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2023/04/21

(続)「長谷川きよし」を聴いてみよう

2018年1月に『「長谷川きよし」を聴いてみよう』という記事を本ブログで書いてからもう5年が過ぎた。その後コロナ禍のために音楽ライヴもすっかりご無沙汰だったが、昨年10月末に「新宿ピット・イン」で長谷川きよしのライヴを久々に見て、ある意味、ミュージシャンとして、その「不変ぶり」に感動した。私は1969年のデビュー作「別れのサンバ」以来のファンなので、50年以上彼の音楽を聴いてきたことになるが、73歳にして、その美声も、声量も、歌唱も、ギターも、サウンドも、半世紀前とほとんど変わっていなかったからである。そして、その「異質ぶり」も、ほとんど変わっていないと言える。長谷川きよしの歌の世界は、1970年代の日本のポピュラー音楽界では異質で、90年代も異質だったし、そして今でも異質だ。そもそも、時流や世の中の嗜好に音楽を合わせるというようなアーティストではなく、基本的に時代はおろか国すら超越して、ひたすら自らが「愛する音楽」を唄い、演奏する、という自分だけの世界を持つ音楽家だからだ。日本のポピュラー音楽界では、実にユニークな存在なのである。

私は歌だけ聴いていたわけではなく、「別れのサンバ」をはじめ、長谷川きよしの初期アルバム2作のほとんどの曲のギターを学生時代に「耳コピ」して、自分でもギターを弾いて唄って楽しんでいた(当時はそういう人が結構いたことだろう)。したがって、彼の音楽の聴き方も、普通の長谷川きよしの歌のファンとは少し異なるかもしれない。当時からジャズを聴いていた私がいちばん興味を持ったのは、歌だけでなく、長谷川きよしが弾くガットギターのサウンドだ。非常に日本的なサウンドの歌がある一方で、ジャズの世界では当たりのmajor7やdimというコードを多用するガットギターの「響きのモダンさ、美しさ」を、初めて知ったのも長谷川きよしの演奏からだ(今もガットギターによるジャズが好きなのもその影響だ)。ただし当時の長谷川きよしは、ジャズっぽい曲もあったがジャズではなく、サウンド的には総じてシャンソン、サンバやボサノヴァ系の曲が多かった。だがギターの「奏法」はフラメンコ的でもあり、ギターの弦へのタッチと破擦音が強烈で、それがガットギターのサウンドとは思えないようなダイナミックさを生んでいるのが特色だった。いずれにしろ、あの当時日本で流行っていたフォークソングや、歌謡曲、ロック、グループサウンズなどからはおよそ聴けなかったモダンなギターコードの新鮮な響きに夢中になった。1970年頃、そんなコードやサウンドが聞ける歌を唄ったり、演奏しているポピュラー歌手は日本には一人もいなかったと思う。

Baden Powell
長谷川きよしのリズミカルで歯切れの良いギター、特にコード奏法の大元は、やはりバーデン・パウエルだろう。私も「別れのサンバ」から始めて、その後バーデン・パウエルやジョアン・ジルベルトなど、ブラジル音楽のサンバやボサノヴァ・ギターの演奏にチャレンジするようになった。当然だが、あの時代は今のようなデジタル録音機器はもちろんなく、アナログ録音機さえカセットはおろか、高価なオープンリールのテープレコーダーしかなかった。ましてギターのコピー譜など何もなく、ただレコードを何度も何度も繰り返し聴いて、音やコードを探し、耳コピで覚えた音を、自分流に勝手に演奏していた。バーデン・パウエルの「悲しみのサンバ (Samba Triste)」など、耳コピの音符を基にして自分で譜面まで書き起こしたほどだ(その後、故・佐藤正美氏の完コピ演奏を聴いて、その正確さに驚いた。この曲は今でもYouTube上で演奏している人が結構いる)。確か『長谷川きよしソングブック』という楽譜集がその後出版されて、「夕陽の中に」のようなジャズっぽい複雑なコードの曲は、その譜面で覚えた気もする。だが、そうやって苦労して覚えた音符や演奏も、半世紀後の今はほとんど忘れてしまい、もう指も動かない…(どころか、情ないことに、近頃はギターを持つだけで重たく感じるくらいだ…)。

