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2021/02/14

冬ドラ『夢千代日記』

NHK 夢千代日記
吉永小百合

朝の連続テレビ小説は「朝ドラ」、近年、深夜に放送されている斬新なドラマを「よるドラ」とNHKでは呼んでいるが、「冬ドラ」という呼称はまだないようだ(聞いたことがないので)。なぜか年末になると聴きたくなる演歌や歌謡曲に加えて、私には冬がやって来ると見たくなるドラマがあって、それを「冬ドラ」と勝手に呼んでいる。気楽に流して見られるようなエンタメ系作品ではなく、「外は雪とか木枯らしの寒い冬の夜、炬燵に入って熱燗でちびちびやりつつ、しみじみと見るようなテレビドラマ」のことだ(あくまでイメージで、実際に炬燵で一杯やっているわけではない)。見るのはもちろん、CMのない、それも大昔のNHKドラマだ。最近のように、目まぐるしい展開や、ファンタジー色の強いドラマも面白いことは面白いのだが、やはりじっくりと楽しめるオーソドックスなドラマは落ち着くし、NHKは朝ドラや派手な大河ドラマとは別に、日本的情緒と文芸の香り漂う大人向けのドラマを昔は数多く制作していた。その代表的作品で、寒いこの時期になると、飽きずに何度も見てきたのが吉永小百合主演の『夢千代日記』である。今から40年も前に放送された、言わずもがなの名作だが、やはり「冬に見るからこその夢千代」であり、以前NHKが真夏に再放送していたときには、何を考えているのだと怒りさえ覚えたほどだ(大ゲサだが)。

毎冬のように見てきたのはもちろん録画してあるからで(今はNHKオンデマンドでも見られる)、『夢千代日記(5話)』(1981)『続・夢千代日記(5話)』(1982)『新・夢千代日記(10話)』(1984) という3部作で、いずれもオリジナルはもちろん冬に放送された。原作・脚本が早坂暁、演出が深町幸男、音楽が武満徹という制作陣に加えて、主演が(たぶんいちばん奇麗だった頃の)吉永小百合という豪華な布陣のドラマだ。私は(タモさんのように)吉永小百合の熱烈なファンというわけではないが、夢千代役にはやはり吉永小百合以外の女優は思い浮かばない。実際、ドラマの夢千代の年齢設定と、当時の吉永小百合の実年齢はほぼ同じで、早坂は吉永を念頭にこの作品を書いている(しかしこのときの吉永が、今の綾瀬はるかとほぼ同年齢だった、というのは何となく意外な気がする)。

1985年の映画版も見たが、NHKドラマの方がずっと出来が良い。個人的には、林隆三、ケーシー高峰、楠木トシエなどが出演し、ドラマの基本的イメージを作った第1作目がやはりいちばん記憶に残る。山陰の小さな温泉町で夢千代が営む置屋「はる家」の芸者役、樹木希林(菊奴)、秋吉久美子(金魚)、中村久美(小夢)の他、夏川静江、中条静夫、加藤治子、佐々木すみ江、長門勇、緑魔子、あがた森魚などのレギュラー陣、さらに林隆三、石坂浩二、松田優作という1作ごとに変わる客演男優等、それぞれ味わいのある役柄キャラクターと物語をじっくりと楽しめる。しかし、今はもうこの名作ドラマのことさえ知らない人も多いらしい。制作陣もそうだが、画面の中にいるこれら出演者の約半数がもう故人なのだと思うと、なんだか寂しく、また時の流れをつくづく感じる。

NHK 夢千代日記
左から夢千代、小夢、金魚、菊奴
物語の主な舞台は山陰にある架空の温泉町「湯の里温泉」で、全編のドラマロケは鳥取県境に近い兵庫県の日本海側、山陰本線の浜坂駅から少し内陸部に入った「湯村温泉」(新温泉町)で行なわれた。しかし港が近かったり、海鳴りが聞こえるなど、ドラマの「湯の里温泉」はもっと海に近い設定になっていて、全体的にむしろ鳥取県のイメージが強い。実は最近ネットで読んで初めて知った話だが、当初早坂暁は、鳥取県の倉吉に近く、原稿を書くために滞在していた三朝温泉をドラマロケの舞台に考えていたが(実際「夢千代」という名前の芸者も三朝にいたらしい)、広島で胎内被曝した夢千代の原爆症が、イメージ的に三朝温泉の有名なラジウム泉に結びつけられる懸念があるという理由で断られ、それでは、と次に話を持ち掛けたのが民謡「貝殻節」で知られる同じ鳥取の浜村温泉だったが、今度は話が暗すぎると再び断られたのだそうだ。そこでやむなく、県境を東へ少し越えた兵庫県の湯村温泉に声を掛けたら、そこで快諾されたという。よく知られているように、ドラマが大ヒットしたおかげで、無名に近い温泉場だったロケ地湯村温泉は「夢千代の里」としてブレイクし、全国的に知られる観光地となって夢千代の銅像まで建てられた。というわけで、湯村は兵庫県なのになぜドラマの背景に「貝殻節」や鳥取砂丘が?という疑問もめでたく氷解した。ドラマでは、イメージとしての冬の山陰と日本海を全体として統合したということなのだろう。

