それぞれ誰か? |
2022/06/21
(続)天才 !? 清水ミチコの世界
2021/12/06
追悼・中村吉右衛門
中村吉右衛門が11月28日に、77歳でついに亡くなってしまった。春先に倒れて救急搬送されて以来、なんとか回復して欲しいと、毎日テレビで『鬼平犯科帳』を見ながら祈っていた。その後ほとんど報道されて来なかったので心配していたが、先日も、その後容態はどうなのだろうかと案じていたばかりだった。
BSフジで毎週放映している二代目中村吉右衛門による『鬼平犯科帳』は、1989年に放送開始されて以降、2001年の第9シリーズまで放送され(以降はスペシャル版)、現在もたぶん何回目かの再放送中で、11月には第4シリーズ(1992- 93年)を放映中だった。これまで各シリーズ、スペシャル版含めてほとんど見てきたし、録画した放送を毎日見るのを楽しみにしてきた。私はとりたてて、いわゆる時代劇のファンでもないし、真面目に見てきた時代劇の番組は、NHKの大河ドラマや人情時代劇を除けば『鬼平犯科帳』だけだ。懐かしい松竹時代劇の、光と影のコントラスト、色彩の濃い独特の映像は、冒頭から一気に江戸時代の鬼平の世界へと引き込まれ、瞬く間に現世を忘れさせてくれる強烈な引力があり、毎週(毎日)見てもまったく飽きることがなかった。おそらく日本中に、私のように時代劇はあまり見ないが『鬼平』だけは別、というファンが数えきれないほどいることだろう。それほど、長谷川平蔵―鬼平は、中村吉右衛門と一体化していた。脇を固める他のキャストがまた素晴らしく、密偵役の江戸屋猫八、梶芽衣子の他、奥方の多岐川裕美、火付盗賊改方の与力、同心のメンバーなど、安心して見ていられる俳優ばかりで、毎回異なる、個性豊かな男女のゲスト出演者の演技も楽しめた。何より、鬼の平蔵の持つ江戸の粋と洒落っ気を、吉右衛門が見事に表現していた。春夏秋冬の江戸情緒あふれる景色(実際の映像は京都だが)を背景にして流れる、ジプシーキングスのギターによるエンディング曲「インスピレイション」が終わるまで、その回が「終わった」という気がしないので、ついつい最後の、雪の夜の立ち食い蕎麦屋のシーンまで見てしまうのだ。中村吉右衛門演ずる『鬼平犯科帳』は、そのヴィジュアル・インパクトが強烈で、はっきり言って池波正太郎の原作小説をはるかに超える面白さがあった。『徹子の部屋』の追悼特番で、1970年代、30歳代から最近の70歳代までの吉右衛門出演の出演回を放映していた。黒柳徹子との対話を通して見る実際の吉右衛門は、言葉も喋りも滑らかで、とても軽やかに生きて来た人物のように見える。歌舞伎役者でありながら、幸か不幸か4人の娘に囲まれたが、やっと後継になれる男子の孫に恵まれて嬉しそうな表情の吉右衛門は、晩年は穏やかな人生を過ごしていたようだ。しかしそれにしても……本当に残念だ。中村吉右衛門さんのご冥福を心からお祈りしたい。
2021/10/29
天才 !? 清水ミチコの世界
【祝!】第13回 (2021年度) 伊丹十三賞・受賞 (7/28)
都知事から祝辞も |
あらゆる文化活動に興味を持ちつづけ、新しい才能にも敏感であった伊丹十三が、「これはネ、たいしたもんだと唸りましたね」と呟きながら膝を叩いたであろう人と作品に「伊丹十三賞」は出会いたいと願っています》
最近、自分があまりテレビを見なくなったせいだと思うが、清水ミチコは、森山良子との例の「ポン、ポン」というカツラのCMくらいしかテレビでは見かけない。しかし、特にモノマネファンでもない私だが、なぜか時々、禁断症状のように無性に清水ミチコの芸を見たくなることがある(濃い芸なので、たまに見る程度がちょうどよい)。今となっては、まさに夢のような伝説のバラエティ&コント番組『夢で逢えたら』(フジテレビ)で、売り出し中のダウンタウン、ウンナン、野沢直子という強力なギャグ芸人を相手に、30年前のバブルに浮かれる若い女性の一断面を活写(?)した、人格&顔面破壊キャラ「伊集院みどり」を創作。その強烈なコスプレを演じきって、女優としての才能の片鱗も示し、単なるモノマネ女芸人を超えた存在になって以来、私は清水ミチコの大ファンなのだ。当時「渋谷ジァンジァン」のライヴまで見に行ったくらいだ。
