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2018/07/13

Macオーディオを再構築する(1)

ジャンルに関わらず、音楽は何といってもライブ演奏を聴くのがいちばんだ。今はどんなジャンルでも音楽ライブが日常的なものになって、昔のように貴重な機会というほどでもなくなった。しかしエリック・ドルフィーがいみじくも言ったように、残念ながら生の音楽は1回限り、その場限りで空中に消えてしまう(そこがいいわけでもあるが)。一方、古今東西の名演や名曲を、時空を超えていつでも好きな時に、繰り返し再現したいという人間の願望を叶えてくれるのが、それらを「録音」したレコード(SP-LP-CD-data、テープ)であり、それを「再生」するためのオーディオ装置だ。だが「モノ」としてのステレオ再生機器を手に入れたらそれでお終いということではなく(普通の人はそこで終わる)、その装置からどういうサウンド(自分にとっての良い音、理想の音)を、どうやって引き出すか、手間をかけ楽しみながらあれこれ試行錯誤する過程が、プロは別として一般人の趣味の世界としての「オーディオ」で、音楽そのものだけでなく、出て来る「音」そのものに興味を持ち、それにこだわる限られた人間の特殊な世界である。今はスマホなどで誰でも普通にステレオ音楽を楽しんでいるが、ほとんどイヤフォンやヘッドフォン経由のいわば脳内音楽だ。だがスピーカーによって物理的に空気を振動させる音を聴くと、まったく同じ音楽(録音)が再生機器の違いによってここまで別モノに聞こえるのか、というような体験をする。それに感動し、結果として音の虜になるのがオーディオファンやマニアだが、一方で何も差を感じない人もいるわけで、要は人それぞれの感性によって異なる極私的世界なのだ。

芸術や趣味というのはすべからくそうだが、そもそも昔から金も時間もたっぷりある王侯貴族や大金持ちだけが暇つぶしに楽しんでいた特殊な、マニアックな世界であり、それが長い時代を経て、社会や個人の経済力が増して楽しむ余裕ができ、徐々に庶民の領域に降りて来るわけである。日本のオーディオも大衆的な趣味になったのは1970年代以降だ。だから上を見て金をかけたらきりがない世界で、バブル時代のように日本の景気が良かった頃はモノとしての機器も高額になり、勘違いして分不相応なほどの金を投じて身を滅ぼした人もいたくらいだ。今はデジタル化の恩恵で低価格再生機器のレベル全般が向上し、日本の経済力と個人所得も相対的に低下したこともあって、かつてのような熱狂は消え、分相応の楽しみ方をしている人がほとんどだろう。趣味も多様化したし、何より「音楽」が特別なものではなくなり、誰でも、いつでも、どこでも聴ける日常の消耗品になった。それに今は抽象的な音の世界より、わかりやすく、記憶に残りやすい、派手なヴィジュアル情報に大半の人間の興味は移っている。しかしいくら素晴らしい作品でも、同じ映画や映像は何度か見たらすぐに飽きるものだが、同じレコードは何度聴いても飽きないように、刺激の強い視覚情報と違って、すぐに空中に消えてしまう音というのは抽象的で、聴く人が毎回あれこれ感性や想像力を使わざるを得ないからこそ、飽きずにいつまでも楽しめるのである。その音楽がすぐに飽きる単純なものではなく、複雑であればあるほど、それを聴き、楽しむ時間も長くなるということだ。

しかし録音・再生方法がアナログであれデジタルであれ、またどんなジャンルの音楽であれ、「好きな音楽を、良い音で聴きたい」と願う人は音楽がある限りいつの時代でも必ずいる。音の楽しみ方は多様化するにしても、大人の趣味としてのオーディオも地味に、かつディープに存在し続けるだろう。それには、聴きたい音楽が存在することがまず必要だが、最近も1963年(55年前)のジョン・コルトレーンの未発表音源が発見・発表されたように、とりわけ20世紀に生まれて頂点を極めたジャズは、録音技術の進化と共に歩んだ音楽でもあり、死ぬまで聴いても聴き切れないほどの良質のアナログ音源がまだ無尽蔵に残されている。現代の音楽や演奏は、当然ながら一般的にはそれなりのクオリティで録音されているが、人工的に手を加え過ぎたものが多くて、きちんとした装置で再生すると不自然な音の録音が結構ある(特にJ-Pop)。ジャズの場合、黄金期の1960年代半ばまでの古い録音は、時代なりのテクニックはもちろん使っていても、複雑な音源加工をせずにシンプルな手法で録音されたアルバムが多いので、音が自然で、想像以上に生々しい音が聞こえてくる好録音も数多い。こうした古い録音をできるだけリアルな音で再生することが、ジャズ&オーディオファンにとっては大きな楽しみの一つなのだ。ただいずれにしろ、昔も今も、機械で再生されるサウンド(音の聞こえ方)に興味のない大部分の人にとっては訳の分からない世界とも言える。したがって特に女性オーディオファンというものが、昔からほとんどいないのもよくわかる。

