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2018/06/29

ジャズ的陰翳の美を楽しむ(2)

Milt Jackson Quartet
1955 Prestige
ヴィブラフォン(ヴァイブ)という楽器は、その深い響きと音色そのものが、そもそも独特の陰翳を持っている。オールド・ジャズファンは、この音を聞くとあっという間にジャズの世界に引き込まれる。ジャズでヴァイブと言えば、まずミルト・ジャクソン(Milt Jackson 1923-99)であり、MJQでの演奏を含めて、どの参加アルバムもまさにブルージーな味わいがある。売れっ子だったのでミルト・ジャクソンの参加アルバムはそれこそ数多く、スローからアップテンポの曲まで、何でもこなしてしまうが、この『Milt Jackson Quartet』(1955 Prestige) は中でも地味な方のアルバムだ。ジャケットもそうで、よく言えばシブいということになるのだろうが、リーダーのミルトが淡々とヴィブラフォンを叩いているだけで、ホーンもなければ、盛り上がりも、ひねりもない地味な演奏が続くが、なぜか時々取り出して無性に聴きたくなるアルバムの1枚なのだ。カルテットだがパーシー・ヒース (b)、コニー・ケイ (ds) MJQと同メンバーなので、違う点はジョン・ルイスではなくホレス・シルバーのピアノ、それとリーダーがMJQとは違いミルト本人という点だ。シルヴァ-のピアノはサポートに徹して大人しいが、ジョン・ルイスにはないジャズ的な風味を強く加えている。MJQと違ってミルトがリーダーなので、リラックスして実に気持ち良さそうに自由にヴァイブを叩いているのが伝わってくる。スタンダードのブルースとバラードという選曲もあって、ブルージーかつメロディアスで、音楽に雑味がなく、MJQのような “作った” というニュアンスもなく、ミルトの美しいヴァイブの音色とともに、まさしく "あの時代の モダン・ジャズ" そのものというムードがアルバム全体に漂っている。時々妙に聴きたくなるのは、多分このせいだ。

Pike's Peak
Dave Pike
1961 Epic
もう1枚のヴァイブ・アルバムは、白人ヴァイブ奏者デイヴ・パイク (Dave Pike 1938-2015) がリーダーのカルテット『パイクス・ピーク Pike's Peak』(1961 Epic) だ。パウル・クレーの絵を彷彿とさせるジャケットが象徴するように、これも全体に実にブルージーなアルバムだ。パイクはその後ラテン系音楽のレコードを何枚か残しているように、ラテン的リズムが好きだったようで、このアルバムでも<Why Not>や<Besame Mucho>のような躍動感あるリズムに乗った演奏が収録されているが、一方<In a Sentimental Mood>や<Wild is the Wind>のようなスローなバラードも演奏していて、全曲に参加しているビル・エヴァンスのピアノがそこに深みと上品な味を加えている。当時絶頂期だったエヴァンスは、相棒のスコット・ラファロ(b)を突然の事故で失った後の参加で、いわば傷心からのリハビリの途上にあったが、アップテンポでもスローな曲でもさすがというバッキングとソロを聞かせる。このアルバムでは、特にラストの<Wild is the Wind>が、曲そのものがいいこともあるが、パイクの密やかで情感に満ちた演奏と、それに控えめにからむエヴァンスが素晴らしい(ただしキース・ジャレットと同じで、パイクがユニゾンでスキャットしながら弾いているところが気になる人がいるかもしれないが)。

John Lewis Piano
1957 Atlantic
ピアニスト、ジョン・ルイス (John Lewis 1920-2001) MJQのリーダーとして有名だが、個人リーダー名義のソロやトリオ、コンボでも多くのレコードを残している。"ヨーロッパかぶれ" とか言われることもあるが、クラシックの影響の強いその演奏は、"配合のバランス" がうまくはまると、アメリカの黒人によるジャズとクラシック音楽の見事な融合が聴ける作品もある。『ジョン・ルイス・ピアノ』(1957 Atlantic) もそうしたレコードの1枚で、タイトル通りMJQというグループとは別に自己のピアノの世界を追求したもので、静謐で、知的で、深い陰翳の感じられる、ある意味で稀有なジャズアルバムだ。パーシー・ヒース (b)、 コニー・ケイ(ds) というMJQのメンバーに、ジム・ホール、バリー・ガルブレイスというギター奏者を加えた演奏から構成されている。全曲ゆったりとした演奏が続くが、演奏の白眉は、ギターのジム・ホール (Jim Hall 1930-2013)との10分を超える最後のデュオ曲<Two Lyric Pieces (Pierrot/Colombine)>だ。底知れぬ静寂感、深い響きと余韻は、おそらくこの二人にしか表現できない世界だろう。

