ページ

2020/05/15

タイムトラベル


TBS『JIN-仁-』の再放送特番をやっていたので久々に全編通して観たが、やはり名作だ。現代から幕末の江戸時代にタイムスリップした主人公の脳外科医、南方仁(みなかた・じん)が、手術や医薬の開発によって、コレラや他の感染症、災害、事故から当時の人々を救うという、荒唐無稽だが、救命医療とヒューマニズムを軸にした壮大な歴史ファンタジーだ。原作漫画(村上もとか)とは設定や結末が多少違うようだが、テレビドラマとして脚本(森下佳子)、演出、俳優陣、映像、音楽どれをとってもやはり非常によくできている。内野聖陽が演じる坂本龍馬を筆頭に、登場する歴史上の人物の造形も新鮮で、大沢たかお、綾瀬はるか、中谷美紀他の主役のみなさん全員が、真情あふれる魅力的な演技をしている。ノスタルジーをそそる音楽と共に、タイトルバックで交錯する懐かしい東京と江戸の写真もいい(ただし、外科ものだから仕方ないが、毎回あるリアルな手術シーンだけは苦手だ)。

ところで、南方仁は階段や崖から転げ落ちてタイムスリップするが、「階段や高いところから落ちるとタイムスリップする」、というモチーフのルーツはどこ(小説や映画)なのかと、(ヒマなので)いろいろ調べてみたが、はっきりとは分からなかった(『JIN-仁-』が最初なのか?)。「階段落ち」で有名なのは、先月亡くなった大林宣彦監督の『転校生』(1982) だが、これはタイムスリップではなく男女の入れ替わりだ。実をいうと、粗忽ものだった私は小学校低学年の頃に、学校の薄暗く、かなり急で長い階段から、横向きとかではなく、文字通り「前方に転げ落ちた」ことがあるのだ。当時は木造校舎だったのと、子供で身体が柔らかかったせいもあってか、奇跡的に大けがもせずに済んだが(とはいえ、着地場所は給食室前の、木製渡り廊下が敷いてあるコンクリートの廊下だった)、ゴロンゴロンと前方に何回転かしている間の、ぐるぐると世界が回転し、目の回るようなあの感覚は今でもはっきりと覚えている。たぶん時空を超える瞬間とは、ああいう感覚なのかもと、(私と同じように転げ落ちた経験のある) 誰かが最初にこのモチーフを思いついたのかもしれない。

ある日どこかで
1980
まったくの偶然だが、『JIN-仁-』再放送の1週間ほど前に、いくつか録画しておいた映画でも見ようと、その中から『ある日どこかで (Somewhere in Time)』という1980年に公開されたアメリカ映画を選んだ(ちなみに、タイトルの邦訳は「ある日」ではなく、「いつかどこかで」の方が語句と内容に近いだろう)。リゾートホテルで時空を超えて恋人と再会する、という古典的タイムトラベル・ファンタジーで、たまたま久々に観ようかと思い立って選んだ映画だ。懐かしさもあって、この映画は時々観たくなるのである。なぜかというと、今から約40年前、合弁企業勤務時代の1981年に、私はこの映画の舞台である「グランドホテル (Grand Hotel)」へ行ったことがあるからだ。つまりアメリカでこの映画が公開された翌年ということになる。初の米国出張時で、ミシガン州にあったアメリカの親会社の人たちが、休日ドライブに連れて行ってくれたのが五大湖の一つヒューロン湖のマキノー島 (Mackinac Island)で、 その島にこのホテルがあったのだ(泊まったわけではない)。テレビで初めてこの映画を観たのは、たぶん1990年代になってからだったと思う。グランドホテルのことはまったく知らずにたまたまこの映画を見ていたら、(文字通り)ある日どこかで見たことのあるような建物と風景が出て来たので、そのまましばらく画面を見ていたら、それがマキノー島のグランドホテルだと分かってびっくりしたのである。

