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2017/02/23

モンク考 (1) モンクの音楽の背景にあるもの 

セロニアス・モンクは大好きな人もいれば、嫌いな人もいるという個性的なジャズ音楽家だ。そこは個人の好みや感覚という問題もあるので何とも言えないが、私のようなモンク好きな人間にとっては、やはりその音楽の背景についてもっと知ってみたい、という興味が尽きない不思議な魅力がある。私はリー・コニッツが好きで、音楽的には真反対に見えるようなモンクも好き、というやや変則的な好み(?)があって、その理由については自分でもよく説明できないでいた。しかしロビン・D・G・ケリーの「Thelonious MonkThe Life and Times of an American Original」を読み(翻訳し)ながら、モンクのCDをずっと聴いているうちに、これまではっきりとわからなかったモンク像がおぼろげながら見えてきて、そこから考えたことがいくつかあるので、ここに「モンク考」としてその一部を書いてみたい。(私的感想文です)
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<5 by Monk by 5>
1959 Riverside
この本を読み終わって私がまず思い浮かべたのは、なぜか「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟(うぶね)かな」という芭蕉の有名な句であった。宴の後に漂う寂寥感と、天才ジャズマンの人生を知った後の感慨が同じものだと言うつもりはないが、著者も述べているように、モンクの物語はまさに読んでいて疲れるのだが、一方で確かにわくわくするようなスリルもあり、どこかおかしくもあり、また美しくもあり、しかし哀しくもある。世の中の認証を求めて苦闘し、警察による精神的、肉体的暴力に耐え、愛する家族のためにあくせくギグに出演し、ロードに出かけ、生活と創造活動に疲れ、酒とドラッグで癒し、精神を病んだ天才にしかわからない心象風景は、やはり美しく、また哀しいものでもあったのだろう。当然ながら、モンクの音楽世界もそれは同じだ。聴く者をハッピーにさせるあの骨太で、ユーモアがあり、何物にも捉われない自由と開放感こそモンクの音楽の身上だが、同時に、奇妙に響くコードや複雑に躍動するリズム、その上に乗った不思議に美しいメロディからは、べたつきのないメランコリーと、そこはかとないノスタルジーがいつも聞こえてくるのである。

この本で著者が描こうとした主題は「自由」と「独創」である。モンクも、そしてモダン・ジャズの本質もまたそこにある。制度であれ、規則であれ、慣習であれ、自らを束縛する約束事から解放されたいと希求する魂がモダン・ジャズを生み、モンクはまさにそれを体現した音楽家だった。モンクの音楽を聞いていると、なぜ自由になった気がするのか、なぜ精神が軽く解き放たれたように感じるのか、よく説明できないものの長年そう感じてきたが、楽理分析を超えた、その謎の源と思われるものが本書で描かれている。その典型例が、フランク・ロンドン・ブラウンという作家が触発されて小説「The Myth-Maker」を書いたとされる、モンクの曲〈ジャッキーイング(Jackie-ing)〉だ。1959年のアルバム「5 by Monk by 5(Riverside) 冒頭の1曲で、モンクのカルテットにサド・ジョーンズが客演したこの曲の初演だが、モンク的自由が溢れ、躍動感に満ちた名演であり、各ソロも素晴らしいが特に背後でコンピングするモンクのピアノは最高だ。

またよく知られているように、チャーリー・パーカーやバド・パウエルのエピゴーネンは数多く、本流としてのモダン・ジャズはある意味そのコピーの連鎖で出来上がったような音楽である。しかしモンクにはそうしたプレイヤーはほとんどいなかった。音楽思想の独自性は理解されても、モンクの音楽そのものがあまりにも「個性的」、「独創的」で、コピーしようがなかったからだ。その点で、モンクはリー・コニッツとよく似ている。コニッツとモンクは、白人と黒人、ホーン奏者とピアニスト兼作曲家という違いがあり、またそのジャズ観、生き方、音楽のスタイルともに両極にあるほどの違いがあるかに見える。しかしただ一つ、「誰にも似ていない、誰にも真似できない」固有の声(voice)を持っているという点で、二人にはジャズ音楽家として共通の資質と精神があるのだ。両者ともに、1フレーズを聞いただけでコニッツであり、モンクだとわかるほどサウンドの個性が際立っている。そして、その音楽が時流に媚びず、深く個人に根ざしているがゆえに、いつまでも古びることのない普遍性を持っている。コード進行に縛られず、曲のメロディに基づく自由な即興演奏にこそ価値があるという強固な音楽的思想と信念を持ち、妥協することなく自らの音楽を追求したことで、時に周囲から理解、評価されにくい異端の人だったという点も同じである。この二人の独創的音楽家の一番の違いは、当然ながらモダン・ジャズ本流に与えた音楽的影響の大きさだ。トリスターノ派のコニッツが、白人の非主流派としてマイナーな存在、芸術指向の強い孤高の位置に留まり続けてきたのと対照的に、ブルースやストライド・ピアノというジャズの伝統を背負った黒人モンクは、生涯にわたってショービジネスの世界に生き、異端ではあったが最初から常にジャズの本流にいて、その独創性はジャズという音楽と、同時代はもちろん、その後に続く世代のジャズ・ミュージシャンたちに深くかつ目に見えない影響を与え続けた。

そうしたジャズ界への影響力と音楽的スケールも含めて、モンクこそまさに「群盲、象を撫でる」がごとき芸術家であり、ジャズというジャンルを超えた音楽家だった。様々な分析が試みられてきたが、誰もモンクの音楽の全体像を「正しく」表現できない。いくら言葉を並べても、パトロンだったニカ男爵夫人が書いたように、「それは不遜であり、意味のないこと」なのだろう。この本の中でも、モンクを愛する人たちが、モンクの素晴らしさを様々な表現で形容しているが、私がいちばん気に入ったのは、アーティストにして批評家ポール・ベーコンの、「元気がいいが、やり方は無茶苦茶で……だが出来上がってみると世界のどこにもないような美しい家を建てる」名うての大工の譬えだ。「モンクは "独創的でしかいられない"人間なのだ」というニカ夫人の表現も、まさにモンクの本質を突いている。モンクの最高傑作「Brilliant Corners(1957 Riverside)は、不遇だったモンクの独創性がようやくジャズ界の公式な認証を得て、そのジャズマン人生もようやく開花した記念すべきアルバムである。
<Brilliant Corners>
1957 Riverside

本書で描かれた生き方から、モンクはとにかく束縛されることが大嫌いな人間だったことがわかる。あらゆる規則や約束事に縛られることを嫌い、何ものにも捉われないのがモンクであった。1960年代の公民権闘争の時代、政治的に共感することがあってもマックス・ローチやチャールズ・ミンガスとは違い、直接的政治行動に関わったり、集団や組織の一部として行動することを徹底して嫌い、多くの慈善興業やギグに出演しても常に個人として単独で行動している。その姿勢は宗教に関しても同じである。音楽上も、共演相手が誰であろうと、常に自分の音楽を演奏していた。モンクの音楽とは本質的に「自由」を表現したものだ、という冒頭の著者の指摘も、米国黒人史における政治的自由に加え、人生でも音楽でも、個人としての自由を常に求め続けたモンクの資質を意味している。