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2026/06/16

《追悼》ソニー・ロリンズ&中牟礼貞則

4月24日の訳書『ソニー・ロリンズ伝』(亜紀書房)の発売からちょうど1ヶ月後、5月25日にソニー・ロリンズ氏(1930年生まれ)が95歳で亡くなった。日本語版伝記の出版後1ヶ月という、あまりのタイミングにびっくりした。まだ生きていたのか…と驚く人もいる一方で、盟友マイルス・デイヴィスの生誕100年の誕生日、5月26日の前日に亡くなるという、まさに最後までスーパースターらしい、人々の記憶に残る逝き方だった。亜紀書房から、その日本語版を原書『Saxophone Colossus』の著者エイダン・レヴィ氏経由でロリンズ氏にも送ってもらったが、亡くなる直前にロリンズ氏本人も、日本で出版されたこの伝記を手にして非常に喜んでいたと著者から連絡があった。高齢のために間に合うか心配していたのだが、なんとか生前に出版できたのだ。同書巻頭に掲載した日本の読者に宛てたメッセージには、日本や友人の思い出と、感謝の言葉と共に、最終の第42章で語られているロリンズ氏が到達した現在の境地と、ジャズ人生最後の思いが込められている。昨秋の、著者によるそのインタビュー実現と併せて、ロリンズ氏本人がこの日本語版伝記を目にしたことで、長かった3年間の翻訳作業の苦労が報われた気がして嬉しかった。だが、ほぼ同時に訃報も届いたわけで、複雑な気持ちでもある。

そして、それからわずか10日後の6月4日に、今度はギタリストの中牟礼貞則さん(1933年生まれ)が93歳で亡くなったという知らせが、中牟礼さんをサポートしてきたフォトグラファーの平口紀生さんからあった。3月に入院されたという話をお聞きしていたが、数ヶ月の入院加療だということだったので、実はあまり深刻に受け止めていなかった。というのは、中牟礼さんはそれまでずっと、一人でギターとアンプを担いで各地でライヴ出演するほど、お元気な様子だったからだ。しかもまだロリンズ氏より2歳も若い(?)のだ。だから、復帰したらまたライヴに行こうと考えていた。腰痛のために、1昨年の国立 "NO TRUNKS" 以来ライヴに出かけられず、多少改善してきた今年こそ、また聴きに出かけたいと思っていたのである。

『中牟礼貞則 / 孤高のジャズ・インプロヴァイザーの長き旅路』(久保木靖、2021、リットーミュージック)で詳細に語られているように、鹿児島での少年時代、手作りギターで演奏を始めた中牟礼さんは、そのギター少年から、近年のまさに「ギター仙人」となるまで、ジャズ・ギターひと筋の人生を送ってきた。同書に同梱されているCDには、1950年代半ばの徳山陽氏のピアノ・コンボに参加しているまだ20代の中牟礼さんのモダンなプレイ、90年代後半に来日したリー・コニッツとのクラブ・デュオ、さらに近年のソロ・ギター…と、中牟礼さんの未発表の貴重な音源が収録されている。この間、中牟礼さんは60年代に盟友高柳昌行氏の前衛グループ、同じく稲葉国光氏との共演、渡辺貞夫グループのボサノヴァ録音などに参加しながら、同時に数多くのスタジオ・セッションもこなし、32枚のリーダー作・共作アルバムを含む参加レコードは約200枚に及ぶ。ジャズ以外の演歌、ポップスなども含めたその多彩なジャンルは、中牟礼さんの音楽的土壌の厚みと豊かさを物語っている。また現在闘病中の渡辺香津美氏をはじめ、師弟関係のあるギタリストも数多く、中牟礼さんは文字通り戦後の日本ジャズ・ギター史を代表するアーティストの一人だった。

私はそもそも、レニー・トリスターノ、リー・コニッツ、ウォーン・マーシュなど、トリスターノ派のジャズに興味があり、長年彼らのレコードを聴いてきた。そこで、初の訳書として『リー・コニッツ/ ジャズ・インプロヴァイザーの軌跡』(Andy Hamilton, 2015、DU BOOKS)を出版したのだが、その流れで、トリスターノを日本で研究していたギタリスト高柳昌行氏のことも知り、レコードを集めたりしていた。ところがこの本『中牟礼貞則』で、その高柳氏と中牟礼さんの若き日のジャズ思想と友人関係も知るところとなり、同世代の渡辺貞夫氏との関係も知り……と、これまで知らなかった日本のジャズ史の細部も徐々に理解するようになった。また同書は、その訳書『リー・コニッツ』をモデルにして、著者と中牟礼さんの「1対1のインタビュー」を中心にした構成で書かれている。それによって、これまでの日本のジャズ本には見られなかった、一人の日本人ジャズ・ミュージシャンの哲学と思想が本人の口から具体的に語られており、同時に中牟礼さんの個人史、その人間性も生き生きと描かれている。本書には、多くのジャズ関係者が「ムレさん」と親しみを込めて呼ぶ中牟礼さんへのリスペクトを語るインタビューも収載されているが、どれも心のこもったコメントであり、中牟礼さんがいかに人格的にも魅力のある人物だったかよく分かる。

