楽曲の構成、ミスのない演奏、音質など、全体的な完成度から言えば、まだ音源をいじりまわさなかったモダン・ジャズ全盛期でも、一般にスタジオ録音のアルバムの方が優れているものだ。しかし、あまり「作られ感」が強いレコードは、ジャズのいちばんの魅力である即興性をそいで、演奏から音楽全体が持つダイナミズムを奪ってしまうことがままある。その点、ライヴ音源は演奏そのものだけでなく、「場と時間の音楽」というジャズの本質を自然に捉えた録音が多く、一度限りのその場の空気と、場を共有したプレイヤーと観客両者の息づかいまでも一緒にレコードの中に封じ込めたアルバムもたくさんある。もちろんジャズは実際ライヴで聴くのが最高なのだが、特にヴォーカル・アルバムにはそうしたライヴの魅力を、いながらにして楽しめる名盤が数多い。録音が臨場感に溢れ、リラックスしてまるで客の一人になった気分になれるかどうかが、私にとってはクラブ・ライヴ盤の良否であり醍醐味だ。歌詞を忘れたり、楽器をぶつけたり、マイクコードに足を引っ掛けたりというライヴならではのハプニングが時々起こり、アドリブでそれを笑って切り抜けたりする楽しさを、こちらもその場にいるかのように味わえるのもライブ録音ならではだ。
At Mister Kelley's Sarah Vaughan (1957 Mercury) |
サラ・ヴォーンSarah Vaughan (1924-90) の『At Mister Kelley’s』(1957 Mercury)は、デビュー8年後、33歳という文字通り彼女の絶頂期に、シカゴのナイトクラブ「Mister Kelley’s」で録音されたライヴ・アルバムだ。彼女はクリフォード・ブラウン(tp)との共演盤(1954)をはじめ、既に何枚かの名盤を録音していたが、このライヴ盤では、ジミー・ジョーンズ(p)、リチャード・デイヴィス(b)、ロイ・ヘインズ(ds)という名人によるピアノ・トリオをバックにして、こじんまりした伴奏で親密に歌っているところが特徴で、サラの歌が本来持つ明るく伸び伸びした躍動感に加え、お得意のスキャットも聴けるし、高い技巧を駆使して非常に微妙なニュアンスまで表現しているところがいい。サラ・ヴォーンの魅力は、巧いのだが、そのテクニックをあまり前面に出さないで、やわらかな情感と適度なジャズっぽさを絶妙にブレンドした歌唱にある。また、<Willow Weep for Me>の途中で何かに躓いたか、何かが倒れたような大きな音をマイクが拾って、サラがすぐに歌に取り入れたりとか、ライヴ・レコーディングらしい楽しいお約束も楽しめるし、観客の笑いや拍手の反応など、あの時代のナイトクラブの雰囲気がよく伝わってくる。オリジナルLPは9曲だったが、現CDは追加ボーナストラックで全20曲に「増量」されている。(CD追加トラックでは、ギターや一部ホーンも加わっているので、たぶん同じクラブの別セッションの演奏を録音したものを加えているのだろう。)いずれにしろ、サラ・ヴォーンとジャズ・ヴォーカルの魅力がたっぷりと詰まった名ライヴ・アルバムだ。
At the Village Gate Chris Connor (1963 FM) |
白人女性ヴォーカルでは、クリス・コナーChris Connor (1927-2009)が、ニューヨークのイースト・ヴィレッジにあったジャズクラブ「Village Gate」で録音した『At the Village Gate』(1963 FM) が素晴らしい。こちらはロニー・ボール(p)、マンデル・ロー(g)、リチャード・デイヴィス(b)、エド・ショーネッシー(ds)というカルテットが伴奏している。ロニー・ボールは元々トリスターノ派のピアニストだが、しばらくクリス・コナーの歌伴をしていた人だ。トリスターノ直系のクールで硬質なボールのピアノが、クリスのハスキーな声と、どちらかと言えばドライで滑らかな唱法に非常に合っていて、マンデル・ローのスウィンギングなギターも同じくクリスと相性がいい。クリス・コナーはクロード・ソーンヒル、スタン・ケントンなどモダンな白人ビッグバンドを経てデビューした後、スタジオ録音でも数多くの名盤を残している人だが、当時は30代半ばの女ざかりでもあり、その容姿と共に、このライヴ・アルバムは彼女の語りも多く入っていて、何より全体としてジャズクラブらしいリラックスしたムードが最高だ。付き物のハプニングとして、このアルバムでもクリスが歌詞を忘れる場面が<Black Coffee> で出てくる。前後半でEarly ShowとLate Showの2部構成になっており、ミディアムからアップテンポの前半、スロー・バラード中心の後半に分かれているが、前半は軽快に、後半はしっとりと、クリスはいずれも余裕たっぷりにこなしている。リラックスしてこの時代のジャズクラブの雰囲気を楽しめるいいアルバムです。
As Time Goes By Carmen McRae (1973 JVC) |
3枚目は、1973年に来日中だったカーメン・マクレー Carmen McRae (1922-94)が、当時の「新宿DUG」で行なったピアノの弾き語りライヴ録音『As Time Goes By』(JVC)だ。ジャズ・ヴォーカルの名盤として有名なレコードだが、今でも日本以外では簡単に入手できないようだ。元々ピアニストでもあったカーメンのピアノ技術の素晴らしさは知られていたが、当時常に同伴していた伴奏ピアニスト(トム・ガービン)の演奏に満足していなかったJVC側が、しぶるカーメンを口説き落として何とか弾き語りの録音にこぎ着けたという逸話がライナーノーツに書かれている。アメリカですら一度もやったことのない弾き語りを、しかもいきなりでアルバム1枚分も弾ける曲がないと最初固辞していたカーメンだったが、1曲だけでも…という熱意にほだされて思い出しているうちについに10曲以上のレパートリーが出てきた、ということだ。バラード中心の選曲で、カーメンの歌もピアノも実に素晴らしい。若い頃からエラ、サラのような派手さではなく、ビリー・ホリデイを手本に歌の表現力で生きてきたように、一行一行の歌詞を大事にして語るように唄うが、そのきれいな発音の英語は当時の他の黒人女性歌手にはなかなか聞けないものだ。したがって名盤『Great American Song Book』(1971 Atlantic)を典型的な例に、クラブ・ライヴで小編成のバックで唄うのが彼女には一番合っている。またニーナ・シモンと同じくピアノの実力もあったことから、一度弾き語りを聴いてみたい、という当時の日本側の興味と企画は実に的を得たものだ。独特の高音による金属的な声は好みが分かれるようだが、当時53歳で円熟期でもあり、その歌のうまさで声質はまったく気にならない。タイトル曲<As
Time Goes By>もいいが、マーサ三宅さんも感動した<The Last Time for Love>の味わいがやはり素晴らしい。またオーディオファンの間では、ピアノの鍵盤に当たる彼女の爪の音まで収録されていると、評判になったほど優れた録音のアルバムでもある(多分それには良いオーディオ・システムが必要だろうが)。1970年代は、それまでレコードでしか聴けなかったアメリカのジャズのビッグネームが続々日本にやって来た時代で(本国で食えなくなってきたこともあって)、今思うと日本のジャズファンにとってある意味夢のような時代だった。それにしても、カーメンの録音に限らず、アメリカでは低評価だったプレイヤーや未発表音源の発掘など、バブル前70年代の日本のジャズ関係者は本当にいい仕事をしていたと思う。