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2018/07/20

Macオーディオを再構築する(2)

Mac本体の入れ替えだが、事前にいろいろ調べて下準備し、まず旧MBから、Mac標準の「移行アシスタント」というソフトを使って、結線して新MBPにデータ移行することにしたが、古いMBにはUSB2FireWire400の端子しかなく、MBPにはThunderbolt2USB3しかない。Wi-Fiでも行けるが時間がかかるし不安なのでLANにしようと思ったが、MBPにはもはやLAN端子がない。変換コネクターを使うかUSB接続だが、MBには遅いUSB2しかない。仕方なく結局シンプルにUSB2/USB3で両者をつなぎ、指示通りに実行したが、それほど時間もかからず無事移行でき(MB本体にはたいしたデータは入っていないので)、MBのオーディオ特化設定もそのままコピーできた。Audirvana Plusという再生ソフトプレイヤーを使っていたが、このソフトも問題なく移行していた。この作業は意外なほど簡単だった。素人ながら、これまでいろいろ使ってみた印象を言えば、やはりMacは本当に生まれながらにおしゃれでスマートな秀才、一方のWindowsは努力の結果やっと成績の上がってきた垢抜けない凡才だろう。CDをリッピングした非圧縮音楽データは、専用アナログ電源(エーワイ電子)につないだLacieの3TBの外付けHDD(2代目で約3年使用)に保存しているので、あとは iTunesとAudirvana が連携して普通に再生してくれればいいだけだ……と思っていたらそこからが大変だった。

まず、やたらとヴィジュアル表示が増えてうるさい新バージョンに敢えてアップして来なかったiTunes のバージョンが、シンプルな表示が気に入って長年使ってきた旧バージョン(10→11)から、その新バージョン(12)にすっかり書き換えられていた。次にMacからUSBでつなぎ、専用バスパワーをかませ、PS AudioDACに同軸ケーブルでつないでいた小型DDCHi-Face (M2Tech/Aurola) を新MBPが認識しない。いや、機器としては認識するが、MIDI設定で見るとサウンドデバイスとして認識していない。つまり音が出て来ない。いろいろ調べた結果、Hi-Face用の旧ドライバーではだめらしい。新しいドライバーのバージョンをネットで探したが、とっくの昔に別の製品に切り替わっていてメーカーも代理店もサポートしていない。おまけに iTunes のライブラリーも書き換えられていて、どこを探して指定してもファイルが開けない。Audirvanaも、新MBPのOSでは音の良いDirect Mode設定が使えなくなっている……とまあ、素人の悲しさもあって、あれやこれや浦島太郎並みの混乱とトラブル続きで途方に暮れた。それにPC設定はどれもそうだが、以前どうやって設定したのか、使っているうちに最初の設定方法のことは忘れてしまうのだ(年のせいもあるが)。進化の激しいデジタルオーディオは、こうしたところが問題で、普通の情弱中高年には手に負えない。それに、その種の設定トラブルの解決には、どうしてそうなるのかというコンピュータ側の ”論理” に、こちらの思考回路を合わせる必要があるので、それがまた余計に頭を疲れさせる。MacはWinに比べたらずっと感覚的に操作しやすいように設計されているのだが、普段はほとんど何も考えずに音楽を再生しているだけで、WinのようにPCとして使い慣れていないので、やはり混乱する。ネット上のお助け情報だけが唯一の頼りなので、調べまくって解決方法を探すわけだが、まあそれもデジタルオーディオの楽しみ方の一つでもあるのだろう(ところがその方法も、しばらくすると忘れているのだ)。