Chet
Chet Baker
1959 Riverside
ヴォーカリスト兼トランぺッター、チェット・ベイカー (Chet Baker 1929-88) の『チェット Chet』(1959 Riverside)は、基本的にスローなスタンダード、バラード演奏を集めたもので、チェットのヴォーカルは収録されていない。ペッパー・アダムス(bs)、ハービー・マン(fl)、ビル・エヴァンス(p)、ケニー・バレル(g)、ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)、コニー・ケイ(ds)と、当時のオールスターを集めた割に、これも一聴地味なアルバムで、演奏メンバーはチェットとベースのチェンバースを除き曲ごとに入れ替わっている。しかし白人チェット・ベイカーは、ヴォーカルもそうだが、トランペットの音色とフレーズそのものに、黒人的なブルージーさとは別種の深い余韻と陰翳を感じさせる稀有なトランペッターであり、このアルバムでも独特のダークかつアンニュイな雰囲気を漂わせ、すべての曲が深い夜の音楽だ。目立たないが、当時チェンバース、フィリー・ジョー共々マイルスバンドにいたビル・エヴァンスのピアノも当然このムードに一役買っている。どの曲もテンポがほとんど変化しないこともあって、単調と言えば単調なのだが、聴いているとついうとうとしてしまうほど気分が落ち着く。サウンドが夜のしじまにしみじみと響き渡る寝る前あたりに聴くと、心地良い眠りにつける。

Take Ten
Paul Desmond
1963 RCA
同じ陰翳でも深く濃いものではなく、明るく淡い光のグラデーションのような微妙な音の響きが感じ取れる繊細な演奏もある。白人アルトサックス奏者ポール・デスモンド (Paul Desmond 1924-77) が、ジム・ホール (g) という最良のパートナーと組んだ、地味だが粋なアルバムがピアノレス・カルテットによる『Take Ten』(1963 RCA)だ。二人が紡ぎ出す美しく繊細な音で全ての曲が満たされ、ジム・ホールのセンス溢れる絶妙なギターと、デスモンドのアルトサックスの美しく長いメロディ・ラインを堪能できる。縦にダイナミックに動くピアノのリズム、コードに合わせているデイブ・ブルーベックのコンボ参加の時とは異なり、ホールのギターの滑らかなホリゾンタルな音の流れに、どこまでも柔らかく透明感溢れるデスモンドのアルトサックスの音が美しく溶け合って、実に洗練された極上のイージー・リスニング・ジャズとなった。<黒いオルフェ> のテーマなどボサノヴァの名曲のカバーも勿論良いが、 <Alone Together>や<Nancy> などのスタンダード・ナンバーの密やかな味わいが素晴らしい。

2018/06/21

ジャズ的陰翳の美を楽しむ(1)

