『鑓の権三』の原作は、近松門左衛門の世話物・人形浄瑠璃『鑓の権三重帷子(やりのごんざ・かさねかたびら)』(1717年初演)で、これは『心中天網島』より3年早い作品だ。篠田監督としては、岩下志麻と中村吉右衛門を起用した『心中天網島』(1969年表現社/ATG)に次ぐ近松もので、スタッフも富岡多恵子(脚本)、武満徹/琵琶・鶴田錦史(音楽)、粟津潔(美術)と『天網島』と同じで、『天網島』が成島東一郎のモノクロ、『権三』が宮川一夫のカラーという撮影(カメラ)だけが違う。主役「鑓の(笹野)権三」は郷ひろみで、火野正平、田中美佐子に加えて岩下志麻、大滝秀治、河原崎長一郎、加藤治子などそうそうたる俳優が出演している。
『天網島』もそうだが、『権三』も享保時代の実話を元にして、近松が書き下ろした作品。実際の事件は、松江・松平家の茶道役・正井宗味が江戸詰中に、小姓役・池田文次(24歳)が妻のとよ(36歳)と密通し、享保2年(1717年)6月に駆け落ちした。正井が二人を追跡し、7月に大坂高麗橋上で「妻敵討」(めがたきうち:姦通相手の男を殺すことは公認されていた)したというもの。翌8月には、近松の作品を竹本座で初演したというから、デジタル時代も顔負けのものすごいスピード制作と上演だ。
原作は実話に沿い、映画も『天網島』と同様、ほぼ近松の原作に沿って作られている。戦のない開幕後100余年間に、武士の出世競争もすっかり様変わりして、武芸のうち茶道もその有力な要素となっていた。出雲の国・松江藩を舞台に、鑓の名手で、茶道にも通じ、しかも城下の俗謡で唄われるほど美男子で有名だった「笹野権三」を郷ひろみが演じ、出世争いのライバルだった「川側伴之丞」(かわづらばんのじょう)を火野正平が、その妹で、兄に内緒で権三と言い交わしていた「お雪」役を田中美佐子が演じている。権三と伴之丞の茶道の師で、松江藩の茶道の筆頭師範・浅香市之進(津村隆)が藩主と共に江戸詰の留守中であり、藩主の世継ぎ誕生を祝う殿中饗応の席で披露する「真の台子(だいす)」という最高峰の茶の作法を弟子の誰かに努めさせよと指示し、市之進の妻おさゐ(おさい、岩下志麻)を仲立ちに、その役目と秘伝の伝授を巡って郷と火野が争う。一方、女として権三に惹かれていたおさゐは、伴之丞(火野)から何度も色仕掛けで迫られていたが断り続けていた。だが自分の娘を権三がめとれば秘伝も家中のものとして自然に授与できると考えていた。印象に残ったのは、モノクロの『心中天網島』では、ほとんどがスタジオ内での制作で、屋外ロケは最後の道行場面だけだったのに対し、『権三』では、各地のロケ(出雲、松江、萩、彦根、奈良、京都、岩国…)を含めて、絵葉書のような美しいカラー映像と豪華な衣装美がこれでもか、と続くことで、鑑賞上これは文句ない。ロケだけでも大変なコストがかかっただろうが、これはバブル期ならではだろう。また乗馬シーンでの郷ひろみの馬さばきも見事だ。ダンスもそうだが、この人は本当に運動神経がいいのだと思う。ただし美男を強調するために、眉を含めて「化粧」が濃すぎではないか?(火野正平がよけいにウスく見えてしまう)。海岸を馬で走るシーンはおそらく萩の菊ヶ浜で、田中美佐子が先週くらいの「こころ旅山口編」で訪れていたはずだが、番組中では特にコメントはなかった。
