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2022/07/09

山本潤子の歌が聴きたい

普段は飽きもせずに、ほとんどジャズばかり聴いている。抽象的で、複雑で、多彩な音楽なので、何度聴いても飽きないところがジャズの魅力だ。しかし、さすがに年に何度かは気分転換したくなることがあって、そういうときはクラシックの他に、日本の演歌、J-POPなど分かりやすい音楽を集中的に聴く。自分のCDをリッピングしたファイルをiTunesで聴くわけだが、どうしても同じ曲に偏るので最近はYouTubeを覗く機会が増えた。YouTubeを「徘徊」していると、知らない歌、忘れていた歌、知らなかった歌手、知らなかった演奏を、文字通り芋づる式に「発見」することが多く、タイムスリップ感も加わって止まらなくなる。スマホやPCのチマチマした画面ではなく、最近は目にも楽な高画質・大画面のテレビで簡単に過去の映像と音楽を楽しめるようになったので、エンタメ好き中高年にとっては、今やなくてはならない娯楽ツールだ。インターネットとつながったテレビは、「放送時間」という制約から解き放たれて、完全に新たなジャンルを獲得したと言えるだろう。私はサブスクはやらないので、YouTubeでお試しで聴いて、気に入ったらCDを買うか、曲をダウンロードする(できるだけ圧縮されていない高音質の音源を入手する)。そうして聴くときのJ-POPの歌は新旧、男女を問わないが、中でも時おり無性に聴きたくなるのが「山本潤子の歌」だ。

女性歌手が唄う歌には、人の心の奥底に直接届くような不思議なパワーがあると思う(それは男性歌手にはないものだ)。中には唄っているときに「降りて来る」――巫女的なものを感じさせる人もいて、たとえば、ちあきなおみ、藤圭子、中島みゆき、宇多田ヒカル等にその種の不思議な力を感じることがある。だが山本潤子の声と歌から感じるのは、そうした「交信」的パワーとは違う――いわば天から降り注いでくるような、清廉な響きを持った「天上の声」だ。低域から高域まで、透明で、柔らかく、彼方まで行きわたるような澄んだ歌声を聴いていると、人生の悩みや苦しみ、自分の俗物性や精神の汚れ等々……大げさだが、そういう諸々の内部の汚れを「浄化」してくれるような気がする。疲れたとき、癒されたいときに、何も考えずに聴いていると、ある種のカタルシスを感じる特別な「歌」なのである。

山本潤子の最大の魅力は、もちろんその「声」にあるが、もう一つは、日本語、外国語を問わず「歌詞」が持っている「音」と「意味」を、非常に丁寧に表現する歌手であるところだ。だから正確なピッチと、正確なイントネーションで唄う彼女の正統的歌唱に適した曲では、情感のこもった深い「メッセージ」が聴き手にストレートに響いてくる。1970年前後に登場した、ほぼ同世代の五輪まゆみ、中島みゆき、ユーミンのように、自作の詩を自作のメロディに乗せて唄う個性的な「シンガー・ソングライター」ではなく、彼女は(何曲か自作曲もあるが)基本的には「歌手(ヴォーカリスト)」だ。だから「与えられた歌詞」の意味を正確に理解し、自分なりに咀嚼し、常にそれを丁寧に表現しようとする姿勢があって、それが歌詞に込めた情感をより豊かにしているのだと思う。「歌」に対するこの姿勢は、50年前の「赤い鳥」時代からずっと変わっていない。逆に言うと、月並みで薄っぺらな歌詞の曲、あるいは個性の強すぎる歌は彼女には合わない。クセのない素直な表現で情緒、情感がそのまま伝わって来るような、深い意味や味わいのある歌詞を持った楽曲こそが彼女の持ち味をもっとも発揮する。ユーミン作品のカバーが成功してきたのは、それが理由だろう。

全共闘時代の「赤い鳥」、その後70年代半ばからバブル時代までの「ハイ・ファイ・セット」、90年代半ばからの「ソロ」活動時代と、山本潤子は3つの時代を通じて唄ってきた。赤い鳥は60年代モダン・フォーク、ハイ・ファイ・セットは "Singers Unlimited" や "Manhattan Transfer" など、70年代の米国ジャズ・コーラスグループの影響下にあったのだろうが、赤い鳥から分かれてポピュラー音楽系コーラスを目指してスタートし、70年代後半には「フィーリング」やユーミン作品など、おしゃれで都会的なサウンドでヒットを連発したハイ・ファイ・セットこそ、まさに最近の「City Pop」と称される音楽の嚆矢だった。80年代初めには佐藤允彦(p) と組んで、ジャズ寄りの高度なコーラスに挑戦した時期を経て、その後バブル時代になるとよりポップな音楽へとシフトした。何でも聴けるYouTubeでは、ベスト盤だけではなく、年代ごとにリリースされた単独アルバムが追いかけられるので、当時のハイ・ファイ・セットがコーラス・ユニットとして何を目指してどう変遷していたのか、山本潤子がそれぞれの音楽にどう対応して唄っていたのかも見えてくる。また各アルバムには、人気曲中心のベスト盤には収録されていない知られざる名曲がいくつもあって、それらを発見するのも楽しい。

