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2020/12/13

スティーヴ・レイシーを聴く #2

スティーヴ・レイシーが1965年に米国を去る前に残した(正式にリリースされた)リーダー作は4枚で、その昔、私が聞いていたレイシーのレコードも、実を言えば、それらのアルバムだけだ。離米直前の本書#4のインタビュー(さよならニューヨーク)で「過去のレコードはもう聴きたくないし、これからも聴かないだろう」と語っているように、60年代に入ると、自分が今現在追及している音楽は見向きもされず、録音はおろか演奏の場さえなかった当時のレイシーは過去を振り返るような気分でもなく、またそんな余裕もなかったのだろう。50年代後半から60年代初めにかけての、当時レイシーが研究していたモンク作品を中心にしたこれら4枚のアルバムは、まだレイシー自身の音楽を確立していない習作というべきものだ。とはいえ、それだけに、ハードバップからモード、フリーへと急速に変化しつつあった当時のジャズを背景に、今は上掲の2枚のCDに収まっている、まだ発展途上にあった若きレイシーの瑞々しいソプラノサックスのサウンドの変化を聴くのは楽しい。またレイシー自身も後年のインタビューでは、こうした若い時代の演奏を肯定的に振り返るようになっている(たいていのジャズ・ミュージシャンは、年を経ることで自分の過去の演奏への見方を変えるようだ)。

1957年のギル・エヴァンス盤の録音(9, 10月)の翌11月にレコーディングされたのが、23歳のレイシーにとって初めてのリーダー作『ソプラノサックス Soprano Sax』(Prestige 1958) である。このメンバーはデニス・チャールズとビュエル・ネイドリンガーというセシル・テイラーのグループのメンバーに、ピアニストとしてウィントン・ケリーWynton Kelly (1931-71) が加わったカルテット編成で、モンク作の1曲(Work)を除き、エリントン(Day Dream他)、コール・ポーター(Easy to Love) の作品など、スタンダード曲を中心に演奏したアルバムだ。曲目に加え、初リーダー作の録音で緊張していたこともあって、セシル・テイラーやギル・エヴァンスとの前記2作品に比べてやや無難な演奏に終始している印象がある。レイシーのソプラノサウンドは相変わらず滑らかでメロウだが、とにかく全員が冒険していない普通のハードバップ時代の演奏のように聞こえる。サウンド的に、やはりウィントン・ケリーのピアノの影響が大きいのだろう。中ではモンク作<Work>のサウンドだけが異彩を放っていて、やはりいちばんレイシーらしさが感じられる演奏だ。とはいえ、1曲目の<Day Dream>のレトロなイントロとメロディが滑らかに流れてくると、どこか懐かしい音にホッとしてなごむ。ご本人は満足していなくとも、私的には十分楽しめるアルバムだ。

初リーダー作の1年後、1958年10月に録音されたのが『リフレクションズ Reflections』(New Jazz 1959) である。当時モンク作品を演奏していた人間はほとんどいなかったそうで、アルバム・レベルでモンクの曲を複数取り上げた最初のミュージシャンは、実はフランスのバルネ・ウィランだった(『Tilt』1957)。レイシーのこのアルバムは全曲がセロニアス・モンク作品という世界初の試みであり、しかも<Four in One>、<Bye-Ya>、<Skippy>といった、モンクの中でも難しそうな曲ばかり取り上げているところにも、レイシーの意気込みが伺える。ここでは、ピアノに気心の知れたマル・ウォルドロン、ドラムスにまだコルトレーン・バンドで売り出し前のエルヴィン・ジョーンズというメンバーに声を掛けている。レイシーと音楽的相性の良さが感じられるこの二人が、本アルバムの出来に大きく寄与していることは間違いない(マル・ウォルドロンとレイシーは、ヨーロッパ移住後も親しく交流していた)。ところで本書のレイシーの話では、実はベースはネイドリンガーではなく、当時モンク・バンドのレギュラー・ベーシストだったウィルバー・ウェアの予定だったが、ウェアがリハーサルに現れなかったので(例によって飲み過ぎか?)、ピンチヒッターとして急遽ネイドリンガーを呼んだのだという(もしウェアが参加していたら、もっと良い作品になった可能性があるとレイシーは言っている……)。しかしモンク作品に集中し、その後のレイシーの音楽上の道筋を明確にしたという点からも、いずれにしろこのアルバムは50年代レイシーの記念碑と言うべき作品だろう。リズミカルな難曲に加え、<Reflections>と<Ask Me Now>というモンクの代表的バラードを2曲選んだところもいい。モンク自身でさえ、当時はあまり演奏しなくなったような曲まで選んだこのレコードをレイシーから献呈されて、モンクは喜び、演奏も褒めてくれたらしい。ついでに40年代末のブルーノート盤以来10年間演奏していなかった<Ask Me Now>を、その後は自分でもレパートリーとして取り上げるようになったのだという。

