ページ

2025/04/30

ジャズ・バラードの森(1)Spring Can Really Hang You Up the Most

Clap Hands, Here Comes Charlie!
Ella Fitzgerald (1961 Verve)
『ジャズ・バラードの森』は、まず季節柄、「春」にちなんだ名曲 "Spring Can Really Hang You Up the Most" で始めたい。長ったらしいタイトルだが、歌詞も長い。Wikiによればフラン・ランデスマンという女性詩人の詩に、トミー・ウルフという人が曲をつけたという(1955)。タイトルは、T.S.エリオットの詩『荒地 (The Waste Land)』の冒頭の "四月は最も残酷な月 (April is the cruellest month)" という一節を、ジャズ風にアレンジしたものだという。この "hang (you) up" は、「人を悩ませる、困らせる」の意。要は「春は良い季節だが、どうしても憂鬱になる」という洋の東西を問わない「春先の嘆き、ぼやき」の歌。歌詞も長いが、女性の作者でもあり、メロディが魅力的なので、ジャズでは特に女性ヴォーカルで取り上げられることが多く、またこの曲のファンも多いようだ。ネット上で見ると、「訳詞案」もずいぶんと目にするので、興味のある人はどうぞ。この曲は声を張り上げず、抑え気味に囁くように唄うのが正解かと思う("ぼやき" なので)。近年(2022年)ノラ・ジョーンズの、デビュー前の未発表録音がリリースされて話題を呼んだようだが、私の所有レコードの中では、まずエラ・フィッツジェラルドElla Fitzgeraldのアルバム『Clap Hands, Here Comes Charlie!』(1961 Verve) が挙げられる。ルー・レヴィー(p)、ハーブ・エリス(g) 他が共演したこのレコードでは、エラがしっとりと美しく唄いあげている。エラは高速スキャットだけでなく、やはりこういう曲も非常にうまいことがよく分かる。

Where is Love?
Irene Kral (1975 Choice)
囁きという点では同じく、アイリーン・クラール Irene Kral が癌で亡くなる数年前に録音した名盤『Where is Love?』(1975 Choice) 中の1曲だ。このレコードは、全ジャズ・ヴォーカルのレコード中でも名盤と言えるほど、ジャズ・ヴォーカルのエッセンスが詰まった名作で、”Spring Can…" はもちろんのこと、1曲目の "I Like You, You are Nice" から始まるどのトラックも実に素晴らしい。カーメン・マクレーはビリー・ホリデイを、アイリーン・クラールはカーメン・マクレーを尊敬して手本としていたそうだが、3者に共通するのは歌唱の上品さで、きれいに発音する歌詞と、そこに込められた得も言われぬ微妙な情感が素晴らしい(ちなみに歌手&ピアニストのダイアナ・クラールの手本はアイリーン・クラールだそうで、このアルバム中の ”When I Look in Your Eyes" を自身の持ち歌として何度かカバーしている)。こうしたスロー・バラードを唄うと、単に歌がうまいとかいうことを超越した、「ジャズの歌い手」としての真の技量が分かる。本作はニュージーランド出身で、レニー・トリスターノに師事したという変わったキャリアのピアニスト、アラン・ブロ-ドベントのピアノだけが伴奏のデュオであり、小さな会場で語りかけるように唄うアイリーンのシャンソン風の名唱が堪能できる。

Pop Pop
Rickie Lee Jones(1991 Geffen)
3枚目は、まったく世界の異なる1作だが、私の大好きなアルバム、リーッキー・リー・ジョーンズRickie Lee Jones (1954-)の『Pop Pop』(1991) 中の1曲だ。この人はジャズの人ではないが、このアルバムでの歌唱は素晴らしくユニークで、時どきどうしても聴きたくなる中毒性がある。ロベン・フォードのガット・ギター、チャーリー・ヘイデンのベースの他、バンドネオン、ヴァイオリンなど多彩なアコースティック楽器による伴奏をバックに、ジャズ・スタンダードやロック曲を、ブルースやカントリー風の味付けを加えてジョーンズが鼻づまり気味(?)の声で唄う。まるで「あのちゃん」が唄っているように聞こえるが、この唯一無二のけだるい世界に嵌ると病みつきになる。メロディ・ガルドー(1985-)の世界は、ある意味この延長線上にあるような気もする(違うか?)。このCDは、さるオーディオ紙にも取り上げられたほどだったので、特にロベン・フォードのナイロン弦ギターをはじめ、アコースティックな響きを見事にとらえた録音も素晴らしい(しかし、ここで紹介している4枚のレコードはどれも録音が良い)。

Zoot Sims in Paris
(1961 UA)
この曲のインストものは少ないが、唯一私が保有しているのは、ズート・シムズ Zoot Sims (ts) がパリでライヴ録音した『Zoot Sims in Paris』(Live at Blue Note 1961 UA) だ。実を言えば、この曲を美しい曲だなと感心したきっかけは、このレコードのズートの演奏なのだ。米国ジャズメンのパリ録音、特にライヴ演奏は、なぜか名盤と呼ばれるレコードが多い。大衆音楽ではなく、ジャズを初めて芸術だと認めたフランスとパリの持つ独特の空気が、彼らの精神をインスパイアするのだと思う。ズートのパリ録音にも『デュクレテ・トムソン』(1956)など他にも何枚か名盤と呼ばれているレコードがあるが、この密室感の強いクラブ・ライヴも何度も聞き返したくなるような魅力がある名作だ。ズートがアンリ・ルノーのピアノ・トリオをバックにしたカルテットの演奏で、他のバラード曲 "These Foolish Things" や " You Go to My Head" も、しっとりと唄うズートのテナーが、曲想にぴたりと合ってどの演奏もしみじみして素晴らしい。ズート・シムズの演奏の魅力は、テクニックだけでなく、人柄の滲み出たその温かなサウンドにある。このパリでのライヴ・アルバムでも、短いプレイだが、"Spring Can..." の持つ春の憂鬱を表現しつつ、そのサウンドにはどこか春の温かさも感じられる、とてもいい演奏だ。