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2018/11/11

ジャズ・ギターを楽しむ(2)ジョー・パスの "スウィング"

Virtuoso
1971 Pablo
チャーリー・クリスチャンとジャンゴ・ラインハルトという開祖を別にすれば、「ジャズ・ギターとは、ウェス・モンゴメリーのことだ」という考えは今でも変わらないが、それでもモダン・ジャズ時代のギタリストはずいぶんと聞き漁った。ケニー・バレルなど数少ない黒人奏者の他、タル・ファーロウ、ジョニー・スミス、バーニー・ケッセル、ハーブ・エリス、ジミー・レイニー、ジム・ホールなど白人のジャズ・ギター奏者も数多く、彼らはいずれも個性的な奏者だったが、中でもウェスと同時代に活動を始めたジョー・パス (Joe Pass 1929-94) は、私にとっては、肩の凝らない、スウィンギングでハッピーなジャズ・ギターを代表するギタリストだ。ビバップをベースにしたパスの演奏は、オーソドックスで、特別な個性は感じられないが、何と言ってもあらゆる演奏が ”スウィング” していて、メロディ、ハーモニー、リズム共に、とにかくジャズ・センスが最高なのだ。ジャズ・ギターの本流ウェス・モンゴメリー系とは別に、アーシーさやブルージーさは希薄でも、白人らしい洗練されたサウンドと奏法に加え、パスの温かい人柄が、その演奏に表れているように思う(会ったことはないので実際の人柄は知らないが、ジャズはサウンドを聞けば、奏者の人格がおおよそわかるものだ)。聴き手に緊張感を与えず、リラックスして、いつの間にか、そのギターテクニックと気持ちの良いサウンドにひたすら聞き入ってしまう、という不思議な引力がジョー・パスのギターにはある。パスの音楽が持つ開放的で、明るい印象は、やはりイタリア系の出自が関係しているのだろう。

Sound of Synanon
1962 Pacific Jazz
 
ジョー・パスと言えば、1970年代のソロ演奏 ”Virtuoso” シリーズがまず思い浮かぶが、コンボ演奏やヴォーカル共演でも数多く名盤を残している。アルバム数も非常に多く、人それぞれの好みもあるだろうが、私的にまず挙げたいのはデビュー作『サウンド・オブ・シナノ Sound of Synanon』Pacific Jazz 1962)だ。デビューと言っても、十代でジャズの世界に入ったものの、この時は既に30歳を過ぎていて、ドラッグに苦しみ入所した、薬物中毒者の更生施設であるLAのシナノン療養所で、他のジャズマン入所者と一緒に演奏したものをPacific Jazzのリチャード・ボックが録音した貴重な(?)レコードだ。ここでは、ソリッド・ボディのエレキギターを使用しているそうだが、パスのギターの他、トランペット(Dave Allen)、バリトン・ホーン(Greg Dykes)、ピアノ(Arnold Ross)、ベース、ドラムス、ボンゴという西海岸のプレイヤーによるセプテット編成で、解放感のある非常にダイナミックな演奏が続く。このレコードの魅力は何よりも、パスを筆頭に、プレイヤー全員が、日頃の鬱憤を晴らすかのように張り切って、かつ楽しそうに演奏している様子がサウンドから伝わって来るところだ(当然だが、所内で節制していたはずなので、当時のジャズでは珍しく、みんな体調も精神状態もきっと健康だったからだろう)。

Catch Me!
1963 Pacific Jazz
1963年、クレア・フィッシャー Clare Fischerのピアノ(オルガンも)をフィーチャーしたカルテットによる、『キャッチ・ミーCtach Me!』(Pacific)を吹き込む。躍動感に溢れ、シングルトーンの高速プレイにおけるテクニック、後年のソロ・バラード演奏の片鱗も窺える<But Beautiful>などが収められたこのアルバムが、パスの真のデビュー作と言っていいだろう。続いて、パスのコンボ演奏ではもっとも有名なレコード『フォー・ジャンゴ For Django』(1964 Pacific)を吹き込むが、これは盟友ジョン・ピサノのリズム・ギターを加えたカルテット編成で、パス初のピアノ、ホーン抜きのギター・コンボによる、ジャンゴ・ラインハルトに捧げたアルバムだ。名盤と言われ、確かに素晴らしく洗練された演奏が続く完成度の高いアルバムだが、どこか抑制されたような印象がつきまとい、行儀が良すぎて、パスらしい明るさや伸びやかさが何となく足らないように私には思える。むしろ60年代前半のこの時代は、パスが伸び伸びと、楽しそうに、流れるようなギターを弾いている雰囲気が感じられる『Catch Me!』の方が個人的には好みだ。こちらはピアノ入り編成ということもあって選曲も多彩で、録音も、ベースの音を含めて、よりジャズっぽいハードな音で捉えられているので、演奏がダイナミックで、何よりずっとパスらしくスウィングしているように感じられる。