同書で、ご本人と多くのミュージシャンによって語られるジャズ思想、個人的エピソードはどれも興味深く、また読んで面白いものだが、私が個人的にいちばん「ウケた」のは、1993年のハワイ公演で皆とはぐれた中牟礼さんが、空港からホテルまで、車しか走っていない荒涼とした火山帯の一本道を、ギターを担いで一人で延々と歩いていた……という歌手・後藤芳子さんの逸話だ。ハワイでもか…と、日本でギターを担いでギグへ向かう飄々とした「ギター仙人」のいつもの姿と、火山島ハワイの背景対比が目に浮かぶようで、つい笑ってしまうのである。そして、私の訳書『リー・コニッツ』が中牟礼さんの愛読書であるということも知って大いに喜んだ。しかし、ジャンルや時代を超えた音楽への関心が弱まることがなく、最近は「ブリジッド・バルドーみたいな名前の、あのピアニストと共演してみたい……」、と語っていた中牟礼さんに、現在私が翻訳中の「ブラッド・メルドー自伝」をお届けできなかったのがとても残念だ。

国立 "NO TRUNKS" にて
June 2024  (photo by 平口紀生)

上記インタビュー本『中牟礼貞則』に感激した私が、書評を本ブログで書いた(2022年5月)ことがきっかけで、平口さんから中牟礼さんのライヴに招待されたが、中牟礼さんの拠点だった横浜 "エアジン" には行けず(腰痛で階段が上れなかった)、ようやく2024年6月に、国立の "NO TRUNKS" で初めて中牟礼さんのソロ・ライヴを聴きに行った(その店はエレベーターで上がれた)。そこで演奏する毅然とした91歳の中牟礼さんの姿に私は感動した。背筋をピンと伸ばして立ったままギターを弾く凛としたその立ち姿は、まさに薩摩隼人かくありなん、というもので、そのときの印象も本ブログに書き留めている(2024年6月)。演奏後もクラブに残って平口さんに写真を撮ってもらい、また親しくお話もさせていただき、ギターへの厳しい姿勢と同時に、その穏やかで誠実な人柄にも触れさせていただいた。91歳のジャズ・ギタリストの手指はいったいどうなっているのか知りたいという単純な理由で(普通は弦を抑える左手の指先が固くなっている)、図々しく中牟礼さんの左手に触れさせていただいたが、その予想外の柔らかさと、温かさを今も鮮明に記憶している。クラブを出て、平口さんの車で帰路に就いた中牟礼さんをお見送りしたが、最後に車の中から「ありがとう!」と言われた大きな声も、今でもはっきりと覚えている。

ソニー・ロリンズ氏と中牟礼貞則氏は、パフォーマンスの完成を目指す情熱を晩年になっても失わず、少なくとも後半生は酒もタバコもやらず、片や「ヨガ」、片や「ランニング」というストイックな習慣を続けて身体を鍛え、健康を維持しながら演奏活動を続けてきた。このブログを始めて10年目になるが、本ブログ "Contact" を通じて『Saxophone Colossus』の翻訳を依頼してきた著者エイダン・レヴィ氏とソニー・ロリンズ氏とのつながりも、私の書いた書評が縁になった平口さん、中牟礼さんご本人とのつながりも、このブログが媒介したものだ。何度か、もう書くのはやめようかと思ったこともあったが、今は予想もしなかったそうしたつながりが生まれただけで、10年間、ど素人ジャズファンの駄文を書き続けてきた甲斐があったとつくづく思う。ミュージシャンでもないただのジャズ好きが、この二人のジャズ・レジェンドの最晩年に書物が縁となって触れ合う、という奇跡のような機会が生まれたことに感謝したい。やはり「ジャズの神さま」はいたのである。

お二人のご冥福をお祈りします。