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2018/01/10

藤圭子「みだれ髪」の謎

天才的な音楽アーティストというのは、常人には理解不能な面があるものだが、当然ながら本人に尋ねたところでそのわけが明らかになることはない。特に、普通に会話していると、まったく常人と変わらないごく普通の人なのに、いざ演奏なり、歌うことなり、その人が自分の「演技(performance)」を始めた途端に、神が降臨したとしか思えないような音楽が突然流れ出して唖然とするアーティストがいる。ジャズの世界にもそうした歌手や奏者がいるし、クラシックでも、昔、五嶋みどりのヴァイオリンを初めて生で聴いたときに、その種の驚きを感じたのを思い出す。音楽には人の心に直接的に働きかける不思議な力があるが、そうした特別な感動は、実はいわゆる「芸の力」とか「プロの技」というべき高度な技量によって生まれるものなのか、あるいは、それ以外の特別な「何か」が演奏中のアーティストを動かしているからなのか、素人には判然としない。最近いちばん驚いたのは、今から多分20年ほど前、1990年代半ばと思われる、あるテレビの歌番組に出演した藤圭子の唄う「みだれ髪」をネット動画で聴いたときのことだ。

藤圭子* 追悼:みだれ髪
YouTube 動画より
年末の船村徹の追悼番組で、東京ドームの『不死鳥コンサート』(1988年)で美空ひばりが唄う「みだれ髪」(星野哲郎・作詞、船村徹・作曲)を聴いて改めて感動したのだが、他の歌手も同曲をカバーしているのがわかったので、YouTubeであれこれ比べて聞いていたときに見つけた動画だった。『藤圭子 追悼:みだれ髪』と題されたこの動画がアップされたのは、藤圭子が自殺した1年後の2014年8月で、既に3年以上経ち、視聴回数は150万回を越えているので、私はずいぶん遅ればせながら見たわけだが、それだけ多くの人がこの動画を見ていることになる(おそらく、その素晴らしさから何度も繰り返し見ている人が多いと思う)。藤はこの曲をカバーとして正式に録音していないので、どのCDにも収録されておらず、聴けるのはテレビ番組をおそらくプライベート録画したこのネット動画だけである。調べたが、当時は宇多田ヒカルのプロデュース活動をしていた時期だったと思われ、90年代の後半は結構テレビに出演していたようだが、コンサートなどで藤自身が頻繁に唄っていた形跡もないようだ。同時期ではないかと思われるテレビ録画をアップした別のいくつかの動画では、他の曲を明るく唄ったり、屈託なく喋る普段の藤圭子の姿が映っているが、「みだれ髪」は唄っていない。したがって記録された藤圭子の唄う「みだれ髪」は、どなたかが投稿した、このときの貴重なテレビ録画映像だけなのだろう(確証はないが)。

番組の構成がそういう前提だったのかもしれないが、まず驚いたのは、この番組で藤が美空ひばりの曲を選んでいることだった。昔のカバー・バージョンが入った藤のCDを調べたが、美空ひばりの曲は見つからなかったので、それだけで珍しい。これも番組の設定なのだろうが、司会者など周囲に聴衆が座っている中、普段着のようなカジュアルな服装をして登場した多分40代半ばくらいの藤圭子は、カラオケのように右手でマイクを握り、イントロの最初の部分では特に変わったところはないが、中頃から、昔の藤ではたぶん見られなかっただろう、和装のときのような左手の「振り」を入れ始め、それが意外な印象を与える(この曲の世界に入ってゆくための儀式のようなものなのだろう)。そして「みだれ髪」の歌に入った途端、カジュアルな藤圭子はどこかに消え去り、あの懐かしい、哀愁を帯びた独特の声と節回しで、完全に「藤圭子のみだれ髪」を唄い出したのだ。聴いた瞬間に思わず引き込まれてしまうその歌唱は衝撃的だった。この曲は美空ひばりの歌のイメージしかなかったので、あまりの歌の世界の違いに唖然としたのである。

