ページ

2022/08/20

夏のジャズ(2)

夏場にはラテン系など、音数の多い賑やかな音楽を楽しむという人もいるだろうが、私の場合、基本的には音数があまり多くない、空間を生かした、文字通り風通しの良い音楽に「涼しさ」を感じる。夏に聴きたくなるジャズというと、前記事のように、どうしてもギター中心のサウンドになるが、ホーンも、ピアノも、ヴォーカルも、それぞれやはり夏向きの演奏はあるし、またそういう奏者もいる。

In Tune
(1973 MPS)

「山本潤子」の記事で書いたが、80年代はじめに「ハイ・ファイ・セット Hi-Fi Set」が出したジャズ寄りのレコードを集中して聴いていたところ、夏場に聴く「ジャズ・コーラス」も、なかなか気持ちがいいものだと改めて感じた。そこで(ご無沙汰していたが)昔ずいぶん聴いた、オスカー・ピーターソン Oscar Peterson (1925-2007) が自身のトリオ名義でプロデュースした男女4人組(女声1人)コーラス・グループ 、"シンガーズ・アンリミッティド The Singers Unlimited" の『In Tune』(1973) を久々に聴いてみた。"The Singers Unlimited" は、70年代に『A Capella』他の美しいコーラスアルバムを数多くリリースしているが、1971年に録音されたメジャー・デビューとも言える本アルバムでも非常に気持ちの良いコーラスを聞かせている。ピーターソンのピアノは個人的にはあまり趣味ではないが、このアルバムではピアノトリオがコーラスの背後で控え目な演奏に徹していて、かつMPSらしいソリッドな音質もあって、どのトラックも楽しめる。特に好きだったLPのB面1曲目「The Shadow of Your Smile」の冒頭のアカペラのコーラスハーモニーは、夏場に聴くとやはり気持ちが良い(CDでは6曲目)。

 In Harvard Square
 (1955 Storyville)
ホーン楽器だと、夏場はやはり涼しげなアルトサックス系がいい。そこで文字通り「クールな」リー・コニッツ Lee Konitz (1927-2020) を聴くことが多い。どちらかと言えば、あからさまな情感 (emotion) の発露が低めで、抽象度が高いコニッツの音楽は、聴いていて暑苦しさがないので基本的に何を聴いても夏向き(?)だ。だが私の場合、トリスターノ時代初期のハードなインプロ・アルバムはテンションが高すぎて、あまり夏場に聴こうという気にならない。頭がすっきりする秋から冬あたりに、集中して真剣に音のラインを辿るように聴くと、何度聴いてもある種のカタルシスを感じられる類の音楽だからだ。だから夏場に聴くには、1950年代半ばになって、人間的にも丸みが出て(?)からStoryvilleに吹き込んだワン・ホーン・カルテットの3部作(『Jazz at Storyville』『Konitz』『In Harvard Square』)あたり、あるいは50年代末になってVerveに何枚か吹き込んだ、ジム・ホールやビル・エヴァンスも参加した比較的肩の力を抜いたアルバム(『Meets Jimmy Guiffree』『You and Lee』)とかが、リラックスできていい。ここに挙げた『In Harvard Square』は、Ronnie Ball(p), Peter Ind(b), Jeff Morton(ds) というカルテットによる演奏。Storyville盤は3枚ともクールネスとバップ的要素のバランスがいいが、このアルバムを聴く機会が多いのは、全体に漂うゆったりしたレトロな雰囲気と、私の好きなビリー・ホリデイの愛唱曲を3曲も(She's Funny That Way, Foolin' Myself, My Old Flame)、コニッツが取り上げているからだ(コニッツもホリデイの大ファンだった)。

