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2020/06/20

あの頃のジャズを「読む」 #2:1970年代

現代ジャズの視点
相倉久人 / 1967 東亜音楽社
私は1960年代の前半、田舎の中学生時代にビートルズ、レイ・チャールズ、ボサノヴァ等で洋楽の洗礼を受けた世代に属する。ジャズに興味を持つようになったのは高校に入ってからで、他のポピュラー音楽とは違う、そのサウンドのカッコよさに夢中になった。東大入試が中止になった1969年に大学に入った頃には、もう学生運動もピークを過ぎつつあったが、その後も学内は2年間バリケード封鎖されて授業もなかった。おかげで時間だけはたっぷりとあったので(金はなかったが…)、ジャズ好きな先輩から借りたり、自分で買ったわずかな枚数のLPレコードを毎晩繰り返し聴いたり、「ジャズ喫茶」に連れて行ってもらったりしていた。当時のジャズには、何より反体制、伝統破壊というアナーキーなイメージと、大人っぽい知的な音楽という魅力があり、学生運動に関わる一部の若者に特に人気がある音楽でもあった。左翼思想の強い先輩が多かったので、その影響を受けて、自分でも米国黒人史やジャズ関連の本を、わけもわからず何冊か読んだりしていた。たとえば生まれて初めて買ったジャズ本、相倉久人の『現代ジャズの視点』(1967 東亜音楽社)など、レベルが高すぎて当時は読んでも面白くも何ともなく、ちんぷんかんぷんだった(単に頭が悪かったせいかもしれないが、ジャズは、とにかくたくさん聴かないと分からない音楽だということを学んだ)。

この時代を振り返ってみて、また以降に挙げるような本を読んであらためて思うのは、ジャズを真に「同時代の音楽」だと感じていたのは1960年代半ばに青春時代を送っていた、私より少々年長の60年安保世代だということだ。だからジャズに強いノスタルジーを感じ、こだわりを持っているのは、やはりこの世代の人たちなのだろうと思う。私の世代は、「生き方」や「行動」と関連付けてジャスを捉えるようなことはもうなかったし、単にカッコいい大人の音楽、という見方でジャズと接していたように思う。とはいえ、自分の世代を含めたその後の聴衆もそうだが、いずれにしろジャズは、いつの時代も、ほんの一握りの人たちだけが熱中していたマイナーな音楽だったことに変わりはないだろう。

Return to Forever
Chick Corea / 1972 ECM
しばらくは全国どこの大学でも、まだ全共闘運動がくすぶるように続いていたが、それも70年安保と連合赤軍事件(1971-72)を境に一気に下火になった。ジャズ喫茶へ行くと、それまでの重いハードバップやフリー・ジャズに代って、カモメ(?)が飛ぶきれいな水色のジャケットに入った、穏やかで軽いチック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエヴァー』(1972 ECM) がしきりに流れていた。もう政治の時代ではなく、この間までヘルメットをかぶってデモに出かけていた学生も、就職活動に精を出していた。ファッションのように政治思想とジャズを結び付けて語っていた人たちも、大抵は何事もなかったかのようにジャズから離れて行った。だから、半世紀前のチック・コリアのこのアルバムは、ジャズファンにとっては公民権、ベトナム、沖縄、安保など学生運動で世界中が騒然としながらも基調は「暗く重い」シリアスな60年代から、平和な時代を求める「明るく軽い」ポップな70年代への転換点を象徴するレコードだった(当時はクロスオーヴァーと呼んでいた)。どことなく世の中に「緊張感が漂っていた」60年代から、いわば「戦い済んで気の抜けたような」70年代へと日本は移行して行った。そして戦後の繁栄を謳歌していた時代が終焉し、ベトナム戦争がボディブローとなって徐々に落ち目になったアメリカ経済とは対照的に、80年代後半のバブルがはじけるまで、その後の20年間、日本はほぼひたすら明るく軽い時代へと邁進する。ジャズを含めた音楽全体への嗜好も、当然こうした時代の風潮を反映したものだった。