伊集院みどり嬢 こんな感じでした |
ショーグン様の某国アナも (タモリとの共演熱望) |
本当はこんな感じの人らしい 後ろのCD,LPの量がすごい |
YouTube 『シミチコチャンネル』 |
2021/05/14
井上陽水の50年
2021/02/14
冬ドラ『夢千代日記』
NHK 夢千代日記 吉永小百合 |
毎冬のように見てきたのはもちろん録画してあるからで(今はNHKオンデマンドでも見られる)、『夢千代日記(5話)』(1981)『続・夢千代日記(5話)』(1982)『新・夢千代日記(10話)』(1984) という3部作で、いずれもオリジナルはもちろん冬に放送された。原作・脚本が早坂暁、演出が深町幸男、音楽が武満徹という制作陣に加えて、主演が(たぶんいちばん奇麗だった頃の)吉永小百合という豪華な布陣のドラマだ。私は(タモさんのように)吉永小百合の熱烈なファンというわけではないが、夢千代役にはやはり吉永小百合以外の女優は思い浮かばない。実際、ドラマの夢千代の年齢設定と、当時の吉永小百合の実年齢はほぼ同じで、早坂は吉永を念頭にこの作品を書いている(しかしこのときの吉永が、今の綾瀬はるかとほぼ同年齢だった、というのは何となく意外な気がする)。
1985年の映画版も見たが、NHKドラマの方がずっと出来が良い。個人的には、林隆三、ケーシー高峰、楠木トシエなどが出演し、ドラマの基本的イメージを作った第1作目がやはりいちばん記憶に残る。山陰の小さな温泉町で夢千代が営む置屋「はる家」の芸者役、樹木希林(菊奴)、秋吉久美子(金魚)、中村久美(小夢)の他、夏川静江、中条静夫、加藤治子、佐々木すみ江、長門勇、緑魔子、あがた森魚などのレギュラー陣、さらに林隆三、石坂浩二、松田優作という1作ごとに変わる客演男優等、それぞれ味わいのある役柄キャラクターと物語をじっくりと楽しめる。しかし、今はもうこの名作ドラマのことさえ知らない人も多いらしい。制作陣もそうだが、画面の中にいるこれら出演者の約半数がもう故人なのだと思うと、なんだか寂しく、また時の流れをつくづく感じる。
NHK 夢千代日記 左から夢千代、小夢、金魚、菊奴 |
夢千代日記、波の盆 岩城宏之指揮(JVC) |
学生だった1970年頃に、何度か山陰地方を旅行したことがあるが、「表日本」「裏日本」と呼んでいたあの時代の両地域の「差」に何度も驚いた経験がある(当時はとっくに硬貨に切り換わっていた「百円札」が、山陰ではまだ流通していた、など)。そうした旅行経験からすると、80年代バブルが到来する以前の山陰地方には、ドラマで描かれているような風情や情緒や人間関係が、実際にまだ色濃く残っていても不思議はないと思った。原爆症や中国残留孤児など、あの時代(1970年代)の日本には、戦争の影を引きずりながら生きている人たちが、まだたくさんいただろう。東京ですら、バブル前には文字通り昭和の風景や風情がまだたくさん残っていたし、人間関係ももっと密で濃いものだった。一方で、都会と地方との間には、地理的にも、心理的にも、また情報面でも容易には近づけないような距離があって、良きにつけ悪しきにつけ、両者を隔てる見えないバリアがまだ残されていた。だから夢千代ドラマの定番、訳あって雲隠れしたり警察から追われる逃避行なども、監視カメラやスマホ映像、ツイートですぐに見つかってしまう現代とは違って、まだまだ可能だった。逆に言うと、常にどこかで誰かから監視されている現代人は、現実からの逃げ場が物理的になくなりつつあるとも言える。ジャンルに関わらず、最近「ファンタジーもの」に人気が集まるのは、こうした現代日本人の心理を反映しているのかもしれない。
人生に疲れ、あるいは心や身体に傷を抱えたまま、人知れず「表日本」から日本海に面した小さな温泉町に流れ着き、そこで互いを気遣いながらひっそりと寄り添うように暮らしている人々を描くこのドラマは、余命短い原爆症の主人公も含めて、死をモチーフにしたやりきれないような物語が続く。しかし、ゆっくりと流れるドラマの時間と登場人物の造形には、昔の日本人が持っていたつつましさ、やさしさ、我慢強さ、運命に逆らわずに生きてゆくけなげさ――などへの、原作者・早坂 暁の郷愁と深い思いが込められている。そしてドラマの中で、夢千代他の登場人物たちが体現しているのが、そうした時代の懐かしい日本人像だ。『夢千代日記』は、今となっては、ロマンとメルヘンの香りさえ漂う懐かしき昭和の日本昔話なのである(ただし、男性向けではあるが)。