MacBook Pro 2015
というわけで、「より良い音」を求めておよそ6年ぶりに多少の投資をして、これまでのMacを使ったPCオーディオ・システムを再構築した。正直、「再構築」と言うほど大層なことではないが、私的には結構な手間と時間がかかったので、あえて大げさな表現にした。また投資とは言っても、今回はデジタル化した音の入り口部分だけで、DAC以降のアンプもスピーカーも変えていないので、それほどの金額ではない。長年(10年近く?)オーディオ用に使ってきたMacBook (Snow Leopard、以下MB)に(自分と同じく)さすがに老化の気配が見えてきたので、壊れた時の予備に昨年買っておいたMacBook Pro (Sierra、以下MBP)に入れ替えることにしたのだ。Mac miniも考えたが、ディスプレイ付きのノート型の方がやはり何かと使いやすいのと、AC雑音の入らないバッテリー駆動が可能なこともあって、こちらにした。(アナログもデジタルも、経験的にやはり高周波ノイズを制御する電源管理は重要で、理想は外部ノイズをシャットアウトできる専用の屋内バッテリーだろうが、まだ低価格のそういう製品は見当たらないようだ。)買ったのは最新のMBPではなく、ネットで見つけた2015年のモデルなのだが、その理由はコンピュータとしての性能ではなくオーディオ上の使い勝手で、Macがノートの新機種のインターフェイスにUSB3端子を搭載しなくなったために、これまでの外付けHDDや、DDC、DACなどの機器と接続するのに何かと不便だからだ。この2015年モデルにはさすがにFireWireはないが、USB3端子が2個、Thunderbolt2端子が2個ついているので、オーディオ的には避けたいアダプターやコネクターをかませた接続を最小限にできそうなのでこちらにした(こういう話をしても、何がなんだかわからない人もいると思うが)。

しかしAppleはそういう事情のある人(特殊な少数派なので)にはお構いなしに、ノート型にはどんどん新しい技術を投入するので、周辺機器と接続して使うオーディオ好きには非常に困るのだ。オーディオ好きだったスティーヴ・ジョブズ亡き後、この傾向は止まらない(かどうかはよくわからないが)。今度のMBPにもThunderbolt22個ついているが、いくら高速でもこの端子のついた据え置きHDDやオーディオ機器は今やほとんど売っていないし、あっても価格がやたらと高い。FireWireUSBなどへの各種変換コネクターもあるが、これも高額だ。そして今やUSB3USB-Cになり、Thunderbolt2から3になっているし、コンピュータ好きには楽しいのかもしれないが、いくらモバイル性と伝送速度が向上しようと、私のように単に家庭で、便利に、かつ良い音で聴きたいと思って使っているだけのオーディオファンには迷惑な話なのだ。機器間の接続について言えば、アナログやCD時代はバランスかRCAだけ、プラスかマイナスだけで、シンプルで混乱することもなく、安定していて本当によかったと思う。Macも昔はオーディオ接続はFireWireだけでシンプルだった。もっとも今や何でもWi-Fiが主流なので、なおさらそんなことには構っていられません、ということなのだろう。

