毎年秋には大きなホールでのジャズ・コンサートに出かけるのが恒例になっていて、一昨年は東京ジャズ、去年は秋吉敏子&ルー・タバキンだったが、今年は6月の角田健一ビッグバンド(紀尾井ホール)に続き、山中千尋のこのコンサートにした。クラシックとジャズが出会うというこの種の企画は、小曽根真が同じ八王子オリンパスホールで、東京フィルと ”Jazz Meets Classic” というコンサートをこれまでに何度か開いていて、私はそれも数回聴いている。山中千尋をライヴで聴くのは、2017年の紀尾井ホールでの文春コンサート以来で、あのときはモンクを現代的に解釈したエレピ演奏が中心だったが、今回は全曲アコースティック・ピアノによる演奏なので、楽しみにしていた。本当はジャズクラブで聞いてみたいのだが、都内だと結構演奏機会も限られ、チケットの入手も大変なのだ。今回は大ホールだが、かなり前方の席だったので、トリオの演奏ぶりも非常によく見え、迫力があって、楽しめた。また大ホールでストリングスが響き渡るフルオーケストラのサウンドはジャズとはまた別の魅力があって、いつ聞いても気持ちが良いものだ。クラシックのコンサートも以前は時々行っていたのだが、咳払いすら気にしながら緊張して聴くあの雰囲気が、リラックスして聴くのが好きなジャズファンとしてはどうも苦手で、段々足が遠のいた。その点、ジャズも一緒のこうしたコンサートだと、緊張感も薄れて多少気楽に聴けるところがいい。
"オーケストラplays JAZZ" 2019-09-28 八王子オリンパスホール |
山中トリオによる<エスターテ~サマータイム>(たぶん)の美しいメドレーで始まり、続いて東響との「ラプソディ・イン・ブルー」(ジョージ・ガーシュイン)、アンコールはトリオによる<八木節>、休憩をはさんで東響の「デューク・エリントン」(C・カスター編)、「シンフォニック・ダンス」(レナード・バーンスタイン)というプログラムだった。ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」(1924) はクラシックに分類されているが、“イン・ブルー” が示すように、ジャズの語法でクラシックの狂詩曲を作ったという、ある種のフュージョンである。日本でも山下洋輔、小曽根真、大西順子など、名だたるジャズ・ピアニストがチャレンジしてきたように、ジャズ側からクラシック音楽の世界に “正式に” 足を踏み入れることのできるたぶん唯一の有名曲だ。好みもあるだろうが、これまで聞いてきた限り、この曲はクラシック的なリズムを基調にした几帳面な演奏はあまり面白みがないように思う。ジャズ的スウィングとグルーヴがどこかしらずっと聞こえて来るような演奏が楽しい。また何箇所かあるピアノによるカデンツァのパートは、奏者によってまったく違う個性のインプロヴィゼーションが聞けるが、ジャズファンからすると、そこがこの曲のいちばんの聴きどころだ(クラシックファン的にはこのあたりはどうなのだろうか? ド素人的には、この曲の譜面はいったいどういう構成と表記になっているのだろうか、といつも気にしながら聞いてきた。)今回オーケストラと共演した山中千尋トリオのスリリングな超高速・超強力演奏は、個人的にはもう文句なく最高だった。リニアに疾走する彼女の高速ピアノからは、いつも何とも言えないカタルシスを感じる。同じ女性ジャズ・ピアニストでも、どちらかと言えばヘビーで男性的な大西順子のピアノとは対照的なサウンドで、ダイナミックでいながら空中を翔んでいるような軽やかさがあるのだ。あの小柄な身体から、どうやってあのパワーが出て来るのかと思うくらい、ぞくぞくするほどパワフルでスウィンギングな演奏だった。アンコールのトリオによるおハコ<八木節>も、当然ながら超絶のドライヴ感で弾きまくり、相変わらず楽しく素晴らしい。オーケストラの団員も、終始驚愕の目で彼女のピアノを凝視していたのが印象的だった。クラシック界の奏者から見たジャズ・ピアニストというのは、やはり驚異の存在なのだろうと思う。
Symphonic Dances from "West Side Story" |
ラジオ収録中の山中、原田両氏(右二人) 八王子音楽祭Tweetsより |
終演後、八王子ユーロードの特設ブースで行なわれた八王子FMの公開ラジオ番組収録に、原田、山中両氏が参加したトークがあり、そこへも出かけた。原田氏が実は元々サックス奏者を目指していたのでジャズもよく分かっている、という話をしていたが、その指揮ぶりからなるほどと納得した。またピアノ奏者と指揮者が、演奏中どう互いを観察しているのか、という内輪話も二人から聞けて面白かった。番組収録後には、モンク生誕100年にあたる2017年に出版した私の訳書『セロニアス・モンク 独創のジャズ物語』を取り上げ、その書評を日本経済新聞で書いていただいた山中千尋氏に直接お礼を申し上げる機会がようやく得られ、約2年間の胸のつかえが下りた。出版不況下で、モンクというユニークではあるがいわゆる人気者とは言えない音楽家の伝記であり、かつ長すぎるという理由で出版社から軒並み断られていたのを、シンコーミュージックがやっと出版してくれた本だったが、加えてジャズ界や出版界とは縁もゆかりもない人間が翻訳した本でもあり、専門誌は別として普通はなかなか一般メディアでは取り上げてもらえないものだ。しかし同じ年に、『Monk Studies』というモンクにトリビュートした新アルバムをリリースしていたジャズ・ピアニストである山中氏による全国紙での書評のおかげで、ずいぶんと本の知名度も上がったと出版社から聞いている。だが彼女は基本的に米国在住で、私はSNSもツイッターもやっていないので、これまで直接お礼する方法がなかったのである(幸運にも、今年出版した次書『パノニカ』も、仏文学者で、放送大学教授の宮下志朗氏に読売新聞で書評を書いていただいたが、実は宮下先生にもまだお礼を申し上げていない…)。また、これはまったくの偶然なのだが、実は彼女と同郷出身である旨お伝えした。ジャズ版<八木節>に即反応するのもそのためだが、こうして八王子で直接お目にかかれたのも不思議な縁である。握手してもらった手が華奢で小さいことにも驚いた。ジャズ・ピアニストという人種は私にはまさにワンダーランドの住人で、常に驚嘆するしかないのだが、あの手で、よくあのピアノ演奏ができるものだ、とあらためて本当にびっくりした。山中さんには、今後とも「ジャズ」の世界で活躍していただきたい、とつくづく思う。