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2025/12/24

ジャズ・バラードの森(6)I Get Along Without You Very Well

「自動からくり人形」が主演するボックス・シアター という、唯一無二のコンパクト夢幻劇場を製作し続ける「ムットーニ」こと武藤政彦氏は知る人ぞ知るアーティストだ。オルゴールを拡大、複雑化、豪華絢爛にした創作アートというコンセプトが近いのだろうが、ノスタルジーとロマンに満ちた作品群は、世界のどこにもない独創的アートとしての魅力に溢れていて、一度でも見たことのある人は、その美しさと面白さに夢中になる。特に日本人は、人形浄瑠璃以来の人形好きで、抵抗なく人形物語に感情移入しやすいので、世代を問わず人形アートが好きだ(たとえばNHKの昔の人形劇「平家物語」などは、その素晴らしさに感動したものだ)。現代版人形劇とも言えるムットーニ作品の素晴らしさは、自動(機械式)人形の造形の美しさとその精密な動き、シアター全体の色彩と光、物語性などいろいろあるのだが、欠かせない重要な要素の一つは、オルゴールがそうであるように、その「サウンド」である。ジャズ、クラシック、ラテン系音楽、シャンソンなど多彩だが、いずれも作者の趣味とこだわりが強く感じられ、作品の物語性と音楽が見事に調和し、しかもあの小さなステージ(箱)から、びっくりするような実に素晴らしいサウンドが流れてくるのである。女性ファンが多いようなので、このサウンドの魅力が十分に伝わっているかどうか分からないが、オーディオ好きなら、すぐにその魅力が分かるだろう。ムットーニ氏は、オーディオにも相当なこだわりと技術をお持ちのようだ(どんなスピーカーやアンプを使っているのか興味がある)。

ヘル・パラダイス(2018年部分)
作品は関東では世田谷、前橋等の美術館で常設されているようだが、八王子市夢美術館は2009年以来、数年おきにムットーニの特集展「ムットーニワールドからくりシアター」を開催しており、昨年に続き、規模は小さいながら2025年も11月末から「セレクション」として開催されたので、今回も行ってきた(これで4回目だ)。夢美術館に寄託された六作の小品展示に加えて、密林の秘密の劇場で、歌姫とバンドがサルサのリズムで踊り唄う「ジャングル・パラダイス」、真夜中に地底から現れる妖怪骸骨バンドのマンボをバックに美女が唄う「ヘル・パラダイス」、未来の宇宙の衛星内で地球の20世紀のビッグバンド・ジャズとヴォーカルが上演される「サテライト・キャバレー」、さらにパイプオルガンと合唱の荘厳なサウンドと、天使の昇天が美しい「カンターテ・ドミノ」など、お馴染みの幻想的で、楽しくも美しい大型作品が今回も展示されていた。加えて、2025年の最新作として展示されていたのが「スケッチング・スカイスクレーパーズ(Sketching Skyscrapers)」という、スカイスクレイパー(摩天楼)・シリーズの新作だ。

スケッチング・スカイスクレーパーズ
2025年部分 作家蔵
摩天楼をバックに、別れた恋人への追憶と、その思いを断ち切ろうとしている主人公(女性)、公園のベンチに座る彼女の背後に現れる昔の恋人(男性)、背景として昼から夜、現在から過去へと変化してゆく高層ビル群の形、窓、色彩、光、そして青く広い夜空が実に美しく描かれるロマンチックな作品だ。この作品で使われている音楽が、チェット・ベイカー Chet Bakerの歌だった。それは分かったが、人形の動きとか造形、色彩に気を取られて、会場で1回聴いただけなので歌詞もよく聞いていなかった。そこで家に帰ってから確認すると、あの名盤『Chet Baker Sings』(1954 Pacific)に入っている有名曲 "I Get Along Without You Very Well" だった。昔さんざん聴いたアルバムだが、しばらくまともに聞いていなかったので、この曲のことはすっかり忘れていた。実は、知ったかぶりして書いた上記の追憶ストーリーは、この曲の歌詞を読んで、なるほどと合点が行ったものだ。つまり「あなたがいなくても、ちゃんとやっている…でも…」と、別れた恋人のことを何とか忘れようとしているが、静かな雨が降る日や、名前を聞いたりするとつい心が揺れる…という女性の追憶と葛藤が描かれた曲なのだ。ムットーニさんの作品は、この曲をモチーフにして作ったものだと分かった。「スケッチング・スカイスクレーパーズ」は、物語と曲とチェットのヴォーカルの美しさがマッチして、とにかく抒情的で素晴らしい作品だ。最初に見終わった後、思わず拍手してしまったくらいだ。