1&2 (1982)
そんな折、佐藤允彦がプロデュースして81-83年に発表したものの、長い間廃盤になっていた3枚のジャズ系アルバムのCD(『3 NOTES』『1&2』『I Miss You』)が、最近のCity Popブームもあって6月末に限定復刻された。私は当時聴いたことがなかったので早速入手した。曲の多くが大川茂(作詞)、山本俊彦(作曲)のコンビによる日本語によるジャズ・コーラス曲で、たとえば81年の『3 NOTES』では、佐藤允彦トリオに加えて伴奏陣にも豪華なジャズ・ミュージシャンが集結している(宮沢昭、中村誠一、清水靖晃-sax、中牟礼貞則-g)。だから演奏全体が悪かろうはずがないし、3枚のCDを聴いた限り、高度なコーラス技術を核にした本物のジャズであり、個人的には大いに楽しめた。しかし当時のジャズファンは「和製ジャズ」を見下す傾向があり、特に日本語によるコーラスには抵抗を感じた可能性があるだろう。かといってこれらは、赤い鳥、ユーミンや小田和正のファン層が好むタイプの音楽とも思えない。何より昔から、この種の都会的でモダンなジャズ・コーラスは、日本ではあまり「大衆受け」しない(売れない)のだ。フュージョンが盛り上がって、ジャズが70年代に比べて大衆寄りになっていた80年代初めでさえ、そこは変わらなかっただろうと思う(その後バブル時代にポップ寄りになったのは、そうした背景があったのかもしれない)。いずれにしろハイ・ファイ・セットのように、素朴で日本的な歌から、モダンでジャジーな音楽までを自在に唄いこなす「男女混成」コーラス・ユニットは日本に存在したことがなく、山本潤子はその中心として20年間それらの多彩な曲を唄いこなしていた。だからファン層も「竹田の子守歌」や「翼をください」を好む人たちから、ユーミンや小田和正の曲、さらには80年代のモダンな歌を好む人たちまで、世代や好みに応じて様々だっただろう。個人的見解だが、山本潤子の声は、アコースティック楽器とブレンドされたときがいちばんきれいに響くと思うので、年代や音楽スタイルにかかわらず、私はその種のアレンジの曲が好みだ。

翼をください Junko Best
1998 (EMI)
YouTubeであれこれ聴いているうちに出会ったのが、手持ちの音源 (LP、CD)では聴いたことのなかったアレンジで、山本潤子がソロで唄っているバージョンだ。気に入ったので、曲とアレンジを基にしてアルバム名を特定して入手したのが左掲のCDで、数あるベスト盤の中の1枚『翼をください Junko Best』(1998 EMI) である。これは1994年のハイ・ファイ・セット解散後、ソロ活動を開始してから録音したアルバムで、今はもう中古CDしかないので、それを入手した。このCDは彼女が40歳代後半の録音なので、高音域にも声量にもまだ余裕があり、そこに年齢相応の中低域の豊かさが加わっていて、私的にはより好ましい声だ。そして、控え目なバックコーラス、軽いボサノヴァなど、ピアノやギターを中心にした小編成バンドによるシンプルなアレンジが、山本潤子本来の声と歌を引き立たせている。代表曲を10曲収録した本ベスト盤でも「フィーリング」「中央フリーウェイ」「スカイレストラン」など、定番曲を取り上げているが、バックのアレンジが違うので、ハイ・ファイ・セット時代の録音とは違った味わいが楽しめる。好みの問題もあるだろうが、軽やかなムードでナチュラルに唄う「ソロ」の山本潤子が好きな人は、非常に楽しめるアルバムだと思う(主な編曲者は、ハイ・ファイ・セット時代にも一部アレンジを手掛けていた新川博)。

