昨年出版された『中牟礼貞則:孤高のジャズ・インプロヴァイザーの長き軌跡』(久保木靖・編著、リットーミュージック)を読んだ。今年89歳(!)になる大ベテラン・ジャズ・ギタリスト中牟礼貞則(なかむれ・さだのり 1933-)との回顧録的インタビューを中心に、親しいジャズ関係者の証言、コラム、ディスコグラフィなどで構成された書籍だが、中牟礼貞則が演奏した未発表の貴重な音源を収めたCDが添付されているところが普通のジャズ本と違う。教則本ではなく、ジャズ・ミュージシャンが自ら語る音楽や人生を、テキスト(本人の言葉)とサウンド(実際の演奏記録)でパッケージした書籍は、単なる音や映像だけの記録とはまた異なる味わいとリアリティがあって、非常に楽しめる形態だと思う。
情報が有り余る現代では、ネット上のどこにでも書いてあるような、通り一遍のジャズ情報や知識をまとめただけのジャズ本に、もはや存在価値はないだろう。しかし、一流ジャズ・ミュージシャンの「生の声」を聞くインタビューを中心にした本は、上っ面の情報ではなく、時として人生やジャズという音楽の本質に触れる非常に奥深い対話が聞けるところに、音楽書として時代を超えた価値がある。また、ジャズのような即興音楽に携わるミュージシャンは、総じて発想も会話もユニークで、ユーモアやオリジナリティに富んでいる人が多いので、読んで(聞いて)いて退屈しない。そして何よりも(自分で訳した『リー・コニッツ』や『 スティーヴ・レイシー』がその典型だが)、ジャズ・ミュージシャンが「なぜ、そういうサウンドの演奏をするのか?」「何を考えて、演奏しているのか?」――という、聴き手にとって素朴だが本質的な疑問に対する答の一部が、「本人」の口から直に語られるところがいちばん面白いのである(ただし、それにはインタビューする側に、ジャズ知識はもちろん、そうした対話へと導くインタビュー技術が必要だが)。人生の履歴、ジャズ学習の経緯、交友関係、影響を受けたミュージシャン、目指していた音楽、実際の音楽的嗜好、個人としての思想――等々、演奏で表現される「ミュージシャン固有の音楽」の背後にある様々な人間的要素が、楽器の音とは別に奏者の肉声を通して伝わって来る。そこから、素人の耳では音楽的に聞き取るのが難しい部分や、ミュージシャン自身の音楽哲学、人間性に関する様々なヒントが感じられ、演奏をより深く理解できる気がして、ジャズを聴く楽しみが倍化するのである。しかし、アメリカではアーティストへのインタビューをまとめた書籍は一般的だが、日本では雑誌などの短いインタビュー記事にほぼ限られる。特に「一人の日本人ジャズ・ミュージシャン」だけを対象にして、編集本ではなく、本人の肉声をほぼそのまま収載した本格的なインタビュー本は、これまで出版されていないと思う(秋吉敏子の本がいちばん近いが)。ジャズ・ギタリスト中牟礼貞則の長い音楽人生をインタビュー中心に辿った本書は、そういう意味で本邦初となる書籍だろう。Lennie Tristano Atlantic 1956 |
Conversation TBM 1975 |
本書に添付されているCD収録曲は、当然だがまったく知らなかった演奏ばかりだ。銀座にあった高級ナイトクラブ「ファンタジア」でのライヴ演奏4曲(1956年=昭和31年)、その41年後、名古屋のジャズクラブ「Jazz Inn Lovely」でのリー・コニッツ Lee Konitz (as)とのデュオ演奏4曲 (1997)、2曲のソロ演奏 (2020)、これら10曲がすべて未発表の私家録音という貴重な音源である。1956年のライヴ録音は、トリスターノ派的クール・ジャズを中牟礼のギターと2管のセクステットで演奏しているが、当時トリスターノ音楽のいちばんの理解者と言われていた徳山陽 (1925-) のピアノ演奏を、私はこのCDで初めて聴いた。1956年という時代にあって、まさにトリスターノばりのラインを持った硬質なピアノに驚くが、上京して5年ほどで、まだ20代前半の中牟礼のモダンなギターにもびっくりする。演奏はもちろん、選曲もトリスターノ派のオリジナルや彼らが好んだ曲ばかりで、まさにビバップの横浜「モカンボ」(1954)と、実験的な銀座「銀巴里」(1963)という、日本ジャズ史上、時代の最先端を行く両ジャズ・セッションの中間に位置する演奏である。進化論的ジャズ史で言えば、「モカンボ」はアメリカの10年遅れのビバップ、「ファンタジア」は5年遅れのクール、そして「銀巴里」での前衛的実験の頃に、ほぼアメリカに追いついた日本ジャズが、その後高柳、山下洋輔、富樫雅彦などの60年代フリージャズ活動を経て、70年代についに独自の世界に到達したという歴史を、いわばこの1956年の演奏が裏書きしているとも言えるだろう。
2つ目の録音、1997年のリー・コニッツと中牟礼貞則の共演を、まさか21世紀の今頃になって聴けるとは思わなかった。コニッツには多くのデュオ作品があるが、1967年の『Lee Konitz Duets』を除き、ほとんどがピアノとのデュオであり、ギターとのデュオ演奏はなかったと思う。ギター奏者との共演も、1950年代のビリー・バウアー以降は、ケニー・ウィーラーの『Angel Song』(1996)でのビル・フリゼール、ドン・フリードマン(p)とのトリオによる『Thingin'』(1996)でのアッティラ・ゾラー、マーク・ターナー(ts)との『Parallels』(2000)でのピーター・バーンスタインなど、数える程である。
1990年代のリー・コニッツ (1927- 2020) の演奏は、当然ながら(中牟礼たちが傾倒した)カミソリのように鋭いインプロヴィゼーションを次から次へと生み出していた1950年代前半とは異なる音楽に変貌していた。しかし私見だが、当時のコニッツはジャズ音楽家として二度目のピークを迎えていた時期だったと思っている。60歳を過ぎた80年代後半から、コニッツは初めて自身がリーダーになったコンボを率い、ブラジル音楽に熱中したり、ストリングスと共演したり、上記デュオ作品やトリオに挑戦したり、自由で多彩な演奏活動を世界中で繰り広げていて、90年代半ばには日本にも数回来日してコンサート公演や録音を残している。このデュオは、その折にケイコ・リー(vo) の名古屋でのライヴ時の前座として共演したものだという。コニッツ好みのスタンダード曲が並ぶが、コニッツも中牟礼も、50年代のトリスターノ的音楽からはすっかり離れ、既に両者とも独自の音楽を形成していた時期の演奏である。本書で中牟礼は、このときの共演についてはクールな言葉で回想しているが、やはり青春時代に傾倒した音楽を象徴するミュージシャンと40年後に直接共演するという場であり、胸中には、おそらく他の人間には分からない何かが湧き上がっていたことだろう。(私の勝手な思い込みかもしれないが)このデュオは、そうした歳月を経てきた二人のベテラン・ミュージシャンの、言葉を超えた感慨を感じさせる邂逅セッションであり、個人的には非常に楽しめた。この時70歳だったリー・コニッツは、2020年4月にコロナのために92歳で亡くなった。
実に良いジャケットだ… |