたサウンドは清々しく、とりわけ「Blue in Green」などは心に染み入る。

The Cure
(1990 ECM)
キース・ジャレット Keith Jarret (1945-) の健康状態に関するニュースが聞こえてくると、ジャズファンとしては悲しいかぎりだ。ついこの間もバリー・ハリス(p) の訃報を聞いたばかりで、20世紀のジャズレジェンドたちが一人ずつ消えてゆくのは、本当にさびしい。ピアノを弾くのが困難でも、キースには、せめて長生きしてもらいたいと思う。そういうキースのアルバムは、すべてが「クール」と言っていいが、演奏の底に、何というか、ジャズ的というのとはまた別種の「情感」が常に流れているところに独自の魅力があるピアニストだと個人的には思っている。80年代以降の「スタンダード・トリオ」(ゲイリー・ピーコック-b, ジャック・デジョネット-ds) 時代のレコードは、ほぼ全部聴いていると思うが、私の場合ここ10年ほどいちばんよく聴くのは、トリオも熟成した後期になってからのレコード『Tribute』(1989) や、ここに挙げた『The Cure』(1990) だ。モンク作の「Bemsha Swing」(実際はデンジル・ベスト-ds との共作)や、自作曲「The Cure」、エリントンの「Things Ain't…」など、ユニークな選曲のアルバムだが、なかでもバラード曲「Blame It on My Youth」(若気の至り)の、ケレン味のないストレートな唄わせぶりが最高に素晴らしくて何度聴いたか分からない。この後ブラッド・メルドーや、カーステン・ダールといったピアニストたちが、この曲を取り上げるようになったのは(キース自身、その後のソロ・アルバム『The Melody at Night, with You』(1999) でも再演している)、ナット・キング・コール他の歌唱でも知られるこの古く甘いスタンダード曲を、クールで美しい見事なジャズ・バラードに昇華させたキースの名演に触発されたからだろう。ニューヨーク・タウンホールでのライヴで、相変わらず響きの美しい、気持ちの良い録音がトリオの演奏を引き立てている。

Mostly Ballads
(1984 New World)
もう一人は、まだ現役だが、やはり白人ピアニストのスティーヴ・キューン Steve Kuhn (1938-) だろうか。若い頃は耽美的、幻想的と称されていたキューンのピアノだが、私的印象では、どれも凛々しく知的な香りがするのが特徴で、一聴エモーショナルな演奏をしていても、その底に常にクールな視座があり、ホットに燃え上がるということがない。しかしその透徹したサウンドはいつ聴いても美しく、またクールだ。初期のトリオ演奏『Three Waves』(1966) や、ECM時代のアルバムはどれも斬新でかつ美しい。本作『Mostly Ballads』(1984) は私の長年の愛聴盤で(オーディオ・チェックにも使ってきた)、ソロとベース(ハーヴィー・シュワルツ Harvie Swartz)とのデュオによる、静かで繊細なバラード曲中心の美しいアルバムだ。響きと空気感をたっぷりと取り込むDavid Bakerによる録音も素晴らしく、大型スピーカーで聴くと、キューンの美しいピアノの響きに加えて、ハーヴィー・シュワルツのベースが豊かな音で部屋いっぱいに鳴り響くのだが、小型SPに変えてしまった今の我が家では、もうあのたっぷりした響きが味わえないのが残念だ。

Complete
London Collection
(1971 Black Lion)
「クール」とか「涼しい」をテーマにすると、どうしても白人ジャズ・ミュージシャンばかりになってしまうが(自分の趣味の問題もある)、ピアノではもう一人、実はセロニアス・モンク Thelonious Monk (1917- 82) の演奏、それもソロ・ピアノは暑苦しさが皆無なので、夏に聴くと非常に心が落ち着く気持ちの良い音楽だ。モンクのソロ・アルバムの枚数は4枚しかないが、もう1つが、モンク最後のスタジオ録音になった『London Collection』(1971) のソロで、録音もクリアで聴いていて非常に気持ちが良い。3枚組CDでリリースされた本作品のソロは、alt.takeを含めてVol.1とVol.3に収録されていて、晩年になってもソロ演奏だけは衰えなかったモンクが楽しめる。LP時代には発表されず、CD版のVol.3の最後に追加されたソロで、「Chordially」と名付けられた「演奏」は、モンクが録音本番前に様々な「コードchord」を連続して弾きながらウォーミングアップしている模様を約9分間にわたって記録した音源だ(ちなみに、英語の "cordially" は、「心をこめて」という意味の副詞である。タイトル "chordially" は、モンクらしい言葉遊びだろうと推測している)。翌1972年からウィーホーケンのニカ邸に引き籠る前、欧州ツアー中のロンドンで記録された文字通りセロニアス・モンク最後の「ソロ演奏」であり、比類のない響きの美しさがなぜか胸に迫って、涼しさを通り越して、もの悲しくなるほど素晴らしい。

2022/08/10

夏のジャズ(1)

