2013年に「ビッグコミック」で連載開始したこの漫画は、単行本シリーズ第1部全10巻(無印)、続編であるヨーロッパ編「Supreme」全11巻に続き、現在は第3部のアメリカ編「Explorer」連載中という、10年間も続いて累計1,000万部近くを売った大ベストセラー漫画である。漫画に加えてCDやLP他の関連グッズを含めれば、いかなる分野であれ昔から「カネにならない」と言われてきたジャズがらみで、こんなに売れた「コンテンツ」はないのではなかろうか。それほど面白く魅力ある作品だということだろうし、昔ながらのジャズという音楽の「イメージ」を変え、それを受け入れ、楽しむ「新しい層」を開拓した、まさに画期的な漫画である。いわば「古くて、新しい音楽」というイメージを、あらためてジャズに与えた作品と言えるだろう。
坂道のアポロン |
一方の本作『BLUE GIANT』は、私のような年寄りのジャズ観からすると、想像すらしたことのない「熱血ジャズ漫画」という、ある意味で形容矛盾とさえ思える、あり得ないような設定の作品だ(ロックバンドの話じゃあるまいし…という)。ジャズへの情熱に駆られたド素人の高校生が、逆境をものともせず、しかも狭い日本の中に留まらず、「世界一のジャズ・プレイヤーになる」という夢に向かって世界を股にかけてチャレンジし、人生を切り開いてゆく――という、『坂道のアポロン』の穏やかで詩的、文学的世界とは正反対の、ダイナミックで、まさにスポ根的な成長物語だ。だが、たとえばセリフもそうだし、英語の各章タイトルも、『坂道のアポロン』では有名ジャズ・スタンダードの英語曲名だけだったが、本作では、その章の内容に沿った英語もタイトル名に選ばれている――など、作者の石塚真一氏の米国本土や海外での実体験と、そこで培った言語力を基にして描いているので、第2部以降のヨーロッパ編でもアメリカ編でも、相変わらず大胆で強引な主人公の行動とストーリー展開にもかかわらず、背景や人物描写にリアリティがあって、漫画的な荒唐無稽さがあまり感じられない。ヨーロッパ各国の人や価値観の多様性、ロックとジャズの対比、アメリカの文化的個性と各都市の人々の気風なども、「ユニバーサルな音楽」というジャズ最大の特性を通してよく表現されている。「前へ前へ」と常にドライヴをかけるようなストーリー展開が特徴で、また作者の人間観だと思われるが、主人公の人柄と熱意ゆえに、国や地域を問わず、かならず彼を理解し支える協力者が現れるなど、人物と人間関係の描写に常に温かみが感じられるので、どの章でもそれが心に響き、読んでいて気持ちが良い。
今回のアニメ映画版は、主人公・宮本大のジャズへの情熱、日本での成長と友情を中心に描く第1部を土台にしている。ジャズ・ピアニスト上原ひろみが演奏と作曲の他、音楽表現全体を監修していて、プロのジャズ・ミュージシャンたちが登場人物になりきって実際に演奏した「ナマ音」を録音し、そのサウンドに合わせて物語を展開させた、という本格的ジャズ・アニメ映画である。こちらも、当然ながら漫画では、いわば「空耳」でしか聞こえなかった「サウンド」が実際に映像に加わり、それが映画館のドルビー音響で、しかも大音量で聞けるのだから、ジャズファンなら楽しめないはずがない。それどころか、これまでジャズを聴いたことがない(or 原作すら読んでいない)、という若い観客層までが映画館に足を運び、ネット上で「ジャズ、カッケー!」とか言って感激している。私が行った映画館の客層も、若者もいれば、高齢者もいて、男女比も含めて幅広い層で構成されていたし、観客動員数も予想以上の大ヒット映画になっているらしい。原作もそうだが、音楽も入って、よりドラマチックな展開のアニメ版では、「泣ける」という声もさらに強まっているようだ。
