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2021/03/13

Macオーディオを再構築する(3)

2018年夏に、オーディオ専用PCとして10年近く使ったMacBookからMacBook Pro (MBP) に入れ換え、音の入り口周辺のデバイスを再構築してから早くも2年半が過ぎた。出てきた音が気に入ったので、その間オーディオ的には何もせず、ひたすら翻訳しながら好きなジャズを聴いて楽しむ、という平穏な(?)日々を過ごしてきた。しかし、いかに満足していても、決して一箇所に長い間留まっていられず、常にどこかしら手を加えて音の変化を知りたい、とつい考えてしまうのがオーディオ好きの哀しい性(さが)だ。昨年10月末に『スティーヴ・レイシーとの対話』がやっと出版され、一息入れたこともあって、久しくおとなしかった「オーディオの虫」がそぞろ動き始めた。

とはいえ、DAC以降の機器に現状大きな不満はないので(持たないようにしている)、畢竟その対象はMacをベースにした音の入り口部分になる。アンプやスピーカーはアナログでもデジタル時代でも基本は一緒であり、また一般的にどうしても高額になるので、普通はそう頻繁には換えられないが、音の入り口は機器をあれこれ変化させて楽しめる。CDプレーヤー時代は電源周りとか、ケーブル類をいじるか、あるいはCDプレーヤー本体を交換するくらいしか素人にはほとんど遊びようがなく、オーディオ的には実につまらない時代だった(しかも結局やたらと高額化し、金満オーディオへと向かった)。それがPC時代になると、アナログLP時代にレコードプレーヤー周りで、素人でもターンテーブル、アーム、カートリッジ、配線、MCトランス、フォノイコ等の違いや、手を加えて音の変化を楽しめたのと同じ感覚で、しかも比較的安価に、PC周りのデバイスを変化させて楽しめるようになった。そこで昨年末、コロナ禍でずっとインドア生活を強いられていたこともあって、まず大元の音源管理から手を付けようと、前から乱雑ぶりが気になっていた「iTunesライブラリー」をこの際大掃除して、整理してみようかと思い立ったのが運のつき(?)だった。

2001年にAppleから発表されたiTunesは、音楽ファンにとってはソニーのカセットウォークマン以来の革命的な音楽ガジェットだった。CDリッピングによる音源データと再生ソフトウェアは音楽メディアの概念を変え、軽く小さなiPodという再生機器との組み合わせで、どこへでも手軽に音楽を持ち歩けるという素晴らしいデジタル・アイテムだった。さらにiTunesの優れた点は、ディスク・メディアから解放された音楽再生だけではなく、Macと組み合わせて手持ちの音源情報を整理、管理、応用するデータベースにもなり、自分専用コンピであるプレイリスト作成や、好きな曲を聴きたいときに自由に選んですぐに聴けるという、音楽ファンが夢に見ていた機能のほとんどを現実のものにしてくれたところだ。しかしその後、マルチメディア化の流れでヴィジュアル情報も対象にする、ネットにもつながる、Windowsも対象にする、などあれもこれもと欲張って複雑化、肥大化の一途をたどった結果、初期Ver.10時代までの「シンプルで、美しく、聡明」というMac的な世界観からは徐々に離れてゆき、Ver.12以降はUIも分かりにくく使いにくいソフトになって今に至っている。そのiTunesが2019年末のMacOSX最後のCatalina以降はついにその名称もなくなって、「Music」だけにしぼった機能に単純化された。Win 版は名前も継続するそうなので、元祖のMacから消えるということのようだ。まあ「音楽」だけだった初代への先祖返りとも言えるが、最近7年ほどは、iTunesは基本的にMac用音楽データベースとしての機能しか使っていなかった私には関係がない、と言えば関係ない変更でもある。

しかし音楽データだけとはいえ、PCオーディオを始めた'00年代半ば以来、私はiTunesに膨大なCD音源を貯めこんできた。おまけにiTunes自身のバージョンアップ、MacOSXのアップグレード、使用Mac機種の交代、外部HDDの入れ替え、iPodやiPhoneへのデータ転送……などを10年以上にわたって繰り返してきた結果、Macの「iTunesライブラリー」の整理、統合、音楽データの移動やコピーもそのつど繰り返してきたので、MBPのFinderで調べてみると、iTunes内ファイルの階層が入れ子状態のようにぐちゃぐちゃになっていた。せっかく手作業で貼り付けた一部のアルバムアートワークなども、あちこち消えたりしている。再生時も、時々びっくりマーク(!)が出て、音楽データが何度も所在不明になったりしたが、素人なりに、そのつど手作業でデータ検索や移動もしてきたので、今も普段聴く分には問題はない。それにiTunesのデータべースとしての構造や出来は基本的に気に入っているので、今更他のソフトに切り替える気もない。しかし、このファイル階層のぐちゃぐちゃぶりは、見た目も含めてどうも気分が悪いので、年末でもあるし、大掃除もかねて久々に何とか整理してみようかと思い立ったのだ。

iTunes 正常なファイル階層
Apple Communityより
正確に調べたことはないが、iTunesの音楽データはたぶん80%以上がジャズで、非圧縮AIFFのファイルをすべて外付けHDDに格納してきた。気づくと、アルバム数(CD枚数)で約1,400、曲数で約14,000、データ量で約700GB近くになっていた。非圧縮なので仮に約50MB/曲、10曲/アルバムとすればほぼ単純計算通りになる数字だ。今は家で聴くだけで持ち歩くわけではないので、圧縮によるデータ量軽減と経済性よりも、オーディオ的に「44.1kHz/16bitの音源再生を極める」という音質優先が基本思想だ。テレビ録画用需要が急増したせいかHDDが非常に安価になってきたので、今や音質を犠牲にして圧縮する必要性も薄まり、通信も5Gとかになれば、ネット配信上もデータ量の問題は相対的にますます小さくなってゆくだろう。