真冬の生まれなので、暑い夏はそもそも苦手だ。今年のような酷暑は最悪である。本来ジャズは夏向きのホットな音楽だが、避暑地や夜のジャズクラブでのライヴならともかく、日本の蒸し暑い夏に、狭い日本の家の中で、レコードで聴くホットなジャズはやはり暑苦しい。最近は歳のせいもあって、聴くのに気力、体力を要するようなヘビーなジャズ(昔のジャズ)をじっくり聴くことはめっきり減った。夏場はとりわけそうで、ボサノヴァや、ポップス系統のリラックスして聞き流せる音楽、ジャズでも、重くなく軽快、あるいはクールさを感じさせるサウンドを持つ演奏をどうしても聴きたくなる。それに暑くて、難しいことを考えるのも億劫なので、一聴クールでも、「思考」することを要求するようなテンションの音楽も私的にはアウトだ。ジャケットも暑苦しくない、見た目が涼し気なデザインが好ましい(これらは、あくまで個人的趣味嗜好の話なので、もちろん賛同できない人もいるだろうと思います)。

Jim Hall & Pat Metheny
(1999 Telarc)

夏場に聴いて、もっとも気持ちの良いジャズは何かと言えば、これもまったくの個人的好みだが、その答は「ジャズギター」だ。ロックやポップスと違い、オーソドックスなジャズギターはアコースティック系でも、エレクトリック・ギターでも、基本的サウンドは「クール」である。もちろん奏者にも依るが、たとえばジム・ホールJim Hall (1930-2013) の演奏はエレクトリック・ギターだが、クールなサウンドのジャズギターの代表だ。ホールにソロ・アルバムはない(と思う)が、ビル・エヴァンスとの『Undercurrent』を筆頭に、ロン・カーター、レッド・ミッチェル、チャーリー・ヘイデンというベース奏者との「デュオ作品」があって、いずれも名人芸というべきジム・ホールの見事なインタープレイが楽しめる。ここに挙げたパット・メセニーPat Metheny (1954-) とのギターデュオ・アルバムも、名人二人による演奏、サウンド共に最高にクールだ。ジム・ホールはエレクトリック・ギターだけだが、メセニーはアコースティック、エレクトリック両方を弾き分けて変化のあるデュオ演奏にしている。特に、美しいメロディを紡ぎ出すメセニーとの、息の合った繊細なバラード演奏(Ballad Z, Farmer's Trust, Don't Forget, All Across the City等)が素晴らしい。クラシック録音が専門のTelarcレーベル特有の、空間の響きを生かした、ジャズっぽくないクールな録音も夏場はいい。

Small Town
(2017 ECM)
サウンド・コンセプトという点で、クールなジム・ホールの延長線上にいるギタリストがビル・フリゼール Bill Frisell (1951-) だ。聴けば分かるが(ド素人なので技術的なことは分からないが)、二人の「サウンド」は非常によく似ている。たぶんギターのトーンと、音の間引き具合、スペース(空間)の使い方から受ける印象が、そう感じさせるのだろう。フリゼールはずっと、ジャズというジャンルを超えた音楽を追及していて、「アメリカーナ」というローカル・アメリカの文化・伝統に根差した、より幅の広い音楽領域を視野に入れた世界を探求している(より土着的、大衆的で、分かりやすい音楽とも言える)。「ヴィレッジ・ヴァンガード」でのライブ録音の本作『Small Town』は、トーマス・モーガンThomas Morgan (1981-) のベースとのデュオ演奏で、静謐な音空間の中に深い知性を感じさせながら、一方で、やさしく包みこむようなフリゼールのギターが相変わらず魅力的だ。本作ではなんと、トリスターノ時代のリー・コニッツの代表作で、今やジャズ・スタンダード曲の一つ「Subconscious Lee」も取り上げている。ギターによる同曲の演奏は(高柳昌行の録音以外)聴いたことはなく、このフリゼールの演奏はなかなかの聞きものである。ちなみに、私の訳書『リー・コニッツ ジャズ・インプロヴァイザーの軌跡』の中で、フリゼールがコニッツとの共演体験について語っているインタビューがあるが、コニッツの音楽の特徴をミュージシャン視点で語っていて非常に面白い。このCDに加えて、もう1枚(同じ時の録音の)デュオアルバム『Epistrophy』(2019 ECM) もその後リリースしていて、そこではセロニアス・モンクの表題曲に加えて「Pannonica」も弾いている(フリゼールはモンク好きでもある)。

My Foolish Heart
(2017 ECM)
夏場に「涼しさ」をいちばん感じさせる音楽は、(ボサノヴァもそうだが)やはりナイロン弦のガットギターを使うジャズだろう。フュージョン系ならアール・クルーEarl Klugh だが、クールなECM系のジャズならラルフ・タウナーRalph Towner (1940-) がいる。タウナーは自己のバンド「オレゴン」に加えて、1970年代から『Diary』(1974) など、単独でECMに数多くの録音を残しており、特に静謐な空間に響きわたる独特のソロ・ギターは、冬場はサウンドが冷え冷えしすぎて、個人的にはあまり聴く気が起こらないのだが、夏場に聴くと逆にそのクールなサウンドが非常に気持ちがいい。タウナーはスチールの12弦アコギの演奏も多く、そちらはさらにシャープでエッジのきいたサウンドだが、柔らかでかつクールなナイロン弦ギターのソロ演奏も多く(いずれもECM)、『Ana』(1996) 『Anthem』(2001)『My Foolish Heart』(2017) などは、いずれも静謐かつ美しいギターサウンドが聴けるアルバムだ。