夢千代日記、波の盆
岩城宏之指揮(JVC)
冬になると『夢千代日記』を見たくなる理由は他にもあって、一つは「夜…外は粉雪…」と、夢千代が静かに語る日記風のナレーション、そしてもう一つは音楽だ。ドラマのオープニングで、列車がトンネルを抜けて(旧)余部鉄橋を渡る映像のバックに、武満徹のテーマ曲が流れてきた途端に、気分はもう一気にどんよりと暗い冬の山陰だ(各作ともに、神戸の病院で半年ごとの定期検診を受けた夢千代が、帰路の山陰本線の列車の中で出会う人物から物語が始まる)。そして煙草屋旅館の宴席では吉永、秋吉、中村という3人の芸者が踊り(踊りの出来は、小夢>夢千代>金魚の順で、日舞>体操>ダンスか)、菊奴の弾く三味線(これは本物)で毎回唄われる鳥取民謡の「貝殻節」、スナック「白兎」(オーナー長門勇、ママ水原英子)の場面や、毎回登場する旅芸人一座の芝居とそのバックで聞こえる演歌など当時のヒット曲、うらぶれたヌード劇場のストリッパー緑魔子の踊りと(照明係)あがた森魚の独特の歌など――これでもかと、ドラマ全体にわたって「昭和」の懐かしさと哀感が漂う音楽が散りばめられている。印象的な武満の冒頭のテーマ曲は、ドラマでは小編成のアンサンブルがやや早めのテンポで演奏しているが、1998年に岩城宏之が金沢のオーケストラを指揮し、映画音楽やテレビドラマ向けに武満 徹が書いた曲を演奏した『夢千代日記、波の盆』(JVC) というCDでは、テレビ版よりもゆったりとしたテンポで、大編成アンサンブルが美しく流れるように、しみじみとこの名曲を演奏している。

学生だった1970年頃に、何度か山陰地方を旅行したことがあるが、「表日本」「裏日本」と呼んでいたあの時代の両地域の「差」に何度も驚いた経験がある(当時はとっくに硬貨に切り換わっていた「百円札」が、山陰ではまだ流通していた、など)。そうした旅行経験からすると、80年代バブルが到来する以前の山陰地方には、ドラマで描かれているような風情や情緒や人間関係が、実際にまだ色濃く残っていても不思議はないと思った。原爆症や中国残留孤児など、あの時代(1970年代)の日本には、戦争の影を引きずりながら生きている人たちが、まだたくさんいただろう。東京ですら、バブル前には文字通り昭和の風景や風情がまだたくさん残っていたし、人間関係ももっと密で濃いものだった。一方で、都会と地方との間には、地理的にも、心理的にも、また情報面でも容易には近づけないような距離があって、良きにつけ悪しきにつけ、両者を隔てる見えないバリアがまだ残されていた。だから夢千代ドラマの定番、訳あって雲隠れしたり警察から追われる逃避行なども、監視カメラやスマホ映像、ツイートですぐに見つかってしまう現代とは違って、まだまだ可能だった。逆に言うと、常にどこかで誰かから監視されている現代人は、現実からの逃げ場が物理的になくなりつつあるとも言える。ジャンルに関わらず、最近「ファンタジーもの」に人気が集まるのは、こうした現代日本人の心理を反映しているのかもしれない。

人生に疲れ、あるいは心や身体に傷を抱えたまま、人知れず「表日本」から日本海に面した小さな温泉町に流れ着き、そこで互いを気遣いながらひっそりと寄り添うように暮らしている人々を描くこのドラマは、余命短い原爆症の主人公も含めて、死をモチーフにしたやりきれないような物語が続く。しかし、ゆっくりと流れるドラマの時間と登場人物の造形には、昔の日本人が持っていたつつましさ、やさしさ、我慢強さ、運命に逆らわずに生きてゆくけなげさ――などへの、原作者・早坂 暁の郷愁と深い思いが込められている。そしてドラマの中で、夢千代他の登場人物たちが体現しているのが、そうした時代の懐かしい日本人像だ。『夢千代日記』は、今となっては、ロマンとメルヘンの香りさえ漂う懐かしき昭和の日本昔話なのである(ただし、男性向けではあるが)。

大人が楽しめる、こうした純文学的なドラマは、エンタメ全盛の現代ではもう望むべくもないが、『夢千代日記』を含むNHKのシリーズ「ドラマ人間模様」(1976 - 88)には、向田邦子の名作『あ・うん』や、大岡昇平原作で『夢千代日記』と同じく早坂暁、深町幸男コンビによる『事件』シリーズなど優れた作品がいくつもあった。これらはいずれも人生の深さと哀感をしみじみと感じさせる大人の「冬ドラ」だ。振り返ると、こうした名作ドラマはどれも、1970年代の日本列島改造論に始まり、日本がバブルに向かう途上にあった1980年前後に制作されたものが多い。現代の感覚からすれば、もちろん筋立ても構成もシンプルだが、昭和も終わりに近づく頃に作られた、どこか心の琴線に響くそれらの「冬ドラ」をじっと見ていると、その後80年代後半のバブルを通過し、グローバル化と情報革命に戸惑いながら必死に生きてきた日本人が、この30年間に失ったものが見えてくるような気がする。それに、最近の冬は昔ほど寒くない。真冬の日本海側に雪が降っても、さらさらと乾いた粉雪はめったになく、湿った重い雪ばかりになってしまった。こうして、昔の日本人を包んでいた冬の風情も徐々に失われてゆくのだろう。