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2019/02/17

モンク作 "パノニカ Pannonica" を聴く

今日でブログを始めてちょうど2年経った。内容はともかく、よく続いたものだ。ちなみに、本日217日はセロニアス・モンク(1982年没)の命日である。

ニカとモンク
photo by Moneta Sleet Jr.
(1960s)
ジャズ本の翻訳中は、その本の主人公に関連するレコードを聴きながら作業している。そうすると主人公の人物像、物語や思想のイメージが “降りて来る” 気がして、文章の背景や意味がより正確に理解できるように思えるからだ。『リー・コニッツ』のときは、コニッツ、レニー・トリスターノ、ウォーン・マーシュなどトリスターノ派の音楽を中心に聴き、『セロニアス・モンク』のときは当然モンクのレコードをずっと聴いていた。今回出版した『パノニカ』の翻訳中は、主人公がジャズ・ミュージシャンではなく、しかも前半のロスチャイルド家に関する部分は、イギリスを中心としたヨーロッパの富豪の物語なので、ジャズではなく、どうしてもクラシック音楽が聴きたくなり、珍しくずっとクラシックを聴いていた。だが後半のニューヨーク時代は、主にジャズ・ミュージシャンたちからニカ夫人に捧げられたジャズ曲を選んで聴いていた。本書巻末には彼女に捧げられた20曲のリスト(実際は計24曲と言われている)が掲載されており、モンクの他にも、ソニー・ロリンズ、ホレス・シルヴァー、ソニー・クラーク、ケニー・ドリュー、ダグ・ワトキンス、トミー・フラナガン、バリー・ハリスなど、多くの有名ミュージシャンの名前とニカ夫人にちなんだ曲名が挙げられている。それぞれがニカ夫人のイメージを自分なりに捉え、それを音楽にしているので、比較しながら聴くと非常に興味深いが、同時に彼女がいかに多くのジャズ・ミュージシャンたちから愛されていたのかが想像できる。

Les Liaisons Dangereuses 1960
1959/2017 (Sam Records)
とは言え、訳書『パノニカ』に書かれたニカ夫人の人物としてのイメージを、もっとも生きいきと捉えた曲は、やはり彼女に捧げられた初めての曲であり、モンク自身が作った<パノニカ Pannonica>だろう。モンクの才能と、二人の関係の密度が桁違いなので、これは仕方がない。どことなくアンニュイな響きを持つこの曲のメロディと独特のリズムは、“蝶” のように軽やかに、あでやかにあてどなく飛んで行くニカ夫人のイメージそのものだ。風景や人物のイメージを、音の世界で常に見事に描き出すモンクはやはり天才だ。モンクは傑作アルバム『Brilliant Corners』(1957)で<パノニカ>を初演しているが、ソニー・ロリンズのテナー、アーニー・ヘンリーのアルトを加えたクインテットで、モンクはここではピアノとチェレスタを弾いていて、凝った演奏に仕上げている。その後,Les Liaisons Dangereuses 1960 (仏映画危険な関係』サウンドトラック)』(1959録音/2017リリース),『Alone in San Francisco』(1959),『Criss Cross』(1963),『Monk In Tokyo』(1963),『Monk』(1964) と、都合6枚のアルバムでこの曲を取り上げている。例によってi-Tunesでこれを連続再生すると、モンクがこの曲を毎回どう料理しているのか、その違いが聴けて非常に楽しい。演奏はいずれもチャーリー・ラウズのサックス入りのカルテットだが、『Alone……』は、『危険な関係』サウンドトラック音源が2017年に「発掘」されるまで、モンクによるこの曲の唯一のソロ演奏だった。本ブログ別項 (2017/4/14 & 10/23) で詳細を書いた、サウンドトラックとして使用された演奏(2CD)では、カルテットとソロで<パノニカ>を計4テイク録音しているが (カルテットは、チャーリー・ラウズ-ts、サム・ジョーンズ-b、アート・テイラー-ds)、この発掘音源は録音も奇跡的に良く、またどの演奏も楽しめる。昨年見た4K版映画『危険な関係』では、<クレパスキュール・ウィズ・ネリー>と共に、メイン・テーマとしてずっと流れるモンクの弾く<パノニカ>は、これ以上ない、というほど映画のストーリーと映像にぴたりとはまっていた。この曲をサウンドトラックとして使ったマルセル・ロマーノと、監督ロジェ・ヴァディムのセンスはさすがと言うべきだろう。