Time Remembered
(1993 Verve)
ビル・エヴァンスが演奏していた代表曲を、ガットギターだけの「アンサンブル」でクールかつクラシカルに演奏した、ジョン・マクラフリンJohn McLaughlin (1942-) の『Time Remembered:Plays Bill Evans 』(1993) も、美しく涼やかなサウンドで、夏になると聴きたくなるレコードだ。マクラフリンは60年代末にマイルス・デイヴィスの『Bitches Brew』他へ参加して以降、マハビシュヌ・オーケストラでのジャズ・ロック、パコ・デ・ルシア、アル・ディメオラとのギター・トリオ、クラシック分野への挑戦など、超絶技巧を駆使して多彩なジャンルで演奏活動を行なってきた真にヴァーサタイルなギタリストだ。マクラフリンと4人のクラシックギター奏者、アコースティック・ベースというセプテット編成のこの作品は、崇拝していたビル・エヴァンスへのオマージュとして1993年にイタリア・ミラノで制作したアルバムで、空間に美しく響く繊細なサウンドは、ビル・エヴァンスの世界を見事にギターで再現している。

Moon and Sand
(1979 Concord)
ガットギターによる夏向きのアルバムを、もう1枚あげれば、ケニー・バレル Kenny Burrell (1931-) がギター・トリオ(John Heard-b, Roy McCurdy-ds)で吹き込んだ、ラテン風味が散りばめられた『Moon and Sand』(1979 Concord) だろうか 。ケニー・バレルは、チャーリー・クリスチャン、ウェス・モンゴメリーに次ぐ黒人ギタリストで、ブルース・フィーリングに満ちた数多くのジャズ・アルバムを残してきたが、ガット・ギターの演奏にもかなり挑戦している。ギル・エヴァンスのオーケストラと共作した『Guitar Forms(ケニー・バレルの全貌)』(1965 Verve) でも、何曲か渋いガットギターを披露している。アルバム・タイトル曲「Moon and Sand」もその中の1曲だ。本作でも10曲のうち半数がガットギターの演奏で、Concordということもあって、全体的印象としてはイージーリスニング風だ。とはいえ、「どう弾いても」ブルージーになってしまう、というバレルのギタープレイが楽しめる好盤だ。このCDは今は入手困難らしく、ネット上ではとんでもないような価格がついているが、調べたところ、他のバレルのアルバムと合体させた2枚組CD『Stolen Moments』(2002)が同じConcordから「普通の」値段でリリースされていて、その2枚目に本作が収められているので、入手したい人はそちらを購入することを勧めます。

Jazz
(1957 Jubilee)
昔はB級名盤として、たまに取り上げられていた地味なアルバムが、ジョー・ピューマ Joe Puma (1927-2000) の『Jazz』(1957 Jubilee) という、ヒネリのないそのまんまのタイトルのレコードだ。ピューマがまた、これといった特徴のない奏者で(ジミー・レイニーの音に似ている)、このアルバムが日本でなぜ結構知られていたかと言えば、前年に『New Jazz Conceptions』でRiversideからデビューしたばかりのビル・エヴァンスが、ピアノで3曲参加しているからだろう。LPのA面3曲は、ピューマとエディ・コスタ Eddie Costa のヴィブラフォン、オスカー・ペティフォードのベースというトリオ、B面3曲がピューマ、ビル・エヴァンス、ポール・モチアンのドラムスに、ペティフォードのベースというカルテットによる演奏だったが、CDもそのままだ。その後、ペティフォードの代わりにスコット・ラファロがベースで加わって、あのビル・エヴァンス・トリオが誕生したのだろう。全体にオスカー・ペティフォードのがっしりとしたベースが中心のサウンド(モノラル録音)で、そこにピューマのギター、コスタのヴァイブ、エヴァンスのピアノという3者がスムースかつクールにからむ――という、まあこれといった特徴のない演奏が淡々と続くアルバムなのだが、そのあっさり感が逆に夏向きで(?)気持ちが良い。コスタのヴァイブもクールでいいが、短いながらも、デビュー間もない若きエヴァンスのシャープなピアノは、いつ聴いてもやはり斬新だ。

Guitar On The Go
(1963 Riverside)
ウェス・モンゴメリーWes Montgomery (1923-67) は、オクターブ奏法を駆使して、ブルージーかつドライヴ感のあるホットな演奏をする奏者というイメージが強いが、ウェスの代表的アルバムに収録されているバラード演奏などを聴くと、非常に美しくセンシティブなサウンドが聞こえてきて、単にテクニックばかりでなく、深い歌心のあるギタリストでもあることがよく分かる。『Guitar On The Go』(1963) はそのウェスが、故郷インディアナポリス以来の盟友メル・ラインMel Rhyne のオルガン・トリオをバックに、いかにもリラックスして演奏したRiverside時代最後のアルバムで、Verveへ移籍後ポップなウェスに変身する前のピュア・ジャズ作品である。とはいえ、どの曲もメル・ラインのアーシーかつグルーヴィーなオルガンが実に気持ちよく響き、そこにウェスの滑らかなメロディ・ラインがきれいに乗って、まさにスムース・アンド・メローを絵に描いたような、気持ちの良い演奏である(夜寝る前にこれを聴くと、ぐっすりと眠れる)。ちなみにこのアルバムは、今から半世紀以上前の高校生時代に、私が人生で初めて買った思い出深いジャズ・レコード(当時の新譜)である。こういうレコードを聴くと、モダン・ジャズはいつまで経っても古びない音楽だなと、つくづく思う。

