1970年代、六本木がまだ静かな大人の街だったころ、今はミッドタウンになった防衛庁前の暗い通り沿いに、"MISTY"と縦のネオンサインが ぽつんと浮かんでいた「ミスティ」 は、いいジャズクラブだった。中本マリや安田南がボーカルで、山本剛トリオがハウス・バンドで出演していた。地下の入り口への階段を降りて行くと、休憩中の安田南が煙草を吸っていて、一言二言会話した。関西フォーク「ザ・ディラン」メンバーだった西岡恭蔵の作った曲「プカプカ」のモデルが、その安田南だったらしいと知ったのは最近のことだ。中に入ると、しっくいの白壁に囲まれた穴倉のような作りで、幅広のカウンターがグランド・ピアノの回りをぐるりと囲んでいた。飲んでいる目の前でピアノを弾く山本剛、歌う安田南と、実にぜいたくな大人の雰囲気に満ちていた。大音量のスピーカーから出てくる音を暗がりで聴くジャズ喫茶や、「新宿Pit Inn」の結構過激なライヴに慣れていた目からすると、本当に不思議な空間だった。オシャレな年配の客が多く、落ち着いて酒を飲みながら演奏を楽しんでいて、当時20代だった自分も一気に大人の仲間入りをしたような気がした。その後70年代の終わりになるとフュージョンを取り入れるようになって店の雰囲気も変わり、徐々に足が遠のくまでずいぶん通ったが、80年代バブルの到来とともに店も消えた。伝説的な存在だった安田南も70年代末頃に消え、その後の行方もはっきりしなかったそうだ。一緒に店に通ったジャズ好きな商社マンAさんも、その後まもなくして亡くなってしまった。
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Misty 山本剛 (1974) |
エロル・ガーナー作の曲 "Misty" は、当時の日本人が最も好きなジャズ・バラードの一つだった。この曲の代表的奏者だった山本剛は、店も曲 も"Misty"と共にあった。濃い霧の彼方から人影が徐々に浮かんでくるような山本の弾く神秘的な"Misty"は素晴らしい。クラブ「Misty」でのスタインウェイの豊かで柔らかな響きとは異なり、ピアノの「音の芯」をデフォルメしたようなスリー・ブラインド・マイス (TBM/神成芳彦Eng) のアルバム『Misty』(1974) のサウンドには色々な意見があったが、これはこれで山本剛のピアノタッチの瞬間の美しさを忠実に捉えていたと言えるだろう(福井五十雄-b、小原哲次郎-ds)。しかし、今でもこのアルバムを聴きながら、70年代の六本木 「Misty」 で流れていたあの時間を想い出すと、何故かまるで夢の中の出来事だったような気がするのである。
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The Original Misty Errol Garner (1954)
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一方、こちらは文字通りガーナー本人のアルバム『The Original Misty』(1954) である。ガーナーと言えば、日本では『Concert by the Sea』(1955)での熱いライヴ演奏が有名だが、この本家が弾くオリジナルの "Misty" も素晴らしい。ニューヨークからシカゴへ飛ぶ飛行機の窓から見えた霧の様子から瞬間的に着想した曲で、ガーナーは譜面が書けなかったので、到着後すぐにピアニストに依頼して曲を完成させたという。ガーナーのリズミックな他の曲や演奏とは大分趣が違うが、タイトル「Misty (霧深き)」そのままの印象的なメロディを持つ実に美しい曲である。他に、ケニー・ドリュー、ジャック・ウィルソン、レイ・ブライアントのトリオ演奏盤も持っているが、やはりピアノトリオはこの本家と、山本剛盤がいちばん好きだ。ところで、先日NHK-BSで『恐怖のメロディ』(1971)というクリント・イーストウッドの初監督作品をやっていた。その原題が『Play Misty For Me』といういかにもジャズ好きなイーストウッドらしいタイトルで、ラブロマンスか?と予想して観たら、なんと、後年の映画『危険な情事』『ミザリー』の元ネタになったという元祖女ストーカー、サイコ・スリラー映画でびっくりした(日本語タイトルの理由がわかった。肝心のガーナーのMistyは映画の最後に使われただけで、映画中ではまったく流れなかったが)。
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Vaughan and Violins Sarah Vaughan (1959) |
この曲はピアノ曲として誕生したが、後になってジョニー・バークという作詞家が1959年に詞を書いて、ジョニー・マチスが唄ったヴォーカル・ヴァージョンもポピュラーになった。日本でもジャズ・ヴォーカルの定番としてよく唄われていた。エラ・フィッツジェラルドのバージョンもあるが、私が持っているのはキャロル・スローン、ケイコ・リー、そしてサラ・ヴォーンSarah Vaughan のコンピ盤中の1曲だ。サラのオリジナル盤は、クインシー・ジョーンズのアレンジで、ストリングスをバックにしてパリ録音した左記アルバム『Vaughan and Violins』に収録されている。ここにはケニー・クラークのドラムスに加え、ズート・シムズがサックスで参加している。サラがリラックスして伸びやかに唄っている。
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Smokin' at the Half Note Wes Montgomery (1964) |
ギター・バージョンは、やはりウェス・モンゴメリーWes Montgomery の「ハーフ・ノート」ライヴ演奏(実際はスタジオ録音とのミックス)だろう。ウィントン・ケリーのピアノ・トリオにウェスが客演した形を取った『Smokin' at the Half Note』(1964 ) は、ウェスがポップス寄りの演奏に移行する前の録音で、ウェス全作品の中でも、その圧倒的なドライヴ感が楽しめる名盤だ。LP時代からジャケット色の違いから青盤、赤盤と音源が分散していたが、CD時代になってからも何度かリリースされていて、構成がよくわからないレコードだ。私が持っているCDはオリジナルの『Smokin' at the Half Note』(5曲)と追加で出たCompleteと称した9曲入りCDだ。"Misty" は後者に収録されている。ウェスはリバーサイドでのメジャー・デビュー前の、地元インディアナポリスでの発掘音源『Echoes of Indiana Avenue』(1958 ?)でも"Misty" を演奏している。こちらもライヴで、アーシーかつブルージーな"Misty" が聴ける。
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Flamingo S.Grappelli & M.Petrucciani (1995) |
手持ちのインストものをもう1枚挙げれば、ヴァイオリンのステファン・グラッペリStéphane Grappelli (1908-97)とミシェル・ペトルチアーニMichel Petrucciani (1962-99) が共演した『フラミンゴ Flamingo』(1995)だ。グラッペリ87歳、ペトルチアーニ32歳のときの録音であり、ジョージ・ムラーツ(b)、ロイ・ヘインズ(ds)をバックにして、有名なジャズ・スタンダードをリラックスして流麗に演奏している楽しいアルバムだ。いかにもフランス的な軽妙かつ優雅な"Misty" が聴ける。