iFi audio /nano iONE
いろいろと面倒くさくなったので、この際だからということでHi-Faceに代わって、去年出たイギリスの iFi audio /nano iONE という有線/無線でDDCにもDACにも使える非常にコンパクトな機器を見つけたので、それを購入した。これは小型の単体DACとしても使える機器だが、これをDDCとして使い、デジタル同軸ケーブルでPS AudioのDACにつないだ。DDC(digital-digital-converter)とは、ジッターやPCノイズを運んでくる可能性が高いUSB経由の信号を、S/PDIF信号に変換してデジタル伝送するための機器だ。PCオーディオはデジタルノイズと伝送ロスの制御が重要なので、接続ケーブルの質と共に、こうしたデバイスが有ると無いとでは、かなり音の純度が変わる(と言われているが、これは実際に音を比較して確認している)。この機種はクロック機能やノイズ対策もきちんと考慮しているようなので、選択した。いずれ単体DACとしても使って、今のDACと比べてみようかとも思っている。Audirvanaもハイレゾ再生が可能なAidirvana Plus3という新バージョンにアップグレードした。HDDのLacieも最近作動音がうるさくなってきたので、バックアップも兼ねてI/O dataの据え置き3TBHDDを買った。これも私のような使い方の場合、単なるデータ保存ではなく、音楽の長時間連続再生をするのでHDDなら何でもいいというわけではなく、タフさと信頼性、静音性も必要なのだ(大容量SSDはまだまだ高価だし)。ケーブル類も、Procable推薦のunibrain の短いUSB3で統一した(同社が販売するケーブル類は信頼している)。

そういうわけで、久々のオーディオ投資になったわけだが、全部の費用を合算しても、昔日の、今となっては夢(悪夢?)のような金額には到底及ばない。とにかく安い(相対的に)。時々ネットで、数千円の再生ソフトが高いので買うのをやめて無料ソフトにしたとかいう話を聞くが、趣味の世界でもあるのでどっちがまともかという議論は別にして、昔のオーディオファンからしたら信じられないような感覚だ。CDも売れないわけだ。無論このご時世、余計な金を使う必要はないし、何でも安いにこしたことはないだろう。個人の価値観で金の使い途ももちろん変わる。しかし一般論として、相応の価値があると自分が思うもの(「モノ」に限らない)に対しては、それなりの対価を支払うべきではないだろうか。コピペとネット全盛の今は、何でもかんでも便利で安くなって(時にはタダで)結構なことだが、これからはAIにはできないことを人間がやらなければならない時代なのに、様々な作品の犯罪的な海賊版の提供サイトとその需要をはじめ、情報やソフトウェアの利用、公共図書館の新刊書貸し出しなどに見られるように、タダあるいは安いからという理由で、長い時間や労力をかけて他人が創造した著作物(知的所有権)に対して消費者が相応の対価を支払わない風潮が続けば、個人の創造性や文化の進歩を損なうだけでなく、回りまわって結局自分のところにも金が回って来なくなる、という潜在的リスクが資本主義にはあることを想像した方ががいいと思う(自戒も込めて)。「安いモノ」は、単に品質上の差だけでなく、本来そこ(高いモノ)から支払うべきコスト(賃金)が削られ、創造した人や労働者(自分のことでもある)に分配される金(使える金)が減るということであり、一見「タダ」を可能にしている背景の一部は、知らないうちに誰か、例えば大資本や企業がそのコストを肩代わりして、その対価として裏で必要な個人情報やデータをかき集めてビジネスに利用しているということでもある。今は誰にでも将来への不安はあるが、余裕があって可能な人は、できるだけ目に見える今現在の社会と人に金を「還流」させることを意識すべきだと思う。人それぞれ考え方は違うだろうが、「安いモノには訳がある」、「金は天下の回りもの」といった昔ながらの格言は真実だと思っている。でないと、富が一部に集中し続け、世の中の大半が益々貧乏という負のスパイラルに陥る危険性がある。アメリカは常に日本の先行モデルでとっくにそうなっているが、あちらにはまだ豊富で多様な資源があり、厳しい競争下でも変革を止めない独自の挑戦マインドもある。元来保守的で、しかも資源もなく、「知」で生きるしかない日本でも、そうなりつつあるのだ。

