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2020/07/03

あの頃のジャズを「読む」 #3:レコード

「幻の名盤読本」
スイングジャーナル
1974年4月
ジョン・コルトレーン(67年)、アルバート・アイラー(70年)の連続死で、1970年代に入ったアメリカでは既にフリー・ジャズもほぼ終わりつつあり、マイルスの電化ジャズが登場しても、ロックに押されてジャズ人気は相対的に下降気味だった。ところが一方、1970年代半ばの日本では、1950/60年代録音のアナログLPレコードが、いわば新譜と同じか、場合によってはそれ以上に価値あるものとして扱われていた。ジャズは、興味を持つと次から次へと聴きたくなる中毒性のある音楽なので、レコード・コレクターと言われる人たち以外の普通のジャズファンでさえ、ジャズ雑誌の「幻の名盤」特集などを、わくわくしながら読んで、当時はあちこちにあったレコード店を何軒も探し回ったりしていた。こうした動きに呼応して、60年代ほどではなかったにしても、アメリカのベテラン・ミュージシャンたちが盛んに来日していた(本国では仕事が減ってきたこともあって)。もちろん、70年代のジャズ新譜や、日本人ミュージシャンの演奏をリアルタイムで聴いて楽しんでいた人もいただろうが、大部分の「普通のジャズファン」は、まずは1950/60年代のマイルスやコルトレーンの名演や、それまであまり知られていなかったミュージシャンたちの名盤と言われるレコードをジャズ喫茶や自宅で初めて聴いて、その素晴らしさに感激していたと思う。都会の一部を除き、海外や日本のミュージシャンのライヴ演奏を聴く場も機会も当時は限られていたので、大方のジャズファンにとっては、たとえ過去のものであっても、ジャズの本場アメリカのレコードという音源が依然として魅力的かつ貴重だったのである。

いずれにしろ、おそらく60年代よりもずっと早く海外の音楽情報が伝わったはずにもかかわらず、70年代の日本には、リアルタイムのジャズシーンとは別に、アメリカと実際10 - 15年くらいのタイムラグがある「レコードを中心にした日本独自のローカルジャズシーン」が存在していたということである。これはやはり、既にあったジャズ喫茶という存在とともに、「スイングジャーナル」誌を中心とするジャズメディアが、レコード業界やオーディオ産業と共に作った特殊な日本的構造と言っていいのだろう。当時まだ若かった私のような新参のジャズファンは、知らずに洗脳されつつ、その世界を大いに楽しんでいたことになる。60年代はよく知らないが、オーディオへの関心を含めたジャズの大衆化、コマーシャル化を推進した1970年代の「スイングジャーナル」誌には、後で振り返れば功罪共にあるのだろうが、ジャズという音楽の面白さ、素晴らしさを、できるだけ多くの音楽ファンに知ってもらおうとする「志」も、同時に感じられたことも確かである(80年代以降は?だが)。特に、私が今でも何冊か所有している70年代に発行されたジャズレコードの特集号は貴重であり、解説付きレコードカタログとして非常にクオリティが高いものだ。

「私の好きな1枚の
ジャズ・レコード」
1981 季刊ジャズ批評別冊
『季刊ジャズ批評』は、当時はコアなジャズファンを対象としたジャズ雑誌で、『別冊』ムック本を定期的に出版していた。1981年の別冊「私の好きな1枚のジャズ・レコード」は、ミュージシャンや、作家他の各界ジャズファンが、それぞれ思い入れの深いジャズ・ミュージシャンのレコード1枚(計110人)について語った文章(1978/80既出文)を収載したもので、日本人がジャズレコードに寄せる独特の思いが全編に溢れている。執筆者の多彩さにも驚くが、中には、ジャズへの愛情のみならず、その人の人生までもが1枚のレコードを通して、しみじみと伝わって来るようなすぐれたエッセイもある。その後も同様の企画があったが、この時代に書かれた文章のような熱さと深みは当然だが望むべくもない。ジャズクラブのように、同一の時空間で演奏者と聴衆が共有する1回性の「ライヴ即興演奏」こそがジャズの醍醐味だ、と考えるモラスキー氏のような普通のアメリカ人(かどうかは分からないが)が、こうした日本人のレコード偏重を奇異に思ったのもまた当然だろう。特に彼は、聴き手(鑑賞側)というだけではなく、自分でもジャズピアノを弾く演奏側という立場でもあるところが視点の違いに関係しているように思う(一般に、ジャズ・ミュージシャンは過去に録音された自分の演奏にあまり興味を持たない人が多いようだ。現在の自分の演奏、前に進むことのほうが大事だからだろう)。