Intercontinental
1970 MPS
 
そして70年代、Pabloレーベルでの ”Virtuoso” シリーズが始まる前年、1970年にドイツのMPSレーベルからリリースされたのが『インターコンチネンタル Intercontinental』だ。パスとMPSというのは意外な組み合わせのようにも思うが、このアルバムは、ギター、ベース(Eberhard Weber)、ドラムス (Kenny Clare) によるギター・トリオで、ウェス・モンゴメリーの『Guitar On the Go』を彷彿とさせる、滑らかで、流れるようなパスのギター・プレイが楽しめる。奇を衒ったところが皆無のこのアルバムは、リラックスしたパスのトリオ演奏を代表するだけでなく、多くのギター・トリオを代表する名盤だ。10曲のほとんどがスタンダード曲であり、演奏も非常にモダンで、かつ聴きやすい。さらに、私が持っているのはLPではなくCDだが、それでも録音が非常に素晴らしく、典型的ギター・トリオの気持ちの良いサウンドが終始響きわたって、聴いていて実に快適だ。ジョー・パスと、スウィングするジャズ・ギターの魅力を、誰もがシンプルに実感できる素晴らしいアルバムだと思う。

Summer Nights
1990 Pablo
 
パスはその後、ベースのニールス・ペデルセンとのデュオ、エラ・フィッツジェラルドの歌伴、オスカー・ピーターソンやミルト・ジャクソンとの共演盤など、80年代にも数多くのアルバムを毎年のように録音していて、中には何枚か優れたレコードもある。だが、この時代の私の愛聴盤は、89年に録音された ”ジャンゴに捧ぐ'90” という邦題がついた『Summer Nights』(1990 Pablo)だ。実は、ジョー・パスの数多い作品の中でも、個人的に一番好きなのがこのレコードだ。何よりアルバム全体が、開放的かつ爽快に "スウィング" しているからだ。ジョン・ピサノを加えた、1964年のダブル・ギターのカルテット『For Django』と同じメンバー (Jim Hughart-b, Colin Bailey-ds) が再会し、ジャム・セッション的に演奏したものだそうだが、ギターのアコースティックな響きに満ちたこのアルバムの方に、むしろジャンゴ・ラインハルトの精神をより強く感じる。1989年録音なので亡くなる5年前だが、きっとまだパスの体調も良かったのだろう、とても良いコンディションで、パス本人が最高に気持ち良さそうにギターを弾いている様子が伝わってくるようだ。実際には、ジャンゴ・ラインハルトの曲は<Anouman>、<Tears>など 12曲中4曲だけで、冒頭のスタンダード <Summer Night> の実に気持ちのいいミディアム・テンポでスタートし、ハイスピードの<I Got Rhythm>、さらにスロー・バラード <In My Solitude>や<In a Sentimental Mood>の密やかな抒情等々、緩急をつけながら曲、演奏ともに変化に富み、しかもバランスが良く、全曲まったく飽きさせずに最後まで聴き通せてしまう名人芸である。指弾きも入ったフルアコ・オンマイクで、ギターのボディから発するアコースティックな響きを捉えたジャンゴ風録音も最高で、ジャズ・ギターの楽しさ満載の傑作である。(しかし、パス晩年のこの素晴らしいCDがなぜか再発されず、入手しにくいようなのが残念だし、勿体ないことだ。)