1970年頃、銀座ヤマハの裏手にあったシャンソン喫茶「銀巴里」で、ナマの長谷川きよしの歌と演奏を「目の前で」見て、聴いて、その歌唱の本物ぶりと、ギターのフレット上を縦横無尽に動き回る指の長さと、その動きの速さに心底びっくりし、圧倒され、感動した。長谷川きよしのサウンドとリズムは、シャンソン、カンツォーネ、フラメンコ、サンバ、ボサノヴァ、ジャズ……が一体となった、まさに「ワールド・ミュージック」の先駆で、そんなジャンル横断的な音楽を演奏する歌い手も当時の日本には一人もいなかった。それから50年後の昨年末の「ピットイン」ライヴに行ってから、これまで聴いてきた彼の曲や演奏を、あらためて聴き直してみた。当時の他のポピュラー曲の多くが、半世紀を経て古臭い懐メロになってしまった今も、「別れのサンバ」を筆頭に、長谷川きよしの楽曲の多くは色褪せることもなく、一部の曲を除けば、ほとんどが依然として「モダン」なままだ。これもまた驚くべきことである。

一般的には「黒の舟歌」や加藤登紀子との「灰色の瞳」など、長谷川きよしにしては珍しい(?)ヒット曲が有名で、テレビ出演のときにもそういう歌ばかり唄ってきた。長谷川きよしのファンは、ほとんど「コアな」ファンばかりだとは思うが、そうしたヒット曲や分かりやすい曲のファンもいれば、彼の詩や訳詞の世界が好きだという人、シャンソンやラテン系のしぶい弾き語りが好きな人、また私のようにジャズやボサノヴァ系の歌が好きなファンまで様々だろう。しかし、「変わらない長谷川きよし」を何十年にわたって聴いてきた私が、真に「名曲」「名唱」だと思う歌は、やはりほとんどが初期の楽曲で、『ひとりぼっちの詩』、『透明なひとときを』というデビュー後2作のアルバムに収録されている。たいていのシンガーソングライターは、やはりデビューした当時の音楽がもっとも新鮮で、長谷川きよし自身もそうだが、聴き手としての自分もまた、まだ若く感受性が豊かだったことや、自分でギターコピーまでしていたこともあって、なおさらそうした曲の素晴らしさを理解し、また感じるという傾向もあるだろう。しかし、CD再発やダウンロードに加え、最近はストリーミング配信にも対応したということなので、長谷川きよしの「有名曲」や新しめの曲しか聞いたことのない人にも、それ以外の「隠れた名曲、名唱」の数々を、ぜひ一度聴いてもらいたいと思っている。もちろん好みの問題はあるだろうが、とにかくこれまで日本にはおよそいなかった、素晴らしい音楽性を持ったユニークな歌手である、ということが分かると思う。というわけで、以下はあくまで極私的推薦曲である。

ひとりぼっちの詩
(1969)
アルバム『ひとりぼっちの詩』(1969年) は、若き盲目のギタリスト&歌手という売り出しイメージもあって(ジャケットもいかにもそうだ)、どちらかと言えば暗くメランコリックなサウンドとトーンで、十代の少年/青年にしか書けない、孤独、純情、夢想が散りばめられたデビューアルバムだ。「別れのサンバ」(こんな複雑なギターを一人で弾きながら、自作曲を歌える20歳は、50年後の今もいない)、「歩き続けて」(1973年の井上陽水の「帰れない二人」と並ぶ、永遠の青春ラブソング。イントロのmaj7の響きが当時としては出色)という2曲は、いまだに色あせない名曲だ。クールなボッサギターで、深い夜の孤独をしみじみと唄う「冷たい夜に一人」、同じくボサノヴァの青春逃避行ラブソング「心のままに」、さらに、おしゃれな都会風ボサノヴァ「恋人のいる風景」など、どれも未だにモダンな曲ばかりだ。

透明なひとときを
(1970)
2作目のアルバム『Portrait of Kiyoshi Hasegawa(透明なひとときを)』(1970年)は、デビューアルバムとは趣をがらりと変えて、シャンソン、カンツォーネなどのポピュラー曲のカバーに、モダンなボサノヴァのタイトル曲をはじめとする自作曲を加えた、当時の長谷川きよしの歌の世界のレンジの広さと「全貌」を伝える傑作だ。中でも「夕陽の中に」は、このアルバムに収録された「光る河」と同じく津島玲作詞のオリジナル曲で、村井邦彦のジャジーな編曲と、とても20歳とは思えない大人びたアンニュイな歌唱が素晴らしい。「透明なひとときを」も、村井邦彦のアレンジによる、当時としては超モダンなボサノヴァ曲だ。越路吹雪の歌唱で有名だったシャンソンを、ピアノ中心のジャズ風にアレンジした「メランコリー」、60年代カンツォーネの名曲「アディオ・アディオ」「別離」、サンバ調の「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」等々、いずれも当時まだ20歳の若者が作ったり、唄ったりしたとは信じられないほど本格的な歌唱で、何度聴いても素晴らしい。