2022/07/29

夏のオーディオ

夏のオーディオはあまり楽しくない。音が悪いからである。夏場はエアコンを使わざるを得ない日が多いので、まずエアコンが発する音そのものがどうしても気になる。我が家のエアコンはもう10年くらい使用しているので、なおさらだ。住んでいるマンションは立地、部屋の位置、間取りなど、オーディオ環境もかなり考慮して選んだ物件なのだが、皮肉なことに、外部ノイズに対する環境が良くなればなるほど、今度は内部で発生するノイズが気になるようになる。つまり部屋全体のSN比 (signal / noise) が悪化したように聞こえる。そうなると微妙な音の聞こえ方や、音質の違いがどうのこうの、などと言えるレベルの環境ではなくなるのだ。SNとは比率なので、原理的には再生音量(signal)を上げてやれば、対ノイズ比は向上し、相対的によく聞こえるようになるはずだが、一般家庭の環境ではそうそうスピーカーの音量も上げられない。さらに集合住宅の場合、夏場は自宅だけでなく各家庭のエアコン使用率が高いので、必然的にAC電源ラインに乗るエアコン由来のノイズが増える。そのせいで、「再生音場」の静けさに影響を与える背景ノイズ(バックグラウンド・ノイズ)も増えるので、やはりSNに影響が出て、音の「鮮度」が落ちる。

PS Audio Noise Harvester
ド素人なのに、なぜACノイズの存在が分かるかというと、大分前からPS Audioの "Noise Harvester" というノイズ・フィルターを2つ、別々の電源タップのコンセントに挿しているからだ。文字通りノイズを取り込んで(harvestして)それを光に変える、というふれ込みのフィルターで、原理や効果のほどはよく分からないが、ACノイズが多いと、それぞれが(目ざわりなくらい)派手なブルーのLEDランプを点滅させてノイズを「吸収する」(ことになっている)ので、「ああ今はノイズが多いのだ」と誰でも判断できる。事実、そういうときの音は明らかにクリアさに欠け、曇ったようになる(フィルターがなかったら、もっとひどいはず…ということになるが)。エアコンの他、蛍光灯、電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機、掃除機などから発生するノイズが影響することもよく分かる(使用中にランプが点滅するので)。自分の家で使っていなくても、隣近所がそうしたノイズをまき散らす機器を使っていると、青ランプが時に激しく点滅したり、ジーッと音がするほど点きっぱなしになることもある。これらのノイズの影響が少なく、ほとんどランプが点灯していないときは、明らかにSNが向上し、再生音場が非常に静かになるので、小音量でも細かな音がよく聞き取れ、見違えるように楽音のクリアさ、立体感等が向上して、聴いていて非常に「気持ちの良い音」になる。低域や高域がどうとか、音質が良くなるとか、そういうことよりも、「音場が静かになる(透明度が増す)」という点で効果があるというべき機器だ。

   マイ電柱
柱上トランスを自宅専用にする
長年こうした経験をしていると、いくら良い(高価な)機器を使っていても、一般家庭で楽しむオーディオとは、結局のところ「ノイズ制御」が肝心だということがよく分かる。真っ白なキャンバスを背景にして絵を描くか、薄汚れたようなキャンバスを使うか、という違いのようなもので、線や色彩(オーディオの場合は、音の輪郭、音色)と、背景とのコントラストに明らかな差が出てくるからだ。「マイ電柱」を立てて配電トランス段階から自宅専用回線にしたり、屋内に専用の「200V回線」を導入して100Vとは別回線にするとか、「家庭用バッテリー」を使うとか、昔からマニアが追及してきたACノイズ遮断のための大掛かりな方法もいろいろあって、もちろん効果はきっと大きいのだろう。しかし、私のような中途半端なオーディオ好きで、しかもマンション住まいの身では、家人を説得して、そこまでやる根性も知識も資金もないので、(大方のオーディオ好きはそうだろうと想像するが)何もしないよりはましだという結論で、せいぜいアイソレーション・トランスとか、電源コンセントとか、電源ケーブルとか、上記ノイズフィルターとかいった導入可能な機器を選び、自分なりに工夫しながら何とかノイズ低減対策をしてきたわけである(それすら「普通の人」からみると、わけが分からない行為だろうが…)。

私の場合、Mac主体のPCオーディオシステムなので、電源系統に加えて、音の起点となるPC本体から発生する信号経路へのデジタルノイズの影響も対策が必要になる。音の入り口なので、これは普通に考えられている以上に大きな影響がある(と思う)。MacBook Pro本体(再生時はバッテリーで駆動)、HDD/SSDの電源(外部アナログ電源化)、USBケーブルの選択(長さ、質)、MacからDDC/DACへのUSB給電方法(電源/信号分離)などいろいろと工夫して、何とかしてオーディオ回路へ影響を与えそうなノイズを極小化しようとしてきた。こうした細かなノイズ対策は、やればやるほど「音場が静かになる(見通しが良くなる)」ので、ド素人でもその効果のほどが分かるのだ。それでも、夏は電源系ノイズが侵入しやすいで、夏場の音はどうも気に入らない。

長年Macを使ってiTunes(データ管理)とAudirvana(再生ソフト)という組み合わせで再生してきたが、設定をあれこれいじっているうちに、歳のせいか、うっかりAudirvana側ではなく、いつの間にかiTunes側の再生で聴いていることが時々ある。もっさりしたメリハリのない音なので、今日はノイズがひどいなと思っていると、実はiTunes側で再生していた、という経験が何度かある。それくらい音が違うので、PCオーディオの場合「再生ソフト」の質は非常に重要だ。アナログの音の入り口であるターンテーブル、アーム、カートリッジの質と同じである。当初はMac専用ソフトだったAudirvanaだが、やがて"Plus" へヴァージョンアップし、その後はWinにも対応した。さらに昨年ストリーミングに対応するサブスク型の "Studio" へと変遷してきたが、今年になって、ローカルファイル専用で、かつサブスクではない買い切り型の "Audirvana 本(もと)" を日本専用にリリースして、いわば「先祖返り」した。私が使っているのは、原点とも言える買い切り型の "Audirvana Plus" で、確か当時日本円で7,000円台だったと思う。何でもかんでも「コスパが…」とかいう今の風潮は嫌いだが、それに従えば、オーディオという高額になりがちな趣味の世界で、これほど「コスパの高い」ソフトはないと思う。