哀しい女の心情を切々と謳い上げる美空ひばりは、星野・船村コンビの世界をある意味忠実に、古風に、美しく表現しているのだと思う。それに対して、べたつかない乾いた抒情を感じさせながら、しかし心の底の寂寥と哀切を絞り出すように唄う藤圭子は、まったく別の、救いのないほど哀しい世界を瞬時に構築して、聴き手の心の真奥部を揺さぶるのである。同じ歌詞とメロディで、ここまで別の世界が描けるものかと驚くしかなかった。誰しもが言葉を失うほどのこの歌唱は、まさに「降臨」としか言いようのない、突き抜けた別の歌世界である。1番を唄い終えたとき、じっと静まり返っていたスタジオ中に一気に広がった何とも言えないどよめきと拍手が、いかにその歌が素晴らしかったのかを物語っている。そして、3番を唄い終えると(2番は飛ばしている)、藤圭子は何事もなかったかのように、いや、まるでカラオケで自分の唄う順番を終えた素人のように、にっこりして、照れたように飄々と自分の席に戻ってゆくのだ。私は彼女のこの一連の動作と、唄ったばかりの歌の世界とのギャップに呆然として、その謎を少しでも理解しようと、何度も何度も繰り返しこの動画を見ないわけにはいかなかった。「巫女」とか「憑依」とかいう言葉を、どうしても思い起こさざるを得なかった。

いったい藤圭子の「みだれ髪」にはどういう秘密があるのだろうか? なぜあれだけの歌が唄えるのだろうか? 私はジャズ好きで、美空ひばりや藤圭子の特別なファンというわけでもなかったので、えらそうなことは言えないが、ジャンルに関係なく、少なくともこの二人が歌い手として別格の存在であることはわかる。美空ひばりの没後、様々な歌手が同曲に挑戦しているのをネット動画で聴いた限り、当然のことだろうが美空ひばりに比肩するような歌はなかった。しかしこの当時、歌手活動は既にほとんど休業状態だったと思われる藤圭子がいきなりテレビに出演して、自分の持ち歌でもない、あの美空ひばりの名曲にして難曲に挑戦し、本人に勝るとも劣らない歌唱で平然と自分の歌のように唄ってしまうのである。美空ひばりのためにこの曲を書いたと言われている作曲者・船村徹が、もし藤のこの歌を聴いていたら、どんな感想を持ったのか知りたいと思って調べてみたが、この歌唱についての船村のコメントはネット上では見当たらなかった。そしてその船村徹も昨年亡くなってしまった。

流星ひとつ(文庫版)
沢木耕太郎
(2013/2016 新潮社)
あまりに不思議だったこともあって、沢木耕太郎が書いた『流星ひとつ』(新潮文庫)を、こちらも遅まきながら読んでみた。これは1979年、当時まだ31歳の沢木が、引退宣言後の藤圭子(28歳)とのインタビューを元に書き起こしたもので、諸事情から30年以上未発表だったが、彼女が自殺した直後の201310月に出版した本だ。私が翻訳した『リー・コニッツ』も含めて海外の音楽書籍ではよくある形式だが、日本では今でも珍しい、全編アーティストと著者による一対一の対話だけで構成されたこの本は、売ることだけを目的に書かれた芸能人の商業的なインタビュー本ではなく、一人のアーティストの内面と思想に真摯に迫る、当時としてはきわめて斬新なノンフィクションである。この形式の成否は、アーティスト本人の魅力以上に、聞き手側の人格と感性、さらに作家としての力量にかかっているが、若き沢木は見事に成功していると思う。そして、すべてとは言えないが、少なくとも私が抱いた彼女の歌の謎の一部はこの本で氷解した。