蝋燭の時代からガス燈へ、さらに白熱電球から蛍光灯へ、そして今LEDへと、その昔、谷崎潤一郎が礼賛したような微妙な明と暗、光と影が織り成す「陰翳」は、少なくとも日本の夜からはほぼ消滅したかのように見える。ところが谷崎が日本の美意識と対照的だとした欧米では、古めのホテルなどに泊まると、うす暗い部分間接照明が多くて、本などまともに読めないくらい部屋の中が暗いことがある。そうしたホテルの部屋は、最初は気が滅入るが、慣れるとその仄暗さが逆に落ち着いた気分にしてくれて、徐々に快適に感じられるようになる。反対に、普段は気にもしていない日本の普通の家屋が(自分の家も含めて)、部屋の隅から隅まで不必要に明るく照らし出していることに気づく。大都市の街中に乱立する電柱と、空を遮る見苦しい電線と同じで、日本人には見慣れて当たり前になって気づいていないのだが、この明るさへの感覚も、戦後の高度成長期のあの白々しい蛍光灯の家庭への急速な普及によるところが大きいのだろう。家の中が “こうこうと" 明るいと、当時はなんだか豊かで幸せになったような気がしたからだ。経済的な豊かさを (物理的に) "明るい" 我が家が象徴しているように思えたし、当時は日本中の家庭が同じように感じていたのではないかと思う。そのかわり、何もかもがのっぺりして見え、光と影が作り出す陰翳の生まれる余地もなく、谷崎の好んだような世界とは程遠い、見事に “明るい” 環境が日本の夜に生まれた。こうした光の世界が、日本人の感覚や感性に長期的に、微妙な影響を与えていることは間違いないのだろう。今は対極にあるような派手なイルミネーションやプロジェクション・マッピングなどが全盛の時代だが、とはいえ、陰翳に対するそうした独特の感受性を日本人がまったく失ったというわけでもなく、ジャズのような西洋の音楽の中に陰翳の美を見出す、という聴き方も伝統的に存在してきた。

ジャズはその出自からしても基本的に夜の音楽だ。ジョージ・ウィーンが企画した1954年のニューポート・ジャズ祭以降、昼間の興行としても行なわれるようになり、ノーマン・グランツによって狭く暗いジャズクラブから明るく大きなコンサートホールへと演奏場所が拡大しても、狭く仄暗いジャズクラブで、ステージ上でミュージシャンが仄かな照明で照らされながら演奏されるジャズが、やはりいちばんジャズらしい。スウィング時代のダンスホールでの伴奏音楽から、演奏そのものを聞かせるモダン・ジャズ時代になってその傾向はさらに強まった。ただそうは言っても、ジャズはブルースを基調にしながらも躍動的な “ビート” が基本の音楽なので、ライブでもレコードでも一般的にはダイナミックな演奏が大半であり、スローな演奏は、たいていの場合一息入れる途中の休憩みたいに扱われてきた。そうした中にあって、決して大名盤とかいうレコードではないが、ほぼ全編がゆったりとしたブルージーな演奏で占められながら、ポップな、あるいは甘ったるいバラード演奏ではなく、シブく、クールで、大人の香りのする、文字通り微妙な “陰翳の美” を感じさせるジャズアルバムも残されている。そしてライブ演奏ではなく、レコードを中心に繰り返し聴いて細部にこだわるという日本のジャズ文化が、ソニー・クラークのような微妙な "陰" を持つピアニストのように、欧米ではなかなか理解されなかったジャズ・プレイヤーの魅力を "発見" してきたことも事実だ。ジャズの世界においても発揮されてきた、この独特の日本的感性はやはり世界に誇れるものだ。そうしたジャズ的陰翳の美を感じさせるアルバムをいくつか紹介したい。

Art
Art Farmer

1961 Argo
トランペットという楽器は、一般的にジャズ・コンボにあっては花形で目立つ存在であるべきで、クリフォード・ブラウン、リー・モーガン、フレディ・ハバードなどよく謳う奏者がその典型だ。一方、ケニー・ドーハム、マイルス・デイヴィスや、このアート・ファーマー(Art Farmer 1928-99)のように高らかに謳い上げず、音を選び、どちらかと言えば穏やかでリリカルな演奏を得意とする奏者もいて、トランペットに限らず日本人は特にこの手の奏者を好んできた。陰翳の美を高く評価し、楽器は鳴らせばいいというものではないと言い、最小の音数とデリケートな奏法で、トランペットのもう一つの世界を提示する名人芸を我々は愛でてきたのである。アート・ファーマーは、ソニー・クラークの『Cool Struttin’』やジェリー・マリガンの『Night Lights』など、吹きまくる作品ではなくブルージーで陰のある作品でこそ、その目立たないが、シブく味わいのある個性が最高に発揮される奏者だ。ファーマーの相棒としてぴったりの資質を持つ、トミー・フラナガンという最高のピアニストによるトリオのサポートを得たこのワンホーン・カルテットによる『アート Art』1961 Argo)は、そのシンプルさと静謐さゆえにベテランのジャズファンも時々帰ってみたくなる世界であり、ジャズの初心者が聴いても、ミディアム・テンポ中心の穏やかで、ソフトな音色とモダン・ジャズのエッセンスを楽しめるアルバムだ。