カナダとの国境に近いミシガン州の北端(正確にはLower半島の北端)、ミシガン湖(西)とヒューロン湖(東)の海峡にある港町マキノーシティ (Mackinaw City;デトロイトからの距離は約420km) から、ヒューロン湖側をフェリーで30分くらい(?)行ったマキノー島の丘の上に、1887年に開業したグランドホテルは今もある。緯度が高く冬場は湖が全面凍結するため、ホテルなどの施設はすべて閉鎖されるので、夏場中心のリゾート地だ。あの当時この島を訪れた日本人は、きっとまだ珍しかったのではないかと思うが、何せ湖の巨大さと、ヴィクトリア調の白く大きなホテルの豪華さと美しさに、心底びっくりしたのをよく覚えている。島内では、クルマもバイクも、エンジンを搭載した車輛は一切禁止されていて、移動手段は馬車か自転車か徒歩だけという、本当に19世紀にタイムスリップしたかと思うような場所だった(これは現在もそうだ。映画では、シカゴに住む主人公が仕事のストレスからドライブ旅行に出かけ、ふらりと立ち寄る設定になっているので、ホテル前に普通にクルマで到着するシーンが出てくるが、これは撮影用として特別に許可された車だそうだ)。

グランドホテル
Mackinac Island, MI
この映画の原作は、1975年の幻想小説『Bid Time Return』(時よ戻れ;シェイクスピア 『Richard II』からの引用) であり、書いたのはリチャード・マシスン Richard  Matheson (1926-2013) というモダンホラーの作家・脚本家だ。あのスピルバーグのデビュー作かつ傑作であるTV映画『激突 (Duel)』の原作、脚本もマシスンで、映画『ヘルハウス』や、『トワイライトゾーン』のようなTVドラマも書いている人らしい。小説の映画版である『ある日どこかで』も、マシスン本人による脚本である。原作のホテルはカリフォルニア州の設定だが、映画ではそれを(ミシガン州の)グランドホテルに変えたわけだ。映画『ある日どこかで』は予算も絞られ、1980年の公開時は日米ともにパッとしない興行成績だったらしいが、その後ケーブルTVやビデオを通じてじわじわとファンが増え、今やカルト的人気のあるタイムトラベル映画になっていて、毎年10月には、今もグランドホテルでファンの集いが開催されているほどだそうだ。

その方面に詳しくはないが、タイムスリップやタイムトラベルといえば自由な発想ができるSF小説が中心で、内容も未来社会とか、思い切り過去に飛ぶ活劇系作品が多いように思う。映像化もその方が分かりやすいし、古くは『ターミネーター』とか『バック・トゥー・ザ・フューチャー』といった傑作映画がいちばん有名だろうが、公開は1984年、1985年だ。『ある日どこかで』はそれより5年も前の作品で、しかも内容が恋愛ものであるところが違う。だから、今や小説、コミック、ドラマ、映画などで数多く描かれている時空を超えるラヴ・ファンタジー作品の元祖というべき映画であり、大林宣彦監督も『時をかける少女』(1983 /筒井康隆の原作小説は1967年出版)の制作にあたって、この映画を参考にしたそうだ。大林監督は他にも『さびしんぼう』(1985) や『異人たちとの夏』(1988) など、実在しないが、心の中にある、はかなく懐かしい存在をイメージ化する映画を制作しているが、『ある日どこかで』もSFというより、どちらかと言えば昔のアメリカのTV番組『ミステリーゾーン』や『トワイライトゾーン』的な「不思議な物語」という味付けの映画だ。『JIN-仁-』にも、この映画の影響、もしくはオマージュと思われるモチーフが多い。南方仁と咲、野風、未来(みき)を巡る、会いたくても会えない、時空を超えた切ない恋愛感情がそうだし、主人公が手にする「コイン(硬貨)」が、過去と現在が交差する入口を象徴している設定もたぶんそうだろう。

