山本潤子の正統的かつ清々しい歌も好きだが、正反対のような椎名林檎の予定調和を覆す、超個性的な歌も私は好きだ。ジャズで言うと、トリスターノやリー・コニッツの破綻のないストイックなサウンドもいいが、モンクの自由で独創的な音楽にも惹かれるというようなものだろう。この両極とも言うべき音楽嗜好は、ある意味節操がないが、自分が椎名林檎の音楽に惹かれる理由は、たぶんモンクと同じく、既成の枠組みを乗り越えようとする強靭な「意志」と、それを支える唯一無二の「オリジナリティ」を感じるからだろうと思う。
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歌舞伎町の女王 |
1990年代末に椎名林檎がデビューしてから10年間ほど、彼女のCDとDVDのほとんどを購入して聴いたり見たりしていた。当時は、なんだかもうジャズにあまり魅力を感じなくなっていて、何か他に面白い音楽はないものかと、J-POP含めてあれこれ聴いていた。しかし打ち込みとサンプリングで、似たような曲だらけになっていた90年代J-POPの中で、偶然耳(目)にした強烈な「歌舞伎町の女王」(1998) にあっという間にやられた。日本的で、猥雑で、まるで昭和ど真ん中のような歌と映像の世界があまりに面白くて、すぐにカラオケでも唄っていたくらいだ。こうして椎名林檎はデビュー2曲目(シングル)にして、ロック好きの同世代の若者だけでなく、ママやチーママがひしめく夜の歓楽街で、いかにも実際にありそうな話をファンタジーとして描いたこの曲によって、中高年オヤジ層もファンの一部として「取り込む」ことに見事に成功した。続くナース姿の『本能』での、ワイルドかつ官能的世界もそれを加速したことだろう。若い人たちは気づかないかもしれないが、椎名林檎の音楽にはそもそも、基本的要素としてのロックやジャズの他に、日本人中高年層の体内に刷り込まれた昭和的体質が「つい反応」してしまうような、演歌や歌謡曲、シャンソンその他諸々の大衆音楽の要素が散りばめられているのだ。大衆的どころか、とんがったアブないイメージが強い楽曲にもかかわらず、性別や世代を超えた、椎名林檎の全方位的人気の理由の一つはそこにあるのだと思う。
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無罪モラトリアム |
手持ちのiTunesのデータを調べてみたら、1999年の『無罪モラトリアム』から『勝訴ストリップ』(2000)『唄ひ手冥利〜其ノ壱〜』(2002)『加爾基 精液 栗ノ花』(2003) 、さらに「東京事変」の『教育』(2004)『大人』(2006) 、斎藤ネコとの『平成風俗』(2007) までのCDが入っている。他にDVDとして『性的ヒーリング壱、弐、参』『短編キネマ 百色眼鏡』『賣笑エクスタシー』などを所有している(当時よほど嵌っていたのだろう)。'00年代に入るとテレビ出演などメディアへの露出も増え、特に3作目の『加爾基 精液 栗ノ花』のリリース前後には、筑紫哲也や久米宏とのニュース番組での対談等を通じて、中高年インテリ層の認知度もさらに高まった。こうして椎名林檎は、デビュー当時のアングラ的イメージが強いキワモノ・ロック歌手扱いから、完全に「メジャー・アーティスト」の一人へと「昇格」したのである。
日本のポップス史上、松任谷由実 (1954-) と並ぶ最高の「女性アーティスト」はやはり椎名林檎 (1978-) だろう。以前にも本ブログで書いたことがあるが、その音楽的スケールと影響力、独創性、作詩・作曲能力、プロデュース能力、性別・世代を超えたパフォーマーとしてのポピュラリティ等――全ての点においてこの二人の才能は傑出している。さらに、ユーミンの歌や曲はいまだに古びず、単なるナツメロではなく時代を超えて愛され続けている。そのユーミンから四半世紀後に登場した椎名林檎は、デビューした年齢も、十代から曲を作ってきた点でもユーミンとほぼ同じだが、若者のほとんどが音楽そのものに熱狂した「70年代」ではなく、音楽がモノと同じように日常の中で消費され捨てられるようになった「90年代」という時代に現れたために、この点では不利だ。しかし'00年代に入ってからもコンスタントに新曲やアルバムをリリースし続け、十代に作った自作曲を20年後のライヴの場で唄い、まったく古くささを感じさせないどころか、そこにさらに新鮮な魅力を加えている椎名林檎も、この「時間」という試練を完全に乗り超えた本物のアーティストになったと言えるだろう。