コンプリート・シングルス
(1999)
長谷川きよしは、まだ十代のときに、1960年代に隆盛だったシャンソン・コンクールで入賞したことがデビューのきっかけだったほどなので、上記アルバム収録曲のほか、エディット・ピアフの「愛の賛歌」、ジルベール・ベコーの「帰っておいで」「そして今は」「光の中に」など、一部フランス語の歌唱も含めてシャンソンは何を唄っても素晴らしい。いわゆるシャンソン風の語り歌と違って、正統的、本格的な歌唱で唄い上げるのが特徴だが、ギターと美声で原曲の良さが見事に描かれる。津島玲時代を除くと共作はそれほど多くないが、1970年代には、荒井由実時代のユーミンの曲「ひこうき雲」「旅立つ秋」のカバーの他に、「ダンサー」「愛は夜空へ」など、ユーミン作詞・長谷川きよし作曲のコラボ曲があって、これらはさすがに長谷川きよしに似合う曲ばかりだ。「卒業」(作詞・能 吉利人)「夜が更けても」(作詞・津島玲)も佳曲だ。私は上記2枚のアルバムLPとCD以外は、『コンプリート・シングルズ』『マイ・フエイバリット・ソングス』などのコンピレーションCDに収録されたこれらの曲を聴いている。'00年代には、長谷川きよしを「発見」した椎名林檎とも共演し、彼女が提供した「化粧直し」もカバーした(これは椎名林檎本人の歌が、実に長谷川きよし的でいい)。

アコンテッシ
 (1993)

私が最後に買った「LP」は1976年の『After Glow』で、その頃からどこか歌の世界が、変質してきたような気がしていた。だから、それ以降80年代の長谷川きよしの歌はほとんど聴いていない(本人も一時スランプになったらしく、隠遁生活をしていた)。そして、バブル崩壊後の1993年に突然復活し、ほぼ15年ぶりに聴いて驚愕したのが、NHK BSでテレビ放映されたフェビアン・レザ・パネ(p)、吉野弘史(b)、ヤヒロトモヒロ (perc)とのユニットであり、そのメンバーで録音したのが名作『アコンテッシ』である。自作定番曲の再カバーと、ピアソラ、カルトゥーラの名曲に自作の訳詩をつけ、それらを素晴らしいユニットの伴奏でカバーしたこのアルバムこそ、初期2作と並んで、歌手・長谷川きよしの歌手としての個性と実力をもっともよく捉えた傑作だ。初期からの「バイレロ」「ラプサン」「別れのサンバ」「透明なひとときを」という名曲に加えて、岩松了作詞の新作「別れの言葉ほど悲しくはない」、さらにピアソラの「忘却 (Oblivion)」、カルトゥーラの「アコンテッシ」という3曲がとにかく素晴らしい。長谷川きよしは、この90年代半ばの再ブレイクで、再びTVやライヴで脚光を浴びるようになり、何枚か新作CDもリリースしてきた。

ギター1本で唄う長谷川きよしもいいのだが、私はどちらかと言えば、ライヴでやっていたピアノ(林正樹)やパーカッション(仙道さおり)のような伴奏陣のリズムとメロディをバックに、リラックスして、歌に集中して唄うときの長谷川きよしの歌唱がいちばん素晴らしいと思う。だから昨年も、久々に「新宿ピットイン」のドス・オリエンタレスとの共演ライヴにも出かけたのだが、期待通りで、やはり行ってよかったとつくづく思う。今年はコロナからの復活ライヴが各地で行なわれるようになって、音楽シーンもミュージシャン自身もやっと活気が戻って来たが、長谷川きよしをはじめ、70歳を過ぎたベテラン・ミュージシャンたちにとっては、限りある人生に残されていた時間のうち、貴重な3年間をコロナで失ってしまい、引退時期を早めた人も多いようだ。残念ながら4/2の京都「RAG」でのソロライヴには行けなかったが、長谷川きよしは今は地元になった京都でもライヴ活動を続けるようだし、来月以降東京、大阪でのライヴ公演も決まっているらしいので、これまで彼を未聴だった人は、ぜひ一度ナマで聴いてもらいたいと思う。