女優エリーズ・マッケナ
(ジェーン・シーモア)
『ある日どこかで』で主人公の若い脚本家を演じるのは、あの「スーパーマン」役のクリストファー・リーヴ Christopher Reeve (1952-2004) である。ジュリアード音楽院出身で、いかにもアメリカンなこの人は、落馬事故が原因で早逝してしまったらしい。主人公が一目で魅了される、ホテルの資料室の肖像写真に写っているのが、タイムトラベルで邂逅する女優エリーズ・マッケナで、007のボンドガールの一人だったジェーン・シーモア Jane Seymour (1951-) が演じている(彼女のモナ・リザ的で、どこかノスタルジーを刺激する謎めいた写真は実に美しく、確かに一度見たら忘れられない)。大昔ではなく、1980年から1912年という近過去(68年前)に主人公がタイムスリップするのがこの映画の特徴で、またタイムスリップはタイムマシンのような機械や、階段落ちとかの事故や偶然ではなく、戻りたい過去の事物だけに囲まれた場所を選び、その時代の衣服等を身に付け、その上で自己催眠をかけて実行するという、主人公の学生時代の恩師から伝授された方法だ。『JIN-仁-』がそうであるように、この種のファンタジー映画は音楽も大事で、007で有名なジョン・バリーが自作曲とラフマニノフのピアノ曲を組み合わせて、映画のストーリーによくマッチした音楽を制作している。『ある日どこかで』は、近年のタイムトラベル作品に比べてストーリーがシンプルで、時代を反映して、エンディングもどこかやさしい余韻を残して終わるところがいい。私にとって懐かしい風景が出てくる画面をじっと見ていると、何だか自分も40年前にタイムスリップしたような気がしてくる不思議な映画である。

ところで私は、日本中が浮かれていたバブル時代に、会社のパーティ向けに組んだ即席バンド(サイドギター担当)で、サディスティック・ミカ・バンドの<タイムマシンにおねがい>(1974) を演奏したことがある。ミカ・バンドはその後、89年に桐島かれん、2006年に木村カエラを擁して同曲を再・再々カバーしていたが(名曲なので)、実は私も2010年代の同パーティで、いい歳をして再結成バンドでもう一度この曲を演奏している。「階段落ち」実体験といい、『ある日どこかで』の偶然といい、<タイムマシンにおねがい>との縁といい、こうして並べてみると、どうも自分にはタイムトラベルをする素質(?)があるような気がしてくる(朝が弱い私は、むしろ「タイムトラブル」の方が多かったが……)。しかしよく考えてみると、昔ながらのジャズファンというのは、ある意味でタイムトラベルを日常的に楽しんでいるようなものかもしれない。私の場合、ふだん聴いているジャズ音源の7割くらいは1950年代から60年代前半のものだし、しかもライヴ録音のアルバムを聴くことも多い。優れたライヴ録音のアルバムを、良いオーディオ装置で再生すると、時として実際にジャズクラブの中にいるのでは、と錯覚するほどの臨場感が得られることがある。だから、60-70年くらい前の全盛期のジャズの演奏現場にタイムスリップしたような感覚が味わえるジャズレコードは、いわば「即席タイムマシン」のような機能を果たしているのかもしれない。ジャズレコードには、どこか他の音楽ジャンルの音源とは違う不思議な魅力があると思っていたが、どうやらこれも理由の一つのようだ。

「Five Spot」前の
モンクとニカとベントレー
とはいえ、本物のタイムトラベルもできれば死ぬ前に一度経験してみたいものだが、もしそれが可能なら……行きたいところは決まっている。時は1957年、場所はニューヨーク、ヴィレッジの「Five Spot Cafe」だ。もちろん、ヤク中のためにマイルス・バンドをクビになったジョン・コルトレーンを雇ったセロニアス・モンクが、自身初のレギュラー・カルテットを率いて登場し、コルトレーンが次なる飛躍に向かって徐々に成長してゆく過程を捉えた演奏を聴くためだ(4ヶ月にわたるこの伝説のライヴ演奏は、録音記録が残されていない)。タバコとアルコールの匂いが立ち込める1950年代ニューヨークのジャズクラブで、客席の著名な芸術家やミュージシャンたちに混じって、できればニカ夫人のテーブル近くに座って、モンクたちの演奏を朝まで聴いていたい……