1970年代という、高度成長期の活力に満ちた日本、希望に満ちた未来へと成長を続けた明るい日本を象徴していたユーミンの楽曲の背景には、バブルに向かって日々変貌していた「モダンな都会」というイメージが常にあった。それに対し、そのバブルがはじけて「昭和」的世界が文字通り終焉を迎え、不況とリストラで先の見えない世紀末の日本であがく団塊ジュニア、氷河期世代の一人として登場したのが、1978年生まれの椎名林檎である。さらに90年代半ばには阪神大震災やオウムのテロが続き、堅牢で安定していたはずの世界が脆くも崩れてゆく様を目撃し、喪失感、孤独感を募らせていたこの世代の音楽家に、自分の思いや感情をてらいなく表現したり、皆で一緒に唄える希望に満ちた歌など、もはや作れるはずがなかった。それまでの日本のポップスにはおよそ見られなかった、椎名林檎の楽曲が持つ深い陰翳と屈折には、個人的資質だけでなく、疑いなくこうした時代背景が投影されていると思う(「スピッツ」の楽曲にも同種のものを感じる)。そして2001年、追い打ちをかけるように、テレビの画面を通してリアルタイムで目撃した米国9.11テロが、アーティスト椎名林檎にさらなる衝撃を与える。
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賣笑エクスタシー |
椎名林檎のコスプレ的表現、芝居(演劇)や芝居小屋(劇場)好きは、初期の頃からのMV (Music Video) や映像作品が示す通りだ。残念ながら、私は彼女の本物のライヴの舞台を見たことがないが、DVDなどの映像で見るかぎり、MVやライヴステージは音だけのCDよりも圧倒的に魅力的だし、面白い。テレビ番組では制約があって、その魅力が出せないだろうが、本物のライヴは、きっと芝居小屋のような幻想的かつ猥雑な面白さで一杯だっただろう。MVは80年代からあったが、歌だけでなく、最初からその強烈な「ヴィジュアル・イメージ」を意図的に前面に打ち出して登場した新人アーティストは、日本のポップス史上、おそらく椎名林檎が初めてだろう。90年代からのデジタル技術の進化によって、映像作品の制作が容易になったこともあって、今では当たり前になった映像込みの歌のプロモーション(PV) を、既に90年代の後半に彼女は始めていた。当然ながら、背景にはレコード会社を含めた周到な戦略的マーケティングがあっただろうし、女子高生や新宿系やナース姿などの映像は確かにインパクトがあったが、ある意味で「あざとい」印象を一部の人たちに与えたことも事実だろう。
初期からのMVや映像作品をずっと見ていると分かるが、彼女は最初から「素顔」をほとんど見せない。新作のたびに、まず楽曲の背景になる独自の「物語(シナリオ)」を創作し、その設定に基づいて変幻自在の「椎名林檎」というコスプレ(主演女優)を演じる「出し物」を上演している。歌手にとって自らの存在を象徴する「声と歌唱」も、ドスのきいた巻き舌によるワイルドな歌唱から、幼女のようなあどけない声に至るまで、その「出し物」に応じて千変万化する。まるでカメレオンのように、衣装はもちろんこと、自分の「顔」ですら、新曲を発表するたびに、同じ人物かどうか分からないほど毎回「変えて」いたのが椎名林檎なのだ。女性に人気がある理由の一つは、このパフォーマンスが彼女たちの変身願望を刺激するからだろう。
そこにあるのは、舞台上で観客の視線を一身に浴びる「椎名林檎」をどう演出するか――すなわち、冷静かつ複眼的な視点で「アーティスト椎名林檎をプロデュースする」というコンセプトである。椎名林檎は最初から、単なる作詞・作曲家でも、歌手でも、女優でもなく、それらを統合した「アーティスト」だった。おそらく彼女が最もやりたかったのは、単純な歌手・椎名林檎のショーではなく、「椎名林檎一座」による現代の見世物としての「芝居」(パフォーマンス)であり、彼女は最初から一座の座長(総合プロデューサー)だったのだろう。椎名林檎の、あるときは和風であり、あるときは洋風でもあるという和洋ごちゃまぜ、またあるときはレトロであり、あるときはモダンでもあるという時代交錯感を醸し出す唯一無二の音楽表現に散りばめられたロック、ジャズ、歌謡曲、シャンソンなどの諸要素は、彼女の体内に蓄積され、形成されてきた並はずれた量のデータベースから生まれてくるものだが、アルバムであれ、コンサートであれ、映像作品であれ、それらはすべてこの「芝居」を構成し、娯楽として提供するためのパーツにすぎない。だから2004年に立ち上げたバンド「東京事変」は、この「芝居」の幕間の「音楽ショー」という位置付けなのだろう、と当時の私は勝手に推測していた。