アカシアの雨がやむとき
YouTube / miyalotus
90年代半ばに「ソロ」になってからの山本潤子は、単独でテレビ出演したり(YouTubeにかなり映像がアップされている)、オリジナル曲以外にカバーアルバムも積極的に発表している。ギター一本とかデュオでアコースティックな演奏に回帰する一方、エレクトリック楽器をバックにしたスタイルにも挑戦している。YouTubeで、渡辺香津美のギターをフィーチャーしたバンドをバックに、西田佐知子の60年代の名曲「アカシアの雨がやむとき」を唄う山本潤子のビデオ映像が流れたときは思わずのけぞった(知らなかったので)。しかも、カントリー風のアレンジが実にいい。この映像は、私的にはYouTubeで遭遇した藤圭子が唄う「みだれ髪」のカバーに匹敵する衝撃だった(ただしテレビ放映だけだった藤圭子の幻の名唱と違って、こちらはカバーアルバム『Slow Down』(1995) にも収録されていた)。いつもの山本潤子らしくない(?)唄い方で、60年安保後の虚脱感(投げやり感)を醸し出すこの歌は、渡辺香津美のギターと共に最高だ(調べたところ、1995年の関西テレビ『夢の乱入者』という番組だった。バンドリーダーの渡辺香津美がメインホストで、毎回ゲストを呼んでセッションをするという趣向だ。関西には昔からこうした面白いローカル番組がある)。

         青い夏 
   YouTube / dendelion
ソロになってからのオリジナル録音では、当時活動を共にしていた伊勢正三が作った「緑の季節」や「青い夏」など、70年代フォーク的な素朴な味わいの曲が印象深い。伊勢正三は、短編恋愛小説のような物語を楽曲で描くのが得意な人だ。バブルがはじけた90年代前半、TBS系列で日曜日の夜に放映されていた一話完結ドラマの名作『泣きたい夜もある』の主題歌「ほんの短い夏」(1993) は、あの時代の都会の気分が切なさと共に伝わって来る名曲だ。「緑の季節」(1998) と同じく、山本潤子のために書いたと思われる「青い夏」(1999)も、それらに劣らぬ名曲である。この曲はYouTubeにいくつもアップされているが、ここに挙げたバージョン(歌詞つき)は、美しい写真(イメージ)を背景に使って、この歌のノスタルジックな世界を見事に映像で表現している。切なくなるような懐かしさに満ちたこの恋歌は、伊勢正三の控え目なコーラスとアコースティック・ギターをバックにした、山本潤子の実にやさしい歌声が素晴らしい。

ソロ時代の山本潤子の歌は、美しい高音部だけでなく、上述したように中低域が若い時よりも豊かなので、男性歌手の歌を唄っても、曲想が彼女の世界と合うと素晴らしい歌になる。小田和正が書いたオフコースの「秋の気配」(1979) は、上記「青い夏」と曲想がよく似ている(「海の見える丘」を舞台にした別れ歌)。稲垣潤一が全曲女性歌手とのデュエットで唄ったユニークなカバー集『男と女』シリーズ Vol.1(2008)に、山本潤子と一緒に唄う「秋の気配」が収録されている。大人の恋の終わりを描いたこの曲を、さりげない悲哀をにじませてナチュラルに唄う山本潤子は素晴らしく、本当にこんなふうに唄える人は他にいないだろうと思う。こういう歌を聴くと、彼女に唄って欲しかった曲を他にもいくつか思いつく。たとえば、しばたはつみが唄い、椎名林檎もカバーし、作曲者・来生たかおもセルフカバーした名曲「マイ・ラグジャリー・ナイト」を山本潤子があの声で唄ったら、どれだけ静かで美しい、透明なムードの(イヤらしくない)大人のラブソングになるだろうか……とか、今はかなわぬ企画を夢想したりする。

だが振り返ってみると、結局のところハイ・ファイ・セット時代のユーミンの曲が、いちばん彼女に似合っていたのかもしれないとも思う。70年代のユーミンの楽曲は、どれも斬新で本当に素晴らしかったのだ。まだ20代だった山本潤子が唄う素朴な「幸せになるため」(作詞・荒井由実、作曲・村井邦彦、1975) などを聴いていると、現代に比べたらずっと貧しかったが、みんな穏やかに暮らし、未来にまだ希望があったあの頃の日本を懐かしく思い出す。その山本潤子が2014年2月に歌手活動からの無期限休養宣言をして、5月の公演を最後に引退してから既に8年が過ぎた。日本中に彼女の復活を望むファンがいると思うが、体力的にもう難しい年齢になっているのだろう。私は、東京での最後のステージとなった2014年4月の新宿文化センターでの公演を聴きに出かけた。コンサートでは素晴らしい声と歌を堪能したが、実はその前月に、赤い鳥時代からの盟友でもあったご主人(山本俊彦氏)が急逝していた。新宿文化センターの4月公演は、その直後のコンサートだったわけで、精神的にも肉体的にも大変な時期だっただろう。しかし、最後のステージとなったその年に、山本潤子の「天上の声」を生で聴くことができた自分はつくづく幸運だったと思う。