今になって振り返ると、1970年代の日本はジャズの最盛期だったようにも見えるが、戦後の50年代に輸入ポピュラー音楽、ダンス音楽として大衆化し、続く60年代になると新しい前衛音楽芸術として認知され、思想や文化としても大いに盛り上がった 「モダン・ジャズ」が、徐々に芸術から芸能(商業音楽)へと再び変質してゆく過渡期(あるいは、いわゆるジャズが終わりつつあった時期)だったとも言えるだろう。私の世代は、60年代と違って若者音楽の中心は既にジャズではなく、ロックやフォーク、ポップスに移行しつつあった。つまりジャズが完全に「大人の音楽」として定着し、多様化し始めた微妙な時期に、遅れてジャズの洗礼を受けた世代なので、この「芸能か芸術か」という問題には妙に敏感なのだ。何もかもがエンタメ化し、カネにならない芸術、カネに換算できない芸術は無価値だとすら思われるようになった現代から見ると信じられないような話だが、あの時代は、「芸術」を食い物にしていると思われていた「商業主義 commercialism」への反発が強く、ジャズはもちろん、フォークやロックの一部ミュージシャンですら、商業主義、画一主義の象徴であるテレビには背を向けていたほどなのである。(昨今のWHOやIOCのような世界的機構の動きが露骨に示しているように、半世紀後の21世紀となった今は、分野にかかわらず、もはや設立時の20世紀的理念や使命は消え失せ、ひたすらカネ、カネ…で動く利権集団や国際興行主のような世界組織ばかりが支配する、究極の資本主義に到達した。)

1970年代の日本のジャズ界は、マイルスが先鞭をつけ、ウェザー・リポートやハービー・ハンコックが後を継いだエレクトリック楽器を使ったフュージョンやファンク、60年代の政治的余韻をまだ残していたフリー・ジャズ、50年代のモダン・ジャズ黄金期を回顧するビバップ・リヴァイヴァル、チック・コリアやキース・ジャレットのような新世代ミュージシャンの登場、日本人ジャズ・ミュージシャンの活躍……等々、情報源たるジャズ雑誌と、ジャズ喫茶という空間を核にして、あらゆるジャンルのジャズが溢れていた時代で、聴き手はそれらを自由に選んで聴いていた。とりわけ、70年代の大方の聴き手にとっては、ジャズがもっと熱かった60年代には限られた場所でしか聞けなかった1950/60年代の「本場アメリカ」のジャズを、立派なオーディオ装置のあるジャズ喫茶だけでなく、自宅のステレオで気軽に聞け、黄金時代のジャズとその時代を「追体験」できるということが単に楽しくて仕方がなかったのだ。やっと手に入れたLPレコードに針を降ろした瞬間、まるで缶詰を開けたときのように、その時代(主として50年代アメリカ)の空気が一気に部屋中に広がるあの快感は(前に書いたタイムスリップ感覚である)、ジャズファンなら誰しも覚えていることだろう。

ジャズ喫茶広告
1976年「スイングジャーナル」
私の場合、毎月そうしたLPレコードを何枚も買って自宅で聴いたり、ジャズ喫茶に通って聴くようになったのは、1973年に大学を卒業して就職してからだ。銀座や新宿を中心とした60年代に有名だった老舗ジャズ喫茶に加え、吉祥寺をはじめとする都内の各所や、地方の有名ジャズ喫茶の多くが開店したのも70年代前半である。それまで高価だった輸入盤に代る比較的安価な国産レコードの発売と、それを再生するオーディオ機器の隆盛が、ジャズ喫茶の増加と国産レコードの販売にはずみをつけた。この流れを「スイングジャーナル」のようなジャズ雑誌が作り、また煽った。ジャズ評論家とは別に、菅野沖彦、岩崎千明のようなオーディオ評論家がジャズ雑誌にも登場し、ジャズとオーディオの魅力を語り、音響ノウハウを伝え、読者を啓蒙した。また当時の有名ジャズ喫茶店主なども雑誌に登場して、自店のオーディオ装置を紹介したり、解説したりしていた。1950年代を源流とする、この「ジャズ(ソフト)とオーディオ(ハード)の組み合わせ」こそが、70年代以降のジャズの普及と大衆化を促進し、同時に日本独特のジャズ文化を創り上げた最大の要因であり、需要と供給両面でそれを後押ししたのが当時の日本の経済成長だった。