「レコード」に対するジャズファンのこの特殊な姿勢は、日本における明治以来の西洋クラシック音楽の輸入、教化、普及という受容史も大いに影響していると思う。つまり生演奏を滅多に聴けないがゆえに、複製代替物ではあるが、レコードという当時はまだ「貴重な」メディアを通して西洋の音楽を「拝聴する」、という姿勢が学校教育などを通じて自然に形成されてきたからだ。クラシック音楽と同様に、60年代には芸術音楽だと思われていた貴重なジャズのレコードを、つい「鑑賞する」という態度で聴くのも、普通の聴き手にとっては自然なことだった。ジャズを聴きながら「踊る」などとんでもない話で、じっと目を閉じて、音だけを聴いて演奏の「イメージ」を膨らませるわけである(踊らずとも、指や足でリズムはとっていた)。それ以前からあったクラシック音楽の「名曲喫茶」がそうだったように、たとえ再生音楽であっても「高尚な場と音楽」を提供する側(ジャズ喫茶店主)が、何となく偉そうで権威があるような立ち位置になるのも、クラシックの世界と同じ構造なのだ。「店内での会話・私語厳禁」という信じられないような「掟」を標榜していたジャズ喫茶があったのも、咳払いや、何気に音を立てることにもビクビクする、あのクラシックのコンサート会場で現在でも見られる光景と根は同じである。(行ったことがないので知らないが、アメリカのクラシックのコンサート会場でも同じなのだろうか? それともお国柄で、みんなリラックスして例の調子で聴いているのだろうか?)

Cool Struttin'
Sonny Clark / 1958 Blue Note
もう1点は「オーディオ」の役割とも関わることで、何度も繰り返し再生し、鑑賞できるレコードだからこそ、音や演奏の持つ「細部の美」に気づき、そこに「こだわり」が生まれる。これは芸術評価における日本的繊細さや美意識の伝統(特に陰翳美に対する)から来るもので、既にクラシック音楽鑑賞でこうした文化的伝統は形成されていた(アメリカ文化はダイナミックだが、基本的に何事も平板で大雑把だ)。そのためには再生される「音響のクオリティ」が大事で、生演奏を彷彿とさせるレベルのサウンドが望ましい。趣味のオーディオが際限なく泥沼化しやすいのも、この「高音質へのこだわり」のせいであり、本来ダイナミックでオープン、つまりどう展開するのか分からない「アメリカ的な大雑把さ」が魅力であるジャズという音楽と、スタティックで「整然としたミクロの美」にとことんこだわる日本的嗜好の融合が、日本におけるジャズの風景を独特なものにしてきた最大の理由だと言えるだろう。

特に1950年代後半のジャズレコードは、単なる1回性の即興演奏を録音したものだけではなく(プレスティッジの多くはそうだったらしいが)、ブルーノートやリバーサイドの名盤のように、スタジオに特別編成のメンバーを集めたり、ヴァンゲルダーのような優れた録音エンジニアによって高い録音クオリティを確保したり、プロデューサーのいる場で何度もリハを重ね、総合的にじっくりと作り込んだ「作品」という性格が強いアルバムも多かった(たとえば、1956年のセロニアス・モンクのアルバム同名曲<Brilliant Corners>の演奏は、リバーサイドのプロデューサーだったオリン・キープニューズが、25回の「未完成」録音テイクをテープ編集して完成させたものだ、という話は極端な例として有名だ。これはその後のマイルス/テオ・マセロ合作を経て、音楽ジャンルに関わらず、今では当たり前に行なわれている録音手法である。)。それらは確かに1回だけの「生演奏」とは違うが、繰り返して聴く価値のある演奏が収録された「ジャズ作品」と考えられていたし、事実優れた演奏やアルバムも多かった。だからソニー・クラーク Sonny Clarkというピアニストとその作品『クール・ストラッティン Cool  Struttin'』(1958 Blue Note) の存在を知らない、あるいはそのレコードに聴ける、翳のある独特のピアノの音色の魅力が分からないアメリカ人は、「本当にジャズを聴いているのか?」と思う日本人が多かったのである。

