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2024/12/07

さらば火野正平

2018年6月に本ブログで、ずっと放送を続けて欲しいという願いを込めて、NHKの「ブラタモリ」とBS「日本縦断こころ旅」という2つの長寿番組を取り上げた。両番組ともにNHKらしくない、アウトドア収録のみ、非芸人の高齢主役による「適当で、ユルい」雰囲気が好きで毎週見ていた。コロナを挟んで、あれから6年があっという間に過ぎ去り、こちらも歳をとったが、タモさんの「ブラタモリ」もついにレギュラー放送が終了し(それでも特別枠で不定期放送で復活した)、おまけに、なんと「こころ旅」の火野正平氏が、14年目に入った先月、突然亡くなってしまった。昨年来、腰の具合が悪いという情報だったが、今年の春の旅には復活登場し、その後再度降板したときも、しばらく養生して来年からまた復活するのでは……と、たいして心配していなかった(自分も腰痛なので)。おそらく、日本中の「こころ旅」ファンも同じような気持ちでいたのではないだろうか。正平氏には死ぬまで走り続けて欲しいと、前回ブログの最後に書いたが、本当にその通りになってしまった。

私は最初(2011年)からずっと見ていたわけではなく、時どき見て、また戻って、という見方だったのだが、徐々に「素の」火野正平の人柄が面白いと思うようになって、最近の10年ほどは欠かさず見てきた。定年退職とほぼ同時に放送が開始され、また同じ年齢ということもあって親近感を持ったのと、独特の魅力――あの穏やかで、ゆるい雰囲気、あからさまな女好きの性向(ただしオバさん以外)、時どき見せる無頼系の男気と優しさ、一緒に走る撮影クルーへの気配りなど……そして、老若男女、犬猫は言うに及ばず、蟻や毛虫から、ヘビやイモリなどの爬虫類、小動物、牛、馬、やぎ、人間の子供まで、とにかく「生きとし生けるもの」すべてに、垣根を感じさせないあの接しかたと、相手の(生き物の)反応には毎回感嘆していた。

若いころの活躍(?)のせいもあって、「女たらし」だったのが、最近は男女を問わない「人たらし」だという評が増えていたが、どうもそんな「小さな」ものではなく、いわば「生き物たらし」とでも言えるほどの、全方位的愛情を振りまく博愛主義者だったのだと思う(というか、そういう「人格」だった)。相手の生き物が、それに(好意的に)反応する感じがありありと分かるのも不思議だった。ムツゴロウ氏と違うところは、構えずに相手の動物と同じ目線で、マウントをとらずにフラットにコミュニケーションを取っている点だ。個人的にいちばん笑ったのは、牧場で放牧されている牛に「モオーッ!」と声をかけて、「全員整列!」と号令するシーンだ。牛がみんな言うことを聞いている感じがするところがおかしい。それに、道を歩いていた猫が正平氏の後をついて来るシーンもおかしかった。犬はともかく、猫は普通、あんな風に無防備に人の後をついてくることはないのではないか? その他、数え上げたらきりがないほど、おかしな生き物交流シーンが満載だった。動物とのコミュに加え、ナポリタンへのタバスコ、オムライスへのソースかけ、うどんのお稲荷さんトッピング、同じくうどんへの赤唐辛子の大量投入…という、正平氏お約束の好物の昼食芸も楽しんだ。

その正平氏も今年75歳で、一昨年あたりから自転車移動も、さすがに苦しそうな表情を見せることが多くなり、タバコも吸わなくなり、食事も細くなり(昼食のごはん少な目とか)、そろそろ体力的にも限界かな…と思っていた。ところが、昨年の腰痛による途中降板のあと、今年の春の復活、再降板後、さらに秋の旅復活放送の予定……と、そのつどNHKからアナウンスされていたので、これはきっと本人の再登板の希望がよほど強いのだろうと思っていた。自分で番組に関する自虐的なコメントをしたり、「この番組のどこがおもしろいの?」と、田舎のおばさんにいきなり質問したりしていたが、火野正平氏は、おそらく内心では「こころ旅」に、やはり並々ならぬ愛着を抱いていたのだろう。でなければ14年も続けられまい。つまり、「役者」としての火野正平と、「こころ旅」での「素の」火野正平、この二つをライフワークの両輪と考え、後者では死ぬまで走る気満々だったのだと思う。