Modern Art
Art Pepper
1956/57 Intro
アート・ペッパー (Art Pepper 1925-82) も数多くの名盤を残し、特に1950年代の西海岸時代の演奏は多くの人が絶賛するように、どのアルバムを取っても天才的なメロディとアドリブラインに満ち溢れていて素晴らしい。しかしペッパーのもう一つの魅力は、その憂いと湿り気を帯びたような独特のアルトサックスの音色にある。ペッパーのアルトには西海岸の明るい光と影が同居しているのである。ワンホーン・カルテットによる『モダン・アート Modern Art』1956/57)は、そのジャケットとタイトルが象徴しているように、ペッパーの諸作中でもとりわけブルージーで抑えたエモーションと麗しいアルトの音色など、全ての演奏で陰翳と知的な美しさが際立っている。全体に、そこはかとなく漂うノスタルジーもいい。サポートするメンバーもペッパーの名演を引き立て、特にラス・フリーマンの西海岸的ピアノが素晴らしい。本盤のCDは何種類か出ているが、アルトとベースのデュオによる<Blues In> から始まり、<Blues Out> で終わるという構成が示しているように、オリジナルLP収録順に何も追加編集していない盤を勧める。本作のように古典になっているジャズ名盤は、その時代のジャズ作品としてよく考えられたアルバム・コンセプトを持っていて、1枚のアルバム全体の与える印象も込みで作品として完結しているので、そういう聴き方をした方が楽しめるからだ。ただしアート・ペッパーの演奏そのものをもっと聴きたいという人は、<Summertime>などの追加曲が入ったCDを選んだらいいだろう。

French Story
Barney Wilen
1989 Alfa
バルネ・ウィラン (Barney Wilen 1937-96) は別項でも書いたが、1950年代からフランスで活動した名テナーサックス奏者で、映画『危険な関係』ではセロニアス・モンクやアート・ブレイキーなどとも共演している。70年代に一度引退した後、80年代後期に活動を再開し、1990年代になってからは日本のレーベル向けを含めて何枚かCDを吹き込んでいる。バルネのサックスには、ハードボイルド的な硬質さと共に、アメリカの黒人や白人プレイヤーにはない、フランス人の男性だけが持つ独特の抒情と色気のようなものがある。そしてその演奏からは、アメリカにはないヨーロッパ的陰翳の深さが聞こえてくる。フランス映画とジャズの相性の良さについては別項でも書いたが、バルネ・ウィランの演奏と音は、フランス映画独特の光と影のコントラストが常に感じられる映像にまさにぴったりなのだ。『ふらんす物語 French Story』はバルネ復帰直後の1989年に録音され、日本のアルファ・レコードからリリースされたアルバムで、<男と女>、<死刑台のエレベーター>、<シェルブールの雨傘>、<枯葉>など全曲が傑作フランス映画のサウンドトラックや名曲で構成されている。ピアノのマル・ウォルドロンが加わったワンホーン・カルテットによる演奏で、バルネの音といい、ウォルドロンの空間を生かしたモンク的プレイといい、カラーではなく陰翳の濃いモノクロ画面を見ているようなコントラストの強さが感じられる演奏と、それを捉えたサウンドも素晴らしい。現在は別ジャケットによるCDとアナログ盤 (『French Movie Story』) が再発されている。

2018/06/02

NHK「ブラタモリ」と「日本縦断こころ旅」

今回もジャズとは直接関係のない話だが、独特の当意即妙の反応と、がちがちの決めごとを嫌い、基本的に ”適当で、ゆるい” 雰囲気醸し出す自然な振る舞いが、いかにもジャズを感じさせる人について。
このキャラも…