Cross Section Saxes
(1958 Decca)
リー・コニッツのサウンドに近いクールなサックス奏者というと、ほとんど知られていないが、ハル・マキュージック Hal McKusick (1924-2012) という人がいる(人名発音はややこしいが、昔ながらの表記 "マクシック" ではなく、マキュージックが近い)。上記リー・コニッツのVerve盤や、『Jazz Workshop』(1957) をはじめとするジョージ・ラッセルの3作品に参加していることからも分かるように、そのサウンドはモダンでクールである。本作『Cross Section Saxes』(1958 ) の他、何枚かリーダー作を残していて、いずれも決して有名盤ではないが私はどれも好きで愛聴してきた。押しつけがましさがなく、空間を静かに満たす知的なサウンドが夏場にはぴったりだ。1950年代後期、フリージャズ誕生直前のモダン・ジャズの完成度は本当に素晴らしく(だからこそ ”フリー” が生まれたとも言える)、黒人主導のファンキーなジャズと、主に白人ジャズ・ミュージシャンが挑戦していた、こうしたモダンでクールなジャズが同時に存在していた――という、まさにジャズ史の頂点というべき時代だった。本作もアレンジはジョージ・ラッセルや、ジミー・ジュフリーなど4名が担当し、マキュージック(as, bc他) 、アート・ファーマー(tp)、ビル・エヴァンス(p)、バリー・ガルブレイス(g)、ポール・チェンバース(b)、コニー・ケイ(ds)他――といった多彩なメンバーが集まって、6人/7人編成で新たなジャズ創造に挑戦する実験室(workshop)というコンセプトで作られた作品だ。このアルバムの価値を高めているのも、デビュー間もないビル・エヴァンスで、ここで聴けるのはマイルス・デイヴィスの『Kind of Blue』(1959) 参加前夜のエヴァンスのサウンドだ。その斬新なピアノが、どのトラックでもモダンなホーン・サウンドのアクセントになっている。

Pyramid
(1961 Atlantic)
夏場に、ギターと並んでもっとも涼しさを感じさせるのがヴィブラフォン(ヴァイブ)のサウンドだ。モダン・ジャズのヴァイブと言えば、第一人者はもちろんMJQのミルト・ジャクソン Milt Jackson (1923-99) である。MJQと単独リーダー作以外も含めると、ジャクソンが参加した名盤は数えきれない。何せヴァイブという楽器は他に演奏できる人間が限られていたので、必然的にあちこち客演する機会が多くなって、特に大物ミュージシャンのアルバムへ参加すると、それがみな名盤になってしまうからだ。1940年代後半から50年代初めにかけてのパーカー、ガレスピー、モンク等との共演後、1951年にガレスピー・バンドの中から "ミルト・ジャクソン・カルテット(MJQ)" を立ち上げるが、翌52年頃からピアニスト、ジョン・ルイス John Lewis (1920-2001) をリーダーとする "モダン・ジャズ・カルテット(こちらもMJQ)" (パーシー・ヒース-b, ケニー・クラーク後にコニー・ケイ-ds) へと移行した。よく知られているように、MJQはジャズとクラシックを高いレベルで融合させ、4人の奏者が独立して常に対等の立場で演奏しながら、ユニットとして「一つのサウンド」を生み出すことを目指したグループで、ルイスの典雅なピアノと、ジャクソンのブルージーなヴィブラフォンがその室内楽的ジャズ・サウンドの要だった。その後70年代の一時的活動中断を経て、1997年までMJQは存続し、ジャクソンはその間ずっと在籍した。MJQの名盤は数多いが、モダン・ジャズ全盛期1959/60に録音された『Pyramid』は、比較的目立たないが、彼らのサウンドが絶妙にブレンドされた、クールで最高レベルのMJQの演奏が味わえる名盤だ。

Affinity
(1978 Warner Bros)
ピアノはそもそもの音がクールなので、夏向きの音楽と言えるが、やはり「涼し気な」演奏をする奏者と、そうでないホットな人はいる。ビル・エヴァンス Bill Evans (1931- 80) はもちろん前者だが、上で述べたコニッツの場合と同じく、夏場はリラクゼーションが大事なので、エヴァンス特有の緊張感のあるピアノ・トリオよりも、ハーモニカ奏者トゥーツ・シールマンToots Thielemans (1922-2016) 他との共演盤『Affinity』あたりが、いちばん夏向きだろう(マーク・ジョンソン-b、エリオット・ジグモンド-dsというトリオに、ラリー・シュナイダー-ts,ss,flも参加)。これは1980年に亡くなったビル・エヴァンス最晩年の頃の演奏で、若い時代の鋭く内省的な演奏というよりも、どこか吹っ切れたような伸び伸びした演奏に変貌していた時期で、本作からもそれを感じる。ベルギー生まれのシールマンは、1950年代はじめに米国へ移住後、数多くのジャズやポピュラー音楽家と共演してきたハーモニカの第一人者。夏場、特に夕方頃に聴くハーモニカの哀愁を帯びたサウンドは清々しく、とりわけ「Blue in Green」などは心に染み入る。

