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2017/06/15

リー・コニッツを聴く #7:ピアノ・デュオ

1967年の全編デュオのアルバム「デュエッツDuetts」(Milestone)以来、コニッツはピアノレス・トリオと並んで、デュオのフォーマットを好んできた。インプロヴィゼーションのためのスペースがより広いことがその理由で、自分のコンセプトをより自由に実行でき、かつ相手の音をより緊密に聴くことができるからだ。一方、50年代半ば以降、自身がリーダーのバンドを持たなかったコニッツは、60年代後半からはヨーロッパでの活動が増え、北欧、ドイツ、イタリア、フランスなど各国の現地ミュージシャンとの他流試合を重ねていて、さながら「アルト一本渡り鳥」のような人だった。オーストリアが自身のルーツの一つであり、またその後近年までドイツのケルンに住んでいたように、クラシックの伝統とフリー・インプロヴィゼーションの発展など、ジャズだけでなく様々な音楽を受け入れてきたヨーロッパの懐の深さが、コニッツにとっては居心地が良かったのだろう。そうした経験がその後のコニッツの音楽に影響を与えたとも言えるが、その過程でヨーロッパ各国のミュージシャンとの人脈も形成し、その中から有望な人たちを発掘することにも貢献してきた。

Toot Sweet
with Michael Petrucciani
1982 Owl
ピアニスト、ミシェル・ペトルチアーニ Michael Petrucciani (1962-99) との邂逅もそのひとつであり、1982年にフランスOwlレーベルに録音されたデュオ・アルバム「トゥート・スウィート Toot Sweet」でのコニッツとの共演をきっかけに、ペトルチアーニがアメリカや世界のジャズ・マーケットに初めて紹介されることになった。録音時コニッツは55歳、ペトルチアーニはデビュー間もない19歳でコニッツとは初顔合わせのセッションだった。まだ19歳のペトルチアーニは巨匠との一対一の共演という場に、おそらくさすがに緊張と尊敬の入り混じった複雑な心理だったろうが、コニッツの繰り出すアブストラクトな独特のフレーズに対し、見事に音楽的応答をこなしている。また、このアルバムでのコニッツのサウンドは、厚くハスキーに録れていて、ペトルチアーニの華麗なピアノ・サウンドと好対照だ。それぞれのソロ各1曲を含む6曲はいずれも聴きごたえがあるが、中でも約16分に及ぶ<ラウンド・アバウト・ミッドナイト>と<ラヴァー・マン>という2曲に聞ける両者の長く美しい、かつ刺激的な対話は、「汲めども尽きぬ」という表現がまさにふさわしい即興デュオのひとつの極致だろう。ソロやデュオ作品というのは、ずっと聴き続けるのが結構大変なものが多いが、このアルバムはそうではなく、インプロヴィゼーションを通じた二人の対話には最後まで興味がつきることがない。

Solitudes
with Enrico Pieranunzi
1988 Philology
マーシャル・ソラール他とのイタリア録音がきっかけで、コニッツにとってヨーロッパの中でもイタリアとの交流が特に深いものになった。その後イタリアのレーベルPhilologyに数多くの録音を残しており、エンリコ・ピエラヌンツィ Enrico Pieranunzi とのピアノ・デュオ「ソリチュード Solitudes」(1988) もその1枚である。ピエラヌンツィは自己のソロやトリオでの活動の他、ジョニー・グリフィンやチェット・ベイカーと、また80年代はコニッツとも頻繁に共演していたが、二人が共演したアルバムとして残されているのは本作のみのようである(調べた範囲で)。ピエラヌンツィはクラシック的な構築感のある美しい演奏が多いが、かなりフリー的表現も試みる人で、それは80年代に共演したコニッツの影響が大きいと語っている。このアルバムでは、二人がよく知られているスタンダード全11曲(+別テイク3曲)にチャレンジしている。コニッツはこの後1990年代にもペギー・スターンなどピアニストとのデュオ作品をPhilologyに残しているが、当然のごとく各アルバムには二人の奏者間の対話独特の味があって、それぞれが違い、それぞれが楽しめる。デュオというのは、普通は聴き手にもある種の緊張を強いるものだが、イタリア録音のこれらのアルバムは、お国柄もあってどことなくリラックスしているところが良い。しかし、さすがにピエラヌンツィとのこのCDは、82年のミシェル・ペトルチアーニとのデュオに近いハードなジャズ的緊張感もそこはかとなく漂わせていて、じっくり聴くことを要求する。

Italian Ballads Vol.1
with Stefano Battaglia
1993 Philology
コニッツとステファノ・バターリア Stefano Battaglia (1965-) のデュオ「イタリアン・バラッズ Italian Ballads Vol.1」(1993 Philology)は、タイトルが示すように、よく知られたイタリアのポピュラー曲を素材にしている。この当時66歳のコニッツは2度目の絶頂期であり、安定した、成熟したプレイを聞かせていた時期で、一方バターリアはまだ20代後半の若さで、ライナーの写真ではスキンヘッドの今と違って長い髪をしている。コニッツは80年代以降のデュオ録音では、非常にアブストラクトな表現をするときと、繊細に美しくメロディを歌わせるときがある。他の作品と違ってこのアルバムでは全体としてアブストラクトな表現を避け、丁寧にメロディを歌わせることに徹しており、安定したピッチで、微妙な音色とニュアンスによって「歌う」表現を試みている。素材そのものが通俗的で、感傷的な歌ものだということもあるが、バターリアのクラシカルでクールな美しいピアノ伴奏を得て、それをどこまで洗練されたジャズ・デュオにできるかがテーマだったろう。そして見事にそれに成功していると思う。何も考えずに、深夜いつまでもじっと聴いていたくなるような、クールで美しいデュオである。

Live-Lee
with Alan Broadbent
2000 Milestone
「ライヴ・リー Live-Lee(2000 Milestone) は、ロサンジェルスのクラブ「ジャズ・ベイカリー」でアラン・ブロードベントAlan Broadbent (1947-) とのデュオをライヴ録音したアルバム。全11曲で、スタンダード中心の選曲だが、お馴染みトリスターノの<317 East32nd>と<Subconscious-Lee>も取り上げている。ブロードベントはニュージーランド出身という珍しいピアニストで、コニッツが完全に師の元を去った後のトリスターノ・スクールで、1966年から約2年間トリスターノに直々に師事した人だ。その間コニッツたちと同じく、レスター・ヤングのソロを研究するという指導を受けている。その後ウッディ・ハーマンをはじめ、ネルソン・リドル、ヘンリー・マンシーニ等の楽団編曲の経験を経て、歌手ナタリー・コールの伴奏者、編曲者、さらにチャーリー・ヘイデンのカルテット・ウエストに参加、また歌手ダイアナ・クラールの編曲者としても活動し、グラミー賞も2度受賞している。しかしこのアルバム以前にコニッツとの共演記録はない。そういうわけで、このアルバムはトリスターノ・スクールの先輩と後輩による同窓デュオのようだとも言える。ブロードベントは、歌手アイリーン・クラール Irene Kral (1932-78) との素晴らしいデュオ・アルバム、「ホェア・イズ・ラヴ? Where Is Love?(1974 Choice) での寄り添うような見事な歌伴が記憶に残っているが、その後も女性ヴォーカリストの伴奏を手がけているように、非常に繊細な表現をする人だ。ここでのコニッツのプレイはいつも通り、時々出て来るアブストラクトな感じと、メロディアスな部分が微妙に入り混じっていて、2人の対話が不思議な心地良さを感じさせるデュオ・アルバムとなった。