話を戻すと、そんなこんなで、DAC/プリ/パワーアンプを経て、やっとスピーカーからまともに音が出てきたのは作業開始の3日後だった。入り口システムの再構築後1ヶ月が経過したが、新CPU、倍増メモリー、SSDを積んだバッテリー駆動の新MBPの設定は旧MBのまま踏襲しiTunes とAudirvana が新バージョンとなり、HDD/MBP間の古いFireWire400をUSB3へ変更し、同じくUSB3でMBP/新DDCをつないだ音がどうなったのかと言えば、「音場」が蒸留水のように圧倒的に透明になってよく見えるようになった。あるいは曇った眼鏡のレンズを拭いたように見通しがよくなった、とも言えようか。もやもやしていた暗騒音のようなものが減り、細かな音がよく聞こえるようになって、電源環境を改善した時の変化に似ているようだ。気持ち音速が上がり、切れ味も良くなったようだ(これらは昔ながらのオーディオ的表現なので、ちんぷんかんぷんの人もいると思うが)。一言で言うと、駄耳の私にもわかるほど予想以上にクリアな音になった(ように聞こえる)。HDDは新HDDに無事データコピーを完了したので、現Lacieを当面そのまま使用するが、両者をつなぎ換えて聴き比べると、これも微妙に音が違って聞こえるような気がする(いずれ確認したい)。システムの川下側はまったく変えていないので、こうした川上の機器変更による音質改善の効果は、純粋に6年間のデジタル技術の進化がもたらしたものと考えていいのだろう。ただし、慣れないiTunes ver.12は、ヴィジュアル情報はいいとしてもUIが予想通り使いにくく(余計なお世話の、いらないサービスが多くて複雑)、しかも勝手にシャッフルしてどう設定しても治らないので、シンプルなver.11に戻した(このダウングレードも方法を調べたり、結構な手間がかかった)。私のようにiTunesの音を聴くわけでもなく、ライブラリーによるデータ管理中心の使い方には、やはり10や11といったシンプルな前バージョンの方が断然使いやすい。

しかし、昔からそうだが、変える時にせっかちに一遍に置き換えるので、いったいどの機器や設定条件がいちばん音に影響を与えているのか(オーディオの楽しみ方の基本)、ということがよくわからないところが問題だ。まあ、いずれいじっているうちに徐々にわかるだろうとは思う。機器やソフトによるアップサンプリングやイコライジングは今のところ一切行っておらず(今は小型SPなので、いずれ低域補正のイコライジングはやるつもり)、CDから非圧縮で取り込んだ16bit44.1kHzデータのネイティヴ再生のままでも、これだけ音が変化するというところがオーディオの魔訶不思議で実に面白いところだ。どこかに手を加えると必ず音が変わるというのは、アナログでもデジタルでも一緒なのである。オカルトでもプラシーボでもない、流行りのわかりやすい爆音嗜好とは対極にある、この微妙だが現実の音の変化を聴き取り、楽しむのが古来のオーディオという遊びなのだ(ただし、どちらが良い悪いとかいう問題ではなく、”音を楽しむ” という点ではどちらも同じだ)。デジタル技術の進化によって、昔と違ってそれが今は比較的安価に楽しめるのは、やはりありがたい。これから、音馴らしをしながら(機器や接続が馴染む<エージング>につれ、音も徐々に変化することも事実だ)設定や接続やらあれこれいじって、しばらく楽しむことにする。システムが安定したら、いずれハイレゾにも手を出してみようかとも思っている。久々のオーディオネタに興奮して話が長くなったが、以上顛末記でした。

2018/07/13

Macオーディオを再構築する(1)