The Cure
(1990 ECM)
キース・ジャレット Keith Jarret (1945-) の健康状態に関するニュースが聞こえてくると、ジャズファンとしては悲しいかぎりだ。ついこの間もバリー・ハリス(p) の訃報を聞いたばかりで、20世紀のジャズレジェンドたちが一人ずつ消えてゆくのは、本当にさびしい。ピアノを弾くのが困難でも、キースには、せめて長生きしてもらいたいと思う。そういうキースのアルバムは、すべてが「クール」と言っていいが、演奏の底に、何というか、ジャズ的というのとはまた別種の「情感」が常に流れているところに独自の魅力があるピアニストだと個人的には思っている。80年代以降の「スタンダード・トリオ」(ゲイリー・ピーコック-b, ジャック・デジョネット-ds) 時代のレコードは、ほぼ全部聴いていると思うが、私の場合ここ10年ほどいちばんよく聴くのは、トリオも熟成した後期になってからのレコード『Tribute』(1989) や、ここに挙げた『The Cure』(1990) だ。モンク作の「Bemsha Swing」(実際はデンジル・ベスト-ds との共作)や、自作曲「The Cure」、エリントンの「Things Ain't…」など、ユニークな選曲のアルバムだが、なかでもバラード曲「Blame It on My Youth」(若気の至り)の、ケレン味のないストレートな唄わせぶりが最高に素晴らしくて何度聴いたか分からない。この後ブラッド・メルドーや、カーステン・ダールといったピアニストたちが、この曲を取り上げるようになったのは(キース自身、その後のソロ・アルバム『The Melody at Night, with You』(1999) でも再演している)、ナット・キング・コール他の歌唱でも知られるこの古く甘いスタンダード曲を、クールで美しい見事なジャズ・バラードに昇華させたキースの名演に触発されたからだろう。ニューヨーク・タウンホールでのライヴで、相変わらず響きの美しい、気持ちの良い録音がトリオの演奏を引き立てている。

Mostly Ballads
(1984 New World)
もう一人は、まだ現役だが、やはり白人ピアニストのスティーヴ・キューン Steve Kuhn (1938-) だろうか。若い頃は耽美的、幻想的と称されていたキューンのピアノだが、私的印象では、どれも凛々しく知的な香りがするのが特徴で、一聴エモーショナルな演奏をしていても、その底に常にクールな視座があり、ホットに燃え上がるということがない。しかしその透徹したサウンドはいつ聴いても美しく、またクールだ。初期のトリオ演奏『Three Waves』(1966) や、ECM時代のアルバムはどれも斬新でかつ美しい。本作『Mostly Ballads』(1984) は私の長年の愛聴盤で(オーディオ・チェックにも使ってきた)、ソロとベース(ハーヴィー・シュワルツ Harvie Swartz)とのデュオによる、静かで繊細なバラード曲中心の美しいアルバムだ。響きと空気感をたっぷりと取り込むDavid Bakerによる録音も素晴らしく、大型スピーカーで聴くと、キューンの美しいピアノの響きに加えて、ハーヴィー・シュワルツのベースが豊かな音で部屋いっぱいに鳴り響くのだが、小型SPに変えてしまった今の我が家では、もうあのたっぷりした響きが味わえないのが残念だ。

Complete
London Collection
(1971 Black Lion)
「クール」とか「涼しい」をテーマにすると、どうしても白人ジャズ・ミュージシャンばかりになってしまうが(自分の趣味の問題もある)、ピアノではもう一人、実はセロニアス・モンク Thelonious Monk (1917- 82) の演奏、それもソロ・ピアノは暑苦しさが皆無なので、夏に聴くと非常に心が落ち着く気持ちの良い音楽だ。モンクのソロ・アルバムの枚数は4枚しかないが、もう1つが、モンク最後のスタジオ録音になった『London Collection』(1971) のソロで、録音もクリアで聴いていて非常に気持ちが良い。3枚組CDでリリースされた本作品のソロは、alt.takeを含めてVol.1とVol.3に収録されていて、晩年になってもソロ演奏だけは衰えなかったモンクが楽しめる。LP時代には発表されず、CD版のVol.3の最後に追加されたソロで、「Chordially」と名付けられた「演奏」は、モンクが録音本番前に様々な「コードchord」を連続して弾きながらウォーミングアップしている模様を約9分間にわたって記録した音源だ(ちなみに、英語の "cordially" は、「心をこめて」という意味の副詞である。タイトル "chordially" は、モンクらしい言葉遊びだろうと推測している)。翌1972年からウィーホーケンのニカ邸に引き籠る前、欧州ツアー中のロンドンで記録された文字通りセロニアス・モンク最後の「ソロ演奏」であり、比類のない響きの美しさがなぜか胸に迫って、涼しさを通り越して、もの悲しくなるほど素晴らしい。