LPレコードに今でも人気がある理由の一つは、そうした時代の演奏とサウンドを再現するには、音源をデジタル化したり、圧縮したりして加工された音ではなく、当時のアナログ録音手法に則った再生方式の方が原理的に「より忠実で再現性が高い」、という考え方があるからだ。そして、たとえ疑似体験と言えども、それを最大限楽しむには、ジャズという音楽が持つエネルギーが聴き手に十分に伝わり、同時に演奏の細部も聞き取れるような高音質で、かつ音量を上げた再生が望ましいのである。こうした日本人の持つ嗜好や美意識、つまりは「オタク文化」を、米国のジャズ文化との比較を交えた日米文化論としてもっと掘り下げたら、モラスキー氏の『ジャズ喫茶論』はさらに深いレベルの議論になったようにも思う。

Waltz for Debby
Bill Evans / 1961 Riverside
 
ジャズとは常に「生きている」音楽であり、毎回の演奏に「想定外」のことが起こるところがその魅力と醍醐味なのに、レコードという缶詰音楽は、いかに名演、素晴らしい録音であっても、同じ音が繰り返し聞こえてくるだけの、所詮は「想定内」のいわば過去の音楽にすぎない、という見方の違いが根本的な部分だろう。「ジャズ(音楽)はライヴがいちばん」という認識は、「音源」が簡単に、自由に入手でき、貴重なものではなくなった現代では当然ながら高まっているが、生演奏を聴く機会がまだ少なく、西洋音楽鑑賞法の伝統が濃厚で、芸術鑑賞に独特の視点があった半世紀前の日本の時代状況を考えれば、聴き手がジャズという音楽に向き合う姿勢(ジャズ観)という点で、(ジャズの歴史的背景云々は別としても)そもそも日米間には大きな相違があったのではないかと思う。だから上記日本側の見方とは反対に、「日本人はジャズが分かっていない…」という見方が米国側の一部にあった(今もある?)のもまた当然なのだろう。しかし、面白くもない下手くそなジャズライヴを100回聴くより、好きなミュージシャンが演奏する1950年代の名盤を、ジャズ喫茶や自宅の優れたオーディオ装置でじっくりと聴いて楽しんだ方がよっぽどいい、という考え方が一方にあることも確かだ。ビル・エヴァンスのライヴ録音『Waltz for Debby』のレコードを、エヴァンス好きな日本人が耳を澄ませてじっと聴き入っているときに、「ヴィレッジ・バンガード」の(たぶん)アメリカ人女性客がバカ笑いする大声がスピーカーから響きわたる……という絵柄も、よく考えると、ある意味で実にシュールだ。