ジャズとオーディオは、録音再生技術の進化と呼応して、歴史的に海外でももちろんワンセットで発展してきた(クラシック音楽と同じく、1960年代までは、ジャズが主としてアコースティック楽器による音楽だったことが要因の一つである)。しかし、一般人の趣味としてのオーディオが、主として富裕層のものだった欧米に対し、日本では富裕層ばかりか、私のような普通のサラリーマンまで含めた「大衆的な趣味」になったところが大きな違いだろう。もちろんこれには、安価で高品質なオーディオ機器を製造する日本の電機メーカーの発展が寄与していたし、それを支えた購買力を生んだ日本の経済成長が背景にあった。その一方で、高額な海外の有名ブランド・オーディオ機器への強い憧れもあった。ジャズ喫茶がそのショールーム的役割も果たし、当時のジャズ&オーディオファンを啓蒙し刺激した。壁の薄い六畳一間のアパートに、JBLの大型マルチウェイSPやALTEC の劇場用大型PAシステムを持ち込んで、少音量でジャズを聴く……という、海外では想像もできないシュールな楽しみ方をするなど、まさしく日本的、ガラパゴス的趣味世界だろう(趣味なので、人に迷惑さえかけなければ、何だっていいと個人的には思う)。正直言って私の場合も、もしもオーディオにまったく興味を持たず、単に音楽としてのジャズを聴くだけだったら、たぶん80年代初めには完全にジャズから離れていたと思う。70年代後半からフュージョン全盛時代になって、つまらないと思いつつも、また音源がLPからCDへ、さらにデータへと移行し、ジャズの活力もさらに失われて行って、何度か聴くのをやめた期間があっても、聴き手としてジャズと関わり続けて今日に至っているのは、オーディオを介して「黄金期のジャズレコード」(音源)を再生し、その素晴らしさと奥深い世界を味わうことを趣味としてずっと楽しんできたからだ。そして、オーディオの世界もジャズに劣らず深く、「聴くー読むー考えるー(また聴く)」というループにはまりやすいので、ジャズとオーディオというコンビは、この点でも非常に相性が良いのである。

ジャズ喫茶論
マイク・モラスキー

2010 筑摩書房
マイク・モラスキーは『戦後日本のジャズ文化』(2005)の中で、アメリカのライヴ演奏重視のジャズの世界に対し、レコード再生を主とする日本独特の奇妙なジャズ喫茶文化を、意図して挑発的な視点で取り上げた。その後、関係者の話を直接聴取すべく、日本各地のジャズ喫茶を現地取材したり、当時を知る人たちにインタビューするといったフィールドワークを通して、更に議論を深めた『ジャズ喫茶論』(2010 筑摩書房)を発表した。そのモラスキー氏が初来日したのが1976年ということなので、彼はまさにこの時代に東京他のジャズ喫茶を巡って驚いていたわけである。この本はアメリカ人が書いているので、当然だが、よくある「ノスタルジー」としてのジャズ喫茶回顧という視点ではなく、レコード再生音楽を提供する当時のジャズ喫茶が、いかに日本独特の「非ライヴ・ジャズ空間」を創出し、ジャズの普及や理解を深める機能と役割を担っていたか、それが日本の特殊なジャズ文化の形成にどんな影響を与えたのか、その背景には何があったのか……等を分析、考察したユニークな文化論的エッセイである。ジャズ喫茶に通った経験のある我々さえ知らないような細かな情報を拾い集め、それを日本人には難しい客観的視点で分析しているので、興味深い指摘が多く、本書も非常に楽しめた。ただし、著者自身オーディオ音痴を自認しており、また話を複雑にするので、あえてオーディオ的な細部にはあまり触れようとしなかったようだが、日本独特の、このジャズとオーディオの関わりについての考察が文化論的に少々浅い、というのが私的印象だ(演奏する音楽家と、一般的な女性は、オーディオ的なものにあまり興味を示さないようである。これも実は、考察に値するテーマだと思っている)。それと、『ジャズ喫茶論』で指摘されている、ジャズレコードに対する日本人の強いフェティシズムの背景としては、「ジャズ」と「レコード」という要素以外に、歴史的に「欧米の異文化」や「繁栄の50年代アメリカ」に憧れていた当時の日本人の持つ本質的、潜在的性向も大きく影響していたと思う。