ジャンルに関わらず、音楽は何といってもライブ演奏を聴くのがいちばんだ。今はどんなジャンルでも音楽ライブが日常的なものになって、昔のように貴重な機会というほどでもなくなった。しかしエリック・ドルフィーがいみじくも言ったように、残念ながら生の音楽は1回限り、その場限りで空中に消えてしまう(そこがいいわけでもあるが)。一方、古今東西の名演や名曲を、時空を超えていつでも好きな時に、繰り返し再現したいという人間の願望を叶えてくれるのが、それらを「録音」したレコード(SP-LP-CD-data、テープ)であり、それを「再生」するためのオーディオ装置だ。だが「モノ」としてのステレオ再生機器を手に入れたらそれでお終いということではなく(普通の人はそこで終わる)、その装置からどういうサウンド(自分にとっての良い音、理想の音)を、どうやって引き出すか、手間をかけ楽しみながらあれこれ試行錯誤する過程が、プロは別として一般人の趣味の世界としての「オーディオ」で、音楽そのものだけでなく、出て来る「音」そのものに興味を持ち、それにこだわる限られた人間の特殊な世界である。今はスマホなどで誰でも普通にステレオ音楽を楽しんでいるが、ほとんどイヤフォンやヘッドフォン経由のいわば脳内音楽だ。だがスピーカーによって物理的に空気を振動させる音を聴くと、まったく同じ音楽(録音)が再生機器の違いによってここまで別モノに聞こえるのか、というような体験をする。それに感動し、結果として音の虜になるのがオーディオファンやマニアだが、一方で何も差を感じない人もいるわけで、要は人それぞれの感性によって異なる極私的世界なのだ。

芸術や趣味というのはすべからくそうだが、そもそも昔から金も時間もたっぷりある王侯貴族や大金持ちだけが暇つぶしに楽しんでいた特殊な、マニアックな世界であり、それが長い時代を経て、社会や個人の経済力が増して楽しむ余裕ができ、徐々に庶民の領域に降りて来るわけである。日本のオーディオも大衆的な趣味になったのは1970年代以降だ。だから上を見て金をかけたらきりがない世界で、バブル時代のように日本の景気が良かった頃はモノとしての機器も高額になり、勘違いして分不相応なほどの金を投じて身を滅ぼした人もいたくらいだ。今はデジタル化の恩恵で低価格再生機器のレベル全般が向上し、日本の経済力と個人所得も相対的に低下したこともあって、かつてのような熱狂は消え、分相応の楽しみ方をしている人がほとんどだろう。趣味も多様化したし、何より「音楽」が特別なものではなくなり、誰でも、いつでも、どこでも聴ける日常の消耗品になった。それに今は抽象的な音の世界より、わかりやすく、記憶に残りやすい、派手なヴィジュアル情報に大半の人間の興味は移っている。しかしいくら素晴らしい作品でも、同じ映画や映像は何度か見たらすぐに飽きるものだが、同じレコードは何度聴いても飽きないように、刺激の強い視覚情報と違って、すぐに空中に消えてしまう音というのは抽象的で、聴く人が毎回あれこれ感性や想像力を使わざるを得ないからこそ、飽きずにいつまでも楽しめるのである。その音楽がすぐに飽きる単純なものではなく、複雑であればあるほど、それを聴き、楽しむ時間も長くなるということだ。

しかし録音・再生方法がアナログであれデジタルであれ、またどんなジャンルの音楽であれ、「好きな音楽を、良い音で聴きたい」と願う人は音楽がある限りいつの時代でも必ずいる。音の楽しみ方は多様化するにしても、大人の趣味としてのオーディオも地味に、かつディープに存在し続けるだろう。それには、聴きたい音楽が存在することがまず必要だが、最近も1963年(55年前)のジョン・コルトレーンの未発表音源が発見・発表されたように、とりわけ20世紀に生まれて頂点を極めたジャズは、録音技術の進化と共に歩んだ音楽でもあり、死ぬまで聴いても聴き切れないほどの良質のアナログ音源がまだ無尽蔵に残されている。現代の音楽や演奏は、当然ながら一般的にはそれなりのクオリティで録音されているが、人工的に手を加え過ぎたものが多くて、きちんとした装置で再生すると不自然な音の録音が結構ある(特にJ-Pop)。ジャズの場合、黄金期の1960年代半ばまでの古い録音は、時代なりのテクニックはもちろん使っていても、複雑な音源加工をせずにシンプルな手法で録音されたアルバムが多いので、音が自然で、想像以上に生々しい音が聞こえてくる好録音も数多い。こうした古い録音をできるだけリアルな音で再生することが、ジャズ&オーディオファンにとっては大きな楽しみの一つなのだ。ただいずれにしろ、昔も今も、機械で再生されるサウンド(音の聞こえ方)に興味のない大部分の人にとっては訳の分からない世界とも言える。したがって特に女性オーディオファンというものが、昔からほとんどいないのもよくわかる。