これは原作者、制作者の期待(狙い)通りの反応と言えるだろう。原作者がインタビューで、この漫画を書き始めた動機について語っているように(私も上記ブログ記事で作品の背景を分析している)、ジャズ自体は今や普通にどこでも聞こえてくる音楽になっているが、その一方で、ジャズと真剣に向き合う演奏家は、この半世紀の間ジャズの「勉強と分析」に注力しすぎて、ある意味で複雑で頭でっかちな音楽にしてしまい、普通の聴き手の「エモーション(情感)」に理屈抜きで直接訴えかける、ジャズが本来持っていたはずの原初的「パワー」を失ってしまったかのように思える――という傾向に対するアンチテーゼとして、「ジャズを知らない若者にも、ジャズが持っている音楽としてのパワーと素晴らしさを、シンプルかつストレートに伝えたい」というのが、そもそもの作者の意図だった。その作者がイメージしているジャズの原点は、1950年から60年代にかけてのブルーノート・レーベルのサウンドのようだ。RVG録音に代表される当時のブルーノートのレコードと演奏は、(好きか嫌いかという次元を超えて)永遠に語り継がれる20世紀ジャズ・クラシックであり、まさにオールタイム・ジャズサウンドだからだ。作者がイメージしていたこうしたサウンドを、アニメでは上原ひろみの現代的アレンジで再現し、それを映像に加えることで若者の心を掴むことにも成功したようだ。
私はアニメーションの技術についてはまったくの門外漢なので、映像面に関して云々する立場にはないが、なめらかな線と動き、落ち着いた色彩で描かれた本作の映像は非常にきれいで楽しめた。しかしサウンド面に関しては、ジャズファン的見方からすると、映画で流れるジャズのサウンドを、漫画のイメージから予想していた通りだったという人もいれば、意外なサウンドに聞こえたという人もいるだろうと思う(私は後者だった)。アニメ『坂道のアポロン』では、いわゆる「スタンダード曲」という、ジャズファンなら誰でも知っている音楽と演奏が聞こえて来るし、時代的、ストーリー的にも当然そういう選曲になる。ビル・エヴァンスの弾く「いつか王子様が」とかジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」とかがそうで、それらがアニメ中でも違和感なく自然に耳に入って来る。しかし『BLUE GIANT』では、まず時代設定が「現代」であり、20歳前後の、ロクにジャズ理論や演奏のキャリアも積んでいない現代の若者が作曲したオリジナル曲や、彼らが演奏するジャズが、いったいどんな「サウンド」なのかは誰にも想像がつかないはずなのだ。実は、そこをアニメではどう表現するのか――制作者が、そこをどう解釈して実際のサウンドを作ったのかが、個人的にいちばん興味があったのだが、聞こえてきたのは、比較的「普通のサウンド」だったので私的には幾分拍子ヌケした(もっとフリーっぽい、ハチャメチャなサウンドを予想していたからだ)。しかし、原作者が好む上述のジャズ・サウンドの傾向と、このアニメ作品の企画意図からすると、おそらくいろいろ意見があったにしても、まずまず妥当なサウンドに直地したということなのだろう。ロックやポップスしか知らない日本の若者にアピールするためには、ある程度分かりやすい音楽でなければならないだろうし、いきなりハードでアヴァンギャルドなジャズというわけにもいかないからだ。上原ひろみが、そのバランスを考慮しながらサウンドをまとめていったのだろうと推察する。だが登場人物たちの「熱く燃え上がるような意欲」は、アニメによる動く映像の効果も併せて、サウンド的にもリアルに表現されていたと思う。
漫画『BLUE GIANT』はまだ連載中の作品でもあり、アニメ化をどこまでやるのかは分からないが、仮に今後も計画しているようなら、「旅立ち編」とも言える、日本を舞台にした今回の第1部から、いかにもヨーロッパ的な多国籍メンバーによる第2部「Supreme」、ジャズの「本場」アメリカ大陸を、冒険するかのように横断してゆく現在連載中の第3部「Explorer」――と、聞こえてくる宮本大のサックスとバンドのサウンドが、彼の人間的、音楽的成長と共に、どのように変化してゆくのかも「聞きどころ」になるだろう。ストーリー展開もさることながら、ジャズファンにとってはそれもまた、アニメ化した『BLUE GIANT』の大きな楽しみになった。