山下達郎 「Softly」
「ストリーミング&サブスク」という、主流となりつつある音楽配信市場に関しては、ライヴを再開し、アルバム『Softly』をマルチ・パッケージで発売し、自作品は死ぬまでサブスクのチャネルには載せないと最近コメントした山下達郎のミュージシャンとしての思想に深く共感した。つまり音楽制作者側ではなく、音楽表現行為に一切関わっていない外部のサービス業者が最大の果実を受け取る、というビジネス構造への疑問である。配信は、新譜紹介など、昔のラジオが果たしていた機能をもっと便利にし、完全有料化したものと考えられなくはないが、関心を持った音楽を個人が入手するために、CDやLPなど何らかの音楽パッケージを購入するチャネルは、音楽家を擁する音楽制作・販売会社・レコード店など、別のビジネスだったのだが、デジタル化が根本的にその構造を変えてしまった。現代の配信ビジネスは、ごく限られた数の大資本がサブスクによって顧客を囲い込み、ビジネス全体を一手に支配してしまうのだ(これはDAZNなどスポーツ配信なども同じだ)。

そこには、常に「消費」を促す便利なサービスの介在が利用者の選択肢を狭めるという基本的問題に加え、その音楽を愛するがゆえに「自らの意志で」音楽パッケージ(CD、LP、テープ等)を購入してきた聴き手と、創り手であるミュージシャンとの間に存在してきた「見えない絆」を断ち切ってしまうのではないかという危惧もある。音楽配信は、世界中「いつでもどこでも音楽を垂れ流す」ことによって、音楽のもっとも大きな存在意義だった、個々の音楽家と聴き手を直接結びつけてきた関係を崩壊させ、ひいては音楽そのものの「消費材化」をますます加速することになる――という危惧を本能的に感じている音楽家や音楽ファンも多いのではないかと想像する。いったい音楽とは誰のために、何のために存在しているのか、という根本的疑問である。「個人が選択し、所有する音源」を聴くことの意味を再認識したり、ジャンルに関わらず、リアルな「音楽共有体験」を提供するライヴの場が増えてゆくのは当然だろう。

好きな音楽やミュージシャンを自分の意志で選び、気に入った音源(音楽パッケージ)を自分で探し、対価を払ってそれらを購入し、その音楽を最良と思える音で再生し、味わい、そこに込められた音楽家の意志や思想を聴き取る――という、かつては当たり前に行なっていた音楽を楽しむための一連の作業は、便利だとか速いとかいった実利の尺度とは何の関係もない、今振り返れば実に「ぜいたくな行為」であった(それゆえ「趣味」として成立していたのである)。今やYouTubeでもApple Musicでも、こちらが頼んでもいないのに、AIがお勧めの音楽や曲を「リスト」にして次から次へと勝手に提案してきて、勝手に再生し始め、CMなしにもっと快適に聞きたければ金を払え、と迫る。大きなお世話だ、ほっとけ、自分で選ばせろ、と思いつつも、人間というのは、やがてそのイージーさに慣れると、いつの間にか向こうの提案を口を開けて待っているのが普通の状態になるのだろう(こうして単細胞化がますます進行する)。

それやこれやで、オーディオ的には暑い夏場はあまりやる気が起こらない。昼間のオーディオはほどほどの音で聴き、夜ベッドに寝転んでいるときは、やむなくイヤフォンで聴くしかないので、iPhoneでYouTubeの音楽を聴くことが増えた。そこで山本潤子の楽曲をiPhoneで聴いているうちに、あの美しい声は圧縮音源ではなく、もっといい音で聴いてみたいという欲求が起きてきて、ついでにジャズやJ-POPの手持ちのiTunes の楽曲も、久々にiPhone側に転送してみる気になった。iPod時代は定期的にやっていたのだが、そもそも外出することが減ったし、iPhoneを使うようになってからは、イヤフォンで音楽を聴くこともなくなったからだ。今はAppleがMac/iTunesのサービスを終了してMusicに変わっているが、そもそもの基本機能だった音楽データ管理に使うかぎり、長年使い慣れたiTunesは、音楽ファンにとっては、やはりよく練られた使いやすいソフトなのだ。

iTunesに保存してあるオリジナルデータは、XLDを使って非圧縮のAIFFで手持ちのCDからリッピングしているので当然データ量は大きく(50MB/曲くらい)、そのままだと音は良いが、大した曲数は転送できない(大容量のiPhoneを使えばいいのだが、そこまでやる気はない)。「適度に」圧縮したデータに変換して転送する方法が必要になるが、いろいろ調べたところ、なかなかこれといった参考情報が見つからない。今はみんな、クラウドやストリーミングで、元々圧縮された音源をそのまま聴くのが主流になっているので、昔ながらの「非圧縮データをPCから転送する」といったニーズが少ないからなのだろう。しかし、MP3などの圧縮音源は確かに軽くて便利ではあるが、私見では、やはりスカスカだったり、不自然な音が多いように思う(これは聴く人の「音」への姿勢と感度次第。それとイヤフォン、ヘッドフォンなのか、スピーカーなのか、でも違う)。音楽のジャンルにも依るが、特にJ-POPなど、ポピュラー系の音楽は最初からデジタル加工しすぎて、元々の音がつぶれたようなものが結構多いので、それを圧縮したり2次加工すると、さらに音が劣化するものと推察される(特に80年代など、デジタル化初期のCDなどがひどい。またミニコンポやラジカセ再生が流行した時代のCDもそうだ。同じ時代の楽曲でも、リマスターなど、改善され再発されたCDなどを聴くと、その差がよく分かる)。