MacBook Pro 2015
というわけで、「より良い音」を求めておよそ6年ぶりに多少の投資をして、これまでのMacを使ったPCオーディオ・システムを再構築した。正直、「再構築」と言うほど大層なことではないが、私的には結構な手間と時間がかかったので、あえて大げさな表現にした。また投資とは言っても、今回はデジタル化した音の入り口部分だけで、DAC以降のアンプもスピーカーも変えていないので、それほどの金額ではない。長年(10年近く?)オーディオ用に使ってきたMacBook (Snow Leopard、以下MB)に(自分と同じく)さすがに老化の気配が見えてきたので、壊れた時の予備に昨年買っておいたMacBook Pro (Sierra、以下MBP)に入れ替えることにしたのだ。Mac miniも考えたが、ディスプレイ付きのノート型の方がやはり何かと使いやすいのと、AC雑音の入らないバッテリー駆動が可能なこともあって、こちらにした。(アナログもデジタルも、経験的にやはり高周波ノイズを制御する電源管理は重要で、理想は外部ノイズをシャットアウトできる専用の屋内バッテリーだろうが、まだ低価格のそういう製品は見当たらないようだ。)買ったのは最新のMBPではなく、ネットで見つけた2015年のモデルなのだが、その理由はコンピュータとしての性能ではなくオーディオ上の使い勝手で、Macがノートの新機種のインターフェイスにUSB3端子を搭載しなくなったために、これまでの外付けHDDや、DDC、DACなどの機器と接続するのに何かと不便だからだ。この2015年モデルにはさすがにFireWireはないが、USB3端子が2個、Thunderbolt2端子が2個ついているので、オーディオ的には避けたいアダプターやコネクターをかませた接続を最小限にできそうなのでこちらにした(こういう話をしても、何がなんだかわからない人もいると思うが)。

しかしAppleはそういう事情のある人(特殊な少数派なので)にはお構いなしに、ノート型にはどんどん新しい技術を投入するので、周辺機器と接続して使うオーディオ好きには非常に困るのだ。オーディオ好きだったスティーヴ・ジョブズ亡き後、この傾向は止まらない(かどうかはよくわからないが)。今度のMBPにもThunderbolt22個ついているが、いくら高速でもこの端子のついた据え置きHDDやオーディオ機器は今やほとんど売っていないし、あっても価格がやたらと高い。FireWireUSBなどへの各種変換コネクターもあるが、これも高額だ。そして今やUSB3USB-Cになり、Thunderbolt2から3になっているし、コンピュータ好きには楽しいのかもしれないが、いくらモバイル性と伝送速度が向上しようと、私のように単に家庭で、便利に、かつ良い音で聴きたいと思って使っているだけのオーディオファンには迷惑な話なのだ。機器間の接続について言えば、アナログやCD時代はバランスかRCAだけ、プラスかマイナスだけで、シンプルで混乱することもなく、安定していて本当によかったと思う。Macも昔はオーディオ接続はFireWireだけでシンプルだった。もっとも今や何でもWi-Fiが主流なので、なおさらそんなことには構っていられません、ということなのだろう。