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加爾基 精液 栗ノ花 |
ド素人の私見だが、このように基本的に「アート志向」の音楽家だった椎名林檎のデビュー後10年間のアルバムを振り返ると、その「芸術的頂点」は、やはり2003年に発表した3作目の『加爾基 精液 栗ノ花』(=カルキ)だろう。十代に作ったという名曲が並ぶ『無罪』『勝訴』は文句なしに素晴らしいアルバムだったが、正直に言って、『カルキ』はまず不思議なタイトルも含めて、最初にそのダークなサウンドを聴いたとき、椎名林檎は頭がおかしくなったのかと思ったほどだ。多重録音を多用していて、一度聴いただけでは掴み切れないほど複雑なサウンドの曲が多いので、何度聴き返したか分からないほど聴いた。しかし繰り返し聴いているうちに、これは本当にすごい作品だと徐々に思うようになった。今も時どき聴くが、まったく飽きないし、古さを感じない(つまり、そこはジャズの名盤と同じである)。冒頭の「宗教」から終曲「葬列」まで、隙のない、緻密に作り上げた曲だけで構成され、詩集、あるいは短編小説集のような文芸色を感じるこの作品も、全てが名曲だ(ただし、ほとんど素人には唄えないような曲ばかりだ。これは「聴く」ための作品なのだ)。しかし今でも、このアルバムを全曲通して聴くと「頭が疲れる」ので、直後に分かりやすいJ-POPでも聴いて頭を休めたくなる。
この「凝りに凝った」アルバムで、椎名林檎はその才覚を駆使して、やりたいことを全てやりつくしている感がある。作詩、作曲、歌唱、編曲、録音、さらに写真、ジャケットデザイン、詩のフォント、シンメトリーにこだわった曲名や言葉の配置、アルバム全体の構成に至るまで、アルバム・コンセプトへの徹底したこだわりぶりは怖いほどだが、それを20代前半という年齢で実現してしまった早熟ぶりと、作品プロデュース能力、それを可能にするアーティスティックな才能は恐るべきものだ。デビュー後、結婚、出産、離婚を経て「大人」になった椎名林檎が、時代性や商業性よりも、「アーティスト椎名林檎」として本当にやりたいことを、とことん突き詰めて作ったアルバムが『カルキ』だったのだろう。そして、個人的体験である出産の「生」、さらに9.11テロが与えた社会的な「死」のイメージも、この作品全体のトーンに影響を与えているように感じる。
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平成風俗 |
『カルキ』は、タイトル(人前で口に出しにくい)、録音・制作手法(手作り感、多重録音の多用、曲間のつなぎ、音が聴き取りにくい、CCCD等々) に関する物議をかもし、前2作との印象の違いに、ファンの意見を二分したアルバムだったようだが、この『カルキ』のすごさが理解できないと、椎名林檎の半分しか楽しめないことになるだろう。『カルキ』はCDだけでなく、同時期に発表した『短編キネマ 百色眼鏡』『賣笑エクスタシー』他の一連のDVD群と共に、「音と映像」によるマルチメディア作品の一部として鑑賞することで、その世界観のスケールと奥行がさらに理解でき、楽しめる。そしてもう一つ、ライヴ映像を見れば明らかだが、これらの作品は「斎藤ネコ」の超アバンギャルドでグルーヴィーなヴァイオリンとアレンジ、アコースティック楽器によるジャズ演奏という音楽コンセプトなしには表現できない世界だ。「迷彩」のライヴ演奏の後半などは、ほとんどフリー・ジャズだ。
その後、映画『さくらん』の音楽を手掛けるにあたって斎藤ネコと再度共作する。そして今度はホーンとストリングスのフル・オーケストラを編成して、「大人」の鑑賞にも耐えるジャジーなアレンジと聴きやすい録音で、セルフカバー曲を含めて仕上げた『平成風俗』(2007) は、傑作『カルキ』のいわば続編であり、変奏曲であり、別テイクでもある(『カルキ』の原曲を中心に、「商業的に」磨き上げた作品と言ってもいい)。サウンドが激しくないので、高齢者でも(?)何度も聴いて楽しめる奥深さを持ったこの2作は、今も椎名林檎の私的ベストアルバムである。陰翳の濃い曲ばかりで、個人的には優劣がつけ難いが、強いて言えば、編曲を含めた好みは「迷彩」「やっつけ仕事」「意識」「ポルターガイスト」「ギャンブル」「浴室」などだ。名作「夢のあと」も、東京事変『教育』の初出バージョンよりも、『平成風俗』版の方が好みだ。(続く)