外部ソフトを使えば簡単にデータの変換ができることは分かったが、Macは自己完結的に何でもできるように設計されている優秀なコンピュータなので、ド素人なりにさらに調べてみた。その結果、iTunesのAIFFファイルをAACに圧縮変換してMac内に(追加)保存する方法もあるが、元のAIFFデータをiTunesからiPhoneに転送(同期)する時、手動設定でビットレートを任意に決めてAACに圧縮できる方法があることを知った。まあ結局は圧縮なので、音質が劣化するのは仕方がないが、手持ちのファイルから、自分で曲(プレイリスト、アーティスト、アルバム、曲など何でも選択可能)やビットレート(圧縮率)を自由に選択できるところが気に入った。AACの128kbpsだと、やはりスカスカ感があったので256kbpsで転送したところ、イヤフォンならまずまず許容できる音になった(スピーカーではダメだろうが)。この、必要なら自分でデータ圧縮条件を変えて、iPhoneのデータ容量に応じて転送できる、という自由度があるところがいい。それで、よく聴いているジャズやポップスの楽曲を選んでiPhoneに数百曲ほど転送し、夜寝るときにはそれらを聴いて、快適に楽しんでいる。暑い夏は、こういう気楽な聴き方で過ごすのがちょうどいい。しかし快適すぎてそのまま眠ってしまい、イヤフォンのコードが首に巻き付いて、何度か夜中に苦しくて目が覚めたので、仕方なく初の「コードレス・イヤフォン」を入手してみたが、今度は、朝起きると、ベッドのどこかに転がってしまって、見つからない。夏のオーディオはどうやってもやはり面倒くさい。

2022/07/09

山本潤子の歌が聴きたい

普段は飽きもせずに、ほとんどジャズばかり聴いている。抽象的で、複雑で、多彩な音楽なので、何度聴いても飽きないところがジャズの魅力だ。しかし、さすがに年に何度かは気分転換したくなることがあって、そういうときはクラシックの他に、日本の演歌、J-POPなど分かりやすい音楽を集中的に聴く。自分のCDをリッピングしたファイルをiTunesで聴くわけだが、どうしても同じ曲に偏るので最近はYouTubeを覗く機会が増えた。YouTubeを「徘徊」していると、知らない歌、忘れていた歌、知らなかった歌手、知らなかった演奏を、文字通り芋づる式に「発見」することが多く、タイムスリップ感も加わって止まらなくなる。スマホやPCのチマチマした画面ではなく、最近は目にも楽な高画質・大画面のテレビで簡単に過去の映像と音楽を楽しめるようになったので、エンタメ好き中高年にとっては、今やなくてはならない娯楽ツールだ。インターネットとつながったテレビは、「放送時間」という制約から解き放たれて、完全に新たなジャンルを獲得したと言えるだろう。私はサブスクはやらないので、YouTubeでお試しで聴いて、気に入ったらCDを買うか、曲をダウンロードする(できるだけ圧縮されていない高音質の音源を入手する)。そうして聴くときのJ-POPの歌は新旧、男女を問わないが、中でも時おり無性に聴きたくなるのが「山本潤子の歌」だ。

女性歌手が唄う歌には、人の心の奥底に直接届くような不思議なパワーがあると思う(それは男性歌手にはないものだ)。中には唄っているときに「降りて来る」――巫女的なものを感じさせる人もいて、たとえば、ちあきなおみ、藤圭子、中島みゆき、宇多田ヒカル等にその種の不思議な力を感じることがある。だが山本潤子の声と歌から感じるのは、そうした「交信」的パワーとは違う――いわば天から降り注いでくるような、清廉な響きを持った「天上の声」だ。低域から高域まで、透明で、柔らかく、彼方まで行きわたるような澄んだ歌声を聴いていると、人生の悩みや苦しみ、自分の俗物性や精神の汚れ等々……大げさだが、そういう諸々の内部の汚れを「浄化」してくれるような気がする。疲れたとき、癒されたいときに、何も考えずに聴いていると、ある種のカタルシスを感じる特別な「歌」なのである。