2018/10/27

ジャズ・ギターを楽しむ(1)ガットギターの美

ジャズ・ギターの場合、使われるのは昔も今もエレクトリック・ギターがほとんどだ。生ギターの音は小さいので、アンプで音を増幅しないと、ピアノやホーンといった他の楽器と音量的に対等なセッションができないことが理由で、チャーリー・クリスチャン以来、ジャズ・バンドで演奏されるのはすべてエレクトリック・ギターである。ジャズのセッションで使われるピアノやギターは、基本的にコード楽器としての役割が強いこともあって、たとえば前項のジャッキー・マクリーンのようなメロディを担当するホーン奏者のように、一音聞いただけで、誰が吹いているのかわかる、というようなミュージシャンの個性を感じ取るのが難しい。もちろんメロディ・ラインだけでなく、コードワーク、リズム、フレージングを組み合わせたサウンドで個性を表現するので、より複雑だという理由もある。しかし1960年代までのジャズには、エレクトリック・ギターといえども、こうした個性のある奏者がいた。古くはタル・ファーロウ、そしてもちろんウェス・モンゴメリー、白人でもジム・ホールやパット・マルティーノのような人たちは、ホーン奏者と同じくらいサウンドの個性が際立っていたので、ワン・フレーズで誰の演奏かわかったほどだ。70年代以降ロックからの影響やフュージョンが台頭して、ジャズ・ギター奏者の数が激増し、生音増幅だけではなくアンプによるイフェクトも多彩になると、ジョン・スコフィールドやビル・フリゼールのような人たちを除いて、音色やフレージングだけで誰の演奏か聞き分けるのが簡単ではなくなる。音だけでは誰の演奏かわからない、という没個性分野になっていったのである。とはいえ、これはギターに限ったことではなく、1970年前後のマイルス・デイヴィスによるサウンドの電化と、集団即興演奏というコンセプトが支配的になってから、自由な個人による強烈な個性がジャズとジャズ・ミュージシャンたちから徐々に薄れて行く、というジャズ史的、あるいは社会史的時代背景もあるだろう。

I Remember Charlie Parker
Joe Pass (1979)
ところで、ジャズでも完全なアコースティック・ギターを使うことがあるが、ラルフ・タウナーのように主としてスチール絃を張った系統のギターと、ナイロン弦(大昔はガットー羊の腸)を使った普通はピックを使用しない、いわゆるガットギターがある。響きと余韻はスチール絃やエレクトリック・ギターに比べてずっと控え目だが、アコースティック・ギター本来の、木の柔らかく繊細な音が聞こえて、曲や演奏によっては「ならでは」のジャズの世界が楽しめる。ガットギターは、アール・クルーなどフュージョン以降はジャズでも時々使用されるようになったが、音量が小さいだけでなく、音が持続しない、という欠点を補うためにアンプ増幅されているのが普通だ。バーデン・パウエルやルイス・ボンファのようなサンバ、ボサノヴァ系、チャーリー・バードやローリンド・アルメイダなどのジャズ・ボッサ系は基本的には生のガットギターだが、フュージョン以外のいわゆる伝統的なモダン・ジャズでガットギターを使った例は非常に少ない。私はガットギターの柔らかく温かい(時にクールだが)音色が好きで、ジャズ・ギター好きでもあるので、昔からガットギターを使ったジャズ・レコードを探してきたが、一部の曲で使うという例はあっても、アルバム全部がガットギターという盤は数が非常に少ない。アンプ増幅を使わない生のガットギター・ジャズは、音量的にセッションは無理で、クラシック・ギター的に普通は一人で、それもスタジオで作り込むソロ演奏しかないだろう。ピックを使わない指弾きでジャズを演奏するとなると、ガットギターの構造上、複雑なコードの押さえ、運指、右手(指)の使い方に高い技術が必要で、ごまかしがきかないので、ジャズ・ギター奏者なら誰でも弾けるわけではない。しかし、ナイロン弦が柔らかく響くそのジャズ・サウンドは、内省的で、繊細で、非常に美しいものが多く、クラシック・ギター音楽や、エレクトリック・ギター、スチール弦のアコースティック・ギターによるジャズにはない、独特の美の世界を持っている。

Songs for Ellen
Joe Pass (1994)
そういうわけで、数少ない「ガットギターの美が聞けるジャズ」という条件を満たした、私の好きなレコードをこのページに何枚か挙げてみた。ジャズでソロ・ギターと言えば、まずはジョー・パスだが、ジャズ・スタンダードをガットギターによるソロで弾いたジャズ・ギタリストも、私が調べた範囲では、ジョー・パスが最初のようだ。パスは1979年に、最初の全編ガットギターによるソロ・アルバム『I Remember Charlie Parker』(Pablo)を吹き込んでいる。これは70年代のパス畢竟のソロ名演 “Virtuoso” シリーズを何枚か出した後、チャーリー・パーカーの『With Strings』に収録された名曲を、ジョー・パス流解釈とテクニックで、見事にガットギターで弾き切ったアルバムだ。

