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Mating Call Dameron/Coltrane (1957 Prestige) |
日本語で「ソウルトレーン」 をネット検索すると、ジョン・コルトレーンJohn Coltrane が1958年2月にPrestigeレーベルに録音した初リーダー作のアルバム『Soultrane』がまず出て来る。だが、そのレコードにはここで言う曲・演奏 である "Soultrane" は収録されていない。また1970年代に日本でもTV放送されていた、米国のソウル・ダンス番組『ソウル・トレイン(こちらのスペルは "Soul Train")』とも関係ない。ややこしいが、これはピアニストで作曲家のタッド・ダメロン Tadd Dameron (1917-65) がリーダーのアルバム『Mating Call』(1957 Prestige) 中の1曲で、ダメロンが作曲し、カルテット(+ John Simmons-b, Philie Joe Jones-ds)で1956年にコルトレーンが初演した曲だと知ったのは、かなり後になってからのことだ。
"Soultrane" という曲名は、たぶん"Soul"と"Coltrane" からの合成語だろう(確認していないが)。アルバム『Mating Call』の録音は1956年11月なので、コルトレーンがドラッグ問題でフィリー・ジョーと共にマイルス・バンドをクビになった頃だろうが、いずれにしろ翌1957年7月から「ファイブ・スポット」で、モンクが初リーダーとなったカルテットの一員として誘われ、そこでモンクの下で修行・開眼する前、まだほぼ無名時代のトレーンの演奏だ。1956年と言えば、コルトレーンより一足早くドラッグを克服したソニー・ロリンズが『Saxophone Colossus』(Prestige) をはじめとして一気に何枚もレコーディングし、飛ぶ鳥を落とす勢いで台頭した年で、コルトレーンもロリンズの『Tenor Madness』(1956 Prestige) では一部共演しているが、当時ロリンズには大きく水をあけられていた。だからこの時代の演奏は、堂々としたロリンズに比べると、まだどこかぎこちない部分もあるが、逆にこの "Soultrane" などでは、後の名盤『Ballads』(1961 Impulse!) に通じる、飛躍前のコルトレーンの素朴で美しいバラード演奏が聴ける。
コルトレーンが吹く "Soultrane" を聴くと、半世紀以上前の学生時代、夜明け前の神戸の夜景を思い出す。大学の封鎖で授業もなく、やることもないので、毎晩、空がうっすらと明るくなるまで起きて本を読んだりしながら当時夢中になっていたジャズを聴いていたからだ。擦り切れるまで聴いたそのLPレコードは、ジャズ初心者だった自分で買ったばかりの、日本編集のコルトレーンのオムニバス盤(コンピレーション)で、コルトレーンの50年代の有名曲だけを集めたアルバムだった。"Soultrane" はその中の1曲で、たぶん私が初めて感動した「ジャズ・バラード」 だった。ジャズ・バラードの美しさというものを初めて感覚的に理解し、ジャズ全体への興味を深めるきっかけになった1曲だ。ダメロンの弾くシンプルで美しいピアノのイントロを聴いただけで、今でもじわりと懐かしさが込み上げてくる。続くコルトレーンのきしむような切ないテナーのサウンドも胸に沁みる。コルトレーンのバラード演奏は、いつ聞いても本当に素晴らしい。だから私にとってコルトレーンの吹くこの "Soultrane"こそが 「 ジャズ・バラード」 のデフォルトなのだ。
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Plays Tadd Dameron Barry Harris (1975 Xanadu) |