テレビ離れが指摘されて久しいが、私も最近テレビは、ニュースとドキュメンタリーとサッカー以外ほとんど見ない。お笑いが仕切る内輪ネタやイジリ中心のバラエティ番組は、どれを見ても新味がないのでもう飽きた(こっちの年のせいもあるが)。ドラマも同じような題材と俳優ばかりで興味が湧かないが、今季のNHK朝ドラ「半分、青い。」はリズムとテンポが良く、今のところは面白いので別だ。「あまちゃん」以来の出来だろう。漫画的だが、脚本も演出も、主人公も俳優陣もとても良い。少し前だが「ちかえもん」や「おそろし」といった時代劇、今も続編をやっている「京都人の密かな愉しみ」のように、これぞNHKという名作もたまにあって、このあたりはさすがだ。やはり基本的に脚本と演出が良ければ、質が高くて楽しめるドラマができる。ところがそのNHKが、業績好調を背景に調子に乗っているのかどうか知らないが、民放の "まがいもの" のようなちゃらちゃらした、しかもいかにも金をかけたような毒にも薬にもならないバラエティ番組を最近やたらと増やしているように見える。若者受けや視聴率アップを狙ったお気楽なエンタメ指向を強めた上に、民放の仕事まで奪ってどうするのか。最近はNHKブランドに引かれて集まるタレントも多くなったようだが、それを利用しているようにも見える。同じ金をかけるなら、ネットでは伝えられない硬派のニュースやドキュメンタリー、あるいは民放にはマネのできない、良質な大人の番組にもっと投入してはどうか。こちらはそのために長年受信料という金を払っているのだ。NHK自身が放映している海外のドキュメンタリーなどは、派手さはなくとも深く鋭い番組がたくさんあるし、制作手法としてもまだまだ学ぶべきところがいくらでもある。そうした中にあって、金も旅費以外たいしてかかっていない低予算番組のように見え、視聴者への媚びもなく、中高年の鑑賞にも耐え、しかもリラックスして楽しめる貴重な番組が、地上波の「ブラタモリ」と、BSの火野正平の「日本縦断こころ旅」だ。

「ブラタモリ」は、タモリとアシスタントの女性アナウンサーが日本各地を訪ねて、その土地ならではの隠れた地理、地質、歴史や面白さを、実際に現地の人や専門家(これがまた個性的な人が多くて面白いが、特に素人然とした人の方が面白い)の案内で歩きながら探り、引き出すという番組だが、タモリのオタク度満点の博識ぶりと反応と解説で、地学や歴史を笑いながら学べる教養番組でもある。この番組は酒を飲みながら見ると、なぜか非常に楽しめる。こうしてNHKに出演するようになったタモリは、昔と違って今や大物感がないわけではないが、それでも知性に裏打ちされ、かつ肩の力を抜いた本来のオタク的タモリは、普通のお笑い芸人と違って受けようとか、媚びようとかする気配がまったくないので、そのカラッとしたクールさが相変わらず素晴らしい。何より、タモリ本人がいちばん面白がっている様子が伝わって来るところがいいのだ。草彅剛のナレーションも、井上陽水のテーマソングも、番組コンセプト通りに力の抜けた感じで統一されている。開始当初はNHK的でやや硬い部分もあったが、徐々に「タモリ倶楽部」の、あの ”ゆるい” 味わいをあちこち散りばめるようになって、今や番組全体のトーンも安定している。最初緊張してぎこちない新アシスタントの女性アナウンサーが、いずれも徐々に番組のペースに慣れて、タモリ氏とぴったり息が合うようになってくるところも見どころだ(今度のリンダ嬢は少しタイプが違うが)。ただ彼女たちがどういう基準で選ばれているのかはわからないがNHK女子アナの出世コースデビューの場のようになって、背後のNHK的売り出し意図がどことなく見えるようになってきたことは、番組の素朴な面白さを損なうようで、私的には何となく抵抗を感じる最初からそういう意図があったのかも知れないし、タモリ氏との相性や好みも当然反映されているのだろうが)