役者としての火野正平についてはそれほど詳しくはないが、時代劇でも現代劇でも、画面に登場すると、その途端に独特のオーラ、存在感を発し、あの低く、ハスキーな声もあって、一発で火野正平だと分かった。「何をやっても火野正平だと言われる」というネガティヴなコメントもしていたが、これはある意味で、やはり役者としては最高の誉め言葉ではないだろうか。高倉健も渥美清もどんな役をやっても健さん、トラさんだったし、火野正平という役者も、それだけ主役級の個性とオーラを持っていたということだろう。

しかし同年齢の私にとって、この喪失感は、テレビで見る俳優や有名人の逝去ではなく、子供時代から仲の良かった人気者の同級生が亡くなってしまったような、じわじわくるさびしさを感じさせる類のものだ。演出もなく演技でもなく、テレビの中のほぼ素のままの人物と、長い間1年の半分くらい接してきたからなのだろう。しかし、長い間病気で苦しんだり、不幸な死に方でもなく、2024年「こころ旅」の春の旅(熊本)に体力の限界まで出演し、最後にきれいな桜の下を走ってファンに挨拶し、画面から姿を消してわずか半年ほどで、あっさりと逝った火野正平は、やはり死に方まで潔くカッコいい。「男も女も惚れる」のも無理はないと思う。

火野正子氏
10月からの秋の旅、ピンチランナー版「こころ旅」では、これまで柄本明、田中要次、照英、山口智充が務め、みなさんそれぞれの個性を発揮していたが、中で静岡と三重の2回登場した、女性版「火野正子」こと田中美佐子が、私的印象ではいちばん楽しめた。寝たきりかもしれない正平氏の帽子やメガネ(老眼鏡)を身に付けて走るところもいい。正平氏が亡くなった11月14日当日に撮影されたのが、正子氏の最終日、三重県英虞湾にかかる赤い橋の思い出で、正平氏と同じ年齢75歳の視聴者が、新婚間もなくケガで車椅子生活になった奥さんとの、50年間の夫婦生活を振り返る、泣ける話だった。偶然にも、この日は朝から雨模様で、出発した田中美佐子の後ろ姿から、雨好きな正平氏が元気に走り出したシーンを思い出して、ぐっと来た。途中いくつもの渡り鳥の群れが列を成して湾の上空を飛んで、田中美佐子が「何? 今日は渡り鳥の祭り!?」と不思議そうに何度も口にしていた。あれは火野正平からの「さよなら」の挨拶かもしれないな…と思った(いつものように、親しい動物ネットワーク・チャネルを通じて渡り鳥に頼んで…「仕込み」をセットしていた…?)。

田中美佐子氏は、65歳とは思えないほど明るく元気で、チャーミングで、自然な雰囲気も「こころ旅」にぴったりだ。基本「がらっぱち」系のアクティヴな女性だろうが、飾らず、人懐こく、それに女隊長的な男っぽさがある一方で、優しさがあって、愛情の深そうなところも、火野正平が築いた「こころ旅」の持つ番組基調によく合っていると思う。「レッツラゴー!」とか、昭和の雰囲気とオヤジギャグもおかしい。それに、最後に手紙を読む時の声、トーン、温かな情感もとてもいい。しかし正平氏が亡くなった11月14日の番組のセッティング、構成が、この田中美佐子の三重県・撮影最終日で、降る雨といい、渡り鳥といい、75歳の視聴者の手紙といい、これは火野正平が「後継者・火野正子」を「指名」するために設定しているのではないか…とさえ思えるほどだった。NHKには、まず「こころ旅」の14年間の名作・名場面の再放送をぜひお願いしたいが、もしリレー以外の後継番組を今後企画するなら、後継者は「火野正子で決まり」ではないだろうか? 高い場所、橋の上も大丈夫そうだし、徐々に自転車操縦の腕を上げれば、あとは「しんかんせーん!」のイントネーションと、スパゲッティ、オムライス、ウドンの昼食お約束芸を覚えればOK。だから正平さん、安心して旅立ってください。さようなら。