2019/02/17

モンク作 "パノニカ Pannonica" を聴く

今日でブログを始めてちょうど2年経った。内容はともかく、よく続いたものだ。ちなみに、本日217日はセロニアス・モンク(1982年没)の命日である。

ニカとモンク
photo by Moneta Sleet Jr.
(1960s)
ジャズ本の翻訳中は、その本の主人公に関連するレコードを聴きながら作業している。そうすると主人公の人物像、物語や思想のイメージが “降りて来る” 気がして、文章の背景や意味がより正確に理解できるように思えるからだ。『リー・コニッツ』のときは、コニッツ、レニー・トリスターノ、ウォーン・マーシュなどトリスターノ派の音楽を中心に聴き、『セロニアス・モンク』のときは当然モンクのレコードをずっと聴いていた。今回出版した『パノニカ』の翻訳中は、主人公がジャズ・ミュージシャンではなく、しかも前半のロスチャイルド家に関する部分は、イギリスを中心としたヨーロッパの富豪の物語なので、ジャズではなく、どうしてもクラシック音楽が聴きたくなり、珍しくずっとクラシックを聴いていた。だが後半のニューヨーク時代は、主にジャズ・ミュージシャンたちからニカ夫人に捧げられたジャズ曲を選んで聴いていた。本書巻末には彼女に捧げられた20曲のリスト(実際は計24曲と言われている)が掲載されており、モンクの他にも、ソニー・ロリンズ、ホレス・シルヴァー、ソニー・クラーク、ケニー・ドリュー、ダグ・ワトキンス、トミー・フラナガン、バリー・ハリスなど、多くの有名ミュージシャンの名前とニカ夫人にちなんだ曲名が挙げられている。それぞれがニカ夫人のイメージを自分なりに捉え、それを音楽にしているので、比較しながら聴くと非常に興味深いが、同時に彼女がいかに多くのジャズ・ミュージシャンたちから愛されていたのかが想像できる。

Les Liaisons Dangereuses 1960
1959/2017 (Sam Records)
とは言え、訳書『パノニカ』に書かれたニカ夫人の人物としてのイメージを、もっとも生きいきと捉えた曲は、やはり彼女に捧げられた初めての曲であり、モンク自身が作った<パノニカ Pannonica>だろう。モンクの才能と、二人の関係の密度が桁違いなので、これは仕方がない。どことなくアンニュイな響きを持つこの曲のメロディと独特のリズムは、“蝶” のように軽やかに、あでやかにあてどなく飛んで行くニカ夫人のイメージそのものだ。風景や人物のイメージを、音の世界で常に見事に描き出すモンクはやはり天才だ。モンクは傑作アルバム『Brilliant Corners』(1957)で<パノニカ>を初演しているが、ソニー・ロリンズのテナー、アーニー・ヘンリーのアルトを加えたクインテットで、モンクはここではピアノとチェレスタを弾いていて、凝った演奏に仕上げている。その後,Les Liaisons Dangereuses 1960 (仏映画危険な関係』サウンドトラック)』(1959録音/2017リリース),『Alone in San Francisco』(1959),『Criss Cross』(1963),『Monk In Tokyo』(1963),『Monk』(1964) と、都合6枚のアルバムでこの曲を取り上げている。例によってi-Tunesでこれを連続再生すると、モンクがこの曲を毎回どう料理しているのか、その違いが聴けて非常に楽しい。演奏はいずれもチャーリー・ラウズのサックス入りのカルテットだが、『Alone……』は、『危険な関係』サウンドトラック音源が2017年に「発掘」されるまで、モンクによるこの曲の唯一のソロ演奏だった。本ブログ別項 (2017/4/14 & 10/23) で詳細を書いた、サウンドトラックとして使用された演奏(2CD)では、カルテットとソロで<パノニカ>を計4テイク録音しているが (カルテットは、チャーリー・ラウズ-ts、サム・ジョーンズ-b、アート・テイラー-ds)、この発掘音源は録音も奇跡的に良く、またどの演奏も楽しめる。昨年見た4K版映画『危険な関係』では、<クレパスキュール・ウィズ・ネリー>と共に、メイン・テーマとしてずっと流れるモンクの弾く<パノニカ>は、これ以上ない、というほど映画のストーリーと映像にぴたりとはまっていた。この曲をサウンドトラックとして使ったマルセル・ロマーノと、監督ロジェ・ヴァディムのセンスはさすがと言うべきだろう。