1970年代半ばには、当時隆盛だったフリー・ジャズやフュージョンへの反動もあって、バップ・リヴァイバルというべき流れが生まれ、多くのベテラン・ジャズ・ミュージシャンたちがビバップ的ジャズを「新譜」で吹き込んでいた。『バリー・ハリス・プレイズ・タッド・ダメロン Barry Harris Plays Tadd Dameron』(1975 Xanadu) もそうしたアルバムの1枚で、多くのバップ曲を作ったダメロンの曲だけを演奏したピアノ・トリオ・アルバムだ(+ Gene Taylor-b、Leroy Williams-ds)。バリー・ハリス (1929-2021) はデトロイトのバド・パウエルと呼ばれていたほど、パウエルの影響を受けていたピアニストで、後進のピアニストたちを長年ニューヨークで指導してきた人としても有名だ。私はバリー・ハリスのファンだったので(本ブログ記事2017年4月「鈍色のピアノ」参照)、そのハリスの弾く "Soultrane"ときたら否も応もなく、当時すぐにこのレコードを入手した(Xanaduの質素なLPジャケットは、まあ置いておくとして…)。相変わらず渋く心に響くハリスのピアノから、ダメロンの美しく印象的なメロディが流れてくるのを聴いているときほど楽しい時間はなかった。このレコードは他にもバップ的名曲が並ぶので、ハリスのピアノが好きな人なら大いに楽しめる。
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Gentle November Kazunori Takeda (1979 Frasco) |
もう1枚は、本ブログの別記事(2018年12月、「男のバラード」)でも紹介した日本のテナーサックス奏者で、早逝した武田和命(かずのり、1939-89)の最初にして最後のリーダー作『ジェントル・ノヴェンバー Gentle November』(1979 Frasco) だ。山下洋輔(p)、国仲勝男(b)、森山威男(ds) とのワンホーン・カルテットで、"Soul Trane"(このレコードでは、このスペルで表記されている)を含むコルトレーンにちなむ4曲と、武田の自作曲4曲からなるバラード集である。60年代には山下洋輔Gで活動し、フリー・ジャズの人と思われていた伝説のサックス奏者、武田和命が復帰し、予想を裏切る優しく穏やかなサウンドで演奏している。国や民族に関わらず人間の抱く感情に差はないと思うが、その「表現」の仕方はそれぞれ異なる。日本人奏者のジャズにおける感情表現も、当然日本的になるものだが、それを普遍的な表現にまで昇華させるのは簡単ではない。コルトレーンにはコルトレーンの美と素晴らしさがあるが、武田の吹く "Soul Trane"には、「日本人の男」にしか表現できない哀切さと抒情が満ちているのだ。カムバックした武田を支える山下トリオの控えめで友情に満ちたバッキングもそうだ。この演奏は、日本男児のバラードを見事に表現した名演である。その武田の死後、1989年に山下Gに加わったサックス奏者が菊地成孔だったというのも、今や有名な話だ。
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Playin' Plain Koichi Hiroki (1996 Biyuya) |
"Soultrane" は、それほどポピュラーなジャズ曲ではないので、他の楽器で演奏したアルバムとして私が所有しているのは、廣木光一のギターソロ『Playin' Plain』(1996 Biyuya)だけだ。ガット(ナイロン弦)ギターによるジャズ・スタンダードのソロ演奏だけのレコードは、他にはジョー・パスしか私は知らない(ラルフ・タウナーが12弦ギターでやっている)。タイトル通り、原曲をシンプルに弾くというコンセプトを基本に、時に前衛的に、時にオーソドックスに、ガットギター一本だけで、ジャズ・スタンダードに挑戦するという姿勢が素晴らしい。さすがに師・高柳昌行の薫陶を受けた人だけのことはある。ここでの "Soultrane" も、シンプルに、スペースたっぷりの余韻を生かした個性的な演奏だ。他に"Everything Happens to Me", "Over the Rainbow", "Ruby, My Dear" などポピュラーなバラード曲も並ぶが、どれもユニークで聞き飽きない。武田和命と同じく、廣木光一のガット・ギター演奏からも、清々しい抒情という日本的な美が強く感じられる。このCDは私の30年来の愛聴盤だが、残念なことに今はもう入手できないようだ。中古CDのみになるが、探してみる価値はある。廣木光一は他にも、渋谷毅(p)との美しいデユオ・アルバムや、ボッサなどラテンの香りの強いユニークなアルバムも発表しているので、ガットギターのサウンドが好きな人は、是非これらの演奏を聴いてみることをお勧めしたい。