Unforgettable
Joe Pass (1998)
その後ずいぶん経って、病気で亡くなる2年前の1992年にソロ・アルバム『Songs for Ellen』(Pablo 1994)を録音している。同日録音した他の演奏も『Unforgettable』(Pablo)というアルバムに収録され、パスの没後1998年にリリースされた。若き日のスウィンギングなジョー・パスのジャズ・ギターはどれも素晴らしいが、晩年になったこの時期の、ナイロン弦ギターによる枯れたソロ演奏は実に味わい深い。もともとギターのナチュラルでアコースティックな響きを好んだジョー・パスは、後期になると益々アンプ増幅を抑えて、ギターのボディの響きをより聴かせる演奏が増えたように思う。そしてこの『Songs…』と『Unforgettable』では、ついにいずれもガットギターによる静謐なソロ演奏だけでアルバムを構成した。この最晩年の、ジャズ・バラードを中心とした2枚のCDは、どの曲も慈しむかのように柔らかく、優しく、病んだ当時のパスの心象を表すかのように、ガットギターの繊細な響きがしみじみと伝わってくる素晴らしいソロ・アルバムである。

So Quiet
廣木光一、渋谷毅 (1998)
ガットギター・ソロでは、パット・メセニーのバリトンギターのソロ『One Quiet Night』2003)や、日本人では渡辺香津美のソロ『Guitar Renaissance』(2003)もよく聴く。いずれも達人の技が堪能できるアルバムだが、私にとって20年来の愛聴盤は、なんと言っても廣木光一の『Playin’ Plain』(1996)だ。残念ながらもう入手できないようだが、ガットギター・ソロでジャズ・スタンダードに挑戦するという、ジョー・パス以来の素晴らしくユニークな演奏が収められている(もちろん伝統的なパスの演奏とはまったく違う、ずっとアブストラクトなサウンドだが)。初めて聴いた時には、ガットギター・ソロで、しかも「本気で」弾いているジャズにびっくりし、また感動もしたが、廣木光一の師があの高柳昌行と知ってなるほどと思った。

Bossa Improvisada
廣木光一(2007)
もう1枚は、ソロではなく廣木光一と、ジャズ・ピアノのベテラン渋谷毅によるガットギターとピアノのデュオ『So Quiet』(1998 BIYUYA)である。こちらのアルバムは、上記ソロ盤のようなジャズ的厳しさよりも、美しく、またリラックスした音の世界であり、気持ちの良いアコースティックな響きにひたすら浸ることができる。曲は<Over the Rainbow>などのスタンダード6曲、廣木、渋谷のオリジナル4曲の計10曲。『So Quiet』というタイトルが表しているように、昼とは打って変わった、深い静寂に包まれた都会の夜を彷彿とさせる音楽である。2人はコンビで最近も新作『五月の雨』(2018)を発表し、ライヴ活動も行なっている。もう1枚の廣木光一のソロ『Bossa Improvisada』(2007 BIYUYA) は、ジャズ側からのボサノヴァ・ソロ・ギターへのアプローチで、佐藤正美の弾くボサノヴァ・ギターとは異なるジャジーな味と美しさがあって、私的にはこれも非常に楽しんでいる。(しかし廣木さんのCDは、私家録音なのか、気づくとカタログから消えているのが残念だ)。

Pao
Eugene Pao (2001)
ソロではなく、ジャズ・コンボでガットギターを弾く場合は、普通はアンプを通すが、それでもナイロン弦の湿度感のある柔らかな響きは楽しめる。ジョン・マクラフリンが、ビル・エヴァンスの曲をガットギターとベースだけのアンサンブルで演奏した耽美的レコード『Time Remembered』(1993 Verve)もあるが、これはクラシカルで美しすぎて、私的にはジャズを感じない。ここに挙げたアルバム『Pao』(2001 Stunt) は、ユージン・パオ(Eugene Pao 1959-) という、日本では多分ほとんど知られていない香港生まれ北米(アメリカ、カナダ)育ちのコンテンポラリー・ジャズ・ギタリスト(と呼ぶのだろう)のカルテットによるリーダー作だ。デンマークのマッズ・ヴィンディング(b)のトリオ(アレックス・リール-ds、オリビエ・アントゥヌス-p)との共演盤である。全9曲のうち6曲がナイロン弦のガットギターによる演奏で、マッズの勧めによってアコギの選択になったそうである(ただしピックを使用している)。聴けばわかるが比較的クールな奏者なので、ナイロン弦アコギによる演奏が資質にピタリとはまって(マッズはそれを見抜いたのだろう)、特にウェイン・ショーター作の<Infant Eyes> や、<Blame It on My Youth>、<My Foolish Heart> などの古いバラード曲の演奏は、ナイロン弦の響きが曲調と合っていて、私的には非常に気に入っている。ヨーロッパ録音なので音も非常にクリアで、共演のオリビエ・アントゥヌスのピアノも、パオのガットギターの響きも余韻も非常に美しい。(ただし、今はこのCDも入手が難しいようだが)