一方火野正平の「こころ旅」は、自転車に乗った全員貧乏そうな(?)クルーが、これも日本の各県、全国津々浦々を走りながら視聴者の手紙に書かれた思い出の場所「こころの風景」を、夏冬の休憩期間を除き、雨の日も風の日も週4日間毎日訪ねるという趣向で、こちらも番組としてはスタッフの旅費以外たいして金はかかっていないだろう(夜の宴会はどうか知らないが)。名所旧跡に行ったり、上等な料理を食べて蘊蓄を語るわけでもなく、どこにでもあるような日本の町や村を、山坂超えて毎日一箇所訪れて、時にはしみじみとしながら手紙を読むだけの番組で、火野正平の昼食など毎日のようにナポリタンやオムライスだ(本人が好きなこともあるが)。貧富で言えば、タモリの番組より低予算だろうし(たぶん)、正平の体力だけが頼りの番組だが、こちらも正平氏の肩の力の抜き加減が絶妙だ。それに自転車目線の映像を見ていると、どことなく懐かしさを感じるあちこちの町や村の田舎の風景が毎回のように出て来る。正平氏も言うように、この番組がなかったら絶対に行かないような場所が毎日テレビで見られるのだ。自分が自転車に乗ってそこを走っているように思えてくるし、不思議なことに風の匂いまで感じられるような気がするときもある。この空気まで感じられるライブ感は他の番組では絶対に味わえない。生きもの、動物、草木への興味と意外な知識(妙に目が良くて、すぐに何か見つける)、特に昆虫から爬虫類、犬や猫、牛や馬、といった動物まで、生きもの人間の子供含)たちとの垣根をまったく感じさせない火野正平のほとんど小学生並みの野生児ぶりも見もので(相手も確かにそういう無防備な反応をするのだ)、これも子供時代を思い出して懐かしく感じる理由だろう。自虐ネタ、ダジャレ、下ネタやあからさまな女好きの性向、途中で出会う相手によって微妙に距離感を変える態度や反応(やはり構える人は苦手のようで、動物と同じく無防備な人が好みのようだ)、一方で、時折見せる子供のような純真さや温かな人間味など、とにかく正平氏の体力と同時に、その唯一無二とも言うべき自由な自然体キャラの魅力で持っている番組だ。当初は独特の正平ファッション(頭部以外)にも感心せず、たまにしか見なかったのだが、のんびりした展開や彼の人間性の魅力に段々と気づき、何よりリラックスできるので今ではすっかりファンになって毎日見ている(ファッションも以前よりだいぶ垢抜けた)。歌や音楽もなかなかいいので、番組のテーマ音楽CDまで買ってしまった。

「ブラタモリ」は放送開始後10年、「こころ旅」も既に7年になるそうで、両方とも今や立派な長寿番組だ。その間タモリ氏は72歳に、正平氏は69歳になり、普通のサラリーマンならとっくに引退している年齢である。それでも体を張って頑張るその元気さと好奇心に、中高年から絶大な支持と声援を得るのは当然だろう。両方とも旅番組の一種なのだろうが、あまたのその種の番組と違って、企画力と、知恵と、何より主人公のキャラの魅力で勝負していて、無駄に金をかけた感じがせず、作り物感のないライブ・ドキュメンタリーという印象を与えるところが共通している。片や、一見勉強はできるが陰で何やら怪しいことをしていそうな学級委員長、片や勉強は嫌いだが愛すべきクラスの悪ガキという、同じ面白さでも、いわば知と情という両者のキャラの対比も良い。それとおそらく、タモリと火野正平本人が番組の企画内容そのものに深く関与しているのだろう。それがNHKらしからぬ自由と自然さを番組に与えている。タモリ氏はたぶんもう金持ちだからいいだろうが、NHKはくだらないバラエティに金を使う代わりに、時代劇やドラマの仕事が減り1年の大半をこの番組に捧げていて、しかも日本中にファンがいる火野正平のギャラを上げるか、感謝の印としてたまには御馳走を食べさせたり、酒をたっぷり飲ませてやるとか(やっているのかも知れないが)、あるいはいつも前歯で噛んでいて、ついに抜けてしまったかに見える奥歯の治療費の援助でもしてやったらどうか(奥歯は番組のための彼の体力維持に必須だ。つまり治療は必要経費だ。多少痛いがインプラントを勧める。今ならまだ間に合う)。タモリ氏と正平氏には、こうなったら頑張って死ぬまで番組を続けてもらいたいものだと思う。