しかし、ネットワークでつながろうと、データを圧縮しようと、デジタル音声の変化は人間にはほとんど感知できないレベルだとか、ハイレゾにすれば何もかも解決するとか……誰が何を言おうと、そうした巷のデジタル言説(?)は信用していない。なぜかというと、大昔(1980年代)CDプレーヤーが登場した当時、デジタル音楽の世界の素晴らしさを伝える大宣伝と大合唱に騙されて、それまで集めたLPレコードをほとんど処分したあげく、喜び勇んで中級クラスのCDプレーヤーを初めて買ったものの、LPの密度の高い音に比べるべくもない、その驚くべき「スッカスカの音」に愕然とし、心底失望した原体験があるからだ。当時そういうオーディオファンは日本中にいただろうし、あの時の「デジタルショック」は未だに忘れられないトラウマなのだ。そもそも物理的に高速回転するディスクから「データ」を読み取りながら、「リアルタイム」でそれを正確に「音として再生」するデジタル技術は、予想したほど簡単なものではなかったのだ。CDプレーヤーにつきまとった実体感のない音の原因もそこにあるのか、と素人ながらずっと思っていた。

後になってからCDの20kHzという高域上限スペックや、ディスクの回転機構とデータ読み取り技術に問題があったとか言って、あれこれ工夫を重ねたデジタル音楽が「まともな音」をやっと聞かせるようになるのに、それから十年以上はかかったし、普及品CDプレーヤーはそれでも完成されたとは言えないだろう。SACDになって、何百万円もするハイエンドといわれる機器で初めてアナログ並みの音が可能になっただけだ(ただし、あくまでこれはオーディオ好きの意見であり、90%以上の「普通の」聴き手にとっては、今では通常盤CDとCDプレーヤー再生で何の問題もなく聞けるレベルの音だろう、という意味である。音楽ビジネス上はそれでOKだからだ)。だから私は’00年代になってから、iTunesという画期的なソフトの出現で、もっと静的にCDデータをファイルとして読み取れ、しかも素人でも自分の工夫次第で再生音の変化を楽しめる余地のあるPCオーディオに移行したのだ。ただし再生音の品質面では、やはりAmaraやAudirvanaのような優秀な再生専用ソフトウェアが開発されて初めて、PCオーディオのサウンドも満足できるレベルに達したと言えるだろう。しかも、これらソフトの価格は、オーディオ機器類に比べたら決して高いものではない。

vs.44.1kHz/16bit ?
米国では、今やアナログレコードの売り上げがとっくにCDを追い越しているが(もちろんCDからストリーミングへ、という急速な市場変化が背景にある)、日本もついにソニーが「LPレコードの生産」を再開したり、「カセットテープ」が人気になるなど、アナログオーディオへの根強い人気が衰えないのも、単なる流行や回顧趣味だけではなく、アナログの真の高音質を知る音楽ファンが体験してきた、こうした歴史的な背景があるからだと思う。新技術だ何だのと言ったところで、「サンプル音」ではなく、「基音と倍音が一体となって響く自然な音楽」を聴いてきた人間が持つ聴感を甘く見てはいけないということだろう(もちろん人によるが)。同様に、古い音源をデジタル・リマスターしたり、MQAのように別のデジタル技術で加工して「ハイレゾ」と称している音は、(すべてではないだろうが)きれいだが、どこか音の骨格 (body) が曖昧になり、どうしても人工的な匂いがするので、私のように「20世紀にアナログ録音」されたジャズ音源を中心にした聴き方では、特に恩恵は感じない(DSDなどによる新録音はもちろん別だ)。いずれにしろ、CDの歴史が示しているように、何事も利便性を優先すると、かならず代わりに何か大事なものを失うということなのだろう。とはいえ、一度便利さを体験すると、もう過去には戻れないのも悲しい人間の性だ(最近も、余計な仕事をさせないというポリシーで、ずっと再生時には切っていたMacのWi-Fiを、iPhoneを使ってiTunes Remoteでリモコン操作する便利さに勝てず、ずっとつなぎっぱなしになった)。

しかしアナログオーディオの世界では、努力と工夫次第で、今でも過去の音源の高忠実、高音質再生を個人が楽しめるのである。20世紀の終わり頃からCD音源として大量に作られ、消費者に販売された「44.1kHz/16bit」による音楽データ資産も、個人が今でもそれらをもっと楽しめる技術やノウハウを提供する責任が音楽産業にはあるのではなかろうか、という気がする。供給側の論理(=商売)だけによる、高額なSACDやハイレゾ化商品だけが方法ではないと思う。過去の標準的CD音源データから、個人レベルで素晴らしい音楽を再生しているPCオーディオの達人も世の中には実際いるようだし、私のようにPCの持つ圧倒的利便性という恩恵を享受しつつ、なおかつ、高音質の世界と両立させてみたいと思っている人も多いだろう。とはいえ私は、今さらオーディオ機器に大金をつぎ込む気はない(過去に散々つぎ込んできたので)。あくまで遊びとして、手持ちのジャズCD音源を、PCを通してできるだけリアルに再生するために、リーズナブルなコストと手間で、満足のゆく効果を発揮してくれる機器や再生方法を探し、それらを使いこなして自分の好みの音を出すのが今のオーディオの楽しみ方だ。(続く)