大人が楽しめる、こうした純文学的なドラマは、エンタメ全盛の現代ではもう望むべくもないが、『夢千代日記』を含むNHKのシリーズ「ドラマ人間模様」(1976 - 88)には、向田邦子の名作『あ・うん』や、大岡昇平原作で『夢千代日記』と同じく早坂暁、深町幸男コンビによる『事件』シリーズなど優れた作品がいくつもあった。これらはいずれも人生の深さと哀感をしみじみと感じさせる大人の「冬ドラ」だ。振り返ると、こうした名作ドラマはどれも、1970年代の日本列島改造論に始まり、日本がバブルに向かう途上にあった1980年前後に制作されたものが多い。現代の感覚からすれば、もちろん筋立ても構成もシンプルだが、昭和も終わりに近づく頃に作られた、どこか心の琴線に響くそれらの「冬ドラ」をじっと見ていると、その後80年代後半のバブルを通過し、グローバル化と情報革命に戸惑いながら必死に生きてきた日本人が、この30年間に失ったものが見えてくるような気がする。それに、最近の冬は昔ほど寒くない。真冬の日本海側に雪が降っても、さらさらと乾いた粉雪はめったになく、湿った重い雪ばかりになってしまった。こうして、昔の日本人を包んでいた冬の風情も徐々に失われてゆくのだろう。
2021/01/29
年末に聴く「永遠の嘘をついてくれ」
つま恋 2006 youtube.com |
Forever Young |
イメージの詩 浜田省吾 |
2020/02/07
近松心中物傑作電視楽
心中天網島 2005 東宝DVD |
篠田監督の映画化コンセプトは、近松の描いた男女の古典的悲劇に忠実に、人形による浄瑠璃劇を実際の人間が演じる映画で表現する、というものだ。制作資金の制約もあって、結果的に舞台演劇のようなミニマルかつ抽象的なセットと演出手法を用い、また役者の運命を操るかのような「黒子(黒衣)」を実際に画面に登場させるなど、当時としてはきわめて前衛的な手法を大胆に用いている。しかし篠田正浩(監督)、富岡多恵子(台詞)、武満徹(音楽)、粟津潔(美術)、篠田桃紅(書画)、成島東一郎(撮影)という錚々たる制作スタッフが目指したのは、あの時代に流行った目新しさを狙っただけの実験的な作品ではなく、また近松の傑作古典の単なる映画版でもなく、日本の伝統美を表現するまったく新しい映像作品を創造することだった。才気溢れる上記スタッフにとっては、制約がむしろ創造への挑戦意欲を一層掻き立てたことだろう。舞台のようにシンプルな画面構成、ハイコントラスト・モノクロによる光と影が圧倒的に美しい映像美に加え、斬新な美術、音楽、演出、さらに各役者の演技と細かい所作、台詞(せりふ) 回し等々、この映画を構成するあらゆる要素が実に綿密に考えられていることが分かる。
映画の終盤、女房・おさんを義父に連れ去られた治兵衛は絶望のうちに心中を決意し、それまでの舞台のような抽象的セットを破壊する。場面が変わり実際の夜の屋外ロケで撮られた、美しくまた凄惨な夜半の道行(名残の橋づくし)はこの映画の白眉であり、吉右衛門、岩下の迫真の演技で描かれる ”彼岸への旅” の、日本的エロスと無常感が漂うリアルな映像美は日本映画史に残るものだ。この時代の日本には活力がみなぎり、内側から何かを変革しようとするエネルギーに満ちた若き才能が溢れていた。制作当時、篠田も武満も粟津もみな30歳台後半である。この映画が放つ時代を超えた芸術的芳香と力は、それらの才能とエネルギーが奇跡的に一つに集結できた時代の産物である。いくら金をつぎ込みCGを駆使しても、もはやこのように濃密な作品が生まれることはないだろう。
ちかえもん 2016 DVD-Box ポニーキャニオン |