2018/10/06

忘れ得ぬ声 : ジャッキー・マクリーン

なぜか時々無性に聴きたくなるジャズ・ミュージシャンがいる。サックス奏者ジャッキー・マクリーン(Jackie McLean 1931-2006) もその一人だ。私はマクリーン・フリークというほどではないが、一時期マクリーンに凝って、いろいろアルバムを聴き漁ったことがあり、当時集めたLPCDもかなりの数になっている。時々、PCに入れたマクリーンのアルバム音源を連続して再生していると、懐かしさもあって、つい時の経つのを忘れるほど楽しい。親しかった昔の友人と久々に会って、話を聞いているような気がするからだ。もう亡くなってしまった昔の知人や懐かしい友人たちは、顔も思い出すが、むしろ記憶している "声" の方が、いつまでも生々しく聞こえてくるように思う。マクリーンの場合、特にそう感じるのは、ややピッチが高めで、哀感を感じさせる、かすれたアルトサックスの音色、粘るリズムとフレーズ、演奏の中から聞こえてくるブルース……それらが一体となってマクリーンにしかない個性的サウンドを形作っているのだが、それが単なるサックスの音というより、“人間の声” のように感じさせるせいだと思う。同じチャーリー・パーカーのコピーから始めても、ソニー・スティットのような名手をはじめとした他のパーカー・エピゴーネンとは違う、マクリーンにしかないその "声” が、技術の巧拙を超えて、どのアルバムを聴いても聞こえてくる。アルトサックスではリー・コニッツもそうだが、これはジャズではすごいことで、それこそがジャズ音楽家の究極の目標の一つと言ってもいいくらいなのである。マクリーンのアルトで有名なアルバムと言えば、日本ではまずはソニー・クラークの名盤『Cool Struttin’』(Blue Note 1958)、それにマル・ウォルドロンの『Left Alone』Bethlehem 1960)が昔から定番だ。どちらも出だしの一音でマクリーンとわかる、これぞジャズというそのサウンドには忘れがたいものがある。

マクリーンの公式な初録音は、20歳のとき1951年のマイルス・デイヴィス『Dig』(Prestige)参加で、その後毎年のようにマイルスのBlue NotePrestige等のレコーディング・セッションに参加していた。初リーダー作となったのは、ハードバップの時代に入り、ドナルド・バードのトランペットも入った2管の『The Jackie McLean Quintet-The New Tradition Vol.1』1955 Ad-Lib/Jubilee)だ。私はこのアルバムが大好きで、McLean(as)Donald Byrd(tp)Mal Waldron(p)Doug Watkins(b)Ronald Tucker(ds) というメンバーによる演奏は、マクリーンもバードも含めて、ほぼ全員が20歳代の新進プレイヤーたちの気合を象徴するように、粗削りだがアルバム全体が溌溂かつ伸びのびとしていて、どの演奏もエネルギーに満ちているので、聴いていて実に気持ちが良い。ここでのマクリーンは、既にして個性全開ともいうべき鋭いフレーズと独特のサウンドを展開しており、ドナルド・バードの流れるようなトランペット・ソロ、初期のマル・ウォルドロンのアブストラクト感のあるピアノ、ダグ・ワトキンスの重量感のあるベースなど、どのプレイも楽しめる。特にマクリーンとバードの2管の相性は良いと思う。アルバム冒頭の<It’s You or No One>が聞こえてきた途端に、全盛期のモダン・ジャズの空気が流れ、マクリーンのあの “声” に何とも言えない懐かしさがこみあげて来る。私的に大好きな演奏The Way You Look Tonight>、マクリーンが書いたジャズ・スタンダード<Little Melonae>の初演、最後にはマクリーンのアイドル、チャーリー・パーカーへのオマージュとして、バラード<Lover Man>も入っている。初代レーベル(Ad-lib)は猫のジャケットだが、この2代目(Jubilee)の面白いデザイン(フクロウ?)も、本アルバムの若さと爽快感がそこから聞こえて来るようで気に入っている。

マクリーンはこの後PrestigeNew Jazzに何枚かのレコードを吹き込み、さらにドナルド・バードと共にBlue Noteに移籍し、1959年の初リーダー作『New Soil』以降、1960年代はBlue Note盤、その後ヨーロッパのSteeple Chase盤などをはじめ、一時引退するまで数多くの録音と名盤を残しており、その間独特のアルトの音色も微妙に変化してゆく。復帰後、晩年の'90年代には、大西順子(p)と『Hat Trick』Somethin’else 1996)を吹き込んでいる。人それぞれに好みがあると思うが、私が個人的に好きなマクリーンは、どれも一般的なジャズ名盤とまでは言えなくとも、やはり瑞々しい若き日の演奏が聴ける1950年代だ。まずはPrestigeの『4, 5 and 6』(1956) で、McLean(as)Mal Waldron(p)Doug Watkins(b)、Art Taylor(ds)というワン・ホーン・カルテット(4)による 3曲(Sentimental JourneyWhy was I BornWhen I Fallin' Love)、そこにDonald Byrd(tp) が加わったクインテット(5)で2曲(ContourAbstraction)、さらにHank Mobley(ts) が加わったセクステット(6)で1曲(Confirmation)ということで、タイトルの『4, 5 and6』になる。考えてみれば、Prestigeらしい適当なアルバム・タイトルだが、ヴァン・ゲルダー録音による音が生々しく、どの曲を聴いてもハードバップのあの時代が蘇って来るような、肩の凝らない演奏が続いて楽しめる。ここでもドナルド・バードのトランペットが良い味だ。