Thelonica
Tommy Flanagan
1983 Enja
モンク以外のミュージシャンはどうかと手持ちのCD、レコードを始め、ネット上でも調べてみたが、<ラウンド・ミッドナイト>ほどではないにしても、モンク作品の中では、非常に多くのジャズ・ミュージシャンが取り上げているスタンダード曲になっていることがわかる。モンク音楽の最高の理解者であり、愛弟子とも言えるスティーヴ・レイシー(Steve Lacy 1934-2004)による60年代以降の複数の演奏は当然としても、その他にも、実に多彩なミュージシャンが録音している。私の手持ちレコードでは、やはりトミー・フラナガンのピアノ・トリオ『Thelonica』(1983) に収録された演奏が素晴らしい (ジョージ・ムラーツ-b、アート・テイラー-ds) 。アルバム中唯一のフラナガン自作曲であり、アルバム・タイトルでもある "Thelonica" が表すように、このレコードは、モンクが亡くなった1982年の秋に、トミー・フラナガンがモンク作品だけを演奏して、モンクとニカ夫人の二人に捧げたものである。訳書『パノニカ』には、ニカ夫人がイギリスに住む著者ハナ・ロスチャイルドにアメリカからこのレコードを送った話が出て来る(ニカ夫人の実兄、ヴィクター・ロスチャイルド男爵に聞かせるため)。ごつごつとしたモンク独特の音楽から美しい部分だけを抽出したかのように、<パノニカ>始めどの曲も、まさに流麗なピアノ・トリオに変容させているが、これはこれで実にフラナガンらしいモンク解釈だ。このアルバムは、バド・パウエルの『Portrait of Thelonious』(1961)と並び、同時代のピアニストが心をこめて送った、ニカ夫人とモンクへのもっとも美しいオマージュである。

Now He Sings, Now He Sobs
Chick Corea
1968/CD 2002 Blue Note
 
意外だったのは、チック・コリア(Chick Corea) が<パノニカ>を2回取り上げていることだ。若きコリア2枚目のリーダー作で、ミロスラフ・ヴィトゥス(b)、ロイ・ヘインズ(ds) とのピアノ・トリオによる、今でも斬新なアルバム『Now He Sings, Now He Sobs』(1968LP/2002CD) CD版に追加曲として収録されていている(オリジナルLPは未収録)。もう1枚は『Expressions』(1994) で、こちらはソロ・ピアノである。コリアとモンクの接点はまったく不明だが、上記トリオ作品と同じメンバーによる『Trio Music』(1982)でも、モンク作品をCD1枚分、計7曲演奏しているので、ピアニストとして、モンクに対する何がしかの思いがコリアにはずっとあったのだろう。これらのアルバムでは、独特のモダンなコリア的モンク解釈の世界を聴くことができる。その他のピアニストでは、山中千尋、ホレス・パーラン、シダー・ウォルトン、エリック・リード、菊地雅章といった人たちが<パノニカ>を演奏しているが、特にエリック・リード(Eric Reed) は、2000年代に入ってからモンクをテーマにしたアルバムを3枚リリースしている。<パノニカ>は、ピアノ・トリオによるそのうちの1枚『Dancing Monk』(2011) に収録されているが、山中千尋の『Monk Studies』(2017)と同じく、速いテンポによるユニークで現代的な演奏だ

Carmen Sings Monk
1988 Novus
ピアノ以外では、スティーヴ・レイシーの他にも内外のホーン奏者による演奏も数多い。珍しいのはギターで、比較的最近になってピーター・バーンスタイン(Peter Bernstein) が『Monk』(2008),Signs Live!(2017) という2枚のアルバムで<パノニカ>を取り上げている。前者はギター・トリオによるモンク作品、後者はブラッド・メルドー(p)も参加したカルテットによるライヴ演奏だ。ヴォーカルで唯一と思われるのは、晩年のカーメン・マクレエ (Carmen McRae) のグラミー賞受賞アルバム『Carmen Sings Monk』(1988)だ。チャーリー・ラウズ(一部)とクリフォード・ジョーダンがサックスで参加し、80年代らしいモダンな伴奏をバックに、全曲(alt.を除き14曲)モンクの名曲を唄ったこのアルバムは、カーメン・マクレエにしか表現できない、圧倒的な歌唱によるモンクの世界だ。収録曲の半数に歌詞を書いたジョン・ヘンドリックスが<パノニカ>にも歌詞を付け、<リトル・バタフライ Little Butterfly>というタイトルで唄っている。美しいが、複雑なモンクのメロディに付けられた歌詞を、明快で知的な表現で、余裕でこなすカーメンはやはり本当にすごい歌手である。録音も非常にクリアで、カーメンの正確な歌唱によってモンク作品のメロディがよく聞き取れるので、モンク・ファンだけでなく、普通のジャズ・ヴォーカルとして誰でも楽しめるアルバムだ。モンクは自分の曲に良い歌詞を付けたいという希望をずっと持っていたようなので、生きているときに、旧友ジョン・ヘンドリックスの歌詞、カーメンの歌によるこの素晴らしいヴォーカル・アルバムを聴いたら、きっと大いに気に入ったのではないだろうか。(このアルバムは1988年1,2月に録音され、同年にリリースされているので、その年の11月30日に急死したニカ夫人が聴いた可能性はあるかもしれない。)