 1960年5月にジミー・ジュフリー Jimmy Giuffre (1921-2008) とカルテットを組んで、短期間「ファイブ・スポット」に出演したレイシーだったが、ジュフリーのコンセプトと折り合わず、そのグループは長続きしなかった。しかし、オーネット・コールマンの前座だった、わずか2週間のその出演時にレイシーを聴きに来たのがニカ夫人にけしかけられたモンクであり、もう一人がジョン・コルトレーンだった。その演奏を聴いたモンクは、(ジュフリーGの演奏は気に入らなかったようだが)その後自分のカルテット(チャーリー・ラウズ-ts、ジョン・オア-b、ロイ・ヘインズ-ds)にレイシーを加えて ”クインテット” を編成し、テルミニ兄弟が「ファイブ・スポット」に加えて出店したクラブ「ジャズ・ギャラリー」に、4ヶ月にわたって出演した。そして「ファイブ・スポット」でレイシーのソプラノサックスのサウンドを聴いたコルトレーンは、その後自分でもソプラノを吹き始めた。その年の11月に録音されたレイシー3作目のリーダー・アルバムが、『ザ・ストレート・ホーン・オブ・スティーヴ・レイシーThe Straight Horn of Steve Lacy』(Candid 1961) である。メンバーを一新して、チャールズ・デイヴィスのバリトンサックスとレイシーのソプラノの2管、ベースにはジョン・オア、ドラムスにはロイ・ヘインズという当時のモンク・バンドのリズムセクションという異色の編成で ”ピアノレス” カルテットに挑戦したレコードだ。これは2管のモンク・クインテットとして、「ジャズ・ギャラリー」で夏の4ヶ月間演奏した直後のタイミングなので、モンク直伝のサックス2管によるユニゾン・プレイなど、当然そのときのモンク・バンドの編成とメンバーから生まれたアイデアに基づくアルバムと考えていいのだろう。選曲は、相変わらずモンクの難曲3曲<Introspection>、<Played Twice>、<Criss Cross>を選び、セシル・テイラーの2曲<Louise>、<Air>と、1曲だけマイルスの<Donna Lee>(パーカー作という説もある)を取り上げているが、モンクのグループとの共演直後ということもあって、レイシーの創作意欲と挑戦的姿勢がとりわけ感じられる作品だ。オーネット・コールマンの登場後でもあり、レイシーが60年代フリー・ジャズへと向かう兆しがはっきりと聞き取れるのがこのアルバムでの演奏だ。

米国でのレイシー最後のリーダー作となったのが、モンクの曲をタイトルにした1961年11月録音の『エヴィデンス Evidence』(Prestige 1962)だ。オーネット・コールマンのグループにいて、レイシーと個人的に親しかったトランペットのドン・チェリー Don Cherry(1936-95)、同じくオーネットのグループにいたビリー・ヒギンズ Billy Higgins (1936-2001) をドラムスに、モンク作品を4曲(<Evidence>, <Let’s Cool One>, <San Francisco Holiday>, <Who Knows>)、エリントンを2曲(<The Mystery Song>、<Something to Live for>) 選曲している。同世代のドン・チェリーは、レイシーが兄弟のようだったというほど一緒に自宅で練習した仲で、フリー・ジャズへ向かうレイシーに音楽的ショックと強い影響を与えたプレイヤーであり、レイシー同様チェリーも60年代からヨーロッパで活動し、70年代に移住した。当然ながら、このアルバムで聴けるのは、モンクの影響圏から脱出し、いよいよフリー・ジャズへ向かって飛び立とうと助走に入ったレイシーの音楽である。レイシー自身、米国時代のアルバムの中では、ギル・エヴァンスとの共演盤と並んで本作をもっとも評価している。

ところで、他のメンバーに比してこのアルバムのベーシストが、「カール・ブラウン Carl Brown」というまったく聞いたことのない奏者なので、今回あらためて背景を調べてみた。アメリカのネット上のジャズ・フォーラムで、同じ質問をしている人がいて、何人かがコメントしている。これは当時オーネットと共演していたチャーリー・ヘイデン Charlie Haden (1937-2014)  が、何らかの理由で偽名で録音したのではないか、という意見もあって(ナット・ヘントフのライナーノーツに、ビリー・ヒギンズがレイシーに紹介したと書かれていることもあり)、関係者がいろいろ過去の話をしているのだが、結論はやはりヘイデンとは別人の実在したベーシストだったらしい。いくつか証拠(evidence) もあって、Atlantic向けにレイシーがヒギンズとトリオで録音した、以下の未発表音源3曲のメンバーにもカール・ブラウンの名前が記載されていることも、証拠の一つとしてあげられている。このときはAtlanticにドン・チェリーも録音していたそうだが、いずれもオクラ入りとなってリリースされなかったのだという。いずれにしろ、60年代に入ってからのレイシーの意欲的な2作は、当時は音楽的に過激すぎてまったく注目されずに終わったのだという。

[NYC, October 31, 1961 ; 5749/5752 Brilliant Corners Atlantic unissued;  Steve Lacy (ss), Carl Brown (b), Billy Higgins (ds) ; <Ruby, My Dear>, <Trinkle, Tinkle>, <Off Minor>]