「ちかえもん」役の松尾スズキ(リアクション芸、顔芸に注目)、謎の ”不幸糖売り” 「万吉」役の青木崇高 (憑依芸に注目)に加え、早見あかりの「お初」(顔が洋風だがうまい)、小池徹平の「あほぼん徳兵衛」(意外と適役)のカップル、岸部一徳(平野屋主人役はこの人しかいない)と徳井優(引っ越しのxxx風番頭がハマり役)の旦さん/番頭コンビ芸といい、その他の出演者も全員が素晴らしい。ちかえもんの母親役・富司純子のボケの名演技に、大昔(1960年代)の舞台コメディ『スチャラカ社員』(藤田まこと主演) に出演していた美人OL「ふじクーン!」(藤純子時代)を懐かしく思い出すのは私だけではないだろう。劇中に、当時の竹本座による人形浄瑠璃『曾根崎心中』の上演を再現したシーンもあるし (北村有起哉による「大夫の語り」が本職並みだ)、ドラえもんのように、主人公ちかえもんをいつも窮地から救う万吉が、(人形に魂が宿るという)人形浄瑠璃へのオマージュともなる涙々のファンタジックなオチも素晴らしい。「楽しめる」テレビドラマという観点からは、おそらくこの作品はこれまでの人生で私的ベストワンだ。
2020/01/25
水木しげる先生のこと
水木サンの「幸福論」 (角川文庫) |
のんのんばあとオレ (講談社) |
ところで、私は個人的にも何となく水木先生と不思議な縁があるのだ。学生時代を過ごした神戸という接点がまずあって、「水木」というペンネームが、実は貸本漫画家時代に住んでいた神戸市兵庫区の ”水木通り” から取られたという意外な話がそうだ(まったく知らなかった)。時代は違うが、私は家庭教師のアルバイトで地下鉄の新開地駅に近い水木通りあたりまで毎週通っていたことがあり、「水木」という地名を何となく覚えていたのだ。その話は単なる偶然だが、その後1970年代半ばに東京で結婚して、最初に入居した杉並の賃貸マンションのオーナーが武良(むら)さんという人だった。最初変わった名字だなと思ったが、なんとそれが水木先生の実の弟さん(水木プロのマネージャーだった)だと知って驚き、しかも入居したエレベーターなしの5階の部屋が、それまで水木プロが使っていた部屋だと聞いてさらに驚いた(オーナー家族は5階が入り口で、6階に住居があった)。
水木先生の本、奥さんの『ゲゲゲの女房』や、NHKドラマなどから推察すると、貧乏神に取り憑かれていた赤貧時代の後、60年代後半の「鬼太郎」のテレビアニメ化などで、当時ようやく金銭面で余裕ができてマンションを建てたということなのだろうか(神戸の水木通り時代にもアパートを経営していたようなので、弟さんも含めて安定した収入確保の手段だったのだろう)。入居後しばらくの間、元の部屋に設置されていた電話をそのまま借りていたら、「水木プロですか…」という電話が何本もかかってきたのを覚えている。7年間ほどそのマンションでお世話になり、子供たちもそこで生まれた。その間、マンションの管理をしていた弟さんの奥さんとは何度も会話していたが(玄関が隣だったので)、今はどうしておられるだろうか。そういうわけで、調布に住んでいた水木先生ご本人や、奥さんの布枝さんと実際にお会いすることはなかったが、本やテレビドラマに登場する弟さんやその奥さんは、なんだかまったくの他人のようには思えないのである。
2015年に亡くなった水木先生の第2の故郷で、鬼太郎にちなんだモニュメントやスポットがある調布市内は、なぜかこれまで歩いたことがない。今は、先生の命日11月30日に「ゲゲゲ忌」というイベントも開催しているらしいので、今年は先生が好きだった「ねずみ男」の年でもあるし、是非調布へ出かけて、生前に建てたという鬼太郎キャラたちに囲まれているお墓にお参りしたいと思っている。
2019/12/09
京都晩秋行
赤山禅院 |
石山寺 |
実相院 |
曼殊院・外壁 |
恵文社・一乗寺店 |
京都市立植物園にて |
賀茂川の京都育ち(?) のサギ |
三十三間堂 長い… |
実質3日間の行程で、朝から晩まで1日平均2万歩近く歩いたのでかなりの距離だろう(歩き過ぎか)。今回は、できるだけこれまで行けなかった場所を訪ねる、というコンセプトだったはずだが、結局行ったのはいつもの場所が多く、まだまだ行っていない場所がかなりある。とはいえ、これまでに大方の場所には行ったはずなので、もうこれでいいかと毎回思うのだが、翌年の春や秋がやってくると、また行きたくなるのが京都の不思議だ(そういえば今回、来年流行りそうな明智光秀がらみの場所にいくのも忘れていたし…)。