山本潤子の最大の魅力は、もちろんその「声」にあるが、もう一つは、日本語、外国語を問わず「歌詞」が持っている「音」と「意味」を、非常に丁寧に表現する歌手であるところだ。だから正確なピッチと、正確なイントネーションで唄う彼女の正統的歌唱に適した曲では、情感のこもった深い「メッセージ」が聴き手にストレートに響いてくる。1970年前後に登場した、ほぼ同世代の五輪まゆみ、中島みゆき、ユーミンのように、自作の詩を自作のメロディに乗せて唄う個性的な「シンガー・ソングライター」ではなく、彼女は(何曲か自作曲もあるが)基本的には「歌手(ヴォーカリスト)」だ。だから「与えられた歌詞」の意味を正確に理解し、自分なりに咀嚼し、常にそれを丁寧に表現しようとする姿勢があって、それが歌詞に込めた情感をより豊かにしているのだと思う。「歌」に対するこの姿勢は、50年前の「赤い鳥」時代からずっと変わっていない。逆に言うと、月並みで薄っぺらな歌詞の曲、あるいは個性の強すぎる歌は彼女には合わない。クセのない素直な表現で情緒、情感がそのまま伝わって来るような、深い意味や味わいのある歌詞を持った楽曲こそが彼女の持ち味をもっとも発揮する。ユーミン作品のカバーが成功してきたのは、それが理由だろう。

全共闘時代の「赤い鳥」、その後70年代半ばからバブル時代までの「ハイ・ファイ・セット」、90年代半ばからの「ソロ」活動時代と、山本潤子は3つの時代を通じて唄ってきた。赤い鳥は60年代モダン・フォーク、ハイ・ファイ・セットは "Singers Unlimited" や "Manhattan Transfer" など、70年代の米国ジャズ・コーラスグループの影響下にあったのだろうが、赤い鳥から分かれてポピュラー音楽系コーラスを目指してスタートし、70年代後半には「フィーリング」やユーミン作品など、おしゃれで都会的なサウンドでヒットを連発したハイ・ファイ・セットこそ、まさに最近の「City Pop」と称される音楽の嚆矢だった。80年代初めには佐藤允彦(p) と組んで、ジャズ寄りの高度なコーラスに挑戦した時期を経て、その後バブル時代になるとよりポップな音楽へとシフトした。何でも聴けるYouTubeでは、ベスト盤だけではなく、年代ごとにリリースされた単独アルバムが追いかけられるので、当時のハイ・ファイ・セットがコーラス・ユニットとして何を目指してどう変遷していたのか、山本潤子がそれぞれの音楽にどう対応して唄っていたのかも見えてくる。また各アルバムには、人気曲中心のベスト盤には収録されていない知られざる名曲がいくつもあって、それらを発見するのも楽しい。

1&2 (1982)
そんな折、佐藤允彦がプロデュースして81-83年に発表したものの、長い間廃盤になっていた3枚のジャズ系アルバムのCD(『3 NOTES』『1&2』『I Miss You』)が、最近のCity Popブームもあって6月末に限定復刻された。私は当時聴いたことがなかったので早速入手した。曲の多くが大川茂(作詞)、山本俊彦(作曲)のコンビによる日本語によるジャズ・コーラス曲で、たとえば81年の『3 NOTES』では、佐藤允彦トリオに加えて伴奏陣にも豪華なジャズ・ミュージシャンが集結している(宮沢昭、中村誠一、清水靖晃-sax、中牟礼貞則-g)。だから演奏全体が悪かろうはずがないし、3枚のCDを聴いた限り、高度なコーラス技術を核にした本物のジャズであり、個人的には大いに楽しめた。しかし当時のジャズファンは「和製ジャズ」を見下す傾向があり、特に日本語によるコーラスには抵抗を感じた可能性があるだろう。かといってこれらは、赤い鳥、ユーミンや小田和正のファン層が好むタイプの音楽とも思えない。何より昔から、この種の都会的でモダンなジャズ・コーラスは、日本ではあまり「大衆受け」しない(売れない)のだ。フュージョンが盛り上がって、ジャズが70年代に比べて大衆寄りになっていた80年代初めでさえ、そこは変わらなかっただろうと思う(その後バブル時代にポップ寄りになったのは、そうした背景があったのかもしれない)。いずれにしろハイ・ファイ・セットのように、素朴で日本的な歌から、モダンでジャジーな音楽までを自在に唄いこなす「男女混成」コーラス・ユニットは日本に存在したことがなく、山本潤子はその中心として20年間それらの多彩な曲を唄いこなしていた。だからファン層も「竹田の子守歌」や「翼をください」を好む人たちから、ユーミンや小田和正の曲、さらには80年代のモダンな歌を好む人たちまで、世代や好みに応じて様々だっただろう。個人的見解だが、山本潤子の声は、アコースティック楽器とブレンドされたときがいちばんきれいに響くと思うので、年代や音楽スタイルにかかわらず、私はその種のアレンジの曲が好みだ。

翼をください Junko Best
1998 (EMI)
YouTubeであれこれ聴いているうちに出会ったのが、手持ちの音源 (LP、CD)では聴いたことのなかったアレンジで、山本潤子がソロで唄っているバージョンだ。気に入ったので、曲とアレンジを基にしてアルバム名を特定して入手したのが左掲のCDで、数あるベスト盤の中の1枚『翼をください Junko Best』(1998 EMI) である。これは1994年のハイ・ファイ・セット解散後、ソロ活動を開始してから録音したアルバムで、今はもう中古CDしかないので、それを入手した。このCDは彼女が40歳代後半の録音なので、高音域にも声量にもまだ余裕があり、そこに年齢相応の中低域の豊かさが加わっていて、私的にはより好ましい声だ。そして、控え目なバックコーラス、軽いボサノヴァなど、ピアノやギターを中心にした小編成バンドによるシンプルなアレンジが、山本潤子本来の声と歌を引き立たせている。代表曲を10曲収録した本ベスト盤でも「フィーリング」「中央フリーウェイ」「スカイレストラン」など、定番曲を取り上げているが、バックのアレンジが違うので、ハイ・ファイ・セット時代の録音とは違った味わいが楽しめる。好みの問題もあるだろうが、軽やかなムードでナチュラルに唄う「ソロ」の山本潤子が好きな人は、非常に楽しめるアルバムだと思う(主な編曲者は、ハイ・ファイ・セット時代にも一部アレンジを手掛けていた新川博)。