上の盤と並んで好きなこの時期のレコードは、Prestigeの傍系レーベルNew Jazzに吹き込んだ『McLean’s Scene』(1956)だ。Prestigeと違って、New Jazzのアルバムはタイトルもそうだが、このマクリーンのレコードの赤い印象的なジャケット・デザインに見られるように、どれも “一丁上がり” という軽さがなく、一応考えているように見える(Blue NoteRiversideのような丁寧さや知性は感じられないが)。こちらもMcLean(as)Bill Hardman(tp)Red Garland(p)Paul Chambers(b)Art Taylor(ds)という2管クインテットによる3曲(Gone with the WindMean to MeMcLean's Scene)と、McLean(as)Mal Waldron(p)Arthur Phipps(b)Art Taylor(ds)というワン・ホーン・カルテット3曲(Our Love is Here to StayOld FolksOutburst)を、組み合わせたスタンダード曲中心の作品だ。こうした曲の組み合わせも、Prestigeが一発録りで一気に録音した音源を、あちこちのアルバムに適当に(?)組み合わせて収録しているので、アルバム・コンセプト云々はほとんど関係ない(もう1枚、同じメンバーで同日録音した音源を収録した『Makin’ The Changes』というマクリーンのリーダー作がある。当然だが、こちらも良い)。この時代のこうしたレコードは、細かなことをごちゃごちゃ言わずに、ひたすら素直にマクリーンの音を楽しむためにあるようなものだ。ただし、マクリーンの "声" を生々しく捉えたヴァン・ゲルダー録音でなかったら、ここまでの魅力はなかっただろう。Prestigeもこれでだいぶ救われた。

もう1枚も、同じくNew Jazzの『A Long Drink of the Blues』1957)である。全4曲ともにゆったりとしたブルースとバラードで、タイトル曲で冒頭の長い(23分)のブルース<A Long Drink of the Blues>のみがMcLean(ts,as)Webster Young(tp)Curtis Fuller(tb)Gil Cogins(p)Paul Chambers(b)Louis Hayes(ds)という3管セクステット、残る3曲のバラード(Embraceable YouI Cover the WaterfrontThese Foolish Things)が、McLean(as)Mal Waldron(p)Arthur Phipps(b)Art Taylor(ds)というワン・ホーン・カルテットによる演奏だ。スタジオ内の長い演奏前のやり取りの声から始まる1曲目のブルースでは、マクリーンがアルトとテナーサックスを吹いているが、そのテナーはフレーズはまだしも、ピッチのやや上がったかすれた音色までアルトと同じようで、まるで風邪をひいたときのマクリーンみたいなところが面白い。後半のバラードは、ビリー・ホリデイの歌唱でも有名なスタンダードで、マクリーンの哀愁味のあるアルトの音色がたっぷり楽しめる。当時ホリデイの伴奏をし、独特の間を生かした自己のスタイルを確立しつつあったマル・ウォルドロンのピアノも、メロディに寄り添うように美しいバッキングをしている。この作品もそうだが、Blue Note盤のような格調、また演奏と技術の巧拙やアルバム完成度は別にして、ブルースやバラードなどを若きマクリーンがリラックスして吹いており、こちらも肩の力を抜いて、あの “声” をひたすら楽しんで聴けるところが、’50年代のこうしたアルバムに共通の魅力だ。新Macオーディオ・システムは時間とともに音が一段と良くなり、間接音の響きが増して実に気持ちが良いので、ついヴォリュームを上げてしまうが、ヴァン・ゲルダー録音のマクリーン一気通貫聴きの楽しみを倍加している。