Macはシステムの設計上Windowsより音が良く、オーディオ的には有利だということだったので(なぜなのか、という技術的理由は詳しくは知らない)Macシステムでやってきたのだが、私には特にコンピュータの知識があるわけでもなく、それにそもそも大雑把で細かい作業は苦手なので、雑誌やネットで見聞きしたあれこれの情報の中で、自分で納得できた方法をそのまま拝借して、素人でも可能なシンプルな設定と接続で済む今のシステムを組んだだけだ。世の中にはもっと複雑な機器を使い、高度な方法でMacオーディオを楽しんでいる人もいると思うが、私の場合、簡単なチャートで示すように、要はアナログ・レコードプレイヤーやCDプレイヤーの代わりに、外付けHDDに取り込んだ非圧縮AIFFのCDデータ(by XLD/iTunes) をMBを介して読み込み、再生し (by Audirvana)、DDCを経由してDAC/プリ/パワーアンプ/スピーカーにその信号を送り込むというだけの方法である。つまり古典的オーディオとPCオーディオのハイブリッドだ。アナログ・プレイヤーの場合のアーム、カートリッジ、配線、MCトランス、フォノイコライザーといったパーツで遊ぶのを、上記コンピュータシステムに置き換えたものと言える。この6年間ほとんどオーディオ誌も読まず、ひたすら聴くだけになったのは、何と言ってもiTunesによる大量のアルバム、楽曲データ管理がアナログLPやCD時代に比べて圧倒的に便利で、好きな時に好きな曲を自由に聴けて楽しいことと、Audirvana のようなMac専用の優れた再生ソフトウェアの出現で、時にはアナログにひけをとらないような音が実際に出て来るからだ。高度なアナログLP再生は確かに素晴らしいが、誰にでもできるわけではなく、何より良い機器と技術(経験と腕)、根気と根性が必要だし、それにどうしても高価になる。かなりのLPも所有しているので、ほどほどのアナログ機器でたまには再生しているが、不器用でものぐさなうえ根気も根性もないので、できるだけ簡単に操作でき、メインテナンスも楽で、しかしできるだけ良い音でたくさん音楽を聴きたい、という私のような横着な人間にPCオーディオはぴったりの方法なのだ。

普段はWindowsのコンピュータを使っているので、MBは音楽再生専用に特化して、これも見よう見まねで、背後で動いているOSやソフトに向けられるCPUやメモリーなど、システム・リソースへの負荷をできるだけ減らして、Macの作業を音楽の再生だけに集中する設定にしてある。おまじないみたいにも思えるが、Macの場合この効果は結構大きいようにも感じる。つまり「音源データ管理ソフト付き音楽再生専用プレイヤー」としてMacを使っているわけである。コンピュータとしての普通の機能が無駄と言えば無駄になるが、それらはWindowsで処理できるし、オーディオ上の機能、性能、利便性を考えたら決して高い買い物ではないと長年使った今では思っている。Mac自体も余計な仕事をしない単純作業で済むので疲労度(?)も少ないはずで、寿命も長いだろう(…かどうかはよくわからないが)。そういうわけで、これまでのMBの音で結構満足してきた。ただし、LANWi-Fiを使うNAS的システムは信号経路とデータの質がどうも信用できないので、あくまで古典的鉄則、アナログとデジタル電源管理を配慮した短距離有線接続によるクローズド・システムである。ハイレゾもこれと言って聴きたい新録音がないので、今のところは手付かずだし、ストリーミングにも興味はない。そもそも聴くのはほとんど手持ちの20世紀アナログ録音のジャズを中心にしたCD音源で(それすら聴き切れないほどの量がある)、それらをいかに気持ちの良い音で鳴らすかが私的オーディオの目的だからだが、リマスターされた(加工された)古いアナログ音源のハイレゾ盤がどんな音になるのかという興味はある。特にHDDにリッピング済みの初期(80年代)のCDの中には音がスカスカのものもあるので、改善効果は期待できるのかもしれない。ただし要はオリジナル・アナログマスタ-のクオリティ次第だろう(当然、演奏内容がまず第一だが)。新たに録音したものではない旧譜のハイレゾ盤とは、単にこのオリジナル・アナログ録音に入っている音をどこまで再生できるか、ということだけの話だからだ。だがそれにしても、その種の旧録音のハイレゾ盤の価格はまだ高すぎると思う。自分でアップサンプリングしたりして遊んだ方が楽しめるかも知れないとも思うが、どうしてもどこか不純(?)な気がするのと、面倒なのもあってこれもやっていない。(続く)