Thelonica
Tommy Flanagan
1983 Enja
モンク以外のミュージシャンはどうかと手持ちのCD、レコードを始め、ネット上でも調べてみたが、<ラウンド・ミッドナイト>ほどではないにしても、モンク作品の中では、非常に多くのジャズ・ミュージシャンが取り上げているスタンダード曲になっていることがわかる。モンク音楽の最高の理解者であり、愛弟子とも言えるスティーヴ・レイシー(Steve Lacy 1934-2004)による60年代以降の複数の演奏は当然としても、その他にも、実に多彩なミュージシャンが録音している。私の手持ちレコードでは、やはりトミー・フラナガンのピアノ・トリオ『Thelonica』(1983) に収録された演奏が素晴らしい (ジョージ・ムラーツ-b、アート・テイラー-ds) 。アルバム中唯一のフラナガン自作曲であり、アルバム・タイトルでもある "Thelonica" が表すように、このレコードは、モンクが亡くなった1982年の秋に、トミー・フラナガンがモンク作品だけを演奏して、モンクとニカ夫人の二人に捧げたものである。訳書『パノニカ』には、ニカ夫人がイギリスに住む著者ハナ・ロスチャイルドにアメリカからこのレコードを送った話が出て来る(ニカ夫人の実兄、ヴィクター・ロスチャイルド男爵に聞かせるため)。ごつごつとしたモンク独特の音楽から美しい部分だけを抽出したかのように、<パノニカ>始めどの曲も、まさに流麗なピアノ・トリオに変容させているが、これはこれで実にフラナガンらしいモンク解釈だ。このアルバムは、バド・パウエルの『Portrait of Thelonious』(1961)と並び、同時代のピアニストが心をこめて送った、ニカ夫人とモンクへのもっとも美しいオマージュである。

Now He Sings, Now He Sobs
Chick Corea
1968/CD 2002 Blue Note
 
意外だったのは、チック・コリア(Chick Corea) が<パノニカ>を2回取り上げていることだ。若きコリア2枚目のリーダー作で、ミロスラフ・ヴィトゥス(b)、ロイ・ヘインズ(ds) とのピアノ・トリオによる、今でも斬新なアルバム『Now He Sings, Now He Sobs』(1968LP/2002CD) CD版に追加曲として収録されていている(オリジナルLPは未収録)。もう1枚は『Expressions』(1994) で、こちらはソロ・ピアノである。コリアとモンクの接点はまったく不明だが、上記トリオ作品と同じメンバーによる『Trio Music』(1982)でも、モンク作品をCD1枚分、計7曲演奏しているので、ピアニストとして、モンクに対する何がしかの思いがコリアにはずっとあったのだろう。これらのアルバムでは、独特のモダンなコリア的モンク解釈の世界を聴くことができる。その他のピアニストでは、山中千尋、ホレス・パーラン、シダー・ウォルトン、エリック・リード、菊地雅章といった人たちが<パノニカ>を演奏しているが、特にエリック・リード(Eric Reed) は、2000年代に入ってからモンクをテーマにしたアルバムを3枚リリースしている。<パノニカ>は、ピアノ・トリオによるそのうちの1枚『Dancing Monk』(2011) に収録されているが、山中千尋の『Monk Studies』(2017)と同じく、速いテンポによるユニークで現代的な演奏だ

Carmen Sings Monk
1988 Novus
ピアノ以外では、スティーヴ・レイシーの他にも内外のホーン奏者による演奏も数多い。珍しいのはギターで、比較的最近になってピーター・バーンスタイン(Peter Bernstein) が『Monk』(2008),Signs Live!(2017) という2枚のアルバムで<パノニカ>を取り上げている。前者はギター・トリオによるモンク作品、後者はブラッド・メルドー(p)も参加したカルテットによるライヴ演奏だ。ヴォーカルで唯一と思われるのは、晩年のカーメン・マクレエ (Carmen McRae) のグラミー賞受賞アルバム『Carmen Sings Monk』(1988)だ。チャーリー・ラウズ(一部)とクリフォード・ジョーダンがサックスで参加し、80年代らしいモダンな伴奏をバックに、全曲(alt.を除き14曲)モンクの名曲を唄ったこのアルバムは、カーメン・マクレエにしか表現できない、圧倒的な歌唱によるモンクの世界だ。収録曲の半数に歌詞を書いたジョン・ヘンドリックスが<パノニカ>にも歌詞を付け、<リトル・バタフライ Little Butterfly>というタイトルで唄っている。美しいが、複雑なモンクのメロディに付けられた歌詞を、明快で知的な表現で、余裕でこなすカーメンはやはり本当にすごい歌手である。録音も非常にクリアで、カーメンの正確な歌唱によってモンク作品のメロディがよく聞き取れるので、モンク・ファンだけでなく、普通のジャズ・ヴォーカルとして誰でも楽しめるアルバムだ。モンクは自分の曲に良い歌詞を付けたいという希望をずっと持っていたようなので、生きているときに、旧友ジョン・ヘンドリックスの歌詞、カーメンの歌によるこの素晴らしいヴォーカル・アルバムを聴いたら、きっと大いに気に入ったのではないだろうか。(このアルバムは1988年1,2月に録音され、同年にリリースされているので、その年の11月30日に急死したニカ夫人が聴いた可能性はあるかもしれない。)