本の前半、少女時代から歌手になるまでの記憶のかなりの部分が、ある意味「飛んで」いて、その当時についていろいろ質問しても、藤は「覚えていない」を繰り返し、沢木を呆れさせている。歌についても「何も考えずに無心で歌っていた」と何度も言い、あの無表情なデビュー当時の藤圭子のままだ。ところが後半に入り、酒の勢いもあって徐々に打ち解けて来ると、「別に」、「記憶にない」とそっけない回答が多かった前半の藤の体温が上昇して行くかのように本音を語り始め、彼女の人生や人格に加え、歌手としての信条が次第に浮かび上がって来る。特に、歌の「心」について自らの信念を語る部分は圧巻だ。そして「面影平野」を例に、自分の「心」に響く(藤は「引っ掛かる」という言い方をしている)歌詞についてのこだわりもはっきり語っている。演歌に限らず、プロ歌手はみな歌の「心」を唄うとよく口にするが、実際に歌の表現としてそれを聴き手に伝えられるほど高度な技量を持つ人は一握りだろう。藤圭子はまさにその稀有な「表現者」の一人だったのだということを、これらの発言から改めて理解した。その生き方と同じく、曲そのもの(歌詞とメロディ)、歌手として唄うことに対するこだわりと純粋さ、ストイックさには感動を覚えるほどで、単に天才という一語ではくくれないものがあることもわかる(これはセロニアス・モンクをはじめ、どの分野の天才的音楽家にも共通の資質だろう)。

そして、インタビューの前半では言い渋っていた少女時代の家庭生活、特に父親に関する凄絶な体験と記憶、よく見る夢の話などを読んでいるうちに、逃げ出したいと思い続けていた過去、封印したいと思っていた原体験が、無表情で「何も覚えていない(=忘れたい)」藤圭子の表層を形成し、同時にあの底知れないような寂寥感を深層で生み出していたのだと思うに至った。少女時代の彼女は、よく言われる「151617と…」という、デビュー当時の月並みなイメージとは比べ物にならないほどの体験をしていたのだ。70年代前半の何曲かにみる圧倒的で、凄みのある歌唱は、いわば表現者として第一級の「プロの芸」と、人には言えない彼女の深層にある「原体験」が、「自分が共感する曲」の内部で接触し、化学反応を起こした瞬間に形となって現れるものだったのだろう。だから、どんな曲でもそれが起きたわけではないし、積み上げたプロの芸は維持できても、ショービジネスで生きるうちに、深層にあった原体験の記憶が時間と共に相対的に薄れ、与えられた曲の世界が変化してゆくにつれて、そうした反応が起こる確率も減って行ったと思う。79年の引退の引き金になったと藤自身が語る74年の喉の手術による声質の変化は、そのことを加速した要因の一つに過ぎないようにも思える。

それから約15年後にこの「みだれ髪」を唄ったときの藤圭子は、プロの芸にまだ衰えはなく、おそらく唯一崇拝していた歌手、亡き美空ひばりへのオマージュという特別な感情を心中に抱いていたのと同時に、星野・船村コンビによるこの曲そのものに、歌手として心の底から共感を覚えていたのだと思う。だから藤にとっては単なるカバー曲ではなく、純粋に「自分の歌」として唄った入魂の1曲だったのだと思う。ただし、少女時代からスターだった美空ひばりの唄う「哀しさ」と、藤圭子の唄う「哀しさ」は、やはり質が違うのである。若い時代、1970年代前半の藤圭子の歌も素晴らしいが、一時引退後の約15年間、別の人生(体験)を生きてきた40代の藤圭子が唄う、ただ一人、美空ひばりと拮抗するこの「みだれ髪」こそ、おそらく歌手としての彼女の最高傑作であり、たった数分間の画も音も粗いネット動画にしか残されていない、文字通り幻の名唱となるだろう。そして何より、この動画の中の藤圭子は、歌だけでなく仕草、表情ともに実に美しく、可憐ですらあり、その映像と歌が一体となったこの動画は、何度も繰り返し見たくなり、我々の記憶に残らざるを得ない「魔力」のようなものを放っている。150万回を越える視聴回数と数多くの賛辞は、それを物語っているのだと思う。 

この歌からまた15年以上が過ぎた後、藤圭子は自ら命を絶ってしまった。藤圭子とおそらく同等以上の才能を持ち、同じような人生を歩んでいるかに見える宇多田ヒカルの歌と声からは、母親と同種の哀切さがいつも懐かしく聞こえて来るので、今となってはその同時代の歌声だけが慰めだ。今年もまた年末、正月といつも通り時は過ぎて行ったが、そうして暮らしているうちに、天才歌手・藤圭子は遥か彼方へとさらに遠ざかって行くのだろう。