Macはシステムの設計上Windowsより音が良く、オーディオ的には有利だということだったので(なぜなのか、という技術的理由は詳しくは知らない)Macシステムでやってきたのだが、私には特にコンピュータの知識があるわけでもなく、それにそもそも大雑把で細かい作業は苦手なので、雑誌やネットで見聞きしたあれこれの情報の中で、自分で納得できた方法をそのまま拝借して、素人でも可能なシンプルな設定と接続で済む今のシステムを組んだだけだ。世の中にはもっと複雑な機器を使い、高度な方法でMacオーディオを楽しんでいる人もいると思うが、私の場合、簡単なチャートで示すように、要はアナログ・レコードプレイヤーやCDプレイヤーの代わりに、外付けHDDに取り込んだ非圧縮AIFFのCDデータ(by XLD/iTunes) をMBを介して読み込み、再生し (by Audirvana)、DDCを経由してDAC/プリ/パワーアンプ/スピーカーにその信号を送り込むというだけの方法である。つまり古典的オーディオとPCオーディオのハイブリッドだ。アナログ・プレイヤーの場合のアーム、カートリッジ、配線、MCトランス、フォノイコライザーといったパーツで遊ぶのを、上記コンピュータシステムに置き換えたものと言える。この6年間ほとんどオーディオ誌も読まず、ひたすら聴くだけになったのは、何と言ってもiTunesによる大量のアルバム、楽曲データ管理がアナログLPやCD時代に比べて圧倒的に便利で、好きな時に好きな曲を自由に聴けて楽しいことと、Audirvana のようなMac専用の優れた再生ソフトウェアの出現で、時にはアナログにひけをとらないような音が実際に出て来るからだ。高度なアナログLP再生は確かに素晴らしいが、誰にでもできるわけではなく、何より良い機器と技術(経験と腕)、根気と根性が必要だし、それにどうしても高価になる。かなりのLPも所有しているので、ほどほどのアナログ機器でたまには再生しているが、不器用でものぐさなうえ根気も根性もないので、できるだけ簡単に操作でき、メインテナンスも楽で、しかしできるだけ良い音でたくさん音楽を聴きたい、という私のような横着な人間にPCオーディオはぴったりの方法なのだ。

普段はWindowsのコンピュータを使っているので、MBは音楽再生専用に特化して、これも見よう見まねで、背後で動いているOSやソフトに向けられるCPUやメモリーなど、システム・リソースへの負荷をできるだけ減らして、Macの作業を音楽の再生だけに集中する設定にしてある。おまじないみたいにも思えるが、Macの場合この効果は結構大きいようにも感じる。つまり「音源データ管理ソフト付き音楽再生専用プレイヤー」としてMacを使っているわけである。コンピュータとしての普通の機能が無駄と言えば無駄になるが、それらはWindowsで処理できるし、オーディオ上の機能、性能、利便性を考えたら決して高い買い物ではないと長年使った今では思っている。Mac自体も余計な仕事をしない単純作業で済むので疲労度(?)も少ないはずで、寿命も長いだろう(…かどうかはよくわからないが)。そういうわけで、これまでのMBの音で結構満足してきた。ただし、LANWi-Fiを使うNAS的システムは信号経路とデータの質がどうも信用できないので、あくまで古典的鉄則、アナログとデジタル電源管理を配慮した短距離有線接続によるクローズド・システムである。ハイレゾもこれと言って聴きたい新録音がないので、今のところは手付かずだし、ストリーミングにも興味はない。そもそも聴くのはほとんど手持ちの20世紀アナログ録音のジャズを中心にしたCD音源で(それすら聴き切れないほどの量がある)、それらをいかに気持ちの良い音で鳴らすかが私的オーディオの目的だからだが、リマスターされた(加工された)古いアナログ音源のハイレゾ盤がどんな音になるのかという興味はある。特にHDDにリッピング済みの初期(80年代)のCDの中には音がスカスカのものもあるので、改善効果は期待できるのかもしれない。ただし要はオリジナル・アナログマスタ-のクオリティ次第だろう(当然、演奏内容がまず第一だが)。新たに録音したものではない旧譜のハイレゾ盤とは、単にこのオリジナル・アナログ録音に入っている音をどこまで再生できるか、ということだけの話だからだ。だがそれにしても、その種の旧録音のハイレゾ盤の価格はまだ高すぎると思う。自分でアップサンプリングしたりして遊んだ方が楽しめるかも知れないとも思うが、どうしてもどこか不純(?)な気がするのと、面倒なのもあってこれもやっていない。(続く)