しかし、自宅に戻って聴いた私有ヴァージョンと、ムットーニ展で聞こえた音楽がどこか違うなと感じた。思い出してみると、ムットーニ版ではチェットのヴォーカルの後に、確かトランペットのソロが1コーラス入り、またヴォーカルに戻って終わったはずなのだが、私の所有音源ではトランペットの部分がなく、ヴォーカルだけなのだ。これは約3分の演奏で、ネットでもいろいろ調べてみたが、ヴォーカルとトランペットを両方演奏しているチェットのヴァージョン(つまり3分よりずっと長い)はどうしても見つからなかった。みんな同じ約3分ヴァージョンである。AIにも質問してみたが、やはり「ありません」というそっけない回答(?)だった。そもそも78回転SP時代(1954年)の録音なので、ジャズもみんな3分に収まるように演奏していたのだ。ということは、ひょっとしてあの音楽も、ムットーニさんが作品のために制作、編集した特別ヴァージョンなのだろうか? ヴォカールに続くトランペット演奏も、まさかトランペットも吹くというムットーニさんなのか!? 謎だが、ムットーニ作品では、この例に限らず、どうも背景音楽もまた相当作者の手が加えられているのではないかと思った。実は、今回はその確認のためもあって、もう一度見に行き(入場料は安価なので)、そのときに初めてムットーニさんの、活動弁士さながらのプレゼン付き上演会を拝見・拝聴した(前方の観客はみんな床に座って見るので、昔懐かしい子供の頃の紙芝居を思い出した)。そこでトランペットのコーラス部分を確認し、上演後、その疑問をご本人に直説確認したところ、やはり私の推量がほぼ当たっていることが分かった。(詳細は企業秘密なので、書けないが…)

その後、この曲について調べたら、作曲は "Stardust" や "Georgia on My Mind" 、"Nearness of You"など、名曲をたくさん書いているホーギー・カーマイケル Hoagy Carmichael (1899-1981)だが、作詞はジェーン・ブラウン・トンプソンJane Brown Thompsonというほぼ無名の女性詩人だということが分かった。ショパンの "ノクターン" から着想したらしいというロマンチックなメロディだが、当初は作詞者が不明で、カーマイケルは発表(1939年)するにあたって、作詞者不詳のままではいけないということで、友人のラジオ・コメンテーター、ウォルター・ウィンチェルにも依頼してラジオ放送を通じて何度も呼びかけ、ようやく約1ヶ月後に、老人ホームに入居していた71歳の未亡人トンプソンを見つけるのだが、契約した1ヶ月後に彼女は亡くなってしまったのだそうだ(この伝説には諸説あり)。

I Thought About You
A Tribute to Chet Baker
Eliane Elias (2013)
私有CDデータをチェックしたら、ビリー・ホリデイ(『Lady in Satin』 1958)、ニーナ・シモン (『NIna Simone and Piano』 1969)、レナータ・マウロ(『Ballads』 1972年?)、ダイアナ・クラール(『The Look of Love』2001)という4枚が見つかったが、チェット盤以外は全員女性歌手だ。ところが女性の歌なのに、ホリデイもシモンもクラールも、女性が唄うと、なんだか妙にサッパリしてしまって、チェットの歌から感じられるあの濃密で、細やかな感情の起伏があまり感じられないのである。その後調べてみると、カーマイケル自身やフランク・シナトラ、マット・モンローなどの男性ヴォーカル・ヴァージョンもあるが、そもそも女性詩人が書いた上記の詩が原詞でもあり、歌詞全体を読んでも、やはりムットーニさんが描いたように女性主人公の方がしっくりとくる曲だ。ついでに、YouTubeにアップされている同曲の歌唱(素人含めて何十もある)を聞きまくってみたが、男性はもちろん、女性歌手もみな同じようなもので、どれもピンと来ない。特にアメリカ人女性ヴォーカルは全滅だ。そもそもこの曲は、その曲想からして、シナトラみたいに高らかに唄い挙げたり、楽しそうに唄うような曲ではなく、ひそやかに、あるいはつぶやくようにその「心情」を唄うのが正解だろう(1930年代のアメリカ人女性には、そうした心情がまだ多少残っていたものと推察される)。

My Ideal
A Tribute to Chet Baker Sings
Amos Lee (2022)

私見だが、カーマイケルの曲はどれもメロディそのものが美しいので、ヴォーカルもインストも、変にジャズ的にいじったり、妙なアレンジをせずに、原曲を生かしてできるだけシンプルに演奏する方がいいのだ。そこに「適度に」ジャズの香りを取り入れると、さらに洗練され、原曲の美しさと心地よさが倍増するのである。『チェット・ベイカー・シングス』では、チェットの中性的美声のバックで流れる、ラス・フリーマン Russ Freeman の西海岸風のさらりとしたピアノ・トリオのおかげで、ただのきれいなポピュラー曲ではなく、ジャズ・ミュージシャンならではのジャズのスパイス配分が絶妙で、そこが非常に効いている。現代の歌唱をいろいろ聞いた限り、強いてあげれば、イリアーヌ・イリアス Eliane Elias と、エイモス・リー Amos Lee というアメリカのポップスの男性歌手の二人がまあまあかと思った。イリアーヌはブラジル人だが、弾き語りピアノを含めて、独特の抑えた歌唱にいちばん雰囲気があるし、エイモス・リーは "Nearness of You" を唄ったジェイムズ・テイラー James Taylorと同じで、ジャズ風のアレンジをバックに、透き通ったさらりとした高音の美声で素直に唄うところが、カーマイケル作品に合っていると思う。ちなみに、このCDは2作とも、チェット・ベイカーへの"トリビュート"であるところが、その表現と関係しているのだろう。

しかし、はっきり言って、1954年のチェット・ベイカーをしのぐヴォーカルは一つもなかった。何と言っても、久々に聴いた若きチェット・ベイカーの、本当に繊細で密やかなヴォーカルとアレンジは絶品だと改めて思った。いつの時代も、チェットの歌の魅力にハマるジャズファンが絶えないのがよくわかる。ただしオリジナルは3分と、あまりに短いので、あれ以来ムットーニ版で聞ける、ヴォーカルに続くチェットのトランペットのコーラスがどうしても続けて聴きたくなるので困る。