2019/09/07
京都を「読む」(2)
ところで第1シリーズは常盤貴子と団時朗主演の主軸ドラマと併行して、毎回短いオムニバス・ドラマが挿入されていた。8月の再放送では、その中から「私の大黒さん」、「桐たんすの恋文」、「逢瀬の桜」など京都らしいしっとりした作品が放映されていた。これらの中で、個人的に特によくできていると思ったドラマは、夏向きの異色編「眞名井の女」だ。豊かで良質な京都の「水」と、「井戸」にまつわる伝説(能、謡曲になっている)をモチーフにしたファンタジック・ホラーで、貴船神社への7日間の丑の刻参りで浮気夫を呪い殺そうとして果たせず、満願前日に井戸(鉄輪-かなわーの井)の前で死んだ女の幽霊が憑りついた井戸掘り業の青年を、名水・天之眞名井(あめのまない、市比賣神社)の女神が救う、という筋立ても各出演者の演技もとても良かった。この伝説の両井戸は、五条通りをはさんで南北に今も実在している。
1,200年の歴史を持つ古都に、因縁やいわれのある場所が多いのは当然だ。そもそも京都は ”怨霊” の都市なのである。なにしろ平安京そのものが、弟・早良親王の怨霊の祟りを恐れた桓武天皇が長岡京から再遷都した都市であり、よく知られているように、厄災から都を守るべく風水思想を導入して秦氏に設計させたものだ。菅原道真を祀った北野天満宮、崇徳天皇の白峯神社、あちこちにある御霊(ごりょう)神社も、元はと言えば、ほとんどが非業の死を遂げた人物を祀ったものであり、その祟りを鎮めるために、怨霊を御霊と読み替えて創建されたようなものだ。厄災をもたらす祟りという<負>のパワーを封じ込め、手厚い信仰によって祀り上げ、ご利益をもたらす<正>のパワーに転化させてきたわけである(祇園祭など、多くの祭の由緒もそうだ)。そうした歴史から生まれ、支配者から重用されてきたのが陰陽師であり、24節気のような京都独自の年中行事と約束事の起源もそういうことだろう。したがって、1,000年以上にわたって時代ごとに堆積してきた伝説や因縁話が街じゅう散在する京都は、魔界、心霊、パワースポットと呼ばれる不思議な場所には事欠かないし、それぞれの伝承が持つ歴史的背景のリアリティと重さという点で、他所の怪しげな因縁話とはわけが違うのだ。だから、そういう世界が好きな人にとっては、まさしくワンダーランドである。それらを解説した本は、それこそピンからキリまであるが、中では今やこのジャンルの古典とも言うべき『京都魔界案内』(2002 小松和彦 知恵の森文庫)が、写真や詳細な解説もあって、『怖いこわい京都』(2007 入江敦彦 新潮文庫)と並んで、読んで面白くまた信頼感がある本だ。その後もたくさん出ているこの種の本は、だいたいは似たような内容なので、この2冊を読めば、有名どころと有名話のあらすじはほぼわかる。
太田和彦の盟友・角野卓造(近藤春奈ではない)も、『予約一名、角野卓造でございます。【京都編】』(2017 京阪神エルマガジン社)という本を出していて、そこでも同様の店を紹介している。この人も相当な京都好きらしく、しかも夜だけでなく、洋食、中華も含めた朝、昼食も楽しむグルメでもある。二人の対談も収録されていて、これも楽しい。ただ、この人たちは名前も顔も知られている有名人であることに加え、いわば一人飲みの達人でもあり、それに京都でこうした楽しみ方をするには、事前に相当の下ごしらえ(時間をかけ、金をかけ、人間関係を作る)をしておかなければ無理である。したがってこの種の本の一般人(たぶん男だけだろうが)の楽しみ方は、「読んで、ただ妄想する」ことである。写真も使わずに文字だけで、目に浮かぶように(すぐにでも行きたくなるように)酒や料理のうまさ、店のムードを描写する太田和彦の文才はさすがだ。角野卓造の大きめの本には地図に加えカラー写真が載っているので、こうした世界の雰囲気を実際に垣間見ることができる。また人物としての味わいもある人のようなので、こちらもやはり楽しそうだし、かつ食事はどれもうまそうだ。