当時40代の岩下志麻は容姿、所作、台詞ともに相変わらずの美しさで(監督もそこだけは手抜きがない…どころか一番力が入っている)、夫の留守を守るその岩下志麻に言い寄る火野正平の女好きぶりは、まあお約束かもしれないが、ライバルの権三には嫁がせまいと反対しつつ、自分の妹にまであわや手を出そうとするあぶないシーンがある。あれは台本なのか、アドリブなのか、演技の勢いなのか? あげく、二人の密通(濡れ衣)を城下に言いふらしたために、最後はおさゐの兄(河原崎長一郎)に討たれて、生首(これがよくできている?)になって戻ってくる。火野正平は侍よりも、やはりひとクセある町人とかワル役が似合いそうだが、正平氏自身は『権三』の役どころをどう思っていたのだろうか? 田中美佐子はたまたまこの映画の舞台だった(隠岐の島生まれ)松江が出身だそうで、40年前(20代半ば)は当然若くてきれいだが、郷ひろみとの濡れ場での大胆な演技には驚いた。それと竹中直人がちょい役で出ていたが、いつものギャグがなくて残念だった。
『心中天網島』は、いわば市井の商人と遊女の不義の物語で、ある意味普遍的なテーマなので、義理人情の部分を含めて、まだ現代人にも分からないことはない。だが『鑓の権三』は戦のない日本の武家社会が舞台で、しかも茶道の伝統とその価値がわからないと皆目話の道筋が見えない……2回見てやっとある程度理解したくらいだ。相当の予備知識がないと、話の筋も面白さも分からないだろう。この映画はベルリン国際映画祭で「銀熊賞」を受賞したそうだが、日本人ですらよく分からない、この大昔、封建時代の日本的価値観と倫理(論理)を、本当に西洋人が映画を観て分かるものなのだろうか? おそらく映像から見えて来る侍と日本的情緒、その美が、選考の一番の理由ではないかという気がする。1969年の『心中天網島』は、リアルタイムで観たせいもあって、私は心底感動して何度も観た。ほぼ同じスタッフで制作した17年後の本作と何が違うのか、考えてみたが、やはり時代だろう。1969年の日本は高度成長下とはいえまだ貧しく、全共闘運動をはじめ社会は騒然として緊張感が高かったが、一方で、不確かとはいえ、まだ「未来」に対する希望もあった。戦後生まれの世代が20歳を過ぎ、そのエネルギーが音楽や映画など芸術の世界でも爆発的な勢いで創造的な作品を生んでいた。そうした社会状況の下で、ほぼ全員30代の若いスタッフが、制作資金の制約のために、あえてミニマルな表現を目指した実験的な構成、展開と、モノクロによる映像を駆使した『天網島』からは、若さと熱意と創意、芸術性があふれている。一方、高度成長後の熟れ切った日本のバブル最盛期に、功成り名を遂げたスタッフが、たっぷり金と時間をかけて制作したエンタメ的なこの映画の質と出来は、やはり前作とは比較にならない。『天網島』から17年後の日本は豊かになったが、映画を取り巻く状況も変化していたし、69年の制作者たちが持っていたエネルギー、渇望、表現意欲…そういうものも間違いなく変貌していただろう。
ただし、火野正平と田中美佐子が、この映画の兄妹役を通じて親しくなったことはよく分かった。再スタート後1ヶ月を過ぎた今は、もう完全に田中美佐子の「こころ旅」になっているが、自転車で毎朝出発する時に、空に向かって「行ってきまーす!」と、手を挙げて明るく大声で叫ぶ田中美佐子の「兄」火野正平への挨拶がとてもいい。従来からの撮影スタッフも、やさしく彼女を支えているのがよく分かる。春に続いて「秋の旅」も田中美佐子がやることが決まったようでよかった。火野ー田中と「兄妹バトン」でつないだこの番組が、今後も長く続くことを願っている。(ただし、いくら電動アシストでも、65歳の女性に長い山登りルートはきつすぎる。難しいだろうが、ほどほどにしておかないと、正平氏のように腰を痛めますよ。)