アカシアの雨がやむとき
YouTube / miyalotus
90年代半ばに「ソロ」になってからの山本潤子は、単独でテレビ出演したり(YouTubeにかなり映像がアップされている)、オリジナル曲以外にカバーアルバムも積極的に発表している。ギター一本とかデュオでアコースティックな演奏に回帰する一方、エレクトリック楽器をバックにしたスタイルにも挑戦している。YouTubeで、渡辺香津美のギターをフィーチャーしたバンドをバックに、西田佐知子の60年代の名曲「アカシアの雨がやむとき」を唄う山本潤子のビデオ映像が流れたときは思わずのけぞった(知らなかったので)。しかも、カントリー風のアレンジが実にいい。この映像は、私的にはYouTubeで遭遇した藤圭子が唄う「みだれ髪」のカバーに匹敵する衝撃だった(ただしテレビ放映だけだった藤圭子の幻の名唱と違って、こちらはカバーアルバム『Slow Down』(1995) にも収録されていた)。いつもの山本潤子らしくない(?)唄い方で、60年安保後の虚脱感(投げやり感)を醸し出すこの歌は、渡辺香津美のギターと共に最高だ(調べたところ、1995年の関西テレビ『夢の乱入者』という番組だった。バンドリーダーの渡辺香津美がメインホストで、毎回ゲストを呼んでセッションをするという趣向だ。関西には昔からこうした面白いローカル番組がある)。

         青い夏 
   YouTube / dendelion
ソロになってからのオリジナル録音では、当時活動を共にしていた伊勢正三が作った「緑の季節」や「青い夏」など、70年代フォーク的な素朴な味わいの曲が印象深い。伊勢正三は、短編恋愛小説のような物語を楽曲で描くのが得意な人だ。バブルがはじけた90年代前半、TBS系列で日曜日の夜に放映されていた一話完結ドラマの名作『泣きたい夜もある』の主題歌「ほんの短い夏」(1993) は、あの時代の都会の気分が切なさと共に伝わって来る名曲だ。「緑の季節」(1998) と同じく、山本潤子のために書いたと思われる「青い夏」(1999)も、それらに劣らぬ名曲である。この曲はYouTubeにいくつもアップされているが、ここに挙げたバージョン(歌詞つき)は、美しい写真(イメージ)を背景に使って、この歌のノスタルジックな世界を見事に映像で表現している。切なくなるような懐かしさに満ちたこの恋歌は、伊勢正三の控え目なコーラスとアコースティック・ギターをバックにした、山本潤子の実にやさしい歌声が素晴らしい。

ソロ時代の山本潤子の歌は、美しい高音部だけでなく、上述したように中低域が若い時よりも豊かなので、男性歌手の歌を唄っても、曲想が彼女の世界と合うと素晴らしい歌になる。小田和正が書いたオフコースの「秋の気配」(1979) は、上記「青い夏」と曲想がよく似ている(「海の見える丘」を舞台にした別れ歌)。稲垣潤一が全曲女性歌手とのデュエットで唄ったユニークなカバー集『男と女』シリーズ Vol.1(2008)に、山本潤子と一緒に唄う「秋の気配」が収録されている。大人の恋の終わりを描いたこの曲を、さりげない悲哀をにじませてナチュラルに唄う山本潤子は素晴らしく、本当にこんなふうに唄える人は他にいないだろうと思う。こういう歌を聴くと、彼女に唄って欲しかった曲を他にもいくつか思いつく。たとえば、しばたはつみが唄い、椎名林檎もカバーし、作曲者・来生たかおもセルフカバーした名曲「マイ・ラグジャリー・ナイト」を山本潤子があの声で唄ったら、どれだけ静かで美しい、透明なムードの(イヤらしくない)大人のラブソングになるだろうか……とか、今はかなわぬ企画を夢想したりする。

だが振り返ってみると、結局のところハイ・ファイ・セット時代のユーミンの曲が、いちばん彼女に似合っていたのかもしれないとも思う。70年代のユーミンの楽曲は、どれも斬新で本当に素晴らしかったのだ。まだ20代だった山本潤子が唄う素朴な「幸せになるため」(作詞・荒井由実、作曲・村井邦彦、1975) などを聴いていると、現代に比べたらずっと貧しかったが、みんな穏やかに暮らし、未来にまだ希望があったあの頃の日本を懐かしく思い出す。その山本潤子が2014年2月に歌手活動からの無期限休養宣言をして、5月の公演を最後に引退してから既に8年が過ぎた。日本中に彼女の復活を望むファンがいると思うが、体力的にもう難しい年齢になっているのだろう。私は、東京での最後のステージとなった2014年4月の新宿文化センターでの公演を聴きに出かけた。コンサートでは素晴らしい声と歌を堪能したが、実はその前月に、赤い鳥時代からの盟友でもあったご主人(山本俊彦氏)が急逝していた。新宿文化センターの4月公演は、その直後のコンサートだったわけで、精神的にも肉体的にも大変な時期だっただろう。しかし、最後のステージとなったその年に、山本潤子の「天上の声」を生で聴くことができた自分はつくづく幸運だったと思う。